事業経営はルービックキューブと似ていると思うことがよくあります。短期目標と長期目標、収益、ファイナンス、税務会計、投下資本と回収、営業、運営、エンジニアリング、人材、販管費と変動費、顧客層と評判、単価と稼働率、市場環境などの多面体をバランスよく組み合わせて、もっとも大きな企業価値に導くイメージです。難しさでありおもしろさは、パズルの一面を動かすと必ずその他の面にも何らかの影響を与えるため、パズル全体の立体的なイメージを常に捉えながら経営に当る必要があるという点です。例えばどんな優れた企画を導入しても、見事な改装投資をしても、バランスが崩れると思うように効果(収益)が現れません。

ボルネオ島のお話
労働集約的サービス業で売上高利益率の低いホテルなどの業態では個別の経営判断の可否よりも全体のバランスを保つほうが企業価値に与える影響が特に大きく、個別の「正しい」経営判断の集積が必ずしも企業価値の最大化をもたらさないという性質が顕著ではないかと思います。この点は重要度の割にはあまり一般的な認識になっていないと以前から感じていて、この重要性のイメージをうまく伝える表現方法はないものかと考えていたところ、ドネラ・メドウズ+デニス・メドウズ著「地球のなおし方」という本(すばらしい本です!)の中でいいお話を見つけましたので引用します。1950年代のボルネオ島で実際にあった話だそうです。

『ある村でマラリアが大流行しました。マラリアは蚊が媒介する病気なので、世界保健機構(WHO)がDDTを大量に撒きました。蚊はみんな死んでマラリアの流行は終焉しました。ところがその後、民家の屋根がぼろぼろと落ち始めたのです。DDTを撒いたので、民家の屋根に住んでいたスズメバチがみんな死んでしまい、イモムシを食料源としていたスズメバチがいなくなったため、イモムシが大繁殖して茅葺きの屋根を食べ、それで屋根が壊れてしまったのです。困った植民地政府はトタンの板を配って屋根を葺くよう指導しました。トタン屋根は確かにイモムシには強いのですが、ボルネオ島は熱帯なので毎日のように猛烈なスコールが降ります。この雨がトタン板の屋根に当たるすごい音のために村の人々が不眠症になってしまいました。

また、DDTを撒いたことで、蚊と一緒にたくさんの虫も死にました。死んだ虫をヤモリが食べ、今度は大量のヤモリが死にました。そのヤモリをネコが食べました。こうして食物連鎖に伴ってDDTが濃縮され(生物濃縮といいます)、高濃度のDDTを摂取したネコがどんどん死んでいきました。ネコがいなくなって今度はネズミが大繁殖を始めました。ネズミが増えると今度は別の伝染病が流行しそうになりました。まさにWHOが「自分でまいた種」といったところですが、これを刈り取るためにWHOはなんと・・・、14,000匹のネコにパラシュートをつけて空から撒いたそうです。』

ほとんどの経営判断は個別に正しい
このお話をすると誰もが大笑いします。お話として出来事を俯瞰的にイメージすると面白いことになっているので当然です(それに14,000匹のネコがパラシュートで降りてくるところを想像してもかなり楽しいです)。でも、重要な点は、個別の対策を実行する立場まで視点を狭めるとWHOや植民地政府の対策は全て正しいと言えるのです。「ほとんどの経営判断は個別に正しい」というのがポイントで、このため俯瞰的には笑い話としか思えないような経営判断が事業再生の現場では個別大量になされがちです(私も経営者としてかなりDDTを撒いた経験があります)。

このイメージで企業経営を素直に解釈すると、個別の経営判断の可否と企業価値の間に必ずしも意味のある相関性がないという可能性が生じます。生態系としての事業を理解しないでなされる経営判断は企業価値に悪影響(時には非常に大きな悪影響)を与える可能性が高く、反対に、個別の判断が事業の生態系にどのような影響を与えるかを注意深く認識しながらなされるとき経営効率は非常に高まるのではないでしょうか。

例えば、沖縄のホテルでは資本投下がうまく企業価値の増加につながらない事例が少なからず存在します(というより珍しくありません)。あるホテルでは4年間にわたって6億円もの改装資金を投下しながらイールド(RevPAR)が全く上昇しなかったケースがありました。常識的に考えると6億円もの新規投資を行えば企業価値が上昇するのは当然であるべきなのですが、このケースでは6億円が(収益を生む)投資ではなく(経済的な見返りがない)費用として消費されたことを意味します。この事例は経営のバランスのとり方しだいで企業価値にどれだけのインパクトが生じるか(あるいは生じないか)を理解するよいヒントになると思います。

「DDTの被害」を受けやすいホテル業
ホテルの経営は一見個別の判断がしやすいという特質があるかもしれません。誰でもホテルを利用したことはありますし、そのときに顧客の立場で感じる改善点にはそれぞれ真実が含まれているものです。ホテル経営に関する基本的な手法は体系が比較的整然としていて理解、実行しやすいため、「改善」のために実行すべきことは明らかであるようにも見えます。また、ホテルは経営者不在のまま運営者によって実質的に経営されているケースも多く、運営者としての立場で個別判断がなされる傾向もあると思います。

このような個別の判断は、生態系全体としてみたときに価値を生むとは限らないのですが、経営者の個別判断は往々にして具体的でかつ単独では「正しい」ことが多いため、現場の職員はこのような対応が別の問題を引き起こす可能性を直感的に感じていたとしても反論することが困難です。ホテルの組織がはっきりとしたピラミッド型であることが一般的であるため、現場からの反論をより難しくしている面もあると思います。

バランスすることのパワー
天秤棒でもヤジロベエでも、バランスする前に必要なパワーといったんバランスした後に必要な力の差は相当なものです。私の個人的な経験ですが、沖縄で事業再生を開始した当初はよく言えば「ハンズオン・マネジメント」、現実は「DDTの大量撒布」で経営的な効果を上げようと相当の試行錯誤と悪戦苦闘を経験し、金融業界仕込みの一日16時間労働で大量のエネルギーを浪費することになります。細部にわたり現場を理解し、即断即決で大量の問題に対処しながら長時間働く姿は、東京ではなにかしら「デキル男」のイメージと重なりますが、あいにく沖縄ではこんなマネジャーを誰もかっこいいとは思わないのです。

そんな沖縄で事業再生を経験することができたのは非常に幸運だったと思います。私のようなやり方には誰も共感しない事業環境で、過去の自分の常識が役に立たなかったため、全く異なる発想を強いられたからです。紙面の関係でその「超非常識」な発想による事業再生の詳細はご紹介しきれないのですが(もしよろしければ弊社ウェブサイトwww.trinityinc.jp をご覧いただければと思います)、結果は驚くべきものでした。方針を180度転換してから3ヶ月もたたないうちに、私のみならず主要な幹部社員たちは従業員に対してほとんど指示を出す必要がなくなってしまいました。私の業務時間もかつての16時間から一日3時間もあれば足りるようになり、一方で顧客の評判、代理店からの評判、地元の評判が急上昇。そしてついには売上と利益も順調に伸び始めたのです。これは個別の問題への対処よりも全体のバランスを優先することで非常に大きな事業効率が生まれた可能性を示唆しています。10倍の成果を生むためには10倍楽をしなければならないということが真実であれば、一つの経営手法として非常に有効な事例となるかもしれません。

おわりに
事業を生態系として捉え、その全体のバランスをとりながら企業価値を高めていくことが、従来型のマイクロ・マネジメントやハンズオン・マネジメント手法と比較して非常に効率が高いということを実証し始めている経営者が世界的に少しずつ現れているように思いますが、これらの経営者が概して地球の生態系にも事業的な関心を払っていることは偶然ではないような気がします。

『季刊 事業再生と債権管理』2007年1月号(115号)掲載 【樋口耕太郎】

去る10月30日に日銀沖縄支店、沖縄会計士協会、沖縄弁護士会が主催する沖縄事業再生研究会の月例勉強会で1時間半の時間を頂戴し、「サンマリーナホテルの再生事例」と題して講演をさせて頂きました。

講演後の質疑応答の際に頂戴した質問の一つに、「サンマリーナホテルではなぜ客室単価を上昇させる価格戦略を取ったのか。ある温泉地域の事例では、反対に価格を下げ競合他社が疲弊することで自社のポジションを優位に導くというケースもあります。」というご質問がありましたので、その選択にいたる根拠を回答させて頂きましたが(サンマリーナホテルにおける価格戦略については、ウェブサイトの「ケーススタディ:サンマリーナホテル」を参照ください)、価格戦略の基本である、そもそも価格とはなんだ?というテーマについてコメントすることはできませんでした。この議論は掘り下げ甲斐のあるテーマですので、補足してコメントしたいと思います。

価格とはなにかを誰も知らない?
価格とは何か、価格は誰が決めるか、価格はどのような性質を持つかなど、価格についての基本的な議論が経営の現場においてなされることは殆どないと思われます。経済学の価格理論といえばせいぜいミクロ経済学の需給曲線から説明が始まるのが一般的で、需要供給に関連する価格決定が主要な研究テーマとなっているのですが、そもそも需要とは何か?のような価格についての根本的議論は多くの事業家や経済人は経験していないのではないかと思います。特に経済学は前提条件が多い学問といわれているそうですが、そうであるならばなお更その前提条件についての研究が少ないことが不思議に思えます。

僕も今まで長い間、このような知識的な枠組みにあまり疑問を持ったことはありませんでしたし、今まで誰もこのような疑問を呈した人にお会いしたことはありませんでした。しかし、現実に自分がサンマリーナホテルの経営を担当し、経営のあり方、事業のあり方、価格決定について直面し、これらについて考えれば考えるほど、多くの疑問が生じてきました。価格とは何だろうか?価格が何であるかを理解しているのは誰だろうか?価格についての理解が現状の程度にとどまっていることで実際の事業に障害が生じていることはないだろうか?価格を上げるということ、下げることの事業的な意味はなんだろう?

価格は買い手が決める
価格に関する特徴のひとつは、価格は常に買い手によって決まるということだと思います。売り手ができることは「値札をつける」という行為のみですので、これをもって売り手が価格を決定しているように解釈されがちですが、値札をつける行為は価格が決定されるということとは根本的に異なります。買い手には常に「買わない」(あるいは他のものを買う)という選択肢が存在しますので、買い手が売り手の設定した価格に納得がいかない場合は売買が成立せず、この場合売り手の設定した値札は意味を失います。

一般に、「値札をいくらにするか」を定める行為が企業における「価格戦略」と理解されていることが多いのではないでしょうか。この行為は現実には「値札戦略」と呼ぶべきものでしょう。買い手が価格を決定する前提では、買い手が意図とする最高価格と売り手がつける値札の間には直接の関係はありません。より本質的な問いは、価格決定はあくまで買い手によってなされるということを認識した上で、その決定要因が何か?その決定要因に影響を与える事業行為はなにか?そのような事業行為を組織的に行うためになにをすべきか?などだとおもいます。

不良債権と価格決定
価格決定に対する考え方次第で、事業戦略と結果(場合によっては国家政策にも)に大きな影響があることを実感したのは、1997年3月以降日本でも活発になった不良債権の売買案件に携ったときです。不良債権の売買価格は当初売買市場が未成熟だったこともあり、常に買い手が価格を決定するという原理を実感するに十分でした。

当時、日本における不良債権売買は誰しもが初体験の取引ですので、おっかなびっくり、かなり保守的に入札価格を設定するところから始まります。余談ですが不良債権の回収を行う外資系企業の責任者の家が放火されたとか、オフィスにネコの生首が送られてきたとか、世界中で噂になったのもこの時期です。時間の経過と共に不良債権投資は当初想定されていたほどリスクがない(どころか殆どリスクがない)ということが明らかになるにつれて入札価格は急速に上昇していくのですが、その間売られる不良債権の質にそれほど大きな差はなかったと思います。買い手の不良債権に対する認識の変化が入札価格の急速な上昇のほぼ唯一の原因でした。

不良債権が安価に売却されればされるほど、銀行に対して公的資金(つまり税金)が投入される額が増加し、投入された税金の多くは投資家である外資系投資銀行やファンドの利益となり、この莫大な利益に対して当時は日本国内で税金が課せられることもなく、こともあろうに投資家の本国(米国など)で課税され膨大な納税がなされている、という非常識な循環が生まれていましたので、この問題を解消するためには一刻も早く売買価格を上昇させ公的資金の投入額を最小限に抑えることが重要なポイントであるべきでした。すなわち国家レベルでの不良債権の価格戦略が何兆億円という税金の使い道を大きく左右する局面だったといえると思います。

価格が買い手によって決定されるという原理を重要視した場合、買い手の数や資金量を増やし、制度の整備などを通じて買いやすさを促進するなど、需要サイドの政策が最も重要であるという発想になるはずです。ところが、当時は売り手が価格を決定するという発想が根強かったせいかどうか、売り手である銀行に対する対処があまりに強調されていたように思います。恐らく日本がとるべきであった金融政策は、高い利益を求める外国資本ではなく安価な日本の金融資産を可能な限り大量に不良債権投資に振り向けるためのしくみ作りを最優先するべきだったと思います。この仕組みづくりに最も活躍できる力を持っていた日系大手証券会社がこの時期に全く機能しなかったことは残念です。

価格決定が売り手によってなされるか、買い手によってなされるかという基本的な問いと認識の違いによって、現実の事業や国家政策の舵取りと、そこからもたらされる成果に著しい差が生じるということだと思います。

価格とは?
「価格は常に買い手が決める」という考え方が仮に正しいとして、そもそも価格とは何でしょう?僕は価格は顧客の意思によって売り手との間で成立する経済行為を表彰する「足跡」に過ぎず、実体を伴わないと考えています。雪山のウサギが経済行為の実体で、ウサギの足跡が価格という感じです。多くの経営理論ではウサギの足跡が経済実体のほぼ全てであるという前提で経済活動を分析しているように思えますが、実際に理解し経営に応用すべきはウサギそのものについてではないでしょうか。そして、ウサギの正体は「顧客の気持ち」だと思います。

一般的な経済理論の考え方の欠点は、ウサギの足跡(価格)を実体として分析を行うため、分析結果が経済行為の本質(ウサギ)と乖離しがちなこと、具体的には、足跡がなければ実体は存在しない、という考え方が基本であるため、足跡を残さないウサギについての分析が完全に無視されること、といえるかも知れません。このような考え方を前提とすると、売り手が商品を提供(供給)し、その商品価格の水準によって顧客が機械的に消費行動を起こすという考え方が採用されがちですが、このような機械的な価格決定モデルは、次善の策とは言え、経営に際して合理的な分析ツールといえるのでしょうか。

例えば、商品は気に入ったのだが従業員の態度が好ましくなかったために買わない多くの(潜在)顧客、同じ商品を買った顧客でも、喜んで人に勧める顧客と、「二度と来るか」と心に決めて立ち去る顧客、都心のデパートで商品を見つけた時は気が向かなかったが、後にリゾートのショップで同じものを見た時には気前よく山ほど買い込んだ顧客、など、このような事例は誰しもが日常的に経験していることだと思いますが、これらの違いはいずれも経済分析の中では存在しないものとして完全に無視されています。現実にはこのような「足跡を残さない」顧客は、実際に購買行動を起こした顧客の何倍も存在するのではないでしょうか。

「足跡を残さない」顧客がどこにどのくらい存在するかを数量的に把握することはほぼ不可能ですが、それが存在しないと考えることは別問題であり、経営的にも非効率です。今まで足跡を残さなかった顧客と実際に購買を行った顧客の合計が売り手の顧客であり、前者は後者の数倍存在するという認識が経営の効率を飛躍的に高める可能性があります。

このような「顧客」を前提とするとき、価格は顧客の気持ちを表彰したもの、すなわち顧客の気持ちがウサギの正体と考えられないでしょうか。経済活動の実体は顧客の気持ちであり、売上とは顧客の価値観と売り手の価値観の接点であり、この接点を選択するのは(上記における大きな意味での)顧客であり、この接点が価格と売上によって表彰されると考えられないでしょうか。このような価格についての考え方を前提にサービス事業を見直すと、経営行動が根本的に変化するというのが僕の経験です。

【2006.11.18 樋口耕太郎】

トリニティアップデイト はトリニティ株式会社(「トリニティ」)によるブログセクションです。執筆者は樋口耕太郎と末金典子です。主なテーマは、①トリニティウェブサイトで表現しきれない応用概念、経営各論、具体事例の補足、②トリニティの企業理念「いま、愛なら何をするだろうか?」を、経営・事業環境で応用するための具体的な議論、そして経営とは切っても切れない、③人とは、生き方とは、人間関係とは、より良い社会とは、人と事業と社会の関わり、などです。

大半の投稿は、テーマごとに一続きの文章として構成されているため、一つのテーマにつき一つの「アーカイブ」表題が割り当てられています。ご希望の表題を選択することで、一続きのテーマごとにお読み頂けます。それぞれのテーマの初めのページでは、そのテーマの一連の投稿を一つにまとめたpdfファイルをダウンロード頂けますので、pdf形式をお好みの方はご利用ください。

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トリニティは、ホテル、金融、航空会社などの労働集約的サービス業を対象とする、事業再生・経営受託の専業会社です。詳しくはウェブサイト会社概要などを参照ください。

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ウェブサイト作成の辞退者が続出
このウェブサイトは完成するまでに実に10ヶ月を費やしています。トリニティの会社設立が今年2月3日ですが、それとほぼ同時にウェブサイトを作成しようと考え、自分たちのつてや、紹介を頂いたりしながらウェブサイト作成をして頂ける方とお会いし始めました。作成に関心を持っていただいた方には、実際にお会いして、僕たちがウェブサイトを通じて(あるいはウェブサイトに関わらず)伝えたいこと、伝えたくないこと、僕たちがこのような事業を行うことに至った経緯や出来事、僕たちの事業の目的、なぜそのように考えるか、などを2・3時間くらいかけてお話します。長時間話すのが良いというわけではないのですが、トリニティの事業の背景を聞いてもらおうと一旦話し始めたら最後、気がつくとかなり時間が経ってしまっていることもしばしばで、一部おもしろがって聞いて頂いた方はいるかも知れませんが、内心閉口していた方も少なくなかったかも知れません。

何社に話を聞いていただいたか正確に覚えていませんが、結局みごとなくらいに軒並み断られました。やんわりお断りいただくのはいい方で、人によっては二度と連絡を頂けなかったり、かなり間の悪い間隔があって相当食い違った気まずいプレゼンテーションになってしまったり。始めは熱心に聞き入っていただける方も、だんだんとクライアント(僕)の暑苦しさに押されて、「これは厄介なものに足を踏み入れてしまった」と考えられたかどうだか。

このような惨憺たる状態に陥ったため、数ヶ月経った頃にはウェブサイト作成はほぼあきらめていました。積極的に依頼先を探すことをすっかり止めてしまったころに、今回の作成者、株式会社クリエイターズユニオン の吉田正男さん、打田武史さんに偶然お会いしたことから、ようやくウェブサイトの完成に至ります。クリエイターズユニオンはCMや映画などの芸術的な映像作成が主力ですが、彼らのように映像技術とデジタルメディア双方を理解する質の高い社員を擁しています。美しく機能的な作品を生み出すだけでなく、クライアントの考えにじっくり耳を傾け、より良いものは何かを一緒に追求する真摯な姿勢が本当にすばらしいと思いました。

代理店泣かせ
実は、このような経験は初めてではありません。サンマリーナホテルの経営をしていた時に独自の新聞広告のシリーズを行おうと考え、多くの広告代理店さんと今回のウェブサイト作成と似たような状況に陥ったことがありました。また、細かいことでは名刺の作成ひとつでも印刷会社さんにさんざん作業をさせてしまったことがあります。昔からクリエイターや業者さんにとっては「無理難題かつ意味不明の仕事を発注する不可解かつ悩ましいクライアント」のようです。

僕たちが広告などを発注するたびに「悩ましいクライアント」現象が起こる原因はなんとなく分かっています。一般的な広告代理店業務は「クライアント企業や商品のイメージを高める目的で、ウソにならない範囲で(あるいは多少のウソが混じっても)お化粧をして消費者に伝える作業」、でありがちな反面、僕たちはウェブサイトでも、新聞広告でも、名刺ひとつでも、メディアと広告が果たすべき最大の役割は、企業の本心を表現することだと考えているためだと思います。僅かな違いのようですが、両者は根本的に異なる性質のものです。興味深いことに代理店の方からは「おっしゃることは分かりますが、本当に伝えたいことはなんでしょう?」という趣旨の質問を頻繁に受けました。どうやら僕たちの「本心」が本当に本心だということが信じられなかったようです。

僕たちの考えに基づいて広告(やウェブサイト)を構成するということは、広告代理店(やウェブサイト作成者)にとっては、消費者の視点よりも企業の自然な在り方への理解を優先し、「プロの仕事」をするよりも企業に共感する必要が生じ、納期を厳守するよりも自分らしく楽しく作業することを優先し、優れたデザインやスタイルを生み出すよりもウソのないありのままの企業の考え方を深く理解する必要が生じます。つまり、「企業のお化粧をそぎ落とし、企業の真実を探し、理解し、そのエッセンスを抽出して広告というメディアで表現する作業」といえると思います。こんな話になってくると、大概のクリエイターさんは、「訳がわからん」という気持ちになってくるのも確かに無理ありません。

真実と広告効果
このような「こだわり」には事業的な根拠があります。既に始まっている今後の社会では、情報の質、特にその情報が真実であるかどうかによって、伝達される範囲、速度、コストに想像を絶するほどの差が生じるためです。

そして、情報の伝達範囲、速度、コストが大きく変化するということは、企業における販売とマーケティングのあり方が根本的に変るということを意味します。僕は、ひょっとしたら販売とマーケティングの概念が近い将来殆ど不要になるのではないかと考えており、その可能性を勘案しながら事業戦略を構築しています。実際僕が経営を担当していた頃のサンマリーナホテルではこの点に途中から気がつき広告宣伝を大幅に削減したのですが、ホテルの評判の向上に伴って顧客が増加し続ける現象が生じています。現在の一般的な企業において販売とマーケティングがどれほど重要な経営課題として位置づけられているかを考えれば、その変化が企業に与えるインパクトは相当なものになるでしょう。

シンプルな経営
真実であるということは飾られてないということでもありますので、ウェブサイトなどの作成に当って、いかに情報をそぎ落とすかということが重要な作業になりました。重要なことは、広告が真実であるためには、経営そのものがシンプルにデザインされていなければならないと言うことを意味し、広告とメディアが事業と経営と一体化する現象が生じます。事業と経営のあり方そのものが広告、販売、マーケティング機能を持つと表現した方が正確かも知れません。このような企業では、今まで事業の一部門だった広告機能が限りなく経営に近くなることになるでしょう。

経営において、いかに加えるかというテーマに取り組み実行することは比較的容易ですが、運営機能の一部を効果的にそぎ落とす決断は非常に難しいものです。しかしもし実行可能であるならば、効果的にそぎ落とされた運営は、極めて効率の高い事業構造と結果を生み出すでしょう。また加えることは比較的試行錯誤が可能ですが、そぎ落とすためには、本当に事業の細部かつ全体のバランスについて知り尽くしていなければ実行することは困難だという面白みがあります。

例えば、5つのレストランを有する高級ホテルよりも、ひとつのレストランで高級ホテルを経営する(もちろん顧客満足度はあまり変わらずにと言う前提です)方が一般に難しく、もしこれが可能であれば事業効率は飛躍的に上昇します。情報管理にコストと人材を投入するよりも、開示されても全く支障のない事業運営をする方が遥かに高い事業効率を生み出します。人事上の不公平を是正するために細かい規定を構築、運用するよりも、全面開示を前提に運用を行う方がよほど会社を強くします。人事評価を正確にするために人事考課の基準を複雑にするよりも、いっそ一つか二つくらいに減らしてしまった方がフェアな人事が実現します。

バークシャー・ハサウェイ
バークシャー・ハサウェイ はこのような経営イメージが少し重なる会社で(もちろん会社の規模や実績は比較になりませんが)今回のウェブサイト作成に当ってもバークシャーのサイトをいろいろ参考にして見ました。バークシャーは投資家ウォーレン・バフェット氏が経営する上場会社(ニューヨーク証券取引所)で、連結総資産2100億ドル(約27兆円)、連結総売上810億ドル(約10兆円)という、破格に成功した投資会社の代表銘柄でありながら、一貫して本社をネブラスカ州オマハという田舎都市に置き、連結従業員約19万人を擁しながら本社職員は役員を入れて17名であるなど、非常に独特な価値観によって経営されています。ホームページをご覧になって頂ければ明らかですが、飾り気のない(ダサい?)実質本位の構成は却って新鮮に感じます。デザイン的には美的でも何でもないのですが、企業の在り方を表現するという視点においては、考え抜かれた無駄のない構成だと思います。日本の大企業がこのように素朴なホームページを作成することを想像できるでしょうか。

バークシャーの年次報告書は金融業界や経営者からも毎年注目されていますが、そぎ落とすということが経営においてどのように価値を生むかについて考えるいい参考資料でもあります。年次報告書の中でもバフェット氏が書いているchairman’s letterは特に有名で『バフェットからの手紙』という書名で日本語も出版されています。

【2006.11.11 樋口耕太郎】

10月30日に日銀那覇支店、日本公認会計士協会沖縄会、沖縄弁護士会が主催する沖縄事業再生研究会において、「サンマリーナホテルの再生事例」と題して樋口が講演致しました。講演会資料はこちらからダウンロード頂けます。

2006年9月19日に開催されたトリニティ株式会社臨時株主総会にて、以下の事項を議決いたしました。

1. 定款変更
・現行定款第2条(目的)に所要の変更を行いました。
・会社法(平成17年法律第86号)が平成18年5月1日に施行されたことに伴い、定款を一部変更しました。主な変更点は、①取締役の人数を1名以上としました。臨時株主総会終了時点の取締役は2名となります。②取締役会を廃止し、これに伴い監査役は退任となりました。
・以上、20日付にて登記申請を行い受理されました。

2. 取締役決定
・取締役屋部邦夫の辞任届を受理しました。
・募集新普通株式60株を発行し、現株主が引き受けを行いました。