友人から、「限られた沖縄という地域に複数の高等教育研究機関が混在する意義とはなんでしょう」というご質問を頂きましたので、私なりの回答を試みます。

*   *   *   *   *

私の個人的な考え方に過ぎませんが、そもそもいかなる高等教育機関であっても、それだけで存在意義が生じることはないと思います。私は、沖縄という地域に1つであろうと、10件あろうと、存在意義とは無関係だと思います。

この議論は、例えば、まずいそば屋が、地域に一件しかなければ、本質的な存在意義が向上するのかどうかということに似ていないでしょうか?どんなにまずかろうと、そばが食べられるという事実に意味を見いだす世界観を前提にすると、存在意義が生じることになります。

一方で、まずいそばを食べるくらいなら、別のものを食べた方が良い、という世界観に生きる場合、・・・すなわち、人生において質を重視する考え方と言えると思いますが・・・ 情熱のない、創造性のない、緊張感のない、高等教育機関に通わせるくらいなら、本土や海外に子女を送った方がましだ、と考えるでしょ う。

この議論は、地域格差などの社会問題とリンクして議論されることも少なくないと思います。「おらが村にも学校」という考え方ですが、私は正にこのような考え方が、現在の沖縄を悪くしていると感じます。たとえば、すべての村にも似たような病院、ホテル、野球場、公民館、ショッピングセンター・・・、という考え方でなされる都市開発は、まったく無個性な地域社会を生み出しています。

地域社会に特定の施設が無かったとしても、それがハンディどころか強みになることが珍しくありません。例えば、宮古島ややんばるなど、かつて貧しかった地域の出身者やその一族が、現在の沖縄社会で活躍し、重要な役割を担う人物を多く輩出しているなど、地域に教育機関が存在しなかったことが、却ってその地域 の出身者の心を鍛え、より広い世界に目を向け、ひいては社会に寄与する人材を輩出しているという事実があります。すなわち、教育機関が存在しない地域ほど 教育熱心だというパラドックスです。東京でも、活躍している人は、地方出身者が多いという印象です。

結局、「おらが村にも学校」という世界観は、教育問題ではなく、土木と補助金と雇用という本音を、表面的な教育議論にすり替えているだけなのではないでしょうか。

別の角度から表現すると、存在意義と数量を切り離すという考え方は、人生において、質を重視する生き方でもあります。私は、「数を追う」という価値観に支えられた社会(典型的には資本主義社会そのもですが)は持続性を持たないと考えています。唯一永遠の成長が可能な概念は質でしょう。その意味で、我々の社会を永遠に向上しようと考えるのであれば、質を選択する以外にないと思うのです。

さらに、逆の発想においては、たとえばある地域に「過剰」と思われるボリュームの高等教育機関が存在していたとしても、必ずしもその存在意義が薄れるとは限らないと思います。たとえば、欧米の大学都市などでは、まったく何もないほどの小さな村に、世界レベルの大学が存在する事例が珍しくないことを考えると、地域内の需要と高等教育機関の供給量は殆ど相関性がありません。むしろ、過疎地域に教育機関を誘致することで、学習環境を整え、教育の質を向上させる ことが可能です。日本でも、秋田の国際教養大学や、大分のAPUなどの事例があると思います。

地域的にも、例えば京都は人口あたりの大学数が、確か日本一だったと思いますが、地元の経済規模に対して「過剰」な高等教育機関を擁しながら、地元では「学生はん」と呼ばれて、外部から京都に学ぶ学生がとても大事にされていると聞きます。

要は、世界から人を惹き付ける魅力ある事業力の有無が、存在意義を生み出す唯一の源であり、オンリーワンの個性を発揮する魂がなければ、どのような大学であろうと無意味だと思います。

特に、既に拡散しているインターネット上の教育プログラムは、極めて優れたものが多く、価格もただ同然で、学習効果も高く、単に知識を提供するだけの教育は、完全に陳腐化すると思われます。まずは英語圏から始まっていますが、日本語圏にその影響が及ぶのも時間の問題でしょう。沖縄大学のことを振り返って、 イメージで表現すれば、我々は琉球大学や沖縄国際大学と競合しているのではなく、TEDと競争する時代が既にやってきているという認識を持つべきでしょう。「TEDには到底かなわないだろう」と考える前に、そのうえでいかに独自性を発揮するかという、まったく異なる次元のパラダイムが必要なのであり、これが、事業力の本質の一部であり、現在沖縄大学が(というより、日本の大学全般ですが)必要とする経営力だと思うのです。

この問題は、旧パラダイムでは到底不可能に感じられますが、パラダイムを転換することで、すなわち自分自身の世界に対する見方を変えることで、実は、容易に実現が可能なのです。

【樋口耕太郎】

4月13日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』第15期 (クリックして概要をダウンロードできます)受講者を募集します。

期間: 3ヶ月(4月13日~6月22日) 講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間は午後7時より(2時間半程度)。原則として、第二・第四土曜日が開催日です。

①4月13日(土) 愛の経営:事業再生のケーススタディ・サンマリーナホテルの再生実話
②4月27日(土) パラダイムシフト:10倍の生産性を実現する・思考実験と発想の転換
③5月11日(土) お金の本質:お金と金融に向き合う・金融の未来学
④5月25日(土) 資本主義社会の幻想
:社会の生態系を理解する・ポスト資本主義を考える
⑤6月8日(土) 行動理論:次世代戦略・社会再生の「コーナー」を探す
⑥6月22日(土) あなたの中のリーダー
:自分に向き合う・明日からできること

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎 http://twitter.com/trinity_inc (ツイッター)
定員: 20名
受講料: 6回講座分 3万円 (消費税込、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座について: 既存パラダイム(世界観)を大いに刺激する沖縄で最も知的な体験。2時間半があっという間に過ぎるほど、衝撃的で、有意義で、面白い、「理想の講義」を目指しています。具体事例を多用して、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることを重視していますので、受講に際して金融知識、経済知識、経営経験など一切不要です。

資本主義、効率重視、成果主義の限界は誰もが感じており、この社会システムに持続性がないことは、既に共通認識と言えるかもしれません。しかしながら、「それでは、私たちはどうすればいいのか」、次の社会の青写真は殆ど語られていません。・・・その理由のひとつは、水槽の中にいる金魚にとって「水」は永遠の謎であり、水槽の中にいながら「水」の本質を理解することが困難だからでしょう。本講座の試みは、水槽の外から金融・社会・経営そして私たちの生き方を考えることです。本講座は本土各都市からも多くの受講生がいらっしゃいますが、敢えて沖縄で開講すべきだと私が考える理由です。

一見、6つのバラバラなテーマによって構成されていますが、6回の講座はジグソーパズルのように、すべてでひとつの大きな世界観(次世代社会の生態系)をお伝えする構成になっています。次世代社会のパズルを完成するためにも、ぜひ全回の受講をお勧めします。しかしながら、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されていますので、順不同で受講でき、期間中いつからでも新規に参加でき、欠席回は次期以降の該当回の受講が可能です。

*   *   *   *   *   *   *

「次世代金融講座」の受講者の方から、世の中で多く開催されている他の自己啓発セミナーと、本講座がどう異なるのか?という問いかけを頂いた。「樋口さんのおっしゃっていることは、有名な○○さんがセミナーでおっしゃっていたことに通じますね」と言われることもある。気になって、紹介された方々の書籍やビデオなどを拝見するのだが、殆どの場合、似ているというよりも正反対ではないかと感じることの方が多い。

どうして正反対だと感じるのか、暫く考えているうちにその理由が見つかったような気がした。「次世代金融講座」では、実は、特段前向きな要素が強調されている訳ではない。人を元気づけるための物語、苦しいけれど乗り越えて掴んだ成功、前向きになるためのヒントやノウハウなどなど・・・が登場する訳ではない。一般的な自己啓発セミナーに盛り込まれている要素とは対照的だ。

講座は全般的に、多様なケースに亘る「事実と解釈」によって構成されている。出来事やエピソードを紹介し、その現象を、異なる視点で解釈することが、様々な角度から何度も繰り返される。そこで重要視されている価値観は、エピソード(事実)や解釈が受講者の気持ちを高揚させるかどうかではない。常識とは異なる新しい視点が、受講者のこれからの人生、およびわれわれの次世代社会において「機能する」かどうかである。したがって、本講座はポジティブ講座ではない。私はよく「鏡の講座」と表現しているが、「なぜ?」という言葉を使わずに、「なぜ?」を問いかけるように設計されている。 受講者の多くは、異なる発想に触れ、新鮮な世界観を獲得し、考えることの楽しみを感じる。 一方で、異なる発想に触れる、というプロセスは、自分の現在までの価値観に向き合わされるという意味だ。「鏡」に映った自分の姿を見つめると、苦しいと感じる受講者も少なくない。「受講料を払ってまで、何で苦しい思いをしてまで通っているのだろう」と告白した受講者もいた。

私が「ポジティブ講座」に納得がいかない理由は、しばしばポジティブシンキングが「精神安定剤」として利用されがちだからだ。そして、すべての「薬物」には中毒性がある。(もちろん、ネガティブシンキングの100倍優れているのだが)。 「精神安定剤」として良い話を聞いている瞬間は、映画を見ているようなもので、悩みから解放され、誰しもが元気になる。しかしながら、そのエネルギーが自分の内部から生まれるものでなければ、やがてその楽しさは欠乏感に変わる。 セミナーホッピングを繰り返す人たち、ポジティブな話を聞いても、行動が伴わない人たちは、典型的にこの症状を示しているような気がするのだ。そして、資本主義社会の基本原則に基づいて、中毒性の有るもの、人に欠乏感を与えるものは、消費を促し、リピーターに繋がり、商売を支える。・・・セミナーを生業としている人の多くは、そのメカニズムをお金に換えている側面があるのではないだろうか。

資本主義社会では「顧客のニーズを提供する」のが商売の基本とされる。パチンコなどのギャンプルは顧客の「ニーズ」である。現代経営では、顧客のニーズを満たすことは強調されても、顧客の人生を本当の意味で豊かにすることには、実は誰も関心を払わない。商売の「感謝」は、顧客のニーズに対する感謝であり、自分への関心に対する感謝である。多くの経営者は、ニーズを提供することで、顧客と社会に寄与していると胸を張るが、本当にそうだろうか?

私は、本当に人の役に立つこととは、一時的な幸福感を提供することではなく、一生涯続く心の自家発電にスイッチを灯すお手伝いだと思っている。それを実現する唯一のプロセスは、私たちが、自分自身の姿に向き合うことでしかない。自分の姿に向き合うことは、決して楽しいことばかりではない。殆どの人が最も避けて通る、苦しいプロセスでもある。勇気をもって、その道に敢えて一歩踏み出そうとする人たちに力を貸すことができれば本望だ。

(2013年1月12日のツイッターより)

樋口耕太郎

ほんのり暖かくなってまいりましたね。お元気にしていらっしゃいますか?
日曜日は桃のお節句。おひな祭りですね。

麗王ではなぜだか毎年女性のお客さまの比率がどんどん増えつつあって、
お客さま全員が女性、なんて日もあるぐらいですので、
いつもお届けしておりますこの麗王便りも今回はおひな祭りということもあり
女性を意識して書いてみようかしらと思います。

ある女性が家族同様に可愛がっておられるワンちゃんが悪性リンパ腫で
余命一ヶ月と診断されてしまったそうです。彼女は、残る命が短いなら、
今までは栄養バランスのためにとどう見ても美味しそうではないドライフードしか
食べさせていなかったけれど、もう美味しいものを食べさせてあげたい、
そう考えて、その宣告以来、鶏のササミやブロッコリースプラウト、
椎茸を煮込んだスープなど良質のタンパク質とお野菜の手作りご飯に毎日の食事を
替えてあげたそうです。すると驚くことに、みるみるリンパの腫れがひき、
ワンちゃんはすっかり元気を取り戻したとのこと。2年経った今では
走り回るまでに復活し、お医者様もびっくり。
以来、ドライフードはもう捨ててしまったそうです。
彼女曰く「最近はオーガニックフードも多く出ていて、
実際自分で食べてみたんだけど、素材の味は全くしないし、ドライフードは
やっぱり美味しくない。かと言って病気の時のように毎日手作りも大変。
そこで見つけたのが素材の味がしっかりする美味しい無添加の犬用缶詰。
食べてみて私が美味しいと感じたので、今はそれをあげているの。」とのこと。

歳を重ねていくと、人間も動物も体力が衰え、病気にかかりやすくなるのは
仕方のないこと。治らない病気だってあると思います。
でも、やはり毎日の食べ物こそ免疫力に重大な影響を与え、
健康状態を左右するということを、さっきのワンちゃんは身をもって
教えてくれているように感じました。
そりゃあそうですよね。身体は食べる物でできているのですから。
人も動物も、良質のタンパク質とお野菜を中心に、添加物の入らない食事を
摂ることが何よりも大切なのだと思います。
ウチの猫ちゃん達も、ドライフードの時と違って、お魚やお肉などをあげる時の
喜びようは見ていて笑ってしまうほどの興奮ぶり。
それがすべてを表していると思います。
私達だって、いくら栄養バランスがいいからって毎日毎日同じ丸い粒々を
お茶碗に入れて出されてもねぇ…。

ただ、確かに自分の身体が喜び、美味しいと感じる食べ物を毎日得るには
少しお金がかかるかもしれません。でもそのぶん、一生懸命働くこと!なのだと
思います。頑張って自分で働いたお給料で、こだわった食事を毎日摂り、
楽しんで生きる。それがいちばんの健康の秘訣ではないでしょうか。
そして、できることなら彼やだんなさまと一緒に作ってみてはいかがでしょう。
二人にとって、お料理すること、食べることの楽しさが格段に
違ってくるはずですから。なぜなら、二人で作るのなら手間が半分で済みますし、
お料理って、作ることによって美味しさが倍増するものなんです。
「食べること」は、死ぬその日までずっと毎日続いていくもの。
毎日のその時間が、楽しいイベントであるのか、
ただ栄養を摂ってお腹をふくらますだけのことであるのかでは、
人生の質というものがぐっと変わってくることと思います。
また食卓で交わされる会話の質や充実感、ひいては愛情にまで影響を及ぼし、
毎日のその積み重ねが、人生のゴールにおいて全く違ったものを
もたらすことでしょう。

それにはお互いがしっかり働かなければ!
最近、若い女性達は美容や食べ歩きには興味があるけれど、自分がこれから長く
生きて行くこと、社会で力をつけることに関心が薄く、他力本願な人が多いように
感じます。
不況や雇用不安も影響しているかもしれません。でも、むしろそうならば、もっと
意識を高く持つ必要があるように思うのです。私は、結婚しても出産しても、
女性だって一生働くことが必要だと思うのです。

なぜ人は働かなければいけないのでしょうか。
子供の時は両親や友人から必要とされ、愛されることで自分の立ち位置を
確認できました。でも大人になると、社会の中での立ち位置を与えられ、
人から必要とされ、感謝されることで切磋琢磨し、視野や世界を広げていきます。
仕事は公平に社会から評価されるもの。ほめられるだけでなく、ときには
批判だって多々受けるものです。でも厳しさがあるから人は成長し、自分を正しく
客観視でき、一個人の大人としてのアイデンティティを確立できるのです。
家族から評価され、感謝されることももちろん大切。子育てで一時期仕事を
離れる人も多いでしょう。
でも、家庭内の自分だけでなく、一人の大人として自信を持ち、人として
バランスよく生きていくには仕事を持つということが計り知れない意味をもつと
思うのです。

自分の人生をどう生きて行くか。それは自分自身が決めること。
心地よく生きて行くには、最低限の収入はいったいどのくらいなのか。
どんな仕事のある人生なら心地よいのか、どんな毎日なら幸せなのか、
すべて自分が選ぶことです。今、もし納得のいかない状況にあるとしても、
それは自分が決めてやってきたことの結果です。なんでも物事は自分次第。
すべての責任は自分にあります。せっかく命を与えてもらったのに、
自分の才能を無駄に遊ばせることになるのはとっても残念です。
恋愛や結婚は、幸せへの近道じゃありません!
本当に意味で幸せを得るために、失ってはいけないもの、それは仕事です。
生きて行くってすごく大変なこと。想像を超える試練に遭遇することも
あるはずです。でもそこで高いハードルを乗り越える強さを持ち、再び幸せを
感じられるようになるには精神的にも経済的にも自立していることが
不可欠なのです。
こんな時代だからこそ、幸せになるための生き方を問いかけ、信じた道を
進みたいものですね。

さあ、日曜日は桃のお節句。ひな祭り。
今では、女の子のお祭りと考えられることが多いようですが、もともとは
この日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、邪気を、身代わりの人形に移し
川や海に流し、家族全員の厄をはらい、夫婦円満を願うという
行事だったそうですから、子どもが男の子だけの家庭であっても、
家族の、周りのみんなの、幸せと健康を願ってぜひお祝いいたしましょう。

【2013.2.28 末金典子】

27日の誕生日に、フランス人、ティエリー・デデュー作の絵本『ヤクーバとライオン』を読んだ。

*   *   *   *   *   *

舞台はアフリカ奥地の村。この村の男子が成人するための通過儀礼は、槍と盾だけでライオンと戦うこと。ライオンを倒して帰ることで一人前の名誉ある戦士として認められるのだ。

成人の祭りの日、ヤクーバも野に向かい、一頭のライオンと出会う。ところが、そのライオンは伏したまま、立ち上がろうともせず、ヤクーバに目で語りかけてくる。

「見てのとおり、わしは傷ついている。夜通し手強い相手と戦って、力も尽き果てた。お前がわしをしとめるのは、たやすいことだろう。」

「お前には、二つの道がある。わしを殺せば、立派な男になったといわれるだろう。それはほんとうの名誉なのか。 もうひとつの道は、殺さないことだ。 そうすれば、お前はほんとうに気高い心を持った人間になれる。 だが、そのときは、仲間はずれにされるだろう。 どちらの道を選ぶか、それはお前が考えることだ。」

ヤクーバは立ちすくみ、夜通し悩み考え、ついに夜明けが近づいたとき、ライオンをそのまま残して村に帰る。

ヤクーバが手ぶらで戻ってきた瞬間から、村には冷たい空気が流れた。村人から蔑まれたヤクーバは、勇士たちの戦列からはずされ、牛たちの世話係を命じられる。

絵本の最後のページは、ヤクーバの寂しそうな表情と、印象的な言葉で締めくくられている。

「たぶん、そのことがあったからだろう。村の牛たちは、二度とライオンに襲われることはなかった。」

*   *   *   *   *   *

私たちの社会は、どれだけライオンをしとめたかで、その人の成果や収入や人格まで評価されると言ってよい。その過程で、傷ついたライオンを、殆ど何の勇気や努力も要せずにしとめたとしても、社会は私たちを「勇者」として受け入れる。実際にライオンをしとめるだけの力があろうとなかろうと、社会は殆ど関知し ない。

しかしながら、力尽き果てたライオンにとどめを刺すだけの行為が、その栄誉に値しないことは明らかだ。その事実は、多くの場合、誰にも知られることはないが、自分だけはその嘘を知っている。

一方で社会から受け入れらないということは、殆どの人にとって最大の恐怖のひとつだ。その怖れから逃れるためであれば、命を懸けて猛獣と戦うことを厭わないほどのものなのだ。明らかに、人は、猛獣と戦う恐ろしさよりも、人から蔑まれる恐怖を強く感じている。

ヤクーバとライオンの物語は、真の勇気とは何かを私たちに突きつける。もっとも恐ろしいものに立ち向かう心、自分を偽らない心、人の目よりも自分の目に正直であり続ける心。殺さない勇気。自分の名誉のために、社会の名誉を捨てる勇気。

歳をひとつ取る、ということの意味は、真の勇気に一歩近づくものでなければならないと思う。自分はそんな一年を送っただろうか、今日はそんな一日だっただろうか、明日はもう一歩先に行くことができるだろうか。このことを、ひとときも、忘れない心を持ち続けられますように。その心を持って、すべてのひとに、 どの瞬間も、接することができますように。

【樋口耕太郎】

お元気ですか? 暦の上ではもう春ですね~。
春というだけで、なんだか、ふんわり、ほんわかとした気持ちになってくるから
不思議です。
そのほんわか気分そのままに来週はヴァレンタイン・デーですね~。
前回は鬼の話なぞをお届けしてしまったので、今日はちょっとロマンチックに
愛することについて書いちゃおうと思います。

そこで、まずは呼吸のお話からなんです。

「吸うよりも、まず吐くのですよ。」
こう聞かされたときには、たじろぎました。
呼吸といえば、まずは新しい空気を胸のなかにとり入れる、
という考えでいましたから。
「吐く」ってことは二の次で、なんだか「吸う」ほうにばかり
熱心になっていたようです。
「吐いてから吸う」と教えておられるのは、自然流育児で有名な小児科医・
真弓定夫先生です。
母親の胎内にいるとき、ひとは、母体とへその緒で結ばれていたから、呼吸は
へその緒と胎盤を通じて行われるのだそうです。
生まれ落ち、肺呼吸に切り替わるときに、肺や気管のなかにたまったものを
まず吐きださなければならない。
肺の中の空気をできるだけ多く出すことによって、酸素交換の効率も
高まるのだとか。
なるほど。ひとは生まれてきてまず最初に吐き出すことから始めるのですね。
これがひとの基本ならば、欲張らずにこれからは物でもお金でも愛でも
「出してから入れる」を心がける時代かもしれません。

そういえば…往年の名女優達やココ・シャネルなど成功の人生を歩んだとされる
女性達に共通していたのは、愛されるという受け身ではなくて、愛することに
喜びを見出した人達だったということでした。
人は生きる上で愛を得たいと思うものですが、愛されたいと願っても、
そう簡単にはいきません。
でも私が感じたことは、愛されるより愛するほうが、
信じてもらうより信じるほうが、人は輝くということです。
愛する喜びは人を強くし、輝かせるのですね。

でも現実として、先のことはわからないものです。
例えば、人を好きになり、その人との愛が成就するかに保証はありません。
愛を育むにも、1年後も恋人の気持ちは変わらないだろうかと考えると
不安になりますが、それはいくら悩んでもわかりません。
また理想とする愛の形に苦心しても、相手に無理強いするわけにもいきません。

信じることも、また難しいものです。
そのため現代では、愛の関係性にリスクヘッジの考え方を持ち込む人も
いるようです。ひとりを信じて結婚を決めるより、金融商品の投資先のように
相手を複数揃え、どこにヘッジをかけるのがいいかと値踏みする、といった
具合です。これも不安ゆえの行動だと考えられますが、信頼のないところに
果たして愛はあるのでしょうか。自分の選択を信じられなければ、
愛する人のこともまた信じられないのではないでしょうか。

ちょっと唐突な例ですが、猫はとても猜疑心の強い動物です。でも一旦馴れれば、
身体をごろんと横たえて、飼い主にお腹を見せもします。この無防備な行動は
「あなたにすべて任せてもいいですよ」というサインですが、私は人間の愛も
同じだと思うのです。愛の本質は、自分自身を投げ出すことができるかにあります。
これは単なる自己放棄ではなく、自分を持ちつつ、相手に自分を
投げ出していいという心情です。
自分を投げ出すには相手を信じる必要があり、また投げ出すからこそ、
相手を信じられるようにもなります。
つまり愛は「信じる」ことに通じるのです。
だから愛は必要であり、人は誰かを愛さずにはいられないのでしょう。
かの文豪トルストイあの最後のメッセージは
「人は愛によって生かされていくもので、愛を自覚した人間の結びつきが、
この社会を支えていく。愛こそが最後の拠りどころ」というものでした。

今あなたには心から愛するひとがいますか?
その愛を深めるためにも、ここに確実に存在するお互いが深く愛を感じ合い、
今とここを、まずは精一杯生きてくださいね。
来週はヴァレンタインデー。
どうぞそんな一日をお過ごしくださいますように。

【2013.2.7 末金典子】

本土は厳寒・大雪ということで、さすがの沖縄も寒い毎日が続いていますね。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

1月も早や今日で終わり、2月に入ると日曜日はもう節分ですね。
立春が一年の始まりだった昔は、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、立春前夜に行われたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

ところで、年の数だけお豆をいただくのは何歳まで続けるものなのでしょう?
健康に過ごすためと申しますが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」……。
25歳あたりでもう一区切りにして欲しいものですよね~。
小さい頃には弟と一緒に「鬼は外~、福は内~」と盛大に撒いていたのですが、
母はさぞかしお掃除するのが大変だったことと思います。
大人になったら、ついお掃除のことが頭に浮かんでしまい、かなり少なめに
部屋の片隅にちょろりっと撒くようになりました。

さて、「おに」の語は「おぬ(隠)」が転じたもので、元は人に災いをもたらす
目に見えない隠れたものが「鬼」と呼ばれていたそうです。
おぬ(隠)鬼の姿は見えないはずなのに、いつしか見える存在としていろいろな話に
登場するようになりました。私がこの季節に毎回のように御紹介させていただく
濱田廣介さんの童話「泣いた赤鬼」もそうですし、桃太郎が犬・猿・雉を連れて、
鬼が島の鬼を懲らしめる話や、足柄山で熊と相撲を取っていた金太郎がのちに
源頼光の家来になり、酒呑童子という平安時代の京都付近で暴れまわったとされる
部下を大勢従えた強く巨大な鬼を退治するという話などもあります。

話を元に戻しますが、鬼とは、つまりは「おぬ(隠)」であり、人に災いをもたらす
目に見えない隠れたものだったのですね。
それはひいては「自分の心」とも言えなくはないでしょうか。
幸せも不幸せも、怖れや悩みや不安や喜びも、みんな自分の心が創り出すもの。
特に怖れなどのネガティブな気持ちは人を鬼にさせたりもするものです。

麗王にいらしてくださるみなさまは40代前後の方が多いのですが、
昔は「不惑」とされた40代、でも今は40代からでも望めば恋愛・結婚・出産の
可能性だってありますし、子育てが一段落して大学院を目指したり、
留学したりする人もいるように可能性がどんどん広がっている時代です。
でも現実的には、親の介護に直面したり、プレ更年期に突入したり、プチうつに
なったりと、様々な問題が発生しやすい時期でもあります。
思春期から初老期までの間に人が経験する多彩なことを、一人ひとりがそれぞれに
やっている、というのが今の40代前後の方々の現実ではないでしょうか。

自分とは違う生き方をしている人を見て、自分はこれでいいのかと
悩んでしまったり、揺れ動いたりするのは、他の人々が基準になっているから。
誰かのようになれない自分を、頑張っていない私は価値がないと
否定するのではなくて、「人は人、自分は自分」だと思うことが大切だと思います。
生き方が多様化している時代に、自分が何を選び、どう生きていくか、という
基準は自分の中だけにしかありません。

あなたの今は、過去からの努力の結果。よくやってきた自分を認め、ありのままの
自分を肯定することで、もっと生きやすく、幸せが見つけやすくなるかも
しれません。
自分の心に棲むおぬ(隠)を退治し、自分の今を肯定し、幸せの基準を自分の中に
おいてくださいね。

さぁ、日曜日は節分。
複雑な課題の多い今日この頃、厄払いはしっかりとしたいものです。
あなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
私も邪気を払うべく、豆を今までより少し多めに撒き、しっかりと年齢分
いただくことといたしましょう。
そして今年の恵方の南南東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、今日を生きていることの幸せを、心から願って。

【2013.1.31 末金典子】

バブル最盛期の野村證券の営業で地獄のような3年間を過ごした後、27歳で初めて米国へ。日本では肩で風を切っていたが、島国での営業成績が何の自慢にもならない世界で、自分がいかに金融を知らないか、いかにビジネスに無知であるかを、嫌というほど思い知らされて愕然とした。

昼間の仕事がどれほど膨大にあろうと、私には、夜学に通って、一刻も早く金融知識を身につける以外の選択肢はなかった。ウォール街では学位はともかく、MBA同等以上の知識がなければ、そもそもスタートラインにすら立てない。

日本の親会社から派遣されても、現場で役に立たなければ、完全に「お客様」扱いだ。表面上は礼儀正しく接してくれはするものの、ビジネスでは完全に子供扱い。6時間続く契約交渉の席に呼ばれはするが、英語は理解できても、一言もその意味が分からない。

丁々発止、知的なボクシングを続けるプロたちの中で、6時間、ぽつんと自分だけが異空間に存在する惨めさは、当時の私には本当にこたえた。日本では「飛び抜けた」英語力も、当然ながら米国では当たり前。自分の過去がまったく評価されない場所では、前を向く以外に生き残る道はない。

お陰で、学ぶということが、当時の私には本当にリアルだった。なぜ学ぶのだろう、という迷いも曖昧さもないことは幸福なことだ。昨晩授業で学んだことが、翌日、ダイナミックな現場での理解をまた少し深める。このことの繰り返し。新しい知識の一つ一つが、宝石のように感じられた。

正直なところ、日本での学部生の頃は、おもしろいと思える授業に一度も出会ったことがなかった。あるいは、出会っていたとしても、自分がまったく気がつかなかったのかも知れない。学ぶということは、楽しみというよりも、自分に課した大事な課題のようなものだった。

それが一転、NYUでは学ぶということを純粋に楽しむことができた。私は、その時から、学ぶということの意味と目的が、学ぶことの内容以上に重要なのではないかと考えるようになっている。

そんな経験をしたのは、もう20年近く前の話だが、期せずして自分が沖縄大学で教える立場になり、この想いが蘇ってきた。

現在大学が直面している最大の問題の一つが、意味と目的を失っているということではないだろうか。高度経済成長期から現代までの学生は、学ぶということそのものに迷いがあっても、学位を取得すれば、ある程度将来が約束された。

誰にとっても、学ぶ理由は、学ぶことそのものも然ることながら、学位とキャリアがもたらす、実質的な結果によって明瞭だったのだ。

しかしながら、今や誰しもの目に明らかなように、そんな社会は既に存在しない。どれだけ良い大学の良い学位を取得しても、どれだけ資格を持っていても、それが生活や地位を殆ど保証しない。

確かに、この変化は重大なものだが、一方で、私たちにとって、近代において初めて、学ぶということの本当の意味に向き合う、最高の機会が到来していると思うのだ。

日本の高等教育の現場は、今まで、学ぶということの本質に向き合わずに来たのだが、その裏返しとして、今後先端を走る大学とは、偏差値の高さも然ることながら、学ぶことの意味を見いだし、形にし、伝えることのできる大学だろう。

それはすなわち、生きることの意味、考えることの意味、人と関わることの意味、事業ということの意味、経営ということの意味・・・人の役に立つということの意味、自分であるということの意味、地域を豊かにするということの意味・・・に向き合うということだろう。

立場がリーダーシップではない。規定が運営ではない。組織が人事ではない。取得した単位が学びではない。科目が専攻ではない。財務が経営ではない。私たちの未来には、新たな大学教育のパラダイムが必要とされている。

【樋口耕太郎】

いつもよりは暖かめのお正月でしたが、あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、
あとは読書とDVD三昧というお正月でした。

昨年末に印象的だったのは、街行く人々の顔が、
「クリスマスだ~!」「もうじきお正月だ~!」とウキウキとあまり浮かれて
いなかったことです。
夜の松山の街も人手がめっきり少なくなって、
沖縄もやはり本格的に不景気なのだなぁと感じました。
みなさんの懐具合の方はいかがでしょうか。
そこで年の初めに「生きたお金」について考えてみたいと思います。

お金のために生きるのはいやだなぁと思います。でも、お金は必要。
お金に支配される人生は避けたいけれども、お金で不自由して、
自分のやりたいことができないのは悲しいことです。

きっと、人それぞれに、生きたお金の使い方、お金の活かし方というのが
あるのだと思います。もっとも、どのように運用すると利回りがいいか、という
類のお話ではありません。人間の世界との関わり方のどこかに、「生きたお金」
という「てこの支点」があるように思えるのです。

たとえば、人にあげるプレゼント。高いものをあげるのがポイントなのではなくて
どれくらいその人のことを考え、工夫したかということが問題になります。
お金は、どんなものにも換えられるという通用性があるけれども、むしろ、
他のものでは代え難い何かになるからこそ、生きることもあるのです。
たとえば私が今までうまくいったなあ、と思うプレゼントとしては、
社会人になって初めていただいたお給料で、
「ひなびた三島の温泉に行ってみたい」とよく言っていた今は亡き祖父母に旅を
プレゼントしたことが、かけがえのないよいお金の使い方だったと思っています。
祖父母が亡くなる前にも「あの旅は本当に楽しかった。いい思い出になった。
ありがとう。」と言ってもらえてこちらまでうれしくなりました。

お墓までお金を持ってはいけないというのはその通りで、せっかく所有していても
自分の生きている時間の中でそれをうまく活かさないと意味がありません。
預金通帳の残高を見てにんまりしていても、それだけでは幸せにつながりません。

また、「資本」のあり方についても同じことが言えます。
「資本主義」というように、何とはなしに個人の生活とは関係ない
企業経済や資本家階級の人々に関わることと思いがちですが、実際には
私達の生活に「資本」は深くかかわっています。

自分の住むところや、受けた教育も一つの資本。ある程度まとまったお金があると、
それを資本にして、自分のために注意を振り向けられます。その時間を使って、
新しい仕事に挑戦したり、各地を旅行して見聞を広げたり、他人のために何かを
してあげたりすることができます。

「種の起源」を著して進化論を開いたチャールズ・ダーウィンは、生涯定職に
就きませんでした。親から受け継いだ財産で田舎に家を所有し、そこで自然を
観察したり、資料を整理したりして人類史に残る偉業をなしとげました。
これぞ見事な「資本主義」ではないでしょうか。

資本があるということは、つまり、未来の自分に対して、さまざまなことを
積み上げていくことができるということ。日々の生活に追われるだけではない、
心の余裕とヴィジョンの艶を持つことができるということが、資本の意味。
まさに、生きたお金の使い方だと思います。

ダーウィンのようには恵まれていなくても、小さなスケールで資本を自分や他人に
投入することはできます。「ささやかな資本主義」こそが、人生を豊かに
するのです。お金は、モノを買うためだけにあるのではありません。
人間に投資して、初めてそれは「生きたお金」になるのです。
今年からの資本主義はそうありたいものですね。

さぁ、新しい年です。
新しい自分も始まります。
これってあたりまえのようですが、本当に素晴らしいことですよね~。
去年どんなにいやなことや辛いことがあったとしても、
年が明けたら、またまっさらになって、新しい年、新しい自分が始まる。
人の知恵って、とっても素晴らしいなぁと改めて思います。

さて、次の月曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

【2013.1.4 末金典子】

お元気でしょうか。
毎月こうしてお便りを書かせていただくことを心から嬉しく思っています。
いつもほんとうにありがとうございます。

週明けはクリスマスですね。
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたためなのだそうですよ。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、家族や友達同士でワイワイ騒いだり…が
主流のジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。
麗王でも特製クリスマスケーキとともにお待ちしていますよ~。

そしてクリスマスが終わるともう新年。
政治の世界でも政権が変わるなど、いろいろ変化の多い年でしたが、
私達は社会の激変に呑み込まれることなくどのようにしたらこの時代を
うまく泳ぎ切ることができるのでしょう。

福沢諭吉の「学問のすすめ」をお読みになったことがおありですか?
私も学生時代に読んだことがあるのですが、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」…というあれです。
ふと思いました。「あれ? その次に続く言葉って何だったっけ?」と。
それで、130年以上も読まれ続けるこの世界的名著の中に何か今を生きぬく知恵が
あるのではと、福沢諭吉本を何冊か買って再読してみることにしました。
やはりありました。素晴らしい言葉の数々が。
その中から一つだけ御紹介させていただきますね。

渡り鳥である雁の群れには、それが十羽であれ、五十羽であれ、
必ず奴雁(どがん)と呼ばれる一羽がいるそうです。
雁が渡りをする際には、その群れの中で、常に危険を予測してそれに備える雁を、
奴雁というのです。
群れが多かろうとも、奴雁は一羽しかいないらしく、空を飛んでいるときや、
群れが羽を休めて餌をついばんでいるときなど、どんなときでも、
奴雁は決して休むことなく、首をぐーっと長く伸ばしてまわりをよく観察し、
もし危険なことが起きそうだったらすぐに大きな声で鳴いて知らせ、
群れを安全なところに導いていくというのです。

教育論集の中で福沢諭吉は、学者とは、国の奴雁であれと綴っています。
今が豊かでしあわせな社会であったとしても、学者は常に一人孤独で、
命がけになって、集団や組織、地域を守るべく、
奴雁の役割をしないといけないと。

私は、奴雁という存在をひとつも知らなかったので、
いたく感動してしまいました。そして、社会という長いものに巻かれずに、
一人孤独に、命がけになるという奴雁の生き方や仕事に心を打たれたのです。

そして考えました。今、私達の家庭で、地域で、会社で、日本という国で、
そして世界という地球全体で、ほんとうの意味において奴雁の役割をしているのは
何だろうかと。
また、自分自身が奴雁となって守るべきものは何だろうかと。

今こそ奴雁の精神を学ぶべき時代ではないでしょうか。
これはなにも学者の世界だけのお話ではないのです。
私達は誰しも、スケールの大小はあるだろうけれど、一羽の奴雁であることを
忘れてはいけないということを強く感じました。
そして、これからの暮らし方、働き方、過ごし方、生き方を、
新たにするためのヒントを、私は奴雁から学びたく思いました。

さて。
今年も残すところ10日ほどとなりました。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……
日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定で、不景気な今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、
隅々まで心を配り、そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間を
お過ごしいただこうかと深く考えながら、反省もしながら、
お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで、
これからも麗王に立たせていただきます。
みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
どうか来年からもまた麗王にいらしてくださいますよう心からお願い申し上げます。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何よりも、どうかこの上もなくお幸せでありますように。

【2012.12.20 末金典子】

先日NHKドラマ「坂の上の雲」の総集編が放送された。海軍大学校における秋山真之の就任挨拶の台詞が話題になっているようだ。

*   *   *   *   *

「ここに、戦術の講究を開催するに先立ち、諸君に明らかにしておく。私から戦術を学ぼうと、思わんでください。学んだ戦術はしょせん借り物でありますから、 いざという時に応用が効かん。したがって、みなが個々に、自分の戦術を打ち立てることが肝心であります。

然るにまず、あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読み解いてみる。どう戦えばよいか、原理原則は自ずと引き出されてこよう。

実に我々指揮官が、乗員全員の命を預かっておる。すなわち、我々が判断ひとつ間違えば、無益に多くの血が流れる。実戦ともなれば、身を切るような判断を次々と迫られる。苦闘の連続です。私自身、己の足らざるに時として戦慄します。無識の指揮官は殺人犯なり。

我々を信頼して死を顧みず、働く部下たちを決して犬死させてはならんのであります。もし自分がその場の指揮官だったらどうするのか。いかにすれば正しい判断が下せるようになるのか。その答えを求めて、皆と一緒に考えていくのが私の授業です。」

(NHKドラマ「坂の上の雲」より)

*   *   *   *   *

リーダーとマネージャーは根本的に異なる概念なのだが、一般に、この違いはよく理解されていないように見える。マネジメントは甲板を掃除するにあたり、その作業が整然と、最小限のコストで、最大の効果を生むよう、ヒト・モノ・カネをコントロールする機能である。リーダーシップは、その船が沈みかかっているかどうかを認識し、もしそうであるならば、甲板にいる全員の作業を即刻止めさせ、船底で水を食い止める作業を始める機能である。

マネージャーの「正解」は、部分最適解であり、リーダーシップの世界観、すなわち、全体最適の概念に照らし合わせると、もっとも非効率な作業であるかも知れない。

問題は、マネージャーは、自分が「正しいこと」をしていると誠実に信じていることであり(実際、彼は「正しいこと」をしているのだ)、リーダーは、ときにマネージャーの「誠意」と反対の決断を行わなければならないという点だろう。現場からは「非常識」、場合によっては「裏切り」と捉えられるかもしれないし、リーダーの「誠実さ」に疑問符が呈されたり、中には「頭がおかしい」と解釈されることもある。

それでも、リーダーが舵を切るのは、乗員全員の命を守るためだ。リーダーシップの本質とは、大量の選択肢の中から、正しい一つの選択を見つけるための知性と洞察力であり、それを実現する智慧と行動力のことだ。それがどれほど魅力的に感じられても、ほんとうに正しい一つの選択肢以外に対して、NOというのがリーダーの最も重要な仕事のひとつだ。誰しもがいやがる、重いNOを言うためには、心の中に燃えるような信念がなければならない。

リーダーシップが存在しないマネジメント組織では、有能なマネージャーの存在が却って組織の崩壊を早めることがある。沈みゆくタイタニックの甲板を「効率よく」掃除するようなもので、現場には報われない仕事が大量生産される。

リーダーシップの欠如は、マネジメントで補うことができないため、現場は部分最適を求める作業で埋め尽くされ、経営者は、「正しい」ことをしているのに、なぜ思うように機能しないのかと、いぶかしがる。多くの場合その原因は現場にあると結論づけられるが、自分は「正しい」ことをしているのだから、ある意味論理的だ。

マネジメント経営が、少なくとも長期的に機能しないことは、構造的な必然なのだが、問題が生じる度に、「予想外の市場変化」「不幸なアクシデント」「現場の人材不足」「取引先との予期せぬトラブル」などと説明されるのは、ニュースヘッドラインのお決まりパターンと言って良い。

逆に考えれば、沈まない(と考えられている)船にリーダーシップは不要である。(恐らく、日露戦争以降の)政治家や役人に、リーダーが存在しないのは、むしろ当然のことであり、規制された環境の中で、長きに渡って右肩上がりの成長を遂げてきた日本の経済界も、一般的にはリーダーを必要としてこなかったと言えそうだ。

例えば、電力、航空、金融などの典型的な規制業種や財閥の系列企業はもちろん、一般的な上場企業にもリーダーは不在だった。日本で上場企業の破綻が日常的になったのは、ほんの最近(恐らく95年前後以降)のことである。かなり乱暴に表現すると、日本という国において、リーダーシップという機能は、高度成長期以降それほど必要とされてこなかったのかも知れない。経営者といえばマネージャーのことであり、リーダーシップという概念は含まれていない。

経営が安定しており、リーダーシップを必要としない組織が、官僚化、形式化することはことのならいであり、実際「経営判断」とは、統合的・戦略的な視点を持たない、対症療法の連続であり、真に戦略的な結果を生み出す要素が組織内部に存在しない。

それでも、経営的に余裕がある時代においては、組織に多少の窮屈さはありながら、盤石な経営が揺るぐ要素はなかったのだが、ここに来て、人口動態と市場の質的な変化が急激に生じ、利益が急速に失われている現実に対して、政治、行政、経営者らは対応すべき糸口を掴めずにいる。

我々が直面している、経済、政治、財政、医療、教育、農業など、ありとあらゆる社会問題は、見かけのような問題ではなく、本質的にリーダーシップの問題なのではないか?マネージャーたちがいくら「解決」しようとしても、社会が混乱する一方であるように見えるのは、私だけだろうか?

例えば、90年代の野村證券NY本社。私が働いていた不動産金融部門は、600億円の利益をたたき出し、一時期全世界の野村グループの半分の利益を、たった一部門で賄っていた。今振り返ると、それはリスクを取り過ぎていた結果なのだが、誰も舵を切ることはできなかった。利益があり過ぎたのだ。一時期は、日系企業でありながら、ウォール街の大手を制して、不動産証券化市場のトップを走っていたこの部門は、後に、1999年のロシア金融危機に伴う債券の暴落によって、1000億円前後の損失を出し、ほぼ一夜にして崩壊する。

マネージャーは、利益を生み出している部門から撤退できない。個人の利益と立場の維持を目的として働いているためだ。リーダーは、自分のやるべきことと、 個人的な利益をまったく別のこととして認識する。自分が泥を被ろうと、金銭的に損であろうと、評判が傷つこうと、それよりも重要なことがあるのだ。

日本ではガリバーと呼ばれ、先進的な人材を輩出し、業界のトップを走ってきた野村證券ですら、当時から既にリーダーシップは存在しなかったのだ。それから約10年。2008年のリーマンショックに端を発した国際金融危機で、野村證券NYは再び数千億単位の巨額損失を被る。デジャ・ヴュかとも思えるその記者会見において、当時の古賀社長は「絶対に予測不可能な市場の変化」による損失であると説明していたのが印象的だった。

念のために申し上げるが、私は今でも心から野村證券を愛するOBの一人である。逆に、あれほど市場の先端で勝負していた野村證券でさえリーダーシップ不在なのだと、考えるべきだと思っている。それほど、この国におけるリーダーシップの問題は深く、かつ、目に見えない。

「坂の上の雲」で描かれた、秋山真之が輝いて見えるのは、リーダーという存在が社会から消滅してしまっていることの裏返しのように感じられる。リーダーとは、自分の損得とはまったく異なる価値基準で生きる者たちの総称である。どれだけ自分が傷つこうと、どれだけ損な役回りであっても、信念にしたがって行動する。本当の意味でその人のためになることであれば、本人から嫌われることも厭わない。誰に評価されなくても、不可能に見えても、全く滑稽に見えても、大義のために自分のできることを毎日突き詰めて生きる。散々厳しい生き方を歩みながら、誰にも評価されず、人知れず社会から消えて行くことを、覚悟して生きる。そんな無名の人たちのことなのだ。

【樋口耕太郎】

随分ひんやりしてまいりましたね。先月まではまだ暑くて、窓を開けて眠っていて
泥棒に入られてしまった私も、防犯の意味だけではなく寒さのためもあって
今では窓をしっかり閉めて眠っております!

さて、その泥棒騒ぎの件では、みなさまからたくさんのお見舞いのお言葉や
麗王にわざわざいらしてくださっての励ましをいただき
本当にありがとうございました。
現金などは盗まれてしまいましたが、改めて自分にとっての財産とは何なのかを
考え、感じることができました。

この事件、私にとっては結構ショックな出来事でした。
「私が防犯を怠っていたからこうなったんだ」「普段の行いのいけないところが
こうしたことを招いたんだ」などと随分自分を責めたりもしました。
犯罪学でいうと、私のように泥棒に遭った人だけではなく、暴力を受けている人や
レイプに遭った人など犯罪に遭った人は一様に自分を責めるのだそうです。
それは「私にどうしてこんなにひどい事が起こったんだろう」というつらい心の
一つの落としどころとして「自分のせいで」と理由付けをするのだろうと
日本銀行の杉本支店長が教えてくださいました。なるほど。

一方、泥棒に入った犯人の方はというと、刑事さんのお話によると、
意外と罪の意識などはなく、一日に何軒も泥棒に入ったりして稼いでは
その日暮らしをしているのだとか。
こういう人は心理学でいう、つらいからという理由で簡単に仕事をやめてしまう
人達や麻薬や覚醒剤に溺れる人達に多い「快楽型人間」そのものです。
「快楽型人間」にとっては、努力は苦しみ以外の何ものでもなく、
努力のない人生こそが幸せな人生なのです。
でも人間は、努力なしではけっして幸せには生きられないのではないでしょうか?

こう考えていて、昔観た「トワイライト・ゾーン」のエピソードを思い出しました。
ドラマの主人公は、逃走中に殺された残酷な犯罪者です。彼は殺された直後、
ある天使に迎えられます。その天使は、彼のあらゆる願いを叶えるために、そこに
送られてきました。その男は、自分が天国にいることが信じられません。
犯罪者としての過去を忘れてはいないからです。でもすぐに、その幸運を受け入れ、
自分の願いを列挙しはじめます。
するとそれらは、すべて叶えられます。どんなに多くのお金を求めても、そんなに
ぜいたくな食べ物を求めても、すべて与えられます。美しい女性達を求めると、
彼女達が現れます。まさに、これ以上は望みえない生活に思われました。
ところが、彼はあるころから、何でも思い通りになるその生活に、喜びを
見いだせなくなります。努力不在の生活が、退屈でたまらなくなったのです。
そこで彼は、やりがいのある、挑戦的な仕事がほしいと天使に訴えます。
すると天使は、この場所では、ほしいものをなんでも与えられるが、ほしいものを
手に入れるために働く機会だけは例外だと答えます。
努力目標が何一つないまま、この犯罪者はイライラを募らせます。そしてやがて、
がまんが限界に達し、その場所を離れて「別の場所」に行きたいと訴えます。
つまり、この犯罪者は自分が天国にいるものと信じていて、そこがいやに
なったので地獄に行きたいと考えたのです。
ここでカメラが天使の顔を大映しにします。
天使の優美な顔が、いかにも邪悪そうな顔に変わります。そして、悪魔の不気味な
笑い声を上げながら、彼は言います。「ここが、その別の場所なのだよ。」

目標も、挑戦すべきことも、努力もない快楽主義的な人生は、私達をけっして
幸せにはしません。
私達は、谷間にいようと、頂上にいようと、くつろぐのではなく、より上を
目指すように作られているのだと思います。

人間は誰かに喜ばれるために生まれてきます。
そして喜ばれている自分を発見して成長する生き物です。
人間の成長は、もっと喜ばれる人になりたい、何をすれば喜ばれるだろうかと
考えることで生じます。
これからの時代は大変厳しくなることと思います。今までの常識も通用しません。
それでもどんな時代でも共通する生き方があります。
それは喜ばれている人間は常にどんな社会構造になっても必要とされるので、
喜ばれるために新しいことを考え、もっと何かができるだろうと考え行動すること
なのだと思います。
また誰かに喜ばれている人間の役割は、仕事の役割と同じです。
仕事の役割はお客さまに喜ばれることなのですから。
仕事の中にこそ実現する人生があり、だれかに喜ばれる自分をつくることこそ
人生なのです。
つまりは仕事をすることは自分の時間を誰かの喜びに変えることなのですね。
こう考えたら、先日の泥棒さんもなんだか気の毒な感じさえしてきました。

最後に、いやな事が起こった時、いつも私がいつも繰り返し唱える八木重吉さんの
「ゆるし」という詩を御紹介いたします。

神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまへにささげたい

与えられる物事の一つ一つを、ありがたく両手でいただき、
自分しか作ることのできない花束にして、笑顔で、神さまに捧げたいと
思っています。

さぁ、明後日の木曜日は今年のボジョレーヌーボーが解禁となる日です。
一生懸命働き、喜ばれているあなた御自身への御褒美に、今年の新しいワインを
プレゼントしてあげてくださいね。

(麗王では今年はJAL国際線ファーストクラスで唯一採用された
EUオーガニック認証ボジョレーヌーボーを御用意いたしております。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりくださいね。)

【2012.11.13 末金典子】

沖縄大学に来てから約6ヶ月。大学内部で働くことは、私にとって初めて見聞きすることばかり。考えさせられることが山ほどある。誤解していたこと、とても見直したこと、興味深く感じること・・・。お陰で毎日がとても新鮮だ。

日本でも極めて特殊な沖縄という地域の中で、最も特別な立場にある(と私は思うのだが)沖縄大学は、物理的にも、社会的にも、経営的にも、教務的にも、日本の大学教育システムと、私立大学経営の問題点が、最もデフォルメされる場所でもある。

周知のことだが、沖縄県は本土に比べて最も大学進学率が低く、いわゆる偏差値という物差しで測れば、国立私立を問わず全国最低水準であり、特に私立大学においては、定員充足率、退学率、就職率、GPA、奨学金滞納率、いずれも急速に悪化する傾向にある。

沖縄において問題が先鋭化している面はあるのだが、この現象は日本の全国的な現象だ。18歳人口は10年前(1992年)にピークを打ち、205万人から、120万人まで4割以上減少する一方で、大学の数は1985年の450校から実に1.7倍増えて780校を超える。

需要が激減する市場環境で、供給が1.7倍になれば、経営が悪化することは明らかだ。現時点で全国の私立大学605校のうち、264校が定員割れを起こしており、この状態は改善されるどころか悪化の一途である。

近年では、大幅な定員割れにより、募集停止を行う大学が出始めた。それでも、これほど急激な需給ギャップが市場に生じながら、2003年、2009年にそれぞれ(わずか)3校、5校に留まっているのは、全国的に大学への進学率が急増してきたためだ。

1990年代の初めまでは、おおよそ25%前後で推移していた大学進学率は、18歳人口の激減を「相殺」するかのように急上昇し続けており、右肩上がりに現在の約55%まで一直線に倍増し、今後も(少なくとも暫くは)上がり続ける様相だ。

結果として、驚くべきことに、18歳人口がこれほど減少する中で、少子化がこれほど大きな社会トレンドである中で、大学への入学者数は、いまもって増加傾向にあるのだ。

つまり、バブル崩壊以降、現在に至るまでの約20年間、それまでの時代には大学進学を考えなかった高卒就労者、専門学校生、短大生が、一斉に大学に入学し始め、増え続ける大学の定員を辛うじて埋めてきたのだ。

それでも18歳人口の減少率には追いつかずに、大学の定員倍率は下がり続け、大学進学希望者=大学入学定員枠、すなわち、選り好みさえしなければ誰でもが大学に入学できる、「全入時代」が到来した。

以上の必然的な結果として、日本が過去全く経験したことのない規模で、高等教育に急激な質の変化が生じている。悪く言えば、乱立した私立大学が無理矢理定員を埋めるために、学生の(学力の)質をとことんまで落とした結果とも言えるし、前向きに捉えれば、高等教育の裾野が大幅に拡大したとも言える。

明治維新以降、日本の高等教育は、いわば「エリート」のために設計・運営されてきた。学生の学習意欲、IQ、知識量の水準の高さは所与であり、教員は「最高」水準の学生に十分な注意を向ければ、無条件に生産性が生まれた。社会の中で極めて特殊な属性を持つ「エリート」だけを相手にすれば良かったのだ。

日本の大学経営は官公庁並みに守られ、破綻することなどほぼ考えられず、したがって、経営機能は長らく、というよりも、大学の歴史が始まって以来、一度も必要とされたことはない。結果として、大学内部には、教員・職員を含め、経営的な視点と経験を持つ人材が殆ど存在しない。

経営リスクがゼロで、経営機能を必要としない組織が、官僚化、形式化することはことのならいであり、実際大学の「運営」とは、統合的・戦略的な視点を持たない、対症療法の連続であり、戦略的な結果を生み出す要素が組織内部にほとんど存在しない。

それでも、経営的に余裕がある時代においては、組織に多少の窮屈さはありながら、盤石な経営が揺るぐ要素はなかったのだが、ここに来て、人口動態と市場と学生の質的な変化が急激に生じている現実に対して、大学は対応すべき糸口を掴めずにいる。

学生数が定員数を下回り、学生の選択肢が増えると同時に、定員充足率、退学率、平均学力、就職率などの基本指標が悪化する。大学は目先の数字を埋め合わせるために、学生に迎合的になる。教育はサービスになり、学生はお客様だ。教員は学生からの評価を気にし、職員は退学予備学生を腫れ物扱いする。

入学希望者を増やすために、「人気」学科を設立したり、「目玉プログラム」を導入するなどの対症療法を繰り返す中で、教職員の負担は増加し、一人当たりの業務量は増加する一方だ。

学生の学力が低下し続けているため、学生には大いに情熱を注ぎ、一層の意識と時間をかける必要があるのだが、現場の教員の時間と自由度は減るばかり。そもそも、「エリート」のためではなく、「高等教育の大衆化」に合致した教育ビジョンと、具体的なプログラムの開発が必要なのだが、そのような本質に取り組む余裕はまるでない。

仕事が窮屈になり、人が減り、一人当たりの業務が増え、その中で過去誰も経験してこなかった急激な質の変化に対応しなければならないのだが、経営機能が存在しないために、組織的なバックアップは存在しない。大学における「リーダーシップ」とは往々にして形式論の管理者であり、現場の教職員はしばしばはしごを外される。

形式が尊重されると、真実が隠され、人が欺かれ、傷つき、心が折れ、最も重要な現場の活力が失われ、実際に大学の現場では鬱や休職者が増加傾向にある。大人(教職員)が元気でいられなければ、学生が活き活きと学ぶことなどできるわけがない。学生が手本とすべき大人が皆暗い顔をしているのだから。

組織の根源的な問題を特定し、それを治癒する行為以外の一切の処置は対症療法に過ぎず、疲弊した組織内部に報われない仕事を量産することになる。それでも努力しようとする現場の職員は、まるで日露戦争で二百三高地を戦う日本軍のようだ。

重要な点は、その「根源的な問題」とは、例えば生活習慣病と同じで、ひとつのことが原因ではないということ。言葉を変えれば、全てが原因であるということであり、経営の全ての要素について全体のバランスを変える必要があるのだ。

学生の裾野が急拡大したことで、学生の基礎学力の低下が著しく、現場では以前よりもすべきことが増えている。退学を減らすために学生の相談にも乗る、一緒に食事や旅行にも行くが、肝心の教育が手薄になり、授業の魅力が乏しくなり、学生も教員も意欲が減退する。

GPAは上がらず、基礎学力も伸びず、退学者は増え、大学は社会が必要とする人材を育てきれず、就職活動にも大いに支障が生じる。就職率が下がり、「出口」が不安定な大学と看做されれば、入学希望者を減らすことになり、定員がさらに割れていく。

大学の「経営陣」が焦り始めると、学科を増やしたり、減らしたり、組織を改編したり、増やしたりするのだが、目に見える形をいくら変えても、治癒にはならない。それらの全ては、結局本質を外しており、現場に無為な負担を強いる。

教育の質を高めることは、確かに本質に近い重要課題だが、殆どの場合、大学が得意とする形式論の域を出ることができず、外形的なプログラムやしくみの議論に矮小化されてしまい、形を作るのが「経営」、その他全ては現場、という分担になるだけだ。

また、仮に首尾よく教育の質を幾分高めることができたとしても、同期間において入学者の質がそれ以上に低下し続ければ、ネットの成果はマイナス。ハードルは上がる一方である。どこかでこの悪循環を断ち切らなければならず、それが経営が果たすべき役割だろう。

問題は、運営費用を削り続け、人への投資を怠ってきた結果、現在教職員のキャパシティが限界に近い状態だと言うことだ。人事、法務、戦略企画、事業開発などの機能は事実上存在しないに等しい。経営者も事務に忙殺される有様で、同時に授業も担当している。つまり、経営機能を必要としていなかった時代の構造のままなのだ。これでは、竹槍で大戦を戦えと言っているようなものだ。

このように、組織の体力が消耗している状態で、化学療法(対症療法)を施せば、効果が出る前に衰弱して、それこそ立ち直れなくなるのだが、それ以外の対処方法、すなわち本当の意味での経営を理解し、実践するものが存在しない。

私が今までに経験してきた、事業再生案件は、どれも似たような状態だとも言える。お金なし、人材もなし、アイディアもなし、意欲もなし、再生が必要な企業なのだから当たり前だ。

「何かが足りない・・・」という発想をした瞬間に再生など不可能だし、「やってみなければ分からない」ことを悠長に試す余裕は再生企業にはない。確実に、短期間で、資源を(殆ど)使わず、現場の負担を増やすのではなくむしろ減らしながら、全くゼロから付加価値を生まなければならない。

しかも、大学という組織は、最も上意下達が機能しない組織のひとつだ。無理矢理物事を変えようとすると、歪んだ政治力の行使になり、人間関係が嘘にまみれ、現場が傷つく。実は、大学とは、現場に限りなく奉仕するサーバント・リーダーシップが最も機能する組織でもあるのだ。

さらに、大学のような知的作業中心の事業体は、教職員の意欲と情熱が、生産性に著しく影響を及ぼすという重大な特徴がある。経営が指示をして現場に何かをさせるのではなく、現場が元気になるために経営資源のすべてを活用する。

大学が「学生を元気するしくみ」であるならば、教職員が最も元気でなければならず、現場教職員の悩みや怖れに真摯に耳を貸し、それがどんなに小さなものであっても、受け止め、理解し、できることから対処することがなによりも重要なことなのだ。

会議を追加するくらいなら、組織を増やすくらいなら、決まりをもう一つ作るくらいなら、一人でも多く、少しでも長く、できるだけ深く、現場の声に耳を傾けるべきだろう。そのために、自分の時間の全てを空ける。これが今必要とされる経営機能の本質であろう。

私の感覚では、贔屓目に見ても、現在のままで沖縄大学が20年後に存続している確率は10%程度だと思う。10年後であれば40%位だろうか。・・・この予測が当たるかどうかはあまり重要ではない。そういう前提で、経営機能のすべてを見直す、程よい緊張感と真摯な姿勢が重要なのだ。

そのような危機感の中から、組織に必要な、ほんとうの優先順位が見えてくる。カギは常に人であり、人の心に火をつけるのは、正直なメッセージと、愛に裏付けられた情熱でしかない。 そんなリーダーが求められている時代なのだ。

【2012.10.26 樋口耕太郎】

ようやく秋の気配が深まってきましたね。
お元気にお暮らしでしょうか。

私の方はと申しますと…、
なんと! 北谷の自宅で初めて泥棒に入られてしまいました!!
夜中の2時~朝6時の間に眠っている私の寝室の窓から侵入し、
眠っている私の横を堂々と通り(気持ち悪~い!)、電気もつけていたリビングへ。
テーブルに置いてあった私のお財布や通帳、私の部屋のバッグごとを玄関から
持ち去りました。
その後、現金のみを抜きさって、通帳や印鑑、カード、鍵、免許証、保険証などの
貴重品はバッグごと全部隣のマンションのパーキングに捨てられていました。
もう悔しいのなんのって。現金は命あってこそとあきらめもつくものの、
クレジットカードなど全部停止した後からバッグが見つかったので、
面倒なことったらありません。鑑識や調書等でまる1日潰れてしまいましたし。
哀しい人もいるものですね~。そんな危ない努力をするのなら真面目に努力すれば
いいものを…。
警察によると町内でその日だけでも3件も同じ手口で泥棒が入ったそうです。
涼しい時期なので、みんなクーラーをかけずに窓を開けて寝ていますので
入りやすかったんでしょうね。2Fがことのほか狙われやすいそうです。
中部だから、この24年間何もなかったからと、安心していた私への大きな警告とも
なりました。
あなたもどうぞ気をつけてくださいね。

さて、今月末はハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、
パーティで盛り上がるのですが、あなたは最近、思いっきり笑ったり、
はしゃいだりしたことがありますか~?

私達は、赤ちゃんや幼児の時には、どんなもの、どんなことでも、
「あるがまま」を無邪気にオープンなハートと全身で「感じて」いました。
その頃の私達は「そのままの自分」で「自然体」で、いつも「今」を
生きていたものです。それから年齢を重ねていくうちに、どんどんと、
感じることより、考えることのほうが多い生活を送る大人になりました。

その「考える」ことに、私達は必要以上の、どれだけ多大なエネルギーを
使い続けているか、そのために、どれだけ余計な悩み、苦しみ、不安、イライラ、
ストレス、怒り、悲しみを、自らつくり続けているのか、
その事実を認識することが本当に急務なのだと私は感じているのです。

何故なら、私達は誰でも「幸せ」でありたい、と思っていますよね。
でも、幸せとは、自分自身が「感じる」ものです。
すごくカッコイイ容姿なのに不満の多い人、いい大学を出て一流企業で
高給をもらっていても悩みをかかえている人、素敵なパートナーがいるのに
不安やコンプレックスから解放されない人、誰もが一生懸命生きているのに、
「十分な幸せ」を感じられない人がこんなに多いのは、何故でしょうか?

理由は、いろいろあるのでしょうが、大きな要因の一つに「感じる力」の低さが
あげられるのだと思います。

子どもって、ものごとを深刻に受け止めませんよね。
でも、知識や経験、理屈、記憶がいっぱいの大人は、思考や判断を持ち出し、
ものごとをつい深刻、複雑にして、心配や悩み、不安や恐れ、限界なども
創造してしまいがちです。

そんなふうに重たくなった時こそ、「子ども心に戻る体験」を、
自分にプレゼントしてあげてください。
思考にとらわれがちな生活の中で、感じる力を深めるために、
たくさん「遊び」ましょう。遊園地や動物園、水族館、植物園に…、自然の中に
出かけましょう。音楽や絵画、ダンス、お祭り、イベントで、
美しいものや面白いことに親しみ、自分の生命を楽しませ、喜ばせてあげましょう。
そのワクワク体験は単に楽しいだけでなく、あなたの中にあって癒やす必要のある
ネガティブなものを、上手に引き出してくれるはずです。
お友達と一緒に、家族で、恋人と。一緒に笑ったり、見とれたり、叫んだりして
我を忘れる時、私達は内なる子どもを取り戻し、リラックスして開放が
自然に起こることでしょう。
より自由に、よりオープンに、より素直に、よりありのままに、
より自分らしくなっていくことで、感じることに心身が開いていく。
頭からハートに、理屈から五感に――。

私達の生命は、エネルギーです。
日常のストレスもネガティブな思いも、長い間無意識下に隠れている感情も、
みんなエネルギーです。
もう不要になった内面にたまっている過去の不要なエネルギーを開放することは、
自由でイキイキした新しいエネルギーや創造力を生み出すために、
誰にとっても不可欠な作業なのです。
それは「幸せを感じる」エネルギーを活性化する第一ステップなのですから。

あなたは今、どんな願いや望み、計画を胸に抱いているでしょうか?
先日麗王にいらした女性に聞いてみたら、好きな人と結婚して子どもがほしいし、
仕事でもキャリアアップしたいと目を輝かせてそう話した後に、
なぜか暗い表情になって、こう言うのです。
「でも、私って男性運が悪いのか全然出会いがないんです。
仕事の方も自信がないし…。」
これが、すぐに判断してマイナス思考を持ち出す「大人のパターン」なのです。
その考えが正しいのだと信じ込んでいる限り、そう考える通りの状況が
創造され続けるわけです。
子どものように、楽しくシンプルになりましょう。
夢や望みを純粋に実現するエネルギーの源は、いつだって私達自身の中に
あるのですから、自分の思考のおしゃべりを、意識的にチェックすることです。
パターン化した思いにはまり込んでいてはもったいない。
いくつになっても私達の内面にずーっと生き続けている無邪気な「子ども」の
エネルギーとつながって、感じながら生きていきましょう。
それが、あなたを幸せにする、あなたの人生を開いていく鍵なのだということを
どうぞ忘れないで。

月末のハロウィンはあなたもぜひ子ども心に戻って楽しんでくださいね。
私も魔女の扮装であなたをお待ちしております!
え? 扮装しなくても魔女ですって?

麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!

【2012.10.11 末金典子】

もうクーラーなしで眠ることができるほど随分秋らしくなってきましたね~。
残暑の暑さから急激に温度が下がったことでたくさんの方々が
体調を崩されているということですがみなさんはお元気ですか?

私といいますとまさにその影響ででしょうか健康だけがとりえだというのに
体調を崩してしまって発熱し、15日の台風の日からこの連休の23日まで
なんと9日間も麗王をお休みしてしまいました。
御予約や御電話をいただいた方々、いらしてくださった方々には、
大変御迷惑をおかけしてしまいました。
折角のお気持ちを本当に申し訳ございませんでした。

自分の中では、毎日を楽しく送っているつもりでしたし、
ちゃんとお料理したものを毎日食べて、ちゃんと眠って、運動もして、と
とても健康的にストレスなどない生活を送っているつもりだったのですが、
9日間毎日12時間以上も眠ることができるほど疲れていたとは自分でも本当に
びっくりしてしまいました。
自分の身体でありながら全然わかっていなかったのだとつくづく感じました。

ガンやカゼなど病気はストレスからくることが多いといわれています。
ストレスを自分に与えないことがいかに大切か。
今回の自分のことでも、お客さまをみていても、最近、痛切にそれを感じます。
心身ともに充実感をもって健康的に生きていくには、
ストレスがいちばんのダメージ。
いろいろな生き方がありますが、自分に合ったストレスを感じない生き方を
探すことは人としてとても重要なことだなと思いました。

私の20代、30代は記憶にないほど仕事に没頭し、走り抜けた時代でした。
でも、それだけ忙しくても大病もせずに続けてこられたのは、
大好きな仕事に携われていたことと、休みが取れなくても一日のうちで
ONとOFFの切り替えを明確にしていたことが大きかったかもしれません。

最近聞いた話ですが、勉強の仕方として効率が良いのは、15分集中したら5分休む
という方法だそうです。脳は、働き続けていると動きが徐々に低下してくるけれど、
適度に急速を挟むと高いレベルで力が持続するのだそうです。
なるほど! 人生もそうかもしれないなと思いました。
ずっと走り続けるよりも、どこかで休みを取って空っぽになるほうがいい!
その間隔やバランスは人それぞれかもしれませんが、
自分なりの快適な暮らしのリズムをつくりだすのは、人生において重要な意味を
もつのだと思います。

私は人が人のために生み出した便利なものが溢れている都会に
長く身を置いているととても疲れてしまうタイプです。
都会は楽しくて刺激的なのですが、人がつくりあげた偉大なる発明や発見は、
皮肉なことに人を疲弊させるのです。
そういう疲れによるストレスは自然と接することでしか癒やされないような
気がします。自然の中で休息することで、再び都会での仕事ができるように
なるのです。大阪に住んでいる時などまさにそうでした。お休みを取っては
よく沖縄に来ていたものです。
疲れを感じたとき、いちばん見たくなるのは海だったから。
その感覚は今も変わりません。波の音や潮の香りを感じ、
どこまでも続く青の風景を見ていると、心底、身体が浄化され、
軽くなってくる気がします。
それもあって私はこの8年アラハビーチに住んでいます。
この休養の9日間も、寝室からひたすら毎日海を眺め、本を読み、眠って…。
ぼーっと本能のままに過ごすことに罪悪感を感じるどころか、気づいたことは、
何もしない、そんな時間にその人の文化レベルが表われるのではないかということ。
ゆっくりと自然からエネルギーをもらい、頭の中に余白ができると、
新しいアイディアや力がわいてきます。都会と自然を行ったり来たり。
そうすることで都会生活とうまく折り合いをつけられるような気がするのです。

力を入れて集中することと、息を抜いてのんびりすること。
それはどちらかだけではバランスが悪く、うまく回っていかないと思います。
まじめなことは大切ですが、まじめなだけでもうまくいかない。
例えば、きっちり予定を立てて、そのとおりに進めようとしても人生なんて
そんなにうまくいかないものです。
いつだって臨機応変。突発的なことにも対処できるよう、頭を軽やかに柔軟に。
とりあえずの人生の予定を立てたり、進むべき方向を一応決めてはみるけれど、
出会った人や物事、与えられた状況に応じて、軽やかに予定を変えることも
大切ではないでしょうか。
最初に決めたから、予定どおりにしたいから、そういった決め事に
振り回されないで。
やるべきことは自然に目の前に降りてくると思うから、それを、手を抜かずに
やっていく日々を送ればいいのだと思います。

さてあなたはどうでしょう?
まじめさがあだになり、ストレスフルな生活を送ってはいませんか?
次の日曜日は十五夜です。名月を眺めながら、時にはゆったり力を抜いて
想いのままに休みませんか?

【2012.9.24 末金典子】

先月は過去最高級の台風が沖縄を通過しましたが
みなさま影響はありませんでしたか~?
旧盆も終えて少~し秋の気配がしてきていますね。

さて、先月は私ごとで恐縮ですが大台+1歳のお誕生日を偶然たくさんの方々と
一緒に過ごしていただくことができました。本当にありがとうございました。

そのお誕生日、当たり前のことなのですが毎年必ずやって来ます。
40代を過ぎると、それまではとってもうれしかったはずのお誕生日も
女性にとってはちょっぴりブルーな気分になってしまう日でもあります。
私も以前はそうでした。
でも何年か前頃からか、年を取るって実は悪いことじゃないなぁと思うことが
できるようになりました。
登ったから見える景色があるんだな、と気づいたからなのです。

ちょうどそんな時、世代を超えて愛され続けている絵本「100万回生きたねこ」で
有名な絵本作家でもありエッセイストの故・佐野洋子さんの本を読んでいて
こんな言葉に出会ったのです。

わたしは70になったけど、70だけってわけじゃないんだね。
生まれてから70までの年を全部持っているんだよ。
だからわたしは7歳のわたしも12歳のわたしも持っているんだよ。

本当にそうだよね~って思いました。

あなたは、「おめでとう」と言われる日は、1年に何回ありますか?
あけましておめでとう。
お誕生日おめでとう。
もしかしたら、それくらいかもしれませんね。
だけど、そんな「おめでとう」がたくさんある人生って、幸せですよね。

仕事でとてもいいことがあった。
おめでとう。
体調が素晴らしく良くて、毎日ご飯がおいしいなぁ。
おめでとう。
一緒に泣いて笑うことができる友達がいる。
おめでとう。
学び続けたいものに出会ったぞ~。
おめでとう。
叶えたい夢、チャレンジしてみたいことがまだまだある。
おめでとう。
心から愛している人がいる。
おめでとう。

たとえ小さなことでも「おめでとう」という言葉にすると、
人生はもっと楽しむことができます。
「おめでとう」といっぱい言うことができる人生、
「おめでとう」といっぱい言ってもらうことができる人生。
それは、健康で元気だからこそ、味わうことができるのです。
それ自体も、とても「おめでとう」なこと。

台風がちょっと心配ですがこの連休は、敬老の日ですね。
積み重なった「おめでとう」を心から味わう日です。
今年も健やかに敬老の日を迎えることができることに、
「おめでとう」の多い人生に、
そして、麗王にいらしてくださる全ての方々の人生に、
おめでとうございます。

【2012.9.13 末金典子】

心がこわれるほど苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
さがしたけれど
どこにもいない。
ふと思う 
さがすような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい

八街少年院生活詩集より。
(薬師寺執事の大谷徹奘著「『愛情説法』走る!」)

*     *     *     *     *

多くの人と接するほど、深く関わるほど、自分が苦手だと思う人に正面から向き合うほど、心から実感すことがある。

・・・それがどれほど非道い振る舞いに見えても、どれだけ自分を傷つけてくるような人であっても、怒りを覚えるようなずるい生き方であっても、すべての人は例外なく、どの瞬間も、愛情を求めて生きていると思う。

好きの反対は嫌いではなく、無関心だと言われる。なぜ、心を尽くした思いやりに対して、これほど酷い仕打ちをするのかと、恨みたくなる気持ちは山ほど経験したが、あるとき、ふと、そんなすべての人たちは、人間的な関わりを心から欲している、と思えたのだ。

私たちは、誰でも、愛情という名のハリネズミだ。人と接して、人を愛して、人に認められたい。しかし、人間としての不器用さが、自分に近づく人を傷つけてしまう。自分が関心を持つ人を怒らせてしまう。自分が愛する人を遠ざけてしまう。

周囲を見渡しても、みんなハリネズミ。なんて冷たい社会なのだと恨みたくなる。そんな中、時おり、ハリを持たない愛情ネズミを見つけると、近寄っていって抱きしめるつもりが、相手をいじめてしまう、裏切ってしまう。相手が傷つきいて遠ざかると、やはり、人は自分から離れていくのだと絶望する。

だから、「やさしさを探す」生き方をすれば、人生が辛くなるのは、実は当然なのだ。他人に「やさしさを探しても」社会はハリネズミばかり。運良く本当にやさしい人と出会うことができても、そのやさしさをつかもうとすれば、自分のハリで傷つけてしまう。

また多くの場合、私たちは、自分に最も思いやりで接してくれている人に、ほとんど気がつかないでいる。このため、自分にとって最も大事な人物を、最も傷つけている自分にも気がつかない。知らぬ間に、意識もせずに、思いやりで接してくれる人物を遠ざけ、気がつくと、お互い相手に踏み込まないハリネズミ仲間と薄い人間関係を持続するようになる。

私たちの誰もが心から望んでいる愛を掴むためには、「やさしさを探す」のではなく、やさしさを人に与え、贈与的に生きる以外に方法はない。「ハリネズミの法則」による必然である。

あなたが、自分のハリを放棄して、愛情本位で生きると、愛情に飢えた多くのハリネズミが、あなたの魅力に惹き付けられてやってくる。多くの人にとって、実は、これはとても恐ろしく感じられることだ。あなたはガードのないボクサーのように、さんざん殴られ、傷つけられることになる。

自分が傷つけられるたびに、自分の生き方に疑問を持ったり、人の心を疑ったり、無力感を味わったりすることになるだろう。

しかしながら、この場合、あなたが傷つけられているのは、あなたが憎まれているからではない。あなたのもつ愛の魅力ゆえである。そして、恐らくより重要なことは、ハリネズミがあなたを傷つけるのは、ハリの奥に隠された愛が、あなたの愛を見つけるからだ。

あなたが苦手な人の心の奥に愛を見よう。むずかしいことかもしれないが、それでもきっと、あなたを傷つける人の心の底に愛が見える筈だ。あなたがその愛を見つめれば、ハリネズミははじめて自分の本当の目的に気がつくのだ。自分は人を傷つけようとしていたのではなく、愛そうとしていただけなのだ、と。

ハリネズミは、本当は、人を傷つけたくなどないのだ。彼のほんとうの目的は、人を愛することなのだから。

【樋口耕太郎】

夏本番のこの頃ですがお元気にしていらっしゃいますか?

最近の一般的な傾向としまして、不景気が長引いていること、サラリーマンの
平均年収がどんどん下がってきていることもあってか、男子が外に飲みに
出かけなくなっているといいます。
麗王のような飲み屋さんにとっては致命的~!と思いきや、
ありがたやこの数ヶ月の麗王は女性のお客さまでカウンターを埋めてくださって
います。医療関係、教師、OL、クラブのお姉さま方…。そんな女子会になると
当然のように出てくる話題が恋愛や結婚のこと。

女と男は、お互い「空気」のような関係になれたらいいな…ってことに
なるのですが、それって本当でしょうか?

空気が無ければ生きてはいけませんが、空気って一方では、
無くなるまでその大切さに気づかないもの。
普段は存在をすっかり忘れています。有難みももちろん忘れています。
当然そこにあるものとして。
女と男がそんな関係で本当にいいのでしょうか?

その昔、男が本当の意味の「大黒柱」で、もっともっとイバっていた時は、
むしろ男が家の中で「空気のよう」になっていてくれたら嬉しい…と
思ったはずです。でも今、夫婦の関係は明らかに変わりました。
もともとが「空気のような男」も増えてきた時代、
単に家の中を漂ってもらっても困ります! もっと夫婦の単位で人生を積極的に
楽しむという考え方をすべきなのではないでしょうか。

とすれば、「空気」じゃ物足りませんよね。お互いがお互いを日々の生活の中で
もっと必要としあう関係になるべきなのだと思います。
生涯のパートナーとの関係が、人生の密度を決めると言ってもいいのですから。

そこで思い出されるのが、知りうる限りでもっとも関係が濃密だったのでは
ないかと思える御夫婦、田原聡一朗氏と、故・節子さん御夫妻。
お二人は「おしどり夫婦」どころじゃなくまさに一心同体。命をかけてお互いを
愛した究極の夫婦愛が脚光を浴びたカップルでした。
出会いは、節子さんが53歳の時。田原氏は55歳。まさしく「運命の出会い」を
果たした彼らは、もう出会ってしまった以上、「愛し合わずにはいられない」
というような、やむにやまれぬダブル不倫の末、田原氏の前妻が亡くなられた後に
節子さんが離婚をして結婚。「大人婚」~!
50代の出会いから、節子さんが乳ガンで亡くなられるまでの15年間、
離れている時間の全てをも惜しむように、会話し続けておられたといいます。
田原氏のジャーナリストとしての発言にダメ出しをできるのは、
節子さんだけだったといいます。ともかくすべてをとことん話し合い、
呼吸するように会話し続けたというのです。
だから田原氏は、闘病中の節子さんにまさに献身的に尽くし、
節子さんのガンが発覚した時と、亡くなった時の2度、自殺を考えたといって
憚りません。「きみが人生のすべてだった」と言い切り、今なお遺骨を自宅に
置いておられるとか。(ちょっとこわい!?)

少なくともこの御夫婦を見る限り、夫婦愛とは「会話の量と密度」にこそ
示されるものだと確信できます。それこそ、命を削るほどの情熱をもって
話し続ける。それがこの人達にとっては、愛情表現だったのでしょう。

ニーチェは作曲家ワーグナーにこういう言葉を贈りました。

「結婚生活は長い会話である。
結婚生活では、他のすべてのことは変化していくけれども、
一緒の時間の大部分は会話。それだけは変わらないのだ。」

確かにそうですよね。夫婦も最初は恋人のようでも、やがて兄弟のような関係に
なって、さらには親子のように思えてくる瞬間もあったりして、
ともかく関係そのものは動いていくし、二人でやることも、二人の興味の対象も
少しづつ変わっていきます。語り合う内容も、単純に子供のことから、家のことへ、
老後のことへ、変わっていきます。
でも、二人が一緒にいる時にすることは、ほとんど会話。それだけは変わりません。
長い長い会話をし続けることが、夫婦生活なのだって、本当にそうですよね。
であるならば、二人で何を話しますか?

レストランに夫婦で来て、ほとんど何もしゃべらずに、黙々とお食事を終えて
早々と帰っていく夫婦と、
まるで若い頃と同じように話に夢中になって、出てきたお料理がどうしても
冷めがちになってしまう夫婦とがいらっしゃいます。
二組の夫婦、それぞれの人生に思いを馳せる時、
なおさら「結婚生活は長い会話なのだ」と確信します。
まさしく長い沈黙のような人生を送っていく夫婦と、
長い長いおしゃべりのような人生を送っていく夫婦。
二組の夫婦が生きるのは、まったく対照的な人生です。
そして、夫婦の相性とはまさにそこで測るもの。
レストランで黙っているか、会話し続けるか、
それが生涯レベルの相性なのだと言ってもいいでしょう。
だから、何としてもずっと会話し続けられるパートナーと出会うべきなのです。
男も女も、人生かけて。

考えてもみてほしいのです。男と女は、出会ってしばらくは、本当によく
おしゃべりします。相手のことを、自分のことを、そしてお互いをどれだけ
好きかということを、ともかくしゃべり続けます。
でも話し尽くしてしまうと、途端に会話が減ります。会話が減ると恋愛感情が
少し冷めます。いえ冷めるから会話が減るのかもしれません。
でも男と女の本当の関わりはそこから始まります。お互いの話をし終わってから、
一生終わらない「女と男の会話」に入っていくのです。
たとえばですが、今日のニュースの話や今度見たい映画の話や
道端に咲いているお花の話や…そんな何でもない日常的な話題で2時間も3時間も
会話が続いていくということなのです。もちろんそれを入り口にして、
話題がいろんな広がりを見せていく。そこに夫婦の幸せがあるのは
間違いありません。

そう、だから日々「長いゴハン」も必要です。
レストランで無言になってしまうのは、家の食事はいつも、アッという間に
終わり、あとはTVを見ているか、めいめい好きなことをしているだけだから。
夫婦の会話はやっぱり「充実した食事」が自然にもたらしてくれるものなのです。
ゆっくりとだらだらと食べましょう。その間をつなぐのはもちろんお酒と会話。
せめて休日のお夕食だけでもそういうお食事ができたら、会話は長く長く続き、
そして生きていることそれ自体を喜びに感じるでしょう。

人は楽しく話をしている時と、食べている時に、
言い知れない幸せを感じ、人生の悦楽を覚えるそうです。
今年の夏休みにはぜひおいしい夕食を用意して、なるべく長く食べ、
なるべくだらだら話しながら、楽しい時間をお過ごしくださいね。男と女で。
もちろん麗王でも。

【2012.7.17 末金典子】

表記スライドのアップデイトバージョンです。

pdfファイルのダウンロードはこちら(655KB)

【2012.7.14 樋口耕太郎】

誰しもが「自分の好きなことをせよ」、という。しかし、このシンプルなメッセージの意味するところは深い。例えば、自分の今までを振り返っ て、「好きだから」という理由で何かを選択したことがあっただろうかと考えて見るのだが、実は一つもなかったということに気がついて、驚いている。

確かに、自分は、100%自分のしたいことを選んで来たと思う。そして、選んだことの殆どを、心から愛したと思う。しかし、好きだから、という理由で選択したことは、一度もないのだ。

大学の進路を選んだときも、その他の殆どの学生と同様、実は中身などよく解らなかったし、卒業後の就職先に野村證券を選んだ理由も、当時日本でもっとも厳しい会社だとされていたからだ。それでも想像を超える厳しい仕事の詳細を事前に知っていたら、間違いなく選んでいなかっただろう。

ウォール街に勤務することになったときも、「不動産金融」という分野に、特段の関心はなかった。今でこそ花形という見方も可能だが、当時、投資銀行の社員が不動産ファイナンスなど、亜流のビジネスを担当している、と悩んだものだ。

12年間お世話になった野村を離れて移籍したレーサムも、私が共同経営を担当した4年間は、日本の不動産流動化ビジネスの先端を走った時期があったが、参画する前は、中古マンションのセールス会社の域を出ず、随分垢抜けない会社に加わったなという気分を味わったりもした。

自己資金で取得したサンマリーナホテルも、別にホテルを所有することや運営することが好きだったわけではない。むしろ、ホテルに強いエゴやこだわりがあり、ホテル事業を好きな人が投資したら、きっと失敗するだろうと思っていた。

多くの人が、「大好き」という理由で訪れる沖縄も、私の場合、好きだという理由で住むようになったわけではない。取得したサンマリーナホテルが偶然沖縄にあったということがきっかけだ。

事業再生専業会社、トリニティ株式会社を起業するまで、会社の経営をしたいと思ったことは、一度たりともなかったし、多くの青年のように、社長になることが夢だったこともない。

有機野菜の流通業、ダイハチマルシェの再生を手がけた理由も、決してその分野を目指していたからではなかった。

4月からお世話になっている沖縄大学も、過去にその職を望んでいたわけではなく、有り難いご縁を頂いたにすぎない。

しかしながら、断言できるのだが、私はそれまで関わってきた全ての会社や、組織や、チームや、仕事を心から愛して来たし、その瞬間ごと、それぞれの仕事に関わったことの幸せを、とても強く噛み締めた来た。

結果として、全ての瞬間を全力で過ごす自分や、自分の役割を深く愛していた自分が、心から好きだったのだと思う。

私の経験から思うのは、別に仕事(自体)を好きになる必要はないと思う。それどころか、好きなことを選ぶと言うことの意味は、嫌いになれば辞めてしまうということだ。そんな一貫性のないことで人に信頼されるとは考えにくい。

どんな仕事であっても、どんな地域に住んでいても、瞬間瞬間の自分が好きでいられるような、そんな選び方をするべきではないかと思うのだ。

【樋口耕太郎】

Smoking Kid (Thai Health Promotion Foundation)|このCMで、子供は自分を映し出す鏡になっている。自分の姿を見て、はっとさせられる瞬間。若者たちがメモを読んだ後に、顔色が変わる姿が印象的だ。

このCMは、単に禁煙キャンペーンとして意味があるだけではない。我々の人生において、最も重要なことの一つが、「鏡を見る」ということ、「自分に向き合う」ということだからだ。

我々の社会では、ものごとに妥協して生きることが当たり前になっている。相手を責めなければ、自分も責められることがないだろうから、人間関係は曖昧なほど心地よい。

自分も含め、付き合う相手がグレーであっても、周りがグレーなら、みんな白でいられる。みんないい人、自分もいい人。「甘さ」は「優しさ」にすり替えられるし、「逃げ」も「自分探し」、「やりたくない」ことも「検討中」ということで丸く収まる。

努力をしたくなくても、いい人でいさえすれば、やんわりと善意を装っていれば、社会が何となく助けてくれる。加害者にならなければ、被害者でいさえすれば、誰かが同情してくれる。すべてが曖昧。持続性はないが、刹那的だが、その瞬間、何となくバランスは取れている。

そんなグレーの中に、一点の白が生じると、社会は大いに衝撃を受け、大混乱を来すのだ。たった一点の白のせいで、自分たちが、社会全体が、急に薄汚れたも のに見えるからだ。その原因は、もともと自分が薄汚れているからに他ならないのだが、殆どの人は、その「白」が原因だと思う。

余りに理想論に聞こえるその姿は、社会の現実からかけ離れているため、始めは無視していれば良い。しかし、白は白であるだけで力を持つのだ。真実の力は弱まることがない。だんだんと無視できなくなると、社会は白を嘲笑しはじめる。それでも、力をつけてくると、本気で潰そうと挑んでくる。

グレーの群れは、白を見て、心から怒りを感じて激高する。自分たちの社会の破壊者に見えるからだ。そして、それは、ある意味正しいのだ。しかし、グレーの人たちが目にし、憎しみを抱くものは、白の姿ではなく、白い鏡に映った自分の(薄汚れた)姿そのものだ。

この曖昧な社会において、純粋であり続けるものは何でも、社会に対する強烈な鏡として機能する。先のCMで、子供にはっとさせられるのは、子供という純粋な鏡に映し出された、自分の薄汚れた姿を見せられるからだ。

相手が子供だから、社会的に、純粋だという認識が一般的な対象だから、はっとする。しかし、これが、大人だったらどうだろう。はっとするよりも、激しい怒りが先にくるのではないだろうか。逆切れして殴りつけることだってあるかもしれない。

我々がこの社会で純粋に生きるということの意味は、このような怒りを引き受けることを意味する。そして、純粋に生きるということの、それだけの怒りを引き受けるということの、最大の理由は、まさにその怒りを発しているその人の人を癒し、社会を、少しでも豊かにするためなのだ。

【樋口耕太郎】

まだ梅雨も明けきらない気候ですが、みなさんはお元気に楽しい日々を
お暮らしでしょうか。

日曜日は父の日ですね。
母の日に比べるとなんだか盛り上がりに欠ける父の日なので、
お父さんにしっかりありがとうを伝えてあげてくださいね。

先月の母の日の麗王便りでは、母から教えられた「成長すること」について
書かせていただいたのですが、
父の日は何を書こうかしら…去年は一体何を書いたんだっけ…と読み返してみると、
去年は父の「のんき」について書いていました。さぁて今年は…と考えつつ、
ここのところ読んでいる脳科学者の方のいろいろな本をぱらぱらめくっていると
ふと思いついたことがあったので、その茂木健一郎さんのエッセイを
少し御紹介いたします。

「心の美しさは、ずっと変わることができるということの中にある。
何歳になっても、新しいことに出会って感動することさえ忘れなければ、
未知のものとの出会いを大切にしその楽しみに向き合っていれば、
健やかな美しい心を保つことができる。
「変わらない美しさ」というよりはむしろ、
「ずっと変わることができる」ということが私達の人生を豊かにしてくれるのだ。

そして、その豊かさに満ちた人生を送るために必要なことは、

まずは「行動する」こと。
いつかはいいことがないかと夢見ていても、幸せは向こうからやってこない。

次に「気づく」こと。
恵みをもたらす未知のものと出会っても、その存在に気づかなければ、
意味がない。

最後に、「受け入れる」こと。
今までの人生観や価値観にこだわって、せっかくの出会いを受け入れなければ、
すべてが水の泡になってしまう。」

なるほど! と思うのですが、歳を重ねるにつれて難しくなってくるのが、
この最後の「受け入れる」ことではないでしょうか。
今までの自分のやり方でいいのだと固執していては、
確かに大切な変化のきっかけをつかみ損なってしまいがちですし、
心が歳を取ってしまいます。
心の美しさってつまりは、何歳になっても淀まずに変わることのできる柔軟さ、
ということなのでしょうね。

このようなことを考えていて、思い出したのです。
父にプレゼントでもらった本・博物学者ライアル・ワトソンの「未知の贈りもの」。
生涯にわたってさまざまな著作を世に送り出したワトソンですが、若き日々を書いた
この本は、独特の感性に満ちていて美しい名著です。

ワトソンは、インドネシアの島に調査にでかけます。ある時、船で夜の海に出ると、
暗闇の中、ワトソンが乗った船を、たくさんの光が包み込みました。
その光達は、まるで生きているかのようにふるえ、脈動し、響き合います。
それは、イカ達の巨大な群れでした。
イカ達が、発光しながら、まるで群れそのものがもう一つの巨大な生きもので
あるかのように、ワトソン達が乗った船を包み込んでいたのでした。
ワトソンはその体験を通して考えます。イカの眼球は、非常に精巧に出来ている。
世界のありさまを、詳細に映し出している。ところが、イカの神経系は、それほど
発達していない。なぜ、見たものをそれほどよく「理解」できないのに、目だけは
発達しているのか。
ワトソンは、一つの考え方に思い至るのです。
イカ達は、ひょっとしたら、もっと巨大な何ものかのために、周囲の様子を
見ているのではないか。個体を超え、ひょっとしたら種さえも超えた、
巨大な生態系、自然そのもののために。
個体間の、あるいは種を超えた生物間の複雑で豊かな相互作用が
明らかにされた現在、ワトソンの考え方は、荒唐無稽であるとは決して言えません。

人間には、はっと気づく瞬間というものがあって、その前後で、本当に世界が
変わって見えるものです。問題は、自分が出会ったものを受け入れられるかどうか。
ワトソンと同じ体験をしても、「ああ、イカか」と深く考えないで
通り過ぎてしまう人もいるかもしれません。自分の経験が潜在的に持つ意味を
「受け入れる」ことができたからこそ、ワトソンは変わることができたし、
その後のさまざまな仕事の礎とすることができたのではないでしょうか。

子供の頃、この本のようにクリスマスやお誕生日にプレゼントをもらうのが
すご~く楽しみでした。あの頃のわくわく感、まるで、そのことによって
自分の人生が変わってしまうのではないかと思うほどの喜び。
そんな飛び上がるような気持ちを、私達はいつまでも忘れないでいたいものですね。

人生なんてこうだ、こんなものだと、決めつけてしまってはもったいないでは
ありませんか。
いつも、心のどこかに、「贈りもの」のための場所を空けておく。
そして思わぬ出会いがあったら、ちゃんと立ち止まって、それを受け入れる。
そんな心の余裕がある人は、いつまでも若く美しい心なのだと改めて思いました。

父からもらったのは本でしたが、云わば、人生そのものが「未知の贈りもの」
だったのだなと今では思っています。

日曜日はどうぞ温かな感謝の日をお過ごしくださいね。

【2012.6.14 末金典子】

私が考える経営の本質とは、例えば、第一に、資本と事業とは無関係であるということ、第二に、企業価値と収益は無関係であること、第三に、コント ロールと生産性は無関係であることだ。逆に言えば、事業の問題の大半は、経営者がこれらの要素を混同しているところから生じていると思う。

資本と事業は別のものだ。殆どの経営者は、資本がなければ事業が成り立たないと考えているように見えるのだが、この発想は非効率なだけでなく、事業リスクを不用意に高める効果がある。

沖縄のように補助金が溢れているマーケットにおいてはこの弊害が特に大きい。若手事業家が起業するとまず補助金を獲得しようと考えるし、沖縄で「事業」を行うNPOやコンサルタントの大半は、何の生産性も生まずに、ただ補助金を消費するだけの存在になってしまっている。

商品があるにも拘らず、不況で少しばかり売れ行きが鈍ると、弱気になって資金繰りのために低利の特別融資や特別支援に頼る。この経営者は、「モノを作って売る」のが事業ではないということを理解していない。事業とは「売れるものを作る」こと、あるいは「作ったものを売る」ことをいうのだ。

補助金が大量に降り注ぐ基地経済のために、沖縄は恐らく日本で一番お金が調達しやすい地域だ。そのため資金繰りに窮すると簡単に融資に頼るが、「在庫を売る」ということが最も効果的なファイナンス(資金調達)のひとつなのだ。「資金繰りが・・・」と青い顔をして、条件のユルいお金を追いかける暇があったら、寸暇を惜しんで、火の玉になって、全情熱をかけて自分の商品を売るべきだろう。

ある「起業家」が、「お金がないために商品を仕入れることができません。どうしたら良いでしょう?」と相談に来たことがある。十分な前提が揃わなければ事業が成り立たないと考えている時点で、彼は事業家の魂を失っている。「商品がなくても、まず売れば良いではないか。誠実に振る舞い、お客様に信用頂いて、契約を取った後で、手付けを頂いた後で、必死になって商品を仕入れれば良いではないか。」

翻って、補助金が溢れる沖縄では、まずお金が存在し、のんびり給与をもらいながら思い思いの商品を作る。売れるかどうか不確かなであっても、もともと事業リスクをとっていないのだから真剣味はない。かくして売れないことが分かった段階で、急に弱気になり、延命のために追加融資を追いかける。

事業の本質は、100のものを110にすることではない。事業取引とは100→100と、0→10が合成されたものであり、付加価値とは常にゼロから生まれるものを言うのだ。100→110が事業だという世界観をもつ「事業家」は、まず100を集めようとする。100がなければ事業そのものが成り立たないと考えるからだ。そして、規模や資本や営業ネットワークの大きい事業ほど有利だと考える。・・・これらの発想は事業の本質とは異なるのだ。

第二に、企業価値と収益は無関係である。一般的な経営者は、このまるで異質な二つの要素を区別していないように思える。・・・収益を上げることが企業価値を高めることだと混同して解釈しているのだろう。企業価値が上がれば、結果として収益が生まれるが、逆は必ずしも真ではない。収益を上げながら企業価値を下げる経営事例は溢れているし、むしろ、そのようなケースの方が多いくらいではないか?そして当然ながら、経営者の重要な仕事は、企業価値を高めることであり、結果として収益を生み出す事業力を整えることであり、一義的に収益を生み出すことではない。

企業を本当に強くする要素とは何だろう?収益だろうか?資産の規模だろうか?資産に占める現金の比率だろうか?純資産の厚みだろうか?利益率だろうか?・・・一般的に企業価値の要素とされるこれらの一切は、私は、企業価値の本質とは無関係だと思う。実際、大企業や成長企業が高収益をあげながら、一瞬にして破綻する事例は珍しくない。これらの要素が本当に企業価値を表しているのであれば、なぜこのようなことが生じ得るのだろう?

それらのすべては(保有資産も含めて)過去のものであり、将来この企業が何をするか、何者になるかということとは本来非連続なものなのだ。

先日航空会社の幹部の方と議論した際にお聞きしたことだが、最近の「事業戦略」の重点は、経費削減と資本効率、特に機材の利用効率を高めるための「改革」だと言う。確かに、経費を削減すれば利益に直結する。1日3便飛ばしていた機材を4便・5便と飛ばせば当然資産あたりの収益が高まる。

利益が上がれば、フリーキャッシュフローが増加し、企業価値が増加すると解釈するのは、企業金融のイロハなのだが、本当にそうだろうか?

資産の回転率を上げれば数字上の利益は生まれるのだが、その影で従業員の作業負担は高まる。同時に人件費が削られ、増員が凍結され、現場の情熱に水がかけられる。同じ仕事でも一旦情熱を失ってしまえば、とても辛い「作業」になるのだが、これら一切の要素は経営(財務)上無視されるのだ。

フランチャイズビジネスでも、ポートフォリオをどんどん増やしながら事業を「拡大」するファンドでも同様のパターンが見られるのだが、競合などによって、 例えば単一ホテルの収益率が下がる時、企業全体の収益を維持するために、もう一つホテルを購入するというパターンが余りに一般的だ。

機材の回転率向上、ポートフォリオの拡大、経費の削減・・・、これらの一切は利益を生むが、企業価値を高める行為とは無関係である可能性が高い。企業価値に寄与しなければ、一時の利益を上げたとしても、競合が進めばやがて利益率は低減し元の木阿弥になる。長期的には現場が疲弊しただけだ。

先の航空会社の幹部に申し上げたことは、機材の回転率も良いのだが、思考実験として、世の中すべての航空会社がそれぞれ一社一機一路線しか運営していない状況を考える・・・。その時顧客が、他社ではなく、この路線をこの価格(又はそれ以上の価格)で利用するための理由とは何だろう?その理由を生み出すために、今日何をしただろう?明日何をするだろう?・・・これが企業価値に寄与する真の経営課題だと思う。

その「理由」がはっきりと理解できて、その「理由」をしっかり生み出すことができて、経営バランスが実現できて、それから機材効率、経費の見直し、ポートフォリをの拡大を検討するべきではないか?

マイナスの企業価値の上塗りはマイナスに過ぎない。問題は、マイナスの企業価値でも収益がプラスである場合、マイナス企業価値(=プラスの収益)を積上げて目先の利益を確保しようとする経営者が余りに一般的なのだ。

第三に、コントロールと生産性は無関係だ。企業を永遠に経営するという長期視野を前提とすると、生産性とは費用を削ることでも、資本回転率を上げることでも、まして従業員を長時間働かせることでもない。これらにはすべて上限があるため、永遠の持続性を担保することができないためである。

イノベーションは飛躍的な生産性の上昇をもたらす現象を言うが、その本質は世界観の転換である。例えば、今まで「マル」と思っていたものを「シカク」にしてみれば、生産量が著しく向上すると同時に、「マル」にするために必要とされていた資本や労力や顧客管理が不要になるかも知れない。

そのためには「マル」という成功体験と、現在「マル」が生み出している利益やシェアを手放す必要があるかもしれない。そこに(主として従業員に対する)コントロールの要素は存在しないどころか、その対極の現象が必要なのだ。

多くの経営者は、既存の成功を手放すことを恐れるばかりに、世界観の転換とイノベーションを恐れがちだ。競合によって企業収支の帳尻を合わせなければならないプレッシャーが生まれると、従業員と現場をコントロールして「生産性」を高めようとする。

結局自分の恐れを従業員に転嫁しているだけなのだが、経営者は自分の中にではなく、現場に問題が存在するという前提で、コントロールを更に強化する。不幸なことに、この方法でも短期的には十分に利益が確保できるのだ。その「成果」を根拠に経営者は自分の居場所を確保し、従業員をさらに管理する・・・。

一言で言えば、経営の現場は科学的でも合理的でも論理的でもないのだが、それは決して経営者の頭がおかしいからではない。彼らの恐れが真の合理性にもとづく判断を妨げているのだ。

リーダーシップの本質とは、覚悟する力、自分のエゴよりも人と社会を優先する力、理想を実現する情熱、嘘をつかない勇気・・・といったものなのだが、現代社会ではこれらの要素が顧みられなくなって久しい。私は、このことが企業価値を高めることを妨げている最大の要素だと思う。

企業価値を高めるために、利益ではなくてあらゆる人間関係と思いやりを優先し、成果ではなく人格でリーダーを登用する企業が生まれれば、それが持続性を失った我々の社会を変える一枚目のドミノになるだろう。

【樋口耕太郎】

雨や曇りも多いゴールデンウィークでしたが
それでもまとまったお休みというのはのんびりとしてうれしいものですね。
あなたはゆっくりとリフレッシュなさいましたか?

さて次の日曜日は母の日ですね。
毎年この月のお便りは母から学んだ「謝ること」「働くこと」
「出し惜しみしないこと」といったことなどを書かせていただいているのですが、
今年は「成長すること」について書こうと思うのです。

私の母は昭和9年生まれで、戦争のための疎開など激動の日本を生きてきた
世代です。大変な苦労もあったようですが、実家の洋食レストランの仕事を
切り盛りしながら家族の世話もこなして生きてきた頑張りやの女性です。
私が以前家族と一緒に大阪で暮らしている頃に、仕事や人間関係のことで悩んで
「私っていつもこんなことばかり悩んでいて一体これでも成長しているのかなぁ」
と、母に相談するとよく言われたのが、
「お母さんの若い頃は暗い時代やったよ~。
そやけどハングリーやったから仕事ができたし、なにより希望があったの。
それって闇の中にも光は必ずあるということやよ。
とにかく、やり続けること。
何もしなければ何も始まらないんやから。
それが成長するということやよ。」と。

「成長」……これは人にとって絶対のキーワードですよね。

でも、実際のところ、成長とは何なのでしょう。
何をもって、成長というのでしょうか。
成長にこだわり続けている人は、果たしてちゃんと成長しているのでしょうか。

たとえば今ここで、あなたがこの数年の間に、どう成長したか、
ちょっと思い浮かべてみてください。

中途採用の面接で、
「あなたはこれまでの仕事を通して、どんな成長を遂げましたか?」と聞かれた
25歳くらいの応募者が、ここぞとばかりに10も20も自分の成長をとうとうと語り、
止まらなくなったのだとか。私は人を心から気遣うことができるとか、
人のために汗を流すことができるとか。
面接にあたった人は、あなたそれ、ホントの成長じゃないかもと、
ノドまで出かかったのだとおっしゃっていました。
それはおそらく、人間は本当の意味で成長すると、逆にまず自分の小ささや
「しょうもなさ」がわかってしまうものだからではないでしょうか。
社会に出た時、世の中にはこんなにすごい人がいるんだとか、こんなに立派な人が
いるんだとか、むしろそういうことに気づくのが、
社会人としての成長なんじゃないかと思うのです。

従って、いっぱしのオトナになったつもりでいたけれど、そう思ったこと自体を
逆に恥ずかしいと思うのが、この年代の成長なんだと思うのです。
ダメな自分に気づく方が、ずっと大切な成長なのです。
自分を大きく見せるのじゃなく、むしろ自分を小さく見せようとする人の方が、
絶対成長しているし、今後の成長も早いはずです。

つまり人間、そんなにすごい勢いで成長したりはしないのでしょう。
だから一歩一歩、少しずつでいいのです。
自分がどう成長したかなんか、わからないくらいでいいのです。
それでもちゃんと成長はしているのだと思います。
自分は社会に出て10年もたつけれど、果たして成長しているの?と
不安に思うくらいの人がじつはちゃんと成長しているのです。

母の締めくくりの言葉はこうでした。
「自分の成長は?成長は?と、そこにばかりとらわれるよりも、
今はまだとりあえず苦しいことも辛いことも、イヤなことも、何でもやっておく。
それがすべて見えない成長になっていること、覚えていなさい。」

今もこの言葉は私の宝物です。

人生で最初に出会うお母さん。
日曜日は温かいありがとうの日をお過ごしください。

【2012.5.11 末金典子】

最近は教育について深く考えさせられています。例えば、昨日の新入生の演習(注:沖大は一年生からゼミがあります)。図書館の使い方の共通オリエンテーションを終えて、ミニテストをするのが学科の基本プログラムです。

オリエンテーションのときにとったメモは、ミニテストに持ち込んで参照して良い旨伝えてあるのですが、一人や二人はそのメモを忘れてくる生徒がいます。必然的に、ミニテストの20分間は、彼にとってとても非生産的で、少なからず惨めな時間を過ごすことになるわけです。

私も、学生の頃は宿題を忘れる常習犯でしたので、課題をしていない状態で、いつ先生から指名されるか怯えながら、クラスにぽつんと存在するときの惨めな気持ちが、いかに最悪なものかよく解ります。

昨日は思わず、今の私がメモを忘れた彼の立場だったら、どのような20分を過ごすだろうか?と考えざるを得ませんでした。どのような事情があろうと、メモ を忘れてしまった事実は変えられませんし、メモがなければ殆ど回答することはできず、このままでは人生の20分間をどぶに捨てることになります。

私が彼に(そしてクラスに)提案したのは、自分が理解する回答を終えた後の、「空虚な」時間の使い方です。どんな時間の使い方をしても、20分間はミニテ ストのために、そこに座っていなければならない。メモがなければ、点数も大してとれない。たとえ自分が招いたことであっても、ここまでは現実。

思考実験をしてみたらどうだろう、と。あなたの人生が、仮にあとその20分しかないとして、その20分では、かならずこのミニテストを受けなければならな いとして、あなたはどのような時間を過ごすだろう?人生最後の20分を、惨めに終えるのか、それ以外に時間の過ごし方はないのだろうか?

このような思考(問い)を経ることで、あなたの人生の貴重な20分間を、全く異なる意味において過ごすことはできないだろうか、と。

「私が、メモを忘れた君の立場だったら、この20分間で、自分が沖縄大学の図書館長だったら、生徒の立場で利用し易い施設にするために、どのような運営をするかを考えて、それを回答として記述するけどな」・・・

・・・「確かに、大半の回答は誤りになるかもしれない。点数はろくなもにはならないかもしれない。そして一方で、惨めな白紙の解答用紙を提出しても、結果としての点数は同じだろうと思う。」

・・・「両者の生徒にとって、20分ミニテストをしなければならないという人生の制約は同じ、点数も同じ(最悪だろう)、外見上は全く相違なく時間が流れて行く」

・・・「確かに外見上の現象は全く同じかもしれないが、対照的な20分の過ごし方をした二人の生徒が、全く異なる人生を歩むであろうことは断言できる。ど うせ20分この場所にいてミニテストをしなければならいという、制約は同じ、しかし全く同じ環境においても、全く異なる人生を選択できと思う。」

・・・「この20分には、そういう意味があると思う。多分、ミニテストで学ぶことよりも、このような思考実験を経て、自分の人生を選択することの方が、よほど重要な学びなのではないかな?人生、20分で学べることは、意外に多いものだよ。」

【樋口耕太郎】

沖縄大学のOBを中心に強い要望があった講座シリーズが、
加藤彰彦学長のリーダーシップで実現しました。

「社会教養セミナー」は新任教員とベテラン教員がペアを組んで、
各自の専門分野のテーマについて語ります。
今週木曜日(4月26日)は、五回シリーズの第一回目。
午後6時半から8時半の講義の後、懇親会が予定されています。

シリーズトップのスピーカーは私と、なんと新崎盛暉先生との組み合わせ。
新崎先生は、東京大学文学部を卒業後、反戦運動家として活動された
沖縄研究の第一人者です。

1995年の米軍人による少女レイプ事件に端を発した沖縄県民集会と、
大規模な反戦、反基地運動を「危険視」した日本政府は、
多様な手段を駆使して、大々的な「火消し」を行います。
その一環として、沖縄出身の学者たちが日本政府の意を汲んでまとめた、
基地肯定的なプロパガンダ「沖縄イニシアティブ」に対して、
沖縄タイムズ紙面で展開した新崎先生の反論が印象的でした。

沖縄大学で学長を務めた後、名誉教授として現在も各方面で御活躍中です。
是非御参加下さい。

参加無料、どなたでもご参加頂けます。
那覇市国場、沖縄大学本館1階の同窓会館にて。

【2012.4.24 樋口耕太郎】

ジョン・グレイ博士のベストセラー「男性は火星から、女性は金星からやって来た」のタイトルに象徴されるほど、男女には明らかな相違が存在する。いや、「明らかな相違」というのは、余りに控えめな表現かもしれない。生物としての種が完全に異なるかと思える相違が存在する、と考えるのがちょうどいいくらいだ。

私が随分以前から不思議に感じていることなのだが、男女間の驚くべき相違点の数々にも関わらず、一般的な経営の現場では、この相違がほぼ存在しないものとして運営されているのだ。それどころか、男女雇用機会均等法に象徴される、一般社会「常識」に基づくと、男女の生理や性質の相違に言及することや、男女の特筆が異なるという前提で数々の議論を行うことが、むしろタブー視されている。

「女性を活かす社会」というフレーズで喧伝された時期もあったが、これも所詮「(男性が)女性を活かす」という意味合いで使われていたに過ぎない。つまり、一つの(男性的な)価値観の枠組みを前提として、多様性を認める(フリをする)、ということだったろう。つまり、「男女差別をなくそう」、という価値観の裏返しには、「皆男性になろう」という世界観が存在したのではないか?それが言い過ぎだったとしても、「差別をなくそう」という議論は、「みんなに違いは存在しない」、「みんな同じになろう」、という議論に矮小化されているとは言えないだろうか?

さて、私はここでは、差別の議論ではなく、純粋に社会機能の議論として考えたい。・・・男女に(機能の)相違が存在するということは、目的ごとに、機能が劣る性と優れた性が存在するということを認めざるを得ないのだが、社会は(というよりも男性が)それを許さない。

男性、女性、それぞれ得意なところも、苦手なところも存在する。たとえば男性は、直感力に乏しいために(特に重要な)物事の判断が非効率で、我が侭かつ自己中心的で、人の話を聞くことよりも自分の話を聞かせることに関心が強く、一方で打たれ弱く、脆弱で、ひがみやすい。人の関心ごとに注意を払うことよりも、他人を(もっと言えば、自分以外のすべてを)自分の思う通りにコントロールすることを重要視するために、自分の思い通りに行かないことに対して、攻撃的になりがちだ。一般に、論理的な思考は、直感力に比べて著しく非効率である(と私は思うのだが)ため、論理的に物事を捉え続けなければ不安になる男性は、社会全体をどんどん非効率な方向に追いやっているように見える。

一方で、女性は直感力(すなわち判断力)に優れているにも拘らず、その機能を論理的な言語に翻訳する機能を持たないために、その判断の正しさを左脳優先の男性的な社会で(言語的に)証明することができない。「論理的に説明されないものは劣る」「目に見えないものを認めることは非合理である」と解釈する男性には、その直感力の正しさが理解できない。自分が理解できないものを認めることに対する恐れも存在する。

私は、世の中をこれほど悪くしているのは男性(的なもの)だと思うが、これは、男性が悪人だからというよりも、男性的なものの機能的必然だと思う。・・・あくまで社会をよりよくするという目的に対する、機能の優劣の問題なのだ。言葉を変えると、非直感的かつ非効率で、我が侭で、自己中心的で、ストレスに対して脆弱な男性という「機能」 が、社会運営を主導することの必然的な帰結だと思う。・・・これを男女の権力闘争議論にすり替えることから混乱が生じている。

それでは、社会を女性に受け渡せば、うまく行くのだろうか?・・・確かに現在よりはましな社会になるような気もする。例えば世界中の元首が女性になれば、戦争は随分減るのではないか? ・・・しかし、恐らくそれだけでも、相当不十分なのだ。

もし神が存在するのであれば、男女という異なる二つの性を地上に生み出した理由は、絶対に悪意ではなく、善意に基づくものだと思う。対立ではなく、調和を学ぶための、最高の仕掛けだとしたらどうだろう?一方だけが社会を主導すると、バランスを崩すように始めからできているのだ。私は、男性はアクセル、女性はハンドルの機能を分担するときに最高の結果が生まれると思っている。ハンドルから見たら、確かにアクセルは直線的で、攻撃的で、子供っぽい。しかし、その機能がなければ、どれほど正確な判断も無価値である。アクセルからハンドルを見れば、パワー不足で、感覚的過ぎて実効性に欠ける。しかし、ハンドルを信頼せずに動力だけで前に進めば、必ず事故を起こす。・・・これが丁度、今の資本主義社会の姿だ。

とても興味深いパラドックスは、アクセルはハンドルの、ハンドルはアクセルの機能を心底理解することはできないということだろう。両者は互いに信頼することができるだけなのだ。アクセルはなぜハンドルがハンドルなのかということを理解し得ない。ハンドルをハンドルとして認めることしかできないのだ。したがって、理解できなければ信頼できない、という人間関係は非生産的であるだけでなく、協調よりも分裂を生み出し、社会全体を大きく非効率にするということになる。

「理解」とは自分の世界観の内部の作業であることに対して、「信頼」は自分の「理解」を超えるところに存在する。・・・神が男女の相違を通じて、私たちに届けようとしている贈り物は、相手を「理解」するよりも「信頼」するプロセスを通じて、「理解」し得ないものに対して心を預けるということの経験と学びと価値なのではないだろうか?

*  *  *

ところで、一般的な男性にとって、最も難しいことが「ハンドルを手放す」ということだ。もともとエゴの強い男性性は、人を信頼して舵取りを委ねることが、自分の力を弱くするように感じられるからである。特に資本主義社会は男性的で、人をコントロールし、自分以外のすべてを変えることで生産性をあげた人物が、社会的な力を集め、「成功者」と認識される社会だ。その社会で「成功」を収めて来た男性ほど、男女協調的な社会バランスを受け入れることが困難になる。

私が見る限り男性は、少なくとも長期的に見て(精神的に)本当に弱い存在で、調子の良いときはどこまでも舞い上がる一方で、くじけ易く、一旦心が折れるとそのまま人生を棒に振る人も少なくない。誰よりも人間的な支えを必要とする割に、エゴが強く、人間力に乏しいため、人からの注目や関心や愛情を得るためにには、権威や地位やお金が必要になる。

クラブやスナックという業態は、男性のこの特性を商業化したもので、女性のための夜の店が殆ど存在しないことは、この傾向を明確に物語っていると思う。お金を仲立ちとした、このような業態が、社会にあまりに広範囲に存在するのは、男性が本質的に女性の助けを(大いに)必要としているということの証だろう。

男性はこれほどまでに、女性の支えを必要としており、それは、男性ということそのものなのだ。後は、男性にとって、どのように女性の助けを借りるかというだけの問題であり、女性の助けなしに(男性的な)社会が存続することはあり得ないと言える。

男性にとって、女性に力を借りる方法は、基本的に二つしかない。エゴを捨てずに商業的に手に入れるか、エゴを捨てて、人間関係と信頼関係の中でそれを築くか。・・・もっともクラブ的なもの全てが商業的だとは限りらないし(極めて稀だが)、広い意味で商業的でない結婚の方が少ないくらいだ。クラブやスナック(そして意外に多くの結婚)は、「エゴを捨てずに女性的な支えを得たい」という男性のニーズを(短期的に)満たす業態と言えそうで、逆に考えると男性の人生におけるエゴの費用(コスト)は極めて高いと言える。

男性が自分の弱さを自覚し、女性の助けを必要としていることを認め、お金や力によってではなく、人間力と誠意によって女性の強力を求めるようになれば、世の中の問題の半分は解消するに違いない。

一方で、男性のエゴの強さと、子供っぽさに辟易とする女性は、「経済的な見返りでもなければ相手などしていられな い」と思えるかも知れない。正直なところ、社会の結婚率が長期的に低下傾向にある大きな理由は、男性の収入が長期的な低下傾向にあるためで、この「関係」を裏付るようにも見える。女性が打算的だというのは、確かにそういう傾向があるかもしれないが、それには、それだけの理由があるということか。

しかしながら、男性が子供であるということと、それによって自分の打算を正当化することとは本来別のものであるはずだ。確かに男性は、救い難いほど子供かも知れないが、その子供に対して「請求書」を送りつけることは、決して自分の幸福には繋がらない。女性が男性の「子供性」を、むしろ愛おしく受け止め、男性は自分の弱さを認めて、女性の支えを得るために、誠実に人間性を磨く努力をする。・・・そんな男女の人間関係がどれだけの生産性を生み出すかは、驚愕に値する。社会一般には、男女関係はコストだと考えられている。しかし、実際は、著しい生産性を生み出す、最高最大の組み合わせなのだ。

社会において、人生において、人間関係において、何かがうまく行かないと思うときは、最も近い(男女の)関係に潜んでいる、大きな可能性に目を向けることが、なによりも有効であるような気がするのだ。

【樋口耕太郎】

関連記事: トリニティアップデイト「もうすぐゴールデンウィーク!」|女性は、幸せのプロ。

今年の沖縄はずっと梅雨かのようにじとじと続きですが、
あなたはお元気にしていらっしゃますか?

私はといいますと、この週末の土曜日から東京になんと25年ぶりに!!
行ってまいります。
東京に25年間も行ったことがない人なんて私くらいではないでしょうか!?
関西人ってなんかそういうところがありがちなんですが…。
身内の結婚式のついでに今の東京をいろいろ見てこようと思っておりますので
21日土曜日~23日月曜日の3日間、勝手ながら麗王はお休みさせていただきます。

結婚式といえば…ここのところの麗王は女性のお客さまの比率がかなり高く、
それも、結婚した~い!と望む独身女性がほとんど。そこでこんなお話を…

あるバツイチの男性が、二度目の結婚をなさいました。
一度目の結婚とは「180度違う生活」が始まって、女って本当はこういうもの
だったのかと驚いたそうなんです。
「どう違ったんですか?」とお聞きしましたら、ずばり「今すごく幸せ」と、
まるで女性のような表現から始まり、「人生ってこんなに楽しいものだったんだね」
っていうくらい楽しいんだよと、のろけるのです。
この時ハッと気づいたのは、男性が女性にプロポーズする時の古典的台詞の
「あなたを幸せにします」は、もともと無理があったんじゃないかということ。
なぜなら、「幸せ」のプロは、女性の方。
幸せを人生の目的にしてきたのはいつも、女性の方。
つまり、幸せになることにかけては、女性の方がはるかに達者なはずなのです。
だいたいが、「ボク、幸せになりたい」と口に出す男性は基本的にいないはずで、
大昔から「幸せ」は女性のものでした。
どこまでいっても「幸せ」は、女性達の、女性達による、女性達のためのもの
なのです。
なのに、男性が女性を「幸せにします」なんて、
ド素人の男性が「化粧で女をキレイにしてあげる」と言っているようなもの。
逆に言うと、私達女性もそういう男性達に「幸せにしてもらおう」と思うこと自体
間違っていたんじゃないでしょうか。
初心者の男性がいくら頑張って幸せを提案しても、
「そうじゃなくて、こうでしょ」と、だんだんイライラしてくるのがオチ。
男性に「幸せ」を託すなんて、もともと無謀すぎるのです。

さきほどの男性の再婚相手は、お休みのたびに「楽しいこと」を提案し、
毎週末イベントがあるような生活を提供してくれるのだとか。
日々のお食事も今までからしたら信じられないほど意味のある時間となり、
時間が会う日は平日の夜も落ち合って外食。二人でお料理を作りもする。
それに極めて軽いフットワークでアッという間に旅に出る。
それもありきたりの旅じゃなく、その独創性を人に自慢したくなるような
愉快な旅へ、たちまち出かける。そもそも旅というものは、行けば行くほど
クセになるから、旅と旅の間にすら、幸せを感じるようになったとも。
さらには、自分の趣味に夫を引き込むだけでなく、夫の趣味にも近づいてきて、
その本当の醍醐味を教えてくれるような新しい提案をしてくれる人でもあったそう
なのです。
基本的に、男性は自分の趣味から女性を引き離そうとするのですが、
彼女はお互いの趣味を上手に掛け合わせて、新しい「幸せ」をつくる方法を
知っていたのです。同じ趣味も一人でやるより、二人でやる方が何倍も
濃厚になること、二人でないと味わえない喜びにつなげることができるのを、
彼女に教わったというのです。
そこまでいくとひとつの「才能」で、「女性はみんな幸せ上手」というレベルを
超えています。ただ、その二度目の妻は、長い間恋人がおらず、基本的には
これまでずっと「一人」で幸せのテクニックを磨いてきたはずだというのです。
どうすれば幸せを感じられるのか、それをコツコツ形にしてきた女だと。
言いかえれば、もともと「男に幸せにしてもらおう」などという甘えはなく、
誰にも頼らずに、自分で自分に幸せを与えてきた人だからこそ、
人を幸せにするのも簡単だったのです。
女同士で楽しいことは、男と女で一緒にやってもちゃんと楽しい。
もっと楽しいかもしれない。やっぱり、「幸せになる方法」を真摯に追及してきた
女性の勝ちなのです。男に幸せにしてもらおうなどと思わずに。

女性からのプロポーズで有名なのは、故・夏目雅子さんのこのひと言でしょう。
「家に私みたいなのがいたら、きっと楽しいと思うんだけどな。」
もちろん誰が言うかによりますが、一般論としても、女性からのプロポーズで
いちばん成功率が高いのは、「私があなたを幸せにしてあげる」という
アプローチなのだそうです。女性から「私を養って」というスタンスに
なっちゃいけないのは当然のことですが、「幸せにしてあげる」と能動的に
女性から男性へ与える申し出こそが殺し文句になるのにはなるほど説得力が
あります。
良い例とは言えませんが、何人かの交際男性の死と関わりがあるということで、
長い長い裁判の結果、死刑判決が先日出た木嶋佳苗被告も、なぜああいう女性が
何人もの男性を手玉に取れたのか、ちょっと不思議に思っていたのですが、
その秘密はどうも得意とするアプローチにあったとか。
それが「私があなたを幸せにしてさしあげます」的なメールでの語りかけ。
言葉はとても丁寧だったといいいますから、本物の優しさに思えたのでしょうし、
「幸せの香り」がしたに違いありません。
もともと、男性は「幸せ」というものと距離感がある上に、
恋愛に対してとりわけ不器用な交際経験の少ない男性は、自分ではとうてい
幸せになれそうにないというコンプレックスがあるので、そのワナにハマって
しまうのでしょう。
いずれにしても、男性達にとって「この人と生きていきたい」という最大の動機と
なるのが、「幸せの香り」なのは確かです。「幸薄そうな印象」は、ある種の魅力
ではあっても、一方で危険な香りをもち、男性を知らず知らず遠ざけているはず。
男性達を無条件に惹きつけるのは、やはり
「そばにいるだけで幸せになれそうな引力」なのです。
今までそれに気づかずに「幸せにしてもらうこと」ばかり考え、
「幸せにしてくれないこと」に腹を立てている女性がいたら、早く気づいて
ほしいのです。「幸せ」は女性の得意技。自分が率先して幸せをつくって、
夫をその中に引き込む努力だけはしたいもの。それが長い人生を、本当の意味で
美しいものにするたったひとつのテクニックなのだから。
たとえばまず手始めに、おいしいお食事やワインを用意して、
やさしく楽しい言葉をかけ、一応のお食事を終えたあとも、だらだらとお食事を
続けてみてほしいのです。それが幸せの手続き。
幸せって、女性が待つものじゃなく、女性が自分の手で手づくりすべきもの。
しかも女性が男性を幸せにしてあげるなんて、いとも簡単なことなのだって、
きっと気づくはずなのです。

男性諸氏、そうではありませんか?

さぁ、もうすぐゴールデンウィーク。
あなたの大事なパートナーの方と、うんとお幸せにお過ごしくださいね!

【2012.4.19 末金典子】

沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科専任教員(准教授)就任に伴い、挨拶文を添付致しました。ご高覧頂けると幸甚です。

【2012.4.14 樋口耕太郎】

良い仕事に就くから幸せなのではない、
幸福だから良い仕事に就けるのだ。

理想のパートナーに出会えたから幸せになるわけではない、
幸せだから理想のパートナーを引き寄せるのだ。

好きな仕事に就くことが重要なのではない、
今の仕事を好きになるからこそ、もっと好きな仕事を任されるのだ。

才能があるから成功するのではない、
成功を信じたからあなたの中の才能が目を覚ますのだ。

天才だから世界を変えたのではない、
世界を変えようと望むものが天才を発揮するのだ。

【樋口耕太郎】

心持ち寒さがゆるんできましたね。
お元気ですか?
明日はヴァレンタインデーですね~!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

よく「運命の人」といいますよね。
私は誰にでも「運命の人」や「二枚貝の片割れのような人」はいると
思っているのですが、最初から「これが運命的な出会いなんだ!」と
感じるものではないと思っているんです。
ただの出会いやフツーの出会い方でも、努力次第で運命的な出会いになる可能性を
秘めていて、「この人とは運命的な出会いだったんだ」というのは、
後から感じるものだと思うのです。
だから、「運命の人」と出会うためには、ひとつひとつの出会いに
アンテナを張って、自分の人生にとって運命的な出会いにするための努力を
しなければならないのだと思います。

一生に出会う人の数は限られています。
ただ出会う人は5万人、そのうち名前を覚えられる人は3千人。
名前と顔を一致させられるのは300人。
友達と呼ぶことができる人は30人くらいが平均と言われています。
たまたま同じ時代に生まれ、約69億の人がいるなかで、
出会うということは、なんと奇跡的なことでしょうか。

なぜある人を好きになるのでしょう?
考えてみれば不思議なことですよね。
お互いが相手を好きになるということは、
本当になんという不思議なことでしょう。素晴らしいことでしょう。

簡単に、「出会いがない」「運命の人に出会えない」という人は、
出会うことの難しさや、尊さを噛みしめる必要があるのかもしれません。
出会いに、なまけてしまってはいけません。
ただの出会いも、関係を磨いていくことで、努力次第で、もしかしたら
運命的な出会いに変わっていくかもしれないのです。

あらためて思うのは、男と女はやはり2人一緒にいることで初めて人生が完成する
ということ。
互いにまったく違う遺伝子を持った相手を思いやり、愛することで、
自分の魂が磨かれていくのではないでしょうか。
40代になっても、50代になっても、大切なパートナーと愛情を分かちあう作業が
人生には欠かせません。むしろ、年を取れば取るほど、誰かを真剣に愛することが
大切なのだと思います。

ところで。
愛された記憶は、暖かいカシミアの毛布のようだと言われます。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけれど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれたあの言葉。彼の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えるのでしょう。

また、これから出会う新しい恋は、行く先に輝く虹のようだと言われます。

そして、今あなたの隣にいる人。
あなたが手で触れられる人のことを想ってください。
そういう人がいない?
それなら自分自身に触れてあげてください。

さて、これらのことはすべて「今」あなたが持っているものなのです。
過去の毛布も、未来の虹も、今触れられるものも、
「今、ここ」には、あなたのなかには、すべてがあるのです。
つまり、あなたの人生にはいつも愛があるのです。

さあ、明日はヴァレンタインデー。
どうぞあなたにとって愛いっぱいの、幸せいっぱいの日となりますように。

【2012.2.13 末金典子】

ハーバード大学が12000人以上を対象に、30年以上にわたって追跡した研究によると、家族や友人が幸せを感じていると、自分も幸せを感じる可能性が15%高まるという報告がある。

驚くべきことに、幸福は直接面識のない人にまで影響する。あなたの友達の友達を直接知らなくても、その友達の友達が幸せな人であれば、あなたの幸福度は10%高まる。

このハーバード大学による大規模な社会的実験によって、人の幸せは自分から数えて3人目まで影響することが分かっている。

具体的には、あなたの友達の友達、および友達の友達の友達の幸福度が高いと、あなたの幸福度は6%向上する。逆に、あなたが幸せだと、例えば、あなたの → 配偶者の → 同僚の → 家族(!)が幸福を感じる可能性が6%高まるということでもある。

「6%の幸福」は、決して小さなものではない。ハーバード大学の研究では、年収が1万ドル増えても幸福度は2%しか増加しない。幸せになりたければ、収入を増やすよりも、幸せな友人を引き寄せる方が遥かに効果的だ。そして、幸福な人を引き寄せる最良の方法は、人を幸福にすることだろう。

身近な人間関係は、私たちが想像するよりも遥かに大きな影響を及ぼし合い、拡散する。誰かを幸福にするように行動すれば、その効果はほぼ確実に自分を含む自分の大切な人たちにもれなく返ってくる。

周囲の人を幸せにする手助けをすれば、結果として、それは自分自身に対する最大の投資になる。「情けは人のためならず」は科学的に証明された事実ということだ。金融不安、世界経済の混乱を控えた不況期に最も有効な投資は、これに勝るものはない。

ニコラス・クリスタキス著『つながり』 講談社 (2010/7/22)

【樋口耕太郎】

1930年、コーンフレーク製造大手ケロッグ社は、1500名の従業員の大半の労働時間を、これまでの8時間から6時間に変更した。ケロッグの狙いは、ワークシェアリングによる雇用の確保も然ることながら、「大量生産と大量消費による幸福の追求」という価値観に組しない経営を実現することだった。

ケロッグの社員はこの「2時間」を喜んで受け入れた。例えば朝9時出勤して、午後3時以降が自分の時間になる、という毎日を想像してみれば、ハタラクということの意味や人間関係や生活が根本的に変わることがわかる。

ケロッグ社員たちにとっても、家族や友人と共に過ごすことはもちろん、あたかも1日を2度楽しむような人生になる。女性は裁縫やガーデニングを楽しみ、隣人を訪ね、一緒に料理を作るようになった。男性は仲間たちとスポーツや狩りを楽しみ、図書館に行き、趣味に没頭した。

更に、ケロッグの6時間労働によって、社員が幸福になったというだけではない、労働生産性が飛躍的に向上したのだ。時間あたりに箱詰めされるビスケットの数が83箱から96箱になるだけではなく、間接費や事故も減少した。

この偉大な試みは70年前のことである。その後第二次世界大戦が勃発し、8時間労働を復活せざるを得なくなって現在に至るのだが、そもそも、1日の労働時間が8時間であるということの根拠はなんだろう?少なくとも生産性と全く無関係であることは明らかだ。

大戦によって6時間労働が中止された後にケロッグが実施した従業員アンケートでは、男性の77%、女性の87%が、賃金ダウンになるとしても週30時間労働を選ぶと解答した。

8時間労働が復活した後で、ある従業員はこう語ったそうだ「8時間労働になった時には、賃金が増えて皆が金持ちになると思ったけど、結局はそれほど変わらなかった。余分に働いた賃金も何かに消えてしまった。」

Kellog’s Six-Hour Day“, Temple University Press (1996/10/29)

【樋口耕太郎】

本土は厳寒・大雪ということで、さすがの沖縄も寒い毎日が続いていますね~。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

1月も終わり、2月に入ると明後日はもう節分ですね。
立春が一年の始まりだった昔は、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

でもふと思うに、年の初めには「今年こそ幸せに」とか、
「もっと幸せになれますように」なんて祈ったりするものですが、
あなたにとっての幸せって一体何でしょう…?

私は毎日のように家の前のアラハビーチをランニングしているのですが、
公園の遊歩道脇にクローバーがいっぱい生えているんです。
少し前のことですが、ふと目をとめると、なんと四つ葉のクローバーが!
これを摘むと、幸せになれるという言い伝えは有名ですよね。
それで麗王にいらしてくださる方々にもさしあげたいなと
捜索を試みてみたんです。
いざ這いつくばり目を皿のようにして探してみると、みつかりません。
幸せって、こんなものかもしれないですね。
探してもみつからない…。
ただ、この公園には、みつからないだけで、何枚か四つ葉のクローバーは
あるんですよね、きっと。
誰のものかなんていうことじゃなく、ただそこにある幸せって、
なんだかいいなぁ、と思ったことでした。

昨日の麗王では、東北大震災の被災地の子供達を沖縄に招いてあげようという
支援の会「ティーダキッズ」を立ち上げられた作家の奥野先生を中心に、
昨年の大震災からそろそろ1年になろうとしていますねという話となりました。
沖縄に住む私達はニュースやネットでしか状況がなかなかわからないものですが、
それでも被災された方々がどれほどの困難に立ち向わなくてはならないのかを
その度にあらためて実感します。
一瞬にして親を失った子供達。それだけでも受けとめるにはあまりに酷い事実
なのに、その両親を囲んでみんなで過ごした家、自分の大事な机、勉強道具、
自転車、一切合財津波はなぎ倒し、破壊し、海へと引きずり込んで、
すべてを奪っていきました。被災地のそうした子供達が笑顔で頑張っていたりする
映像などを見るにつけ、この子供達がどうやって生きていくのか想像も
つきませんでした。

それでも人間は生きて行きます。
ご飯を食べ、眠り、起きてその日の作業や仕事、もしくは勉強をします。
なんと強靭な存在なのでしょう。
生命があるかぎり、居なくなってしまった人の分まで生きようと決意し、
前に進もうとします。
どこから手をつけていいのか途方にくれるガレキの山にとりつき、
わずかに残った思い出の写真を探しだし、泥をぬぐって大切にポケットに
しまう人々。
たちはだかっているガレキを除き、道を確保し、泥を掻きだす人々。
子供達にはせめて勉強できる環境をと、すぐに学校を再開させました。
毎日の暮らしがままならない中での学校の再開は世界の人々を驚かせ、
感服させたのです。
身体の不自由なお年寄りは、体育館の凍るように冷たいであろう床に
じっと耐えて横たわっておられました。ひたすら静かに耐えて、
迷惑をかけまいとしておられたのです。それぞれが生きていくために
できることを精いっぱいしておられました。
生きるために自分にできること。生きているからできること。
そうしたことを誰もが直感的に感じ取って、
懸命にそれを果たしている。前に進もうとしている。
そのことに私は深く心をうたれました。
人間は苦難のどん底にあるとき、その苦痛とひきかえに本来の気高さを
とりもどすのでしょうか。

あれから一年ほどが経った今、誰しもが大なり小なりの不安をかかえています。
その根本には先の見えない福島第一原発の事故と放射性物質の飛散による
環境汚染があります。
東北や関東の方々は地震が今でもあり不安な毎日を送られています。
こんなに離れている沖縄の私達だって、野菜やお米は大丈夫なのかしら…など
不安はあります。
この先日本がどうなるのか分からない、というストレスだって。

でも生きている、のです。
だから生きている私達は、生きるために自分にできることをしなくてはならないし、
生きているからこそできることをしなくてはならないと思うのです。
なぜならば、生きているという事実そのものがすでに幸せなのだから。
津波で家族を流された初老の男性が
「いっそ自分もいっしょに流されてしまったほうが幸せだった…」と
おっしゃっていました。「生きるも地獄、死ぬのも地獄」とも。
これまで代々大切につないで、つくりあげてきた家族、家、畑。
すべてが一瞬にして奪われれば、「いっそ…」とも思われたのでしょう。
でも、きっとあの人は時間はかかるかもしれないけれど、顔をあげて、
生きているからこそできることをし始めておられると、私は信じています。
波にのまれていった家族の想像を絶する無念さと苦しさに思いが至った時、
絶対にあの人はそうされるのだと信じています。
なぜならあの人は生きておられるからです。

私は、生きていること、それこそが幸せなのだとあの震災を通じて知りました。
これまで、生きていることは当たり前で、そのうえでどう生きるかに
多くの時間とエネルギーを使ってきました。
でも生きていることはけっして当たり前のような安いものではないのです。
だからそんな暮らしは大きく転換すると思います。まずは生きていることの幸せに
感謝して、今日を誠実に生きることにしたいものです。
先が見えないから夢が持てない、何かを計画しようにもそんな気にならない、
そういう声もたくさん聞きます。
だったらいいではないですか。今日を生きていることの幸せをあらためて
かみしめてみてはどうでしょうか。そんな生きることへのまっとうな畏敬の念と
感謝の気持ちの積み重ねで、私達は必ずこの危機を乗り越えていくことが
できるのだと思っています。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方の北北西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、今日を生きていることの幸せを、心から願って。

【2012.2.1 末金典子】

あなたはどのようなお正月をお迎えでしたでしょうか。
私の方はといいますと、去年は目まぐるしくいろいろなことが立て続けに起こり、
年末にその疲れがどっと出てきたものか、なんと天皇さまもお患いになられた
という「マイコプラズマ肺炎」の軽いものに罹ってしまい、あともう少しで
お正月休みという時に麗王をお休みしてしまうという不祥事となって
しまいました。
ありがたいことに名医と噂に高い頼れる私の主治医の西平先生の
丁寧な問診と触診による診断で即座に治していただきました。
驚くほど注射の上手な看護師さんやハートフルな看護師さん達にも
とても感動しました。
心で働いておられる西平医院のみなさま、この場をお借りして
心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

ということでしたので、今年は例年のように普天間神宮までランニングで初詣へ、
というのはひかえて車で行ってまいりました。それでもあとはオーソドックスに
大晦日には年越しそばをいただき、紅白歌合戦を観て今やもうついていけない
流行歌のお勉強をこなし、おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともに
いただき、大好きな読書とDVDと思考と睡眠三昧で初夢も見たお正月でした。

さて、去年という年は、いつもの年よりも本当にいろいろな想いを経験し、
たくさんの学びを得ました。
辛いことや哀しいこと、悔しいこともありました。
もちろんたくさんの喜びも。
その中で私の性格からいってとても難しい学びとなったのが、
誤解されてもなじられても、言い返さず弁解せずにじっと相手のことを想い
思考し、時を待つということでした。
かなり落ち込みました。自分も責めました。なにより哀しかった。
そして経緯を辿りずっと考えました。
なぜなら以前にも書きましたが私のモットーは、悩みは心で悩まず、
頭まで引きあげてしっかりと考えることだったからです。

そして年が明けたある爽やかな朝、私は突然に悟ったのです。
「自分の人生は自分のものだ」と。
人のために、人のお役に立ちたいと生きているつもりになっていても、
結局それでさえも自分のために生きているのだと。当たり前のことなのですが。
愛と善意による自分の気持ちから発したことであっても
いろいろな要素で複雑なことにもなってしまう。けれどその結果もまた
全部自分の責任であり学びなのです。ならば、その責任を負うために
必要なことがたくさんあるけれど、ひとつづつでもクリアしていけばいいのだ、
それが自分のためなのだ、そう決心したのです。

自分の生活について、どこまでが外から思い込まされているものなのか、
そうでないのか。
私は時間をかけてひとつひとつ考え、今も考えています。
備えすぎてもだめだし、見ないように目をふさぎすぎてもだめなのです。
自分だけのためにカスタマイズする自分の人生。
今回その過程で気づいたいろんなことに私ははげまされました。
筋肉といっしょで、心も毎日鍛えれば、強くなっていくのです。
人に力をあずけてはいけません。
力は合わせるものであって、あずけてはいけないのです。
どんなに尊敬する人でも、愛する人でも。

一歩外に出たら、いや、実はうちにいても、人生はいつどこでなにがあるのか
わかりません。
このあいだ会えた人ともう会うことがないことなんて、あたりまえのことなのかも
しれません。
かといってぎゅっと握っていたら、なにもできません。
そのさじ加減。風に乗る、波に乗る。判断する。
そんな本能をいつでもとぎすませておきたいものです。
ぎらぎらと、あるいはたまにはのんきに。

プーケットで津波があったときにそこにいた方のお話なのですが、
その津波の朝バス停でチケットを買うときに、ふと思ったそうです。
「昨日も海を見たから、なんか、やっぱり、今日は山にしよう。」
そしてチケットを変更して、助かったそうなんです。
そんなふうに、行き当たりばったりに、野性の力はふってきます。
もし判断を失敗して死んじゃうときが来たら
「あちゃ~、はずしたか。自分もここまでだったか!」
とだけ思えるくらいに、せいいっぱい生きたいものです。

あれを食べなさい、これを食べなさい、
これを買いなさい、これを捨てなさい。
ありとあらゆる情報のあふれる海を、私達は泳いでいきます。
あくまで現実的でありたいなと思います。
なんでも想いや念じる力で解決したりするのもいやだし、
お金の力で解決するのはもっといやです。
目の前にお年寄りがいたら手伝い、小さい子がいたら大事にしてあげたい。
多少合わないなと思う人でも話を聞いてあげたいし、うるさすぎたら
「うるさいよ~。」と普通に言いたい。

あの爽やかな朝、確かに感じていた気持ちを裏切らない人生にしようと思います。
スタートは遅くとも、何歳からでもどんな状況でも取り戻すことはできるのです。
夢物語ではありません。
同じことをしようとしている仲間はきっと世界中にいるし、
動き出せばいきなり出会い始めるはずです。
人生は思い通りになんかなりません。
だったらその苦しい流れの中で泳げばいいのです。
意外なことがやってきたら、自分がどういうふうに対応するか、興味しんしんで
見ればいいのです。
泣くのか、笑うのか、あきらめるのか。
それが新しい自分なら祝ってあげればいいのです。
今日から、ひとつだけのことからでも、はじめられます。
命はひらかれているのだから。

さぁ、新しい年です。
新しい自分も始まります。
一緒にお祝いいたしましょう。

あけましておめでとうございます。

【2012.1.10 末金典子】

一時の寒さも少し和らぎましたね。
あなたはいかがお過ごしでしょうか。
今年もこうしてあなたに、一年最後のお便りをお届けできることを
心より嬉しく思います。ありがとうございます。
今年もなんとか一年を乗り越えられました。一歩一歩ゆっくり歩むこと。
このような歩みが麗王にいらしてくださるあなたと共にあることを
心からお祈りいたします。

去年の最後にお便りを書かせていただいた日からあっという間に
もう一年が経とうとしているんだなと、今日はことさらに感慨を深くしました。
大地震と津波、それに原発事故のことなど誰も思いだにしていなかった平和な
昨年の暮れの日々が確かにあったのです。

1970年代にオイルショックというものがありました。
そのとき、トイレットペーパーや洗剤などの物資不足、省エネ対策、節電など
今と変わらない現象が起きました。当時も社会のいろいろな仕組みに対しての
戒めだと感じました。けれど、そのときの気持ちを私達は忘れてしまって
いたのではないでしょうか。神様は、人の行くべき方向が間違っていると、
バランスをとるかのように向かう道を変えさせるのでしょう。
ですから、神様からの試練のような出来事に直面したら、とにかく知恵を
働かせて何か行動することが大切です。誰かが助けてくれることを
待っているだけでは何も始まりません。今いる場所から少しでも前へ。
たとえ失敗したとしても、いつか次のステージにたどりつくことができると
思います。そしてそれがきっと美しい未来につながるのだと信じています。

私の場合の何か行動することとは、「食を守る」いうことでした。
農薬、化学性の添加物、放射能など私達の体を作る食がどんどん劣悪なものに
なっていっているなか、ご縁あって立ち上げた有機無農薬野菜を生産・販売する
会社が「ダイハチマルシェ」でした。大八産業さんの事業再生も無事終えた今、
この会社は来年から玉城勉さんにバトンタッチされ運営されることになります。
その会社の入社式にお招きした大城さん御夫妻から記念のプレゼントとして
サボテンをいただきました。
ほんの少し前まで、私の最も好きなお花といえば白バラでした。
真っ白な凛とした美しさが大好きでした。ところがこの日以来、サボテンの
存在感に心を奪われるようになりました。
サボテンは健気です。人の手をわずらわせることなく、たとえ水分が少なくても
自力で生き、雨が降ればきっちり水分を蓄え、ときにはきれいな花だって
咲かせてしまう。実に力強く、一生懸命な感じがしませんか?
人からいろんな面倒を見てもらわないと生きていけないような華麗な花は、
今の私の気分にフィットしないのです。生き方だってそう。
誰かをあてにして頼って生きていくような生き方は少しも素敵ではありません。
誰もが自分のことは自分で守る。そして周りの人をも助けられる人に
なりたいものです。

自然災害、経済恐慌、国際紛争、テロ…何が起こるかわからない今、この時代に、
私達はどう生きるかを問われているのではないでしょうか。何が起ころうと、
覚悟を決めて生き抜かなくてはなりません。
なぜなら、それは今私達が生かされているから。なぜ自分が生かされているのか、
どう生きるべきなのか、それを一生懸命考えることです。
生き物としての緊張感を持って生き、何が自分にはできるのかを問うこと。
生きにくい時代ですが、それを社会のせいや政治のせい、誰かのせいにしても
何も生まれないし、答は出ないのです。自分ができる範囲のことから、
まず何か行動を起こすことです。
私は、何事も前倒しに行い、すべきこと、できることは後回しにせず、
何かあっても後悔しないように生きようと思っています。

さて、今年の初め、「麗王」という店がいらしてくださる方々にとって、
どのようなものでありたいかをあらためて考えました。
ひとつはお話をじっくりと心で聞いてさしあげること。
小さな心の機微にも気づいてあげることができること。
少し肩を押してあげることができるように。
そして、なによりも愛を持ってあなたの心をあたためられるように。
いらしてくださればくださるほど、安らぎとあたたかさを感じられる場所で
ありますように。
今は人の集う場所はたくさんあります。そういった中での「麗王」の役割は、
日々のちょっとした折にいらしてくださったときに、ほっとするような、
少しだけでも世の中の騒音を忘れさせてくれるような空間でありたい。
あなたの心をあたためられる場所でありたい。
そのような想いをこめて、今年一年「麗王」で立ってまいりました。
今年も本当にありがとうございました。
会社設立などいろいろとバタバタしオープンが遅くなったり大変御迷惑を
おかけしてしまいました。それでもなお今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、来年はまた軌道修正しがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

来年こそ平穏な年でありますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

【2011.12.21 末金典子】

あっという間に年末ですね。早い~っ!
もうこうなったら忙しささえ楽しんじゃいましょう!

さて、その忙しい今週の週末の土曜日に、米空軍エアフォース・サービス部門と、
麗王でもお馴染みの西原くん率いる「沖縄美少女図鑑」の沖縄テクスファームと、
私や樋口さん玉城克明・勉くん下地くんで立ち上げたダイハチマルシェとの共同事業で、
米軍エアフォースの知花ゴルフ場のロータリーにて、なんと沖縄初の!
「オーガニック・ファーマーズ・マーケット」である「オーガニックタウン」を開催いたします!
ダイハチマルシェの有機無農薬野菜&
私の「無投薬・刀根鶏の、プレミアム・カレークリーム煮」や、
なんとスペシャルゲストとして、奈良県から今全国的にブレイクしている
サンドイッチが有名なパン屋さんの「ミアズブレッド」が、
コザからは沖縄一のパン屋さん「ザズー」が…
というように沖縄でもピカイチのオーガニックなカフェやレストランや雑貨店が
ずらりと勢ぞろいする一日限りの夢のコラボレーションとなっています。
11月にプレオープンしたのですが、エアフォースのアメリカンは
オーガニックに対する意識がとても高くて、お野菜の価格も見ずにお買い物かごに
ばんばん入れて購入してくださり、1個410円する有機無農薬りんごが
飛ぶように売れ、私のお弁当も好評をいただきました。
今回は米エアフォースの一万人規模の大クリスマスパーティーで大々的に
告知してありますし、米軍もかなりの予算をかけて宣伝していることもあり、
お客さまは8割方アメリカ人と想像していますが、琉球新報にて水曜日に告知を
行いますので日本人の方もたくさんいらっしゃるかもしれません。
どうぞこの機会をお見逃しなきよう
ぜひぜひ遊びにいらしてくださいね!

日時   12月10日土曜日 午前11時から午後5時頃まで
場所   米空軍知花ゴルフ場のロータリーにて
(通行パスなしで誰でも入れます。米空軍嘉手納基地ゲート3向かい、
沖縄市知花の東南植物楽園入口近く)

*********

出店舗

ダイハチマルシェ
ミアズブレッド
Zazou
ごはん屋de SU-SU-SOON
オーガニック市場てんぶす
Ploughmans lunch bakery
Dosha
私の部屋
ラ クッチーナ
ふろふき屋

など。

え~~っ、今年ももうはや忘年会シーズン!?
なんと一年が過ぎるのの早いことったら!
わたくし的にもこの11月はネットショップ「ダイハチマルシェ」をオープンし、
先週末は米空軍とのファーマーズマーケット開催と、
コザでの「空中タウン」出店が連日続き随分とドタバタしておりましたので、
明日の勤労感謝の日の祝日はほっと一息でなんだかうれしい感じです。

そのファーマーズマーケットの日はあいにくの雨模様でしたが、
米軍内で前もって大きく宣伝してくださっていたおかげで
たくさんのアメリカ人の方達がいらしてくださいました。
エアフォースのアメリカンはオーガニックに対する意識がとても高く、
お野菜の価格も見ずにお買い物カゴにばんばん入れて購入してくださり、
1個410円する有機無農薬りんごが飛ぶように売れました。
私の「プレミアム紅豚しょうが焼きお弁当」も好評で、ある御夫婦などは
「ごはんはいいからしょうが焼きだけおかわりください」
「このソースはどうやって作るの?」「じゃあ、そのしょうがも買いたい」
などと言ってくださりとてもうれしかったです。

また、次の日は麗王でもお馴染みの沖縄美少女図鑑を立ち上げた西原くん達の
プロデュースによる「コザ空中タウン」がパルミラ通りであり、これまた
すごくたくさんの方達がいらしてくださいました。沖縄テクスファームさんの
御尽力には本当に頭が下がる想いでした。
こちらでもお野菜はたくさん売れたのですが、私のお弁当がわずか2時間で
限定32食分売り切れてしまい、急遽自宅に戻り追加の仕込みをし、また2時間で
完売してしまうほどの好評をいただきました!
お休みの日にわざわざ寒いなかをいらしてくださったみなさんの
温かいお気持ちに胸が熱くなりました。
本当に本当にありがとうございました。
初めての街頭での調理や販売でしたが、いつもの仕事では味わえない「働く」
ということのとても大きな学びや気づきをいただくことができました。

さて、明日は勤労感謝の日ですね。
一昔前は、「親の決めたレールにのるなんて絶対イヤ!」という言葉にまだ
リアリティがありました。とくに世襲制の仕事が多く残る関西で生まれ育った
私にとっては若いころ、この言葉を叫んでいたお友達が何人もいます。
かくいう私だって母が大阪で老舗のレストランを家業としていたために
子供の頃からいつも家に帰るとお手伝いばかりさせられて
「私は大きくなったら絶対商売人になんてならない!」と決めていたものです。
今から考えてみると、なんと幸福な時代だったのかしらと思います。
要は、まだ子供の人生の「レール」を親の世代が決めることができると
信じられていて、反抗することもできたのですから。
それが今は終身雇用制もアテにならず、伝統的な産業を支える産業構造も、
がらりと変わっていて、親が考えるような安定した「レール」など
存在しなくなっています。
つまり、好むと好まざるとにかかわらず、一人一人が自分自身のキャリアを選び、
進んでいかなければならない、そんな時代になった、ということなのでしょう。
キャリアとは生涯の仕事とか経歴というような意味ですが、
その語源をさかのぼると「車輪のついた乗り物」という意味があるそうです。
これは、とても面白いなぁと思うのです。
人の運命とは車輪のついた乗り物に乗って運ばれて、
浮き沈みを繰り返すのだなぁと。
日本語の運命という言葉をみても、「命を運ぶ」のが運命ということに
なっていますよね。
前の世代がひいてくれるレールなど存在しなくなった今、私達のキャリアを
導いてゆく運命の車は、列車や高速道路のようなものではなく、むしろ、
海を進む船のようなものなのかもしれません。一度一度の舵取りは大変かも
しれないけれど、それだけに私達は自由に、そして思い切った方向へと自分の
キャリアを進めてゆくことができるのです。

ただ、自由になったらなったで、何をしたらいいのかわからないという人達が
増えてきてもいます。
大学教授であり「日本はなぜここまで壊れたのか」を書かれた作家の
マークス寿子さんはこう警告なさっています。

地方の高校を卒業して東京や都会の大学へ入ろうという子供の数が
減っているという。特に勉強のできる子供達が、高校を卒業したら
大して勉強しなくても入ることのできる地方の大学に入ればいいと考える子が
多いという。親元を離れて、知らない大都会で暮らそうという意気込みが
なくなっている。無理しなくてもいいよ、楽にやろうよ、と考えている。
若い時の冒険心や向上心を刺激するものが生活から失われてしまったことも
理由にある。東京にあるものは何でも地方にある、テレビかケータイで
何でもわかる、見える。「便利」を基準にする限り、親元を離れる理由も、
独立する理由もない。
また親の方も概して「放任」で、子供に「自由にやらせます」
「好きなことをやらせます」ということもあり、勉強しなくても入ることが
できる大学に入り、楽に単位をとることができる授業をとって卒業して、
そのあとの就職は地方でするわけで、フリーターや派遣の人もいる。
親の家があり、車も買ってもらえて別に食うに困るわけじゃない、
そんな生ぬるさの中で何かをしようなどという意気込みや好奇心はどこから
生まれるのだろう。生まれるわけがない。
がんばって、苦しくても負けずに、歯を食いしばってやりなさい、などと
親や先生に言われる子供はラッキーな子供なのだ。多くの子供はぬくぬくと
育てられ、お腹いっぱい食べて、何の努力も要らない生活に慣れて、
そんな生活を失うことは恐い。それでいて、心は、気持ちは満たされずに、
もっと何かあるはずだ、興奮してワクワクすることがあるはずだと思っている。
それがプロ野球やサッカーチームの応援であるうちはいいが、
そこに落ち着くのはもっとあきらめが積もってからだ。
東京にはふるさとがないとかつて人は言った。人々がふるさとをすてて
東京へ働きに出た時代、そんな時代はとうに終わった。今や、地方にも田舎にも、
ふるさとがない時代になった。愛する村、田圃、山、川が失われた。
「愛する場所」がなくなっただけでなく、「愛する人」「愛する家族」も
なくなったようである。自分の家族のことを「唯一愛する人々」
と言えない人間が増えて、居場所と人間の絆とするべきことを失ってバラバラに
流動していく人が増え続けている。

折角レールなんかない時代に好きなことをできるのだもの、
がむしゃらに、がんばって、努力して、精いっぱい自分の道に邁進しなければ!
ふにゃふにゃのわびしい人生になってしまいますよ~。
レールがないのだからお手本がないのは当たり前。
自分自身の人生を創造的に生きるのみ!なのです。
疲れたらたまに休憩すればいいんだから。
不安と創造性は背中合わせ。
あなた自身の運命のキャリアを大胆に築いていっていただきたいと思います。

そして。
「働く」とは、はた(周りの人々)が、らく(楽)になるということ。
労働だけにならず「はた・らく」気持ちを忘れたくないものですね。

少し寒くなってまいりましたがどうぞお身体御大切に――。

【2011.11.22 末金典子】

少しひんやりしてまいりましたが、お元気にしていらっしゃいますか?

明日はボジョレーヌーボー解禁の日ですね~。
麗王が自信を持ってお取り寄せした今年のヌーヴォーは、1982年の世界で初めて
EUオーガニック認証を獲得したドアットさんの「シャトードボアフラン」で
酸化防止剤も入っておりませんので安心してお召し上がりいただける逸品です。
ぜひ今年のお味をお試しになってみてくださいね。

さて、私は15年間コザの街に住んでいたこともあってか、
なんともちゃんぷるーなコザの街や人が大好きなんです。
でも今のコザは残念ながら昔の勢いや賑わいがだんだん減ってしまって、
なんとも寂しい限り。そこで、麗王でもお馴染みの「沖縄美少女図鑑」を
立ち上げたテクスファーム・西原くん達がコザを活性化しようと
コリンザの屋上などに沖縄じゅうの元気と個性と話題性のあるショップを
一堂に集めた「空中タウン」をこれまで開催してきました。
そのコザ「空中タウン」が今回はレンガ敷きのパルミラ通りに場所を移し、
(コザ・パークアベニューを入って1本目の左に入る歩道)
フード・ファッション・雑貨などの22店舗と桜坂市民大学も出張し、
20日の日曜日に賑やかに開催することとなりました。

そして、今回はわれらが「ダイハチマルシェ」もたくさんの有機無農薬野菜と
私の「プレミアム紅豚しょうが焼きお弁当」と
有機無農薬フルーツジュースの店を出店いたします!
この日曜日はぜひぜひコザの街まで遊びに来てくださいね。
時間は12時~20時まで。
無料駐車場はコリンザ前にありますし、有料駐車場でも1000円以上のお買い物を
してくださった方には1時間無料券を差し上げます。
詳しくはこちらまで

【2011.11.16 末金典子】

*   *   *   *   *   *   *   *

今週はダイハチマルシェのイベントが目白押し。
明日19日土曜日(コザ・パルミラ通り空中タウンの前日)には、
米空軍知花ゴルフ場のロータリーにて(通行証なしで誰でも入れます。
米空軍嘉手納基地ゲート3向かい、沖縄市知花の東南植物楽園入口近く)
ダイハチマルシェ・米空軍の共同開催によるファーマーズ・マーケットが
オープンします。時間は午前11時から午後4時頃まで。

19日のイベントは、ダイハチマルシェ・沖縄テクスファーム・米空軍が共同で開催する
沖縄初の本格的なオーガニック・ファーマーズ・マーケット(12月10日土曜日)
の立ち上げを控えて、その「ベータ版」としてスタートするものです。
今回マーケットとしての集積規模は小振りですが、大八産業がアレンジする
有機野菜の品揃えは、圧倒的に沖縄県内随一です。

多様な有機野菜に添えて、1日32食限定の、
ウルトラ・スペシャル・スーパー・プレミアム!紅豚の有機しょうが焼きお弁当。そして、
市場では殆ど入手できない完全無農薬、完全無添加、
もちろん濃縮還元ではないストレートのフルーツジュース
(アップル・グレープフルーツ・オレンジ)をご提供致します。

プレミアムお弁当のメイン食材「おきなわ紅豚」は、私が知る限り、現在沖縄で
商業的に入手可能な再高品質の豚肉ですが、生産者の喜納さんは、
沖縄最大の有機生産グループ「しまぬくんち」のメンバーでもあります。
その品質を活かすためには、残りのすべてが一級品でなければなりません。
有機醤油、有機しょうが、ミネラルをふんだんに含んだ県産粗糖、
沖縄の海水100%を原料とした塩などなどなど・・・、調味料の細部に至るまで、
入手できる限り最高品質の素材だけでご提供します。
そして、お米は、「全国米・食味分析鑑定コンクール」4年連続金賞受賞、
「あなたが選ぶ日本一美味しい米コンテスト」3年連続最優秀賞に輝く「龍の瞳」
街場でも、ホテルでも、その他いかなる場においても
これ以上の食材を使用した弁当は存在しないと思います。
お弁当は1200円、オーガニックジュースは500円、
ドル・円双方利用可能です。

farmers-market(pdfダウンロード)

【2011.11.18 樋口耕太郎】

毎週水曜日、農場で泥まみれになってハタラク援農プロジェクトを始めてから約5ヶ月が経過した。毎週畑でハタラクたび、大きな気付きやインスピレーションや学びを得ることにいつも驚かされる。私の先週のインスピレーションは生産性ということについて。今までで最も生産性の高い一日だったからだ。

僅か4名、実労5時間、延べ20時間の労働で、実に1000坪(1/3ha)をゆうに超えるジャガイモ畑の植え付けを完了した。ひと畝に400個の種イモを植え付け、それが約30畝、1万2000個の種イモだ。4ヶ月後の収穫までに、これが仮に5倍に増えると6万個のジャガイモになる。

収穫したジャガイモ、一個平均200グラム、卸への売値が40円だとすると、20時間相当の労働で、実に240万円前後の売上を作ったことになる。単純に計算して時給12万円、年間2000時間労働に換算すると、一人あたり2億4000万円の所得になる。

もちろん、誰もこのようなペースで働き続けることは不可能だし、畑のコンディションや耕作面積の制約や天候や作業の段取りやチームワークの問題などなど、単純計算のとおりにはならないのだが、それにしても、この生産性の異様な高さはなんだろう?

一般に、農業は生産性の低い産業だと理解されている。毎週畑に出て、知力と体力を総動員して全力で農作業の試行錯誤をしながら、私はこの常識はまったく根拠がないものだと確信するようになっている。

日本の農業は弱いから保護しなければならない、補助金を与えなければならない、自由競争経済から保護しなければならない・・・。政治経済のすべてはこの前提によって立つのだが、仮に、その前提がまったく恣意的なものだとしたらどうだろう。

例えば、現在大きな議論となっているTPPの問題も、まったく異なる前提で、まったく異なる合理性に従った、まったく異なる議論が可能かも知れない。それどころか、日本の政治経済の前提が根源から転回する可能性を秘めているのだが、そのヒントは、毎週訪れる畑の中にある。

着眼大局、着手小局。日本の政治経済やマスメディアの表舞台で農業を語るよりも、心の通った仲間と畑に出て、自分自身の知力と体力の限界に挑みながら生産性を追求する方が、本当の解に近いような気がしてならない。

農業の現場に深く関わって分かったことは、農業とは驚くほどの生産性をもった業態だと言うことだ。考えてみれば、種を蒔いて4ヶ月で収穫。初期投資を殆ど必要とせず、僅か4ヶ月後に現金で回収、しかも、一粒の種から(作物によるが)100倍以上に増える産業など他に存在しない。

一般的な農家は経営学を学んでいる訳でもない、財務に明るい訳でもない、しかし、何十年もその業を営むことができる。裏を返せばそれほど事業的に安定し、生産性が高く、運営が容易な産業なのだ。

どんなハイテクIT企業、金融工学、投資、製造業、サービス業を見ても、これに比するだけの恵まれた事業形態を探すことは容易ではない。そういう目で見ると、確かに飲食業など、毎日のように廃業する業態と比べると、農家の廃業率は非常に低いと言えるだろう。

最大の問題は、農家であれ、農協であれ、行政マンであれ、政治家であれ、農業に関わる殆どすべての人たちが、「農業の生産性は低い」という世界観を持っているということではないか?

先のジャガイモの植え付けの莫大な生産性を見て、端で見ていた農家や「農業の専門家」たちはただただ驚愕していたが、私に言わせれば、いわゆるきちんとした大手企業や、市場で先端を走るビジネスの世界で、当然になされている原理と知性とチームワークを発揮しただけの話なのだ。

本来は、生産性の著しく高い農業に対して、生産性が低いという常識(世界観)を持って対処すれば、著しい余剰価値が生まれて、逆に誰も働かなくなる。結果として、現場(農家)の生産性が著しく低下するのは当然の原理なのだ。

こんなことを言えば、批判を受けるかも知れないが、農業の生産性が低い(ように見える)のは、農業そのもののせいではなく、農家の(世界観の)せいだ。農業の生産性が低いという世界観で仕事に向かえば、そのイメージは現実になり、確かに「生産性の低い農業」が生まれる。

その「現実」を所与として、社会の枠組みを構築すると、現代農業と現在の我々の社会のようになる。次世代農業の解が、既存社会のパラダイムの外に存在すると私が考える所以である。

ダイハチマルシェ便り「躍進を遂げるじゃがいも隊」http://t.co/EjuEO6GJ|たかが植え付けと思うなかれ。農業生産の大原則は、植え付けの量を決して上回ることはできないということ。植え付けをどこまでも追求するということは農業生産の本質のひとつでもある。

【樋口耕太郎】 (2011年11月6日のツイッターより)

爽やかな秋晴れの毎日ですね。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

週明けはハロウィンです。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには、子供に帰って遊ぶ、童心に戻るということは大切なことかも
しれませんね。

さて、この童心に戻るということは、初心に帰ることにも繋がります。
私はいつも自分のモットーである「初心の気持ちを忘れずに」仕事をしている
つもりでいたのですが、先日とても大きな学びの機会を得ることができました。

沖縄一のクラブである「絹」のナンバーワンと評判の高い、私のお友達でもある
郁子さんはよくお仕事が終わった後に麗王にお顔を見せてくださいますので
御存知の方も多いのではないでしょうか。
その郁子さんが先週お誕生日を迎えられました。
いつもお世話になっている私としてはこんな時ぐらいにせめてもの感謝の
気持ちをと想い、この日は郁子さんに何十もの花束が届くのですが、
その中でも一番大きく品のある花束を贈ろうと、昨年は沖縄一のお花屋さんと
呼び声が高い「ディテイルフル」さんからお贈りさせていただきました。
でも今年は、麗王のお客さまで親御さんのお花屋さんを継がなければ
ならないことになった女性に、彼女への応援の意味も込めてお願いすることに
したのです。
その女性は初めての特大の花束を作製するということで、プロの方にアレンジを
相談されたり、郁子さんのイメージを実際会われた印象やお写真などから
膨らませ、旦那さまと一緒に仕入れに出向き、一生懸命花束を作って
届けてくださいました。
ところが私への領収書は贈りたかった金額よりも5000円安い金額。
訳をおうかがいすると、私への思いやりのお気持ちから少し少なめに作製し
おまけに値引きまでしてくださったとのこと。ありがたいなという気持ちの半面、
郁子さんへの想いの表現が小さく届いてしまったな、どうしようという気持ちが
半面でした。そこでその女性に感謝の気持ちと共に、残念の気持ちも正直に
お伝えしました。するとその女性は怒るどころか私の説明を冷静に
受け止めてくださり、
「典子さんへの感謝の気持ちを優先して考えてしまい、その先にある典子さんが
感謝したい郁子さんへの思いやりにまで考えが及んでいなかったと思います。
申し訳ありませんでした。」
との大変意識の高いメールまでくださり、逆に私もまた自分のコミュニケーション
不足を反省しお詫びをしたことでした。
すると、お花を贈った次の日のこと。
郁子さんが「典子さん、昨日はお誕生日のお花をありがとうございました」と
メールもくださっていたのにわざわざ麗王に5人でいらしてくださいました。
私は正直にお伝えしようと思い、
「郁ちゃん、昨日はごめんなさい。いつもの感謝の気持ちを特大の花束で
表したかったのに、善意の気持ちの行き違いから小さめの花束に
なってしまいました。本当にごめんなさい。」
と謝りました。すると郁子さんがこう言ってくださったのです。
「とんでもないことです。典子さんのイメージより小さくとも、充分に大きな
花束でしたし、何より、今回のお花、何故だかすごく感動してしまいました。
ありがとうございました。」と。
つまりは、いつもの一流店なら値段どおりの手馴れたプロらしいものを
作ってくださったのでしょうが、今回お願いした女性は不慣れではあっても、
一生懸命郁子さんをイメージし、仕入れも郁子さんのためにわざわざ出向き、
思いを込めて作製し、その工程をずっと見守っていた旦那さまが届けてくださった。
その想いが花束にプラスアルファとなって郁子さんに届いたのではないかと
思うのです。
私もつい想いの表現を値段で、と安易に考えていたのです。
このお花屋さんの女性のように「想いを込めて仕事をすること」の大事さを
改めて学んだ出来事となりました。

仕事には、「勤め」と「努め」という二つの意味があるとおもいます。
「勤め」とは、いわゆる会社や、何かしらの団体や組織との契約によって
与えられる仕事を、一生懸命やりとげること。
ここには必ず契約というやりとりがあるので、金銭が発生します。
わかりやすくいえば、社会との関わりのなかで、お金のために健全に働くことが
「勤め」ということ。一般的にいわれている職が「勤め」です。
「努め」とは、日々の暮らしと仕事を支えるべくして、自分から創造し、
精いっぱい果たすこと。
金銭は一つも発生しない行為です。たとえば、家庭の主婦の育児、家事などは
「努め」です。また、社会の一員の役割として、健やかであること、
いろいろなことを面白がったり、しっかり休息をとること、すなおで勤勉で
あること、見返りを求めず人をおもいやるといった心の働きも「努め」
でしょう。
つまりは、誰にとっても「勤め」と「努め」があるのです。

でも、人それぞれで「勤め」と「努め」のバランスは違うもの。
一般的なサラリーマンは「勤め」が7割、「努め」が3割くらいでしょうか。
専業主婦なら「努め」がほとんどで、「勤め」はわずかかもしれません。
そしてこの二つは、均等にはなかなかできません。
ただ、大切なのは、「つとめ」の空白を作らないことではないでしょうか。
たとえば「勤め」が5割で、「努め」が1割、どちらでもない空白が4割
というのはよくありません。やることがひとつもない。うっかりすると
そうなりがちだから恐いのです。

たとえば、今、職を失っている人もたくさんいらっしゃいます。
そんなふうに「勤め」がおもうままにいかなくても、「努め」はあるでしょう。
そこで自分の「努め」とは何だろうかとしっかり考える。
そんな自分の「努め」を大切にして一生懸命に果たしていれば、
今はなかなかうまくいかない「勤め」の補いができますし、
いつかまた来るであろう「勤め」の時のために何かを学ぶこともまた
「努め」なのだということになるのだと思います。

もしくは逆に、必要に迫られて仕事漬けになってしまい、
家庭や自分の暮らしを犠牲にせざるを得ない人もいらっしゃいます。
「努め」が果たせなくても、今は「勤め」の時なのでしょう。
そういう時期は誰にでもあるものです。休日に、少しでも「努め」を果たそうと
すればいいのではないでしょうか。

自分にとっての「勤め」とは何か。「努め」とは何か。
それを一度考えてみましょう。
そして、今の自分の「勤め」と「努め」のバランスを冷静に自覚することが大事
ではないでしょうか。
「勤め」と「努め」。どちらも生きてゆく上で大切な「つとめ」です。
何があろうとも元気を出して「つとめ」ていきたいものです。
しっかりと「勤め」、ていねいに「努め」を果たしたいと、今回の花束の一件で
初心に帰ったことでした。

さぁ、週明けのハロウィンの日には、子どもの時の気持ちに帰って、
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と
わいわい楽しんじゃいましょう!
私も魔女に変装しハロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

【2011.10.27 末金典子】

折角の連休でしたのに、なんだか中途半端な台風がちょろちょろしていて
計画がだいなしになってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
とにもかくにもあなたはのんびりお過ごしになられましたでしょうか?

ここのところは暑さも随分マシになりようやく秋の気配がしてきましたね。
私の住む北谷のアラハビーチ前のアパートメントは、真夏以外なら冷房いらず、
扇風機いらず。海側の西の窓とベッドルームのドアを開け、
東側にあるリビングルームの窓を開けると、気持ちのよい風が、サーッと一気に
吹き抜けます。風通しのよさは快適性に欠かせないものです。
圧迫感のあるものをなくし、風の通り道をつくると一気に風が通り抜けて行きます。
片方の窓だけ開けても風は入りません。
どんなことでも出口を作らないと入り口から入ってこないのです。
道をつくってあげることが風を感じる第一歩。

そこでふと思い出したのは、水泳のレッスンを受けていたときのこと。
昔私が泳げなかったのは、息継ぎが上手にできなかったからなのですが、それは、
息を吸うことばかり考えていたせいでした。
息継ぎのポイントは顔を水面に上げると同時に口で息をふっと吐くこと。
そうすると自然と息を吸うことができます。息継ぎは吐くことだけを考えれば
できるようになる。これは大きな発見でした。
これもまた風と同じ、何事も出口がないと入って来ないのです。

手に入れることばかり考えていては何も手に入らない。
きっと何でもそうだと思います。
私がよく使う喩えなのですが、
両手に荷物を持っていては、次なる新しい荷物は拾えない、と。
つかんでいるものがあったら手放してみましょう。
空っぽになった手の中に次のものが入ってきます。
捨てること、出すこと、デトックスをすること…。それはとても大切なこと。
運気もお金も健康も、風通しを良くすることが重要なのだと思います。

またそうなると人生がどんどん変わり始めます。
私はよく思うのですが、人生というものは、突きつめていくと
いつも二者択一の連続だな、と。
どうすべきか迷ったとき、答が見つからないときは、その悩みを分析していくと、
結果、ふたつの選択肢に突き当たるはず。
その何かと何かのどちらかをチョイスすれば前に出られるようにできています。
そのひとつひとつの選択が、パイ生地のようにミルフィーユケーキのように
層になって未来を大きく決定づけていくのです。
すべては自分で決めたことの積み重ね。
そう思うと、やはり大切なのは小さな毎日の決断。そして今この瞬間、なのです。

それから、何事も自分の意思で決めていくこと。
自分の小さなプライドや決め事、他人の視線などにとらわれず、
自分の心がのびのびとできるように、自然体で風通し良く、快適に生きることを
日々大切にして、迷ったときには自分で考えながら選択していきたいものです。
そうすればどんな未来も後悔しないはずです。

明後日は秋分の日。
あなたの心にやさしい秋風を通してみてくださいね。

そして、
今日を人生の最高の日にしてくださいますように。

【2001.9.20 末金典子】

1.背景

有機農業はもともと生産が安定せず、膨大な手間がかかる上に、生産物の売買市場が未成熟で、国や公共団体からの支えも事実上存在せず、社会からは異端扱いされて孤立するなど、強い情熱を持った有機農家であっても、生活を成り立たせることは容易ではありません。沖縄県の農業生産920億円のうち、野菜、果実、穀類の生産額は200億円。これに対して有機生産額は推定2億円、全生産額の1%に過ぎません。安売りが最優先され、品質が殆ど評価されてこなかったこれまでの市場で、割高な有機野菜を販売する努力は並大抵のことではありませんでした。沖縄の有機農家も、公務員などを定年し、年金を受け取りながら生産活動を行うのが一つの典型で、純粋に有機農業だけで採算が取れる農家は少数です。これまでの有機農業は、①生産者数も生産量も僅かで、②市場が値段だけを見て質を評価してこなかったため、流通・換金が困難で採算が取れず、③社会的な理解と認知が少なかったために、孤立した、極めてマイナーな産業でした。

一方で、資本原則と競争原理によって経済成長だけを追い続ける現代社会のあり方が、人間の体と生理機能を蝕んでいることは周知となりつつあります。スーパーなどで流通している大半の食材の生産・加工過程では、大量の農薬と添加物が複合的に利用されていますが、その殆ど唯一の理由は、企業や生産者が利益を確保するためであり、消費者の健康には「問題ない」の一言で全てが片付けられています。昔は殆ど聞かれなかった、花粉症、アトピー性皮膚炎、精神疾患、生活習慣病などが無視できないほどに広がりを見せていますが、その主因が食事を中心とした社会のあり方そのものにあるのではないかと疑う人は確実に増加しています。医療の進歩によって、世界一の高齢化社会を実現した日本ですが、その約半数は病人です。病院通い、薬漬けの老後を送る人生が社会の平均的な姿となり、医療と福祉によって国家財政は破綻に瀕しています。国民を健康にすることが真の医療であるならば、それはすなわち、「心からやりたい仕事」を優先して、「やらねばならない」労働時間を減らし、大家族と共同体を復活し、社会に人間性を取り戻すこと。そして、環境を正常化し、化石燃料に過度に頼らない自然な作物の地産地消を進め、「便利」な添加物食品の代わりに毎日自分で料理を作り、愛する人と一緒に、心から味わって食事をすることこそが、医療と呼ぶに相応しいと言えるでしょう。

僅か数年前には考えられないことですが、有機農産物や安心安全で美味しい食材が、近年急速に注目されています。これは、単に食の問題だけではなく、自然な農産物には、社会の重大問題の多くを改善する力があるからだと思います。生活の一切を見直して質の高い食材に切り替えると体調が良くなり、生活習慣病を含む多くの症状に改善が見られることあります。なによりも美味しい食事によって、食卓を囲む家族や仲間の会話が増え、人間関係が豊かになり、食事がさらに美味しくなる、という循環が生まれます。一度このような質の高い生活を体験した人は、普通の(薬漬けの)食事に戻ることは少ないので、需要は増加する一方です。今では、主要な女性誌を始め、各種イベントや催事、スーパーマーケット、ホテル、レストランなど、至る所でオーガニックがメインテーマとして取り上げられ、有機専門のインターネット宅配業者は急速に業績を伸ばしています。それでも日本は相当遅れている方で、世界的なトレンドでは、高級なサービスを提供する企業ほど安全で高品質な食材と食事を著しく重要視しています。まだ僅かな生産量しかない(そして、現時点では生産量を大きく増やす手段が存在しない)有機農産物に対して、社会全体の需要が集中することは恐らく時間の問題で、遠からず、消費者がいくらお金を積んでも、特別なルートがなければ入手できない状態になるでしょう。有機農業生産と流通・販売業は、社会再生の最大のボトルネックであり、成熟市場における数少ない超・成長分野なのです。

自然な農業が社会に広がることのメリットは計り知れません。ほんの一例ですが、(1)援農を通じて自然な農業と社会の接点が増えると、鬱の解消、精神医療などの精神の健康に大きな効果があり、(2)激しいインフレーション時には、農産物が実質的な地域通貨として機能し、(3)自然な農作業は、地位や階級が無意味な世界で、人をコントロールしない次世代型のリーダーシップを学ぶ良い機会となり、人間中心の組織運営が組織や社会に広まり、(4)農作業を通じた共同体の復活によって自殺、虐待、孤独死などが減少し、(5)栄養価が高く自然な食を社会がとりもどし、(6)自然な農業は高度に知的かつ楽しい労働であり、生きがいを社会に提供し、(7)自然の移り変わりと社会の接点を取り戻す効果があり、(8)生活の損益分岐点が下がるため、「稼ぐため・お金のため」の労働を大幅に縮小する効果があり、(9)食生活が豊かになることで、家族の接点が高まり、ひいては教育、介護などのコストが減少し、(10)共同体が再構築され、人間関係が豊かになることで疾病率が大幅に減少し、介護保険、社会保険、医療保険などの社会費用が削減され、そして何よりも、社会が健康になります。今まで分断されていた社会と農業の繋がりが再構築されれば、他にも多くの効果が複合的に生まれると思われ、社会全体のコストを著しく下げながら、大きな生産性が生じるのです。

過去60年以上継続してきた、「経済成長によって百難隠す」ような、資本主義的な社会運営が不可能になろうとしています。その代わり、社会全体のバランスを再構築して、良好な共同体と人間関係によってコストを下げ、経済成長によらずに直接国民の幸福度を上げる社会になる。そのときに最も力を発揮するのが自然な農業です。


2. 問題の本質

有機農業の生産性を高め、生産額を飛躍的に向上させるためには、単に有機農家を増やすだけでは全く成り立ちません。採算の取れない農家の数をいくら増やしても、マイナスの上塗りになるだけです。政治・行政が行って来たように、農家に補助金を投下しても、生産性の向上には寄与せず、社会コストが増加するだけに終わることは、過去の無数の事例によって明らかですし、現在の政府にはそもそも多くの補助金を投下する余裕はありません。結局、有機農業そのものの生産性を高める以外の方法は存在しないのですが、その最大の「コーナー」が人手なのです。有機農業生産の現場で汗を流しながら、農業生産の特性と一連の作業を詳細に分析すれば、採算であれ、生産量であれ、単位収量であれ、品質であれ、安全性であれ、労働の質であれ、有機農業生産の問題は、十分な労働力がありさえすればその殆どが解消するということがはっきり理解できます。

それほど簡単なことが、今まで解消されてこなかった最大の理由の第一は、報酬の支払い(すなわち金融の問題)でしょう。農家にとっては、労働力が必要な時期と報酬を支払うことができる収穫のタイミングが数ヶ月、場合によっては1年以上ずれることが一般的です。ただでさえ現金収入に乏しく、赤字の農家も多い中、人を雇う資金がなければ、結局自分一人の労働力の範囲で小規模生産を行わざるを得ません。

収穫期に人手を雇う農家は多いのですが、これは、収穫物が短期間で換金され、日当の支払いがそれほど負担なく行えるからです。逆に考えれば、農家はそれ以外の作業について、それがどれほど重要性の高い仕事であっても、人の手を借りることができず、どんどん作業が後手に回り、生産がジリ貧に陥り、補助金が尽きた段階で立ち行かなくなるのです。

借り入れによって、そのギャップを埋めることは理屈上可能ですが、一般的な農家が提供できる担保は限られていますし、特に有機農家であれば、多くの土地は(担保価値のない)借地です。地域で異端扱いされている有機農家が農協からの融資を受けることも事実上不可能です。そしてなにより、自然を相手にする有機農業は、生産量が不安定で、虫や病気の制御を誤ったり、台風が直撃したりすれば、ほぼ全滅の憂き目に遭うことは所与の条件であり、収穫が確実にできるという保証は全くありません。更に、農産物の取引価格は大きく変動し、特に有機農産物の市場はまだまだ小さいため、需給バランスが少しでも崩れると、折角苦労して収穫した野菜を十分に売却・換金できずに、捨て値で処分せざるを得ないこともあります。つまり、借り入れを行う際のリスクが個人で負担できる範囲を超えているのです。

リスクが高すぎて借り入れができず、人件費を賄えず、労働力が慢性的に不足し、生産規模が最小限に留まれば、膨大な労働量の割に十分な収入が生まれず、将来の展望がないまま、縮小均衡の生活を続けざるを得ず、台風などで大きなダメージを受けると廃業、というのがそれほど珍しくないパターンになっています。

一方、自然な農業生産は、十分な人手があれば問題の殆どが解消するだけでなく、莫大な生産性が生まれるという重大な特質があります。例えば、1,000坪(1/3ha)を耕作し、年間売上300万円、収入50万円、廃業寸前の実質的な赤字農家に対して、1週間に一回、10人の援農部隊が手を貸せば、あっという間に10,000坪以上が耕作可能で、農薬や化学肥料に頼らなくても、10倍の生産量(売上3,000万円)を容易に実現することができるのです。

自然を相手にする農業は、①1人が10時間働くよりも、10人が1時間働く方が生産性を生む作業が多く、また、②労働力が必要とされるタイミングに大きくムラがある、という、二つの重要な特性があるため、年間を通じて1人を雇うよりも、1週間に1日、10人の援農部隊の力を借りる方が、遥かに高い生産性を発揮します。10人に支払う報酬額の合計は、日当5,000円としても年間僅か260万円足らずで、これは一人分の人件費と大きく変わりませんが、生産額は10倍になるという、手品のようなメカニズムが現実に機能するのです。


3. 次世代援農プロジェクト

労働というボトルネックを解消するだけで、これほどの生産性を生み出すことができる業界は、製造業、サービス業においても稀で、これは自然な農業生産が秘めている莫大な潜在力の一例です。自然な農業が手間ばかりかかる辛い労働ではなく、人間的で豊かな産業になれば、社会全体へ及ぼす波及効果は計り知れないものになるでしょう。加えて、極めて高い生産性を秘めた自然な農業を、質の高い流通業が支えるとき、本来相性の良いハイエンドの観光産業と融合的に経営されるとき、また、それが次世代の金融事業と一体化するとき、これらの生産性は乗数的に増加し、社会全体を変えるほどの力を持つことになるでしょう。

次世代援農プロジェクトは、有機農業生産の根源的な問題を解消し、数年以内に、現在の生産額を10倍、100倍にする試みです。およそ農業に縁がなかった人たちを含め、幅広い方々に援農してもらい、日当相当額(例えば5,000円)を、事業者が運営する有機無農薬野菜のネットショップのポイントとして付与するものですが、この一見シンプルな仕組みは、以下のように革新的な意味を持ちます。

現金を一切介さない物々交換によって
・ 質の高い無制限の労働力を有機農家に提供し
・ 援農者はいつでも好きな有機産品を取得することができ
・ 大八産業が有機農家に対して人件費相当額を無担保、無保証、無利息で(実質的に)貸付け
・ 有機農家は、収穫後の「あるとき払い」で弁済する

援農者、有機農家、大八産業は三様の役割を果たしながら、それぞれ大きなメリットを受け取ります。

【援農者】は、例えば収穫したインゲン5キロを貰うよりも、実質的に現金同等物(ネットショップのポイント)が報酬として提供され、貰った野菜を腐らせることもなく、必要なときに、必要なだけ、必要な野菜・果物を入手することができます。援農に参加すれば誰もが実感すると思いますが、大勢で参加する楽しみ、汗を流す爽快感、自然の中で時間を過ごす贅沢さ、食事と水の美味しさと会話の楽しさ、自分のペースでハタラク自由な時間は格別な経験です。既に毎週参加することを決めて仕事のスケジュールをやり繰りしている方も多く、日常の気分転換としても、精神的な休息としても、会社の研修プログラムとしても有効だという意見が多く聞かれます。

【有機農家】は大八産業に対して、日当相当額と同等の農産物を(将来)納品します。農家は現金を一切必要とせず、借り入れを行うこともなく、したがって、担保提供も、連帯保証も、契約書類作成も、利息を払うこともなく、パート募集の公告費用や労務管理の一切を必要とせず、援農者の協力を無制限に得ることができ、その「支払い」は文字通り、収穫後のあるとき払いです。農家は金融リスクを取らず、煩わしい労務管理をせずに農業生産に集中することができ、人手が増え、収入が増え、精神的にも、時間的にも、作業的にも余裕が生まれます。

【事業者】は、援農者にポイントを即日付与する一方、農家から野菜が納品されるのが数ヶ月〜1年後です。事業者はこの期間中、農家に対して、実質的に「無担保、無利息、無保証、あるとき払いによる金融機能」を提供するのですが、農家からの納品は仕入れ単価で、援農者に対しては小売価格でポイントを付与するため、無利息であっても十分な利益が生まれます。援農を通じて、有機農家が必要な労働力をいつでも提供でき、農家の十分な生産性を確保することができるため、無担保、無保証であっても貸し倒れが生じることはありません。もちろん、農家の生産額が増加することで、事業者の取り扱い高が大きくのびることになります。


4. 援農と次世代社会

援農プロジェクトは農業生産の分野を超え、社会全体に重要な影響を及ぼす可能性があります。

i 飛躍的な有機農業生産: 援農プロジェクトによって人手の問題がひとたび解消されれば、有機農業の生産性は飛躍的に高まり、沖縄県における有機農産物の生産高が、確実に、著しく、増加します。今後急激に増加する自然な農産物に対する需要に対応し、広く社会に大量供給するための現実的な方法は他に考えられません。このプロジェクトは、小規模農家の経営支援だけでなく、大農場の大規模経営に向いているのですが、沖縄は、100万人規模の都市圏からそれほど遠くない場所に、まとまった農地を大量に確保できる、日本の中でも稀な地域です。この、シンプルかつパワフルな、次世代共同体による有機農業生産の仕組みが沖縄で広まることによって、日本全体の有機農業生産のあり方にも大きな影響を及ぼす可能性があります。

ii 環境の再生: 有機農業の生産性が飛躍的に高まることで、地域における自然な農地面積が大幅に拡大します。日本の農薬使用料は世界一で、散布された農薬の約40%〜50%は大気中へ気化して地球温暖化の重大な原因になっていると指摘されており、農業そのものが重大な環境問題を引き起こしています。有機・無農薬による農業生産は、農薬・除草剤・化学肥料などを散布しないため、土壌や地下水を汚染しないことはもちろん、その畑で働く労働者の健康を守り、最も広い意味で環境を保全するものです。近年問題になっている沖縄近海の珊瑚白化現象も、海ではなく陸が原因ではないかと考える向きもあります。広大な土壌を自然な環境に戻すことで、沖縄の重要な資源である海に、劇的な改善が見られる可能性は高いと思います。

iii 観光の再生: 有機農業の地域的な盛り上がりは、沖縄の観光業の質を著しく高めます。食事のまずい観光地が繁栄することはあり得ません。沖縄の食事情のままでは、現在のB級リゾート地としての壁を破ることは不可能でしょう。沖縄がB級リゾート地であり続ける限り、高品質高単価のビジネスは成り立たず、ホテルの従業員はいつまでたっても手取り10万円前後の労働を強いられることになります。地域のリゾートやレストランに高品質の食材がふんだんに供給されることで、観光地としての質を高め、食文化が深まり、質の高い顧客層を引き寄せることになるでしょう。沖縄全土に有機生産が広がれば、例えばオーガニック・アイランドとして、沖縄全体のブランディング戦略を構築することも現実的です。

iv 食と健康と医療: 我々が日常的に口にする食材は添加物を複合的かつ大量に含んでいます。食品添加物など、体に摂取された「異物」を分解するためには、ビタミンやミネラルが必要ですが、一般的な小売店に並んでいる野菜には、これらの栄養素が不足しているため、現代人は慢性的なカロリー過多の栄養失調状態で生活していると言われています。自然な農産物は、農薬と化学肥料で育てた野菜に比べて、ミネラルやビタミンが5倍前後含まれ、消化の負担が少なく、免疫力を高めると言われています。我々の社会で一般的になってしまった劣悪な食事情を、本来あるべき自然な状態に近づけるだけで、健康状態が改善し、疾病率が低下し、ひいては医療費が大幅に低下することが、はっきりとした傾向として明らかになるでしょう。

v 共同体の再生: 共同体が成立するためには、①生産性を生み、②個人の生活を支え、③共同の目的のためにハタラク(傍が楽になるために働く)、という三つの基本要件が必要ではないかと思います。近年沖縄でも共同体の崩壊が問題視され、地域の自治会加入率の低下に歯止めをかけようと種々の対策が講じられていますが、形式をいくら整えても、三つの基本要件が備わっていなければ実効性はありません。大八産業の援農プロジェクトはその全ての要素を再生することで、人間関係を緊密にし、沖縄が古くから重要視してきたゆいまーる(助け合い)精神を、現代的な共同体で再構築する効果があります。共同体が再生することの社会的なインパクトは計り知れません。緊密な共同体と、健康・長寿の強い相関関係は、医学会でも「ロゼト効果」として知られていますし、何よりも生活の質、教育の質、家庭の質、人間関係の質が向上することで、個人と社会の幸福度に大きく寄与します。

vi 精神の健康: 自然な農業には本当に不思議な力があります。精神的な疾患を抱えていたり、対人関係に問題があったり、軽度の鬱に悩んでいる方々が援農に参加し、自然の中で思い切り汗を流し、共同で働きながら、生気を取り戻し、みるみる元気になって行く事例が少なからず見受けられます。また、一般に健康者と言われている人たちであっても、援農を通じて意識が前向きになり、小さなこだわりが消え、人への気遣いが増え、エゴが縮小して、自分に正直になって行く傾向が見られます。援農プロジェクトには、名だたる企業の経営者を始め、社会的に地位の高い方々も多く参加されていますが、自社の社員を援農に誘ったり、またその仕事ぶりを見たりしながら、企業経営、人事、研修に応用が利くと考える方も少なくないようです。恐らく、援農に参加する社員が増えるほどその企業の業績が上向くという事例も、生まれてくるでしょう。

vii 次世代金融: 援農プロジェクトは、資本主義社会の常識と正反対の、「次世代金融」事業でもあります。事業者は、有機農家に対して労働力をアレンジすることで、有機農家に対して実質的に、無担保、無保証、無金利、しかも、あるとき払いの返済による「貸し付け」を行っていることになりますが、そこにはお金が介在していません。また、金融の常識で、このようなファイナンスを行えば、貸し倒れが続出し、利益も得られず、元本も戻らないのですが、現実には、すべてが全く逆の結果を生んでいるのです。資本主義社会の金融は、実体経済が生み出す付加価値の「上前をはねる」ことによって収益を獲得してきました。これに対して、大八産業の次世代金融は、農業生産の現場に全く負荷をかけず、現金負担なしで労働力を提供し、生産性を飛躍的に向上させ、その収益からの配分を受け取るものです。

将来的には、労働力だけでなく、有機農家のハウス・耕作機械などへの投資資金、有機農家の借金の借り換えなどの資金(現金)を、が有機農家に対して提供する予定ですが、もちろん、無担保、無保証、無利息、返済は農産物によるあるとき払いです。実体経済を搾取する資本主義的金融から、実体経済に力を与える次世代金融へ、周回遅れでトップを走る沖縄から発信する、世界最先端の金融事業です。

viii 次世代地域通貨: 世界中に地域通貨は星の数ほど存在していますが、現実的に機能しているものは殆どありません。地域通貨が機能するための要件は、①誰にとっても価値のある実物資産を裏付けとしていること、②現実に生産性を生んだ労働の対価として地域通貨が発行されること、ではないかと思うのですが、殆どの地域通貨がこの要件を満たしていないことが原因かも知れません。例えば、地域通貨がドルと等価交換(裏付け)できるとしても、地域通貨自体に価値の裏付けがなければ、やがて大半がドルに換金されて流通量が減少してしまいますし、反対に、基軸通貨が崩壊すれば、地域通貨も同時に機能を失ってしまいます。また、地域通貨が労働と生産性と実物(例えば農産物)の裏付けとして発行されなければ、本来無価値の「紙切れ」を流通させることになり、それほど広がるものではありません。

援農プロジェクトで、援農者は日当相当額を大八産業が運営する有機無農薬野菜のネットショップのポイントで受け取ります。例えば週に1回援農すれば、毎日食べる有機野菜を購入する必要がなくなります。生活の損益分岐点が下がり、食べるために「しなければならない」仕事が減り、日常に余裕が生まれ、有機野菜の購入はお金持ちだけの特権ではなくなり、援農者の多くはネットショップの継続的な顧客になり、有機野菜がさらに社会に広がる原動力になります。

このポイントは、ネットショップで販売される全ての商品を購入することができる「現物」であり、将来デジタルキャッシュカードが発行されればポイントのままでも、あるいは単に、ポイントを裏付けとした「ポイント券」が発行されても、地域通貨として機能します。いつでも新鮮な有機野菜と交換可能であるため、インフレもデフレも生じないばかりか、仮にドル基軸通貨が崩壊し、それに連鎖して日本円が機能を停止したとしても、十分価値を維持し続けるでしょう。生産性を伴った労働を裏付けとしているために、通貨発行によって得られる利益(シニョリッジ)が存在せず、逆に、誰でも農作業で健康になりながら、たとえ生活保護者であっても、ホームレスであっても労働の対価として紙幣を「創造」することができ、社会格差の是正に大きく寄与します。

ネットショップのポイントは、本質的に物々交換であるために、金利が生じず、競争原理を生まず、社会格差を生まず、社会を豊かにする優れた価値交換機能です。同時に、ネットを利用することで、従来の物々交換の欠点が全て解消しています。すなわち、実物資産の価値が減価せず、常に新鮮で価値のある資産と自由に交換可能で、物々交換特有のニーズのマッチング欠如がありません。このポイントや「ポイント券」を、例えば那覇空港ビルディング、地域のスーパー、ガソリンスタンドなど、他の事業体が受け付けるようになれば、世界でもユニークな地域通貨として、基軸通貨崩壊時には極めて有効に機能するでしょう。近い将来、新・南西航空のマイレッジポイントと互換性が生まれれば、「援農すれば南西航空で海外を見に行ける」時代が到来し、海外旅行もお金持ちだけのものではなくなるかも知れません。さらに、「ダイハチマルシェ」を物々交換サイトへと展開することで、必要なものは全て物々交換で瞬時に入手可能な社会が実現します。

この地域通貨のプログラムに参加するためには、実質的に沖縄在住でなければなりませんが、沖縄に住むということ、自ら汗を流すこと、そして助け合う生き方をすることが、豊かな人間関係と人生を手に入れるためのパスポートになるでしょう。それによって、沖縄の価値、沖縄の人間関係の価値、沖縄の共同体の価値が大きく見直されることになります。

そして何よりもこの地域通貨プログラムが最も優れているところは、地域通貨の流通量が拡大するほど、有機農産物が増加し、環境が保全され、観光地の質が高まり、食が安全に豊かになり、共同体が再生し、精神の健康が促進され、人が健康で長寿になり、社会に生産性を促す次世代金融が広まる、ことです。すなわち、この地域通貨は、幸福で豊かな社会そのものを裏付けに発行されるのです。


5. ビジョン

援農プロジェクトでは、有機農産物の生産額を、3年で10倍にする目線(いわゆる目標ではありません。無理をせず実現する規模のイメージです)を維持しています。これは、今後急速に拡大する有機農産物の想定需要と、我々が現実的に対応可能な供給量をやや保守的にバランスした水準ですが、現実の需要量、供給量は、これよりも更に多くなるのではないかと思います。一見アグレッシブな水準のようですが、既に大八産業の現場では品不足の産品が続出しており、市場における需要増加はこの水準を遥かに上回ると考えていますし、供給側は、援農プロジェクトが機能するという前提で、生産現場の人手問題が解消することの、生産へのインパクトはこれほど大きいものなのです。

3年で10倍の供給量の実現は2倍+、4倍+、8倍+と、1年ごとに倍の生産を実現することでおおよそ可能です。大八産業が事務局を務める沖縄最大の有機生産グループ「しまぬくんち」の農地総面積約5万坪のうち、耕作面積は約2万坪。始めは、「しまぬくんち」の中でも、特に採算の苦しい農家を優先し、今年は年末までに大宜味村伊芸農園の2万坪弱を耕すことで、「しまぬくんち」の耕作面積を4万坪(約2倍)にすることの目処は、おおよそ3ヶ月前倒しで立っています。現在、毎週の援農者は10人に達し、既に伊芸農園だけではなく、糸満の中村農園(約3,000坪)へと対象を広げていますので、現実にはこの水準を上回る可能性が少なくありません。2年目の2013年度(2012年4月〜2013年3月)には約5万坪+、3年目の2014年度は約10万坪+耕作面積を増やすイメージに従って、対象農地の確保を同時進行しています。

以上の目線が現実になれば、大八産業の沖縄県産野菜の出荷額(現在約1億円)は、3年後に約10億円へ拡大します。沖縄県産の野菜、果実、穀類の生産額約200億円に対する有機野菜のシェアは、約1%から5%まで増加することになります。この水準の生産額は、観光客および沖縄で質の高い生活をする属性の高い顧客を取り敢えずカバーする規模となり、沖縄全体の地域再生に寄与することが現実的になります。

このときまでに各有機農家の売上は3倍、労働時間1/2に近くなると思われ、自然な農業は、楽しく、美しく、健康で、ゆったりした休暇が取れる、社会で最も豊かな産業のひとつへと変貌することでしょう。余裕ある時間や収入を使って、例えば農家はもっともっと世界を見るべきではないでしょうか。質の高い消費者が何を、どのような水準で求めているかを体験することは、高品質な農産物の生産現場にきっと大きく役に立つ筈です。豊かな共同体に支えられ、家族と友人とで過ごす時間が増え、世界中で特別な経験を共有する、「世界で最も豊かな沖縄の有機農家」を実現することで、社会全体の再生に大きく寄与することになるでしょう。

おおよそ3年後に20万坪の耕作地が稼働するということは、概算で、毎週100〜200名が援農に参加し、(1人あたりの日当を例えば5,000円として)年間2,600万円〜5,200万円の「地域通貨」が流通することになります。流通量の確保が最大の課題となっているその他の地域通貨と決定的に異なる点は、継続的に農業生産が行われ、かつ、少なくとも暫くの間は耕作面積が相当な比率で成長し続けるため、「地域通貨」の流通量が累積的に増加し続ける基本構造を持っている点です。このため、殆どの地域通貨の運営者が苦労している、流通量を増やすための営業やプロモーション活動、そしてその費用負担が全く不要であり、非常に効率の高い運用が可能です。仮に、自然な有機農業生産が全体の20%程度のシェア(40億円)を確保した世界を想像すると、常時数億円の流通量となる筈で、その現実味と社会へのインパクトがイメージできると思います。まして、そのようなタイミングで基軸通貨が崩壊し、主要通貨が機能を停止し、ブロック経済ごとに自給自足を強いられる世界が生じることを想定すれば、その重要度は計り知れないものがあるのです。

かつての自然な農業は、1人の働き手が10人の人口を支えていました。日本の高度成長政策に呼応して、農薬、化学肥料、除草剤などが大量に利用されるようになって「生産性」が著しく向上し、農業は1人が100人を支える「食料製造」産業に変質しました。仮に、共同体の崩壊、労働の崩壊、教育の崩壊、食の崩壊、健康の崩壊、医療の崩壊、福祉の崩壊、エネルギー危機、金銭経済の崩壊などなど、人間の生理的な限界を超えようとしている社会を再生するための、最も有効な答えのひとつが自然な農業であるならば、農業に人手が最大10倍必要となる時代が到来する可能性があるのです。援農のメカニズムを利用すれば、10人が1週間に1度援農することで有機農業の生産量が10倍になります。すなわち、単純計算では、全ての人口が1週間に1度援農に参加するだけで、全人口が有機農産物だけで暮らすことができるのです。自然な農業に人手を戻すことは、社会が存続するための必然です。残された問題はその方法だけでしょう。最も優れたモデルを実現したものが、次世代社会をリードすることになるでしょう。


6. ハタラクということ

最後に、そして最も重要な問いは、そもそも援農者がなぜハタラクのかということでしょう。援農プロジェクトは、埼玉県に住む一人のサラリーマンから始まりました。

豊田くんは上場企業の品質管理部門で働く平社員。純粋な心を持ちながら、社会や組織に対して器用に立ち回ることができず、会社では決して厚遇されていませんでした。人付き合いも得意な方ではなく、一人で居ることが多い週末のために、農地を借りて自然農を始めました。あるときネットで自然農と金融を一つのものとして唱える、変わり者の事業家を見つけて興味を引かれた豊田くんは、その事業家が遠く沖縄で主催する「金融講座」を受講することにしたのです。講座の会場では、銀行員、会計士、投資家、企業経営者、コールセンターのマネージャーらの面々に混じって、ひとりだけ有機農家が受講していました。沖縄の有機農業のホープ、中村農園の中村くんです。

中村くんは大農家の家系の異端児で、親戚はおろか、地元農村地域の中でたった一人の有機生産者です。伝統的な農業地域では、有機農業に対する偏見がいまだに強く、中村くんは孤独な戦いを強いられていました。理想の農業への熱い気持ちと、有機農業では生活が成り立たない現実、周囲からの無理解、・・・農業をやめてしまおうかとまで思い詰め、相談相手がいなかった中村くんの話を、偏見や批判なく真っすぐに聞き、彼の生き方を肯定してくれたのが、豊田くんでした。中村くんの飾らない心の話を聞くうちに、自然と「中村くんの農作業を手伝ってあげたい」という言葉が豊田くんの口をついて出たのでした。以後、前日の夜に沖縄に入り、中村くんの農園に泊めてもらい、翌日農作業をしてから一緒に「金融講座」に参加する、というパターンが定着したのです。

殆ど見ず知らずの自分を自宅に泊めてくれるという、中村くんの申し出に驚き、感激しながら、本土では対人関係にぎくしゃくしていた豊田くんも、朴訥とした心の優しい中村くんと自然な農園で働くと不安が薄らいで行くのを感じました。そんな奇妙なパターンが始まってから約半年が経過し、無償でハタラクことの不思議な爽快感を、少しずつ人に語るようになった豊田くんの言葉に、はっとした人物がいます。同じく「金融講座」を受講していた大城くんです。

大城くんはコールセンターの要職に付きながら、この業界がいかに従業員の犠牲の上に成り立っているか、同時に、自分はいかに中途半端な地位の、中途半端な生き方に甘んじているのか、深く悩んでいたところでした。自分を変えるきっかけを探していた大城くんの耳に、豊田くんの「援農」という言葉が飛び込んできました。理屈ではうまく説明できないのですが、援農が自分を変える重大なきっかけになると直感した大城くんは、翌日中村くんにいきなり電話をかけて、農作業を手伝いたいと申し出たのです。

おおよそ時を同じくして樋口は、有機生産グループ「しまぬくんち」の生産者を一人一人訪問し、農業の悩み、事業採算の問題、人間関係や将来のビジョンなどについて、数時間かけてじっくり耳を傾ける取り組みを行っていました。農地面積6ha(2万坪)、沖縄最大の有機農場伊芸農園を経営する伊芸さん夫婦のところに足を運んだときです。広大な農園を経営するためにもともと多額の借金があり、毎回の利払いが経営を大きく圧迫していましたが、最近は経営のバランスを崩して資金繰りが特に苦しくなり、農作業の手助けを人にお願いするだけの現金が準備できません。人手がなければ、2万坪の有機農場はあっという間に雑草に覆われ、無残な状況で放置されざるを得ません。打つ手のない伊芸さんは無力感に押しつぶされ、現実から逃げ、毎日畑に出ることが怖くなっていたのです。そのうえ、最後の望みだった700坪のインゲン畑が5月の台風2号で全滅し、心が折れて座り込んでしまいました。もう経営が全く立ち行かないので、土地を全て売り払って農業を廃業し、あとは年金で細々と暮らして行こうかと、真剣に考えていたところだったのです。

経営の現状を包み隠さず話してくれた伊芸さんと、再生への処方を話し合いました。「現実に向き合い、今できることを、合理的に、冷静に考えれば、どんな問題であっても必ず打開策が見つかります。結局、①単年度が赤字ではない、②次の年は今年よりも確実に良くなる状態を作る、という2点が確保できれば、どんなに多額な借金でも必ず返すことができるのです。後は決断と、何があってもやり遂げる情熱がさえあればいいのです。問題は状況の悪さではなく、再生のビジョンを見失っていることです。皆で知恵を出し合って、今、この場で、解決方法を特定し、それのすべてを一緒に実行しましょう。」

「単年度黒字を確保するための目先の運転資金は400坪のオクラ畑に集中して、それ以外のことは意識から一切捨てて下さい。借金の返済、最低限の運転資金、生活費を確保するために、7・8・9月は毎日400パックを出荷して月額最低60万円の現金収入を確保することが生命線であり、どんなに辛くても安定的に400パックを出荷する覚悟がなければ、破綻は免れないという現状を理解して下さい。どんなに有機農業の夢を語っても、今日400パックのオクラを出荷する以上に重要なことはありません。現実(オクラ)から逃げずに、雨が降っても、台風が来ても、なんとしても出荷は続け、言い訳をしないで下さい。」

「1,000坪のパイナップル畑は作付けした後で人手が足りずに放置され、雑草が腰まで生い茂ってこのままでは全滅です。来週早々に私たちが草刈りを手伝いますので、これを来年に繋げましょう。」

早速次の週、伊芸農園で汗を流した樋口らは、想定外の爽快感にすっかり魅せられてしまいました。農家にとっては大変な「重労働」なのですが、たまの作業であれば、炎天下腰まで生い茂った雑草の草刈りが意外に楽しく、農薬が一切使われていない自然の畑でハタラクことが、これほど気持ち良いものだとは思いませんでした。仕事そのものの楽しみに加えて、草刈り鎌で皮をむいて食べる無農薬のパインの信じられない甘さ、休憩の合間に飲む有機・無農薬の冷たいお茶、朝取りの有機・無農薬野菜たっぷりのお昼ご飯、大汗をかいた後で大宜味の大自然を眺めながら、冷えたグラスで飲み干すビール、風通しの良い大部屋で食後の昼寝・・・。困っている伊芸さんをなんとか助けようという気持ちで始めた援農ですが、とてつもなく大きな可能性に目を開かされた瞬間でした。それからは毎週畑で働くことが皆の楽しみになり、伊芸農園の2万坪全てを年内に耕す援農プロジェクトが始動したのです。

有機農場での作業がこれほど楽しいものであれば、他にも多くの人が力を貸したいと思う筈です。先の大城くんが一人で中村農園に援農に行ったのが、正にこのタイミングだったのです。伊芸農園での援農の話を聞いた大城くんは、伊芸農園の援農にも大喜びで申し出てくれたのです。それどころか、コールセンターの同僚を連れて参加するなど、パイン畑の援農隊はあっという間に10名弱の「小隊」に増殖しました。さらに驚いたことに、中村農園の中村くんも援農隊に加わったのです。採算ぎりぎりの有機農業をしていて、彼こそが誰よりも手助けを必要としている筈なのに、「自分の農場には豊田くんや、大城くんが手伝いに来てくれたから」、といって、その気持ちに報いるためにも、誰かの手伝いができないか、と考えてのことでした。もちろん、中村くんの気持ちを汲んだ伊芸さんが、次回の中村農園での援農で、相当な重労働のリーダーシップをとって大活躍してくれたのでした。「人のために、社会のために、自分には何ができるだろう?」という気持ちの連鎖は、どんどん大きくなっていきます。誰を誘っている訳でもないのに、毎週のように増えて行く新メンバーの中には、投資家、企業経営者、政治家秘書など、それぞれの業界で大活躍され、それぞれの組織や業界では大きな影響力を持つ方もいらっしゃいます。一様に、援農でハタラクことの素晴らしさ、自然が人を癒す力の凄さ、農業の底知れない力、都市部では絶対に味わえないビールの味、皆で力を合わせる楽しさ、階級の一切ない正直な人間関係・・・に大いに心を動かされ、何度も繰り返し、援農に参加するようになっています。

ひとりひとりが楽しみながら全力で汗を流す援農プロジェクトは、農作業以上の重大な意味があります。参加者がひとり増えればひとり分だけ、有機農産物が増加し、環境が保全され、観光地の質が高まり、食が安全に豊かになり、共同体が再生し、精神の健康が促進され、人が健康で長寿になり、社会に生産性を促す次世代金融が広まる、ということなのです。すなわち、援農プロジェクトは、幸福で豊かな社会そのものを裏付けに成り立っているのです。そのすべては人のため、そして、すべては自分のため。「はたらくという言葉は、はた(傍)がらく(楽)になるということ」だと言われます。人が楽しく幸せになるために、自分ができることを、喜んでさせて貰うのがハタラクということでしょう。誰一人としてお金のためにハタラク人はいないのですが、結果として、物質的にも精神的にもお互いがどんどん豊かになっていく。そんなプロジェクトが誕生しました。

援農プロジェクトに参加する人たちの動機が、通常の労働と異なるということは、今後、有機農家として成功するための重要なクオリティが大幅に変化することを示唆しています。今までは、農業を知り、土を知り、生産に向き合って成果を上げることが農家の「実力」でした。今後は農業技術も然ることながら、それ以上に人に誠実な関心を払い、自分が人のために何ができるか、という意識で生きなければ、十分な生産量を確保することができない時代になるでしょう。社会においても、農業経営においても、愛と人間力が何よりも重要な資産になるのです。

気持ちで繋がる援農プロジェクトは、労働の対価を報酬で支払う「雇用者と労働者」の関係ではなく、「主人と客人」の関係に近いものです。大事な客人を迎えるときに、相手にお金を支払うだけで済ませる人はいません。質の高い食材で、心のこもった食事を提供し、滞在を楽しんでもらえるために心を配り、訪れてくれた気持ちに応えるためにお土産を用意します。一方客人は、主人の心のこもった配慮に感謝の意を表すために、なにか自分が役に立つことを探し、それが適わなければ、恩義に感じていつかそのお返しをしようと心に定めます。このような、心で繋がる人間関係を生み出すことができなければ、人の心は次第に離れ、一時は農家がどれだけの野菜を収穫したとしても長く繁栄することはないでしょう。

質の高いおもてなしをするために、何よりも重要なことは、自分自身が質の高い生活をし、豊かな生活とは何か、質の高い食材とは何か、本当に美味しい食事とは何かを深く理解し、自分自身に嘘をつかず、人の心に報いる人生とはなにか、を実践する必要があるのです。

【2011.8.8 樋口耕太郎】

私は、5年くらい前から、農産物と食品の実体について調査を続けているのですが、我々の社会の食事情は、本当に惨憺たる状態で、現実を知れば知るほど、愕然とするばかりです。

余りの酷さに驚き、随分以前から有機無農薬野菜を食べるようになり、醤油や油を始めとした調味料、その他食材の一切を見直したところ、短期間で体がびっくりするほど変化する経験をしました。以来、4年近く、私の医療費はゼロですし、体に力がみなぎり(回復し)、疲れなくなり、夜は深く眠り、朝は溌剌と起きる人生を送っています。

以下は私たちのごく一般的な食事情の現状についてとても分かりやすいまとめです。私のパートナーの末金典子が友人に宛てたメールからの抜粋などです。

*   *   *   *   *   *   *

先日樋口が、貧しくて人を雇えない有機農家さんの畑に
玉城さん下地くんと一緒に援農に行ってあげた時のことなのですが、
農家さんがお昼ごはんにとカレーライスを作って
ふるまってくださったそうです。
ところが食べたすぐ後、樋口はお手洗いで便器を抱え込んで
ゲーゲーともどしてしまったそうです。
お台所を見るとどの調味料も油もカレールーも
添加物がたっぷりのスーパーで最も安い食材ばかり。
折角オーガニック野菜を使ってお料理してもこれでは
台無しですよね。
樋口もいただいておきながら大変申し訳ない思いで
いっぱいだったそうなのですが、
こればかりはどうすることもできません。
そこで誠意として以下のようなメールをお送りしたようです。

私も偶然同じ日に樋口との待ち合わせ場所のコーヒーショップで
おなかがすいてきたので「これぐらいなら大丈夫かな」と
「蒸し鶏とハニーマスタードのパニーニサンド」なるものを
注文して食べたところ、家へ帰ってから、やはり便器を抱え込むわ、
痙攣であわや救急車!?というところまでいくという
ひどい状態になってしまいました。
体がしっかり拒否してくれているのはありがたいことなのですが。
世の中の人達は毎日毎日こういうものを取り続けているんですよね。
本当に恐ろしいことだと思います。
スーパーで並ぶ人達のカゴの中身を見てもぞっとするような物ばかり。
外食や、パンやスイーツを買って食べることもままなりません。

(樋口が農家に宛てたメールから引用・加筆)

先日はカレーをごちそうになりながら大変失礼致しましたが、質の高い食生活に切り替えた状態で添加物が大量に含まれていたり、酸化しやすく安価な油などを取り込むと、禁酒後の一気飲みのように急激に体調を崩し、体が受け付けず、一旦食したものを戻してしまったり、酷い場合には激しいアレルギー症状や、寝込んでしまうこともあるのです。

中には私の食生活がストイックだという人もいますが、私は逆に、一般的な人たちが劣悪な食品と薬物を日常的に取り込む生活を強いられていることの方が大問題だと思っています。私たちの食生活は、極めて劣悪な状態に慣らされてしまっているのです。これだけ酷いものを毎日体に取り込んでいれば、病気にならない方が不思議でしょう。高齢化社会と言いますが、結果として、病人だらけの長寿社会が生まれています。

私たちの仕事は、有機無農薬野菜を生産し、必要とする方々に届けることですが、お客様がどのような気持ちや理由で有機野菜を必要としているかを知るためには、私たちもそのような食生活をし、それがどれだけ人生を豊かにするか、われわれ自身が実感する必要があるのではないでしょうか。

とても重要なことですが、質の良い食品は、質の良い調味料、質の良い油、質の良いだし・・・すなわち、たった一つでも劣悪な食材が混じると、農家が手塩にかけて野菜を育てた努力、流通する者の努力、料理人の努力も含め、それまでの一切が無意味になるのです。折角、最高品質の有機野菜を生産しても、劣悪な食材で調理すれば、有機農家の苦労は報われません。

以下は、私のパートナーが、添加物や劣悪な食品事情についてまとめたものです。これは、決して誇張ではなく、世の中のごく一般的な現実なのです。

*   *   *   *   *   *   *

40代になってから心身を酷使していることに気付き始めていた
3年前のこと。
有名老舗店○○○のパンを食べ、気を失って倒れてしまうほどの激しい食中毒に
なってしまいました。全身が赤く腫れ上がり「いぼガエル」状態でお医者様の所に
行くと、原因は材料の古さなどであたったのではなく、化学合成添加物による
食中毒だということがわかりました。
そのことをきっかけとして、人が普通に年間五キロ、一日にして20グラムもの
化学合成添加物を食べ物から摂取していることなどを知り、私達が日頃、口から
食べているもの、皮膚から入ってくるもの、鼻から吸いこんでいるもののことについて、
猛烈に勉強し始めました。

またその頃、お風呂をおそうじする時の洗剤で手指が荒れてしまったことを
きっかけに、食器洗い洗剤や、シャンプー、リンス、ボディシャンプー、化粧品などで
肌がかぶれ、荒れ始め、指紋も無くなってしまうほどになってしまいました。
もうしつこく痒いの痛いのなんのって! お肌もぼろぼろになってしまいました。
それが石鹸成分を液体化するための合成界面活性剤の恐ろしさだということも
わかりました。

〈食品事情〉

世の中は大変便利になりました。
何時でもすぐに食べられるコンビニのお弁当、いつまでも腐らないスーパーの
お惣菜、まっすぐのきゅうり、スナック菓子、ファーストフード、
何年でも常温でいたまない化粧品、苺が一切入っていない苺味のお菓子…
もうキリがありません。
流通にのせるためには、たくさんの人の嗜好に合わせるためには、
お弁当やファーストフードなどに保存料や着色料などの化学合成添加物を
50種類も入れなければならなくなりました。
また、その添加物入りの残り物の残飯を餌として与えられている牛や豚や鶏が
また私達の口に入ってくるという仕組みも出来上がりました。
コンビニのおにぎりの味と、おかあさんが握ってくれたおにぎりの味は
全く違うのも当然です。
私達は、合理性・利便性を追求するあまり、自分達の身体を
破壊してしまっているといっても過言ではありません。

そういうことにだんだん気づき始めた人たちが、少しお値段が高くとも、
オーガニック、無添加調味料、無農薬野菜や無農薬米を取り入れようという
風潮にようやくなってきました。

〈洗剤・シャンプー・リンス〉

でも、口から入ってくるものについては気をつけている人でも、
見落とされがちなのが、皮膚から入ってくるものについては、味もしないためか
ノーマークの人が多いのです。
さっきの私の経験のように、皮膚から化学合成界面活性剤などを取り入れて
しまうことを、「経皮毒」というのですが、頭痛や肩こりなどを引き起こしたり、
肌がボロボロに荒れたり、かぶれたりとひどい症状を引き起こします。
特にお風呂で使うものについては、全身から入り込んでくるため最も恐いのです。
ボディーシャンプー・シャンプー・リンス・入浴剤の裏の表示をご覧になれば
おわかりかと思うのですが、ラウレル硫酸ナトリウムなどの化学合成界面活性剤が
使われています。

例えば、シャンプーがどうなっているかといえば、髪の毛についている埃や、
汚れなどを洗い落とすとともに、髪の毛の栄養分やキューティクルなどの
よい成分も一緒にごっそりとこそぎ落としてしまうわけです。
しかも、シャンプーというのは髪の毛を洗う成分なため、
頭皮は洗うことができず、時間が経つと、髪の毛はいい香りがしていても、
頭皮はなんだか油汗臭い、なんてことになり、頭皮の毛穴には化学成分が溜まり、
汚れはどんどん溜まっていく状態です。
そして、シャンプーでごっそり洗い落とした髪の毛の上に、リンスや
コンディショナーといった化学成分をコテコテと貼り付け、なんとなく
しなやかにふわふわした状態に仕立て上げるわけです。
こういう化学製品を使い続けていると、髪の毛はどんどん細く、
コシがなくなり、無防備で痛みやすくなります。

これを解決するには、純石鹸成分で洗うしかないのです。
ところが今まで売られていたそういう純石鹸成分のシャンプーは泡立ちも悪く
使いにくいものばかりで、私も最初はずいぶん閉口したものです。
そしてとうとう巡り合ったのが、今でこそ普通に使われていますが、
アメリカのセレブ達が火付け役になった、ドクター・ブロナーが
開発した「オーガニック・マジックソープ」なんです。
これはボディーシャンプーとしても、シャンプーとしても、クレンジング、
歯磨き、洗剤、ペットにも使えます。
私は、「回復」と「浄化」は同じことだと考えていますが、
このシャンプーを使った時はまさにそれを実感しました。
洗った後もしっとり潤っているからです。
当然髪の毛と頭皮を同時にも洗えるため、頭皮の臭いもしなくなりました。
どころか、タバコなどの臭い髪につかなくなったほどです。

ブロナーは今9種類のフレーバーが発売されていますが、私もシトラスが
一番好きで、周囲でも一番人気です。
髪の毛は絶対これで洗ってくださいね。樋口のように濃くなること間違い
ありません。頭皮にはかなり化学性の界面活性剤がたまっているはずですから。
こういう添加物を肌から取ることを「経皮毒」といって、
脂肪分に溜まりやすいため(頭だとつまり脳ですよね)アルツハイマーなどの
要因になっているとされています。
私もシャンプーをこれにしてから様々なトラブルが解消され、20年以上パーマを
かけ続けていますが、痛みは全くありませんし、さらさらふわふわのままなんですよ~。
ドクターブロナーの価格は正価は950MLの大が3990円ですが、ネットだと
だいたい安くて2500円ぐらいになっているようです。

シャンプーのあとはそのままでもよいのですが、
石鹸成分は髪の毛をアルカリ性にするので、中和するために酸性リンスをします。
私の哲学は、お肌に使うものも、口から入れられるようなもので作る、
ですので、ヨーグルト、クエン酸、といろいろ試してみました。
一番素晴らしかったのが、前田京子さんも本で書かれていますが、
お酢のリンスです。「お酢~?!」とギョッとされたと思うのですが、
匂いは消えますのでご安心ください。

私の場合は、純穀物酢800ccに好きな乾燥ハーブ(ラベンダーやバラ
やカモミールなど)を2週間漬け込み、ハーブを取り出し、植物性グリセリンを
20cc入れ、ピュアエッセンシャルオイル(ラベンダーやローズなど)を40滴入れ
混ぜたものを、シャンプーした後、洗面器8分目のお湯に100cc入れ混ぜてリンスします。

ハーブを漬け込んだりが面倒な場合やお急ぎの時は、
りんご酢やきいちご酢(ただし食塩やアルコールなど一切入っていない
ピュアなもの)に先ほどと同じように、植物性グリセリンを20cc入、
ピュアエッセンシャルオイル(ラベンダーやローズなど)を40滴入れて混ぜます。

洗面器いっぱいのお湯に
お酢リンス原液を100CCを混ぜたものを、ブロナーでシャンプーした後の髪に
浸したりかけたりして中和し、その後お湯で2度ほど洗い流します。
この方法だと頭皮の地肌に詰まっていた添加物の汚れや髪の毛もきれいに
洗うことができ、頭皮の汗くさい匂いなど全くなくなり、天使の輪が蘇ります。
匂いが強かったようなので今日試行錯誤していたら、
ベルガモットとパルマローザのエッセンシャルオイルのミックスで作ると
お酢の匂いがかなりしなくなりましたので一度試してみてください。

リンス直後はバリバリしていて、タオルドライする頃もまだゴワっと
していますが、時間が経つにつれ、中和されふんわりしなやかになってきます。
15年通っている私の美容師さんがびっくりしたほど、コシがしっかりし、
つやつやになり、フケもカユミも全くなくなり、髪の毛が健康そのものになりました。
そして、今まで傷め続けていたのに、新しいサイクルで回復してくれた
自分の髪に心から感謝を捧げました。
本当に本当にお薦めします。どうか一日も早く化学製品で傷め続けるのは
おやめください。

お酢のリンスは、乾かしてしまうとお酢の匂いは消えてしまって
ハーブの香りだけが残るとはいえ、最初はみなさん使用時の匂いが気になるようです。
クエン酸のリンスはそういう方のためにレシピを考えられたものです。
アメリカのオーガニックシャンプーのさきがけで有名な美容室の
「ジョンマスターズオーガニックシャンプー」など各オーガニックメーカーは
市販するとなるとリンスの方に苦心したそうで
(お酢だと匂いに抵抗がある人が多いため)、樋口も自分のホテルに
ドクターブロナーをアメニティグッズとしてバスルームなどに置くのはいいが、
はてリンスはどうしようとなった経緯もあります。
そこで匂いのしないクエン酸となったのですが、やはりお酢と比べると
中和力が弱く、結局はクエン酸という少し化学的なものになってしまうのです。
慣れることができないようであればクエン酸でもよいと思いますが、
私はあくまでもお酢の方をお勧めします。
ただ、こういうのって楽しくないと続かないものなので、
あくまでもお好きな方法でおためしくださいね。

前田京子さんの著書『お風呂の愉しみ』(1999年11月、飛鳥新社)や
小幡有樹子さんの著書『キッチンで作る自然化粧品』(2001年4月、ブロンズ新社)
などはとってもお勧めですので是非参考になさってみてください。

〈歯磨き・入浴剤〉

余談ですが、歯磨きやデンタルリンスも化学合成界面活性剤が
入っていますのでご注意ください。少量ずつでも毎日確実に口から
取り入れてしまっていますので。
「オーロメア」などの純天然製品がおすすめです。
入浴剤や化粧品なども、お台所にあるお塩やオリーブオイルやハーブやハチミツ
果物などを是非お使いくださいね。
人も自然の一部なのですから。

〈スキンケア〉

顔を洗顔した後のお勧めは東大病院の先生に教えていただいた
「お塩パック」が効きます! 樋口はこれを全身に使いアトピーも
治ってしまいました。ちょっとした肌荒れも全て治りますよ~。私はもう20年も
愛用しています。作り方は、

海水塩(泡瀬の塩など)300グラム
エクストラバージンオリーブオイル(食用)大さじ1
卵白 2個分

この3つをフードプロセッサーで1分間攪拌しタッパーに入れお風呂に常備します。
真夏でも腐りません。これを顔を洗った後に、こぶしに軽く1ぱい取り、顔に
塗りこみ洗い流すだけで、すべすべになります。

ブロナーは原液で使うとお化粧落としのクレンジングになります。

化粧水はこれも大学の先生が処方して一大ブームになった「美肌水」が一番の
お勧めです。保湿作用のある尿素水溶液に、これも古来から保湿効果
が知られているグリセリンを溶かしただけの極めて単純な液です。作り方は、

肥料用尿素50グラム
グリセリン小さじ1
水道水200ml

ペットボトルなどの空き容器を利用して、尿素を水道水に溶かし、
グリセリンを加えるだけで「美肌水」の原液が完成します。

美肌水原液の尿素濃度は20%は高めに設定されているため、
使う部位ごとに水道水で薄めて使います

原液:    手のひら、かかとなど、角質が厚い部分しっしんなど、皮膚に傷がある場合は、刺激がない濃度まで薄めて使います
2倍:    ひじ、ひざ頭
5倍:    顔以外の、角質が厚くない部分
10倍:    顔 濃度が薄くなると、グリセリンも薄くなるため、しっとり感が必要な場合は適宜グリセリンを追加します

以上は標準で、各自の肌に合わせて最適な濃度を見つけて下さい。以上今井龍弥著『3日で効く美肌スキンケア』(2003年5月、マキノ出版)を参照しています。

クリームはなんといっても「エジプシャンマジッククリーム」です!
これもブロナーと同じく、マドンナなどオーガニック命のアメリカのセレブが
使って話題になり、エミー賞の引き出物にまでなりました。
全て天然の素材でできているクリームで食べても問題ありません。
顔から身体全てに使え、用途も肌荒れからリップクリーム、虫さされなど
何十種類にものぼります。正価は1個10500円ですが、毎日たっぷり使って1年でも
使いきれません。5000円くらいで手に入りますしとってもお得なんですよ。

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〈食材など〉

さて、以下は自然派生活を試してみたい方に、ぜひおすすめしたい食材などのリストです。

醤油: 裏の成分表示を見て、大豆、小麦、塩、以外のもの(例えば醸造アルコール、アミノ酸、タンパク加水分解物など)が混入されているモノは避けてください。有機大豆、有機小麦などを利用した「有機しょうゆ」をお勧めします。注意が必要なのは、折角「有機」の表示があっても、アルコールなどを混入しているものがあります。

塩: それほど高価なモノを利用する必要はありませんが、「食塩」ではなく、海水から作られたモノが好ましいと思います。私は、伊平屋島の塩を愛用しています。

砂糖: 「白糖」は精製過程でミネラル分を全て飛ばしてしまい、甘さだけを残したモノです。「工業的」というか「攻撃的」な甘さで、料理が乱暴になる気がします。沖縄産の有機砂糖は市販されているものはありませんが、そのかわり、茶色い「粗糖」が、砂糖の香りが残っており、味も優しく、おすすめです。私は料理に砂糖を使うときには「粗糖」だけをつかっており、とてもいい感じです。香ばしい茶色い砂糖で、裏の成分表示に「粗糖」と表記されているものです。スーパーには「三温糖」という茶色い砂糖が売っていますが、これの茶色は加熱によるもので、白糖とあまり変わらないモノです。

油: 非常に重要な食材です。サラダ油はネーミングは美しく、安くて便利なようですが、その実体は質が劣悪で工業的に合成されているモノが多く、到底お勧めできません。油は質の低いモノを利用すると、酸化しやすく、体に非常に毒であるだけでなく、料理全体が台無しになってしまいます。オリーブオイルは、「エキストラ・バージン」のできればオーガニック(有機)表示のあるもの、そのなかでもラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイルは最高峰だと思います。ごま油はマルホンの太香ごま油が古くから有名でおすすめです、揚げ物はムソーの純正なたね油(一番搾り)、またはオーサワの一番搾り菜種油が一番良いようです。

カレールー: カレールーは添加物の固まりと言って良いくらいで、食材として余りおすすめできません。スパイスをブレンドしたり、カレー粉を買って来て自前で作ることが好ましいのですが、それが手間であれば、泣く泣く添加物の少ない高級品を選んでください。

ケチャップ: デルモンテ有機トマトケチャップを利用することが多いです。サンエーやコープの大型店には有機食材コーナーが設置されていることが一般的で、比較的容易に入手可能です。

マヨネーズ: 有精卵から作った自然系の無添加有精卵マヨネーズなどが大手スーパーなどで販売されています。(沖縄の大手スーパーでは、サンエーの大店/久茂地とおもろまちのリウボウ、生協の大店、イオンライカムなど自然派の商品・食材を取り揃えている印象があります。)低カロリーを謳ったものが売れ筋のようですが、カロリーを下げるために、味付けなどに余計な添加物が入れられていることがあり、お勧めできません。

ソース: 沖縄定番のA-1ソースは、残念ながらお勧めできません(添加物)。有機トンカツソースなどが大手スーパーなどで販売されています。ウスターソースは創健社の製品が無添加です。

粉末だし: 本当はだしをとることに勝るものはありませんが、それが難しければ、無添加のものが大手スーパーなどで販売されています。

香辛料: 最近は大手スーパーなどで、有機粗挽きこしょう、有機唐辛子など、有機無農薬のスパイスが入手しやすくなりました。香辛料やハーブは特に有機無農薬が生きると思います。同様に、にんにく、しょうが、わさびなど香味もの野菜は、どんなに価格差があっても国産有機無農薬をお勧めします。料理全体の味と深みがぐっと高まります。

野菜: 野菜は常に、国産有機無農薬野菜をお勧めします。特に、きゃべつなどの葉もの、きゅうりなどは大量に農薬をかけて育てられていることが一般的です。

ビール: 麦とホップだけで作られているもの。国産の方がやはり鮮度が良く、おいしいと思います。やはり、ヱビスかサントリーのプレミアムモルツではないでしょうか。発泡酒やノンアルコールは避けてください。沖縄が誇るオリオンビールは、原材料費を下げるためにコーンスターチが使われています。コーンスターチはトウモロコシから作られますが、その殆どはアメリカ産であり、アメリカ産のトウモロコシの大半は、遺伝子組み換えの農作物であり、したがって、オリオンビールにそのような材料が混入している可能性が高いという事実があります。

肉: 豚肉は抗生物質・殺菌剤・ワクチン・ホルモン剤・駆虫剤などを一切使わずに育てられた藤井ファームのあんしん豚、鶏は完全無投薬で育てられた秋川牧園の若鶏など。牛肉は宮﨑産の無投薬尾崎牛が最高においしいと思います。高価なので細切れを中心に購入しています。メニューによってはタスマニアビーフを使い分けることが多いです。ミンチ肉が必要な場合は、こま切れ、もも肉などを自分でフードプロセッサーでひいて利用することも良いです。

世の中の食品事情、すなわち皆さんが普段食しているモノの実体を理解するためにぜひお読み頂きたいのが、安部司著『食品の裏側』(2005年10月、東洋経済新報社)です。5年ほど前に沖縄で、安部さんが食品事情について講演されたのですが、私は講演会場でこの書籍を購入し、直ぐに一気に読みました。安部さんはもと添加物メーカーのトップセールスでしたが、ある日自分が販売しているモノが社会にもたらすことの意味に気がつき、その問題を啓発していらっしゃる方です。

最近は自然な食材を仕入れるには、インターネットほど役に立つモノはありません。お薦めのサイトはなんといってもビオマルシェ!数あるネットショップの中でも特に質が高く私もとても重宝しています。ぜひのぞいてみてください。

【2011.7.18 樋口 耕太郎】

本当に毎日暑いですね~。なんだかまた台風も近づいてきているようですよ~。
あなたはお元気にしておられますか?

10日の日曜日の夜のことなんですが、
自宅前のアラハビーチから北谷公園、ビーチタワーといつものように
ランニングをしていると、ドドーン!とすごい花火の連続。
そうなんです。北谷シーポートカーニバルの花火大会。
海上いっぱいに扇状に広がる花火はけっこう圧巻。
しばしビーチに座って見とれていると、周りの歓声やら拍手やらに混じって
こんな発言が。
「あぁ~、夏の終わりって感じやっさ~。」…
ぐふふふ。夏はこれからですよ~。

さて、
3・11の大震災以降、直接震災に遭われた方でなくとも、
気が滅入ってしまって…という方がとても多いですね。
震災直後はショック状態だったのが、4ヶ月経った今頃になってくると、
自分にどういった援助ができるのか、復興はどうなるのか、
私達への生活への影響はどうなのか、放射能はどういうことになっているのかなど
現実問題としていろいろな事が気になったりして、不安で暗い気分に
陥ってしまうのも無理はありません。
だからなのかはわかりませんが、ここのところいただくメールや皆さんとのお話は、
「すごく悩んでます…」「激しく落ち込んでるんです…」
「無力感でいっぱいなんです…」「自分の道が見つかりません…」といった話題が
よく出てきます。そして聞かれるんです。
「典子さんは、激しく落ち込んだ時、どうしますか?」って。

確かに、
落ち込んだ時、どう落ち込むか?
そこからどう抜け出すか?
あるいは抜け出せないままもがくのかどうか?
それ次第で人生、ずいぶんと変わってきます。

一見、能天気な楽天家に見える私も昔は、じつは「激しく落ち込むタチ」でした。
仕事の小さな失敗でも、その日一日心に重しがついているように、
暗幕がかかっているように、落ち込むだけ落ち込む。
人との関わりでも、ほんのわずかな言葉の行き違いを気に病んだりして、
しっかり落ち込む。
たった一度の不倫を経験した時なんて、ひたすら悩みに悩み、
他のことで気を紛らわすなどということさえできませんでした。
でもそんな狭く小さな自分に気づき、こんなことじゃ人生前に進まないなぁって
強く思った時期でもありました。

そして、私が立ち直る術として行き着いたのは、悩むのじゃなく「考える」こと
だったんです。
多くの人は、それまでの私も含め、悩んでいるだけで考えない。
考えないと、問題はいつまでたっても体から出て行ってはくれません。
つまり、何事も悩んでいるだけだと、問題はずっと胸のあたりに停滞していて、
何も状況は変わらず、延々同じことを悩み続けることになります。
でも、考えるということは、問題を胸から上に引きあげて頭にもっていく
ということで、立ち直るにはこれほどいいことはないんです。
あなたもぜひ試しにやってみてください。
胸から頭へ、問題を引っ張りあげる。
するとおわかりになるはずです。
「悩むのではなく考える」ってどういうことなのかが。
そして、問題はちゃんと頭の中で考えると、頭のてっぺんから外へ抜けていく
のだということにハッキリお気づきになるはずです。
だから私はみなさんにいつもこうお答えしているんです。
「私は落ち込んだりしそうになった時、
心で悩まないんです。頭まで引きあげて、逃げずにじっくり「考える」。
そうすると意外に楽になっちゃいますよ。」って。

じゃあ何を考えるのか?
もちろん「なぜこうなったのか?」。
でも結論はいつも同じ。「すべてのことに意味があるから」ということでした。
この試練は神さまが何かを教えようとしてわざわざもたらしたものなのだと。
また、やがて、本当に、なぜそうなったのかの理由が明らかになるから
不思議なものです。
「あぁ、あの時はこういうことを学ぶ必要があったのだな」
「自分にはこういう至らなさがあったのだな」
というように。
何があっても「必ず意味があること」なのです。そしてつまりは、
「毎日毎日の今ここをしっかりやっていれば、やがてすべて上手く行く」
っていう当たり前の結論に至るわけです。

また、悩みとまではいかなくとも「憂うつ」な気持ちも同じようなことが
言えます。
小さなことでもやらなければいけないことが2つ3つ4つ…と重なってくると
人ってどんどん憂うつになってきてしまうものですよね。
「あれもこれもやらなければ…」「でもこれも今日までにしなければ…」
「あ~、憂うつ!」という具合に。
これも私のモットーなのですが、
心の片隅に憂うつが3つ4つところがっているのなら、
たとえ明日まで延ばすことができる用事でも、今真っ先に目の前に憂うつを
グイっと引っ張ってきて、サッサと片付けてしまうのです。
やってみれば意外と早く終わってしまったり、楽しかったりするものですし、
何よりも憂うつが明日まで持ち越されることがなくなり、時間も有効に使えて
スッキリするものですよ~。とってもお勧めです。

これらの考え方はずっと私の生き方の軸になってくれています。

さあ、週末は海の日の連休ですね。
人間も自然界の一部。ぜひ沖縄の美しい海や自然に抱かれて、その力強さを
ぜひ感じましょう。そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、
きっと思い出す時がくるはずです。そうすればきっと悩みや憂うつなんて
吹っ飛んじゃうはずですよ~。

目を閉じて聴いてみてください――寄せてはかえす波の音。
いのちのリズムを聴いてください。

寄せてはかえし、かえしてはまた打ち寄せる波の音。
そのリズムにすべてを委ねたら
人生にも満ちる時と引く時があるのだと
優しい波は教えてくれるでしょう。

例えば失敗してもいい。
落ちこむ日があってもいい。

ある日幸福が
あなたから離れていくかに見えたとしても
再び波は満ちてくる。
何度も何度も打ち寄せる。

【2011.7.14 末金典子】

いきなり沖縄の夏らしいカンカン照りの暑い毎日がやってきましたね~。
お元気にしていらっしゃいますか?

さて、週末は父の日ですね。
母の日と比べるとなんだか盛り上がりに欠けやすい父の日ですが、
父と母、両方あってこその私達。父の日はしっかり父を想う日に
したいものですね。

私の父は今年78歳で大阪で母や弟と共に元気で暮らしているのですが、
昔からおおらかと言いますか、なんとも、のんきな人なんです。
例えば、私が小学生の頃のこと。
朝学校に持っていくものがないと焦ってドタバタ探し回っている私に、
「物をなくしても落ち込んだり心配しなくていいのになぁ。
必ず地球の上にあるんだから。」とこんな具合なんです。
また、私が会社のことで悩んでいた時によく父が話してくれたたことは、
「今の世の中、恵まれすぎていてみんな贅沢になっているなぁ。
物が“ある”ことが当たり前なんだよねぇ。水道の水がそのまま飲めて、
ケーキが食べたかったらすぐに食べられる。
これって世界の中で見たら、かなりの少数派。
社会では、生きたくても生きられない人もいる。
今、生きていることだけですごいことなんだよ。
つまり生きてるだけでまるもうけ。
だから、お父さんはゴルフでOBをしても、スリーパットを打っても、
ヘコまない。なぜなら、ゴルフができること自体が幸せだから。
逆に、ゴルフをプレーできなければ、OBもスリーパットもできない。
そう考えれば、仕事のグチを言う必要もなくなるんじゃないか?
だって、会社に行くことができて、仕事があるだけでありがたいこと
なんだから。とにかく感謝が大事。“今、この瞬間に生きていることが幸せ”
ということを常に念頭に置いていれば、クヨクヨ悩むこともなくなるはずだよ」
と。
それでもまだ落ち込んだり悩んだりする私に、
「“ひとり偉人ごっこ”をしなさい。」
と言うのです。それは、自分が尊敬する歴史上の人物になりきること。
父の場合は、明治に生きた「日本の体育の父」とも言われる嘉納治五郎さん。
男気があって、心が広くていちいち小さいことにこだわらない。
だから、嫌なことがあった時は「嘉納さんだったら、この時どうする?」と
考えて、自分の小ささを反省するらしいのです。
だいたい偉人っていうのは、気持ちのスケールがものすごく大きくて、
偉業を成し遂げないといけないから、小さな事にいちいちかまっていられない。
だから彼らになりきると、大抵のことは「まぁ、いいか」って
思えるだろう、と。
私の場合は、マザー・テレサやナイチンゲールやヘレン・ケラーや
ジャンヌ・ダルクや青山光子で試してみたものです。
とにかく、一度きりの人生。バカでも、失敗してもいいから、
楽しく生きたもん勝ちだよ、と父はいつも言うわけです。

なるほどね。と思いつつも「生真面目にひたすら頑張る努力家」を
母に持つ私といたしましては、なんだかそんな父をいつもユル~く
感じていたのです。

ところがこの頃では、実は「のんき」でいられるっていうのは
すごい才能じゃないのかしらと秘かに認め始めているのです。
つまり、もっと自分に向いた生活があるんじゃないのかな?とか、
もっと自分らしい人生を送るべきなんじゃないのかな?と、
人は根拠のないことで悩んだりしますよね。
また、そもそもなかったものなのにお金が入ったり、恋人や子どもが
できたりするとそれが長もちし、うまくいくことばかり気になって
不安になったりもします。
だれもが一度限りの人生で、だれもが一度も経験したことのない未来を
送ることになっているので、それはしかたありません。
不安になって当然、暗闇を手探りで歩いているようなものだもの。
未来はだれにもわかりません。わかったところでどうすることも
できません。それでも知りたくなるのは今ある不安から抜け出し、
少しでも安心したいからです。
そもそも安心とは、不安メインの人生の単なる小休止にすぎません。
それでも人生は素晴らしいと言い切ることができる人は、
大概「のんき」なのです。
父のように、「なるようにしかならないんじゃないの」と、
基本どこか大きく人生をあきらめてらっしゃる。
(仏教では「あきらめる」は「明らかに観る」ということなので
なんだか辻褄も合うような…)
努力をしないというのではない。したけりゃ努力もしていいんじゃないと、
あくまで自分のこともひとごとのような。
「たまにいいことがあれば儲けもんじゃない」って感じで、
私も「のんき」にトライしてみようかな。

この感覚、実はうちなんちゅ~にはすんなり受け入れることが
できそうですよね~。
私が尊敬する芸術家の岡本太郎氏が初めて沖縄を訪れたときに感じた
この感覚の衝撃を素晴らしい表現で書いておられるので
引用させていただきます。

はじめて沖縄を訪れたときのことだ。沖縄の友人と約束して
待っていたが、二時間たっても来ない。こちらはセッカチだから、
ジリジリし、カンカンになっているのだが、やがて彼はにこにこ
笑いながら、人のよさそうな顔で、ゆったりとあらわれた。
そのとたんに、私はとても愉快になって思わず笑いだしてしまった。
時間など超越して、まったく悪気のない顔で再会を
喜んでいる彼の方が、人間的に本当ではないのかと
思ってしまったのだ。

近代的時間のシステムにまだまき込まれていない、悠々とした生活が
生きている世界。
その人間的時間を岡本太郎氏は嬉しく理解されたのでしょう。
彼は「沖縄文化論」を書かれたほど深く沖縄を愛し、鋭く観察した人でした。

私は、沖縄が「本土なみ」になったのではなく、
本土がむしろ「沖縄なみ」になるべきだ、と言いたい。
沖縄の自然と人間、この本土とは異質な、純粋な世界との
ぶつかりあいを、一つのショックとしてつかみ取る。
それは日本人として、人間として、何が本当の生きがいであるかを
つきつけてくる根源的な問いでもあるのだ。
とざされた日本からひらかれた日本へ。
だから沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰したなんて、
考えるな。本土が沖縄に復帰したのだ、と思うべきである。
そのような人間的プライド、文化的自負をもってほしい。
この時点で沖縄に対して感じる、もの足りなさがある。
とかく本土に何かやってほしい、どうしてくれるのか、と要求し
期待する方にばかり力を置いている人たちが多い。
何をやってくれますか、の前に、自分たちはこう生きる、
こうなるという、みずからの決定、選択が、今こそ緊急課題だ。
それに対して本土はどうなんだ、と問題をぶつけるべきなのである。
私は島ナショナリズムを強調するのではない。
島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという
人間的プライドを持って、豊かに生き抜いてほしいのだ。
沖縄の心の永遠のふくらみとともに、あの美しい透明な風土も
誇らかにひらかれるだろう。
岡本太郎

「岡本太郎生誕100年記念展」がまさに今沖縄県立博物・美術館で開催中です。
父の日に父子で美術鑑賞なんていかがでしょう。
26日までですのでぜひお見逃しなく!

【2011.6.16 末金典子】

例年のこの時期なら、もう夏かしらと思うほど暑い毎日なのですが
今年は早々に梅雨に入ってしまい、なんだかひんやりの毎日で
ちょっと勘が狂ってしまうのですが、みなさんはお元気にお暮らしでしょうか。

先週の月曜日、「奇跡のりんご」で有名な木村秋則さんのお話を
ぜひともうかがいたいという樋口のリクエストで、
沖縄経済同友会の玉城さんがコーディネートを担当され、
木村さんの講演会が実現しました。
木村秋則さんのことはNHKの「プロフェッショナル」などでも既に御存知の
ことと思いますが、
リンゴ農家の跡を継いだ木村さんは、農薬なしではリンゴは育たない、という
従来の常識を覆すのに、周囲に罵倒されながらも、ずっと収穫ゼロという
11年の歳月を費やされました。きっかけは、妻が農薬に過敏な体質だったから。
でも農薬と肥料の使用をやめた途端、800本あったリンゴの木の半分が枯れ、
害虫が激発。専門書を調べ、実験しては、農薬にかわる食品を何十種類も試すも
すべてダメ。無力感と貧しさに、ついに死を決意して岩木山に入った木村さんは、
一本のどんぐりの木に出会ったのです。農薬も肥料もない山で木は元気に枝葉を
広げていました。
その後は、畑の土をできるかぎり山の土に近づけるため、
肥料をやめ、雑草刈りをやめ、大型農機具も撤廃。畑は草ぼうぼうに
なりましたが、枯れかけていたリンゴの木は少しずつ元気になり、数年後に
再び花を咲かせ、ついには実ることに。
不可能を可能にした独自の「自然栽培」でつくった彼のリンゴは「奇跡のリンゴ」
と呼ばれるようになったのです。

その木村秋則さんが、沖縄経済同友会で講演後、
大八産業・玉城さんがとりまとめておられる有機農家さんの会「しまぬくんち」
でも快く講演をしてくださいました。
その後、麗王でお食事会を開き、思わぬ大計画にも発展し!
おおいに盛り上がりました。また御報告させてくださいね。

木村秋則さんのことは私の拙い文章よりも、
お友達でもいらっしゃる茂木健一郎さんの方が素晴らしい文章でブログに
書かれておいでですので御参照ください。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/11/post_35ec.html

実際にお目にかかりお話させていただいた木村さんは、
今、自分の目の前で話している人のお役に立つために最適なことは何かを
真剣に考えてくださる、そんな愛情に溢れた方でした。
常ににこにこなさりながらも、自分をひたすらに行き抜いた方だけが持つ
静謐な雰囲気と、真剣な鋭いまなざしがとても印象的でした。

「自分を生き抜く」これは本当に大変なことです。
自分の信念をひたすらに信じ、自分の夢をひたすらに追い続け、
負けずに生ききる。
相当の覚悟が要ることです。

麗王にもそういう方がいらしてくださいます。

その中のお一人が画家の山田夕香さん
彼女は絵筆を使わずに指で絵の具をカンバスに押し広げながら
作品を描いていきます。
以前はパリに住み、帰国し、数々の大きなイベントや個展で作品を発表し続け
今でこそ有名な画家として活躍中の彼女ですが、
画家の道というのも生活が成り立つまでは大変な道のりです。
ましてや彼女の作品は絵筆を使わない異端とも言える作風。
これでいいのかと随分想い惑い悩んだ日々があったそうです。
そんな時、訪れた沖縄でたまたまスパでマッサージを経験したのだとか。
自分の身体を指で優しく押して労わってくれるそのなんとも心地よい感覚に
涙が溢れたそうです。自分の作品達はいつもカンバスでこんなに優しく
心地よい私からの愛と労わりを感じてくれているんだ。
私は間違っていない、と。
彼女のテーマでもある、彼女の描く太陽のなんと素晴らしいこと!
ディアマンテスの「太陽の祭り」のCDジャケットでもお馴染みです。
http://www.kk-ark.jp/page/artist_yamada/yuuka_yamada.html
その彼女の個展が今年も沖縄三越で明日から開催されます。
ぜひぜひパワーをいただきに訪れてみてくださいね。
そしてぜひ元気いっぱいの素敵な夕香さんにお声かけください。

山田夕香 絵画展
沖縄三越5Fギャラリー
24日(火)~30日(月) 13時~18時 月曜のみ17時まで

また、私が「日本で一番美味しいパン屋さん」といつもみなさんに
お伝えしている奈良県の「ミアズブレッド」の森田三和さん
お忙しい中、夕香さんの個展に日帰りででもかけつけてくださるそうです。
この森田三和さんもまた自分をひたすらに生き抜いておられる方で、
自分のことを「パン屋さんだと思っていないパン屋さん」とおっしゃいます。
まさにそうなんです。彼女のパンを食べたことのある方はおわかりかと
思いますが、もうおいしいなんてものじゃない。パンが生きているかのよう
なんです。とにかくすごいパンです。毎日毎日それはもうあきずに
食べたくなっちゃう、自然で、それでいて飛びきり美味しいパン、
いえ、作品なんです。
今や三和さんも本を3冊も出されたり、「暮らしの手帖」で特集されるなど
大変な人気の方で、週末には彼女のドキュメンタリー撮りが沖縄であり、
(朝日放送)私が現地コーディネートをする予定になっています。
三和さんのパンもぜひお試しを。
http://miasbread.com/topics/news.htm

【2011.5.23 末金典子】

お元気ですか?
今年はゴールデンウィークに早々に梅雨に入ってしまい、
じとじととした休日となりましたが、かえっておうちでのんびりできたのでは
ないでしょうか。

さて、日曜日は母の日でしたね。

あなたもそうだと思うのですが、お母さんから学んだことや受け継いだことが
多々あることと思います。
昨年のお便りでは母から学んだ「謝ること」「働くこと」などを書かせて
いただいたのですが、今年は「出し惜しみしないこと」について書こうと思います。

私の母は子供である私が言うのもなんなのですが、いつもすること言うことが
仏さま・観音さまのような人なんです。
例えば、私が子供の頃、母と一緒に一緒にゆうげのお買い物に行く途中、
お乞食さんに出会うということがありました。
すると母は自分のお財布の中の今日使えるお金を
惜しげもなく全部あげてしまうのです。
それも迷うことなく間髪をいれずにさっとあげてしまうのです。
私達の夕食のお買い物にあてるお金を全て、です。
私が「なんでぇ? 今日のお夕食はどうすんの~?」と聞くと、
母は決まって「お家にあるもんですませよね。」と言うのです。
「コロッケ作ってくれるって言うたのに~。」と恨めしく言う私に、
「こういうことを“お布施”って言うねんよ。
考えてごらん。もしもあのお乞食さんが神さまやったらどうすんのん?
それに、お布施はしてあげるんやないよ。させていただくんやで。
させていただくことによって私達の心の中に清々しい気持ちが湧いてきて
その気持ちを逆に恵んでいただいてるんやよ。
そういう世界に私達を導いてくれはるために神さまがお乞食さんの姿に
なってはるのかもしれへんやろ?
あげてるんやなくて、もらっていただいてるんやよ。」 と。

その後、母から繰り返し教わったことは、
「もらおうもらいたいと思うあなたは“無い人”。
でも、求めず与えていくときのあなたは“豊かな人”。」だよと。

そんなことを思い出していた時、どこかで目にする機会があって読んだ
新幹線の座席に置いてある無料雑誌「トランヴェール」の巻頭エッセイ・
脚本家の内館牧子さんの一文を連想しましたので引用させていただきます。

脚本家の橋田壽賀子先生が「おしん」を書かれている最中、
私は先生の熱海の仕事場に通っていた。膨大な資料を整理する程度の
手伝いだが、卵以下の私にとって、一流脚本家のそばにいられるのは、
何ものにも替えがたい幸せだった。
それから約十年後、私はNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」を書くことに
なった。先生は大喜びされ、一席設けてくださった。私は暮色の熱海が
一望できる一室で、たったひとつだけアドバイスを頂いた。
「出し惜しみしちゃダメよ」
これは強烈だった。さらにおっしゃった。
「半年間も続くドラマだから、ついついこの話は後に取っておこうとか、
この展開はもう少ししてから使おうとか考えがちなの。でも、後のことは
考えないで、どんどん投入するの。出し惜しみしない姿勢で向かえば、
後で窮してもまた開けるものよ。」
実はそのとき、私はすでに半年分の大まかなストーリーをつくり終えていた。
出し惜しみと水増しのストーリーだった。熱海から帰った後、私はそれを
全部捨てた。向き合う姿勢が間違っていたと思った。
「出し惜しみしない」という姿勢は、人間の生き方全てに通ずる気がする。

また、私が社会人になりたての頃、スーパーウーマンのように仕事ができる
女性の先輩と一緒に長く仕事をしていたときに彼女の生きる姿勢から
学び取ったこともそうなんです。

彼女は当時の私から見て、何をやらせても何を語らせても広すぎて深すぎる
そんな人でした。彼女の前だと自分が卑小な存在に思えてきたものです。
登るべき山の高さに腰が抜けてしまうという感じ。いや、山と言うより、
もう山脈、といった感じ。あらゆる分野についての彼女の引き出しの多さに
驚愕するどころか、その引き出しすべてにわたってかなり極めているのだから
もう脱帽ものでした。

その彼女の根っこにある姿勢も「出し惜しみしない」だったのです。

例えばなにかを面白いと思ったら文字通り寝食を忘れて没頭する。
普通の人なら「そろそろ寝ないと明日にひびく」とか思って切り上げようと
するところを彼女は切り上げない。ヘタすると何日でも寝ずに没頭する。
そうやっているうちに引き出しが驚異的に増えていき、結果的に様々な分野を
極めているわけです。

こうして私自身の座右の銘は「出し惜しみしない」になっていきました。

私の母も、内館牧子さんが書いた橋田壽賀子さんの言葉も、先輩も同じです。
これは宗教の話や、脚本術の話や、キャリアウーマン成功術の話ではありません。
生き方を語っているのだと思います。

あなたはどうでしょう。「まぁこのへんでいいや」「あまりがんばる姿を
見せるのも格好悪いし」「身体に悪いからいい加減にしておこう」…。
こんな風に少しずつ自分を出し惜しんでないでしょうか?

でも、出し惜しみはあなたの明日を何も変えません。今日と違う明日を
生み出しはしません。あなたなりの、想像できる明日しかやって来ません。

出し惜しみせず生きてみましょうよ。長続きしないかもしれません。
でも挫折してもまたすぐ始めましょう。
思ってもみない明日が、きっと、やってくるはずだから。

よ~し、まず今日は、明日のことなど考えずに飲み明かすぞ~!
ナーンテ、ダメかしら?

【2011.5.11 末金典子】

お元気ですか?
ゴールデンウィークだというのにまだひんやり気味の毎日ですね。

3・11の大地震で被災された方はもちろんのことなのですが、
被災されなかった人までもが、気分が落ち込んだり、体調が悪いなどの
心身の不調を感じておられる方が多いそうですから、
今週から始まるゴールデンウィークであなたも少しのんびりなさってくださいね。

大地震から被災地の様子などのニュースをずっと観ていますと、
東北の方々のめげない頑張る力や、道徳心や、助け合う心などに
本当に胸をうたれます。
また世界中から駆けつけているボランティアの方々、
避難所で無償で働く人々など、みんなが助け合い、いたわりあっている様子には
頭が下がる想いです。

こういう映像や記事を見ていて私が思い出す人が二人いるんです。

まず、アーランド・ウィリアムズさんというアメリカ人です。
お仕事は銀行の監査官で、お亡くなりになられた時は46歳。
1982年1月にワシントンDCで、エア・フロリダの航空機が寒波の悪天候の中で
ポトマック川に墜落したのを覚えておられますか?
衝撃で乗客の大半が落命されましたが、6人が水中に投げ出されました。
ウィリアムズさんもその一人でした。
ヘリコプターが救助に駆けつけ、衰弱の激しい彼のそばにロープを下ろしましたが、
ウィリアムズさんは隣のスチュワーデスに順番を譲りました。
ヘリコプターは少しして戻って、再びロープを下ろしましたが、
彼はまた別の女性に順番を譲りました。
酷寒の夕方で、水面は氷結し始めていました。次にヘリコプターが戻った時、
そこにはもうウィリアムズさんの姿はありませんでした。
水温の低さに耐えきれなかったのです。川に投げ出された6人の内彼がただ一人、
帰らぬ人となったのです。
ウィリアムズさんは死後その行為を讃えられ、事故現場近くの橋は、
「アーランド・ウィリアムズ橋」と改名されました。
その英雄的な行動に世界中の人が感動しました。私ももちろん感動しました。
でも個人的に思うことなのですが、それは英雄的というよりも、
彼にとってはむしろ日常的、習慣的な行為だったのではないでしょうか。
常日頃からマナーというだけではない「お先にどうぞ」という心からの優しさを
示していた人でないと、急に事故に遭っていきなり英雄的に振舞うことなど
きっとできませんよね。

もう一人が、かの有名なアインシュタインです。
アインシュタインが住んでいた場所は、大学の人以外はほとんど
知らなかったそうですが、たまたまその近所にある小学校の先生は
知っていました。そしてある日、自分のクラスの算数があまりできない女の子に、
「あなたの家の隣に算数がよくできる人が住んでいるというのに、
どうしてあなたは、きちんと勉強しないの。」と言ったそうです。
子供はもちろん、それが誰のことなのか知りません。ですから、
「なるほど。隣の家のおじいちゃんに宿題を教えてもらえばいいんだ!」と
思って、早速隣の家のチャイムを鳴らしたのです。
ドアを開けたら小さな女の子が立っているものですから、アインシュタインも
「まあ、どうぞ。」と家に入れました。すると、その子は、
「おじいちゃん、学校の先生が、隣のおじいちゃんは算数が上手だ、
と言ったのよ。だから、これを教えてちょうだい。」と頼んだのです。
アインシュタインはとても忙しい人でしたし、すでにアメリカの国宝のような
存在でしたが、彼女になんのことなくぜんぶ教えてあげました。
しばらくして、その女の子があまりにも算数ができるようになったので、
先生が不思議がって
「あなたは、最近すごく算数ができるようになりましたね。」と言うと、
「先生は言ったでしょう? あのおじいちゃんに聞いて、
教えてもらいなさいって。」と言うのです。
それを聞いた先生は驚いてしまいました。そしてその子の母親に
「たいへんなことになりました。私は別にそういう意味で言ったわけじゃなくて、
ただ、隣にアインシュタイン博士が住んでいることを知っている、ということを
言いたかっただけなのです。」と言いました。これは困ったことになったと
いうことで、先生とお母さんはアインシュタインの家に
「大変、御迷惑をお掛けしました。」と謝りに行きました。
ところがアインシュタインは、
「いいえ、なんのこともないのです。私は何も教えていません。
反対に、いろいろなことを教えてもらいました。
教えてもらったのは、私の方です。」と言ったのだそうです。
相対論を発見した偉大なる人なのだから、この小学生の子供とは比べものに
ならないほど智慧があるはずです。
それなのに、「いろいろなことを教えてもらった」と言うのです。
私は、アインシュタインがウソを言っているとは思いません。
常日頃から、子供のように純粋に学び続けている人だからこそ、
子供からもいろいろなことを学ぶことができるのだと思います。

つまりは、毎日毎日を、心から親切に謙虚に生きていくことが、その積み重ねが
自分のよき人間性や人格を形成することに繋がっていくのだと思うのです。

私にはお二人のようにとてもそこまでの生き方はできそうにないけれど、
でもこうやって文章を書く時には、少しでも読みやすく、
理解しやすい文章にして、できるだけみなさんに対して親切であろうと、
ない智慧をしぼり、力を尽くそうと思いますし、
目の前の方が私の家族だったらという気持ちで、
お話をうかがうのなら、音を耳に当てるのではなく、心でしっかり聞こう。
お話をさせていただくのなら、誠意を持ってちゃんと自分の気持ちを伝えよう。
そういつも心がけています。
でも実際にやってみると、これは決して簡単なことではなくて、
落ち込む気分に陥るときもあります。
そんな時に私はウィリアムズさんのことを考えるのです。
猛吹雪の中、ポトマック川の氷混じりの水に浸かりながら、まわりの女性に
「お先にどうぞ」と言い続けるウィリアムズさんに比べれば、私のことなど
別に大した問題じゃないよねと。

さぁ、週末からゴールデンウィークが始まります。
人に優しい気持ちになるには自分の気持ちにも余裕がなくては。
いつもの忙しい毎日から、のんびりモードに切り替えて、
まずは自分に優しくしてあげてくださいね。

【2011.4.27 末金典子】

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1 沖縄に立ちはだかる壁、米軍基地

(1) 避けられない難問
沖縄の経済について考えるとき、米軍基地の問題は避けて通ることができない。社会・経済のいわば毛細血管の隅々にまで米軍基地の問題が絡みつき、見かけの額を遥かに超える複雑な影響力を社会の生態系全体に及ぼしている。このため、沖縄の地域再生を語るためには、まずその前に、基地経済の現状とその弊害の実態をどうしても明らかにしなければならないことになる。

沖縄県庁は、軍用地料、軍雇用者所得、軍人・軍属消費支出の合計額(「軍関係受取」)が、県民総所得に占める割合が復帰直後の15.5%から5.4%へ、金額にして約2,155億円(’06)まで低下し、基地経済への依存度は減少している、と説明する。しかしながら、その数字が事業や生活の実感とそぐわないのは、基地経済を余りに狭義に捉えすぎているためではないだろうか。直接基地関連の補助金でなくとも、沖縄ゆえの優遇・特別措置や振興策は基地経済の一部であるからだ。粗々ながら実際の基地経済の規模を推定すると次のようになる(カッコ内はデータ年度)。

防衛省が管轄する軍用地料583億円(’06、国有地34.4%へ支払われる軍用地料を相殺した額)、基地周辺対策費176億円(’03)、思いやり予算沖縄分540億円(’07)。軍人・軍属の消費支出632億円(’05)。内閣府沖縄総合事務局が管轄する沖縄振興開発事業費2,720億円(’06)、・・・沖縄振興開発事業費には、北部振興、「特別調整費」、科学技術大学院大学、教育振興、農業振興、金融公庫、島田懇事業などが含まれている。総務省基地交付金・調整交付金68億円(’07)、文部科学省などその他9省予算88億円(’03)、以上の合計だけで、年間およそ4,800億円(①)。まずこれが比較的はっきり「目に見える」お金だ。

次に、沖縄県(’06)と市町村(’04)が国から受け取っている地方交付税、地方特別交付税、国庫支出金の合計が5,900億円、全体の歳入1.15兆円の実に51%を占める。全国の平均が29%(都道府県)、26%(市町村)であるため、51%との差額を仮に、沖縄の特殊事情による国からの「上乗せ」と解釈すると、その推定額が年間およそ1,400億円(②)。

その他数量化がむずかしい要素として、揮発油(ガソリン)税、航空機燃料税、国内線空港着陸料、酒税など、国の支出予算を伴わない各種減税措置(③)がある。沖縄のガソリンは本土よりもリッターあたり7円程度安いと言われ、自動車保険にも優遇措置がある。航空燃料税は本土便で50%、空港着陸料は1/6に減額されているため、この影響は経済的波及効果の大きい入域観光客数に直接及ぶ。さらに、約1兆円の融資残高を持ち、毎年約1,000億円の長期低利融資を行う沖縄振興開発金融公庫の金融効果(④)、後述する軍用地の波状的な金融・経済効果(⑤)、その他恣意的に作られた可能性がある有形無形の沖縄キャンペーン、その他(⑥)である。

以上(①)~(⑥)の合計額を大掴みにイメージすると、年間1兆円(から波及効果を含めると最大2兆円)。沖縄の県民総所得約4兆円のうち、25%(~50%)が基地経済ではないかと推定できる。こうなると沖縄県庁が発表する数字の5倍から10倍だが、こちらの方がよほど県民の実感に近い数字ではないか。すなわち、1兆円を越えるハードルに向き合うということが、沖縄が自立するということの本当の意味であり、地域再生において維持すべき目線なのである。

(2) 基地経済の生態系
基地経済がその実力を遥かに上回る規模にまで沖縄経済を膨張させている様子は、以下のような事例からもイメージできる。

土木建築業の産業付加価値を表す07年の沖縄県の建設投資額は約5,500億円。同年度の沖縄振興開発事業費の公共事業費2,400億円がなければ、産業規模はざっと半分になるイメージだ。沖縄の建設業は4.4万人を雇用している。沖縄の平均世帯人数2.6人で単純計算すると、11.4万人に影響を与える重要な産業だが、これだけの産業が基地経済によって倍に膨れ上がっているとすれば、将来への影響は深刻だ。

軍用地料は72年の126億円から一度も下がることなく継続的に上昇し、06年度の合計は約888億円(米軍基地777億円、自衛隊基地111億円)。地権者の約34.3%が国であるため、これを除いた賃料583億円を仮に30倍で評価すると、1.75兆円の金融資産に相当する。その担保掛目が60%としても、ざっと1兆円相当の債権の信用補完ができることとなる。沖縄銀行が日本でもっとも健全度の高い銀行として、全国の上位にランキングされているのも偶然ではない。また、約9,000名の軍雇用員は準公務員待遇で雇用され、平均570万円(’05)という沖縄では破格の安定収入を得ている。彼らの消費が地域に及ぼす効果はもちろんだが、信用力の高いと判断される彼らが住宅ローンを借り、債務の保証人となり、車のローンを借りることによる金融効果は計り知れない。沖銀、琉銀、海邦、主要三銀行の融資残高が2.7兆円であることを勘案すると、軍用地がなければ沖縄の金融機関の規模は大幅に縮小することは間違いない。

仮に軍用地を企業に見立てるとしよう。軍用地料900億円を配当していると考えると、実効税率40%として1,500億円の経常利益に相当する。沖縄全法人の申告所得総額は1,430億円(‘08)、沖縄の全企業が束になっても軍用地料分を稼げない。また、1,500億円の経常利益は、利益率5%として、売上3兆円の企業が地元に存在するイメージだ。この売上規模は東証一部企業のランキングでは30位。三菱重工、シャープ、ブリジストン、JR東日本よりも大きい企業ということになる。金融機関を除く沖縄上位100社の売上の合計が1.87兆円(‘08)であること勘案すると、軍用地料がいかに大きな影響を及ぼしているかが想像できる。

沖縄を代表する「超優良」企業沖縄電力は、沖縄振興特別措置法に基づいて数々の税の優遇措置を受けていることに加えて、売上の約1割弱107億円(’06)が米軍基地に対するものである。沖縄電力の経常利益は100億円前後であり、基地が撤退すれば赤字に転落する可能性が高い。その他、沖縄の申告所得上位企業は、請負工事など軍関係の仕事や、特別措置法に基づく税の減免措置によって利益を確保しているところが少なくない。特に県内で製造販売されるビール、泡盛にはそれぞれ20%、35%の酒税軽減が措置されているが、酒税軽減額は年間36億円(’09)、復帰以来の累計額は1,000億円を超える。およそ230億円(’05)の泡盛製造業、200億円のビール製造業いずれにおいても、酒税軽減額がほぼ利益の額に等しく、業界の育成というよりも実質的に利益の補填に近い。

2 大田県政の皮肉な「成果」

(1) 政治と基地と経済と
誤解を怖れず、単純に表現すれば、沖縄の政治は、「基地を成長戦略に利用しようとする」保守と、「基地なしで自立しようとする」革新の綱引きという図式が存在するが、最大の皮肉は、革新の政策がもっとも「保守」的な結果を招いていることだ。

近年、基地経済の重要な転機になったのが、90年から98年まで2期務めた革新大田昌秀県政時の95年9月4日、米兵による少女暴行事件。この事件に端を発した、日米地位協定の見直し・基地の整理縮小を目指す沖縄県民の大運動は、大田知事(当時)の駐留米軍用地の強制使用にかかる代理署名拒否、8.5万人が集結した復帰後最大規模の県民総決起集会、日本で初めての県民投票など、前例なき運動のうねりとなって日本政府を大いに慌てさせることになる。県民総決起集会から1ヶ月足らずの間に米軍基地の整理縮小に向けた打開策がまとめられ、「沖縄米軍基地問題協議会」「沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会(SACO)」が次々と設置。年末に開催された日米合同委員会では、キャンプ・ハンセンの一部など、8施設・10事案の返還が早々に合意された。翌1月、橋本新首相の施政方針演説において米軍基地の「整理統合・縮小を推進する」旨明言され、4月には普天間飛行場の「7年以内」の全面返還が発表されるなど、政府の驚くほど迅速な一連の対応は、政府が県民運動の拡散をどれだけ恐れたかを物語っている。

この事件をきっかけに政府が沖縄に用意した、経済的な「パッケージ」は圧巻である。沖縄の要求はそれがカネで解決のつくことであればすべてを受け入れる、と言わんばかりだ。基地所在市町村38事業に投下された、いわゆる「島田懇談会」事業1,000億円、全国の米軍基地所在地に配分される地方交付税の沖縄への傾斜配当75億円、小渕内閣による「特別調整費」1,000億円、北部振興策1,000億円、現在までに3,000億円を超えるSACO関連経費、などが立て続けに決定された。毎年2,000億円、多い年で4,000億円を超える予算が組まれる沖縄最大の振興策、第三次沖縄振興特別計画が当然のように更新され、その中で新たに、情報通信産業特別地区、特別自由貿易地域(FTZ)、金融業務特別地区の三制度が措置された。那覇空港ビルと那覇新都心に店舗を構えるDFSギャラリア・沖縄は同法に盛り込まれた特定免税店制度によるものである。

観光産業を強力に後押しした2000年の沖縄サミット開催も、95年の事件がなければ検討すらされなかった可能性が高い。ザ・ブセナテラスは、開業直後の苦しい時期にサミットの追い風を大きく受けている。当時、沖縄の「目玉リゾート」の経営が高単価で軌道に乗ったことで、観光産業全体がどれほど恩恵を受けたかは計り知れない。首里城守礼之門を図柄とする2,000円札の発行、首里城跡の世界遺産登録、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』放映、辺野古で撮影された中江裕司監督作品『ホテルハイビスカス』、特別調整費を中心に15億が拠出された沖縄デジタルアーカイブ「Wonder沖縄」、北部観光740億円・北部経済1,300億円の経済効果を生み出していると試算されている美ら海水族館新館、すでに600億円が投下された沖縄科学技術大学院大学、100億円を超える事業費で辺野古に設立された国立沖縄工業高等専門学校なども同様だ。沖縄全島に散在する豪華なスポーツ施設ではプロ野球全球団がキャンプを張る。その中でも最新の奥武山球場は防衛施設庁の予算70億円で改築され、読売巨人軍沖縄キャンプの誘致が決まった。90年代後半以降活躍が目立つ沖縄出身の芸能人、全国に急増した沖縄料理店、酒税の減免措置が適用する泡盛の流行、数々の沖縄キャンペーンなど、息の長い大掛かりな沖縄ブームで多方面から持ち上げられた結果、沖縄への入域観光客数は96年から急増し、わずか15年間で倍増した。「経済振興」という名の有形無形の補助金が沖縄へ大量に降り注いだタイミングと重なっているのは偶然ではない。

(2) 沖縄のジレンマ
つまりは、皮肉にも95年以降の基地反対・自立運動を唱えた大田県政が、基地代償のための「経済振興策」を大量に引き出し(てしまっ)たわけだ。少女暴行事件に端を発した基地反対運動は、そもそも革新大田県政下でなければあれほどの盛り上がりを見せなかった可能性がある。そして、戦後最大規模に拡大した県民大運動が日本政府の強い同化・懐柔政策を引き出し、ただでさえ補助的な開発振興政策に加えて、沖縄に対して大量の補助金の投下、経済援助、キャンペーンが進み、90年代後半以降の沖縄は、補助金に完全に依存する形の歪んだ「経済成長」を遂げることになる。基地からの自立を誰よりも望んだ革新大田県政が、結果として基地経済への依存度を著しく高め、沖縄自身をもっとも「本土化」し、自立を阻む最大の要因を招いてしまったのだ。

3 基地経済が引き起こす弊害

基地の存在は、経済成長にプラスであるという考え方は一般的といえる。基地が存在するために大量の経済的な見返りがあるという意味ではその通りだが、歪んだ経済援助は社会に重大な弊害の数々を及ぼす。その深いマイナス点を織り込んだ後で、どれだけプラスかマイナスかを考えるべきであろう。

(1) 第一の弊害
大きな社会格差を生むことだ。年間「1兆円」を超えるお金が政府から拠出されているということは、県民一人当たり毎年100万円のお金を手にしている計算になるのだが、現実は著しく不均衡に配分されている。沖縄県民の平均所得は日本で最下位であるだけでなく、年収200万未満の労働者比率は49%、全国平均の33%よりも遥かに高い。一方で、申告所得1,000万円以上の(納税者数に対する)割合は全国第9位。沖縄は低所得社会というよりも、日本最大の格差社会なのだ。不均等に分配される大量の補助金と、軍用地主などの存在が大きく寄与していることは間違いない。

(2) 第二の弊害
公共工事に偏重した産業構造だ。沖縄振興特別措置法に盛り込まれた高率補助のために、沖縄県は土木工事の9割以上を国の費用で賄っている。県が予算を組む「補助事業費」の額の10倍以上の公共工事を発注することができるのだ。反面、この予算を、例えば景観整備やデザインや教育などのソフトコストに回そうとすると、10分の1の経済効果しか生み出すことができないため、どうしても公共工事が優先される。9割の補助金を利用して自然の海岸が埋め立てられ、島がコンクリートで固められ、最も重要な観光資源が破壊される。県の農業予算もその実態は大半が農業土木であり、自然の表土を削り、土壌を入れ替え、風土に合わない農産物を大赤字で生産する過程で、大量の赤土を生じ、珊瑚と海と環境を破壊する。

(3) 第三の弊害
資産インフレだ。軍用地料を恣意的な高水準に維持するための法外な評価額は不動産市場を大きく歪め、日本でもっとも県民所得が低い県であるにもかかわらず、沖縄の地価がこれほど高いことの主因になっている。

基地跡地の再利用で、返還前の異常に高い軍用地料に見合う事業を成立させることは、顧客単価の低い沖縄では困難であり、必然的にショッピングセンター、パチンコ、ゲームセンターを中心とした賃料水準優先の開発になりがちだ。実際、近年開発された那覇新都心、宜野湾西海岸、豊見城市豊崎タウンはその通りの乱開発になっている。「成功事例」とされている北谷の再開発も、その実態はコザとの間で地域市場の食い合いをしただけであり、これが原因のひとつとなって、かつて栄えたコザの街は崩壊してしまった。沖縄でこれ以上同じようなショッピングセンターばかりを作るべきではないのだが、反面、商業施設以外の誘致では十分な収益が上がらない。軍用地料を基準に再開発を行う、というそもそもの前提がおかしいのだ。

この資産インフレに目をつけて、財政赤字を埋め合わせようとする地方自治体は、自然の海岸をそれこそ高率の補助金で容赦なく埋め立て、都市計画の整合性や美しさよりも価格を優先して、ファンドなどの投機筋、マンションデベロッパー、遊技場などに高値で売却する。目先の財政は潤うかもしれないが、そこで事業を行い、多額の投資回収のために骨身を削って働くのは、投資家ではなく他ならぬ地元の従業員だ。ただでさえ高い地価に加えて、自治体に支払われた多額の用地購入資金は事業の簿価を押し上げ、もともと利益率の低い沖縄のサービス業の収益を圧迫し、商品の質と原価を下げる。正社員が臨時社員に置き換えられ、従業員の報酬が削られ、街並みが破壊され、現在の沖縄産業構造が生まれた。

さらに、資産インフレはホテルを中心に短期転売を目的としたファンド系の資金を大量に呼び込む。過去10年足らずの間に沖縄の主要なホテルの大半は転売され、現在はその殆どが外資系資本だ。彼らが事業を「再生」して、高値で転売したり株式を上場したりするたびに簿価が大幅に上昇し、事業から回収するべき利益のハードルが上がる。従業員が働いて利益を出せば出すほどホテルは高値で売却され、従業員の利益目標は逃げ水のように高くなる。利益を捻出するために人件費が削られ、原価が削られ、商品とサービスの質が低下する。沖縄のホテルの従業員は、自分自身あるいは仲間の報酬と職を減らすために骨身を削って働いているという、実に皮肉な構造の元におかれているのだ。

(4) 第四の、そして恐らく最大の弊害
自立心の喪失だ。沖縄の基地経済は、どんなに言葉を飾っても、その経済的な本質は沖縄が受け取る毎年「1兆円」超の不労所得である。四人家族であれば400万円、沖縄全体で見れば文字通り誰一人として働く必要のない水準の金額だ。これだけの不労所得が社会に投下されれば、事業へのこだわりは失われ、創造性が欠落し、いいものを提供しようという情熱が失われる。自分の事業を切り開くという意識と自信と意欲が希薄になり、沖縄県内からノウハウと人材が輩出されず、逸材は沖縄に留まらず、または沖縄で活かされない。

4 基地経済の弊害が引き起こした沖縄の現状

(1) 劣化する社会

基地経済は、沖縄経済の「量」を人為的に膨らませる代償として、沖縄の将来にとって最も重要な、観光の質、雇用の質、地域と生活の質、について、目も当てられないほどの低下を招いている。大量に提供される補助金は、原価を上げて商品の質を高めたり、サービス向上のために従業員の報酬を増額したりするためには使われない。基本的に商品の価格を下げて顧客を呼び込むための原資、つまり単なる利益の補填となる。価格を下げれば目先の顧客は増えるが、客層の低下が進み、際限ない価格競争が始まる。利益率が縮小し、原価と人件費が削られる。取引のボリュームは拡大して仕事は増えるが、人は増員されにくい。中途採用社員が正社員になることは事実上不可能といえるほど困難であり、現場は若くて安くて不安定で経験の浅いパートタイマー中心だ。沖縄は今や全国でもっとも正社員比率が低く、もっとも臨時職員の比率が高い県だ。沖縄の主力産業とされているホテルやコールセンターで働く従業員は、手取りの給料12万円が当たり前の水準だが、それでもサービス残業が横行する。キャリアを積み重ねるどころか、結婚することすら困難で、いくつになっても家族の支えがなければ生活できない。人件費が安いからという理由で沖縄へ大量に進出するコールセンターのような業態は、低賃金に押さえられている沖縄の労働分配の歪みを収益源にしているともいえる。

基地経済がもたらした沖縄の社会・経済・産業構造は、結果として、補助金や行政の支援なしでは自立できない企業を量産している。現在の沖縄経済は、実質的に四つの産業・事業モデルしか存在しないように見える。論点をはっきりさせるために敢えて赤裸々な表現を使用すると、

①補助金なしでは存続し得ない依存型事業(製糖、ビール、泡盛、建設など)、
②消費者にコスト転嫁が容易な規制・独占業種(製鉄・電力など)、
③自分のノウハウを持たない経営不在型事業(フランチャイズや提携事業など)、
④低品質高価格のぼったくり型事業(多くのサービス業、みやげ物、県産品など)。

(2) 斜陽の沖縄観光
観光立県を支えるはずのホテルやリゾートでは、一部屋に大量の宿泊者を詰め込んで売上を稼ぐやり方が横行している。目先の利益を確保しようとして商品やサービスの質をないがしろにすると、しだいに客層が低下して安いものしか売れなくなり、埋め合わせに販売量を増やして競合の激しいマスマーケットに訴求せざるを得なくなる。顧客が離れていくのを繋ぎ止めるため、あるいは新規顧客を開拓し続けるために広告宣伝や営業などの追加費用が必要となる。利益が圧迫されるために人件費を大幅に削る必要が生じ、労働環境が悪化し、従業員の質が低下して応用力のある対応ができなくなり、現場で小さな不正が増えるため、経営は業務をいっそう規格化する。そして、人間味を失ったサービスの低下が顧客層を下げるという完全な悪循環に陥る。いったん下落傾向になった質の低下は、どこまでも市場を安っぽいもので満たしている。

沖縄への観光客は600万人に届くといわれているが、すでにそのうちの約半数290万人は、離島への観光客である。本島への観光客は実質的に300万人程度に過ぎず、観光地としての沖縄本島は激しい衰退状態にあると考えるべきだ。主要観光施設への来場数は、海洋博記念公園(美ら海水族館)365万人、首里城公園250万人(いずれも補助金で開発された)。平均で2泊する本島への「300万人」の観光客が、一日北部と美ら海水族館、一日首里城公園と那覇を観光して帰路に着くに過ぎず、実質的に「沖縄観光」と言えるほどの深みと多様性は消滅している。沖縄が誇るリピート率の高さも、過去10年くらいのトレンドとして増加してきた離島観光と、本島におけるレンタカーの普及によって、毛細血管のように訪問先が増加したためであり、顧客は決して自分のお気に入りの場所に再訪(リピート)している訳ではないのである。

観光地の質を近似的に定量化する指標は、「顧客一人当たりの平均滞在日数」だ。この指標は過去30年間、ほぼ一貫して低下し続けている。09年は、延べ宿泊日数1,140万人、来訪者集565万人、観光客は平均で2.0泊しかしていない。沖縄県政は観光収入や来訪者数よりも、この数値を何よりも重視すべきだ。

5 沖縄が目指すべき道

以上、基地問題の弊害や現状を多々述べてきた。基地反対を唱えることは容易だが、それを真剣に実現したいのであれば、1兆円(から最大2兆円)の経済ギャップを埋めることなしには不可能だ。一方、基地を容認して補助金を受け続けることは、自立を阻み、産業を阻害し、社会を壊し、持続性のない量の経済をいたずらに膨れ上がらせ、質の高い社会の実現を遠ざける。沖縄の地域再生を実現するということの意味は、これらの構造問題を解消するということである。その道筋をつけるおそらく唯一の方法を次に提起したい。

(1) 質の経済へ
沖縄の将来を切り開くために、我々がまず虚心坦懐に認めなければならないことは、沖縄が過去38年間追いかけてきた「本土並み」とは、いかに「平均」を目指すかという政策だったということだ。この発想を前提とすれば、大量の補助金を獲得して、平均的な商品やサービスを量産することが合理的であり、実際沖縄は38年間全力でその道を突き進んできた。結果として、世界でオンリーワンのクオリティを有するものが、今の沖縄には殆ど(といって過言ではないと思うが)存在しない。沖縄が誇る「最高級リゾート」も、ハワイで評価されればおそらく30番目にランキングされることもむずかしいのだが、それは政策の「失敗」によるものではなく、「成功」の結果なのだ。日本が世界の経済大国になって25年が経過し、これだけ海外旅行経験者が増え、誰しもが世界中の豊かなリゾートを体験しているため、顧客はこの事実をはっきり認識している。それに気がついていないのは沖縄だけだ。

観光産業の特徴としては、地域でもっとも水準の高いホテル(「一番館」)が提供する商品・サービスが、地域全体の質の上限、地域に訪れる顧客層の上限、地域の最高単価を決定する。逆に、「一番館」の水準を大きく引き上げることができれば、沖縄に来ることを今まで考えもしなかった上質な顧客層が訪れ、顧客滞在日数が増え、質の向上に伴って地域全体の商品やサービスの単価が上がり、顧客一人当たりの消費額が増え、地域全体に及ぼす波及効果は計り知れない。過去の沖縄とは非連続な、世界中で沖縄にしかない、沖縄にしかできない、沖縄の個性を徹底的に生かした、たった一つの「本物」事業が一枚目のドミノとしての起爆剤になり、地域全体を再生することが可能なのだ。

世界でオンリーワンの質を提供し、それを価格に反映することは、見せかけや一点豪華主義では機能しない。本物を作り上げること、そしてまとまった世界観全体のバランスを取ること。どちらかでも中途半端になると、質が価格に反映されず、価格を上げた瞬間に稼働率が減少して売上が下がり、利益率を大きく下げるだけに終わってしまう。重要な点だが、顧客は商品本来の価値そのものよりも、既に経験した価格水準にこだわる強い傾向がある。たとえ最初の価格が恣意的でも、それが一旦私たちの意識に定着すると、現在の価格ばかりか、未来の価格まで決定付けられる「アンカリング」という現象だ。「沖縄のリゾートは1泊2万円が相場」、という認識を顧客が持っていれば、たとえ10倍の価値をもつホテルが単独で登場しても、それだけでは2万円を基準に価格が比較されることになる。

(2) キャンプ・キンザー

沖縄の新「一番館」は、1泊2万円のアンカリングを断ち切り、たとえば10万円のゾーンに遡及する水準が適当で、そのためには現在までの沖縄のリゾートとはまったく異質な世界観を作り出すものでなければならないのだ。顧客はB級リゾートを想起させる雑然とした町並みをできるだけ通らずに、那覇空港から直接、広大かつ独立した、無粋なコンクリートや構築物が目に入らない、異質なリゾート環境へと導かれる動線が確保されるべきだ。統一されたコンセプトによって開発される100ha程度の「新世界」が確保できれば、これまでの「B級リゾート沖縄」のパラダイムから脱し、本当の沖縄らしさに立ち返って、人間関係の質、労働の質、商品とサービスの質に徹底的に向き合うことで、単に高額なものが高級とされ、「量」を常に優先してきた資本主義社会の価値観に挑戦することができる。

このような目線に見合うプロジェクトが、沖縄で、それどころかおそらく日本全体で唯一可能な場所が、14年に返還が予定されているキャンプ・キンザー跡地である。キンザー跡地270haは那覇空港から10分、東アジアから1時間、都市部に残された沖縄最後の宝石である。沖縄の南半分に自然の海岸はもうここにしかない。

海岸線の3分の2は返還を待たず早々に埋め立てられて道路になり、北側850mだけが辛うじて残っている。そして数年のうちには、お決まりの土木工事によって、この海岸線上に120億円の橋が開発されようとしているのだ(ワイキキビーチの真ん中にコンクリートの橋がかけられる姿を想像して欲しい)*(1)。社会全体の質の低下と、崩壊寸前の沖縄観光産業の現状を重ね合わせると、我々がキンザーに描く絵に沖縄の将来のすべてがかかっているというのに、沖縄でもっとも経済価値のある景観を台無しにする無粋な橋が完成すれば、キンザーは那覇新都心、宜野湾西海岸、豊崎タウン、北谷ハンビーのような平凡なB級リゾート都市になり、沖縄が観光地として生き残るためのラストワンチャンスが消える。そのとき沖縄の将来は本当に潰えてしまうであろう。沖縄は復帰以降38年間、コンクリートと補助金で「本土並み」を目指してきた。その結果が現状だ。長年基地返還を戦ってきて、やっと取り戻せる広大な土地。ここでわれわれが何を望むかが、基地返還運動の成果のすべてではないだろうか。これからは世界中で沖縄にしかできないこと、もっとも沖縄らしいこと、沖縄が誰よりも世の中に役に立つことを示すことによって、沖縄の自立が始まる。周回遅れでトップを走る沖縄が、日本の地域再生モデルとして語られるその日のために尽力したい。

金融財政事情研究会編 『季刊・事業再生と債権管理』 2011年1月5日号掲載  【樋口耕太郎】

*(1) 写真は現在の波の上ビーチ。沖縄県と浦添市は、キャンプキンザーの海岸に、実質的にこれと同じことをしようとしている。

4月9日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第9期(クリックして概要をダウンロードできます)、 受講者を募集します。

期間: 3ヶ月(4月9日~6月25日)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間半程度。
*原則として、第二・第四土曜日が開催日です。

4月9日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
4月23日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
5月14日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
5月28日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
6月11日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
6月25日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎 http://twitter.com/trinity_inc (ツイッター)
定員: 30名
受講料: 6回講座分 3万円 (消費税込、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 2時間半があっという間に過ぎるほど衝撃的で、有意義で、面白い、「理想の講義」実現を目指しています。具体事例を多用して、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることを重視していますので、受講に際 して金融知識、経済知識、経営経験など一切不要です。

6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする構成になっていますが、 途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。また、期間中いつでも新規に参加で き、欠席回は次期以降の受講が可能です。

受講者の皆様へのメッセージ: 先日沖縄県庁企画部の職員と長時間会話する機会がありました。いろんなことを話しましたが、基本的に彼の主張は、「沖縄がもらっている補助金はたいした額ではない」ということ。主な根拠は、県民一人当たりの補助金は、例えば島根県の方がよほど多いが、島根では地上戦もなかったし基地もない、と。実は、沖縄ではこのような主張を耳にすることが増えています。沖縄振興特別措置法の期限切れが近づき、沖縄県が一括交付金を要求するにあたって、沖縄が現在までいかに不当に扱われ、それに対して受け取っているお金がいかに少ないか、「理論武装」が進められているためです。

しかしながら、沖縄が有形無形の大量の補助金を受け取っていることは、県民ならば誰でも直感していることで、いくら統計をいじっても、その事実は変わりません。先の島根県の例も、人口が減少傾向にある地域の、県民一人当たり補助金の額が高くなるのは当然です。一方沖縄は大量の補助金のために、経済規模が拡大を続け、日本では人口が増加している唯一の地方であり、本島南部の集積は110万人。日本で十数番目の大都市圏であり、人口密度は神戸市と同水準なのですが、このような地域の「発展」にそもそも基地経済が大きく寄与していることは疑いがありません。

沖縄の基地経済に関連して、三つの「嘘」があると思います。第一に、基地経済の比率が県民総所得の5%程度まで減少している、第二に、県民一人当たりの補助金の額は決して多くない、第三に、日本の米軍基地の75%が、国土の1%に満たない沖縄に集中している、という各論です。もちろん見方や定義の仕方にもよりますが、いずれもミスリーディングで「統計操作」に近いものです。県民総所得に占める基地経済の推定規模は5%どころか50%~100%(1兆円~2兆円)であり、基地面積も全体の25%でしかありません。

実は、沖縄の米軍基地は、定義の仕方によって25%とも75%とも表現できるというだけのことなのですが(もちろん、「25%」だから沖縄の負担が小さいということでは決してありません)、最大の問題は、この数字が示す印象に最も欺かれているのが沖縄県民だということです。「75%」という数字を突きつけられれば、人は誰でも、他人を恨みたくなります。しかしながら、人生とは、人を恨むことで決して生産性が生まれないように出来ているのです。人を恨みながら人生を送る人は、誰でも、自分自身に毒を盛りながら暮らしているようなもので、自分はもちろん、関わる誰も幸福にしません。一方、人を赦すことは難しいことですが、これほど高潔な行為はありませんし、何よりも莫大な生産性と幸福を呼び込む最良の方法です。そして、人を赦すことができるのは、「被害者」だけだ、というパラドックスがあります。

三つの「嘘」は、基本的に、「沖縄経済は基地に依存していない(したがって基地はなくてもいい)」、「基地負担は過剰である」、「基地負担の対価が極小である」、という論旨からなります。県庁を始め、沖縄二紙がこのような主張を繰り返すのは、結局のところ更にお金を引っ張ってくるためでしょう。私は過剰な補助金こそが、沖縄を駄目にしつつある最大の原因だと考えているのですが、沖縄県庁とメディアは全くその正反対、すなわち、より多くのお金が問題を解決すると考えているように見えます。

そこで私は県庁職員の彼に聞いてみました:

私 「もし、望みどおりのお金が無尽蔵に手に入ったとして、そのお金で沖縄社会を良くするために、なにをすればいいと思いますか?」
彼 「それは県民と一緒に、これから考えます。」
私 「・・・」

県政が分裂症を患っている地域が、分裂的な社会になるのは自然なことです。そして、現在までにその通りの、つまり、沖縄自身が(実質的に)望んだとおりの、分裂社会が生まれています。それを治癒する唯一の方法は、勇気を持って現実を直視し、正気を取り戻すことでしかないと思うのです。

今まで誰も口にしなかった、資本主義社会と沖縄経済の現実を直視し、根源的な問題を特定し、本当の意味での地域再生を実現するための処方をまとめました。沖縄に関わる全ての人に受講して頂きたいと心から思っています。私は、「沖縄」が社会全体に対して無力であるという世界観を捨てて、社会全体の問題をいかに沖縄から解消するか、という発想で世界を見るとき、沖縄ほど可能性を持つ地方は存在しないと信じています。

周回遅れでトップを走る沖縄で、次世代社会を考えてみませんか。

樋口耕太郎

ぐんと暖かくなってきた今日この頃ですが、
お元気にしていらっしゃいますか?

2月のお便りで、急逝なさった沖縄銀行の長松さんのことや、
脚本家の下島先生の亡くなられた弟さんへの想い、
奇跡的に助かられた男性の手記などを御紹介させていただき、
もしも今日が人生で最後の日になるなら今日をどう生きますか、
と書かせていただいたのですが、そのお便りに宛てて、
ユニバーサルスタジオジャパンの立ち上げで社長をなさっておられた
現・EPソリューションズ㈱代表取締役の山本さん(アメリカ在住)から
とても長いメールをいただきました。ぜひあなたとも分かち合いたいと思い
山本さんに了解をいただきここに御紹介させていただきたいと思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

末金様、ご無沙汰いたしております。

新年のご丁寧なメッセージはじめ、今回節分の「鬼は外、福は内!」も
テキサスの自宅で1月15日前後に拝見しました。
実に不思議さを感じているのですが、今回去る1月7日の夕刻テキサス州ダラスの自宅で発症した
極めて致死性の高い「大動脈解離」の体験をし、1週間の入院から戻って来て、
この末金さんからのメールを読ませていただいたので、殊更強烈なインパクトを感じるものでありました。
ひょっとして、1月7日あたりが私の人生で最後の日になっていたかもしれないのです。

日本から12月22日にテキサス州ダラスに戻り、翌日車で20時間かけてアリゾナ州
フェニックス郊外のメサに家内と息子の3名(および2匹のボクサー)で義理の母、娘、
義理の妹を訪ねての長旅でした。途中、睡魔が襲えば車をレスト・エリアか
ガソリン・スタンドに止めて1時間2時間と睡眠をとりながらですが、今回のように
日本から戻った翌日の早朝には出発という、今から考えれば「異常な強行軍」で
自分の体も相当に疲労困憊も極限に至っていたのではないでしょうか。
無事クリスマスをアリゾナで終え、29日の早朝にはアリゾナからテキサスへ向かって
1600キロメートルを超える長旅にまた出発したわけです。
さらには、30日午前中には息子の彼女が遊びに来るに加えて、娘と彼氏も31日午前中に
アリゾナから二人で1600キロメートルを踏破して、ダラス(正確にはKeller)まで正月を
一緒に迎えるため戻ってきました。ならば、今年こそは、
「おせち料理を少し真面目に準備しよう」と思い、Plano にある韓国系の
大型ショッピングスーパーHI Martに材料を仕入れに出かけ、30日の午後からは
「黒豆」「なます」「二色卵」「伊達巻」等々、かなりの品目をそろえるべく、料理人に早変わり。
結局は、31日の夜まで掛かって準備完了!
これも、毎年欠かさずに守ってきた「おせち料理」なのです。(なかなかやめられないのですね。)

仕事のほうはというと、昨年はアジア市場の開発をかなり積極的に展開し、
特に台湾、中国、タイ、インドネシア、韓国での事業戦略の再構築と代理店組織、
特約店組織の再組織化を推し図ってきました。特に台湾の元代理店をEPソリューション(EPS)の
中に吸収合併し、二人の若いセールスエンジニアの兄弟(中国語、英語)をEPSの
日本国外のアジア総拠点に変更して、アジア市場でのEPのソリューション販売戦略を
かなり詳細に作成しなおしました。
日本を除くこれらのアジア市場での事業総進捗表を1月5日までには作成して、
これで正月明けからはしっかりした事業開発がすすめられえると、ほっとしていました。
しかし、この作業も毎日早朝まで一人で作業し、睡眠は1日平均3~4時間程度という
過度の睡眠不足状態でした。余りにも自分の体力に過信していた自分が今思えば
情けない限りです。

こうした状況でとうとう7日の夜7時半に仕事をし始めてしばらくすると、
突然右の下腹あたりから「ドクッ!ドクッ!ドクッ!ドクッ!」と左寄りに立ち上がり、
同時に今まで経験したこともない痛みが襲いかかってきました。
そこで、まず、頭に浮かんだのが心筋梗塞ではないか? なら、まず、ニトロを
処方して貰っている家内の寝室に這うようにしてたどり着き「一錠」を
舌下に含みましたが何らの変化がありません。息子に「911」に電話して救急隊を
呼ぶように指示しました。何分経ったでしょうか?5分もたたないうちに救急隊員が
駆けつけ、心電図を撮ったりしましたが、心筋梗塞ではなさそうだが、15分ほど
離れたところに有名なベイラー医大のGrapevine病院があるので、まずはそちらに移送して
CTスキャンをとるという指示が本部から出たようです。私自身は救急車の中での会話、
それにCTスキャンのところまでは意識もありました。このCTスキャンの結果分析の結果
「心臓発作、心筋梗塞」ではなく、「大動脈解離Aortic Dissection」なので、
専門外科医のいる同じベイラー医大のPlano Heart Hospital へ、ヘリコプターで
緊急移送することになり、このヘリに乗せられたところまでで記憶は途絶えています。

それにしても一刻も早く専門医のところへ移送しなければ、「命を落とす」ことに
なったそうです。あとは、翌週の11日(火)の午後、ベッドで目が覚めるまでは
9時間の大手術も、何も記憶がありません。開胸手術だったのと、肺の中の洗浄や
新しい動脈の装着など、かなり細かい手間のかかる手術だったようです。
いずれにせよ、初めて「入院・手術」という体験でしたが、アメリカの病院は
今回のような大手術でも一週間程度しか入院させてもらえません。ご承知の通り、
医療費が莫大な金額掛かることと保険会社側も出来るだけ最小の入院日数で対応を
希望しているので、何にせよ非常に短い入院期間です。後は自宅療養で、2週間後に
執刀医を訪問して更なる診断をしてもらうことになるのです。今回何とか「存命」できたのは
「奇跡」だとしか考えられません! これが、東京であっても今回のように順調に
専門医による手術を手遅れでなく受けることができたかは、分かりません。また、飛行機の中
出張先、いずれにしてもまだ「奇病」と言われる「致死率の高い」「大動脈解離」への対応は
99.999%不可能だったと思います。つまり、とっくに絶命していたに違いありません。

このような体験をした2011年1月が終わり、2月1日節分に末金さんからのお頼りが
届いた時には、本当に「ドキッ」としました!
何故なら、そこには「人生最後の日」の人々の思いが紹介されていたからです。
私の場合は、不思議と「死んでしまうのか?」
という思いがなく、すべてを関係者に託してその結果を甘んじて受け入れようという
気持ちでした。手術直前にいつの段階化は覚えていませんが、誰かが
「Mr. Yamamoto、開胸手術して、心臓周りもメスを入れますよ。良いですね?」と言ったのを
かすかに覚えており、私も「どうぞ、最善の措置をお願いします!」と言ったのを
覚えています。

それにしても、末金さんからのメールを読ませていただいて、今回自分の命といえども
「与えられている命」であることを痛感しました。60歳の誕生日を直前にして、
「新しい命」を授けて頂いたのであり、これからの「生き方」をどのように生きるようにしようか?
今までもっと声をかけて話をしたかった人々に間違いなくお話ししたい。
この会ってうんとお話ししたい人のリストが頭に浮かんできました。
命を与えられている今日一日を大切に精一杯、正直に生きていきたいと思います。
今回のお便りは、偶然ではないと思いますが、私にも非常に貴重なメッセージとして
大事に読ませて頂きました。本当にありがとう!

麗王にお越しになっていらっしゃる色々な方々とももっと仕事を離れてお話ししたいと
思っています。自分なりに構想してきた「沖縄の独自性と10~20年社会経済開発ヴィジョン」
のようなものもお話ししてみたいですね。今は、未だ飛行機に乗っての移動にも医者からの
制限がありそうなのですが、夏ごろには再会をさせて頂きたいと願っています。
今までの人生でやはり「ある力」を頂いたことに感謝しています!
何だか、未だ頭の回転が100%元に戻っていないためか、
メールの内容が理解しづらいかもしれませんが、悪しからず。

ではまた、

山本 洋司

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

山本さんのお誕生日はあさっての3月3日。
今年もまたお祝いの日を迎えられることができた喜びをうんと味わわれることと
思います。心よりお祝い申し上げます。
この山本さんのメールを拝読させていただいて、2月のお便りにも
書きましたように、いつ終わりの日が来ても悔いのないよう、今この時を
大切に精一杯生きよう、そう改めて思いました。

湯船に浸かり、ただこれだけ、と自分の身体を確かめることがあります。
ほら、これが私の手、これが腕、胸。ただ、それだけ。どんなにあがいても、
「今、ここ」にしか在りようがないのです。
あの世へは、お気に入りのスプーン1本持っていくことさえできないのです。
今、ここで、ありのままの自分と、大切な人の笑顔、それだけでいい。
そんな風に感じることができれば、それこそが人生最良の時なのでは
ないでしょうか。
人生は禅の修業のようなもの。一回りして、何気ない日常に還った時に、
初めて生きとし生けるものの慈しみが判り、ごくささいなことでも有り難いという
感謝の気持ちが湧いてくるものなのでしょう。

さあ、あさっては桃のお節句。ひな祭り。
今では、女の子のお祭りと考えられることが多いようですが、もともとは
この日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、邪気を、身代わりの人形に移し
川や海に流し、家族全員の厄をはらい、夫婦円満を願うという
行事だったそうですから、子どもが男の子だけの家庭であっても、
家族の、周りのみんなの、幸せと健康を願ってぜひお祝いいたしましょう。
麗王でも、無添加の白酒や、手作り海鮮ちらしずし、無添加のひなあられ、
菜の花のおひたしなどで、古式ゆかしくひな祭りを祝おうと思っています。
あなたもぜひ一緒にお祝いくださいね。

【2011.3.1 末金典子】

沖縄振興特別措置法に基づいて、那覇空港を離発着する航空機に対して適用されている、①航空着陸料、②航行援助施設利用料、③航空機燃料税、の各軽減措置(以下、「軽減措置」という。)について、その経緯、現状、意義、考え方などをまとめた。沖縄の航空産業に関して適用される特別措置は、その他にも離島便に掛かる航行費補助金など、上記①~③に限らないが、基本的な考え方は同様に適用すると考えられ、本稿では主たる分析をこれに絞っている。

主な論点は二つである。第一に、「軽減措置」は那覇離発着の航空便を増便させる効果、航空機を大型化する効果、路線を長距離化する効果を生むが、一般的に理解されているような、利用者にとっての航空料金を減額する効果は(少なくともこの要因からは)殆ど生じていない可能性があるということ。第二に、「軽減措置」が発効した97年*(1) は、大量の増便を実現するには(たまたま)絶好のタイミングであった。逆に考えると、今後これ以上の「軽減措置」の拡充を行っても同等の効果が生まれる可能性は低い。

「軽減措置」の効果
沖縄と本土との間の航空機を対象として「軽減措置」が実施されたのが97年度。最近の内閣府沖縄担当部局の資料によると、08年度の那覇空港における「軽減措置」の合計額は、316億円(着陸料102億円、航行援助施設利用料119億円、航空燃料税95億円)である。同08年度の沖縄県への入域観光客数が5,934,300人。そのうち国内旅行者数が5,697,300人であり、観光客一人当たり5,550円(片道一人あたり2,770円)の軽減措置が施された計算になる。・・・しかし、このことは、「軽減措置」の合計額316億円が消費者に移転したことを必ずしも意味しない。

「軽減措置」の実施以降、航空運賃が下落したことは事実だが、これは「軽減措置」によるものというよりも、96年の幅運賃制度の自由化から始まった航空業界の規制緩和の流れが、98年の新規参入の自由化、99年の新規路線への参入自由化、そして、00年の航空法改正と航空運賃の自由化と進むにつれて、国内の航空運賃に全般的な下落圧力を生んだためだろう。「軽減措置」は利用者負担を軽減するのではなく、そのまま企業の利益補填として利用されたと考えるべきだろう。

このことは、航空会社の路線選択において、路線搭乗率が同じであるならば、他の路線から沖縄路線に就航先を切り替えることで、「軽減措置」分だけ路線利潤が増加することを意味する。すなわち、「軽減措置」は沖縄路線の就航数を増加させる効果を有している。実際、96年と00年の比較では、那覇から各主要空港への一日あたりの便数は、羽田8便、福岡5便、伊丹・関空4便増加した。また、着陸料、航行援助施設利用料、航空燃料税は、大型機であるほど、長距離路線であるほど軽減額が逓増するため、機体の大型化と長距離路線の就航を促し、特に前者は沖縄への入域観光客数の増加にも寄与したと推測できる。実際、沖縄への入域観光客数は、97年以降大幅な増加率の上昇を伴って急増した。97年以前には50万人増加するために約6年(90~96年)を要したが、97年以降、僅か2年程度しかかかっていない。

「軽減措置」の政治的背景、市場環境
「軽減措置」に代表される補助金などの政策は、基本的に沖縄離発着の供給増加政策であるといえるが、それが十分な効果を生むためには、他の空港における供給、そして同時期に、同水準の需要が生じなければならない。便数(供給)が増えただけで旅客(需要)が増加するとは限らず、それに伴う旅客需要がなければ、結局搭乗率が下落して収益が相殺されてしまう。沖縄における過去15年間は(恐らく幸運な偶然が重なって)この条件が完璧といえるほど合致していた例外的な時期といえる。

航空会社にとって沖縄路線の利益率が高まることで、大型機(ジャンボ)による増便効果が生まれたが、その一方で、那覇を飛び立った飛行機は、必ずどこかに着陸しなければならない。沖縄にとっての第一の幸運は、「軽減措置」が発効する前後のタイミングで、関西空港が開港し(94)、羽田C滑走路が共用開始された(97)ことだ。これら主要空港における離発着枠の増加が沖縄路線増便の受け皿となった。

そして、沖縄にとっての第二の幸運は、タイミングをほぼ同じくして、これらの大幅供給増に十分見合う需要が生まれたことだ。その要素は二つある。一つ目は、90年代から始まった航空自由化によって航空運賃が大幅に下落し、国内旅客数が大幅に増加したことである。90年代の約10年間で、日本の国内航空運賃は平均で30%下落し、国内旅客数は40%弱増加した。二つ目は、95年以降特に活発化した補助金の大量投下や数々の沖縄キャンペーンによって大量に創出された観光旅客需要である。90年代中頃から現在まで約15年間継続している「沖縄ブーム」は、95年の米兵による少女暴行事件に端を発した革新大田県政下の大規模な基地反対運動に対するいわば「火消し」を目的として、無尽蔵といえるほどに投下された各種補助金等によるところが大きい*(2)。沖縄サミットの開催、首里城跡の世界遺産登録、守礼之門を図柄とする2000円札の発行、美ら海水族館新館、国立劇場おきなわ、DFSギャラリア・沖縄、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の放送などの沖縄キャンペーン。そして97年に発効した「軽減措置」は、沖縄への莫大な旅客需要を生み出し、沖縄入域観光客数の増加に計り知れない貢献をしたものばかりだが、95年の暴行事件がなければ全ては実現していなかった可能性が高い。この「メッキ」は国の財政問題などによって大きくはがれつつあり、これに代替する新たな需要を生み出すことができなければ、沖縄経済は早晩大規模な収縮局面を迎えるだろう。

「軽減措置」の延長は激変を緩和する重要な役割を持つものの、それ自体は辛うじて現状を維持するためのカンフル剤に過ぎない。沖縄にとっての本質的な課題は、「莫大なメッキ」を代替する新たな旅客需要の創出であり、これは、同じ顧客(本土観光客)に対して同じもの(同じ質のサービス)を提供し続けることでは絶対に不可能である。東アジアと日本の地方都市を結び、顧客を多様化し、季節平準化を促進する、新・南西航空が沖縄にどうしても必要な所以である。

*(1) 97年度に発効した「軽減措置」は、いずれも本則に対して、①航空着陸料1/6、②航行援助施設利用料1/6、③航空燃料税3/5、に軽減されるもの。③航空燃料税は99年度に現行の1/2へ拡充され、さらに2010年度から沖縄貨物ハブ計画に対応する形で、貨物航空機が対象に追加されている。
*(2) 金融財政事情研究会編、『季刊・事業再生と債権管理』2011年1月5日号、「日本の端の沖縄から地域再生を考える」(樋口耕太郎)を参照。

【2011.2.14 樋口耕太郎】

ようやく寒さがゆるんできましたね~。
お元気ですか。
週明けはヴァレンタインデーですね!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

昔、女の人は、恋人からの手紙をきものの帯揚げの間に隠して、肌身離さず
持っていた、ということを読みました。なんて艶やかなことでしょう。
ところで今の男性は、女の人が持ち歩きたくなるようなロマンティックな恋文を
書いてくれる人がいるのかしら?

最近のお客さまはなぜだか女性が圧倒的に多くて、いろいろな恋愛話にも
なるのですが、「パートナーとの間でロマンティックなことが少ない」、
「彼が何もしてくれない」、そんな相談をよく受けます。
でも、ふたりの間のロマンティックというものは、もし彼がロマンティックな
ことをしてくれないのであれば、女性のほうがロマンティックな雰囲気を
つくってあげる、そういうものなのではないかしらと思います。
彼に望んでも無理、今の男の人にはそれだけの余裕も土壌も
ないかもしれませんよ~。(ナーンテ!男性陣ごめんなさい!)

ただ、女性は男性を立てるほうが平和だと思います。これは日本に限らず
どこの国でもそう。絶対にそうです。
私の生まれ育った関西では、まず男性を立てて、実権は女性が持ちます。
おばあちゃんや母がよく言っていたものですが、
「妻が実権をぐっと握っていても、夫を心から尊敬していれば、
男性はいい気持ちであなたに任せてくれるものよ。」と。

また、アメリカ合衆国憲法の基礎を作ったといわれるインディアンの
イロコイ族は、現在でも母系社会で、女性達が会社でいう取締役を固め、
トップの男性の罷免権を持ち、調停者の役割を担う、という社会を、
千年間もの間築き上げています。

例えば、世界中の大統領や総理大臣が全員女性であれば、世の中から戦争は
なくなってしまうかもしれませんよね。

男女の間では、女性は女性なりに、優しさや包容力をもちたいものです。
強くならなくていいんです。賢く、ただし「静かに」賢くなればいいのでしょう。
パートナーに対して、あまり強すぎたり賢すぎたりすると、相手が疲れますよね。
どんな時代でも女性こそ、優しくないといけません。
だって本来は男性のほうが優しいものなのですから。
会ったときにほっとするそんな女性になりたいものだと思います。

まだ運命のパートナーに出会っていなくて、焦っている人もいるでしょう。
でも大丈夫。必ず二枚貝の片割れのような相手がいるのです。
出会うということは、これはもう自分の力だけではありません。「縁」という
日本語には深い意味があるようです。
きっとどの人にも今までにいろいろな恋愛の経験があることと思います。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれた言葉。彼女の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えませんか。
恋愛は面倒なもの。だからこそ、きっと残してくれるものも大きいのでしょう。
それらの出会いによって今の自分が作られているのです。
そしてまた次の自分へと導かれて行くのです。
縁とはそういうものなのかもしれません。

愛するパートナーがいらっしゃる方はその幸せをうんと噛み締めてくださいね。
そしてその愛する気持ちをちゃんと伝えてあげてください。
パートナーの方はきっと幸せな気持ちでいっぱいになられることと思います。
最も身近な人を幸せにすることは、最も難しいことであり、
それ故に最も価値のあることなのだから。

さあ、週明けはヴァレンタインデー。
どうぞあなたが愛いっぱいの、幸せいっぱいの日でありますように。

【2010.2.9 末金典子】

お元気ですか?
今年の冬はなかなか寒いですね~!
体調を崩したりなさっておられませんでしょうか。
インフルエンザも流行っていますのでくれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は10日前に沖縄銀行さんから沖縄県経済同友会に出向しておられた長松さんが
クモ膜下出血でお亡くなりになられました。
仕事を終え帰宅途中のバスの中での出来事だったそうです。まだ44歳。
お亡くなりになる1週間前にいらしてくださった時、
「正直に言うと今の会社のあり方に少し物足りなく思っているところも
あるので私なりに頑張りたいと思います。」
とおっしゃっておられたのが印象的でした。
これからという人生を歩んでおられた途中。心残り幾許であったことでしょう。
心から御冥福をお祈りいたします。

随分前に、ある男性が人生最後の日に書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものを御紹介させていただきましたが、今一度お読みいただければと
思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

また、お正月あけに、脚本家の下島先生から
以下のようなお便りをいただきました。すごく素晴らしい内容でしたので、
先生にお断りをして御紹介させていただこうと思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

昨年、1月2日にたった一人の弟が、突然逝ってしまいました。
お正月いつも来る弟一家の中に弟はいませんでした。この1年、ことあるごとに
蘇った弟は、小さい頃だったり、若い頃だったり、家族の中での笑顔だったり。
でも、人は本当に逝ってしまうのですね。
一周忌を昨日、済ませました。弟を大事にし、いつも夫婦で旅を楽しんでいた
義妹も、娘、そして息子の家族と、今も弟を偲び、孫の世話と仕事に
明け暮れています。
人が生きるということ、その大事さと切なさを、今、しみじみと感じます。
その日まで、精一杯生きよう、と、思っています。
寒い日が続きます。お風邪など召さぬ様に。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

もしも、今日が人生で最後の日になるなら、
あなたは、今日をどう生きますか?
周りの人にどんな言葉をかけますか?
会ってうんとお話したい人は誰ですか?

過去と未来が存在するのは、人がそれについて考えるときだけ。
つまり、両方とも印象であり、実体はないのです。
それなのに私達は、過去に対する後悔と、未来に対する不安を
わざわざつくりだしているのですね。
いつ終わりの日が来ても悔いのないように。
今日を、今この時を、大切に精一杯生きたいものですね。

明後日は節分です。
立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の目標や、新しいトライはこの頃に
幸せな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

一月の内にちゃんと今年の計画を立てられなかった人は、改めてこの節分に
誓いを立てても遅くはありませんよ~。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・南南東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、健康を、心から願って。

【2011.2.1 末金典子】

1月15日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第8期 受講者を募集します。

期間: 3ヶ月(1月15日~3月26日)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間半程度。
*原則として、第二・第四土曜日が開催日です(1月のみ第三・第五土曜日)。

1月15日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
1月29日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
2月12日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
2月26日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
3月12日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
3月26日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎 http://twitter.com/trinity_inc (ツイッター)
定員: 30名
受講料: 6回講座分 3万円 (消費税込、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 2時間半があっという間に過ぎるほど衝撃的で、有意義で、面白い、「理想の講義」の実現を目指しています。具体事例を多用して、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることを重視していますので、受講に際 して金融知識、経済知識、経営経験など一切不要です。

6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする構成になっていますが、 途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。また、期間中いつでも新規に参加でき、欠席回は次期以降の受講が可能です。

受講者の皆様へのメッセージ: 日本の自殺率は主要国中最悪水準ですが、その統計上の数は、自殺者が急増した98年から現在までの11年間、年間3万人前後で奇妙なほど変動していません。一方で、死因が特定できず法規上警察への通報が義務付けられた遺体の内、犯罪の疑いのあるものを除外した「非犯罪死体」は14万6千体 (08年)。その数は同じ11年間で1.6倍に増加しています。・・・世界的には変死者の半分が自殺と推定する統計処理方法もあるそうですが、仮にこの方法に倣えば、日本の自殺者数の実態は年間10万人という推測も可能なのです。これは毎年原爆が投下されているのと同等の死者数であり、日本は社会的に戦時中といっても過言ではありません。いかなる戦争よりも、災害よりも、疫病よりも、社会そのものが人を殺しているのです。

ショッキングな観察ですが、これは現代社会のほんの一面でしかありません。下がる一方の労働報酬と広がる一方の社会格差、若者の失業、職場の鬱、急増する幼児虐待、薬漬けの食品と農産物、崩壊する家庭と教育現場、毎年1兆円増加する社会福祉費用、膨れ上がる公的債務、出口の見えない不況・・・現実をありのままに見れば、やはり社会は機能不全に陥っていると考えるべきでしょう。これほどの大問題に対して、我々にできることは傍観者でいることだけなのでしょうか。我々は本当に無力なのでしょうか。例えば年間「10万人」の自殺は、我々自身の問題ではないのでしょうか。では、それが「我々の問題」になるのは何人にまで増えたときなのでしょう。それは100万人でしょうか、1000万人でしょうか。

これらの問題解決を妨げている最大の要因は、「我々にできることは限られている」という思い込みにあるのではないでしょうか。「地方」が社会全体に対して無力であるという世界観を捨てて、社会全体の問題をいかに沖縄から解消するか、という発想で世界を見るとき、沖縄ほど日本の問題を解決できる可能性を持つ地方は存在しないと強く感じるのです。

周回遅れでトップを走る沖縄で、次世代社会を考えてみませんか。

樋口耕太郎

あけましておめでとうございます!

温度も10度まで下がって寒くなり、お正月らしい雰囲気になった沖縄でしたが、
あなたはいかがお過ごしでしたか~?

私はごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、その後なんと23時間も
ぐっすり眠って!初夢も見たお正月でした。

さぁ、新しい年の始まりですね。
年の初め、お正月の松の内、1時間、
今年1年向かう方向について、本気になって考えてみませんか。
今月は1年の計画を考える時でもあるのです。

まずは過去を振り返ってみてください。
人は昔から、愛情を人に捧げる喜びをもっていました。
その喜びを忘れ、近年では、人に与えられる愛ばかりを望むようになったため、
いつも不足を感じ、顔も不機嫌になっている人が多いようです。
前に進むためには、過去を振り返り、そのことに気づくことが大事では
ないでしょうか。

そして自分の今いる立場をよく考えてみてください。
自分の立場を、自分の心が正しく赴くところに見出すのは、
難しいようですがいちばん素直なこと。
正しい、というより、こうありたいという願望でよいのです。
誰しも、今年やりたいこと、自分にとって課題となることがあるはずです。
ない人はないはずです。もしそれがない、という人がいたら、
それは単なる怠惰ですよね。

また、自分のことを客観的に、他人の目になって見てみることも大切です。
でも決して、自分を嫌いになってはいけませんよ~。
自分は最も愛すべきものなのですから。

そして、夜が明けて朝になったら、もう後ろを振り返らず、前へ向かって
歩き出しましょう。
そのとき、歩き出す方向がほんの少し曲がると、1年間がちょっとずつ
変な方向へ向かって行きますよ~。とはいえ、何が正しい方向かは誰にも
わからないのですが。
とにかく、まずは自分が行くべき方向をしっかりと考えてみる。
それが今大事なことなのだと思います。

私は、お正月を迎えるとまたひとつ歳を取った、と感じます。
特に今年は大台の50歳になっちゃうんですもの! キャ~~ッ、こわいっ!
でもね、歳を取るって悪いことじゃないですよ。
登ったから見える景色もあるのだから。
それに50歳の今まで生かされていることを思うと、感謝の気持ちで
何かをせずにはいられません。だから私にとって年の初めは、
「人生のお返しに今年は何をできるか」を考える時間なのです。

まず考えたことは、
「あなたとのひとときを、優しさや楽しさで
包むことができますように。」
ということ。

そんな想いでスタートをきりたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、金曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
ぜひ召し上がってみてくださいね。

【2011.1.5 末金典子】

企業最大の費用は人件費ではありません。経営者のエゴです。企業最大の費用(経営者のエゴ)が、一般的な企業金融論で全く語られていないのは、とても不幸なことです*(1)

ホテル売買と企業金融
例えば、私が04年に買収したサンマリーナホテルは、当時築20年。建物躯体の経済耐用年数が仮に40年とすると、ホテルとして経営できるのはその時点であと20年ということになります。当時の取得額は約30億円。単純計算で、この投資額を経済耐用年数で回収するためには、少なくとも年間1.5億円(30億円÷20年)の税引後利益を生み出さなければ、事業そのものが持続性を持ちません*(2)。したがって、事業再生の第一のハードルはこの利益水準をいかに確保するかということでした。実質的に10年以上赤字経営だったサンマリーナは1年そこそこで2.3億円のキャッシュフロー(経常利益1.3億円)を生み出すようになり、巡航速度を取り戻し、「本当にいい会社」になるための第一歩を踏み出します。ところが、資本の原理に基づくと、2.3億円のキャッシュフローを生む「金融資産」は、とてもいい値段で転売可能です。私はホテルの売却に反対したため、臨時株主総会で解任され、サンマリーナは買収から僅か2年、約60億円で外資系に転売されました。問題はその顛末よりも、その後の従業員です。

同じ部屋数、同じ従業員、同じレストランで同じ顧客にサービスを提供し続けることに全く変化はありませんが、60億円で売却されたその日から、投資家が回収しなければならない資本の額は倍増します。すなわち年間3億円の利益を回収しなければ、いずれどこかで持続性を失うということです。年間1.5億円を稼ぐための売上が20億円だとすると、年間3億円を稼ぐために売上を40億円にすることは不可能ですので、当然にして人件費が徹底的に削られます。資本家にとっての事業再生は、従業員にとっての悪夢以外の何者でもありません。資本家は、30億円の利益を何の疑いもなく、「事業再生」の対価として自分の懐にするのですが、その本質は、250人の従業員が今後「20年」、(年間14万人として)280万人のお客様にお仕えすることの対価を現在価値にしたものだという真実は全く語られることはありません。事業が成功するほど回収するべき簿価が上がり、従業員の負担が増す。とても皮肉なことですが、ホテルの従業員は(ホテルに限りませんが)、自分と仲間の報酬と職を減らすために、日々相当な努力を強いられるという構造の元におかれているのです*(3)

経営者のエゴは企業最大の費用
ホテルの事例はとてもわかりやすいのでよく引用するのですが、企業の株式上場における企業金融的なメカニズムはこれと全く同じです。株式上場は経営者の夢かもしれませんが、従業員にとっては「仕事のハードルが著しく高められる恣意的なイベント」以外の何者もありません。新規上場の注目株、高い初値、盛んな出来高、飛躍的な利益成長予想。これらはすべて、30億円のサンマリーナホテル(未公開企業)を60億円で売却(株式上場は実際、自分の会社を株式市場を通じて他人に売るということです)する経済効果と全く同じです。経営者は創業者「利得」を手にして、成功者として讃えられ、車を買い替え、銀座に繰り出し、自分の写真が表紙になった本を出し、雑誌のインタビューに頻繁に登場しますが、この人のエゴを満たすために何百という従業員が負担している莫大なコストを自覚するべきでしょう。

経営者のエゴが企業にとってどれだけ大きな費用であるか、簡単に計算できます。例えば、5億円の当期利益の企業がPER20倍、益利回り5%(当期利益÷時価総額)で上場すると、時価総額は100億円。投資家がこの会社に求める総合利回りが10%だとすると、経営者は(自覚しているか否かに関わらず)毎年5%の成長(5%成長+5%益利回り=10%総合利回り)を株式市場に約束して上場していることになります。この経営者のナイーブな「約束」によって、従業員が将来30年間で生み出すことを運命付けられた利益の合計額は、332億円。経営者が恣意的に決めた「5%成長」の一言には332億円の値札が付いているのです*(4)

さて、時計の針を1月戻します。上場を控えた経営者に、証券会社の担当者が「アドバイス」しています。

「社長の実力を持ってすれば、5%成長なんて余りに弱気じゃないですか。御社のビジネスは時流に乗っていますし、他社よりずっと競争力があります。もっといい値段で上場しましょう。」「社長、それよりもなによりも、社員が上場を決断したのは、従業員のためだとおっしゃっていたじゃないですか。懸命にがんばっている従業員に報いるためにも、彼らがこの会社を誇りに思うためにも、この程度の株価ではだめです。」

かくして、この経営者は企業の事業計画を2.5%強気に修正して、成長予測を7.5%に書き換えます。同じ企業、同じ経営者、同じ従業員、同じ顧客。投資家の期待利回りが同じ10%(成長率7.5%+益利回り 2.5%)だとすると、上場株価は200億円(5億円の当期利益÷益利回り2.5%*(5))と評価されます。社長は創業者利得を倍増させ、証券マンは社長から感謝され、社内では出世して行きます。さて、この経営者が「従業員の誇りのために」行った利益予測の「上方修正」によって、従業員が将来30年間で生み出すことを運命付けられた利益の合計額は、332億円から、実に517億円に上昇します。「誇り」のコストは185億円なのです。

【2010.12.27 樋口耕太郎】

*(1) 以下は、12月9日にネット上に掲示されて以来5万回以上閲覧された私のツイターの 「まとめ」に加筆を行い、企業買収、株式上場などの資本移動に伴う企業金融的な原理をまとめたものです。私は、従来の企業金融論が、資本家と経営者の立場に偏りすぎていると感じているのですが、本稿では資本家と経営者のみならず労働者の観点を含め多面的に説明しようと試みたものです。

*(2) 会計を理解される方は、「企業の税引き後利益は既に減価償却(建物の投資額の回収額)が差し引かれている、すなわち、企業が黒字であるかぎり、建物への投資額の回収が順調に進んでいる」と考え、「減価償却前、金利前、税引後利益」とするべきではないかと反論されるかもしれません。会計理論としてはまったくその通りなのですが、実際にホテル経営を行ってみれば明らかなことは、減価償却分の追加投資だけでは設備の経年劣化や経済価値の減価(資産の陳腐化)分をおおよそ補うことができる程度であり、建物の基本構造や躯体への投資回収分には到底及ばないということです。事業を存続させるための必要条件を理論化すると、おおよそこの水準の利益が必要という考え方をしています。関連する議論と詳細については「トリニティのホテル金融論」を参照下さい。

本稿の論点は、会計や金融の専門知識だけで解釈しようとすると却って混乱してしまうかもしれません。例えば、建物が40億円の総工費で建てられたとしても、ホテルの利益の水準次第で、資本市場では、事例のように30億でも60億でも売買されることが可能で、したがって、建物の建築費(ハード)と売買価格(金融)は殆ど無関係なのですが、本稿では、資本投下額(金融)を回収するための「期限」について、物理的なホテル建物資産の耐用年数(ハード)を基準にしているからです。しかしながら、建物の経済耐用年数という物理的な制約の中で、資本をいかに運用するかというのが経営の現実であり、両者を統合的に解釈する方が経営合理性が高いと思います。

*(3) ホテル売買の法務上の当事者は資本家ですが、経済的な売買主体は、

売主: ホテル所有者 + 経営者
買主: 新・オーナー + 従業員

であり、ホテル所有者+経営者(売主)は、交渉や反論の機会され与えられていない従業員に対して、ホテルを言い値で「売りつけて」い ることになります。従業員は多額のホテル購入代金に相当するお金はもちろん持ってはいませんが、経済的には文字通りの意味で、自分たちが知らないうちに 「20年間のローン」を組まされ、借り入れたお金を一括して、ホテル所有者+経営者(売主)へ支払ったことになるのです。この「20年ローン」を従業員に「貸した」のは新・オーナーで、 元本(と金利)の返済は今後減額される福利厚生や給与、サービス残業、単位時間あたり業務負担の増加、解雇(一括返済というべきでしょうか)などによって 賄われます。さらに、このローンは、新・オーナーが事業的な付加価値を生むことができなれば(少なくとも沖縄のホテルの場合、投資家がそのような付加価値 を実現したケースは殆どありません)、従業員が大半の「返済義務」をかぶる性質のものです。サンマリーナの売却に際して、ホテル所有者(売主)が受け取っ た30億の売却益を、仮に250名の従業員が全額負担するとすれば、一人当たり実に1,200万円の「ローン」を背負わされたことになるのです。金利相当 分を無視して単純計算すると、一人当たり年間60万円、毎月5万円の返済額に相当しますが、平均年収250万円足らずのホテル従業員にとっては大変なイン パクトです。

ホテルの投資家(及び経営者)が替わったからといって、それだけでより高い単価を支払う顧客が増える(事業的な付加価値が生まれる)わけではありません。それどころか、多くの「事業再生」の現場では、価格を下げ、多くの顧客を呼び込み、目先の売上を確保しようとするために、変動費が上がり、利益率が急速に低下します。より高い事業簿価が要求する多額の収益を確保するために、人件費を中心とした費用が大幅に削減されると同時に、単価の低い顧客数が急増し、現場の負担が著しく高まり、商品やサービスの質が低下し、さらに単価の下落をもたらすという完全な悪循環が生じています。

世の中で「事業再生」と呼ばれているものの実態は、結局利益の大半が費用の削減、それも人件費を中心としたコストカットによることが一般的で、この場合は、従業員が売却利益の大半を上記の事例のような「ローン」によって負担していると考えて差し支えありません。

一方、本来あるべき真の事業再生とは、多くの従業員の報酬を増やし、事業の質を高め、単価の高い顧客を多く呼び込んで、利益率を大幅に高め、その利益を可能な限り、従業員を含む事業や地域に再投資するものである筈です。

なお、議論が瑣末になるために、本稿では単に「ローン」と表現していますが、より厳密には「ローンの連帯保証」と言い換えてもいいと思います。新・オーナーと経営者が上記のような「真の事業再生」を実現できれば、従業員は「債務」を履行する必要がなくなり、少なくとも理論的には、報酬がむしろ増加する可能性さえあるからです。しかしながら、現実には世の中の殆ど(といって差し支えないと思います)の「事業再生」とは人件費を中心としたコストカットによるV字回復のことを指しています。このような事業再生の質が全く区別されていないことは、大きな問題と言えるでしょう。一般にホテル所有者の交代に当たって、従業員の給与が減少するメカニズムは、このようなイメージで捉えることができるのです。

*(4) 事例に挙げた数字の水準は、資本市場の現実を表現する上でおおよそ妥当だと思います。要は、100億円を資本コスト10%でファイナンスすれば30年間で300億円(事例では332億円: 初年度5億円、以後5.25億円、5.51億円、5.79億円・・・というように、5億円の税引き後利益が5%複利成長したときの30年分の合計額です)の利益が要求されるということを言っているに過ぎません。ツイッターでは、「恣意的に重い資本コストで計算すれば、あたかも資本家が従業員を搾取しているかのような論理になる」という趣旨のコメントが僅かにありましたが、資本市場では10%のエクイティ資本コストは別に驚くような水準ではありません。また、「成長率の低い、資本集約的な、減価償却の高いホテル事業の事例を使って、上場コストを説明するために引用するのは不適切」という、やや誤解気味のコメントもありました。話を解りやすくするために、私が直接経験したホテル事業を事例として紹介していますが、株式上場における一般的な資本調達のメカニズムは、それがどのような事業であっても、仮に資産を全く持たないネット企業のような業態であっても、あるいは、その企業の成長率がどれだけ高い水準であっても(あるいはそれがゆえに)全く同様に当てはまる原理です。…当期利益5億円、PER20倍、時価総額100億円、成長率5%…、という前述の条件は、資産の有無、資産の簿価、業種の別などとは全く無関係です。

この論点における本質とは、(株主)経営者と従業員の深刻な利害の対立の存在、その事実が巧みに隠されていること、そして、多くの場合経営者が従業員の利害を代表しているかのように振舞うという事実にあります。自由市場では、大人同士の取り決めは当然にして尊重されるべきですが、その前提が(言わない)嘘で固められているとしたら、これは取引ではなく詐欺と呼ぶべきかも知れません。さらに、経営者自身がその事実(メカニズム)を知らない、(知ろうとしない)ことも一般的で、このことが株式上場という「夢の実現」を一層悲劇的なものにしてるかも知れません。

さらに、ツイッターでは、「『5%』の成長は経営者が決めることではなく、市場が評価するのではないか」、また、「『5%』成長が実現しなかったとしても、単に株価が下がって投資家が損をするだけで、必ずしも従業員が一方的に不利益を被るわけではないのではないか」というコメントがありました。前者についてはもちろん、経営者が「5% 成長」を「7.5%成長」と口先で上方修正するだけで株式時価総額が倍増するほど、資本市場が単純でないことは明らかです。しかし一方で、5%成長が見込める企業が、なんらかの経営努力によって7.5%成長をする実力をつければ、少なくとも理論的に株価が倍増するというのは事実です。また、仮に実力を伴わない小手先であったとしても、資本市場は常に歪んでおり、企業が目標とする時価総額に合わせて事業の成長率が「決まり」、またそれに合わせるように新規事業を計画したり、事業戦略が計画されることによって、株価が激しく上下することもまた事実です。逆に考えれば、このような「効果」がなければ、上場のタイミングを見計らったり、IRにお金をかけたりする企業は存在しないはずでしょう。

後者について、資本コスト(この例では投資家の期待総合利回り10%)とは、調達した資金に対して生み出さなければならないリターン、すなわち実質的な「返済利率」を意味します。金融的に「生み出さなければならない」リターンという点ではそれが負債か資本かという違いはあまり関係がありません。負債を返済できなければ債務不履行になることが明らかですが、上場株式資本の場合でも、収益とその成長率が投資家の期待利回りを下回ると株価が下落し、それが長期的に継続すると、第三者による株式の買い付けなどが生じます。すなわち、負債の債務不履行ほど迅速ではありませんが、経営陣の交代(テイクオーバー)などによって、実質的に債務不履行と同様の結果に至ると考えることができるのです。なお、発行済み株式数の50%超を経営者自身が保有する場合、確かに法律行為として経営者が解任されることはないのですが、現実には、経営者(一族)が過半数の株式を保有している上場企業は極めて少数であり、十分な企業収益が伴わなければ経営者に対する直接間接のプレッシャーは相当高まるでしょう。それにそもそも論ですが、お金を広く調達した以上、約束した収益を返すのは経営者の当然の責務であり、「収益が伴わなければ株価が下がって投資家が損をするだけ」という議論は、経営者で居続ける限り認められるものではないでしょう。

*(5) 益利回りはPERの逆数ですので、5億円の当期利益に対してPER40倍(1÷2.5%)と表現することもできます。

お元気ですか~?

今年はちょうどいいことにクリスマスが週末にあたりますね。
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたため、なのだそうですよ~。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、友達同士でワイワイ騒いだり…が主流の
ジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。
もしも「おひとりさま」でしたら、麗王でクリスマスのケーキとともに一緒に
お過ごしくださいね! 今年は沖縄で一番美味しいスイーツ&パンのお店
「ザズー」さんの特製デコレーションを御用意させていただきます!

さて、こんなふうに季節の暦の折々に麗王便りをお送りさせて頂きましたが、
今年も最後のお便りとなってしまいました。
毎回お読みいただき本当にありがとうございました。

この2010年も随分たくさんの方々に麗王にいらしていただくことができました。
本当にありがとうございました。
初めてお会いさせていただいた方、お久し振りにいらしてくださった方、
いつも変わることなくいらしてくださっている方…。
一生のうちに出会う人の数を考えると、私の場合仕事柄、他の人より少しは
多いかもしれません。以前は毎日の新しい出会いに戸惑ったり、
悩んでしまったり、考え込んでしまったことも多々ありました。
それでも人との出会いの中から学ぶことは圧倒的に多く、
出会えるチャンスがある私は恵まれているのだとだんだん思えるようにもなり、
今では人と出会うことが新鮮で楽しい毎日です。

沖縄に住んでちょうど20年。
沖縄では出会いのひとつひとつが、なんというか、濃いのです。
特に沖縄に住む人はいい意味で何か一癖ある。
そういう自分もどこか変わっているとは思います。
またよく言われます。
「麗王に集まる人達ってインテリが多いからか、変わってる人が多いよねぇ。」
でも麗王のように変わっている人達が集まれば、それが普通であり、
むしろ普通の人のほうが変わって見えるのだから面白い。
じゃあ何をもって「変わっている」と「普通」を見分けるのか、
それを突き詰めて考えてみると、人間一人一人、顔も個性も姿形も
みんな違うのだから、本当はみんなそれぞれが変わっていて当たり前
なんですよね。それが社会的な規則やモラルや教育によって
何となく画一化されているから、一人一人の個性があまり表に
出ていないだけのこと。
でも麗王のようにただみんなでお話をする場、ということになると、
しっかり個の発言ができる方が多いから、必然お一人お一人の個性が
全面的に出てくる。
結果、「変わっている」ということになるわけなのでしょう。
でもそれは言葉を変えれば、「自分らしくある」ということなのでは
ないでしょうか。
つまり、「普通ということは、変わっているということ」なのです!

さて。
本当にあっという間に、一年の終わりということになってしまいました。
なぜとはいえない気ぜわしさと、街の賑わいとはうらはらに一抹のさみしさも
おぼえる時です。忙中に閑あり。
ここのところの麗王では、お馴染みのみなさんが、しみじみと一年の無事を
振り返る夜咄の会となっています。
あなたもどうぞ御自分らしい、あなたならではお話をなさりに
お寄りくださいね。決して「変わってるぅ!」なんて申しませんから!

そして。
今年も本当にありがとうございました。
女の子もいなくて、カラオケもなくて、オープンもおそくて、遅れて!
そんな店であるにもかかわらず、今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、また来年もがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

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「沖縄のつばさ」をアジアと日本の地方都市に

沖縄でリゾートホテルの経営に携わったことから、同地に骨をうずめることを決めた。現在会社更生中である日本航空の子会社、日本トランスオーシャン航空(JTA、旧南西航空)の独立と今後の事業展開が沖縄の再生、ひいては日本の再生に大きな意味を持つことを確信し、会社のホームページ上で公開している(http://www.trinityinc.jp/updated/?p=2943)。沖縄での会社経営で発見したこと、そしてJTAの再生が沖縄と日本にとって重要と考える理由について語りたい。

レストランの開かない窓
私と沖縄との縁は2004年、恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し、経営を引き継いだのがきっかけである。
それ以前の15年間はニューヨークと東京で、証券化や投資などの不動産金融を専門としていた。1990年代以降の不動産金融は国境、業界を超えて激しく変化した。私が取りまとめた案件も、ゼロから開発したものばかりだ。識者を数多く訪ねて無数の質問を浴びせ、文献とデータを大量に漁り、運営のメカニズムを細かく理解し、現場の感触をつかみ、事業全体の立体像を把握して本質をとらえる。未体験市場に切り込んで、自分の比較優位と活路を見出す楽しい知的作業だ。このような作業を繰り返すうちに未知の事業への抵抗がなくなり、どの分野であっても力を尽くせばきっと本質をとらえることができるという確信が生まれてくる。
沖縄でも同じだった。サンマリーナホテルでのはじめの半年間は、熱血ベンチャーさながらの「攻めの経営」を行った。社員を鼓舞しながら信賞必罰で妥協をゆるさず、自分が先頭に立って誰よりも長く激しく働く。世界の現場を経験してきた支配人でさえあまりの激務に吐くほどだったが、私は、それが社員への責任というものだ、と意に介さなかった。
ところが、そうした努力が沖縄では何一つ機能しなかった。最も象徴的だったのが、「レストランの窓事件」である。アトリウムに面しているレストランの窓を常時開放するよう明確な指示を出したのだが、常時開放状態になるまで4週間もかかった。私にとってこの事件はなかなかの衝撃で、窓を開放するという単純な作業が、組織においてはなぜこれほど難しいのかと考え込んだ。
実は社員には社員なりの判断があったのだ。窓を開放していると、アトリウムから風が不必要に吹き込んだり、清掃の後の塩素のにおいがしたり・・・。その割には窓を開けたときの開放感といっても知れている、という判断なのだ。つまり、窓が開放されない原因は「社員のお客様に対する思いやり」だったわけである。
そのような事情を知らない私は実質的に、「お客様への思いやりよりも上司からの指示を優先するように」というメッセージを4週間にわたって発し続けていたことになる。これは明らかに破綻しており、自分がやろうとしていることの何かが根本的に間違っているのではと思い至った。
これまでの経営常識と、自分の生き方に向き合わざるをえなくなったというわけである。

「私はいつまで働けるのでしょう?」
社長に限らず、上司という立場はスポットライトの逆光を浴びて舞台に立つ役者のようなもので、部下の誠意にも、ゴマすりにも、哀れなくらいに気がつかない。にもかかわらず、私は自分が組織内で最も正確な情報を有し、最も優れた判断ができるという前提に立ち、社長である自分以外のすべてを変えることで生産性をあげようとしていた。
それが間違っているというなら、上司と部下の関係を逆にしてみたらどうだろうと考え、直感に素直に従って、それを実行してみた。つまり、上司が部下に仕事を与えて管理するのではなく、逆に部下の仕事を上司が助けるという発想である。
実際に上司と部下の役割を逆転してみると、上司が部下のことを良く知らなければ「部下の役に立つ」という自分の仕事が遂行できないということに気がついた。そこで、私は「社長の仕事」を1.5ヵ月完全に停止し、パートを含む250名の全社員、さらには協力会社や出入り業者と一人最低30分の面接を行い、彼らの話を聞くことから始めた。
開口一番、「私はいつまで働けるのでしょう?」と私に尋ねた勤続10年のパートの女性がいた。会社の都合で正社員になれず、パートのまま60歳を超えていた。ホテルの近くに小さなアパートを買い、一人暮らしをしているが、車がないため、実質的にサンマリーナ以外で働くことはむずかしい。
世の中のほとんどの経営者は、彼女を時給680円のパートタイマーとしか認識しないだろう。一方、彼女にとってのサンマリーナホテルは10年間、いつ職を失うかもしれないという最大の恐れの源でもあったに違いない。
そう感じた私は、まず彼女の恐れを取り除かねばと思い、最近72歳の嘱託社員を採用したこと、社員の最高齢者は74歳であること、そして「貴方が望まれる限り、いつまででも働いて下さい」と伝えた。その瞬間の表情の輝きは、今も忘れることができない。それ以降、彼女にとってホテルで働くということの意味が根本的に変わり、遠くからみていてもまるで別人のような仕事ぶりだった。
これをきっかけに、正社員のみならずパート社員にも生涯雇用を保障した。面接が進むにつれ、一人ひとりと向き合うたびに、250名それぞれの人生からそれぞれの恐れが消え、社員の表情が次々と輝き、会社全体がどんどん変っていった。あれほど楽しそうに働く社員の姿をみるのは、経営者として本当に感動的な経験であった。
一般的な経営者は社員に恐れを与えることでコントロールしようとするが、最も効果的なことは、むしろ恐れを取り除くことではないだろうか。すべての社員の話を聞き、彼らの「直訴」が会社にとっていかに慎ましいものか、そして、その大半がいかに容易に解決できるか、さらに、それがどれだけ長い間放置されていたかを知って、私の方がショックを受けたほどだ。
以上の経験から、私は、経営者が社員に誠実な意識をもつだけで、彼らの人生にいかに多大な貢献ができるかを知り、企業は人間関係そのものであり、思いやりによる良好な人間関係が企業価値を最大化するのだと確信した。そこで、企業理念を「いま、愛なら何をするだろうか?」と定め、正直で、人を変えず、自分に嘘をつかない自然な人間関係を何よりも(仕事よりも)優先して、業務マニュアル、成果主義、収益主義、能力主義のいっさいを組織から消し去った。
時間と気持ちに余裕があってこそ、人は人に対して優しくなれる。夫婦喧嘩を遅刻の理由として認め、仕事に期限を付すことをやめ、希望者がいないプロジェクトは延期した。仕事のルールは「心からしたいことか?」「人の役に立つか?」だけ。人事考課は「どれだけ人間的に成長したか?」「どれだけ人の役に立ったか?」のみとし、売上げ、収益、顧客満足度などの成果指標と完全に切り離した。
個人の給与、賞与、考課などの人事情報を含むすべてをオープンにし、長年凍結されていた新卒採用を再開し、大量のパートを正社員登用し、社員の給与を「限界まで上げる」ことを経営の重要課題と定めた。

事業再生とは心の再生である
まもなく私が指示を出す必要がなくなり、私の労働時間は激減した。続いて幹部、中間管理職と順に「暇」になってゆく。
また、人事考課を全面改訂・施行した月から、顧客のコメントや書き込みが激増し、顧客満足度が前代未聞の水準に上昇した。顧客による「大変満足、満足、普通、不満」の4段階評価の割合は、もともとサービスに定評があるといわれていたサンマリーナでも長らく、おおよそ3:4:2:1 の水準だった。それが一瞬で、6:3:1:0 に定着したのだ。
一般に「大変満足」と答えた顧客の7割がリピートするといわれているため、この数値が倍増したことは経営的に大事件なのだ。売上高利益率5%のホテル事業で顧客のリピート率が5%増加すると、利益が倍増するほどのインパクトがある。
莫大な広告費用をかけてブランドを育てたり、グレードアップのために大改装したり、サービス教育に多大な時間とコストをかけたり、高給でカリスマシェフを引き抜いたり、数々のキャンペーンを行ったり・・・。突き詰めると、ホテル運営のすべては顧客からの評価を高めるためにある。しかし、人間関係に真正面から向き合うことでそれが実現するのであれば、追加資本を必要とせず、事業リスクもない。
2ヶ月後には売上げが予算を大幅に上回り始めた。デジタル情報社会では口コミが広がりやすい。広告宣伝がほとんど不要となり、社員の心の変化が売上げに与えるインパクトとスピードは想像を超えた。顧客から多くの感動的なフィードバックを受けた代理店からは、「サンマリーナは一体何をしたのですか?」という問い合わせが相次ぎ、ホテルの変化に感動した地元のオジイは手塩にかけたブーゲンビレアの盆栽、自称100万円をホテルに何鉢も持ち込んでくれた。
沖縄ではっきりしたことは、事業再生は心の再生であるということだ。いくら優れた「ビジネス」を組み立てても、目にみえる合理性を追及しても、人の心が変らなければ事業は再生しない。心から好きな仕事をするとき、人は自分に正直に生きられる。あまりに嘘だらけになってしまった社会で、正直な人間関係が顧客にとって何よりも意味ある体験となり、結果として顧客満足度が上がり、口コミが広がり、顧客の離反率が減少し、顧客層が高まり、運営コストが下がり、生産性が回復し、事業が再生した。これが経営イノベーションの本質である。
10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナホテルは、価格と売上を伸ばしながら、わずか1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超高収益会社へと変容した。

日本トランスオーシャン航空(JTA)
事業再生が成功し(すぎ)た結果、30億円で取得したサンマリーナホテルはわずか2年後に倍の価格で売却された。私はホテルの売却に反対したために解任され、お陰でというべきか、恐らく生涯で初めて自分が本当にやりたいことは何か、どう生きたいのか、いっさいの制約なく心の声に耳を澄ますことができたと思う。
心から愛したサンマリーナですべてを賭して試みた経営が、やがて世界に広まるイメージが心に浮かび、金融業界のトップを走ること、「輝かしいキャリア」を積み上げることなど、いままで重要だと思っていたいっさいのことに関心がなくなってしまった。生涯の本拠と心に定めた沖縄で、事業再生を専業とするトリニティ株式会社を設立し、東京やニューヨークの現場に戻ることをやめた。
自分が信じた経営方針で事業再生を行うためには、自分自身が「人間的に成長し」、「人のお役に立つ」という条件を満たさなければならない。人の話に心から耳を傾けることがサンマリーナの経営の原点であるならば、私もそこからはじめるべきだと思った。日中の仕事の他に、1日平均5時間強、年間1700時間、利害のない人の話と人生に心を尽くして耳を傾ける「修行」を始めた。6年目の今年、それが1万時間に到達する。
この「修業」の初期のころ、私の日記によると06年4月7日、日本トランスオーシャン航空(「JTA」)の役員の方とお話をしていたとき、サンマリーナで実践した経営をJTAに適用し、新・南西航空として再出発することが、ポスト資本主義社会への答えだという強烈なインスピレーションを受けた。JTAの経営受託を行う前提でトリニティの定款を修正し、事業計画をまとめた。
航空事業は資本集約的で減価償却が激しく、ますます厳しい国際競争にさらされながら大量の従業員を抱え、チームワークのよし悪しが生産性に直結する典型的な労働集約サービス業である。資本の力に頼らないほど、人の力を生かすほど、強くなるのが航空事業経営の本質だ。ホテル経営と同様、人間関係を優先することが、企業価値を著しく高める業態である。

アジアと国内地方都市を結ぶ
JTAは、かつて南西航空と呼ばれた沖縄の航空会社である(93年に現在の社名)。現在は日本航空インターナショナル(「日航」)の70.1%子会社となっている。67年の創業以来、致死事故はゼロ。ボーイング737を15機保有し、09年の売上470億円、総資産300億円、資本金45億円、従業員数825名。本土13都市に就航し、国内線全体におけるシェア3%、沖縄-本土線9.1%、沖縄県内路線65%を占める日本第3位の航空会社である。
JTAが今後果たすべき役割は、東アジアの主要都市と日本の地方都市へ積極的に就航(「内際展開」)し、東アジアと日本地方都市のアクセスを大幅に改善し、東アジアからのインバウンド観光需要、地方からのアウトバウンド観光・ビジネス需要を創出することである。こうしたJTAの展開は、地方経済の活性化に直接寄与するのみならず、地方空港の事業採算に苦しんでいる自治体からも大いに歓迎されるはずだ。
成長著しい東アジアから日本へのインバウンド観光需要の取り込みは、国をあげての重要課題でありながら、国内線羽田、国際線成田の棲み分けが海外から国内地方都市へのアクセスを困難にしている。その結果、海外旅行客の58%が東京に集中するなど、海外からのアクセスの悪さがインバウンド観光のボトルネックになっている。
また、地方在住の日本国民にとって、海外渡航(アウトバウンド)は著しく手間がかかる。JTAと那覇空港を利用することで負担が大幅に軽減されれば、地方企業の海外事業展開や、地方在住者の海外旅行需要が喚起される。

那覇空港を東アジアのハブに
過去10年間、国際ハブ機能を整備してこなかった東アジアの主要国は日本と北朝鮮のみである。ソウル仁川、上海浦東などから日本の地方空港への就航が増加しており、日本の空港はハブ機能を奪われようとしている。
世界的に航空産業は成長分野だが、日本の国内市場が縮小傾向にある以上、競争力のある国際事業を展開しなければ成長シナリオを描くことは不可能であり、日本国内に国際ハブ空港を育てなければ日本の航空産業そのものが衰退する。成田、羽田、新千歳、関空、中部、福岡が総力を上げて国際ハブ機能を分担する必要があるが、なかでも那覇空港ほどの潜在力を有する空港は存在しない。
那覇空港は都市部にアクセスが良く、24時間発着可能で、さらなる拡張計画が進んでいる。内閣府・国交省・沖縄県が中心となって、3000㍍級の第二滑走路拡張計画が設計・工事段階の一歩手前まで進められている。那覇空港ビルディング国際線ターミナルの拡張整備計画も進行中。10年3月には、米軍が独占してきた沖縄本島上空の航空管制権が65年ぶりに日本へ返還された。現在年間2.2万回(全体の約2割)発着を行う航空自衛隊の移転、米軍基地整理縮小に伴う民間空域の拡大など、将来的にも大幅な機能拡張余地がある。
那覇空港の国内ネットワークは、すでに相当充実している。那覇空港から日本国内の各都市へ実に29路線(ただし9路線は離島便)が就航しており、羽田48路線、伊丹32路線に次ぐ第3位である。一方、内際展開の観点から他空港の状況をみると、成田に国内線拡張の余裕は存在せず、羽田が有望であることは間違いないが、世界一高いといわれる着陸料に加え、成田との線引きによって今年10月に予定される第四滑走路供用開始後も需要に完全に対応しきれないと予想される。新千歳はアジアへのハブとして地理的に不適切。関空・中部は都市部からのアクセスが不便で、国内線の利便性が低い。福岡はよい候補の一つだが、東アジアへのハブとしては地理的に日本の中心に近過ぎる。皮肉なことに、仁川・浦東が日本のハブとして有望だが、そもそも日本でないことに加えて、羽田など日本主要都市への接続が弱いという決定的な弱みがある。

東京集中、本土依存からの脱却

国際ハブ空港が機能するためには、その地を本拠とする航空会社が不可欠である。JTAは独立してこの役割を果たすべきだ。
東京一極集中経済は、「ドル箱路線・羽田の発着枠=収益」という事業構造を航空業にもたらした。収益源の羽田発着枠を獲得するために不採算路線を維持するなど有形無形の制約がかかり、大手航空会社はレガシー・コスト(負の遺産)に苦しんでいるが、依然として羽田の発着枠が事業の屋台骨を支える現実が、戦略転換を困難にしている。
JTAの内際展開は羽田の増枠を必ずしも必要としない。日航傘下でレガシー・コストを背負いながら、国際競争を戦うことは非合理的である。
97年と02年、沖縄は過去二度にわたって格安航空会社の設立を計画し、頓挫した経緯がある。JTAの内際展開は、中距離国際線が重要路線になるためにサービスを切り詰めるだけでは成り立たず、国際ハブ那覇空港を拠点とした戦略が不可欠である。また、大手エアラインと対抗するのではなく不足を補い合う事業戦略をとること、市場を破壊するのではなく創造すること、株式上場や資本集約的な「拡大のための拡大」を行わないこと、そしてなによりも、人を生かし、生産性を高めてコスト競争力を生み出し、不用意に人件費を削らないことである。
真のコスト競争力は費用削減によってではなく、生産性を高めることによって生まれる。低価格だけで国際競争を戦うべきではないし、その必要もない。JTA独自の経営バランスを実現すればいい。
最大の制約は、当のJTAと沖縄県が日航なしでは存続できないと固く信じ込んでいることだ。現実は、日航グループの傘から一歩踏み出す方がはるかに発展する可能性が高いだけでなく、内際展開によって取り込んだオフシーズン需要を積極的に日航へ送客するなど、日航の再生を助けることにもなると思う。
沖縄経済にとっても、波及効果を合わせて県民総所得の4分の1を稼ぎ出す観光産業、東アジアの中心に位置する地理的優位性(図表)を勘案すると、観光客の97%を本土に依存する現在の内向き構造を脱して東アジア経済圏と直接つながり、アジアのゲートウェイとして東アジア経済と日本経済を結ぶ役割を果たす以外に、経済的に自立する道筋は恐らく存在しない。
夏の国内観光需要に偏重する沖縄経済は、季節平準化および顧客の多様化が限界利益率の高い収入に直結する産業構造を有しているため、国内外の富裕層やビジネス顧客など多様な高単価需要が生まれるJTAの内際展開は、沖縄経済への寄与度がとくに高い。加えて、国際ハブ機能の大幅な拡充は、旅客滞在時間の拡大、食材や資材の調達、土産物産業など裾野の広い波及効果がある。
補助金と基地経済によって立つ現在の沖縄経済に持続性がないことは明らかだ。沖縄振興特別措置法の期限切れ、基地の返還、グローバル社会の荒波によって基本構造が変化する前に、長年の経済的、精神的な依存を断ち、真の自立へと踏み出さなければならない。南西航空の社名を復活し、オレンジのつばさをふたたび沖縄の空に飛ばすことがその第一歩になる。
だれもが認める豊かな地域性と共同体社会、東アジアへの地理的優位性、都市圏で返還される広大な基地跡地、観光に最適な文化的多様性と自然環境、長年の振興開発で備わった社会インフラ、人間関係を何よりも優先する経営、そして新・南西航空。周回遅れでトップを走る沖縄こそ、次世代の日本を生かすカギを握っている。私は沖縄のつばさが切り開く次世代社会の実現に、残りの生涯のすべてを捧げようと思う。

ひぐち こうたろう
89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年レーサムリサーチ。04年グランドオーシャンホテルズ社長兼サンマリーナホテル社長。06年トリニティ設立。沖縄経済同友会常任幹事。内閣府・沖縄県主催「金融人財育成講座」講師。

『週刊 金融財政事情』 2010年8月30日号掲載 【樋口耕太郎】

さすがの沖縄もひ~んやりとしてまいりました。
あなたは油断してカゼなどひいておられませんか?
どうぞお気をつけくださいね。

さて、
先月のお便りで、大人になると1年が早く感じる理由について書いたところ
「なるほどね~。」「非常に納得感がありました。」
「なんだかホッとしちゃいました。」…などのお声をいただきましたので、
今月は「ド忘れする」のは歳のせいなのか?について書こうと思います。

「ド忘れ」――あなたにも経験がおありでしょう?
物忘れは仕事上で困るだけでなく、精神的にも不快なものですよね~。
あまりにド忘れを連発すると「私ももう歳かなぁ」などと自己嫌悪に
陥ることさえあるものです。
ところが、私が大好きな、脳の研究者・池谷裕二さんの本を読んで
なんだかうれしくなっちゃいました。

「ド忘れは大人の脳だけに特有な現象ではない。」のだそうです!
大人になると、物忘れが増えたように感じるのは、
「歳をとると記憶力が低下する」という通俗的な思い込みがあるせい、
らしいのです。
あなたの周囲にいる子どもたちをよく観察してみてください。
子供も日常的にド忘れをしていることに気づくでしょう。
ただ、子どもたちは物忘れをいちいち気にしないのです。
一方の大人は、「歳のせいだ」と落ち込む。
人によっては歳のせいにして逃げているのかもしれません。
ド忘れして落胆する前に、まず心に留めてほしいことは、
子どもと大人ではそれまでの人生で蓄積した記憶量が異なるという点です。
100個の記憶から目的の一つの記憶を探し出すのと、
一万個の中から検索するのでは、かかる労力や時間に差があって当然と
言うもの。大人のほうが多くの記憶が脳に詰まっているのだから、
子どものようにすらすら思い出すことができなかったとしても
仕方がありません。これは大容量になった脳が抱える宿命なのです。
ド忘れしたときには
「それだけ私の脳にはたくさんの知識が詰まっているのだ」
と前向きに解釈するほうが健全ですよ~。

さらに解説いたしますと、
「いつでも思い出すことができる記憶」と「ときどきド忘れする記憶」の量を
比べてみると、はるかにド忘れの量のほうが少ないと思います。
私たちは好きな芸能人や歴史についてや、食べ物やスポーツの話もできますし、
歩き方やボタンのはめ方だって知っています。
脳に蓄えられている記憶は、よく考えてみれば実に膨大で、
私たちはその記憶を自在に活用しながら生活しているのです。
たまたまあの人の名前が出てこないといった「ド忘れ」は、
些細な量にすぎません。ですから、何かをたまに忘れてしまったからといって
落ち込む必要なんかありませんし、本来ならばむしろ、膨大な情報を
記憶している自分の脳の素晴らしさに目を向けて、「わーっ、すごいなあ」と
思ったほうがいいのです。健全だし、正しいわけです。

とにかく、ド忘れは、誰でも当然するもの。
脳は常に「ゆらぎ」を持っていて、たまたまタイミングが悪いときに
名前を訊かれたら出てこない、たまたまよいタイミングのときに訊かれたら
名前が出てくる、ド忘れとは、ただ、それだけのことなんです。

また、「人の名前がでてこない。なんという人だったっけ。」というときに
他の人から「それは○○さんでしょ。」と言われると、「あっ、そうそう。」
とその名前が今時分の探そうとしていた人であるかどうかがすぐにわかります。
つまり、「ド忘れ」は本当に忘れているわけではないのです。

本当に記憶がなくなってしまって、脳から消え去ってしまう場合は、いわば
病気で、「認知症」がそれに当たりますが、
ド忘れなどの「健忘症」は、記憶を呼び出すことができない状況をいい、
あくまでも呼び出すことができないだけです。
「健忘」とは、読んで字のごとく、「健やかに忘れる」こと。
つまり、ド忘れは健忘の証。記憶はちゃんと脳に残っています。
健忘なんて起こってもいい、ド忘れだってしてもいい、
怖れる必要なんかありませんよ~。

さぁ、ほっとしたところで、木曜日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日。
オーガニックな真新しいワインを愉しみながら、
あなたのステキな記憶をゆっくり辿ってみてくださいね。

【2010.11.16 末金典子】

なにやら明日か明後日には大きな台風が来そうな感じの沖縄ですね~。
もうじき11月だというのに。

そして、誰かが「ええ~~っ? 今年も残すところあと2ヶ月なの~~っ?」
などと言い出すのがこの頃。
「早いね~」「子供の頃は1年が長かったね」などと後に続けるのが、
一種のお約束かもしれません。

私は今でも疑っているんです。
小学校の6年間がじつは9年間だったんじゃないかと。
あれほど長く感じた1日。あれほど遠く感じてた1年。
たまに遠足や運動会や参観日があろうとも、いっこうに生活は変化せず、
よどんだ川の流れのようにゆっくり過ぎる時が流れていました。
学校が終わるとランドセルを置くやいなや誰かの家に集まり、
リカちゃんごっこや、着せ替え人形や、人生ゲームや、ゴム飛びなどをして
日が暮れるまで遊んだものです。
リカちゃんのお洋服を何百回着替えさせたかわかりませんが、
なかなか1年は過ぎませんでした。
「子供のころは忙しくないからなかなか時間がたたないのよ」と、
お母さんは言ったけれど、大人になると1年が早く感じる理由については、
なんと、正式な学説が立っているそうです。
ひと言でいえば、「大人と子供では、人生における1年の割合が違うから」
だそうです。
たとえば10歳の子供の1年は、全人生の10分の1。
でも40歳の人の1年は全人生の40分の1。
大人の1年間は、自分の全記憶に対して比率が低い=印象が薄い=短く感じる、
ということなのだそうです。

さて今の世の中は、不況や犯罪や天災など波乱に満ちています。
それに伴い、私達の生活や気持ちにもいろいろな影響を及ぼしています。
波乱に満ちている時というのは、起きることそれぞれが印象深いもの。
さきほどの、印象が薄い=短く感じる、という説から考えると
今を長く感じる人が多いかもしれません。
「いつまでこの状態が続くの?」
「こんなことで悩んでいるのはきっと私だけ。」……。
あなたはこんなふうに思い詰めたりはしていませんよね?
もしもそんな気分なら…、あなただけではありません。
どうぞ元気を出してくださいね。

そして、多分台風も過ぎた後であろう週末のハロウィンの日には、
ゆっくり時を感じた子どもの時の気持ちに帰って、
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と
わいわい楽しんじゃいましょうよ!
私も週末は魔女に変装しハロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

【2010.10.27 末金典子】

9月25日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第7期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(9月25日~12月11日)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間程度(12月11日、第六回講座のみ午後3時半からに変更になりました)。
*原則とし て、第二・第四土曜日が開催日です。

9月25日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
10月9日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
10月23日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
11月13日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
11月27日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
12月11日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎 http://twitter.com/trinity_inc (ツイッター)
定員: 30名
受講料: 6回講座分 3万円 (消費税込、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 2時間があっという間に過ぎるほど衝撃的で、有意義で、面白い、「理想の講義」の実現を目指しています。具体事例 を多用して、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることを重視していますので、受講に際 して金融知識、経済知識、経営経験など一切不要です。

6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする構成になっていますが、 途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。また、期間中いつでも新規に参加でき、欠席回は次期以降の受講が可能です。

受講者の皆様へのメッセージ: 私と沖縄との縁は2004年、恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し、経営を引き継いだのがきっかけです。10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナホテルは、価格と売上を伸ばしながら、わずか1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超高収益会社へと変容したのですが、その手法は至ってシンプルです。

私の結論は、企業は人間関係そのものであり、思いやりによる良好な人間関係が企業価値を最大化するということです。一般的な経営者は社員に恐れを与えることでコントロールしようとしますが、最も効果的なことは、むしろ恐れを取り除くことではないでしょうか。経営者が社員に誠実な意識を持つだけで、彼らの人生にいかに多大な貢献ができるかは計り知れません。

はっきりしていることは、事業再生は心の再生であるということです。いくら優れた「ビジネス」を組み立てても、目に見える合理性を追及しても、人の心が変らなければ事業は再生しません。心から好きな仕事をするとき、人は自分に正直に生きています。自分に嘘をつかず、時間と気持ちに余裕があってこそ、人は人に対して優しくなれる。あまりに嘘だらけになってしまった社会で、正直な人間関係が顧客にとって何よりも意味ある体験となり、結果として顧客満足度が上がり、口コミが広がり、顧客の離反率が減少し、顧客層が高まり、運営コストが下がり、生産性が回復し、事業が再生する。これが経営イノベーションの本質なのです。

周回遅れでトップを走る沖縄で、次世代社会を考えてみませんか。

樋口耕太郎

まだまだ暑さの続く毎日ですがお元気にお過ごしですか?

私ごとで恐縮ですが、先月の19日に40代最後のお誕生日を迎えました。
えええ~~~っ、もう? っていう感じです。
あなたも自分の年齢ってそんなヘンな感じがしませんか~?

で、約半世紀の自分のこれまでの人生ってどんなだったかしらと
ちょい振り返ってみました。

私の人生とは……なもの!

あなたなら……には何を入れられますか?

私にとっては、「すべてが、今この瞬間の積み重ね」であったように思います。

例えば、人生の何かに立ち向うとき、自分を奮い立たせるためには、
今やるべきことに集中して一生懸命やるだけしかありません。
過ぎてしまった過去や、まだこない未来を思い煩っても仕方ありませんものね。
でも、たま~に孤独や寂しさを感じた時などは、逆に「何もしない」ようにも
しています。今必要だからあるんだと、敢えて感じ、受け入れるように
しているんです。
どちらも今を大切にすることだと思います。

そして…、今を積み重ねていって、いつかは、どの人の人生にも最後には
「死」がやってきます。

NHKのドキュメンタリーで「無縁死」という現象が取り上げられ、大反響を
呼びました。番組では、家族も友人もなく孤独に死に、無縁仏として葬られた
人たち、あるいはそんな最後を予期して怯える人たちの人生がクローズアップ
されていました。すると、30代、40代のまだ若い世代が「無縁死」という
キーワードに敏感に反応しました。日本では、この世代に独身者が圧倒的に
増えています。親が死ねば一人になってしまう。血縁、地縁から切り離されて、
都会の片隅でたった一人、死を迎える人の姿が「他人事じゃない」と、深刻に
受け止められたわけです。

私も含めお客さまの女性達や友人も、アラサー、アラフォー、
アラフィフの独身者だらけ。そういう人たちに、無縁死について聞いてみると…
これはまた意外にも数人から、「そんなのあたりまえ。別に恐くない」という
答えが返ってきたのです。
たとえば私の友人に、トルコ大学で教鞭をとっている同級生がいるのですが、
彼女には恋人もいるにはいるけれども、違う国に住んでいて、会うのは
三ヶ月に一度程度。二人の間に将来の話は全く出ないという状態なのです。
でも彼女はそれをよしとしていて、相手を縛る気も頼る気もないし、
今のままでいい。好きなことはやってきたし、いつ死んでもいい。――
そんなふうに言うんです。実際、何年か前トルコ大地震があった時、
何日か連絡が取れず、周囲を冷や冷やさせ、一ヵ月後に帰ってきて
「それで死んじゃったら、それはそれでしょう」とケロっとしていました。
そんな彼女のことを考えていたら、「無縁死」っていうのは、
実に主観的な言葉だなとすら思えてきました。
つまり、予期される自分の死を、「孤独で寂しい死」と捉えれば、それは
「無縁死」になりうるのですが、そう捉えなければ、そうではない

いうことですよね。

また、家族・親子という縦の繋がりを失っても、人には横の繋がりが残ります。
友人、知人、ご近所との、ささやかといえばささやかな繋がり。
家族を持たず、あるいは家族を失って年老いたとき、友人と濃く深い繋がりが
持てればそれに越したことはありませんが、たとえ淡いものであっても、
人との横の繋がりを大切にして、自分なりにその中で居心地良く生きられれば、
人は自分を孤独だと感じないですむのかもしれません。
98歳で天寿をまっとうされた宇野千代さんが、晩年、新聞のコラムの文章に、
「愛はいたるところにある」と書いておられました。
近所の人が朝、自分に挨拶してくれる、その気持ちの中にも愛はある。
隣の夫婦が月に一度くらい自分の髪を切りに来てくれる、その行為の中にも
愛はある。その愛に感謝しつつ生きていきたい」と文章は綴られていました。
たくさんの人が独身のまま老いを迎えるであろうこれからの日本では、
人との横の繋がりが何よりも大事なことであると思います。

そして、やっぱり最後には、自分を救うのは、自分自身の心でしかないのでは
ないでしょうか。
今、家族のいるあなたも私も、もしかしたら死ぬ時には一人かも
しれないのだから。
それまでに、周囲にあるささやかな愛を大切に育み、
心豊かに生きていけるように、今この瞬間の積み重ねを大事にしてゆきたいなと、
誕生日にあらためて思ったことでした。

心で手を繋いでくださるあなたに心からの感謝と愛をこめて。

P.S. 連休の敬老の日には、周りにいらっしゃるお年寄りに温かな気持ちを
注いであげてくださいね。私も昭和一桁生まれの両親を労いたいと
思っています。

【2010.9.17 末金典子】

円高が進んでいます。円がドルに対して急騰したのは、1985年のプラザ合意、1995年3月の超円高についで3度目ですが、共通しているのは米経済の危機的状況でしょう。プラザ合意はレーガンの双子の赤字、1995年は米国債の債務不履行が真剣に懸念され、今回は国際金融危機から端を発し、アメリカ経済と財政が急速に悪化し、基軸通貨ドルが崩壊するのではないかという懸念です。この背景には何か法則があるのか、プラザ合意を振り返ることでひとつの仮説を提示します。

1985年9月22日、ニューヨークにあるプラザホテルで開催された先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)における決定事項は、通称「プラザ合意」と呼ばれ、新自由主義経済下での最も重要なグローバル経済政策の一つです。この会議では、G5各国が協調して円高・ドル安に誘導することに合意し、1985年に1ドル240円だった円は、1988年までに120円に切り上げられ、日本経済を支える主力の輸出産業は「円高不況」を生き残るために相当な経営努力を強いられます。自分の商売において、競合する他社が僅か2年の短期間に全く同じ商品を半額にすることを決めたとして、会社全体がどんな大騒ぎになるかは想像に難くありません。多少乱暴な言い方をすれば、プラザ合意の含意は日本の富をアメリカへ大量に移転する取り決めです。イメージを大掴みに表現すると、「1985年以降、日本の労働者は労働時間の半分をアメリカの国家財政、大企業(主としてグローバル輸出産業)、富裕層(大減税の原資として)、軍事費のために働くことを約束した。これを埋め合わせるため、日本人は血の滲むような努力を払って生産性を2倍にし、国際競争力を維持した」ということです。日米貿易額約17兆円(1988年)相当に係る通貨半額切上のインパクトは計り知れず、経済的な「第二の敗戦」と表現する人もいるほどです。

更に、日本からアメリカに富を移転し、アメリカは国防費を大量に増額したという事実を繋ぎ合わせると、これは実質的に日本国民がアメリカの防衛費の相当額を負担する行為であり、タカ派といわれた中曽根内閣の考え方にも合致するように見えます。つまりは、日本が世界の軍事費の相当額を実質的に負担していたということであり、当時の中曽根首相が、日本の軍事費をGDPの1%まで増額(1985年のGDP315兆円、軍事費3.1兆円)するといって批判されたり、現在の日本が思いやり予算で4,000億円もの費用を米軍に支出している! という「目に見える」議論が、なにやら相当瑣末なものに感じられるくらいです。
それではなぜ日本政府はアメリカに対して自分たちの有り金の大半を差し出すようなことをしたのでしょうか?中曽根内閣はアメリカに一方的にしてやられるほど、頭が弱かったのか、腰抜けだったのか、あるいは、相当な弱みを握られていたのでしょうか?これは私の推測に過ぎませんが、当時のレーガン政権が「スターウォーズ計画」などに象徴される急速な軍備拡大を推し進めたのは、ソ連の財政破綻が起こり得ると判断したためではないかと思います。冷戦下の緊張した軍拡競争において、ソ連がアメリカに後れを取ることは許されませんので、それがどれほど財源を必要とするものであっても、推し進めざるを得なかったソ連側の事情は想像に難くありません。ソ連の正確な財政事情はもちろん公表されていませんので、レーガン政権はCIAルートで確保した諜報を元にしていると想像できます。通常、国家の経済政策・軍事政策の根幹を、信頼に足るかどうかの保証もない諜報によって構築することは、尋常な決断ではないといえますが、当時のブッシュ(父)副大統領は元CIA長官を務めた経歴があり、諜報を経済政策の根拠にする状況としては最低限の要件があったように思えます。

それでも、アメリカ一国でソ連を打倒するほどの軍備拡張を行うことは、相当な財政負担を生じ、当時財政・貿易の双子の赤字はアメリカ経済を大きく揺るがすほどの水準に膨れ上がりました。この目的を達成するためには、どうしても日本の経済的な援助が必要だったのではないでしょうか。このような背景がもしあったのであれば、中曽根首相が日本としてもアメリカの力になることを決断し、プラザ合意、また後にはブラックマンデー後の国内金利引き締めを延ばすことで(これはその後100兆円の不良債権を作ったバブルの原因のひとつになります)、日本経済をまるごとアメリカに提供し、冷戦時代の西側諸国を経済的に支える役割を担ったのではないでしょうか。中曽根首相は大正5年生まれ。海軍士官として戦争を戦い、戦友の死を山ほど見てきた人物が、そのような決断をすることは自然なことだったかも知れません。日本の存在と協力がなければソ連の財政破綻は生じなかったか、あるいはずいぶん後になっていたかもしれませんし、アメリカ自体が財政危機に見舞われ、冷戦の行方そのものも大きく変っていたかもしれません。つまり、ソ連の財政破綻と冷戦の終結において、日本は重大なカギを握っていた可能性があるのです。

以上は、もちろん多分に推理・推測を含んでいますし、あるいは全く的外れな想像かもしれませんが、少なくとも経済を理解することが社会の本質的な動きを捉えるためにいかに重要であるか、つまり、社会を大きく動かす鍵を取得するために、金融・経済に関する深い理解と洞察がどれほど近道であるか、のイメージを提供すると思います。・・・例えば、沖縄の基地問題に関しても、先日アメリカの議会でこの財政難の折、海兵隊が沖縄に駐留する必要があるのか、という議論が起こっているという報道がありましたが、このような声がひとたび潮流となれば、沖縄の米軍基地が経済的な理由で完全撤退することも、あっけないほど簡単に起こり得ます。社会の生態系を立体的に捉えることで、そのような可能性がより具体的にイメージできるようになるのではないでしょうか。

【2010.8.25 樋口耕太郎】

盛岡(岩手県)出身の私が、沖縄にとても深い縁が生まれてから6年。沖縄は間違いなく、日本でも最も県民意識の高い地域のひとつで、食事をしても、お酒を飲んでも、人が集まると必ず沖縄についての話になると言っていいくらいです。青い空、青い海、ゆったりした県民性。日本語が通じる「外国」。日本で最も守られた市場。米軍基地の街。政治的に利用され続けた地域。補助金が降り注ぐ経済。模合という巨大金融文化・・・。さまざまな方がさまざまな価値観と表現で「沖縄」を語ります。聞く度に、どの観点も興味深く、それらは確かにそれぞれ重要な要素なのですが、私には、やはりステレオタイプの域を超えず、「沖縄の本質」、と云うべきものとは何か違っているような気がしていました。

このことがずっと頭にひっかかりながらの6年間、「沖縄らしさ」とはなにか、ということを私なりに考え続けてきましたが、沖縄社会の真髄は「人を変えないこと」、ではないかと思い至っています。「社会はかくあるべし」、という規範が人を縛るのではなく、「自分は自分」、という人々の集合体として社会が構成されているような、そして各人の生き方がどのようなものであれ、人の生き方には関知しない、・・・結果として、他人をあるがままに受け入れる(放っておく?)土壌が、社会の本質を構成しているのではないか、と思うのです。コンビニの店員が、スローモーションのようにレジを打っていても、観光客が傍若無人に振舞っても、米兵が夜中に騒いでも、特段注意するでもなく、あるいは、不義理な人が模合を崩そうと、場合によっては詐欺行為を働こうと、そんな人たちでもなんとなく居場所があるような社会は、まさに「真髄」といったところ。

また、沖縄社会は、社会的な地位や肩書きに捉われず、人間性をずばりと見抜く鋭い感性を持つ人が多いことが重大な特徴のひとつです。人を変えようとしない代わりに、自分を変えようとする人には敏感で、その「危険」を感じると、一言も発せずにいつの間にか遠ざかって寄り付こうともしません。

翻って、本土経済、世界経済、資本主義は、人を変え、組織を変え、市場を変えることで成長を遂げてきました。経営者は自分以外の全てを変えることが自分の仕事だと固く信じ、競争に遅れそうな人を叱咤し、指導し、時には誠意と優しさをもって、人の人生に最大限干渉し、影響力を行使します。この社会で成功者といわれ、目覚しい成果を挙げてきた人は、ほぼ例外なく、多くの人や物事をコントロールすることで「生産性」を上げた人物です。

本土復帰以来38年、星の数ほどの本土系企業、あるいは外資系企業が、沖縄に進出してはことごとく失敗し、実質的な意味において、沖縄で成功したと言える企業がいまだに存在しない最大の理由はここにあるのではないかと思います。一般に、沖縄は本土の価値観、すなわち、資本主義の世界観に基づく、コントロール主体の事業経営や、スタイル重視のマーケティングが全くといっていいほど機能しない社会であり、例えば、そば一杯が売れる理由が本土とは本質的に異なるのです。

この事実を素直に解釈すると、沖縄には、資本主義とは異なる、横の人間関係を中心とした「第二の経済」が存在し、その原理を理解するインサイダーと、その原理に気が付かないアウトサイダーが入り乱れて市場が構成されているように見えます。必然的にアウトサイダーには継続性がなく、いずれ撤退を余儀なくされ、結果として日本で最も守られた市場が形成されています。沖縄は、日本最大の、そして恐らく世界最大の「第二の経済」圏である、と云えるのです。

現在、時代が大きな変換期を迎え、社会の構造や価値観が根底から変容し、本土的、資本主義的な経済構造が機能不全を起こしはじめています。今までの常識、価値観、序列、経営理論、事業モデルが破綻し、どのように事業、経営、戦略、人事を考えれば良いのか、についての新たな、そして合理的な実践行動モデルが必要とされはじめていますが、その鍵は、沖縄が最も得意とする、「第二の経済」が握っているという可能性はないでしょうか。

私が試みた当時、本土からは「正気の沙汰ではない」と云われた、サンマリーナホテルの、「人間関係をなによりも優先する愛の経営」が、実践において極めて高い経営合理性を持つのと同様、資本主義的な価値観からは「非効率」で「遅れている」と考えられていた沖縄の社会や人間関係が、今後の全く新しい社会の構造において、もっとも合理的に機能することが、次第に、やがて激流のように明らかになるでしょう。

【2010.8.8 樋口耕太郎】

夏本番!太陽ギラギラの毎日の沖縄ですが、お元気になさっておられますか?

サッカー・ワールドカップだ、参院選だと、飲食業界は不況に輪をかけて打撃を
受けていますが、世の中全体も、選挙の度に政権がコロコロ変わるし、
首相だってあっという間に変わるし、悲惨な事件は相変わらず多発しているし、
うつやノイローゼの心を病んだ人がどんどん増えてきているし、
どころかもっと深刻な事態を引き起こしそうな、不眠症の人がすごい勢いで
増えてきている今日この頃です。
とにかく今の世の中の事件や問題を見ていると、
極悪な人が増えているというよりも、人自体が病んできているように感じます。
あまりにも度を越した幼児虐待や育児放棄、親や友達を殺す少年少女。
サラリーマンの自殺や、過労死。生活に困窮する人々…。

そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょう。

朝から晩まで働きづめで、のんびり休みも取れない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠い。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。

子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。

自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。

人を本当に癒せるのは、じつのところ本人だけなのかもしれません。
誰にでも、自分を癒す力が生まれながらに備わっています。
ありのままの自分を取り戻し、肩の力を抜いて自然に生きる。
周りの意見なんて気にすることはありません。その人が、その人らしく自然に
幸せに生きることこそが、何より強い力となるのです。

そこで、ありのままに生きるお手本となるのが、
いつの日も人間を見守ってきた大自然。
自然はただそこにあるだけです。
人の目を気にしたり、誰かに好かれようと思って海や山はそこにあるわけでは
ありません。本能のままにそこにあるだけ。
そして、人間も自然界の一部なのです。

だから、この連休の海の日には、ぜひ沖縄の美しい海や自然に抱かれて、
その力強さを感じましょう。
そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、
きっと思い出す時がくるはずです。

目を閉じて聴いてみてください――寄せてはかえす波の音。
いのちのリズムを聴いてください。

寄せてはかえし、かえしてはまた打ち寄せる波の音。
そのリズムにすべてを委ねたら
人生にも満ちる時と引く時があるのだと
優しい波は教えてくれるでしょう。

例えば失敗してもいい。
落ちこむ日があってもいい。

ある日幸福が
あなたから離れていくかに見えたとしても
再び波は満ちてくる。
何度も何度も打ち寄せる。

【2010.7.15 末金典子】

難しいことは易しく、易しいことは深く、深いことはおもしろく  (井上ひさし)

6月26日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第6期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(6月26日~9月11日)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間程度。
*原則とし て、第二・第四土曜日が開催日です。

6月26日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
7月10日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
7月24日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
8月14日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
8月28日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
9月11日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎
定員: 30名
受講料: 6回講座分 3万円 (消費税込、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 「知る人ぞ知る」、沖縄次世代戦略+経営・社会・経済講座の第六期。沖縄はもちろん、東京、大阪、神戸、新潟などから延べ130名を超える方々が受講頂いています。

私は学生時代まで教職を志望していたこともあり、ずいぶん以前から、虚飾や嘘がなく、人の心に響き、深い洞察とインスピレーションに溢れ、誰でも容易に理解でき、実証的・科学的・具体的で、かつ2時間があっという間に過ぎるほど有意義で面白い「理想の講義」を実現することはできないものか、と考えていました。決してその域に到達したとは言えませんが、本講座を開設して1年超、40講座の試行錯誤と改善を重ねながらユニークなプログラムになりました。経営学、哲学、心理学、社会学、経済学、金融論、国際政治学の各概念から、実質的・機能的・実務的な要素だけを抽出し、統合的、大局的、本質的、人間的、経営科学的な独特の切り口で「社会の生態系」という体系にまとめています。「我々の常識を健全に揺さぶり」ながら高度な概念を大量に扱いますが、具体事例を多用して、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることをとても重視していますので、受講に際 して金融知識、経済知識、経営経験などは一切不要です。

本講座をどのように活用されるかはもちろん様々で、新たな知識、インスピレーション、知恵、思考に深く触れる良い機会でもあり、経営、組織運営、事業再生の実務的講義でもあり、ライブのような楽しさもありますが、なによりも、次世代社会の沖縄と日本の理想的かつ現実的なあり方を提示し、最小のエネルギーで社会を圧倒的により良いものにしながら、個人を何よりも活かす、超・実務的な社会工学であること、そしてひとりひとりにとって本当に大事なことに向き合う「鏡」として機能することが最大の目的です。

6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする構成になっていますが、 途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。また、期間中いつでも新規に参加でき、欠席回は次期以降の受講が可能です。

受講者の皆様へのメッセージ:


樋口耕太郎

もともと先端金融事業の激しい競争を勝ち抜くために、飛躍的な生産性を伴う事業再生モデルを開発する必要に迫られたという事情から、逆説的に、企業経営から成果主義的な枠組みを完全に廃止し、事業は人間関係であると再定義し、「今、愛ら何をするだろうか?」を企業理念とするサンマリーナホテルでの実践が生まれました。人間関係を何よりも重視する経営が、資本主義的な枠組みにおいても強力な事業性を発揮し、殆どゼロに等しい運営リスク、最小限の追加費用と、最短の時間で、最大限の収益を(結果として)生み出すことが証明されたため、そして、サンマリーナホテルの企業価値が著しく高まったため、資本の論理に従って、僅か2年で倍の価格で外資に転売されるに至ります。・・・起業家精神を発揮して全くの新規事業分野であるリゾートホテルを買収し、最小限の資本と期間で、ごまかしのない破格のバリューアップを実現し、汎用的かつ圧倒的な競争力を持つ事業再生ノウハウを手に入れる・・・。いわば、私が当初考えていたシナリオ通りに全てのことが運んだのですが、人生の妙味は、私自身がそのような「最先端」金融の在り方、より大きな収益のために金融技術にしのぎを削る事業、資本家として「成功」し、東京に戻ってそのような「実績」を積み重ねる生き方に全く関心を失ってしまったことです。

私にとって、愛の経営が恐ろしいまでの事業再生力を有することは体験的に実証済みで、経営科学的にも整合性があり、その汎用的な有効性には微塵の疑いもありません。愛は火・化石エネルギーに次ぐ、人類の第三にして究極のエネルギーです。地中にある原油は採掘されて初めて価値を持つように、愛も我々の心の中に無尽蔵に眠っているのですが、人間関係を分断し続けてきた資本主義社会においては、愛のエネルギーを採掘・精製・流通し、社会で活用するための技術とノウハウが欠落しています。この重大なギャップを埋めるため、「愛の経営による経営受託および事業再生」を業とする、トリニティ株式会社を起業した当時は、まともな経営者が、事業に愛を持ち込むなどという「甘ったるい」ことを口にするなど論外で、いわゆる人間中心の世界観に基づく経営は、オカルト扱いどころか、市場から完全に無視されていました。

ところがサブプライム問題に端を発した金融危機以降、特にここ半年くらいで、人間性を重視する経営の重要性と効果に対する認識が、世界的な規模で急速に広まりつつあります。資本主義社会が行き詰まり、このままでは自分の生活はおろか社会全体が維持できない、という多くの人の直感が新たな世界観を必要とし、我々の中に眠っている愛のエネルギーの存在に気がつき、社会の生態系が大きく変容し始めたのかも知れません。この大潮流はまだ始まったばかりで、次世代社会の必然であり、恐らくあと5年もすれば社会に相当なインパクトを与えることになるでしょう。この次世代社会の本質に向き合わない企業は、現在どんなに優良企業であっても、生産性の急激な低下と長く深い不況に伴って、凋落の憂き目に合うに違いありません。逆に、それがどんなに些細なものであっても、身近な、一見小さな問題に向き合う人は驚くほどの成果を上げ、次世代社会後の半生において意外なほど重要な役割を担うことになるでしょう。このような観点で、我々の人間関係、事業経営、世界観を根源から問い直すことが、単に精神的な健康をもたらすだけではなく、事業戦略、社会戦略、医療、家庭、食、福祉を維持するための、恐らく唯一現実的な選択肢になるはずです。

『次世代金融講座』は資本主義社会から周回遅れで、次世代の世界最先端概念を扱う講座です。同じく、周回遅れでトップを走る沖縄で、新しい世界観と、そしてなによりも自分自身に向き合いながら、次世代社会を考えてみませんか。

毎日ドシャドシャとよく降っている今年の梅雨です。
本土でも次々に入梅している今日この頃ですが、
あなたはお元気ですか?

梅雨といえば、紫陽花の花。
灰色の曇り空と、雨に打たれる花を見ていると、
本当に日差しは戻ってくるのかしらと心配になったりもしますが、
必ず太陽は顔を出し、本格的な夏がやって来ます。
夏が来ると、なんとなく心がざわつくという方、
落ち着いて何かを考えるなら今のうちかもしれません。

例えば。
いつも忙しい毎日の内に、心の片隅に放っておいてある、
忘れたいのにどうしても忘れられない…なんていう、
過去と決別できない何かしら心に引っかかっている問題。
ならばいっそ、そのことだけを考え続けてみてはいかがでしょう?
つまり「逆療法」のようなことをするのです。
ひとつのことを考え続けるには限度があります。いいかげんこんなことにも
飽きた~と思ったとき、辛い過去とも自然と決別できるかもしれません。

例えば。
恋愛をしていて想いが伝えられない、
夫婦の間で伝えたいことがある、
仕事関係の人に思いきって言いたいことがある…なんていう問題。
想いを伝えずに後悔するなら、ちゃんと気持ちを伝えて、答えを得るなり、
燃え尽きたほうが幸せではないでしょうか。
当たって砕けろの精神こそ「人間道」の本筋だと思います。
だからこそアプローチに失敗したときは、思いきり傷ついてよし。
「自分は大丈夫、もうなんとも思ってないもんね。」なんていう強がりは、
立ち直るスピードを遅らせるだけ。
「ダメな場合は思いきり傷つく。」
そうすれば、時間が全てを解決してくれ、新しい自分に向かう元気を取り戻し、
再びキラキラと輝くことができるはずです。

とにかく、「憂うつ」って、いつも心の片隅でチクチクとしているもの。
いつまでも放っておかずに、その「憂うつ」をまず目の前にグイッと
引っ張ってきて、すぐに片付けてしまったり、とことん向き合ってみるんです。
すると意外に簡単に事が運んだり、あっという間に片付いてしまったりして、
早く心がスッキリして後がラクですよ~。
私はいつもこれを信条としているんです。

でもまぁ、ちょっとした憂うつならともかく、重い悩みなどは、
向き合うのも結構辛くって、そう簡単にはいかないのものですけれど…。

それでも、やまない雨はありません。
これは、自然の雨と、人間の心に降る雨に、共通の真理なのですね。

さて。
日曜日は父の日ですね。

お母さんには「ありがとう」とすっと言える方も、なぜだかお父さんへとなると
言いにくいという方が多いのですが、私もその一人でした。
その経緯は去年のお便りで詳しく書かせていただいたのですが、
親子の問題を抱えているという場合も、実はじっくり向き合ってみると、
心の澱が流れていくかもしれません。

親子の関係とはなんなのでしょう。
なぜ親子として生まれてきたのでしょう。

それは、私の父の言葉を借りれば、魂の進化成長のためなのかもしれません。
よりいっそう愛に近づくために自分を磨いて、いらないものは落とし、
より優しくなっていくためなのではないでしょうか。

例えば親子仲が悪いと思うのなら、それを不幸と思わずに、人との調和を
学ぶために生まれてきたのだと大事に受け入れてみる。そこをクリアできれば、
どこへ行っても、スッと人とハーモニーを創れる、優しい人間関係に
恵まれ、自分も成長することでしょう。

必要があって、深い意味があって、私達はその環境、その家族を選んで
生まれています。自分が学ばなければならない命題が学べる場所、
あたたかい愛に向かって成長できる場所に、私達は生まれているのです。
だから、幸せであっても不幸せであっても……私達は学び成長しなければ
なりません。

明後日の父の日は、今までお父さんと距離をおいていたなと感じたなら、
ぜひ話す機会を持ってみてくださいね。

したことの後悔は、日に日に小さくすることが出来る。
けれども、していないことの後悔は、日に日に大きくなっていくもんだよ。

悩んでいる時に父からもらった言葉をあなたと分かち合いたいと思います。

いっぱいお話してくださいね。あなたのお父さんへの想い―。

【2010.6.17 末金典子】

JAL再生プロジェクトにおいて最も重要な課題は何よりもグループ再生であることは無論のことですが、JAL再生の全体計画からは一見瑣末にも見える、日本トランスオーシャン航空(JTA: 旧南西航空の行く末が、(i)日本の国政、(ii)日本の航空産業、(iii)沖縄地域経済、の行く末に重大な影響を及ぼす可能性があり、その論点を以下にまとめました。なお、当社および関係各位に関して私は全くの部外者にあたり、いわば人様の会社について外部情報のみをもとに勝手な意見を述べる点、大変僭越であることは明らかで、その点始めにお断り申し上げなければなりません。

議論のポイントは次の通りです(4月23日の稿を修正して再掲します):

第一に、資金は殆ど不要であること: JTAは業績が安定しているときでも当期利益10億円以下の企業ですので、常識的に考えて、150億円前後の企業価値と推測できます。当社にはおおよそ同額の負債が存在するため、債務負担付であれば大きな資金を調達せずに株式の取得が可能だと思われます。場合によってはJALからのセラーファイナンス(売主によるバックファイナンス)などの交渉が可能かもしれません。

第二に、沖縄の経済的自立に不可欠な事業であること: 沖縄は、人と物資の大半が空からやってきます。那覇空港と航空路線の成長は沖縄経済全体のボトルネックであり、このネックを拡大しない限り、いかなる地域経済活動も非効率です。逆に、このボトルネックを開くことの経済波及効果は実に大きいものになるでしょう。特に、国際線の拡大は、旅客滞在時間の拡大、食材や資材の調達、みやげ物産業への波及など、国内線に比較して地域への経済効果が非常に大きいことが知られています。また、決して無視できない精神的な側面として、南西航空の社名とオレンジ色の翼の復活は、沖縄県民が自立へ踏み出す象徴的な出来事と受け止められるでしょう。

第三に、日本全体の観光産業の明暗を握ること: 今後益々日本の外貨獲得手段が縮小する中、インバウンド観光の取り込みは国政で極めて重要な位置づけとなる反面、日本の航空政策が国内線羽田、国際線成田に分離しているために、東アジアと日本の地方都市をつなぐ手段が決定的に欠如し、これが国家戦略上のボトルネックとなっています。翻って、国内のどの空港、あるいはソウル仁川、上海浦東などを含めても、那覇空港ほどこの役割を果たせるハブ空港は存在しません。そして重要なことですが、ハブ空港がその機能を発揮するためには、その場所を拠点とする航空会社なしには不可能であり、南西航空が那覇空港を拠点とすべき所以です。

第四に、沖縄観光の重要な成長戦略であること: 沖縄が経済的な自立を目指す場合、観光産業の観点から最も重要な要素は、①東アジアからのインバウンド観光客(特に富裕層)の取り込み、②季節と顧客の多様化・平準化(季節変動の大きな観光地沖縄は、季節需要の平準化が即、限界利益率の高い収入に直結するという産業構造を持っています)、③質の向上、です。沖縄から東アジアに直接繋がる手段を持たなければ、その実現は不可能であり、また、本土地方都市と東アジアを結ぶことで、「夏の沖縄」以外の、ビジネス客を含む高単価かつ季節平準化された需要を取り込むことができます。

第五に、沖縄経済の重要な「ディフェンス」であること: JALおよびANAはその経営状態に多少の差はあるにせよ、「羽田の発着枠=事業収益」、という規制業種時代の事業モデルに大きな変化はありません。日本の航空産業でオープンスカイが本格的に始まれば、両社とも経営的な危機に直面する可能性は無視できず、それが現実になれば更なる路線・人員削減は恐らく避けられません。沖縄は独自に航空路線を運営する機能を取得し、そのような事態に備えるべきです。

第六に、那覇空港ビルディングの事業戦略に寄与すること: 那覇空港ビルディングは、財務的に健全な見かけとは裏腹に、長い間重要な再投資や成長戦略を繰り延べてきたために、遠からず事業の根源に関わる経営課題に直面する時期にさしかかります。このタイミングがオープンスカイの潮流に重なり、重要な収益源であるJAL、ANAの経営大縮小に巻き込まれれば、事業的に重大な局面を迎えることとなるでしょう。このトレンドは不可避であり、自力で事業力をつける以外の方法はありません。那覇空港を拠点とした南西航空の発展は、なによりの問題解決を提供することになるでしょう。

第七に、資本の論理で疲弊した観光産業への解であること: 沖縄は観光立県を目指しながらも、観光業に従事する従業員の労働環境は劣悪であり、観光地の持続的な発展に最も重要な「質」を長期間に亘って低下させています。原因のひとつは、資本の論理によってホテルが頻繁に売買され、投資簿価(回収するべき資本の額)が上昇するたびに、人件費を徹底的に削減して帳尻を合わせざるを得ないという悪循環が生じているためです。つまり、従業員の努力の大半が資本家へ分配され、沖縄地域経済圏と、労働者の間で循環しないという問題です。この悪循環を断ち切るためには、資本の論理とは別の原理に基づく「沖縄的資本の地産地消」が不可欠です。那覇空港ビルディングを親会社とした南西航空の将来収益の全額は、沖縄地域経済圏県に永遠に再配分することが可能で、この金融構造によって、初めて沖縄に、本当の意味で高品質の観光事業を生み出す土壌が成立します。

第八に、JALにとってのメリットも少なくないこと: 南西航空はJALとの対話を重ねながら、主に国内路線を補完する良好な関係を維持することが前提で、JALのためにも有効な事業戦略を提供するものです。また、本件の実行に際して、例えば、いきなり株式を譲渡するのではなく、経営機能の引継ぎから始めることで、南西航空の詳細な事業計画の策定が完了する頃までには、事業の改善が明らかになる公算が強く、双方のリスクを減らすことが可能です。

第九に、制約は発想のみであること: この事業計画を妨げる最大の要素があるとすれば、それは、JTAあるいは沖縄県自身が、「JTAはJALの傘下でなければ存続できない」と固く信じている点にあります。もちろん経営のあり方次第ですが、多くの資本を使わずに高収益事業として再生し、その利益を従業員と地域に還元する構造を作ることはそれほど難しいことではありません。

以上。

【2010.6.4 樋口耕太郎】

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新・南西航空事業計画
新・南西航空事業計画(pdf版)

ご提案
・ 株式会社日本航空グループの事業再生において、株式会社日本航空インターナショナル(「JAL」)が70.1%保有する日本トランスオーシャン航空株式会社(「JTA」。旧社名は南西航空株式会社。詳細は*(1)参照。)株式の全部または大半部分について、可能であれば、関係者の十分な理解と協力を得ながら、那覇空港ビルディング株式会社(「NABCO」。詳細は*(2)参照。)へ売却を検討するべきだと考える。

・ 当該株式譲渡に関するファイナンスは、JTA債務の引継ぎを前提として、①可能であれば、沖縄振興開発金融公庫、沖縄銀行、琉球銀行、海邦銀行などの金融機関、②NABCOの内部留保資金および株式の売却(第三者割当増資)、③オフバランスを前提としたJALによる(劣後)セラーファイナンス、およびこれらの組合せが考えられる。

JAL再生の観点
・ JALにとって、JTAは以下の理由から、財務的に非効率な事業部門と言える。

① 2009年3月期決算において、経常損失3.7億円の赤字に転落し、JALの連結決算を圧迫している。この赤字決算が一時的な問題ではないと考える場合、JTAが独自の事業課題を解決する姿勢が、結果としてJALへの大きな支援となる。

② JTAが保有する全15機(800億円相当額)の平均残存耐用年数は今年度時点で僅か5年である。短期的にも、JTAが保有する15機(いずれもBoeing 737-400)のうち、2010年にBoeing737-800への置き換えが2機予定されているほか、2010年に3機、2011年に1機が順次機齢20年を超えるため、今後僅か2・3年の短期間で、1機あたり約50億円として合計約300億円の機体置き換えファイナンスが必要となる。

③ 激化する東アジア地域のオープンスカイ環境など、戦略的事業課題が山積している。

④ JALのJTA株式保有比率は70.1%でありながら、JALはJTAのファイナンスの実質的に100%を負担している。

・ JALにとっては、JTA株式をNABCOに譲渡することで、JTAが抱える将来の大きな財務リスクをオフバランスする効果がある。

・ JALがJTA株式を売却した後も、両社は事業提携などの形で現在の協力関係を維持でき、またそうすべきである。JAL自身、譲渡先であるNABCOの主要株主であり、JALにとってもJTAへの資本関係が(間接的にではあるが)完全に消滅することにはならない。JTAはJALと競合するのではなく、JALを補完し、支えあう関係で事業を発展させるべきである。

・ 株式譲渡価格に関して、JTAの赤字決算直後であるなど、JALにとってそれ程高い売却価格を実現できるタイミングではないかも知れないが、近い将来の財務負担を軽減する効果が大きいためそれに勝るメリットが存在する可能性がある。

NABCOの観点
・ NABCOは、約96億円の安定した売上、13億円の経常利益(2009年3月期)を誇り、強固な財務基盤を有する沖縄県最大の不動産賃貸事業会社である。空港施設という特殊事情を勘案しても、不動産賃貸業としては著しく高い運営費用を計上するなど、潜在的に多大な経営余剰と収益改善余地が存在する。

・ NABCOによるJTA株式の引き受けは、JALのJTAに関する財務負担の大半をNABCOが引き受けることであり、NABCOと沖縄県が、長年沖縄に多大な貢献をしてきたJAL再生の一助となる意味合いがある。

・ JALの事業再生に伴い万一JTAの事業規模や路線が縮小される可能性を勘案すれば、NABCOおよび沖縄県民にとっても、JTAの事業を引き継ぎ、積極的にJAL再生の支援を行うことには大きな利点がある。現在JTAの、那覇-神戸、石垣-神戸、那覇-北九州便の廃止が検討されている。

・ NABCOがJTAの親会社になることで、日本で始めて空港ビルと航空会社の一体経営が実現する。オープンスカイを迎えて益々競争が激しくなる東アジア各国ハブ空港との差別化戦略として活用できる。

・ 株式譲渡価格に関して、JTAの赤字決算直後であるなど、比較的低価での取得が可能である。

JTAの観点
・ JTAの経営を東京中心の価値観から離し、沖縄を拠点とし、日本と東アジアをつなぐ新・南西航空として事業展開を進めるべきである。

・ 航空事業は、人の力が大きく事業結果に反映する労働集約サービス業の最右翼である。従業員と顧客の人間関係を重要視し、沖縄の航空会社としての個性を発揮し、運営の質を高め、価格を可能な限り維持する戦略を採用するべきである。質の高い個性を追求するために、JALグループの傘から一歩踏み出し、JTAが持つ南西航空のDNAを見つめなおす作業は戦略上プラスになる可能性が高い。航空業界における「愛の経営」の元祖、サウスウェスト航空のハイクオリティ版というイメージに近くなるのではないか。

・ 売上高利益率の低い航空会社のような業態では、単価を下げずに、リピーターを例えば5%追加的に得ることで、利益が25%~125%上昇するというイメージが成り立つと仮定すると、「今後の3~5年間で、今よりも10%多いお客様にリピートしてもらう」ことが、JTAが自立的に事業を継続するためのターゲットのイメージと言える。個性豊かで長い歴史と多くの顧客を持ち、事業のベースが強固なJTAにとっては、顧客との人間関係の接点を改善することで、意外に容易に達成できる水準と考えられる。

・ 赤字路線に関しては、より大きな観点から経営「合理性」の議論を追及するべきである。航空会社の路線(特に離島便)は、鉄道路線と同様、その存在によって多くの人々が生活を変え、仕事を得、住宅を購入するなど、多大な「簿外資産」によって支えられている。路線の廃止は膨大な「簿外資産」を毀損することになるが、それは航空会社の財務に現れないというだけで、長期的には顧客資産の毀損を通じて思わぬ企業価値の毀損につながる可能性がある。・・・路線を廃止するということの意味と「合理性」を、より大きな視点で検討するべきだということである。

・ 沖縄の地域性、アジアゲートウェイ構想、今後のオープンスカイの潮流を考えると、JTAの個性を発揮するひとつの可能性として、例えば、国際線と国内空港への同時展開(「内際展開」)が有効である。日本国民にとって海外旅行は著しく手間がかかる。例えば、仙台在住の家族が香港旅行を計画したとして、仙台空港-羽田-(リムジンバス)-成田-香港、と大仕事になる。これに対して、JTAによる仙台-《ハブ空港:那覇》-香港の乗り継ぎが可能であれば、大幅に負担が軽減されて需要が喚起される。実際、このような需要は増える一方だが、韓国仁川空港や上海浦東空港などが、このような日本の地方ニーズをどんどん取り込んでいるという現状がある。同様に、成長著しい東アジアの観光需要を取り込むために、東アジアと日本の地方都市を結ぶ機能を果たすことで、収益的にももちろん、日本全体の国策に大きく寄与することができる。

・ 「内際展開」のポイントは:

① 沖縄の産業構造は夏のリゾート需要に偏重しているため、需要の季節平準化がそのまま利益に直結するという大原則があり、日本の各都市の海外需要(ビジネスおよび観光)を取り込むことは、それだけで大きな経済効果がある。反面、沖縄発・沖縄単独でビジネス、海外旅行などの需要を十分に生み出すことは現実的ではない。

② 経済の成熟、少子高齢化、新幹線の延伸と高速化、規制緩和と新規参入など、今後規模と利益率の縮小が想定される国内市場だけでは、JTAの成長戦略を描きにくい。反面、海外からの需要を沖縄に呼び寄せるという発想だけで、那覇から国際線を飛ばしても、不慣れな土地で、メガキャリアやLCC(ローコストキャリア)と正面から対抗せざるを得ず、収益に見合う事業にはならない。

③ 地方空港が開設ラッシュの中、利用者が不足している理由のひとつは、国内線だけでは十分な需要が生まれないためであり、地方空港が那覇を経由してアジア・オセアニアと繋がるのであれば、空港事業の採算に苦しんでいる地方都市からも歓迎される。

④ 東アジアから日本へのインバウンド観光需要を日本の地方都市に取り込む機能を果たすなど、内際展開は、東京・羽田中心の価値観から目を離し、沖縄が個性を発揮しながら、いかにして日本全体の役に立つことができるか、という発想から生まれる戦略であり、沖縄県、NABCO、JTAが日本全国の利用者から感謝されることになる。

⑤ 現在JTAが保有している航空機の規模(いずれも150人乗りのBoeing737)は、東アジアと国内地方都市を繋げる内際展開に最適である。ナローボディとは言え航続距離は5,000km~6,000km、将来的に検討可能な最新鋭ER型では10,000kmを超え、ムンバイへの直通運行も可能である。

⑥ 内際展開戦略によって東アジアへのゲートウェイとして機能する空港の要素は、

1. 日本国内の多くの都市へ就航していること *(3)
2. 国内線と国際線の接続が容易であること *(4)
3. 日本国内に存在する国際空港であること *(5)
4. 空港と航空会社が戦略を一にして経営されること *(6)

が不可欠である。この条件をどこよりも満たす那覇空港と、その那覇空港を拠点とするJTAの強みを活かし、JTAとNABCOが一体経営され、国内便をスムーズに国際線に接続することで、国内の他の空港や韓国仁川空港、上海浦東空港や東アジアのキャリアに対して強みを発揮することができる。

沖縄の観点
・ 本土復帰以来38年が経過してもなお、沖縄の自立は進むどころか依存度を増すばかりであり、政府による沖縄への多大な財政補助が減じる兆しは事実上過去に存在しなかった。この状態に持続性はないため、このまま本土への依存度が拡大し続ければ、どこかの時点で大きな問題を生じる可能性が高い。

・ 沖縄振興特別措置法に象徴される、補助金によって立つ沖縄経済のあり方は早晩限界を迎えることが明らかで、財政的、産業的、そしてなによりも意識的に自立するためには、自立した事業を実現することが何よりも効果的である。JTA、NABCOほど県民に対して「自立」を発信する、メッセージ性の高い事業は存在しない。可能であれば南西航空の社名を復活し、沖縄の翼として再出発する事業計画は、沖縄における強い意識転換を促し、復帰以来の重大テーマである沖縄県の自立への実質的な第一歩を踏み出す基点となる。ひいては、本土から長年に亘って提供され続けている有形無形の多大な補助を大きく減じる重大なステップとなる。

・ 沖縄が将来財政的に自立することを真剣に望むのであれば、①東アジア経済圏においての役割、そして、②日本経済圏とのリエゾンとしての役割、の双方を自ら獲得する以外にない。JTAおよびNABCOはこの観点において最も重要な役割を担う可能性を秘めている。観光を主力とする沖縄の産業構造から考えて、南西航空および那覇空港ビルディングの再出発なくして、沖縄自立のシナリオを描くことは事実上不可能であり、したがって、本件は沖縄が自立する最大の機会である。

・ JTA、NABCO、(および質の高いリゾート事業の実現)は、ここから50年間の沖縄の将来を決定付ける極めて重要な鍵を握っている3大事業であるが、本件はそのうちの2事業を同時に実現するという重大な意義がある。この3事業の在り方と地域と産業の将来を、深く、具体的かつ現実的に考えること、そしてそのアイディアを、意識の高い次世代のリーダーと実現することが、沖縄、東アジアのみならず、ひいては日本の航空行政・観光産業全体のあり方についての有効な青写真を提供することになる。

・ 100億円弱を売り上げるNABCOは単なる事業会社に留まらず、沖縄全体の産業を大きく変える潜在力を有している。例えば、地域農業生産物、加工物、県産品などの有効な「出口」として機能することで、質の高い地域産業を振興する重要な機能を果たすことができる。更には、東アジア地域の高品質商品を集積することで、東アジア各国との繋がりを深め、海外からの前向きな意識が沖縄、そして背後の日本に向けられることになる。

以上。

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*(1) 日本トランスオーシャン航空株式会社は、株式会社日本航空インターナショナルが発行済み株式の70.1%を保有する沖縄県那覇市の航空会社である。1967年に南西航空株式会社として創業。1993年から現社名。資本金45億円、従業員数825名(JALグループの沖縄地区担当社員数は2,200名)。主要な子会社に74.5%株式を保有する琉球エアーコミューター株式会社、100%子会社のJTA商事株式会社がある。本土への就航路線は、仙台、福島、東京、小松、名古屋、関西、伊丹、神戸、岡山、松山、高知、北九州、福岡。2009年3月期の売上は470億円、総資産300億円、自己資本比率39%。2006年のデータでは、本土-沖縄路線(1,161万人)におけるJTAのシェアは9.1%、国内線全体(9,624万人)では3%、沖縄県内路線(254万人)では65%。旅客総数271万人のうち、本土便が37.3%、その他が県内便で、那覇-石垣、那覇-宮古の2路線で全旅客数の約半数49.7%を占める。

*(2)
那覇空港ビルディング株式会社は、1992年に設立された那覇空港ビルディング(国内線および国際線ターミナルビルディングおよび駐車場)を管理する沖縄県那覇市の不動産賃貸事業会社。1999年5月に供用開始した国内線空港ビルディングは、建設費300億円、延べ床面積約80,000㎡。同じく、1986年7月に供用開始した国際線空港ビルディングは、建設費14.7億円、延べ床面積6,450㎡。NABCOが保有する重要な資産は建物、建物付属設備および機械などで、土地は国から借上げており、土地は保有していない。土地に関しては、国有財産法第18条および第19条に基づく使用許可によって土地使用が許され、毎年更新されている(同決算書の一般管理費明細によると、国有財産使用料は6.7億円)。

NABCOの2006年3月31日期決算書によると、総資産300億円(うち現預金44億円)、簿価純資産30億円、総売上90億円、償却前金利前営業利益(EBITDA)27.4億円、減価償却12.9億円、経常利益9.5億円、当期純利益5.6億円(2009年3月期の決算は、売上約96億円、経常利益13億円と報道されている)、従業員190人(パート含む)、取締役17名、株主数13名。那覇空港ターミナル株式会社が保有する41%(14,350株)の筆頭株式は、当社清算のためNABCO(36%・12,576株)と沖縄県(5%・1,774株)による買取りプロセスが進行中。売買価格は20億552万円(額面の2.8倍)。NABCOが一旦買取り自社保有する36%の当該株式については、買受先を選定する方針と報道されている。

*(3)
那覇空港から日本国内の各都市へ29路線(ただし9路線は離島便)が就航している。那覇空港の国内ネットワークは、羽田48路線、伊丹32路線に次ぐ第三位であり、以下、ソウル仁川25路線、新千歳25路線、中部22路線、福岡21路線、関空20路線、上海浦東17路線(参考:成田は8路線)を上回っている(東洋経済2008年7月26日号「エアポート・エアライン特集」による)。

更に、近年日本の地方都市のハブとして機能し始めているソウル仁川空港、上海浦東空港などと比べて那覇空港が優位な点がある。それは、羽田を代表とする主要空港との強い接続である。那覇からは、羽田27便、福岡16便、関空8便(伊丹2便)、名古屋7便、神戸6便が毎日就航しているが、仁川から羽田への接続は毎日8便、上海浦東に至っては羽田便は存在せず、中国国内線専用の上海虹橋から4便があるのみ、香港も2便である。

*(4) 日本の航空行政においては、関東地区の羽田と成田、関西地区の伊丹と関空のように、国内線と国際線の住み分けが基本とされてきたため、国内都市と国際線の接続は著しく不便なままである。国内都市と国際線ハブが物理的に接続可能な空港は、成田、羽田、新千歳、関空、中部、福岡、仁川、浦東、那覇しか存在しないが、成田は国内線を拡張する余裕は存在せず、羽田は成田との線引きによって国際線の就航は長らくタブーであり、2010年のD滑走路供用開始においても、国際線への増枠は年間6万回の発着に限られている、新千歳は経済成長著しいアジアへのハブとして地理的に不適切、関空・中部は国内線の利便性が悪く、その地理的不人気によって逆に国内線利用客が大幅に減少している、福岡は良い候補だが、アジア・オセアニアへのハブとしては国内各都市から地理的に近すぎる、皮肉なことに仁川・浦東が将来的に最も有望だが、現在は羽田への接続が弱い、などの問題が存在する。

すなわち、那覇空港が潜在的に大きな比較優位を持つことがわかる。将来的にも第二滑走路の建設、国際線ターミナルの開発など、非常に大きな拡張余地があり、いずれも具体的に計画が進んでいる。

*(5) 日本の航空業界の発展を考えるとき、国際ハブ空港が日本国内に存在することが重要である。オープンスカイの世界的な潮流においても、以遠権を認めているケースはそれ程一般的ではないため、日本のキャリアが例えば仁川をハブに利用することができない(コードシェア運行などによって緩和する動きも高まっているが、根源的な問題は依然として残っている)。以遠権とは、自国から相手国を経由して、更に相手国の先にある国への区間においても営業を行う権利であるが、例えばJALが新潟-仁川路線を開通したとしても、韓国より先への以遠権を持たないために、仁川から先の国へ就航することができず、新潟の顧客が仁川を経由して世界に繋がるニーズに応えることができない。反面、大韓航空の新潟-仁川路線では、新潟の顧客が仁川を経由して、大韓航空が接続している世界中の都市にアクセスすることができる(因みに、新潟空港は、日本において国際旅客の割合がもっとも大きい(18%)地方空港である)。

すなわち、世界基準としての以遠権の禁止が解かれない限り、日本国内に存在する空港を国際線のハブとして育てなければ、日本の国際航空事業そのものが衰退する可能性が高く、那覇に限らず、本来であれば成田、羽田、新千歳、関空、中部、福岡が総力を上げて国際ハブ機能を分担する必要がある。その中でも那覇空港は最も重要な空港の一つと言える。

*(6) 国際ハブ空港の成否が日本の国際航空事業の成否を決する大きな要因である中、国際ハブ空港はその空港を拠点とする航空会社が成長して初めて実現する。仁川の大韓航空、香港のキャセイ・パシフィック航空、チャンギのシンガポール航空など、空港と航空会社がお互いの事業戦略を理解し、協力し合いながら密接な経営を行うことで、世界的な競争力が生まれるケースが増えている。

日本の端沖縄から資本主義社会を眺めていると、色んなことがずいぶん違って見えることがあります。そんな発想で資本主義社会を逆さまから解釈してみました。冒頭は、資本主義の基本構造を示す(と私が考える)思考実験です。西暦元年に100円を預金して年5%の複利で運用したとき、2009年のお正月の預金残高を計算すると、

336,452,092,272,630,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000円

になります*(1)。世界最大の銀行は日本のゆうちょ銀行ですが、総資産は「僅か」

196,000,000,000,000円

(196兆円)に過ぎませんので、この膨大な預金を受け入れることができる銀行は、地球上において到底存在し得ませんし、人類がどれほどの経済成長を実現したとしても、この利息を賄うことはできません。この単純な算数が明らかにすることは、私たちが依って立つ資本主義社会の経済システムがいかに荒唐無稽なものであるか、そして、我々が当たり前と思っているお金と利子の存在自体が社会においていかに持続性を持たないか、という重大な事実です。

また、時給1,000円で年間3,000時間働くと年収は300万円ですが(因みに、2009年度の経済財政白書によると、日本における年収300万円未満の雇用者が、全労働人口の過半数に達しています)、西暦元年から2008年間のこの労働者の合計賃金は、

6,024,000,000円

(約60億円)、5%でお金を運用した「資本家」の預金額との差は、実に、 55,851,940,948,311,800,000,000,000,000,000,000倍であり、これは労働者と資本家の所得の差でもあります。特に1990年代以降、世界の先進国では社会格差の問題が表面化していますが、資本主義が強烈な格差を生み出すのは、政治学、経済学以前の問題として、このような、利子のメカニズムに付随する構造的な問題と考えるのが自然ではないでしょうか。・・・社会格差の問題は、一般的に批判されているようなまずい政治の舵取りの結果、という要素も確かにあるかも知れませんが、上記を前提とすると、政治批判・経済論争すら対症療法についての議論に過ぎません。政治を批判しすぎるのも、政治に期待しすぎるのも、本質的な病理の特定と治癒を遅らせることになるのではないかと思います。

異端の資本主義論
以上を前提とするとき、我々が問うべき質問は、資本主義がこれからどうなるか?ではなく、なぜ今まで崩壊していなかったか?ということかもしれません。・・・「資本主義は持続性のない自滅的なシステムである」、というマルクスの言葉が想起されますが・・・。そしてその問いに対するひとつの回答として、「我々が資本主義と呼ぶ体制が未だ崩壊していない理由は、今までは社会主義的であったから」、あるいは、「社会主義の存在によって資本主義は(辛うじて)維持されてきたから」、という発想が可能です。

中産階級は国家そのものである、といえるほど、中産階級の強さが国家の安定と経済発展と共同体の緊密さと人間関係の強さにとって重要で、社会が均質になるほど経済圏としても、政治体としても、文化としても繁栄する、という仮説を考えてみます。20世紀以降の資本主義社会をリードしてきたアメリカ*(2) が最も経済力を持ち、最も豊かだった1950年・60年代は、アメリカが最も社会主義化(他に適切な言葉がないので一応このように表現します)していた時期です。・・・個人所得税の最高税率は90%でしたし、上位0.1%の大金持ちが、国民年収総額の何%を占めているかに関するピケッティとサエズの調査*(3) では、1930年代の6%から1950年代には2%まで急低下しています。「超・資本主義」*(4) で第二位の経済大国の役割を果たしてきた日本の国体は、太平洋戦争の敗戦を経てアメリカによって「作られ」ますが、アメリカが建国以来最も社会主義化していた「1945年前後」に「敗戦を迎えた」という二つの事実は、ある意味でその後の日本にとっては幸運なことであり、奇跡といわれた日本の経済復興の重要な要素ではなかったでしょうか。日本は「世界で最も成功した社会主義国」と揶揄されていた時期もありましたが、このジョークは本質を突いているのかもしれません。

一方、社会主義国家は「社会の諸悪の根源である資本家」を排除するために民間資本を取り上げ、私有財産を認めない、という基本政策を取ります。だからといって、社会から資本が消えてなくなることはなく、結局誰かが資本を「所有」しなければなりません。20世紀の社会主義体制の最大の矛盾であり欠陥は、民間の資本家から資本を取り上げ、国家という世界最大の資本家を生み出してしまったことではないでしょうか。1950年・60年代において、アメリカや日本などの「資本主義」国家は、本質的に平等な社会主義的社会であり、同じくソ連などの「社会主義」国家は、本質的に最も格差の激しい資本主義的社会であったため、資本主義的な「社会主義」国家(ソ連)が、より社会主義的だった「資本主義」国家(アメリカ、日本などの西側諸国)より先に崩壊した、というのが私の仮説です。社会主義の失敗は、社会全体でお金に向き合うことを放棄して、国家という「金庫」に閉じ込め、これを少数が管理する仕組みを構築してしまったこと、すなわち、お金の本質を理解して活用する社会工学の欠如が、システム崩壊の本質なのだと思います。

1991年12月25日、ソ連の崩壊によって冷戦が終り、「社会主義」の脅威がなくなったアメリカと西側諸国では、60年以上眠っていた資本主義のメカニズムが本格的に「覚醒」します。その直後、1990年代中頃から急速に資本主義が先鋭化してマネー資本主義を生み、サブプライム、そして世界金融危機に繋がっているように見えます。資本の論理が社会格差を急速に拡大させ、共同体を分断し、人間関係を崩壊させていくプロセスは、あたかも滝つぼに向かって全力でオールを漕いでいるようにも見えます。

過去60年以上に亘って資本主義社会を牽引してきたアメリカは、常に日本の先行指標でしたが、資本の論理が社会にもたらしたその凄惨な現状は、かつて日本が憧れた国とはまったく別の姿になっています。アメリカの中産階級は過去50年間、「共同体の崩壊 → 大家族の崩壊 → 核家族の単位へ → 夫婦共働き → 核家族の崩壊 → 母子家庭」 という道筋を辿りながら、家計収入と社会的な支えをどんどん失ってきました。特にアメリカでは90年代以降、家計の金融資産が底を突き、生活するための収入が不足したため、家計の貯蓄率がマイナスとなり、不動産ローンや消費者金融によって将来収入を取り込んだところ、昨年からのサブプライム危機によってとどめを刺された形です。現在アメリカの失業率は10%を超えて上昇中ですが、1年間以上職を探している人は統計から除外されるため、実質的には17%を超えているという推定もあります。「市場原理」の導入によって、政府が社会保障の代わりにお金を借りやすくすることで「自己責任」にした結果、ローン会社は潤い、借金をを返せなくなった人が急増。いざ返せなくなると社会的なセーフティーネットが大幅に縮小されており、社会に復帰できるインフラが存在せず、中間層が貧困層に、貧困層が最下層に落ち込んでいく、ドミノ倒しのような現象が起きています。

俄かには信じ難いようですが、アメリカで最後に残ったセーフティーネット、食糧配給券の受給者が過去最高、全国民の12%に達し、更に1日2万人のペースで増え続けています。ワシントン大学の最近の調査では、およそ半数の米国民が、20歳になるまでに少なくとも1度、黒人の子どもは実に90%がフードスタンプを受けていることが明らかにされました。これほど食糧支援が急務となっているのは大恐慌以来で、食糧を確保するという、あまりに基本的なことさえままならないのがアメリカの現実です。

遅々として進まない医療改革の議題の中心は、4,700万人にも上る無保険者ですが、保険に加入していても医療費の自己負担分が収入の1割以上を占める人が2,500万人も存在し、ただでさえ低い収入を強く圧迫しています。更に、劣悪な健康保険が大量に横行しているために、保険に加入していながら保障を受けられない人も水面下で大量に生じています。最低限の生活がままならない大半の国民にとって、病気になるということは、かなりの確率で破産を意味します。ハーバード大学が2005年に実施した全米1,700強の破産事例の調査によれば、破産の約半数は医療問題に起因しており、破産者の75%は医療保険に加入していたといいます。医療費が支払えずに破産した人々の多くは大卒で、マイホームを持ち、責任ある仕事についていた中流層でした。それが病気になった途端に、医療費の支払と、住宅ローンの支払の二者択一を迫られ、やがて自宅を追われることになります。子を持つ親の立場で、子どもが病気になった際、医療費の支払を拒むことは困難です。

更に、囚人が市場原理に組み込まれています。米国の凶悪犯罪は減少している中、統計上の犯罪率が上昇しているのは、貧困ゆえの「犯罪」が急増しているためです。例えば、スピード違反で切符を切られ、裁判所に出頭する際、罰金を支払うお金を持っていれば保護観察処分を免れますが、貧困ラインの生活を送っている多くの国民にとって、数百ドルの罰金を工面することは大問題です。そうなると、罰金に加えて、月35ドルの監督手数料を民間委託会社に支払う必要が生じるなど、支払総額がどんどん膨れていくしくみです。滞納している罰金と手数料の支払ができなければいずれ刑務所に送られるため、警察の目を避け仕事を探すのも怖いながら、仕事がなければもちろん罰金も払えません。現在多くの州では州法が改正され、ホームレスであるということが犯罪とみなされて逮捕される状態になっています。刑務所に収容されている囚人は地域住民としてカウントされるため、囚人が増えれば連邦政府からの助成金が増える仕組みです。囚人は刑務所内で時給僅か12~15セント程度の超・低賃金で働いていますが、それが企業のアウトソーシング先になっています。米国の刑務所では、入所と同時に手数料と言った名目で多額の借金を負わされ、刑期を終えても借金漬けの状態で出所するため、貧困のために犯罪に走り、すぐに刑務所に逆戻りという循環に陥っています。その結果、アメリカの囚人人口は30年前の3倍を超え、米国の成人45人に一人が保護観察或いは執行猶予中、世界の囚人の25%がアメリカ人という、凄惨な社会事情になっている反面、刑務所は民営化され、もっとも儲かるビジネスのひとつとなり、施設の土地建物は証券化されて人気金融商品になっています*(5)

アメリカも日本も、目先の金融・財政政策*(6) が治癒そのものであるかのごとく行動しているように見えますが、「国家そのもの」ともいえる中産階級が燃えかすのようになってしまった社会で、どのようにして景気が「回復」し得るのか、大きな疑問を感じます。現在のアメリカは、常に明日の日本でした。我々はこの資本主義の構造問題に対して、何ができるのでしょうか。

マルクスの社会学
社会主義の提唱者として知られるマルクスですが、彼の業績の本質は、当時の世界人口の半数に影響を与えた著書『資本論』を通じて、資本主義の構造分析を行ったことです。マルクスが生きた資本主義社会の時代、1850年頃のヨーロッパの社会状況は筆舌に尽くしがたいほどひどいものでした。労働者は凍えるほど寒い工場で1日14時間も働かされていました。賃金はひどいもので、安物の酒で支払われることもざらで、子供や妊娠している女性も働きに出なければならなかっただけでなく、沢山の女性が資本家相手に売春をして生活費の足しにしなければなりませんでした。同じ時代に、資本家は昼は馬で遠乗りをして、風呂に入ってさっぱりした後、フルコースのディナーを食べ、暖かい広間でバイオリンやピアノを弾いたりしていました。 (・・・まるでデジャヴュのようです。格差が進んだ最近のアメリカ社会にずいぶん似ていないでしょうか?やはり、資本主義は、社会主義の存在によって、相当緩和・健全化されていたのではないかと思えます。)

資本主義社会で対立する二つの階級、資本家と労働者の違いは、生産手段を持っている者と持っていない者の違いです。マルクスは、どうすれば資本主義社会から共産主義社会に移れるかを考えるために、資本主義の生産方式をとことん分析しました。マルクスは、資本主義の生産方式は多くの矛盾を抱え、理性にコントロールされていない自滅のシステムであり、どの道滅びると考えていました。・・・資本主義社会は労働者は資本家の利益のために働き、働けば働くほど、資本家が得をするシステムであり、労働者が事実上、資本家の奴隷となるように組織されていると結論付けました。労働者が作った商品の販売価格から労働者の賃金やそのほかの生産コストを引いた残りが儲け(マルクスはこれを「剰余価値」と呼びました)ですが、もともと労働者が作り出したこの剰余価値を、労働者ではなく資本家が手に入れる仕組み、すなわち搾取のしくみが資本主義の基本構造です。剰余価値を労働者から搾取した資本家は、この儲けを新たな資本として、商品をもっと安く作るために、工場を最新式にし新しい機械を買います。機械が生産性を生み、労働者は不要になり、資本家は労働者を減らし人件費を削減することで、更なる利益を手にします。しかしながら、ベルトラン*(7) が言うように、「価格が限界費用に収斂する」激しい競争の中で商品の競争力を維持するためには、どんどん価格を下げざるを得ず、利幅が縮小する中で、僅かな儲けをますます生産手段につぎ込み、更に労働者への分配率が減らされていくという、悪循環が必然的に生じます。社会に失業者が増加して社会問題が深刻化し、労働者はとても貧しくなって、最後には何も買えなくなってしまいます。結果、社会全体の購買力が低下し、商品が売れなくなり、資本家は自滅することが運命付けられているシステムだという解釈です。

マルクスの考えは、このような資本主義が崩壊した後は、生産手段が全ての人々のものに、すなわち、剰余資本が全ての人々に配分される、社会階級のない共産主義社会が生まれる。人々はそれぞれが能力に応じて働いて、それぞれが必要に応じて支払われる。労働は資本家のためではなく、労働者自身のためのものになる。資本主義の崩壊は予想ではなく、構造的必然だ、というものでした。

インターネットは社会主義?
不思議なことですが、サブプライムと国際金融危機を直接のきっかけに資本主義社会が「傾きつつ」ある中、僅か10数年前から我々の社会に彗星のように現れたインターネットとデジタル情報化社会の変容は、あたかも「周回遅れ」で、マルクスが予言した社会に(少なくともその一部が)符合する変化を生じているように見えます。第一に、ネット社会における起業コストは、僅か10年足らずで想像を絶するほど下がっています。夫婦でまじめに開業した一軒のパン屋さん、一軒のケーキやさんが、高品質の商品を追求し、開業から数年で高い評価を受けた後、ブログを通じてネット販売をはじめ、やがてネット企業から全国的に取り上げられたりするようなことはあまりに一般化しており、質の高いものを真剣に生産する情熱があれば、生産手段や事務所は自宅で、流通はネットで全国アクセスが容易に可能であり、初期投資額は小額で済みます。世界にひとつしか存在しない個性的な企業は、わざわざ営業所を置かなくても、地球の裏側からでもお客さまが見つけてくれるため、「二番煎じの大企業」と 「超・個性的な田舎の小企業」では、逆説的ですが、後者の方が圧倒的に広い商圏を持つようになるのです。これは、マルクスの言う、「生産手段が労働者自身のものになる」現象そのものです。第二に、現代社会で最も付加価値が高いとされる商品は、広い意味での情報であり、従来型の製造業、つまり、資本集約、マーケットシェア、独占的な価格決定力などを強みとする、単純な第二次産業の事業価値は今後低下する一方でしょう。これは、資本家が資本家であることの比較優位が低下していることを意味します。第三に、知的財産や情報産業は、遅かれ早かれネット上に集約されることになるでしょう。かつて1セット10万円以上した百科事典(トップシェアはブリタニカ)が、マイクロソフトのCD-ROMエンカルタで1万円に、そして無料のウィキペディアへと変遷する過程で、かつての1,200億円市場が実質的に1億円市場に「縮小」したり、新聞の個人広告が無料のネット広告(クレイグズリストなど)に置き換わる事例は、インターネットが既存の「リアル」ビジネスをいかに短時間で激しく侵食するかを端的に表すものです。ネット上の商品は基本的に全てデジタル情報であり、限界費用がゼロのものばかりです。「競争市場における商品の価格は限界費用に収斂する」というベルトランの法則に従うと、これらの大半は、遅かれ早かれタダで不特定多数の利用者に提供されることになるでしょう。百科事典や個人広告の他、既に音楽は殆どタダ同然ですし、映画もそうなりつつあります。これも、マルクスが言う、「全ての人がその所得の多寡によってではなく、その必要性に応じて必要な商品が必要なだけ手に入る社会」そのものなのです。

インターネットの世界はこれからも激しく変容を遂げながら進化することが確実です。その重大な変化が社会にどのようなインパクトを与えるのか、予想することは容易ではありませんが、その複雑系システムは、豊かな人間関係と、格差の少ない次世代社会を構築するための、重大なカギになる可能性があると思います。

お金を使うということ
資本に関するもうひとつの重大なテーマは、お金の使い方です。人類は未だ、人生の幸福を損なわずに富を活用する方法を知りません。多くの人は、それが問題だという認識すら持っていないようですが、世の中に膨張し続けている膨大な額のお金を、社会と個人のために適切かつ有効に使うノウハウ(社会工学)の欠如こそが我々社会の大きな問題で、「次世代金融」は、この根源的な課題を クリアするものでなければなりません。

お金を使うことは、お金を稼ぐことよりも格段に難しいものです。「嘘だろう」と思われるかも知れませんが、これは事実です。その証拠に、世の中にお金を大量に稼いだ人は数多く存在しますが、(投資ではない)有効な使い道を開発した人は殆ど存在しません。例えば10億円を、人間関係を壊さずに、また、お金を渡す人の人生を狂わせずに完全に消費することは、相当な知恵と人間力を必要とします。あなたが10億円を消費しようと思っていることが知れれば、その瞬間からあなたに正直に接する人間は殆どいなくなり、今までの人間関係は一変します。そもそも、人が別の意図を持ち始めたことに気が付くことすら容易ではありません。・・・その瞬間から、あたかもスポットライトを浴びて逆光で客席が全く見えない、資本家の立場で人生を送ることになるのです。「お金持ちが幸せな結婚をすることは殆ど不可能」、というのは、ウォーレン・バフェットの言葉ですが、一般的なお金持ちにとって最も得難く、そして恐らく一生獲得できないものは、正直な人間関係です。最近亡くなったマイケル・ジャクソンは、お金によって不幸になった人の典型で、彼が短い生涯の間に抱えた訴訟は仰天するほどの数ですが、これらは全て、突き詰めると誰かが彼のお金を必要としたために生じたものです。

人間を生かしも殺しもする、お金という人生と社会の劇薬を健全に消費するためには、人間と社会とお金に対する洞察が欠かせません。その第一は、「突き詰めると、お金は人に使わざるを得ない」という点でしょう。政治家が公共工事に大量のお金を投下するとき、あるいは、お金持ちが銀座のフランス料理店で一本40万円のロマネコンチのボトルを空けるとき、彼らは「人」に対してお金を使っているという認識はないかも知れませんが、そのお金は一銭残らず誰かの手に渡っているのです。我々がお金を使うとき、何かモノに対して消費したと感じるのは幻想でしょう。消費行動は、それが直接間接であるかを問わず、どこかの誰かと必ず「やり取り」をしているため、お金を使う行為は広義の人間関係と理解することができます。

第二は、お金の支払いは、「支払う額も然ることながら、支払い方が重要」ということです。その人の人間力を大きく超過する額を支払えば、その人を却って破綻に導くことになりかねません。例えば、「沖縄にはお金がない」、と誰しも声を揃えるのですが、私の感覚では、沖縄の最大の問題はむしろお金があること、正確には、(お金を活かして使うという意味での)「生産性」を超える額のお金がありすぎることであり、その象徴がコンクリートの塊に成り果てた島の姿であり、58号線に連なるお城のようなパチンコ店であり、そこに行けばいつでも見かける大地主さんたちの人生でしょう。宝くじで大当たりした人が人生を誤る確率は高いといわれていますし、私も株式上場を果たして億万長者になった経営者が身を持ち崩す事例を数多く見てきました。社会でお金がこれほどまでに制御不能に陥っている大きな理由のひとつは、お金を活かす使い方との対比によって捉えられていないからだと思います。つまり、我々が健全かつ大量にお金を消費するためには、モノではなく、資本ではなく、投資ではなく、お金の使い方に関するノウハウと人間力が健全に向上されなければなりません。

第三は、「お金を扱う主体」に関する観点です。現代社会において、お金を扱う主体を大掴みに民間部門と公共部門に大別して観察すると、①民間企業は、結局、どのようにことばを飾っても儲けることを目的としており、社会を良くする事業活動については事実上無関心であり、自壊する資本主義が滝つぼに向かって進む、最大の原動力になっていること。特に、殆どの民間部門は、「儲けること」と「儲かること」の根源的な違いを混同しており、儲けること=社会のため、と主張して論点を混乱させているように見えます。反面、②公共部門は、本来お金を有効に使うという、もっとも難しいテーマを担っているにも関わらず、社会の根源的な問題を全く特定することができず、またその意思もないため、社会最大の「劇薬」とも言うべきお金を、対症療法的に大量かつ殆ど無作為にぶちまけている状態であること、でしょう。これに加えて、最近一部では、NPOを中心とした社会企業家の活動が、この両者の問題を解決することが期待されているのだと私は解釈していますが、彼らがその形式ではなく、社会の生態系の本質を見つめなければ、結局「明日どうやって食べていくか」、という、単なる①の「貧乏バージョン」に成り下がってしまう可能性があり、実際多くがそのような状態に陥っているような気がします。

私は、次世代社会に向けて、①儲けるだけの民間部門と、②無駄遣いするだけの公共部門、とは異なる、第三の事業主体がどうしても必要だと考えており、その事業主体はポスト資本主義社会をデザインする役割を担うことになるでしょう。その事業主体の青写真と次世代社会のバランスを特定した者と事業体と地域が、現代社会の問題を治癒し、次世代を切り開くリーダーとなるに違いありません。

【2010.5.12 樋口耕太郎】

*     *     *     *     *

*(1) 我々の日常とはあまりにかけ離れているので、これを読める人は殆どいないと思いますが、因みに、3載3645正2092潤(かん)2726溝3000穣 (穣は1京の1兆倍の単位)と読みます。思考実験のための計算ですので、金利にかかる税金、金利の水準変化、インフレーションなどの諸条件は勘案していません。前提について議論の余地が多々あることは事実だと思います。

*(2) アメリカが世界の覇権を奪取する前の帝国主義は、植民地政策に象徴されるように、他者から収奪することで発展してきましたが、アメリカはちょうどこの真逆、世界中から物資や商品を購入することでリーダーシップを発揮するユニークな覇権国家となります。その背景として、1929年の大恐慌を期に世界中で社会主義国家が急増する中、共産圏が拡散する脅威に対抗するために、帝国主義時代のように他者から表立って収奪することができなかったという事情がありそうです。この基本構造によって、その後のアメリカ経済は、ドル基軸通貨を要とする金融経済、海外からの競争を呼び込むグローバリゼーションという、現代に繋がる二大潮流を持つことになったのだと思います。いかにアメリカ経済が強大だとしても、世界中から物資を長期間に渡って買い続けることは不可能ですので、アメリカはこれに対処するためにドル基軸通貨という大発明を生み出します。以後、アメリカは自国紙幣を刷るだけで、世界中から無尽蔵に物資を購入することができるもの凄い仕組みを手にし、また、ドルを基軸通貨として維持するために、世界中から商品を購入して国外にドルを流通させる必要が生じます。したがって、ドルが基軸通貨であるということ、アメリカが輸入大国であるということ、貿易赤字体質であるということ、競争原理が社会の原理であること、グローバリゼーションを志向すること、通貨政策においてドル高が基本政策であること、金融を中心に経済が動くこと、は全て同根の構造によるものです。

なお、世界の原油(特に中東産)はドルによって決済されるものが大半です(した)ので、どの国も原油が欲しければまず自国通貨をドルに換えなければならないという事情があります。このことがドルの通貨価値を相当かさ上げしていることは間違いありません。例えば、2003年3月、アメリカを主体とした有志連合がイラクに侵攻して勃発したイラク戦争は、サダム・フセインが大量破壊兵器を開発していたため、イラクがテロリストを支援していたため、あるいは、アメリカにとって原油資源の安定確保のため、などといわれることが多いのですが、私は、アメリカにとってのイラク戦争の最大の目的は「ドル防衛」ではなかったかと思っています。2000年11月より、フセインはイラク産原油の決済をドル建てからユーロ建てに変更しました。フセインの行為は、彼がどれほど意識していたかどうかは別にして、中東が産出する大量の原油がドルを支え、ひいてはアメリカ経済を支えるという、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の基本構造を切り崩す、すなわち、アメリカの琴線に直接触れる行為です。

原油のドル決済は、アメリカにとっては、「ドルを印刷するだけで、原油を無尽蔵に手に入れる」ことができる、物凄いしくみです。世界経済の生態系は、最大の国際商品である原油がドル建てであるがゆえに、世界中の財の取引もドル建てで決済され、ドルの需要が高まることで、ドルの基軸通貨が維持されている、というバランスになっているため、原油のドル決済は、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の要中の要となっています。仮にドルが原油の決済通貨でなくなれば(あるいはその比重が低下すれば)、ドルの暴落は避けられません。アメリカのアキレス腱はドルの信頼性であり、この信頼が大きく揺らぐと、世界からアメリカに集中していた資本が逆流し、米国内の長期金利が上昇し、景気に大ブレーキがかかり、不動産を含む金融資産価格は更に大暴落し、経済が大混乱に陥る可能性があります。当時のブッシュ政権の立場では、フセインを追放し、イラク原油のユーロ決済を阻止しなければ、アメリカはドル基軸通貨という莫大な利権を失うと同時に、アメリカ経済の基礎を崩壊させる可能性を生じてしまうため、大量破壊兵器があろうとなかろうと、国際世論を敵に回そうと、その他のどんな理由があろうとなかろうと、この戦争(侵攻?)は不可避であったと私には思えます。イラクに大量破壊兵器が存在する、という情報は結局CIAの「誤報」だったとされ、アメリカ政府は自国諜報部門にその責任を負わせていますが、それすらも計算の上と考える方が現実味があるかもしれません。ブッシュ政権はイラクを占領した後、イラク産原油の決済通貨を早々にドル建てに改めました。

更に、深読みのしすぎかもしれませんが、オバマ政権のグリーンニューディールはドルの暴落(ハイパーインフレーション)を織り込んで計画されている可能性もあると思います。政権中枢の有能な人たちが、現在の債務残高と益々悪化する経済状態を勘案し、アメリカの財政を健全な状態に戻すことは既に不可能と考えて、次善の策を検討しているとしたらどうでしょう(もし私が政策担当者だったら、その可能性は真剣に検討すると思います)。仮に基軸通貨ドルが崩壊すれば、アメリカは中東産の石油を購入する手段を失うことが予想されます。その衝撃を多少でも緩和すること、そしてまだドルが購買力を持つうちに大量に財政支出を行い、目先の景気を辛うじて支えながら、代替エネルギーの開発と普及に大量の資本を投下することが、政策の隠れた目的かもしれません。グリーンニューディールと銘打ち、環境問題とテーマを重ねることで、政府の真の意図を隠すことができますし、どの道ドルの崩壊を想定しているのであれば、極端なくらい大胆な財政支出を行っても、ある意味合理的な判断と考えることができます。

*(3) 2006年に出たピケッティとサエズという二人の経済学者の有名な論文によります。Picketty and Saez, American Economic Review, May 2006

*(4) ロバート・ライシュ著『暴走する資本主義』雨宮寛・今井章子訳、2008年6月、東洋経済新報社(原題:Supercapitalizm: The transformation of business, democracy, and everyday life)で提起されている基本概念です。この本の中でライシュ教授は、70年代以降、競争原理の浸透によって全世界的なトレンドとなった非民主的な資本主義の潮流を「超・資本主義(Supercapitalism)」と呼び、そのメカニズムを実証的にまとめています。

*(5) 以上、『クーリエ・ジャポン』2010年3月の特集記事他を参照しています。

*(6) 大恐慌後のニューディール政策に代表されるケインズ的な財政政策は、社会格差の度合いおよび最高税率との兼ね合いで議論されるべきではないかと思う のですが、寡聞にしてそのような議論を聞いたことがありません(単に私が知らないだけかも知れません)。財政政策は短期的には景気刺激対策として活用されますが、長期的には、そしてより意味のある議論として、税金による富の再配分効果に着目するべきではないでしょうか。最高税率が高い時期の財政政策は高額所得者から低所得者への再分配効果が高いはずで、社会格差が緩和することで社会の安定と発展に寄与するのであれば、ニューディール政策の本当の意義は、その後の格差解消効果にあったのかもしれません。翻って、最高税率がこれほど低下している現在において、アメリカ、日本における財政政策はより非効率な政策といえる気がします。

*(7) フランスの数学者ジョセフ・ベルトラン(1822~1890) 「競争市場において、価格は限界費用に収斂する」

楽しいゴールデンウィークをお過ごしになられましたでしょうか。

わたくしはと言えば、1日に黄砂アレルギーとカゼを併発し、高熱とひどい咳で
ダウンしてしまい、2日からお休みの予定を1日早くお休みした挙げ句、
昨日までお休みすることになってしまいました。
みなさんには大変御迷惑をおかけしてしまい本当にすみませんでした。

今回の私もそうなのですが、いつの時も、ものごとには必ず良い面と悪い面の
両方が現れるもので、悪い事が起こっているようでも、後になってみれば、
実はそれが後の良い事につながっていたとか、あなたにもそんな経験がきっと
おありではないでしょうか。

今回の私は先週から病気でお休みせざるをえなくなり、
病気の辛さや、みなさんに御迷惑をおかけした不甲斐なさを味わった半面、
みなさんの温かさや御人柄の素晴らしさを改めて知ることができ、
人の優しさをたくさんいただくことができました。
1日にいらしてくださる予定だったみなさんにお断りのメールやお電話を
させていただいた時のみなさんのお優しかったこと。
私のいたらなさを責めるどころか、メールの文章の行間から立ち上ってくる
温かい思いやり、お電話の声や言葉から伝わってくる労わりの気持ち、
それらがどんなに心強くありがたかったことでしょう。
病気の時って、なんだか自分がとっても情けな~く弱く感じるもの。
そんな時だからこそ、お一人お一人の温かいお気持ちがじ~んわりと心に
沁みました。あ~、私はいつもこんなに優しく温かい人達とご縁を持たせて
いただいているんだなぁと。
おかげさまで回復することができ、また今日から元気に仕事を
再開できることとなりました。本当にありがとうございました。
また、名医と誉れの高い西平医院長先生、的確な診療をありがとうございました。

さて、
日曜日は母の日ですね。

前々回の季節の便りでは母から学んだ「謝ること」について
書かせていただいたのですが、今回は母から学んだ「働くこと」のイメージを
書こうと思います。

私の母は本当にいつも働いている人でした。
今でこそ夫婦共働きが当たり前になっていますが、私の子供時代は、
お母さんは家で家事をしている人、つまりは主婦が主流でした。
でも私の母は実家が老舗の洋食屋さんで、母の弟妹はそれぞれ好きな仕事に
就いているというのに、自分だけは両親を手伝って結婚後も
70歳になるまでずっと洋食屋さんを切り盛りして働いていました。
毎朝8時から夜は10時まで。
子供の私はというと、小学校低学年の頃までは洋食屋さんの2階で宿題を
したりして過ごしていましたが、高学年になるとお店の隣の駅の自宅で、
弟と二人で父の帰りを待つという「鍵っ子」生活が続きました。
子供心にはやはり寂しく、家に帰ればお母さんが「お帰り」と言ってくれて
手作りのおやつが出てくる同級生のみんながすごく羨ましかったものです。
でもその半面、女性が働くということが、そして人は働いて生きていくもの
なのだということがごく自然に心に焼き付いたようです。
また、私達の時代では学生生活を終えれば就職して社会人になるというのが、
ごく当たり前の人生のコースのように考えられていて、フリーターやニートなる
言葉や価値観はまだ登場していませんでした。

今の世の中は、学生を終え、いよいよ就職となっても厳しい就職難。
就職してからだって、その出世争いの厳しいことったらもう。そこでもまた
頑張ってある高みに上り詰めたと思ったら、やれリストラだ倒産だ吸収合併だ
敵対的買収だ、では正直やる気も出ませんよね。こういう先輩世代を見て
真面目に就職するなんてバカバカしいとニートになってしまう若者達も…。
なんだか働く意味を失いがちな社会になってきています。

どうしたらいいのでしょう。
一体どうしたら世の中がもっとハッピーになるのでしょうか。
よく「モチベーションを上げて働こう!」などというセミナーがありますが、
そもそもモチベーションを上げないと人は働いたり能力を発揮できないもの
なのでしょうか?

じゃあこんなふうに考えてみたらどうかなと思うんです。
「お前さんねえ、はたらくってのは傍が楽になるからハタラクってんだよ」
という落語の一節にもなっている仏教の法話の中にその答になる大きなヒントが
あるのではと。
みんな働くのは自分のためだって思うから辛くなりますよね。
でも自分の身の回りの人を楽にさせるために働くんだって考えたら、
やる気も出ませんか? つまり好きな人のために頑張るっていうのが
人間一番元気が出るものではないでしょうか。
自分のために頑張るのは限界がありますが、好きな人のために頑張ることに
限界はありませんよね。愛のエネルギーは無限なのですから。
確かに私の母も、働き詰めでろくに休みもなく相当疲れているはずなのに
「みんなの喜ぶ顔が見たいから」といつも生き生きと楽しそうに、
ひとさまのためにばかり心を尽くしていた人でしたっけ。

そういえば、最近、面白いマーケティングの分析を見ました。
右肩上がりの経済成長が見込めなくなってしまった今、
人は「幸せ」をどのようにして感じることが可能か、というお話。
「格差社会」という言葉の提唱者として有名な山田昌弘氏と大手代理店の
分析では、幸せのイメージとしては「他の人の役に立っている」という
感覚にあるそうで、その感覚を消費するスタイルが人気になってきているそう
なんです。実際、パッケージ化された途上国へのボランティア旅行が
人気プランになっているんだとか。人間には必ず「善意」が存在するから
だそうです。
また、阪神大震災で大被害に遭われたオリックスさんの池田支店長にうかがうと
震災後、トイレ掃除から仕出しから、池田さんも含め本当にたくさんの方々が
無償で黙々と、決していやいやではなく生き生きと働いておられたそうです。

さぁ、ゴールデンウィークも終わりまたお仕事ですね!
願わくば、みんながその善意のもとに楽しく働くことができますように。
そして、私達のその善意がこの世界に対して小さくとも何か温かなものを
プレゼントしてくれますように。

最後に。
少し長くなってしまうのですが、私が高校生の時に出会い、
29歳の時に沖縄に引っ越してきてすぐに、偶然また逢い、
覚えてくださっていたというお坊さまの法話を写しておきたいと思います。
この方も私に
「自分の幸せは一切考えなさるな。「人を幸せにする」そのことこそが
幸せへの道ですぞ。」
と言われたのでした。

だまされたと思って、ぜひ声に出して読まれることをお薦めします。
この文章には言霊が宿っているので、必ず心が清らかに洗われ、働く力が
漲ってくるはずです。

「私共の日常生活の言葉に、はたらく(働く)という言葉がありますが、これは
はたがらく(楽)になるということです。はたというのは人さん、御近所さま、
世間さんのことです。近所に迷惑をかけることを、はた迷惑と言います。
このはたさまが楽しく幸せになってくださるためのお手伝いを
させていただけることを喜んでさせていただくのが、即ち働く(はたらく)で
あります。はたらくとは宗教的な温かい言葉です。
私たち一人ひとりがこうした気持ちで自分の仕事に励ませていただくなら、
世の中はどんなに明るく楽しくなることでありましょうか。
仕事は事にお仕えするということですね。ですから仕事はするものではない、
させていただくものです。働くのではない、働かせていただくのです。
私共がどんなに仕事をした、働いたと言っても、世間さまから、社会の人々から
うけている無量のおかげにくらべれば、何程のことが出来たと言えましょう。
生きているのではない。生かさせていただいているのです。
私共がどんなにそのうけているおかげさまにおかげ返しをつとめても、
お返ししきれるものではありません。
「つとめても なほつとめても つとめても つとめたらぬは つとめなりけり」
です。労働だけになってはいけません。はたらく気持ちを忘れてはなりません。」

この気持ちで、また今日から元気に、みなさまにお目にかかれますのを楽しみに
しております。

【2010.5.7 末金典子】

お元気ですか?
沖縄じゅうのあちらこちらの海開きももう終わり、夏本番に向かって若葉も
生き生きしていますね~。

前回お送りさせていただいたお便りの後に、選抜高校野球大会で沖縄県代表の
興南高校が見事に優勝を飾り、今やもう沖縄県のどこの高校が出たとしても
優勝できるのでは…と思うほど沖縄も強くなったものだな~と感慨一入でした。

その高校野球。
私には必ず思い出すゲームがあるんです。
それは昭和62年7月1日に岩手県営球場で、地方大会の開会式直後の2試合目に
行われた試合。岩手県の強豪・盛岡商業高校と無名の岩手橘高校との一戦でした。

結果は53対1という大差の5回コールドゲームで盛岡商が勝ちました。

勿論、私はその試合を目撃していた訳ではありません。翌朝、新聞の朝刊に
「歴史的大差」というトピックスとして小さな記事が載ったものを読んで
知りました。ただこの時私は、新聞に載ったこの試合のスコアボードの
写真を見て極めて強く興味を惹かれたんです。
いえ、53点の方ではなく1点の方にです。
今でも時々、地方大会の話題にこういう大差の試合が報じられることが
ありますが、ほとんど大差で負けた方のチームの得点は0点です。
力の差とはそういうものです。でもこの試合では、相手にたった5回で53点を
奪われるほど弱い岩手橘が何故か1点を奪っています。しかも、その1点は
なんと4回裏に得点していたのです。一体どうして得た1点なのでしょうか?
お情けで貰った点なら却って侮辱だし、哀れ過ぎます。
歴然とした力の差のある戦いでは考えられないほど重い「1点」ですよね。

野球が大好きな、さだまさしさんも、この試合に大いに興味を惹かれたそうで、
岩手の親友に無理を言って頼み、この試合のスコアのコピーを手に入れ、
マッチ箱を4つ、塁に見立ててテーブルの上に配置し、マッチ棒を
動かしながら、この試合を机上に再現してみられたそうなんです。
その時の感動を
「心が高鳴り、わくわくする様は上質のミステリーを読むようだった」と
表現なさっておられます。
その様子を雑誌に掲載なさっておられましたので、引用させていただきたいと
思います。あなたもぜひとも思い浮かべてみてください。

1回表、盛岡商は岩手橘の投手・藤原を攻め、
9安打7四球7盗塁に8つのエラーがからみ、打者25人で21点を奪う。
2回表、更に2安打と1エラーで2点。岩手橘はこの裏2安打を放つが0点。
既に23対0。
3回表は、15人の打者、6安打2四球5エラーで11点。岩手橘は3者凡退。
ここで34対0。手を抜かない盛岡商も立派だ。
4回表、3安打2エラーで3点を奪い、この回で既に37対0となる。

そして、いよいよ僕のこだわった4回裏が来る。岩手橘、1アウト後、
投手藤原がこの日盛岡商の記録した、たった一つのエラーで出塁する。
ここで5番セカンド下村が右中間3塁打を放ったのだ。後で聞いたことだが、
この時、球場全体がどよめき、大拍手が起きたそうである。それはそうだ。
正々堂々たる1点だ。僕も珈琲をひっくり返しそうになって拍手をした。
涙がこぼれそうになる。こいつら、ちゃんと出来るじゃねえか、と。しかし
5回表、盛岡商は13安打6盗塁に3エラーがからんで16点を加え、ついに
53対1というコールドゲームが成立した。
本来遊撃手だった藤原君はこの日、投手のいないチームにあって、
度胸が良いと言うだけで初登板し、5回で260球を投げた。
被安打33四球12奪三振2だった。神様は意地悪なのか優しいのかわからない。
投手がいなくて急遽登板した18歳の少年、藤原君をこれほど虐めなくとも
良いではないか、と思うが、それでもたった1点だけ返したホームを
踏んだのはその藤原君だった。

この暫く後、この一戦を揶揄する記事が週刊誌に出た時、私も激怒しました。
揶揄した筆者は余程野球を知らぬか冷酷で残忍な人です。繰り返しますが、
53対0なら凡戦です。でもこの、37点をリードされた後の4回裏の1点の重みは
野球好きでなくとも人間なら分かる筈なのです。この1点によってこの試合は
名勝負となり、私の胸に深く刻まれたのですから。

実はこの頃の私は、会社に入ってようやく仕事を覚え始めた時期で、
人間関係やら仕事のことやらいろいろなことで重みを感じ、途方に暮れていた頃
だったんです。だからこの岩手橘高校の1点は、何より「最後まであきらめるな」
という私への強いエールに思えました。37対0でも、たった1点を
取りに行こうとするのが「生きる」ことだよ。「捨てるな」と。

高校野球。それは、只の一度も負けなかったたった一つのチームと、
たった一度しか負けなかった4千幾つのチームで出来ています。
私は苦しい時いつもこの53対1のゲームを思い出します。
そして自分に言うのです。結果でなく中身だよ、と。

ゴールデンウィークの最終日はこどもの日。
童心に戻って、純粋な自分に返って、今のあなたの人生の中身を見つめてみて
くださいね。
そして忙しい毎日で磨り減った感性を取り戻し、
豊かな日々をお送りくださいますように。

【2010.4.27 末金典子】

日本経済全体が失速し続ける中、重要な外貨獲得手段のひとつとして、今後の日本向けインバウンド観光の成長戦略が重要性を増していますが、観光立県を目指す沖縄は、この国家戦略においてて重要な役割を果たす責務を有していると思います。しかしながら、少なくとも私の認識において、観光地としての沖縄は数年前にピークを打ち、かつての熱海、宮崎、グアムなどのように、一時繁栄を謳歌した後に凋落して行った無数の「観光名所」とほぼ同様の道筋を辿っているように思います。「観光立県」沖縄の実態*(1) は、世の中に普通に存在する原材料に「沖縄」の名を付して、質の低い高額商品を観光客や本土消費者に販売する「ぼったくり型」の慣行が定着し、県産品やみやげ物をはじめ、価格に到底見合わない品質の食事、夏のハイシーズンに法外なほど高騰する宿泊価格、低単価の顧客を多数詰め込むリゾートホテルのマーケティング、リゾート地に似つかわしくない雑然とした町並み、日没の1時間以上前から遊泳禁止になるビーチ、広大なビーチにほんの僅かしか設定されない遊泳区域、一向に改善しない道路標識の分かり難さ、何度も議論されている台風足止め客への対応などなど、リゾート事業や行政*(2) などを含むサービス産業全体の劣化傾向は目を覆うばかりです。

日本に限らず、世界中の事例において、観光地が没落する理由は突き詰めると唯一、「質の低下」 だと思うのですが、観光地としての沖縄の質は著しくといって差し支えないほど劣化し続けており、それをもっとも顕著に表す、観光客一人当たりの平均滞在日数は、過去30年間ほぼ一貫して下降し続けています。沖縄への観光客は600万人に届くといわれていますが、既にそのうちの約半数290万人は離島への観光客です。この意味するところは本島への観光客は実質的に300万人程度に過ぎないということであり、このことからも、観光地としての沖縄本島は激しい衰退状態にあると考えるべきでしょう。主要観光施設への来場数も、海洋博記念公園(美ら海水族館)365万人、首里城公園250万人ということは、平均で 2泊する本島への「300万人」の観光客が、一日北部と美ら海水族館、一日首里城公園と那覇を観光して帰路に着くに過ぎず、実質的に「沖縄観光」と言えるほどの深みと多様性は、既に消滅していると考えるべきかも知れません。沖縄が誇る「リピート率」の高さも、過去10年くらいのトレンドとして増加してきた離島観光と、本島におけるレンタカーの普及によって、毛細血管のように訪問先が増加したためであり、顧客は決して自分のお気に入りの場所に再訪(リピート)している訳ではありません。この傾向に持続性はありませんので、時間の問題でやがて量的成長の限界が顕在化するでしょう。

資本の論理と沖縄観光
問題の根源を特定せずに行う、全ての問題解決は対症療法に過ぎません。観光地沖縄の問題を指摘する方々やそれらに対処している人が無数に存在しながら、地域の観光の質が一向に改善しないように見えるのは、それぞれの対処方法が間違っているというよりも、問題の根源が特定されていないからではないでしょうか。観光立県を目指す数々の方策や多大な善意の努力も、我々の社会の根源的なあり方を決定している「資本の論理」に向き合わなければ、対症療法による副作用を地域に蔓延させるだけにならないかと危惧します。

ファンド資本に象徴される「資本の論理」がリゾート地に及ぼす多大な影響について、深く考えるようになったきっかけは、私自身の体験によります。およそ6年前、当時共同経営をしていた不動産金融/投資会社(JASDAQ上場、㈱レーサム)の事業として、恩納村のサンマリーナホテルと、那覇市の元オーシャンビューホテルを買収したのですが、運営が想定していた通りに機能せず、自ら現場経営を余儀なくされました。私はホテル運営に関して全くのど素人でしたが、恐らくそれゆえに、「高級なものほど慇懃無礼に感じる」現在のサービス業のあり方に素直な疑問を投じることができたかも知れません。事業再生の現場で私が直面した三つの問題は、第一に、現代社会で私たちが日常的に体験する、サービス業の現場における従業員の「思いやり」は、どんなに言葉を飾っても、結局利益を上げるための「手段」に過ぎず、その隠れた「嘘」が顧客を小さくしかし頻繁に傷つけるのだ、という私なりの結論に達したこと、第二に、従業員・顧客・業者などを含む、経営環境の一切を可能な限りコントロールすることで生産性を上げようとする現代経営の常識が沖縄の風土においてまるで機能せず、その合理性にそもそもの疑問を抱いたこと、第三に、いわゆる成果主義人事考課制度においては、現場を支えている人たちの無数の善意や、大きなトラブルを未然に防ぐ機転など、本当に大事な仕事を評価することが不可能だと感じたこと、です。

この問題を解消するためには、「手段」であることが常識となっている「思いやり」を事業の「目的」にする必要があると考え、それまでの「目的」、すなわち売り上げ目標、収益目標、顧客満足度、成果主義を文字通り完全に廃止し、サンマリーナホテルでは、全ての人事考課基準を、①人間的な成長と、②どれだけ人の役に立ったか、の二点に集約しました。人間関係を全てに(仕事よりも)優先し、「最も質の高いサービスとは、最も幸福かつ正直な従業員の在り方そのものである」と再定義して運用したところ、私自身の想像を超える莫大な利益が結果として生まれ、短期間での事業再生が実現した経緯があります。

しかしながら、短期間で収益が生まれたがために、当該ホテルは僅か2年で倍の価格で売却され、私はこの売却に反対したためにパートナーに解任される、というちょっとしたドラマがありました。当初私が取得した30億円*(3) の簿価は、既に当時築20年を過ぎていた物件の実質耐用年数が終了するまでの20年間で投資額を回収するために、年間1.5億円の税引後利益が必要という計算(30億円÷20年=1.5億円)ですが、売主資本家が30億円の売却益を手にした後、一夜にして買主資本家の投資簿価は60億円になり、事業から回収すべき税引き後利益は3億円に倍増します。売主資本家が手にした30億円は、あたかも資本家のものであるかのごとく売買されていますが(それが資本主義の基本的なルールです)、本来従業員がこれから何十年も努力を続けて生み出すであろうキャッシュフローの現在価値である、という本質は殆ど問題にもされていません。・・・そして、この原理は、一般的には事業の成功とされている、上場による資本回収であっても全く同様にあてはまります。

私はこのような体験をきっかけに、特に沖縄において(沖縄に限りませんが)、転売目的でホテル事業に大量の資本が投下され、いわゆる資本の論理に翻弄されることで、事業の現場と従業員がとても傷つき続けている現状(ホテルに限りませんが)をいかにしたら改善できるのかということについて考え続けています。現時点における私の結論は、少なくとも資本を軸とした「再生」は答えではないということであり、それが上場資本であっても、プライベートエクイティであっても、資本の論理に基づく「事業再生」は、そもそも構造矛盾を抱えているという認識に至っています。転売によるエグジットは資本家にとっての「成功」なのかも知れませんが(もっとも、そのような事例すら沖縄には殆ど存在しません)、より高い簿価で売却されたホテルは、その翌日から更に高い資本回収額を、同じ事業から賄う必要が生じるため、資本家が「成功」すればするほど、更なる資本回収資金捻出のために人件費が削減され、正社員が自給680円のパートタイマーに置き換えられ、組織のモラルが低下し、従業員の生活が不安定になり、現場が傷み、事業の質が低下するという悪循環に陥り、沖縄の観光産業全体に著しい質の低下を招いています。

「思いやり」を事業の「目的」にした現場で、幸福そうに見えたサンマリーナホテルの社員の殆どは、次の資本家の経営に代わってからことごとく(実質的に)解雇されました。5年経った今でも皆どうしているかとよく考えることがあります。・・・しかしながら、社会を生態系に見立てると、殆どの場合目の前の症状に原因はありません。特定の資本家を批判することは簡単ですが、これが他のファンドや投資会社であったとしても、事情は殆ど変わらなかったでしょう。私も過去資本の論理に基づいて行動してきた経験上、彼らがそうしなければならないと考える理由もはっきりと理解できるからです。

私たちができること
この現状に対抗するための有力な策として、私は、資本の論理の弊害から事業を切り離すために、最小限の資本か、可能であれば資本なしで事業再生を行うべき、と考えています。この発想は一見突飛なようではありますが、例えば、破綻に瀕して資本が大きく毀損している事業を債務負担付で買取る機会を伺い、最小限の資本コストで事業を支える条件を整えた上で事業再生を行うことなどで可能であり、金融的にも決して特別なことではありません。そして、このような「ゼロコスト事業再生」を、沖縄における旗艦事業で実現することで、地域全体への最大波及効果を目指す戦略が有効であろうと思います。

そして、その旗艦事業とは、リゾートではなく、むしろ南西航空(現JTA:日本トランスオーシャン航空)であろうと考えます。幸いに、というべきでしょうか、おおよそ150億円±の債務を有するJTAは、企業価値(時価)が債務総額と大きく乖離しておらず、現在のタイミングであれば最小限の資本によって、破綻に瀕しているJALから、51%超の株式の取得が可能ですし、例えばですが、その株式を那覇空港ビルディング株式会社が取得することができれば、実質的な「ゼロコスト事業再生」のための重要な必要条件を備えることになります。・・・那覇空港ビルディングは第三セクターとして公共性が強い企業の代表格であり、本来県民の会社そのものでもあり、創業以来無配でもあり、実質的に「ゼロコストの資本家」としてのユニークな役割を果すことができるからです。この資本を備え、人間中心の事業再生を実現し、事業収益を従業員と顧客と地域に再分配、さらに利益を配当ではなく事業の質を高めるために再投資し続けることが、沖縄の自立と日本の観光産業の成長へ何よりも寄与すると思います。

【2010.4.9 樋口耕太郎】

*(1) もちろん、素晴らしい面がまだまだ存在する沖縄ですが、ここでは論点を明確にするために敢えて赤裸々な表現を用いることにします。

*(2) 沖縄は1972年の本土復帰以来38年間、本土から8兆円を超える財政補助をはじめ有形無形の援助を受け続け、その財務的な依存状態はもちろん、精神的な自立心を完全に失ってしまったかのようです。県の歳出6,000億円のうち、県税で賄われているのは僅か1,000億円。沖縄振興特別措置法によって、道路工事や公共工事の90%(±)は国からの補助で賄われるために、島はコンクリートの塊と化して、観光資源そのものを破壊し続けています。沖縄県の特殊な県政は、国家を巻き込んだ政治行政の構造問題であり、本稿の範囲を超えます。沖縄県政についての議論は、こちらを参照ください。

*(3) 以下、いずれも推定概算値です。

27日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』第5期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(3月27日~6月12日)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間程度。
第一回目は3月27日(土)午後7時~、(全6回講座)

3月27日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
4月10日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
4月24日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
5月8日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
5月22日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
6月12日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

*原則として、第二・第四土曜日が開催日です

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎
定員: 30名
受講料: 3万円(消費税込、全6回講座分、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 沖縄本島だけでなく、東京、神戸、新潟、宮古島などから受講頂いている経営・社会・経済講座の第五期。最近では、「知る人ぞ知る講座」との評価を一部で頂戴するようになりました。『次世代金融講座』のタイトルからは、「投資ノウハウのセミナー」または、「金融理論の講義」という印象が避けられず、名称にはやや難があるのですが、我々の社会に多大かつ根源的な影響を及ぼしている、お金(金融)の本質を理解することが、社会における実に多様な問題を解決することの第一歩であり、更に、お金を理解するためには、お金以外のもの(社会の生態系)を理解する必要がある、という考えに基づいて、「大局的、本質的、人間的、経営科学的、かつ機能的な概念をシンプルに表現する」講座内容を、適切に表現する他の名称が見つかりません。したがって名称とは裏腹に、お金に関する直接の議論は全体の20%くらいになっています。

本講座は、不況に突入しながら激変する社会環境をむしろ好機とし、次世代社会において機能する経営とは、事業とは、金融とはを問い、より良い事業や社会を構築するための処方を模索するものです。高度な概念を大量に扱いますが、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることを重要視していますので、受講に際して金融知識、経済知識、経営経験などは不要です。なお、6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする構成になっていますが、途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。

受講者の皆様へのメッセージ:


樋口耕太郎

我々は誰でも、水槽の中で泳ぐ金魚の世界観を生きています。大多数の金魚にとっては水槽が世界の全てですし、水槽の外に何かが存在するという可能性を真剣に考慮することもありません。金魚に水とは何かを訊ねても、「水って何?」と答えるに違いありません。平均的な金魚は、自分が水槽の中に住んでいるという意味を理解することなく一生を終えることになるでしょう。生まれてこの方、金魚の人生において水槽に水がなかったことは一度もありませんでしたし、自分(金魚)の両親も、祖父母もやはり同じ水槽の中で人生を終えたのです。

しかしながら、自分の両親や祖父母が水槽の中で人生を全うしたという事実が、今後の水槽の存続を保証するわけではありません。・・・長い人類の歴史の中、僅か100年足らず続いただけの「アメリカ型マネー資本主義」という「水槽」が老朽化し、それに大きなヒビが入り始めているという可能性はないのでしょうか?同様に、我々は、水槽が朽ちた後の世界について考える必要はないのでしょうか?万が一水槽が朽ちた場合、我々には何ができるのでしょうか?

最近になって、「水槽は朽ちつつあるのかもしれない」と考える人が増え始めていますが、それでも肝心の、水槽が朽ちた後の世界を具体的かつ現実的にイメージし、豊かな社会を構築する機能的な青写真はどこにも存在しません。この現状において、次世代への明確な社会戦略を議論するプロジェクトが、『次世代金融講座』です。例えば、我々の人生と社会を真に豊かなものにするためには、生産性を飛躍的に向上させることが不可欠ですが、それは現代社会が我々に求めてきたように、今の倍、更にその倍・・・と働き続けることによってではなく、そもそも我々自身と現代社会の在り方が著しく非効率であるということを自覚し、その事実に向き合うことによって可能です。映画「マトリックス」で、人類の救世主となるネオが、真実を知るための「赤い薬」と、知らぬが仏の人生に戻るための「青い薬」の選択を迫られ、「赤い薬」を手にします。次世代社会に翻弄される「青い薬」と、次世代社会を切り開く「赤い薬」、あなたはどちらを選択しますか?

お元気ですか?
長雨続きから晴れた~と思ったら、また今日から雨降りが続くようです。
それに先日の99年ぶりの大きな地震! みなさん大丈夫でしたでしょうか。

さて、明日は桃のお節句ですね。
このお節句は中国から伝わったもので、この日に川で手足を洗って心身の穢れを
祓ったといいます。
日本では、穢れや邪気を、身代わりの人形に移し、川や海に流し、川原や海辺で
干し飯やあられを食べて楽しんだのだとか。

私も子供の頃、おばあちゃんと母が、飾ってくれたお雛さまの前で、
どうしてひな祭りの日には、はまぐりの潮汁・白酒・ひし餅・などを食するのか
という話をしてくれたことを思い出します。
お膳にはその他、ちらしずし・桜餅・桜漬け・鯛の尾頭付き・ひなあられ・
菜の花のおひたし・白酒などが並んでいましたっけ。

大阪に住む母は今でも毎年私の代わりに、家に代々伝わるお雛さまを出して
飾ってくれていて、何年か前にその様子を写真にとって送ってくれました。
毎年その写真を見ながら思い出すのは、母や、亡くなったおばあちゃんのこと。
去年はおばあちゃんの「さよなら」の話を書きましたので、
今年は母との思い出を書こうと思います。
きっとどなたにでもあるような出来事ではないでしょうか。

思い出の焦点を合わせると…ぼやけている母の輪郭。次第に32歳の母の顔が
見えてきます。

母と一緒に百貨店に行った、私が5歳のときのことです。
私が迷子にならないようにと、ずっと母は私の手を握りしめて、
離しませんでした。
母がものすごい力で私の手を握りしめているものだから、私は痛くて、
ときどき母の手をふりほどきました。ふりほどくとなんだか嬉しくて、
私は走り出す。でもすぐに母に捕まえられて。まるで手錠をかけらるかのように
ガチャンとまた母の手におさまることになるわけです。
とにかく、じっとしていられない私は、ムズムズしていました。
だって、百貨店ってなんだか、わくわくするし楽しそうなんだもん。
おもちゃ売り場にも行きたいし、屋上には遊園地もあるし、大食堂で大きな
ホットケーキも食べたいし、本売り場で絵本も見たい…。
でも結局は、母とずっと一緒にいるはめとなり、母のお買い物をしただけで
帰ることとなりました。
母が売り場に忘れ物をしたことに気がつき、走って取りに行ってくるからと、
正面玄関のすみで「ここで待つように」「どこにも行かないように」
「ぜったい動かないように」と母は私に何度も念をおしました。
動かないように、と言われても、動かないワケがありません。
ずっとじっとしていた私の体はムズムズしていたんだもん。
母が走って行くうしろ姿をみながら、私は「自分一人で家まで帰ろう」という
大冒険を思いついてしまいました。
そこからの帰り道は、5歳の足をもってして30分ぐらい。
家路は、勝手知ったる線路沿いのまっすぐ道。私の名前を呼ぶ母の声が
聞こえたような気がしたけれど、大冒険に魅せられた私は、
その声をふりきるかのように家路へと歩を進めました。

無事家に辿り着いた私は、玄関先にちょこんと座って、母が帰ってくるのを
首を長くして待っていました。母は、きっと褒めてくれるに違いない。
私はあの長い道のりを一人で帰ることが出来たのだから。
そうこうしているうちに、母がすごい形相で走ってきました。
母は「良かったあ!」と笑ったかと思うと、「なにしてたん!」と怒ったり、
「ごめんなさいは?」と叱ったり、震える手で私を抱きしめたり。
母の矢継ぎ早の言葉とコロコロ変わる態度についていけず、私は固まったまま、
母を眺めていました。
私が消えた、そのあとの百貨店では大変な騒ぎとなり、母は気が狂わんばかりに
私を探したのだといいます。だから、近所のおっちゃんやおばちゃんたちや
百貨店の人や、おまわりさんまでもがうちの玄関先に集まっていて、
私は目を丸くして、母とみんなを交互に見つめていました。
だって最初は、みんなが私を褒めてくれるために集まっているのかとも
思ったんだもの。
でもそうではなくて、母はずっとみんなに頭を下げて謝っていました。
泣いたり笑ったりしながら、謝っていました。

私の記憶の中で「謝る」という光景を見たのは、このときが最初だったような
気がします。
母は自分も頭を下げながら「ほら、みなさんに謝んなさい!」と、
私に言いました。
褒められるはずの期待の光景が、全く違ったものとなり、私はかたくなに
言葉が出てきませんでした。なぜ謝らなければならないのか、
ちっとも分かりませんでした。
集まっていた人達がみんないなくなり、私は母と二人だけになりました。
母は「一人で帰ったら危ないやろ」「どんだけ心配したか」
「みんなに迷惑かけたんやで」と、まだ私を叱っていました。
自分がどんどん悪者になっていく。こうも叱られているところをみると、
どうも私はいけないことをしたようだ。
なんだか泣いているようなワケがわからない母がかわいそうになってきました。
さいごに母は
「ごめんなさいは?」
と、また私に言いました。
だから私は、
「ごめんなさい」
と、低い声で呟いたのでした。

その後も母は私が何か失敗するたびに、
「ごめんなさいは?」
の連続です。
私は、素直に「ごめんなさい」を言うときもあれば、口を一文字にして、
大粒の涙をポロポロと流すだけの時もありました。
そんなときは、
「言いたいこともあるやろうけど、まずはごめんなさい、をゆうてちょうだい」
と、母は厳しく私に言ったものでした。
たとえ子供といえども、なぜごめんなさいが言えないのか、
自分がいかに悪くないのか、理屈を言いたいものです。自己主張の始まりでも
あるのですが。
でも母は、謝ることの出来る大人になってほしいと、
かたくなにそこは譲りません。
そのかわり、言い訳をしたいのなら、謝った後で聞きましょうという具合です。
5歳の大冒険を「ごめんなさい」のあとで聞いてくれたように。

思い返せば、新入社員時代。
ここでも「謝る」ということを徹底的に教わりました。
たとえ自分に非がなかったとしても。まず、謝る。
それでも、謝る内容が理不尽なときは素直に謝ることのできない自分もいました。
でも上司は私にどんな理由があるにせよ、とにかく謝れといううわけです。
そのおかげで、私は実に様々なことを学ぶことが出来ました。
謝ることで、相手の気持ちを想像することが出来る。
なぜこの人は怒っているのか? なぜそれはいけないことなのか?
それらを想像することによって、自分自身にとって実のある訓示が
山ほどあることに気づきました。
なぜ?という疑問を持つ習慣も身につく。
謝ったことで知らないうちに相手を傷つけていたことを知るときもある。
人の痛みを知る、ということも知る。
いかに自分が井の中の蛙であったかを思い知ったりもする。
つまりは、「ごめんなさい」や「すみません」という言葉は、
その人の負けを意味した言葉ではなく、責任を追及しただけの言葉でもなく、
自分をより成長させてくれる言葉なのだということを、
私に気づかせてくれたのでした。

乳幼児教育の先駆者、井深大さんの著書に
「感謝や尊敬や謝罪は理屈で覚えるものではない。
親が率先してお手本を示しながら、くりかえし人間社会のルールや約束ごとを、
身につけさせていくこと。これが、しつけの根本的発想」だとありました。
母のしつけも、上司の教えも、理屈抜きでした。
その有無を言わせぬ「謝るということ」は、私の礎になったと感謝しています。

でも、大人になるほど「ごめんなさい」が言えなかったりしませんか?
子供の頃にはなかった見栄やプライド。そして凝り固まった思考回路。
それらが「謝る」ということに歯止めをかけている場合が多いものだから
でしょうか。
大人になればなるほど理屈っぽくもなっていくから、
大人ほど心してかからないといけないのかもしれませんね。
本当は、大人になるって、いらないものを剥ぎとって、
スマートな心になるってことでしょう?
それを怠ると、なにかにしがみついて、頭の固い、融通のきかない、
大人になってゆき、終いには「がんこおやじ」「おばちゃん化」とかと
言われてしまうんでしょうね。
そんなことを考えると、これからも、柔らかい理性を持ちたいと思うし、
いつもまっさらな自分でいたいと思います。

あなたにとっての、まっさらな自分ってどんな人ですか?

素直な心。
優しい気持ち。
謙虚な態度。
そして謝ることの出来る人。

そんな人に、私はなりたい。

長くなってしまいましたが、
明日は古式ゆかしく、まっさらな気持ちで、ひな祭りを祝おうと思っています。
あなたもぜひ御一緒にお祝いくださいね。

【2010.3.2 末金典子】

お元気ですか?
寒くなったり、ゆるんだり、じとじとしたりの毎日ですが、
体調を崩されたりなさっておられませんでしょうか。

明日は立春の前日で、節分ですね。

私はこの日がくるたびに、偉大な童話作家・濱田廣介の「泣いた赤鬼」という
名作を思い出し、いつも御紹介しているのですが、このお話を知らない人が
意外に多いと聞いて吃驚するんです。
私はこのお話がもう大好きで、毎年毎年この日がくると、自分の心に
思い起こさせるためにも、このお話を読み返すことにしています。
あなたも御存知であるかもしれませんが、是非新たな気持ちで
お読みいただけたらと改めて御紹介させていただきます。

「鬼」と言えば人間を苦しめる「悪」の存在、のイメージですが、
濱田廣介の鬼はそうではありません。
人間と仲良くしたくて仕方がないんです。
それで、
「私はやさしい鬼ですからどうぞ皆さん遊びに来て下さい。美味しいお茶を
用意していますよ」
という立て札を立てるんですが、そうなると人間は疑り深く、却って誰も
寄ってこないんです。一旦嫌われると、人間社会というものはそんなふうに
徹底して冷たいものですよね。
この悩みを親友の青鬼に相談すると、青鬼は赤鬼のために一役買おう、と
言いました。僕が人間を虐めるから、そこへ君が来て僕をやっつければ、人間は
君を信頼するだろう、と青鬼は言うのです。
赤鬼のために自分が悪者になることを提案する。
赤鬼はそれでは君に申し訳ないと言うのですが、青鬼は、君がそれで人間と
仲良くなれたらそれは僕も嬉しいと言うんです。
それで言われた通りにすることにしました。
青鬼が人間の村で暴れているところへ赤鬼が駆けつけて、青鬼をやっつける。
「痛くないように」殴ろうとすると、青鬼は本気でやらなきゃ駄目だ、と諭す。
赤鬼が「本気」でぽかぽか殴ると、予定通り青鬼は逃げ出しました。
そしてこのことで赤鬼は人間と仲良くなることが出来ます。
ところが、人間と仲良くなって嬉しい日々が過ぎてゆくと、今度はふと、
自分のために犠牲になってくれた青鬼のことが気になりました。
そこで山を越えて青鬼に会いに行くと、青鬼の家は空き家になっていて、
立て札が立っていました。青鬼からの手紙でした。青鬼は赤鬼がきっと
自分のことを気にして訪ねてくるだろうと分かっていたのです。
でも、万が一、二人が仲良しでいるところを人間に見られると、
赤鬼はまた疑られる。だから僕はずっとずっと遠いところに行きます、と
書いてありました。
そして最後に「ドコマデモキミノトモダチ」と結んでありました。
それを見て赤鬼はおいおいと泣き出すのでした。

この話は何度読んでも感動します。私は同じ所で泣いてしまうんです。
その理由は「情」なのだと思います。なさけに溢れた話だからです。
「義」もあります。「自分が考える正しい行いをしよう」という誠意に
溢れているからです。
「感謝」もあります。赤鬼の涙は青鬼への感謝と、これほど自分を
思ってくれる友達を失ってしまった後悔の涙なのでしょう。

まず、青鬼は自分が赤鬼のために悪者になろうと決めたとき、既に赤鬼との
決別を決意した筈です。そして自分を犠牲にした後も、決して赤鬼に
「自分がしてやった」などという高慢な恩を着せることもなく、最後の最後まで
赤鬼の立場に立って物事を考えます。
相手のために本当に何かをする、ということはここまで考えて行動することでは
ないのでしょうか。
また、青鬼は赤鬼が自分の思いを必ず分かってくれる、と信じているから
自分を犠牲に出来るわけです。
相手がきっと自分の真意を分かってくれる、という信頼感は一朝一夕には
生まれません。長い時間をかけてお互いの人間関係の中で練り上げてゆくもの
です。自分の都合ばかりで人を恨んだり疎ましがったりするのはエゴでしか
ありませんよね。

実は今、日本に一番欠けているものは、こういった「情」なのだと思います。
暮らしの根幹が揺さぶられるような時代に、私達は生きています。
資本主義は疲弊し、アメリカの問題を日本が一番被り、10年以上も続くであろう
という不況の風が吹き荒れています。
それとともに、たくさんの人々が職を失い、異常な犯罪が増え続けている
今の世の中です。
私は「泣いた赤鬼」に出てくる「青鬼」の赤鬼への真の友情を思うたび、
泣けて泣けて仕方がありません。そして、鬼が悪だと誰が決めたの?と
思ってしまうのです。そうですよね。余程今時の人間の方が「鬼」より
悪いのではないでしょうか。

でも、そんな世にあっても、友情や善意は必ず存在するのです。
いえ、こんな時代だからこそ「情」や「義」や「愛」といった心を大切に
しなければならないのです。

確かにこんな世の中だからと、不安になったり、イヤなことが起こるような気が
したりしますよね。
それが世の常であり、人生とはそんなものですから。
でも、よくないことと同じくらい素晴らしいことが起こることも確かです。
ついては、建設的なことに焦点を合わせ、物事の明るい面を見たいものです。
青鬼のように、許し、思いやり、寛大になり、信じましょう。

私は青鬼ほどにはまだまだ「無私の心」で友人や多くの方々と
向き合うことが出来てはいないけれど、こんなふうにありたい、
と思うか思わないかでは、相当な違いがあると思っています。
私、今日はちゃんと周りの人に優しくしていたかなぁって、思う毎日です。

さあ、明日は節分。

立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
この日に、いり豆をまいたり、年の数だけ食べたりする風習は室町時代に広まり
豆が「魔滅」に通じ、邪気を祓うからとか。
また、「まめに=健康に」とか、面白い説がいろいろあります。
折りにふれ、季節にふれて、健康を願う昔の人の豊かな心が感じられますね。

「鬼は外、福は内!」
この日は、子供の頃、そう言いながら、縁側から炒った豆をまいたことを
昨日のことのように思い出します。
「今日からは暦の上では春よ。」という母の言葉に、
なんでこんなに寒いのに春なの? と思いながらも、その言葉の柔らかさには、
妙に胸がわくわくしたものでした。今私に子供がいたら、母と同じ台詞を
投げかけるだろうと思います。
私、この「暦の上では」という言葉が好きなんです。
どんなに寒かろうが、そう声にするだけで、何だかあったかくなる美しい日本語
ですよね。

明日はあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・西南西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを心から願って。

【2010.2.2 末金典子】

「世界を豊かにするのは、大量生産ではなくて、大衆による生産である」
マハトマ・ガンジー

資本主義以前の日本では、農業が地政学、政治・経済学、社会学的に極めて大きな影響を有していたため、当時の経済学者でも、政治家でも、事業家でも、農業という産業の現場と本質と性質を良く理解していました。日本の代表的な度量衡の各単位がお米を基準に発展してきたことはとても象徴的です。

度量衡
面積の単位である1反(≒10アール)=300坪は、(太閤検地の時代の農業生産水準で)大人一人の1年分の食糧、すなわち1石を生産する田んぼに相当する面積です。1石は、一人1食1合(180cc)のお米を食するとして、1日3食×365日=1,095合≒1,000合(=100升=10斗=1石)=180リットル=2.5俵≒150kg、のお米の生産量を示します。幕末のインフレ期までは、1石のお米がおよそ1両で取引されていましたので、江戸時代の通貨は「お米本位制度」であるとも言え、お米が通貨として通用していたことは自然なことだったのでしょう。ちなみに、1升瓶は1.8リットル、1斗樽は18リットル、1俵は4斗、10反=3,000坪=1町(≒1ヘクタール)です。現在の農業技術では、1反あたり8~10俵、すなわち、1俵=60kgとして、480kg~600kgのお米を収穫することが標準的に可能ですので、16世紀の安土桃山時代から400年かけて、単位あたりの農業(お米)生産は約3~4倍になったと推測できます。

度量衡に示されているように、米俵2.5俵が一人1年分の食糧だとすると、私の出身地岩手県南部藩10万石(後に20万石)は、毎年25万俵のお米を収穫し、10万人の人口を養うことができる行政単位ということになります。石高数は人口の単位であると同時に、大名が養える家来の人数(家族を含む)すなわち軍事力の単位でもありました。現代の日本でも100万人都市は大都会ですが、幕末日本の人口が3,000万人といわれる中、江戸幕府時代の外様大名最大の加賀(金沢)100万石、第二位の薩摩90万石、あるいは豊臣家の5大老時代にピークを迎えた会津上杉家の120万石がいかに大きな藩であったかが想像できます。このように、資本主義以前の日本社会は、稲作農業を社会の基本として、政治、経済、金融、軍事、社会の一切が一体となっていました。江戸時代の「士農工商」とは、単なる身分制度ではなく、農業および自然の生態系と一体化した日本社会構造の根源的な理念でもあったと思います*(1)

「農業」の生産性
日本の農村が機械・農薬・化学肥料で「近代化」する前、1960年頃までの農業は、生態系とバランスの取れた循環的な農業が中心でした。当時の栽培方式では、ひとりが1反耕作するために要していた時間は173時間*(2)。 年間1,000時間労働を前提とすると、単純計算では6反弱が耕作可能ということになりますが、機械や薬品を使わない生身の労働であることを勘案すると、現実には3反~5反程度が限度でしょうか。1食1合、1日3食、1年365日に食するお米を約1,000合とすると、1反あたり7俵(≒2,800合)のお米が生産されれば2.8人分の食糧になり、4反では11.2人を養うことができます。すなわち、大型機械・大量の農薬・化学肥料へ依存せず、食糧輸入もそれ程なされていなかったこの時代、大掴みに、4反耕作する農家の働き手一人で11人強の人口を支える姿が、持続的な社会の生産・消費バランスでした*(3)。・・・仮に、太陽エネルギーを食物に転換する産業を「農業」と呼ぶ場合、これが恐らく「農業」の生産性によって立つ社会構造の基本イメージであるともいえるでしょう。

「食糧生産業」
1960年以降、日本は高度経済成長期に向かい、当時の豊富な農村の労働力を、第二次・第三次産業へ充当する必要が生じます。そのために、石油エネルギーを大量に消費することによって、・・・すなわち、農業を機械化・化学化・工業化することで・・・ 農民の労働時間を短縮し、一人あたり耕作面積を飛躍的に高め、少数の農民が大量生産を行う「近代的」な農業へと変化してきた訳です。大型機械・農薬・化学肥料に依拠した現代の慣行農業(稲作)は、一人が1反耕作するための年間労働時間が、2000年には僅か34時間*(2) にまで短縮、1960年の水準と比較すると5分の1の労働時間、可能耕作面積は5倍になりました。上記と同様に年間1,000時間労働を前提とすると、おおよそ30反(3ha)耕作できる計算です。1反あたり収量を9俵(≒3,600合)とすると3.6人の人口が養えます。すなわち、一人が30反(3ヘクタール)を耕作できる慣行稲作では、単純計算で農家一人あたり108人の人口を支えることが可能で、現代社会の就農人口も大掴みにそのような比率になっています*(3)。以後、日本の農業は石油(とそれを購入するための外貨)なしには成立たなくなり、太陽エネルギーを食物に転換する「農業」は、石油エネルギーを食物に転換する、いわば「食糧生産業」へと急速に変質して行きますが、その見返りとして飛躍的な「生産性」を手にしました。1961年に成立した農業基本法で意図された通り、これによって農村で不要になった次男・三男以下の労働人口が大量に都市部へ移住 し、日本の高度成長を支え、都市集中が進み、現代社会の基本構造が作られました。

資本主義の「発展」と歩みを共にした、「農業の工業化」の本質は、自然と社会の中でバランスしていた日本の農業を、生態系から切り取り、工業的なフレームワークで再構築する作業だったといえるでしょう。農業は自然の生態系のみならず、その他の社会から切り離され*(4)、国民の殆どにとって社会における農業の意味を知る必要性が消滅してしまいました。現代社会では、農業がどのような産業であり、どのような性質を持つものかをそれ程理解しなくとも、農業従事者または直接の関係者でない限り生活に支障が生じる人は殆どいないと思います。

ここでどうしても気になる問題は、石油エネルギーに依拠し、薬品付けで、環境を痛め続けている現代の工業的な慣行農業が持続可能かどうか、そしてその農業生産方式に完全に依拠している我々の社会に死角はないのかという点です。あくまで仮定の話ですが、サブプライムの次の“Black Swan”が、現在の農業生産方式に持続性がないことであったとしたら、そして、その限界がそれ程遠くではないとしたら、あるいは、例えば、遠からず世界の基軸通貨であるドルの価値が大きく崩れること、などをきっかけとして、食糧自給を前提とした地域ブロック経済が世界中で著しく重要性を高めるとしたら・・・。我々にとって、農業と農業生産の本質、そしてその性質が社会に与える影響を深く理解する必要が急速に生じることにはならないでしょうか。そのような社会環境の変化が生じた場合、・・・沖縄で言えば、沖縄振興特別措置法、本土からの補助金、基地問題、本土観光客を中心とした観光収入・・・など、現在多くの人が熱中している議論の大半は殆ど意味を失い、食糧や物資などの基本的な資源を確保することが何よりも重要にならないでしょうか。現代農業の生産方式を支える社会・経済の前提が大きく変化すれば、1960年以降加速してきた、上記のような「農業の工業化」のプロセスが「逆転」せざるを得ません。現在の農業生産量を維持するためには、これも単純計算で、農民一人に対して10人の援農者が必要となり、必然的に第二次、第三次産業から労働力が提供される以外の選択肢は存在せず、・・・すなわち、農業とその他の産業が今までとは異なった価値観で「融合」するという社会変容が、急激に生じるかも知れません。

キューバ!
・・・こんなシナリオは到底ありえないことだと感じられるかも知れませんが、似た事例は歴史に溢れています。例えば、誰が1989年のベルリンの壁、そしてソ連崩壊を想像したでしょうか。あたかも、現在の沖縄が日本財政の健全さを信じているほどの感覚で、或いは日本経済が、グローバル金融経済の継続を前提としている感覚で、当時の世界中の社会主義国はソ連の存続と発展を信じていたに違いありません。沖縄と地政学的にも、風土的にも、経済的にも類似点の多いキューバは、1980年代まではそのような典型的な国家のひとつでした。理想国家建設を目指す清廉な指導者と役人からなる革命政府(キューバの刑法では、同じ犯罪を犯しても、役人などの公僕には2倍の罪が課せられるそうです)。保育園から大学までの無料の教育、虫歯の治療から心臓移植まで一銭もかからない福祉制度。カストロは発展途上国の中では飛びぬけた高度福祉国家、平等社会を築き上げたといえるでしょう。

しかしながら、当時のキューバ経済の実態は自立からは程遠く、アメリカの喉元に存在するという、冷戦時代の地政学的優位性を梃子に、共産圏と極めて有利な貿易関係を取り結び、莫大な海外援助を受け続けることができたという裏事情があります(沖縄とよく似ていませんか?)。ソ連は政治的な思惑もあってキューバ産の砂糖を世界価格の5倍以上の価格で購入し、石油も廉価で提供し続けました。外貨獲得用に再輸出できたほどの優遇価格です。キューバはどの発展途上国と比べても格段に有利な貿易協定が結ばれていたため、石鹸、トイレットペーパーといった日常生活物資から、石油、農業機械、自動車、テレビなどの電化製品に至るまで殆ど全てを海外から輸入していました。そしてその輸入元の84%はソ連でした。木材98%、各種原材料86%、機械類80%、化学製品57%、食糧も総カロリーベースで57%(自給率43%)、脂肪・タンパクでは80%以上、豆類99%、食用油・ラード94%、穀類79%を海外(主にソ連)に頼っていました。「物資に不足があれば、ソ連に電報を一本打ちさえすれば、問題は直ぐに解決した」という状態であったようです。

キューバは基本的に農業国なのですが、社会主義経済圏で砂糖やタバコなどの換金作物を生産する役割を果すために、輸出向けの、まるでプランテーションのような単一栽培・大規模農園形態を採用していました。国営農場の平均規模は、畜産25,000ヘクタール、サトウキビ13,000ヘクタール、柑橘類10,000ヘクタール、一般作物4,000ヘクタールというように、日本はもちろん、世界的にも想像を絶する規模で運用されていました。資本主義圏と比較しても当時の世界の先端を行くこれほどの大規模農業は、大型機械と大量の化学肥料・農薬なしには成立ちません。しかしながら、この「近代農業」を支える農業資材もことごとく輸入に頼っていました。農薬98%、化学肥料94%、家畜飼料97%をはじめ、種子からトラクターとその燃料に至るまでソ連圏が供給していました。産出された農産物の大半を受け入れていたのもやはり社会主義圏で、コントロールされた価格で大量の「出口」が保証されていたのです。1989年には牧草地を除く農地の60%にサトウキビが作付けされ、砂糖とその加工品が外貨収入の75%を占めていました。

キューバの指導者の凄いところは、これだけの富を目の前にしながら、私利私欲に依って生きなかったところで、以上のような経済的な繁栄を享受しながら、その利益を平等に遍く国民に還元し、格差を作らなかったことでしょう。食糧、衣料、生活必需品は誰もが常に廉価で入手でき、教育も医療も世界的に高度でありながら基本的に無料でした。国際的に貢献する強い意識を持つリーダーシップによって、人口1,100万人に過ぎないキューバは国際舞台でも世界的に活躍します。一流の医療制度を運営し、常時2,000人もの医師がアフリカを初めとする国々で活動し、一時期はキューバ一国でWHOを上回る数の技術者や医師を派遣していました。

そのキューバが! 1989年のベルリンの壁、次いでソ連の崩壊を経験することになります*(5)。輸入額は80%減少し、農業生産を支えていた農薬や化学肥料の生産資材が失われたことで砂糖生産が激減し、その輸出量が80%以上下落したうえに、ソ連の買い支えを失った砂糖価格は暴落し、外貨獲得の75%をサトウキビの輸出に頼ってきたキューバは、外貨を全く獲得することができなくなります。国内経済は1991年に25%、1992年に14%低下、1989年をピークに、1993年までにGDPは実に48%縮小し、僅か3年足らずのうちに経済規模が半分になります(現実の実体経済の落ち込みは60%以上だったのではないかという推定もあります)。外貨不足でエネルギーが輸入できなくなり、動力不足で80%の工場が閉鎖され、失業率は40%に及びました。1日の半分以上は停電していました。しかし、それにも増して最も深刻だったのが食糧不足で、1991年の必要量に対して、米はゼロ、豆は50%、植物油は16%、ラード7%、コンデンスミルク11%、バター47%、缶詰肉18%、粉ミルク22%しか確保できない状態でした。食糧輸入が半減したと同時に、食糧生産に欠かせない農薬、化学肥料、トラクター燃料などの生産資材の大半を失ったため、あれほど近代的かつ大規模な既存農地が全く機能せず、1994年までに農業生産は45%落ち込みます。冷蔵貯蔵、配送などの流通システムもその殆どを石油に依存していたため、人口の80%が居住していた都市部では交通輸送手段が麻痺し、都市へ食糧を輸送したくてもその手段がなくなります。農村でいくらか残っていた収穫物も、消費者に届く前に畑で腐ったのです。国民のカロリー摂取量は40%落ち込み、国民全体の平均で9キロ体重が減少し、深刻な医療、健康、衛生上の問題が蔓延します。

次世代社会の青写真
・・・以上は、これからの社会がこうなると占っているわけでも、この予測が正しいとも、まして日本がキューバになるという意味でもありません。私が個人的に、このような社会の変化を将来の変数の一つとして捉えているということに過ぎません。この予想が実現するかどうかということもさることながら、より重要な点は、このような社会変動が仮に生じた場合、我々に何ができるかということでしょう。その実現性は別にして、少なくとも我々の社会は、外貨または石油エネルギーがなければ、食糧の60%(輸入分)と、農業生産の90%を失う可能性があるということです。この事態においては、農業の労働力が恐らく90%不足するため、その他の産業から充当しなければなりません。・・・なにも手を打たなければ、例えば工場や会社を閉鎖して労働者が農業をする必要が生じ、労働力の大半が農業に従事するそれこそ現在のキューバのような農業国になり、やがて超低物価社会として安定するでしょう。しかし、この場合、内向きの生活は「豊かさ」を回復するかも知れませんが、国内労働で貯めたお金で海外旅行、などということは夢のまた夢となり、現代の国際社会からは完全に切り離されることになります。これを防ぐためのひとつの選択肢は、①第二次・第三次産業の生産性を飛躍的に高め、②その剰余利益を、特に「時間的な」労働分配に充当し、③第二次産業・第三次産業に従事しながら、負担と抵抗なく援農ができる労働環境を生み出し、④その剰余利益を配当として収奪しない、新たな価値観を持つ資本が整備されること、となるでしょう。結果として、次世代社会に生じるかも知れない農業生産の質的変容は、我々の社会において根源的なパラダイムシフト*(6) を要求する可能性があるのです。

【2010.1.25 樋口耕太郎】

*(1) 「士農工商」は江戸時代の身分制度として知られていますが、この制度の本質は、人間と社会と自然を持続的にバランスするための社会設計にあったのではないかと思うときがあります。お金を追わずに道と倫理の精神によって社会の舵取りを行う武士、持続可能な農業を支える農民、ものづくりの職人、流通と金融を司る商人。これは私の仮説に過ぎませんが、江戸時代が長期間に亘って社会を安定的に維持することができたのは、自然の生態系と人間社会を一致させる構造(すなわち「士農工商」)にあったのではないかと思います。これに対して、現代社会は、金融-製造業-農業-倫理、の順に優先されているように見えます。我々が100年近く追求してきた資本主義社会は、ちょうど「士農工商」と反対の社会的価値観によって運営されているように思えるのは、私だけでしょうか。

*(2) 大野和興著『日本の農業を考える』2004年、岩波ジュニア新書49p。

*(3) 日本の農業就業人口は、1960年の1,312万人(対人口比で30%)から2000年に299万人(同じく5%)に激減しています。農林水産省の定義では、農業就業人口とは農業に従事した「世帯員」の数を言いますので、実際の耕作者(お父さん?)と非生産者の比率は、ここでの計算、それぞれ1:11、1:108におおよそ一致すると考えて差し支えないと思います。

*(4) 「農業の工業化」の本質は、自然の中でバランスしていた日本の農業を生態系から切り取り、工業的なフレームワークで再構築する作業であり、①自然の生態系、土壌の豊かさ、農産物の安全とおいしさを経済的な生産性と引き換え、②日本の農業の経済生産性の飛躍的な向上から生まれる富を、重化学工業を中心とする国内の経済成長と、食糧輸入を通じて海外生産者と穀物メジャーに移転する、という二つの重大な効果を生み出すことになります。単純に表現すると、世界的にも稀な豊かさを持つ日本の農業資源を、重化学工業とアメリカに移転する壮大な構造変革が農業基本法の本質だったのだと思います。

*(5) 舵取りを誤れば大量の餓死者を出しかねない危機的状況の中で、ハバナ市民が選択したのは、「首都を耕す」という非常手段でした。そして飢死者も出さずにハバナは完全有機での野菜自給を達成しました。なぜ、わずか10年という短期間でこれほどの変革を成し遂げることができたのか。 続きはぜひ、吉田太郎著『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』-都市農業大国キューバ・リポート-などを参照下さい。本稿のキューバに関するデータは本書を参照しています。吉田太郎さんのその他の著作も魅力的なものが多くお勧めです。キューバにとってのソ連は、沖縄にとっての日本の姿に重なりますが、同時に、日本にとってのアメリカという二重構造になっています。過去60年以上に亘ってアメリカが牽引してきたドルを基軸通貨とするグローバル経済の傘が仮に消失した場合、我々の社会に、世界経済に、一体何が起こり得るのか、そして、沖縄と日本の将来の舵取りに関して有意義なインスピレーションを得ることができるのではないかと思います。

*(6) 仮に、このような社会の構造変化が生じた場合、社会における、生産性労働金融の3つ分野にパラダイムシフトが生じる可能性があります。そのイメージを掴むことが次世代社会を描き、有益な戦略を構築するための合理的なプロセスになるかも知れません。その詳細は本稿の範囲を超えますので、別の稿にてまとめたいと思います。

新年明けましておめでとうございます。

予期せぬ巡り会わせで、沖縄県行政改革懇話会の5名の専門委員の一人に推薦頂き、昨年8月から沖縄県の行政改革の現場に参加させて頂いています。懇話会という組織自体は法的拘束力を発揮するものではありませんので、専門委員の意見が直接県政に反映されるとは全く限らないのですが、少なくとも私個人的には、沖縄の県政・財政全般に関する膨大な資料を詳細に拝見し、10回にわたる専門委員会での検討を通じて、県政のほぼ全貌を理解する最高の機会であったこと、そして、県政の現状分析、根源的な理念に関する議論、次世代沖縄社会のビジョンなど、沖縄県総務部の中核組織である行政改革課に対して自分の思うところを率直にお伝えする機会を頂いた、という大きな意義がありました。

今後どのような事業計画を実現するにせよ、それが社会をよりよくするという目的を果すためには、社会の現状に大きな影響を与えている行政を深く理解することが欠かせませんし、それ以前に、毎回の専門委員会の前に行政改革課事務局の方々から送付されてくる大量の資料はどれも興味深いものばかりで、あれこれ考えながら事細かく読み砕く作業と、専門委員会での議論の時間を毎回相当楽しみにしているところです(2010年1月21日の第10回専門委員会が最終回です)。

沖縄県に(沖縄県に限りませんが)行政改革が必要な最大の理由は、「お金がない」ということですが、それは表面的な問題に過ぎません。沖縄は1972年の本土復帰以来38年間、本土から8兆円を超える財政補助をはじめ有形無形の援助を受け続け、その財務的な依存状態はもちろん、精神的な自立心を完全に失ってしまったかのようです。県の歳出6,000億円のうち、県税で賄われているのは僅か1,000億円。沖縄振興特別措置法によって、道路工事や公共工事の90%(±)は国からの補助で賄われるために、島はコンクリートの塊と化して、観光資源そのものを破壊し続けています。更に、今後年間数100億円の規模で財源不足に陥ることがほぼ確実ですが、これはひいては日本にとっての重大問題でもあります。日本の財政の現状を考えると、これまでのような財政的援助は持続不可能である中、今の沖縄の財政状態、精神状態のまま、本土からの補助が大幅に削減される事態になれば、最悪の場合は国政・防衛を巻き込んだ問題に発展しかねません。これを避けるためには、極めてまっとうに、沖縄が財政的に自立する、そしてそのために始めの一歩を踏み出す、以外の方法はありません。

行政改革のような思い切ったコストカットに際しては、単に数字を議論するのではなく、われわれはどのような社会を望むかという基本理念と、そしてなによりも愛が必要だと思います。以下は、このような考え方に基づき、私なりの「行政改革に対する私個人の基本理念」をまとめ、専門委員と事務局の方々に送付したメール(2009年8月19日)からの抜粋です。

先日、「『新たな行政改革プランの基本理念、指針、基本方針』を検討するための基本観」に関してのコメントをご送付し、我々が取り組もうとしている行政改革は、そもそも何のためなのか、我々はどのような社会を構築したいのか、というビジョンを明確にすることで、各推進項目の個別検討・対応の際の、判断の「ものさし」を持つことができるのではないか、という趣旨を申し上げました。

本日頂戴した第2回専門委員会資料における、「新たな行政改革プランの体系図(案)」、および、「21世紀ビジョンの中間取りまとめ(案)」を拝読し、専門委員会においては上記のような根源的議論に時間を費やすことがその運営上建設的ではないということを、今更ながらではありますが理解した次第です。

一方、・・・これは、したがって、私個人の考え方に過ぎませんが・・・、将来社会のビジョンを前提とせずに、何らかの意見を申し上げることは、特に行政改革において非効率であるという考え方に変わりはありません。そこで、私ができる最低限の作業として、私なりのビジョンを以下に簡単にまとめました。個人的なものであるため、専門委員会や事務局の皆さまや、その他の誰に対する意見、主張でないことはもちろん、これによって何らかの影響力を果たそうとも、皆様の意図に反する変化を生み出そうというものではありません。しかしながら、専門委員会における私の発言の大半はこの「ものさし」を前提としたものになるであろうため、その発言の根拠を明確にすることで、専門委員会の建設的な議論に、多少なりとも資することがあるのではないかと考えました。ご多忙中大変恐縮ですが、以上の趣旨にてご参照頂けると幸甚です。

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第一に、沖縄の自立を助けるものであること

沖縄の「自立」が議論されてから久しいのですが、多くの場合その具体的な意味は曖昧です。一般的には経済的な自立と解する人が少なくないと思いますが、それが仮に、特措法に基づく補助金なしで県政を成立たせるということであっても、自主財源比率を例えば全国平均並みにするということであっても、まして、県税で歳出を賄うということであっても、現実的な目標にはなり得ません。辛うじて、県債を発行せずに歳出を賄うことなどは、可能と言える水準の目標なのかも知れませんが、それとても、地方交付税や国庫支出金に大きく依存する枠組みは変わりません。

この事実から明らかなことは、逆説的ですが、我々が「自立」を目指すのであれば、それは財政的なものではなく(そもそも直ぐには不可能ですので)、まずは我々の事業精神にこそあるべきであり、それは、他者に依存しない産業・事業を生みだす心構えと行動を意味します。

一方、現在の沖縄経済は、実質的に四つの産業・事業モデルしか存在しないように見えます。デフォルメによって論点をはっきりさせるために敢えて赤裸々な表現を使用すると、①補助金なしでは存続し得ない「要介護」事業(製糖・ビールなど)、②消費者にコスト転嫁が容易な規制・独占業種(製鉄・電力など)、③自分のノウハウを持たない経営不在型・他者依存型事業(フランチャイズや提携事業など)、④低品質高価格の「ぼったくり型」事業(少なからず一部のみやげ物、県産品など)。

特に③については、フランチャイズ事業に限らず、本土金融と資本に依存し本土広告代理店がプロデュースするリゾート開発など、沖縄の基幹産業・事業において顕著です。自分の事業を切り開くという意識と自信と意欲が希薄なためか、沖縄県内からノウハウと人材が輩出されず、沖縄に留まらず、沖縄で活かされない現状が生まれています。我々には何が欠けているか、これを打破するために何ができるか、何をすべきか、に正面から向き合うことが課題です。

第二に、観光地としての質を高めるものであること

上記④(低品質高価格事業)は典型的に、世の中に普通に存在する原材料に「沖縄」のブランドを付して、質の低い高額品を観光客や本土消費者に販売する、「ぼったくり型」とも言うべき事業モデルですが、より広義には、県産品やみやげ物に限らず、例えば、価格に到底見合わない品質の食事、夏のハイシーズンに法外なほど高騰する宿泊価格、リゾート地に似つかわしくない雑然とした町並み、日没の1時間以上前から遊泳禁止になるビーチ、広大なビーチにほんの僅かしか設定されない遊泳区域、なかなか改善しない道路標識の分かり難さ、何度も議論されている台風足止め客への対応など、多くのリゾートや行政などのサービス産業においても少なからず顕著といえます。

この問題においても、上記と同様、問題の根源はその現象にはなく、それを実現たらしめている我々の意識の中に存在するのではないでしょうか。我々が向き合うべき課題とは、第一に、地元県民や従業員が、自分自身あるいは自分の家族のために利用したいと思えるものを顧客に提供する心と、それに基づく行動であり、そして第二に、(我々らしくないものを)売れるから売るのではなく、それが一見地味なものであっても借り物ではない自分らしさを純粋に追求する精神だと考えます。・・・私のお気に入りの事例は、北海道旭川市の旭山動物園です。旭山動物園のヒーローはどこにでもいるアザラシやペンギンなど、なんの変哲もない地元の動物たちですが、飼育係の人たちが野生の動物たちの凄みに心底触れて、それを顧客に如何に伝えるかを何年も考え続けた結果として、いまや世界的に有名になった「行動展示」の形態が生まれます。うちなんちゅにとってはひょっとしたら何の変哲もない「沖縄的なもの」に向き合い、それに再び光をあてることで、世界に二つとない観光資源を生み出すことは、どこよりも恵まれた沖縄にとってそれ程難しいことではないと思います。

第三に、沖縄以外の人々へ奉仕するものであること

沖縄は復帰以来、本土から「してもらうこと」に大きな関心を持ち続けてきました。誰に対しても「沖縄のため」が合言葉になり、どれだけ顧客が沖縄で「お金を落とす」か、という発想を頻繁に耳にします。皮肉なことに、人でも会社でも地域でも、その持続的な成功は、「してもらうこと」によってではなく、「してあげること」によってのみ実現するものであり、これが沖縄の自立を長らく阻んできた最大の原因ではないかと思います。

また、観光地として成功するための必要条件は、①継続的な質の向上と、②顧客に対する誠意と奉仕であり、この意味でも、「沖縄の以外の人々に対して我々は何ができるか」、という発想なしに沖縄の将来を豊かにすることはできないと思います。

第四に、隠し事がなく、本質的な矛盾がなく、正直なリーダーシップによる事業であること

行政に限らず、組織運営においては、それが大きなものであるほど「組織」や「仕組み」が実体として捉えられがちですが、どのようにして選抜された、どのような人格を持つ、誰が、どのような環境で実行するか、ということの方が現実的にはよほど重要です。また、リーダーの選別に当たって、有能な不正直者はその有能さが裏目に出ることが余りに多いため、世の中で広く信じられているほど必ずしも効率的な人事にはならないという印象です。事業運営においては正直で誠意あるリーダーの存在が何よりも(しくみよりも)重要だと思います。具体的には、我々が事業の在り方を考えるとき、その事業を運営する上で最も誠実な人財は誰か?「この人に任せて、ダメだったら仕方がない」、と県民が思えるリーダーは誰か?という観点をなによりも優先するということです。

以上を担保するために、隠し事のない情報と、本質的矛盾のない議論の枠組みが不可欠です。例えば、ですが、「天下り人事」が問題の本質でありながら、事業の可否のみが議論されるような状態は、非効率であるだけでなく、行政改革において逆効果を生む決断の原因となりがちです。また、例えば、環境保全と産業振興など、根源的に両立が不可能なテーマについて、それぞれの具体的な対処を明確に定義せず、双方を同時に目標とするなどは、基本方針として全く機能しない可能性が高く、それこそ行政資源を無駄に費やすことになるでしょう。

第五に、人生の質を高めるものであること

本土経済が長い間追求してきたように、経済的な「量」を追い求めることは、沖縄には似つかわしくないもののように思えます。そもそも、沖縄が復帰以来追いかけてきた「本土並み」社会は、本土経済自体が行き詰まりつつある現在において、本当に目指す価値があるものかどうか疑問を感じ始めている人は、沖縄にも本土にも増え始めています。沖縄は本土経済とは異なる人生の質を実現することが可能な、日本で初めての地方中核社会になり得るのではないかと思います。

人生の質を追求する社会は、経済的に成功する社会と必ずしも矛盾しません。経済的に成長を遂げる方法は、量的な拡大と質的な向上の二種類存在しますが、量的な拡大を目指す本土的価値観に従って、例えば、現在のようなコールセンターやホテル業をいくら拡大しても、時給650円の臨時雇用者を増やすばかりで、社会の質が向上することはないでしょう。

質の高い人生の基礎となる、質の高い雇用を実現するためには、質の高い事業を生み出すことが不可欠ですが、それは正に、沖縄が自立し、観光地としての質を高め、他者に奉仕し、本質的な矛盾のない産業・事業を生みだすことによります。質の高い事業によって高い労働生産性を実現し、そのようにして生まれた生産性を、より高い収入のみならず労働形態や労働環境の質的向上に振り向けることによって相乗的に効果が生じます。

今年もよき年になりますように。

【2010.1.5 樋口耕太郎】

お正月はいかがお過ごしでしたか?
私はごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、ぐっすり眠って初夢も
見たお正月でした。

そして毎年していることといえば、大阪で暮らしている両親におめでとうの
電話をすること。
母性そのものといった母と少し長話していると、天才バカボンのママを
思い出しました。
真に母性あふれる女性とは・・・、そう思ったときに浮かんでくるのは、
「天才バカボン」のバカボンのママだからです。特に男の人にとっては
そうなんじゃないでしょうか。
このバカボンママって、はっきり言ってふつうじゃありません。
バカボンが外でいたずらしても、バカボンパパが「バカ田大学」の同級生を
夜中に連れてきて馬鹿騒ぎしても、ほとんど怒らない。
一見まともに見えるけど、あそこまで容認できるなんて、実はある意味
一番クレイジー。家族は誰も気づいてないけれど、バカボンパパよりはるかに
ウワテです。
でも、それがあるから家族みんながつながっているし、家に帰りたくなる。
究極の母性かもしれませんね。男は言うなれば、みんなバカボンママが
理想なのでは・・・。そして自分はバカボンパパになりたい。でもって、
「これでいいのだ」とか言っていたいんですよね、きっと。

なんてことを考えていたら、このバカボンパパがいつも言う
「これでいいのだ。」っていうこの言葉が、実はお釈迦様以来の真理の発見とも
いえるかもしれないなぁなんて思ったんです。
「すべては空なり」に繋がるような・・・。

現実はままならない。
うまくいかないことばかり。
毎日のほとんどは、これでよくないのだ、の連続です。
自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
そして、やっぱり自分を責めて。

だけど、ためしてみる価値はあります。
「これでいいのだ」という言葉のちからを。
信じてみる価値はあります。
あなたが、もうこれ以上どうにもならないと感じる時があるのなら、余計に。

胸を張る必要はないし、
立派になんて、別にならなくたっていい。

「あなたは、あなたでいいのだ。」

あなた自身がそう思えば、世界は案外、笑いかけてくれます。

人生は、うまくいかないことと、
つらいことと、つまらないこと。
そのあいだに、愉快なことや楽しいことがはさまるようにできているから。

どうか、あなたのこの2010年を、あなたの人生を、大事に生きてくださいね。

私もあなたを優しさや楽しさで包むことができますように。
そんな気持ちでスタートをきりたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

まずは、明後日は七草なんですよ~。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
ぜひ召し上がってみてくださいね。

【2010.1.5 末金典子】

皆さま、本年は本当にお世話になりました。年の瀬のあわただしい時期を、いかがお過ごしでしょうか。それとも、大掃除やらご馳走の準備やら万端に整え、紅白歌合戦の開始を待つばかりでしょうか。

本日を持って、1990年のバブルの崩壊以降継続してきた、日本の「失われた20年」が終わりますが、日本の「衰退」はこれから本格化し、新たな試練の20年を迎えることになるでしょう。これまでの20年間はいわば「第一の経済(資本主義経済)」が生み出した金融型バブルの崩壊だと思うのですが、戦後65年継続してきた日本の社会・産業の基本構造は殆ど原型のまま残っています。この本丸の大転換が、昨年のサブプライム危機をきっかけとして、ようやく緒に就いたばかりと言えるでしょう。

私は社会の変動を予想するときには、常に、自分自身の生き方を定め、事業計画を構築し、実行する目的で行っています。すなわち、この想定によって事業の方向性を定め、大量の資本を含む、経営資源を投下する(してきた)という意味でもあるため、自分なりのベストを尽くした調査、分析、思考と根拠に基づく戦略的社会・経済分析であり、私にとっては単純な市場予測以上の意味があるのですが、少なくとも過去15年間、重要な点においてこれらの想定が外れたことはありません(これからはどうでしょう?)。その前提で、新たな20年を迎える区切りのときに際して、今後5年間+αをイメージして私が予測する社会変動のポイントをご紹介しようと思います。・・・『次世代金融講座』でも申し上げていることですが・・・、将来の予測は、人が「馬鹿げている」と感じるくらいのものでなければ、殆ど実現しません。

①2012年~2015年を目処に、アメリカを基点に激しいインフレーションが生じ、世界基軸通貨ドルが実質的に崩壊する。日本でも財政悪化による金融不安を心配する向きがありますが、私はドルの方がよほど大きく、早く問題になると思います。

②同じく、2012年~2015年以降、基軸通貨とアメリカ経済の混乱を主因として、沖縄の基地問題が基本的に解消する。すなわち、嘉手納を含む米軍の大半が沖縄から撤収するという意味です。

③同じく、2012年~2015年以降、ドルの崩壊に伴って日本円が機能不全を起こすため、地域ブロック経済の重要性が著しく見直され、地域通貨が流通し始める。

④「第一の経済(資本主義)」を支える世界基軸通貨ドルが力を失い、「第二の経済」の社会モデルが急速に見直される。沖縄の世紀が急速に顕在化するという意味です。

いつもながら、大半の人に笑われそうな内容に聞こえるとは思いますが、少なくとも私自身は大真面目です。いつもの通り、以上は、これからの社会がこうなると占っているわけでも、この予測が正しいという意味でもなく、私はこの前提で自分の事業と行動を考えているという意味です。この予想が実現するかどうかということもさることながら、より重要な点は、このような社会変動が仮に生じた場合、我々沖縄に何ができるかということでしょう。

すなわち、例えば、「基地反対」と声を上げるよりも、基地が全面的に返還された場合、我々はその資源を社会のためにどのように生かすか、というビジョン作りをとても急ぐべきですし(短絡的かつ既に世界的な潮流に合わないカジノや、「おもろまち」「豊崎」・・・の量産は避けたいものです)、「第一の経済」からいかに取り分を確保するかに多大な労力を割くよりも、「周回遅れの沖縄」が日本と世界をリードする力を持っているという事実に気づき、沖縄が世界の誰よりも潜在力を発揮する「第二の経済」と、その前提となる自らの行動、生き方、人間関係を見つめなおすべきではないでしょうか。我々にはまだ2・3年の猶予があります。

沖縄の世紀が始まる大晦日。皆さま、良い世紀をお迎え下さい。

【2009.12.31 樋口耕太郎】

12月26日(土)午後7時開講、『次世代金融講座 第4期』 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(12月~2月)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間程度。
第一回目は12月26日(土)午後7時~、(全6回講座)

12月26日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
1月23日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
1月30日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
2月13日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
2月27日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
3月13日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

*日程を一部変更しました。ご注意下さい。

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎
定員: 30名
受講料: 3万円(消費税込、全6回講座分、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 現在までに100名が受講されている経営講座の第四期です。9月以降、更に失速感を強めているこの不況は、恐らくまだその入り口に過ぎません。誰も経験したことがないほど、長くて深いものになると思いますが、この環境にいかに対応し、次世代社会において機能する経営とは、事業とは、金融とはを問い、より良い事業や社会を構築するための処方を模索します。本講座は、6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする試みでもあり、可能であれば全6回のご出席をお勧め しますが、途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。高度な概念を大量に扱い ますが、誰にでも分かりやすく平易に伝えることを重要視していますので、受講に際して金融知識、経済知識、経営経験などは不要です。

受講者の皆様へのメッセージ:


樋口耕太郎

現実を直視することは、誰にとっても辛いものですが、少なくとも私の認識において、観光地としての沖縄は数年前にピークを打ち、熱海、宮崎、グアムのように、一時繁栄を謳歌した後に凋落して行った無数の「観光名所」とほぼ同様の道筋を辿っているように思います。「観光立県」沖縄の実態は、世の中に普通に存在する原材料に「沖縄」の名を付して、質の低い高額商品を観光客や本土消費者に販売する「ぼったくり型」の慣行が定着し、県産品やみやげ物をはじめ、価格に到底見合わない品質の食事、夏のハイシーズンに法外なほど高騰する宿泊価格、リゾート地に似つかわしくない雑然とした町並み、日没の1時間以上前から遊泳禁止になるビーチ、広大なビーチにほんの僅かしか設定されない遊泳区域、一向に改善しない道路標識の分かり難さ、何度も議論されている台風足止め客への対応など、リゾート事業や行政などを含むサービス産業全体の劣化傾向が明らかです。

日本に限らず、世界中の事例において、観光地が没落する理由は、突き詰めると唯一、「質の低下」 だと思うのですが、観光地としての沖縄の質は著しくといって差し支えないほど劣化し続けており、それをもっとも顕著に表す、観光客一人当たりの平均滞在日数は、過去30年間ほぼ一貫して下降し続けています。沖縄への観光客は600万人に届くといわれていますが、既にそのうちの約半数290万人は離島への観光客です。この意味するところは本島への観光客は実質的に300万人程度に過ぎないということであり、このことからも、観光地としての沖縄本島は激しい衰退状態にあると考えるべきでしょう。主要観光施設への来場数も、海洋博記念公園(美ら海水族館)365万人、首里城公園250万人ということは、平均で2.5泊する本島への「300万人」の観光客が、一日北部と美ら海水族館、一日首里城公園と那覇を観光して帰路に着くに過ぎず、実質的に「沖縄観光」と言えるほどの深みと多様性は、既に消滅していると考えるべきかも知れません。沖縄が誇る「リピート率」の高さも、過去10年くらいのトレンドとして増加してきた離島観光と、本島におけるレンタカーの普及によって、毛細血管のように訪問先が増加したためであり、顧客は決して自分のお気に入りの場所に再訪(リピート)している訳ではありません。この傾向に持続性はありませんので、時間の問題でやがて量的成長の限界が顕在化するでしょう。

このように、観光ひとつを取ってみても、我々が直面する課題の大きさが想起されます。結局、問題の根源を特定せずに行う、全ての問題解決は対症療法に過ぎません。「問題解決」を行う人が無数に存在しながら、社会が一向に改善しないように見えるのは、それぞれの対処方法が間違っているというよりも、問題の根源が特定されていないからではないでしょうか。なぜ社会は今のような姿なのか、そしてそれはどのようにすれば治癒できるのか、に対する根源的な回答を特定せずに行う全ての対処は長期的に問題を拡大することにしかならないのです。

逆に考えると、始めに根源的な問題を特定することのみが、本質的な問題解決のプロセスであり、我々が本当に社会を良くすることを望むのであれば、それ以外の対処は無駄とはいわないまでも、著しく非効率です。したがって、沖縄県も、政府でも、どの組織でも、とうの昔に、「問題の根源」を特定していてしかるべきなのですが、これほど単純な原理が社会で殆ど議論されていない最大の理由は、人々が自覚しているか否かに関わらず、問題が解決してしまうと職や地位を失う人があまりに多いから、あるいはほぼ同様の意味ですが、自分自身のあり方そのものが問題だからなのかもしれません。すなわち、社会が改善しない最大の理由 は、我々自身がそれを望んでいないからである可能性が高く、それ自体もひとつの大きな問題を構成している、ということになります。

この社会の現状に対して、「王様は裸!」と声を上げるプロジェクトが、『次世代金融講座』です。我々の人生と社会を真に豊かなものにするためには、生産性を飛躍的に向上させることが不可欠ですが、それは現代社会が我々に求めてきたように、今の倍、更にその倍・・・と働き続けることによってではなく、そもそも我々自身と現代社会の在り方が著しく非効率であるということを自覚し、その事実に向き合うことによって可能です。映画「マトリックス」で、人類の救世主となるネオが、真実を知るための「赤い薬」と、知らぬが仏の人生に戻るための「青い薬」の選択を迫られ、「赤い薬」を手にします。次世代社会に翻弄される「青い薬」と、次世代社会を切り開く「赤い薬」、あなたはどちらを選択しますか?

お元気ですか?

今週はクリスマスですね~!
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたためなのだそうです。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、友達同士でワイワイ騒いだり…が主流の
ジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。

さて、こんなふうに季節の暦の折々にお便りをさせて頂きましたが、
今年も最後のお便りとなってしまいました。
毎回お読みいただき本当にありがとうございました。

きっと、いまこのお便りを読んでくださっている方で、食べ物やお金で
不自由している方はおられないことでしょう。ですが、生きることに悩み、
幸せだと胸を張って言えない方が案外多くいらっしゃるのではないでしょうか。
私達はすぐに他人と自分とを比べ、嫉妬し、常になにかを欲しています。
自分だけをより快適に、より豊かにと、無意識に生きています。
「いえいえ、我が子の幸せが無上の喜びです」という方がいらしても、それは、
「自分の」子供だからではないですか? 自分の母親だから、自分の息子だから
より良くと願う、これは人間の性なのでしょう。

でも、その「自分だけが」という気持ちが、やがて自分を追い込み、
心を疲弊させ、ときに人を自死に追いやる。他人を踏みつけてでも、
嘘をついてでもという気持ちが、自分も他人も傷つけるのです。
いま、世界で絶滅の危機に瀕している動物達。彼らは人間の発展の陰で、
いのちを削らざるを得なくなった犠牲者です。

あと10日ほどで丑年から寅年へと変わりますが、その虎や、
この沖縄のイリオモテヤマネコも、「近い将来」に絶滅するしかない種である
という事実を知り、自分達の身勝手な行いが地球環境をいかに歪めてきたかと
感じざるを得ません。

あなたが2010年に手に入れたいものはなんですか? モノやお金ではなく、
そろそろ心を耕して、「自分だけ」という考えを越えて生きてみませんか。

お釈迦さまが涅槃に入られたとき、沙羅双樹は時ならぬ花を咲かせ、
師を囲むように弟子や老若男女、虎をはじめ、多くの鳥獣が慟哭したのだとか。
お釈迦さまは命あるものすべてに心を働かせておられたのですね。
孤独死が増えている現代とはなんという違いでしょう。

いかに生きたか。それは、お金やモノの問題ではなく、喜びや悲しみを共有する
仲間の有無、すなわち後ろを振り向いたときに、誰がどんな顔でそこに居るかが
問われるのではないでしょうか。

まずは、あなたの周りにいる人達、あなたが知り合った全ての人達、動物達に
あなたの愛を惜しみなく与えてあげてくださいね。
愛は決して枯渇しないのだから。
もらおうもらいたいと思うあなたは「無い人」ですが、
求めず与えていくときのあなたは「豊かな人」なのだから。
そして、このクリスマスやお正月には愛する人たちと共に楽しく楽しく
お過ごしくださいね。

さて。
本当にあっという間に、一年の終わりということになってしまいました。
なぜとはいえない気ぜわしさと、街の賑わいとはうらはらに一抹のさみしさも
おぼえる時です。忙中に閑あり。

そして。
今年も本当にありがとうございました。
世の中も大きく揺れ動いた今年一年でしたが、私にもこの一年いろいろなことが
起こりました。
ひどい腱鞘炎には一年中悩まされました。右手はほとんど使えず激痛が襲い、
二ヶ月に一度は注射を打ち続けて凌いでいました。その他にも小さな事も含め
本当にいろいろと…。
そんなふうに自分の身に何かが起こる度ごとに、
その道のエキスパートのみなさんに教えを乞い、助けていただきました。
医師、薬剤師、検査技師、建築士、会社経営者、マスコミ関係、司法書士、教師、
税理士、会計士、銀行マン、弁護士、政治家……
数え上げるとキリがないほどです。
つまりはそれだけたくさんの異業種の素晴らしい方々に、
支えていただいているんだということをしみじみと想いました。
だからどんなトラブルが起ころうとも、いつもそういう方々に
支えていただきながら今日があることの幸せの方が、どんなに幸せなことかと
胸が熱くなりました。
いつもお心にかけていただきまして本当にありがとうございます。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何より、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

【2009.12.22 末金典子】

ナビィの恋、ホテルハイビスカスなど、沖縄を舞台にしたドラマや映画に数多く出演されている吉田妙子さん、BEGIN「うたの日カーニバル」の司会でお馴染みのきゃんひとみさん、アナウンサーの幸地優子さん、うちな~噺家藤木勇人さん、その他にも普久原明さん、宮里京子さん、金城翔子さんなど、沖縄で活躍中の有名キャストによるお芝居、『かじまやーカメおばあの生涯』(pdf) が 12月12・13日(土日)、16日(水)に沖縄で上演されます。戦争と基地問題は沖縄では特に関心が高いテーマであることはもちろんですが、民主党政権の政策に関連して非常にタイムリーでもあり、またご縁があって私(樋口)も役者として舞台に立つことになりました(沖縄タイムスの新城記者役)。

脚本は、「あしたへジャンプ」、「中学生日記」や「ヘレンケラーを知っていますか」など数々の社会派映画の脚本をお書きになられた下島三重子さん。そして!日本では五本の指に入る舞台演出家、新国立劇場芸術監督の栗山民也さんが演出をなされます。栗山さんの舞台の主な出演者は、大竹しのぶさん、石原さとみさん、内野聖陽さんなどなど。また沖縄入りの前まで小日向文世さんや平田満さんのお芝居、沖縄が終わると今度は仲代達也さんのお芝居と、過密なスケジュールを無理やりこじ開けて、沖縄公演の演出を引き受けていらっしゃいます。

11月29日の琉球新報でも報道されましたが、『かじまやーカメおばあの生涯』の主人公カメさんは、北谷町砂辺に実在した「沖縄の反戦ばあちゃん」松田カメさんがモデルです。カメさんは沖縄に生まれ、先祖供養の墓を作る費用を貯めるためにサイパン島に出稼ぎに出、そこで民間人の犠牲者の割合では沖縄よりも過酷といわれるサイパン地上戦に巻き込まれながら、奇跡的に生還したひとりです。案外知られていないことですが、太平洋諸島で犠牲になった民間日本人の過半数は沖縄県民で、サイパンはその典型と言えます。九死に一生を得てサイパンから沖縄に引き揚げると、自分たちの土地は米軍に接収されていました。ようやく10年後に一部の農地が解放されてからは、嘉手納基地に隣接する砂辺の土地に家を建てたものの、そこは真上を戦闘機・輸送機が爆音を轟かせて離着陸を繰り返す「戦闘機の通路」になってしまっていました。防衛施設庁は、土地を買取るから移転せよ、という。カメさんはこの場所を終の棲家とし、畑を耕し、その後40年間農民として生きた人です。カメさんがこの場所で「ただの生活」を送ることは、反基地・反騒音の長い闘いの人生を送ることを意味し、いつしか反基地闘争の象徴として「沖縄の反戦ばあちゃん」と呼ばれるようになりました。

今回のお芝居では、事業仕分けで話題になっている、思いやり予算による軍雇用員の公務員並待遇を始め、「反戦基地運動」をする軍雇用員、就職難のために軍雇用を考える帰省者、働かないことが自分の仕事とうそぶく軍用地主の息子、更に、ヤマトゥとウチナーの超え難い壁に苦悩する東京の演出家などが登場し、普段語りにくい、しかし沖縄に住む我々にとって身近なテーマが多く盛り込まれています。政治的意図のない芝居だからこそ事実を考えるきっかけにできる。そんな役割も果たせるのではないかと思います。

純粋な舞台としても、世界で活躍する栗山民也演出の公演をこの価格で観られるのは、日本の他の地域ではまずあり得ませんし、沖縄においても今後恐らくないことと思います。

当日券もございますが前売り券の方がお安いので、「ご希望回の公演(①~⑤)」「枚数」をご指定の上お申し付けください。樋口携帯:090・1428・9185、もしくは本ページ右下の「お問合せ」をクリックして、メールにて御連絡頂けると幸甚です。金額は一般2,000円、小中高生1,000円(当日券500円増)です。

①12月12日(土)午後1時開演、ちゃたんニライセンターカナイホール
②12月12日(土)午後6時開演、ちゃたんニライセンターカナイホール
③12月13日(日)午後1時開演、ちゃたんニライセンターカナイホール
④12月13日(日)午後5時開演、ちゃたんニライセンターカナイホール
⑤12月16日(水)午後7時開演、浦添市てだこホール
(いずれも開場は30分前)

詳しくはこちらを参照下さい(冒頭『かじまやーカメおばあの生涯』(pdf)と同じものです。)

【2009.12.1 樋口耕太郎】

もうすぐ師走だというのにまだまだ暖かい毎日ですね。
でも何だか嬉しいような。
あなたはお元気ですか~?

さて、2000年にアメリカで制作された「ペイ・フォワード」という映画を
ご覧になったことがあるでしょうか?
11歳の少年トレバーが「世界を変えたい」と考えた奇想天外なアイデアが、
他人から受けた厚意をその人に返すのではなく、まわりにいる別の人へと
贈っていくという「ペイ・フォワード」。
やがて、少年の考えたこのアイデアが広がり、心に傷を負った大人たちの心を
癒やしていく…というストーリーなんです。

先日これと同じようなことが私の身に起こったので、あなたと分かち合いたいと
想い、これを書いています。

私は北谷のアラハビーチの目の前に住んでいて、毎日7キロほどジョギングを
しています。コースは、アラハビーチを横目に走りながら、北谷公園を通り抜け、
サンセットビーチを回り込み、また戻ってくるという具合。
その道々に、もうわんさかノラ猫ちゃん達がいるんです。50匹かなぁ?
もっとかも…。デブ猫から、生まれたての子猫までもう本当にノラ猫だらけ。
私は家でも猫を3匹飼っているのですが、外出の際にはノラ猫のためにとバッグに
キャットフードを持ち歩くほどの大のネコ好き。
そんなわたくしとしましては、このノラ猫達のことも放ってはおけず、
ジョギングの際にはリュックに500グラム入り1袋のキャットフードを詰め込み
ノラ猫を見かける度に勝手につけた名前で声をかけ、ご飯を配り歩くという始末。
でも、以前そのことで大阪の建築家の先生に厳しく叱られたことがあるんです。
「あなたは偽善者だよ。そのネコを一生飼ってあげられるのならエサをあげても
いいと思うけど、ただ一時だけあげるというのは、所詮あなたがその時だけ
いい人になりたいという自己満足に過ぎないんじゃないの?」と。
すごく考え、悩みました。確かに一理あるかな、と。それでも、
「もしも餓えて死んでしまうのなら、その前に一度でも、あのご飯美味しかったな、
人間に優しくされたな、という想いがあってもいいのでは。」
と思ってみたりもして、自問自答しながらもご飯をあげ続けていたある日のこと
なんです。
走っている私の前方で、アメリカ人の男の人が、私の500グラムどころか
バケツにもうどっさりとキャットフードを入れて、スコップでノラ猫達に豪快に
ご飯を配り歩いているではありませんか!!
なんだかもう胸がいっぱいになってしまい、思わずその人に駆け寄って、
眼をうるうるさせながら、感激の意で片手は胸に手を当てて、
もう片手はアメリカ人の腕に軽く触れながら
「Thank you!  Thank you very much!!」
とお礼を言いました。
以来このアメリカ人も毎日ノラ猫達にご飯をあげているんだということがわかり、
私は同志を得たような感じもして、フード入りリュックを背負って
また走り続けていたそんな先週の出来事です。
いつものように「はっちゃん」という白黒ぶち猫の横ににしゃがみこんで
ご飯をあげている私の所に、御年配の御夫婦が立ち止まられ、
「あぁ、あなただったのねぇ!!」
と声をかけてこられました。
うかがうに、米軍雇用員を定年退職なさったというこの御夫婦が
先日いつものようにウォーキングしておられた時、目の前で「アメリカ~」が
バケツに入ったフードをノラ猫達に豪快に配り歩いていたので、
とっても感動なさって、
「外人さんは本当に親切だね~。偉いね~。」
と声をかけたらしいんです。そうしたらそのアメリカ人が
「オキナワの女性だって配っている人がいますよ。
その人が以前『ありがとう。本当にありがとう。』と目を潤ませながら
僕の腕に触れ声をかけてくれたんです。
僕は最初不思議に思いました。この女性は猫達の親でもないし、飼い主でもないし、
この公園の人でもないだろうに、なぜこんなにも感激して、僕にお礼を
言ってくれるんだろう、と。
でもその女性に腕を触れられながらお礼を言われた時に、
とても温かい気持ちが腕からどんどん伝わってきて幸せな気持ちでいっぱいに
なったんです。
だからあなた達が僕を労ってくださる気持ちがおありなら、
あなた達が彼女に出会った時に、どうか彼女の腕に触れてその気持ちを
ペイフォワードしてあげてくださいませんか。」
と言ったそうなんです。
そう話し終わるやいなや御夫婦の奥さんの方がいきなり私を
ぎゅっと抱きしめてくださり、
「あなただったんだねぇ。会えてよかったさ~。ね~ね~、毎日本当に偉いねぇ。
ありがとうね。」
と言ってくださったんです。
もうただうるうる……。
お礼を言われたくてしていたことではないけれど、こんな風に見ず知らずの方から
帰ってくるなんて、なんだかとっても感激したのです。

少し似た話ですが、
オリオンビールさんの量販課長代理で當間さんという素晴らしい方がいます。
提携関係にあるアサヒビールさんの東京本社出向に、相手をまず知ることからと
真っ先に手を挙げ、奥さまと共に転勤し上京。アサヒさんの社宅に住み、
夜間にはグロービス経営大学院で学んだというがんばりやさんの人で、
この當間さんが先日涙ぐみながら素晴らしいエピソードをお話くださいました。
東京在住の時に奥さまが妊娠なさっておられていて、頼る人も知り合いも
いないまま、不安のうちに東京で赤ちゃんを産むことになったそうです。
するとそれを知った社宅の人達が毎日食事を持ってきてくださったりとても親切に
お世話してくださったそうです。當間さんの奥さまはすっかり恐縮してしまい、
「こんなに親切にしていただいても、私達は沖縄のオリオンビールの人間であり、
いずれは沖縄に帰る身です。どんな風にお返ししてよいやらわかりませんので
どうぞお構いなきようお願いいたします。」
とおっしゃったそうなんです。その時社宅の奥さまがこう答えられたそうです。
「當間さん、お返しなどここでする必要など何もないんですよ。
でもどうしても気詰まりでとおっしゃるなら、いつかあなたが沖縄に
帰られた時に、どなたか困っている方がいらしたらその人に親切に
してさしあげてくださいね。」と。
これもまた素敵なペイフォワードですよね。

仏教の概念に「布施」の心というものがあります。
私は大阪の「布施」という所に生まれ育ち、おじいちゃんがその昔お坊さんだった
こともあって、おじいちゃんがよくこの「布施」について話してくれました。
「布施というのは布(あまねく)施(ほどこす)で、物を施すだけが決して
布施ではないんだよ。物がなくとも施しのできることがたくさんある。
布施というものはしてあげているのではない、させてもらっているんだよ。
私達は布施することによって、さっぱりとした清々しい気持ちになる。
させてもらったおかげで慈悲の心の養いを自分自身の中に受けているんだよ。」
と。今回私はたまたまお礼を言っていただけることになったけれど、
これからもこんな布施の気持ちで生きてゆきたいなぁ、と思ったことでした。

他人のために何かをしてあげる、例えば、愚痴などをやさしく聞いてあげる、
やさしい顔ですごす、やさしい言葉をかけてあげる、お年寄りや困っている人に
手を差し伸べてあげる……。
もっと私にできることは何かしら。
あなたにできることは何ですか?

さて木曜日はボジョレーヌーボーの解禁日。
いつもやさしいあなた自身へのお布施においしいワインはいかがでしょう。

【2009.11.17 末金典子】

お元気ですか?
だんだん涼しくなってきましたね~。体調など崩されておられませんでしょうか。

さて、あさってはハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには、子供に帰って遊ぶ、童心に戻るということは大切なことかも
しれませんね。

それに実は、子供から逆にいろいろなことを学んだり、ハッとさせられたりって
いうことが意外とありませんか?

それで思い出したのですが、私が20年ほど前にハワイにいた時のことです。

ある日曜日の午後。
歩道の縁石にちょこんと腰かけて、一人熱心に本を読む少女がいました。
その脇に置かれた小さなテーブルには紙コップとポットがありました。
くわえて、一枚の貼り紙。そこに書かれた文字はすこぶる下手っぴいでした。

Today’s Special. Ice Lemonade. 25cent.

「こんにちは。」とわたし。
「こんにちは。」少女はちょっとびっくりしながらも、わたしを見て
ニッコリと言葉を返しました。
「これ冷たいのかしら?」わかっていながら、わたしは少女に
ふと聞いてみました。
「もちろんよ。」
「う~ん…」わたしはわざと悩んで見せました。
「今日しかないわよ。」
「え?」
「明日来てもないのよ。学校だもん。」
「そうなんだ。」
「だから、このレモネードは今日の特別なの。」
「そっか、じゃ飲んでおかないとね。」

わたしは少女に25セントを渡しました。
少女は読んでいた本を脇に置いて、両手でポットを持ち、コップにレモネードを
なみなみと注いで、満面の笑顔でわたしにコップを手渡しました。

「よくかきまぜて飲んでね。ありがとう、良い一日を。」
「ありがとう、あなたも。」

わたしは少女が言った「今日」という言葉に心を奪われました。
そして、少女にとっての「今日の特別」である手作りのレモネード。
それをゆっくりと味わいながら「明日でなく今日なんだな。」とつぶやきました。
なんだかとてもうれしかったことを今でも時々思い出すのです。

さてさて、あさっては子どもの気持ちに帰って、ハロウィンをわいわい
楽しんじゃいましょうよ!
今、この時を、大切に、うんと楽しみましょう!
私も魔女に変装し、八ロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

【2009.10.29 末金典子】

秋の気配とはいえまだまだクーラーが必要な沖縄ですが
お元気ですか?

夜空を見上げると、今日も美しい月が、漣のように輝いています。
秋の夜長を美しく演出してくれる月。
この週末は秋の真ん中「中秋」の名月を眺めるお月見の日ですね。
日本と中国では、月を愛でる観月の習慣が古くからあり、さかのぼること
縄文時代の頃から、日本ではお月見をしていたようです。
おとぎ話のかぐや姫にも月が描かれていることを思うと、私達の心の奥には、
夜空に輝く月への思慕が古の時代から秘められているのかもしれません。
また近いところでは、昔は日本の各地で子供たちの“お団子盗み”を歓迎する
風習があり、その分は神が食べたとされ、翌年の豊作が見込めたとか。
同じく定番の供え物のススキは月の神の剣に見立てられ、供えた後も
魔除けとして軒に吊されたそうです。
お月見には収穫への感謝とともに、幸せを願う心が込められていたのですね。

さて、私はいつも色々な方々にお礼のお便りやメールを
贈らせていただいているのですが、なかには御丁寧にお返事をくださる方も
いらっしゃって、先日は拓実住宅の上原社長からメールが届きました。
この上原社長、社員のおうちに家庭訪問に行かれる方なんです。
トイレを見せていただくとなんとなく家庭がわかるとおっしゃいます。
また、お父さんが厳しい人であれば、その社員に優しく接し、逆にお父さんが
少し線の細い方であれば、厳しめに接する、といった接し方をなさるそうです。
この会社から独立して起業した卒業社員は20名近くいらっしゃるとか。
社員の方達におうかがいすると、休みの日でも会社に行きたくなってしまうほど
素晴らしい会社だと言い、辞めた元社員の方達もしょっちゅう社長に会いに
やってきます。常務の弟さんとも本当に仲がよくって息もぴったり。
とても清々しい会社だなぁと思いました。
その上原社長、あだ名はゴジラというぐらいの楽しい方ですが、
文章がすっごくお上手なんです。ばりばりのロマンチック。
今回いただいたメールをこっそり御紹介したいと思います。
(御本人に了解をいただいて)
**********

メールありがとうございます。
また、先日のメールにもいろいろ考えさせられました。
あると思うあたり前の状況が本当にありがたいと思うのは
残念ながらそれをなくした時、失ったときかもしれませんね。

今の私は幸せです。周りにいる妻や子供達、母、兄弟、社員、友人、取引先、
先輩や後輩、多くの人のかかわりに恵まれていると思います。

しかし、それを気が付かない間に当たり前になるのですね。

ふと、一日のうち、何度かそれを考える時に感謝と感極まることがあります。
朝の光を浴びたとき、出勤時に海を見るとき、太陽が力強く照るとき、
夕暮れの朱色の空を見るとき、満月の青白い光に包まれたとき、
側にいる人に伝えて、ともに感じたい。
周りの自然の美しさがそう導いてくれるのかもしれませんね。

そうは言っても昨日も飲みすぎてしまい、反省です。
健康や心のゆとりも・・と思いますが・・・・

今度の休みも息子の剣道部の合宿と会社の内装工事で忙しくなりそうです・・
忙中閑有・・・そういう時は空を見上げますね・・・ (^ ^)v

**********
何故引用させていただいたかというと、最後の一行にもありましたが、
上原社長はいつも「空を見上げる」ということをし続けてきた人だからなんです。

話は4年前に遡りますが、私が大阪へ帰った際大好きな奈良にも出かけました。
薬師寺では心が洗われる思いでした。ここでは、お坊様が、拝観される人達を
集めてお説教をしてくださいます。その日のお話はこういった内容でした。

「辛いこと悲しいこと嫌なことがあると、人はついつい顔を下に向けてしまう。
つまり、面が倒れるから、面倒、という気分になってしまう。
そういう時は、あえて顔を上に上げなさい。そうすると面が上に上がり、
月や太陽の光を浴びて白くなる。つまり、面白く、なるわけです。」と。

私も以前書きましたが、心を忙しくしすぎていたり、ゆとりがなくなると、
そこに花が咲いていても気がつかず、物は単なる物質として、当たり前の日々に
埋もれてしまいがちです。そんな時は自分の身の回りにあるやさしい幸運達を
見落としてしまいがちなもの。
あなたの傍で、あなたを幸福に導こうとしてくれる温かな意志に、いつの時も
気がつけるように、心はいつも柔らかくしていたいですね。
実は、私にも以前、自分の心を見つめてあげる暇もないほどに、
次々といろいろな事がおこり、走りぬけるように日々を過ごしていたために、
心が石のようにカチンカチンに固まってしまっていた時がありました。
あなたもこんな状態になってしまったことはありませんか?
忙しさに流され、感情が滞り、心が固くざらざらしていて、悲しくても
涙も出ないし、日々が疲れてたまらない、なんて状態です。
そういう時こそ、一瞬立ち止まって、変化する月の力にあやかって、そっと月を
見上げてみてください。
私達の魂には、進むべき方向があるからです。魂から流れるまっすぐな道は、
常に上へ上へ上がる方へ、上る方へと続いています。あなたの夢も幸せも、
下がる方ではなく上がる方、つまり上にあります。それゆえに魂は常に上に
向かおうとする力があるのです。
心が滞っている時、実は、私達の心は下を向いています。落ち込んでいる時、
私達の顔は下を向いているでしょう。それは生命のエネルギーの流れに
逆らっているから苦しいのです。
だからそんな時は、あえてなにか美しいものを見上げてみるといいのです。
実際に何かを見上げるという行為が、あなたの落ち込んだ心のエネルギーを
上に向けて引き上げてくれるんですね。

週末の十五夜にはぜひ、謙虚になって、素直な心で、月を見上げる優しい時間を
持ってみてくださいね。
今のあなたからさらにステキな未来に動きだすために。

そして今宵はどうぞ月を見上げながらお出かけくださいね!

【2009.9.29 末金典子】

暑~い夏も一段落し、少し身体に優しい風が吹き始めました。
お元気にしておられますか?
インフルエンザも流行っていますし季節の変わり目は体調も崩しやすいので
くれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は先月、お客さまが心筋梗塞で亡くなられました。
まだ50歳になられたばかり。
時を同じくして、同じ年齢の女性もガンで亡くなられました。
共に人のために尽力される素晴らしい人生を歩んでおられた途中でした。
心残り幾許であったことでしょう。心から御冥福をお祈りいたします。

今の日本人の三大疾病は、この「心筋梗塞」・「ガン」・「脳卒中」
なのだそうです。

以下は、ある男性が書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものです。

**********

その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

**********

幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

私もここまでではありませんが死にかけたことがあるんです。
今からちょうど10年前、昼も夜も仕事を続けていてもう毎日がくたくたで、
年末から体調がひどく、もう少しでお正月休みだからと無理を重ねていたところ
ある朝起き上がれなくなるほど体調がひどくなり、なんとかタクシーで
中部病院へ。「ただのカゼですね。この薬を飲んで温かくして眠れば治りますよ」
と先生に言われ総合感冒薬をもらいました。その日はその通りしてみましたが、
熱はどんどん上昇し、咳はひどく、どんどん悪化していきます。
次の日、一人暮らしの私を、コザから那覇まで毎日お世話になっているタクシーの
運転手さんがすぐ近くの医院まで抱きかかえるように運び込んでくださいました。
診察してくださったお医者さまはすぐ異常を察知し、「すぐに入院させます。
インフルエンザをこじらせ、肺の状態がかなり悪くなっています。
危ないところでしたよ。」と運転手さんに告げたそうです。
点滴を受ける間、朦朧とした頭で、なんだかとても「生きたい。死にたくない」と
思いました。お医者さまに危機を聞いていたわけではありませんが、本能的に
感じ取っていたのかもしれません。
あと1日生きられるなら、あと3日生きられるなら、あと1週間生きられるなら、
と遠くなる意識の中、必死に考えました。「もう一生さぼりません。頼みます、
生きさせてください!」
丸2日眠って目が覚めたとき、ちょうど病室の窓から朝焼けが見えたのを
よく覚えています。一番最初に見たのは看護婦さんの笑顔。あぁ~生きてる!
と思いました。もう与えられた人生を無駄にはしない、と。

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと
願った明日」

この言葉は、韓国のベストセラー小説「カシコギ」の一節ですが、私が当時感じた
「生きたい」「もう無駄にはしたくない」という強い気持ちをいつも私に
思い起こさせてくれます。ちょっと長い言葉ですが、私はとても大事にしています。

そんなことを振り返っていたら、ある素敵な出会いを思い出しました。
7月に名護からとても素敵な女性が私に会いに来てくださいました。
彼女は今41歳で、6年前に乳ガンを患われ、手術や抗がん治療も試みるもまた再発。
今度は坑がん治療などの化学療法だけに頼らず、沖縄のセンダンなどの
自然代替療法に果敢に挑戦され、見事にガンが消え克服された女性なんです。
そう書くとやたら強い女性を想像されると思うのですが、
彼女が入って来られた時、あまりにふんわりと美しい光に包まれ、
きらきらと輝いておられてびっくりしたほどなんです。
彼女のお顔の美しさだけではなく、すごくにこにこ、いきいきとなさっていて、
とてもガンを患っておられた人には見えないんです。どころか、健康な人よりも
はるかに「今を生きている!」という光り輝く美しさに圧倒されてしまったほど
でした。きっと、今この瞬間を大切にし、謳歌しておられるお姿なのでしょうね。

土曜日からシルバーウィークが始まり、お忙しいあなたも少しほっとしますね。
人生という行路をずっと走ってきたのですもの、少しのんびりなさってくださいね。
そしてどうか、あなたの命、あなたの愛する人、あなたを支えてくれる周りの
人達を大切になさりながら、今この瞬間を、限りある時を、楽しくお過ごし
くださいね!

【2009.9.17 末金典子】

9月12日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第3期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(9月~11月)
講座: 第二・第四土曜日、午後7時より2時間程度(全6回講座) 第一回目は9月12日(土)午後7時~
場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎
定員: 50名
受講料: 3万円(消費税込、全6回講座分、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など一切不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職
④ご希望など(もしあれば)

講座内容: 次世代社会において機能する金融とは、経営とは、事業とはを問い、より良い事業や社会を構築するための処方を模索します。講座内容とその大まかな配分は、2講座ずつ3つのテーマに分かれるイメージです。経営者が自分の視点を変えるだけで、この世界がいかに可能性に満ち溢れているか、事業や社会を良くすることがいかに容易か、を再認識することが本講座の重要な目的のひとつです。本講座は「我々の常識を健全に揺さぶる」試みでもあり、いずれのテーマについても「一般的」な経営・経済・金融論と異なる視点を多く含みます。

第一回・第二回: 経営・事業・人事
第三回・第四回: お金の本質・企業金融・グローバル経済
第五回・第六回: 沖縄地域経済・農業・事業戦略・リーダーシップ

本講座は、6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする試みでもあります。可能であればもちろん全6回のご出席をお勧めしますが、途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。高度な概念を大量に扱いますが、誰にでも分かりやすく平易に伝えることを重要視していますので、受講に際して金融知識、経済知識、経営経験などは一切不要です。

受講者の皆様へのメッセージ:


樋口耕太郎

問題の根源を特定せずに行う、全ての問題解決は対症療法に過ぎません。その前提において、「組織や事業や社会の改革を叫ぶよりも、まずは社会の生態系を理解して問題を特定することの方が遥かに重要である」、という仮説が成り立ちます。世の中に「問題解決」を行う人が無数に存在しながら、社会が一向に改善しないように見えるのは、それぞれの方法が間違っているというよりも、問題の根源が特定されていないからではないでしょうか。結局、なぜ社会は今のような姿なのか、そしてそれはどのようにすれば治癒できるのか、に対する根源的な回答は、それぞれひとつずつでなければならず(それが「根源」ということの意味ですので)、それ以外の対処は長期的に問題を拡大することにしかなりません。

逆に考えると、始めに根源的な問題を特定することのみが、本質的な問題解決のプロセスであり、我々が本当に社会を良くすることを望むのであれば、それ以外の対処は無駄とはいわないまでも、著しく非効率です。したがって、どの組織でも、政府でも、とうの昔に、「問題の根源」を特定していてしかるべきなのですが、これほど単純な原理が社会で殆ど議論されていない最大の理由は、人々が自覚しているか否かに関わらず、問題が解決してしまうと職や地位を失う人があまりに多いから、あるいはほぼ同様の意味ですが、自分自身のあり方そのものが問題だからなのかもしれません。すなわち、社会が改善しない最大の理由は、我々自身がそれを望んでいないからである可能性が高く、それ自体もひとつの大きな問題を構成している、ということになります。

この社会の現状に対して、「王様は裸!」と声を上げるプロジェクトが、『次世代金融講座』といえるかも知れません。我々の人生と社会を真に豊かなものにするためには、生産性を飛躍的に向上させることが不可欠ですが、それは現代社会が我々に求めてきたように、今の倍、更にその倍・・・と働き続けることによってではなく、そもそも我々自身と現代社会の在り方が著しく非効率であるということを自覚し、その事実に向き合うことによって可能です。映画「マトリックス」で、人類の救世主となるネオが、真実を知るための「赤い薬」と、知らぬが仏の人生に戻るための「青い薬」の選択を迫られ、「赤い薬」を手にします。次世代社会に翻弄される「青い薬」と、次世代社会を切り開く「赤い薬」、あなたはどちらを選択しますか?

地獄と極楽のお話
ある人が地獄と極楽の見物に出かけようと思い立ちました。まず地獄へ行きました。そこではちょうど大きな円卓を囲んで、大勢の人たちが食事をするところでした。その人々の姿は娑婆(しゃば)に住む私共と変りありませんでした。大きな円卓の真ん中にご馳走が山と盛られてあるので、普通の箸では届きません。皆がそれぞれに五、六尺(2メートル弱)もあるような長い箸を持っています。ところが箸があまりにも長すぎて、折角挟んでも自分の口に運ぶことができない。持ってくるまでに人の口に入ってしまうのです。人に食べられてなるものかとみんな我れ一になって、自分の食べることばかり考えるものですから、長い箸と箸が音をたてて交錯し、結局、ご馳走は卓上に散乱して、誰一人として満足に食べることができないのです。食べようとして食べ得ざる時、人の心は焔となって怒りの火を発するのです。

ところでその人は次に極楽を見に行きました。極楽も地獄も人そのものの姿には、全く相違はありませんでした。食事の時になりました。大きな円卓の真ん中にご馳走が山のように盛られてあり、人々は長い箸を持っている。それもまた地獄と全く同じことでした。ところが、ここではその人々がそれぞれ、自分のお箸に挟んだご馳走を「これはおいしそうでございます。お一つ如何ですか」と人の口へ運んであげています。「結構なお味でございます。あなたさまも如何ですか」とお互いがお互いに食べさせあっているのです。有難うございます。おお勿体ないことと食事は実に和やかに進んで、みるみるうちにご馳走はなくなってゆき、最後には「ありがとうございました。ご馳走さまでございました」とみんな喜び合い、感謝し合いながら終わったというのです。(高田好胤著『己に克つ』より)

地獄と極楽のお話に沿って『トリニティ経営理論』を要約すると、「自分の箸だけで食べるよりも、お互いに食べさせあった方が豊かで効率が良い」という、当たり前のことを言っているに過ぎません。

地獄で食事の優劣を競う現代企業経営
現代資本主義社会の企業経営は地獄でご馳走を食べようとする姿に見えます。2メートル近くもある箸は企業の保有資産≒バランスシート≒企業価値、食べることができた僅かなご馳走はフリーキャッシュフローといったところでしょうか。企業は「効率よく」ご馳走を食べるために、例えばさまざまな箸の研究開発に多額の経営資源を投下します。遠くのご馳走に手が届くように更に長くて軽量の箸を開発した企業は「イノベーションに優れた企業」と呼ばれ、他人が気付かない場所にあるご馳走をいち早く見つけた企業は「先見のある戦略的な企業」と賞賛されるかもしれません。それにしても全体として考えるとき、実際に食べることができるご馳走は、ほんの僅かであり、その僅かのご馳走(収益)を上げるために、膨大な労力が費やされます。膨大な労力を惜しまない人は「成功者」として「尊敬」されますが、その労力が実は著しく非効率かも知れないとは誰も考えません。

効率の良い極楽の食事
トリニティ経営理論では、企業価値は「所有資産の価値」ではなく、「利用可能資産の価値」によって決まると考えます。テーブルの向かいの人々とその人々が持つ箸は利用可能な「簿外資産」であり、簿外資産(他人の箸)の方が所有資産(自分の箸)よりも遥かに規模が大きく(数が多く)、かつ多大な収益を生み出す(おなかいっぱいご馳走にありつく)ために、効率の高い資産であるのは明らかではないでしょうか。そして、極楽の人々が象徴するように、このような「簿外資産」は良好な人間関係によって成り立っています。人間関係に働きかける主な方法は基本的に、利害を提供することと、愛を提供すること、の二種類しかありませんが、皮肉なもので、利害を提供するよりも愛を提供することの方が遥かに「費用対効果」が優れています。

地獄と極楽を分けるものは発想と行動
地獄も極楽も人々の気持ち以外に全く相違点がない、というのが象徴的です。現代経営の課題は、この膨大な簿外資産にアクセスし活用する手法の欠如ですが、この簿外資産にアクセスするために不足しているものは何もない、必要なものは利己的かつ利他的な発想とそれに基づく行動(・・・つまり、愛、ということですが・・・)だけ、ということに気がつくことだ思います。必要なものは発想と行動だけであるため、追加的な資本を殆ど必要とせず、限界的に生み出される事業効率が極めて高い(資本に対して実質的に無限大)という、経営的に重大な特徴があります。

地獄と極楽の相違点は人々の発想とそれに基づく行動だけです。極楽にいる人々は、以下の三点について地獄の人たちと異なる発想と行動をしており、これは愛の定義に基づいた行動原理と同一です。

①    真実であること、隠し事のないこと、
②    相手に一切要求せず、ありのままを受入れ裁かないこと、
③    自分を活かし、相手のためになることを、できることから実行すること、

具体的には、この膨大な簿外資産にアクセスし、比較にならない豊かさを享受するために必要なことは、ハイテク箸の開発でも、合意形成でも、人を出し抜くことでもなく、人にご馳走を差し出すこと*(1) であり、これが、(多くの経営者の常識に反して)合理的な事業行動であるということです。

『いま、愛なら何をするか?』より抜粋再掲 2009.8.2 樋口耕太郎】

*(1) 少々テクニカルな事例になりますが、一般的な沖縄のホテルでは、不測に稼働率が高まるとオーバーブックという現象が起こり得ます。具体的には、例えば200室の客室に対してそれ以上の予約が入ってしまうと、希望するお客様に対して一部特典付きで他のホテルに宿泊を御願いするということになります。オーバーブックをした送客ホテルが費用を負担して次の受入れホテルでのグレードアップをしたり、食事の特典をお付けするなどの対処を行い、お客様にはむしろ喜んでそちらを選択いただくように務めるのですが、その際に送客ホテルが負担する費用は相当な額に上ることがあります。他人の不幸は密の味ではないですが、送客ホテルがお客様の移動先を探す際、受入れホテルは宿泊料を言い値で請求することも多々あり、これが更に送客ホテルの大きな費用負担を招いていました。「事業は競争である」という認識の基にはこのような対応がむしろ当然だと思います。

私が経営を担当していたときのサンマリーナでは、この問題に対処するために、他のホテルの立場を優先してみました。他のホテルがオーバーブックをしてサンマリーナに送客を希望する場合、当方に空室がある限りにおいて、先方の言い値(原価)でお受けするように方針を決め販売担当に伝えました。すなわち、サンマリーナを受入れホテルとする場合、送客ホテルはグレードアップや特典追加をお客様に提供できるにも拘らず、差額の費用が発生しないことになります。・・・すると、当時私もこれほどの効果を予測していたわけではないのですが、サンマリーナが送客する際においても、多くの周辺ホテルが同様の考え方で安価に対応して下さるようになり、この方針を定めた年度以降、サンマリーナでは前年度約1,000万円支払っていたオーバーブック費用が、ほぼゼロとなりました。売上高利益率10%で計算すると、サンマリーナにとっての経済効果は、約1億円分の売上または7,000人分の新規顧客に相当するインパクトです。サンマリーナでは、他社を競合相手とは考えず、助け合うことのできるパートナーと考えたため、それがそのまま事業における現実となりました。財務的にも、昨年度まで「競合他社」と呼ばれていたものが、この年からサンマリーナの簿外資産に変ったと考えることができます。このような発想の切り替えによって、サンマリーナは実質的に保有客室(200室)以上の顧客を受け入れることが可能になったともいえるのです。

トリニティリゾート事業計画書

私が以前から計画しているリゾートホテル事業、「愛の経営と、自然農業を融合したハイエンドリゾート(仮に、「トリニティリゾート」と称しています。)」があります。今まではウェブサイト非公開でしたが、計画をよりオープンにするという趣旨で事業計画書をアップしました。左上をクリックしてpdfファイルをダウンロードの上ご覧下さい。分量が比較的大量(61ページ)ですのでご注意下さい。なお、7月7日にアップした「農業の未来」は、この案件の背景を説明する趣旨で、現代農業の問題の本質と解決方法をまとめたものです。合わせてご参照下さい。

社会の生態系
現代資本主義の金融は、長期的に維持不可能な高額の利子(金融業者に「支払われる」、税引後事業収益の40%を含む、10%の資本コストのことを示します。詳しくは「次世代金融論《その5》」参照下さい。)を事業に要求するため、この資本コストを大幅に減額しなければいかなる事業も持続性を持ちえず、従業員を中心としたステイクホルダーへの分配が過剰に削減され、ひいては彼らの生活を大きく脅かすことになります。中産階級は、企業の従業員であると同時に、GDPの6割(アメリカはGDPの7割が消費です)を担う、社会の重要な消費者ですが、彼らの生活・収入基盤が崩壊しつつ、結局社会全体の凋落を招いているという悪循環が生じているため、いくら金融政策で景気を刺激しても肝心の消費が回復しない、消費が回復しなければ企業の投資も回復しない、という状況に陥っているように見えます*(1)

この、中産階級が崩壊へと進む循環を断ち切るためには、「地獄と極楽のお話」のメカニズムによって競争を避け、人間関係を改善することで労働生産性を飛躍的に高め、「次世代金融」*(2) を通じて資本コストを大きく削減し、それを原資として労働分配率を高め(つまり労働者の報酬を増やすということです)、中産階級の生活基盤を復活させることが有効です。持続的にこれを達成するためには、特にこれまでの沖縄がそうであったように、政治や補助金や税の優遇措置などによるのではなく、「個人の生産性を高める」という、極めてまっとうな手法による必要があります。 ・・・そうでなければ持続性が生まれないためです。資本主義社会(私は、「第一の経済」と呼んでいます。)における労働生産性は、人を最小限まで減らした状態で手一杯の従業員に強烈なプレッシャーを与え、飴と鞭を与えながら短時間で大量の仕事をさせることで達成しようとするものですが、私が「第二の経済」と呼ぶ次世代社会においては、 ①自分自身に嘘をつくことをやめ、労働の質を著しく高めることで、商品とサービスの単価を高く維持し、②顧客と超・長期に亘る正直な人間関係を構築することで、営業を極小化しながら営業効率を飛躍的に高め、売上高と利益率を確保する、ことで達成するものです。

経営の未来
私は、沖縄での個人的な体験を通じて、「収益や事業の成果よりも人間関係を優先し、従業員をコントロールすることをやめて自由にし、恐怖で規律を保つのではなく恐れを取り除くことで、結果として、きわめて高い事業力を生み出すことができるのではないか」と考えるようになり、やがてそれが確信となるにつれて、この仮説を実証する誘惑に抗し難く、サンマリーナホテルの経営と、人事と、事業の全てをひっくり返してしまいました。ちょうど世の中の「常識」とことごとく反対の経営をすることになるのですが、少なくとも特定の条件の下で、私の仮説が現実に、それも破格に機能することが実証されたことになります。

サンマリーナにおける事業の基準は、「心からやりたいことか?」「人の役に立つか?」のみであり、仕事のルールは、「人間関係を何よりも優先する」ことであり、人事は事業的な成果に因らず、正直な順、志の高い順、人格の高い順、思いやりの順に登用するということです。これを一言で集約すると、事業の現場における全ての人間関係の接点において、「いま、愛なら何をするだろうか?」という問いが唯一のテーマとなるのです。そして興味深いことに、この原理は自然農の価値観と非常に似ているのです。自然農の考え方であり、自然農家の生き方は、「いかに自然をコントロールし効率的に生産するか」、という農業が有史以来試みてきた考え方とは対極の発想により、自然をコントロールすることを止め、自然の営みに寄り添い、害虫や雑草を敵とせず、自然がもともと有するありのままの力を肯定して生態系からの果実を収穫するものです。経営者が事業と従業員をコントロールすることを止め、収益目標と成果主義を手放し、自分のエゴを捨てて彼らの役に立つということに専心した瞬間に、事業の生態系が息を吹き返し、正直で思いやりに基づく人間関係の力強い営みが、想像を超える収益となって顕在化することと同じであり、リゾートホテルと農業という、社会的に分断された二つの産業を同一の経営的価値観で統合するというトリニティリゾートの重要なコンセプトとなっています。

案件の本質
「第一の経済」が構造的に疲弊する中、これから50年間の沖縄は、世界最大の「第二の経済圏」としての重要度を急速に増す可能性があります。このような役割を果たす沖縄には、単に一地域の発展という発想を超え、社会全体の多岐にわたる重大な問題に対して合理的な回答を自らの行動によって示す可能性と責務を有していると思います。本件はそのよう発想に立ち、

①現在の社会の問題の根源は何か?
②その具体的な解決方法は何か?
③その解決方法を、最も効率よく実現する事業プランは何か?

という、3つの大きな問いを突き詰め、私なりの「究極のリゾート事業」を約一年間かけて追求し、その青写真をまとめたものです。計画のたて付けは、「リゾート」ですが、本当に意味のあるポイントは、現在社会で生じている重大かつ多岐な問題・・・、農業、食品、労働、ホテル運営、金融、人を大事にするということの真の意味、資本と経営など・・・、に対して、収益力の裏付けを伴う現実的な回答を提供するという点です。そして、このようなプランが社会的に影響力を持つためには、十分な・・・ というより破格な収益力を(結果として)実現することが、最短距離であり唯一の解決策ではないかと、私は考えています。良い悪いは別にして、個人の所得水準は社会的にとても注目度が高いため、理想を広めようとすればこれに勝るものはありません。例えば、沖縄での本件事業における農業担当者の家計所得が、夫婦共働きで1,000 万円の声を聞くような水準が私の具体的なイメージですが、これが補助金なしで無理なく楽しく実現すれば、相当な驚きをもって迎えられる筈です。このようなインパクトを伴う事業が実現すれば、業界が変わることはむしろ容易ではないかと思います。同様に、このリゾートでは、一日6時間労働、週休二日制、給与は一般的なホテル業の2倍(といっても沖縄を基準にすると500万円程度です。)、を提供する労働環境を実現したいと考えていますが、このためには労働生産性を一般的なホテルの2倍+α にする必要があります。一見突飛なようですが、人間関係を改善し、組織のコントロールを手放し、高品質なサービスと商品を提供することなどで十分可能であり、本件事業計画の経営バランスの重要な要素になっています。

①価格を下げ、資本の力でシェアを拡大し、②人件費を削減し、③量的平準化、によって成長を続けてきた超・資本主義経済(「第一の経済」)社会を治癒する方法は、ちょうどこの反対のプロトタイプを(沖縄で)実現することであり、すなわち、①’資本を使わずに価格を維持し、②’労働分配率を高め、③’高品質による質的平準化、によって高収益を安定的に生みだす「第二の経済」をバランスすることであり、トリニティリゾートはこのコンセプトによって構想されています。このバランスにおいては、最高品質の食材、料理、顧客のリゾート体験が、最高の環境で、嘘のない、正直な人間関係で提供されることはもちろん、それに加えて、事業体としてのリゾートが、社会においてどのような役割を果たすのか、という「あり方」が重要な意味を持ちます。価値のある「あり方」とは、例えば、その事業活動の(可能であれば)全てが、社会の根源的な問題を直接治癒する活動であることでしょう。

社会と人(そして環境)を豊かにするために「お金を使う」ことは、容易であるかのように見えて、現実には大変困難です。人の依存心を増やすのではなく、個人の生産性を上げ、自立を後押しし、生活を真に豊かにするようなお金の使い方をすることは、成果によらず人格によって考課・登用した人財に対して、例えば市場水準の2倍の給与を提供すること、リゾートが自然な農業・酪農生産者の豊かな生活を支える購買力となることで、自然な農業生産を妨げる問題の本質(高品質の生産物を評価する仕組みと、これらを十分な価格で買い続ける購買力の欠如)を解消しながら、農業従事者の自立を進めること、これらの事業から生まれる税引き後余剰利益の100%を原資として、無担保・無利息貸付事業*(3) を立ち上げること、などで可能です。

このプロセスは、自然農・自然放牧に事業性をもたらし、自然で持続可能な農地を拡大し、食糧自給率を回復して域外からの輸入食糧を減らし、リゾートに従事する従業員(中産階級)の所得を増やすことで、地域の購買力を高め、新たな労働概念と安全で豊かな食生活によって、やがて従業員と家族の疾病率が下がり、健康で超・長期間無理なく働けるようになり、日常生活に時間的な余裕が生まれることで、職場や家庭や社会の人間関係が回復し、共同体が再生し、地域「一番館」リゾートの質を著しく高めることで、観光地全体の質を高め、沖縄に必ずしも関心がなかった超・ハイエンド層を新たに呼び込み、無利息貸付の浸透によって、社会のセーフティーネットを拡充し、真の自立のための事業資金を提供し、社会に存在する利子の悪影響を緩和させ、社会的にも高額所得者から中産階級への所得移転が進み、地域経済が活性化し、県財政を助け、外貨の獲得が進むなどの効果を生み出します。すなわち、顧客がお金を支払うたびに、その額の分だけ社会が確実に豊かになるような事業の「あり方」です。

顧客にとっては、嘘のない、人を変えない、自分に正直な「高品質」サービスを体験しながら、素晴らしい休暇を過ごすだけで、自分が支払ったお金の全額が(それを目的としなくても)確実に社会を良くする原資になるため、このリゾートで休暇を楽しむこと自体が、もっとも楽しく効果的な寄付行為としても機能します(一般的な援助や寄付金は、その大半が必要とする人に届かないという重大な欠陥があります*(4) )。もちろん顧客は、寄付としてお金を支払うわけではないため、押し付けがましさもなく、それが寄付だと意識する必要もありません。・・・自分のバケーション費用が結果として社会のためになるのと、社会を良くするために(チャリティのように)バケーションを取るのとでは、意味が大きく異なると思います。

更に、少し先の戦略になりますが、このような「あり方」を事業の目的としたリゾートが発行する「宿泊・商品券(「リゾート券」)」*(5) は、実質的に税務上損金参入可能な「寄付金」として機能するため、この「リゾート券」は、人に対する贈り物として高く評価されるかもしれません。更に、この「あり方」に賛同する(沖縄地区の)お店や企業が、やがて自社商品を「リゾート券」で決済することを受け入れてくれることで、「リゾート券」は実質的に地域通貨として機能することになります。「リゾート券」を地域通貨として捉えた場合、その革新的な通貨設計は、現在の不兌換通貨(主要国通貨)とそれに付随する利子が社会に与える多大な悪影響、実質的に機能不全になっている多くの地域通貨の欠陥双方をクリアするものです。この通貨には利子が付かないので溜め込む理由に乏しく、頻繁に利用され、通貨の回転率が上がり、発行量を増やさなくても経済を大きく活性化させる効果を生み出します。この「通貨」はリゾートの利用権を裏付けとしていますが、その売上の全ては前述のように、「社会を良くする事業メカニズム(第二の経済)」で再配分されるため、この「通貨」が実質的に裏付けとしているものは、我々の「より良い社会」です。「通貨」が発行・流通すればするだけ社会が改善するという画期的な通貨設計であると同時に、発行時に発行者が著しく不均等な利益を得るという不兌換紙幣の欠点が大きく緩和されています。また、この「通貨」は、自然な生産方式による農産物や地域事業を実質的に一部裏付けとしているため、将来、世界基軸通貨(ドル)や主要国通貨の暴落・ハイパーインフレーションなどに起因して国際社会が万一大混乱に陥るような状態において、有効なヘッジ機能を持つ「第二の通貨」であり、このとき地元経済を健全に維持する恐らく唯一の方法ではないかと思います。

このような 「リゾート券」の発行・流通は、事業と社会の質を追及し、一切お金を追わない「在り方」によって初めて可能になり、結果として、事業の質の平準化を伴い莫大な利益を生み出し、それがまた社会に還元されるという循環が生まれます。お金を追わないことがお金を呼び込む、「第二の経済」メカニズムの典型といえるでしょう。更に、リゾート会社株式を地域の個人投資家に幅広く保有してもらい、リゾートで開催される年一回の株主総会が世界中から来賓を呼んでの大きなイベントに進化すると(もちろん規模は比較になりませんが、イメージとして、バークシャーハサウェイ社の株主総会のように)、それもまた地域の観光資源になるのではないでしょうか。

【2009.7.24 樋口耕太郎】

*(1) 先進国の中産階級は過去50年間、「共同体の崩壊 → 大家族の崩壊 → 核家族の崩壊 → 母子家庭」 という道筋を辿りながら、家計収入と社会的な支えをどんどん失っていますが、アメリカでは特に90年代以降、家計の金融資産はおろか生活するための収入が不足したため、不動産ローンや消費者金融によって将来収入を取り込んだところ、昨年からのサブプライム危機によって、とどめを刺された形です。アメリカのオバマ政権はこれから70兆円を費やして非常に危険なグリーン・ニューディールという大博打(景気対策)を打とうとしていますが、以上の現状分析から、景気の「回復」はそもそも起こりえないかも知れない、というのが私の予想です。経営者が今後の事業の舵取りに織り込むべきと、私が個人的に考えている想定は、数年後アメリカの景気が十分に回復せず、膨大な国家負債だけが残され、世界機軸通貨ドルが信頼を失って暴落、ひいては各国主要通貨の暴落に飛び火するというものです。もちろんこれは予言ではありませんし、予測ですらありません。経営者の立場で想定すべき(しかし、ある程度確度の高い、そして万一現実となった場合、事業に多大な影響を与えることが確実な)シナリオのひとつに過ぎませんが、企業は仮にこのような事態が生じたときこそ、本当の事業力が試されるのだと思います。

*(2) 詳細は「次世代金融論」を参照下さい。ただし、本稿は現在《その16》ですが、完結までにはまだ数ヶ月を要すると思います。

*(3) 「次世代金融論」の今後の稿にて議論する予定です。

*(4) 例えば1997年~2006年にカリフォルニア州に登録された記録によると、ファンドレイザーが代行したチャリティ・キャンペーン5,800件超、調達金額26億ドル(約2,500億円)のうち、その約54%が仲介者の手数料として支払われています。これなどはまだ可愛い方で、慈善団体の取り分は、そもそも寄付総額の20%以下という契約の基で行われたキャンペーン事例が数百件にも上っていますし、例えば、税金の無駄遣いの番人を自認する「政府の無駄を告発する市民の会(ワシントン本部)」が10年間に集めた寄付金約1億円のうち、「市民の会」が直接手にした金額はその僅か6%以下でした。当然ながらこのような事実は、寄付を行う人に開示されることはありません。規模の大小、有名無名を問わず、児童福祉、動物愛護、医療研究、飲酒運転反対運動など、様々な慈善団体にこの問題は広がっています(クーリエ・ジャポン、2008年10月号などを参照しています)。アメリカ国内ですらこの状態で、国際的な寄付活動、特に貧困国に対する活動は更に非効率です。

*(5) テクニカルな点ですが、商品券の発行は誰でも自由に行えるものではなく、「前払式証票の規制等に関する法律」などによって一定の規制が課せられています。案件の進行に伴って、多様な可能性を検討しながら、最適な金融ストラクチャーを開発することになると思い ます。

お元気ですか?
毎日とっても暑いですね! 伊是名島では過去最高気温を更新したほどです。
風もやみがちで、こめかみに玉のように汗がころがり、ジョギングしていると、
腕や、うしろ頭が、じりじりと焦げてゆくようです。
夏バテなどなさっておられませんか?
暑いのはいや!という方も多いですが、あなたはどうでしょうか。

こういう「ちょっとしたいやなこと」が引き金となって「パニック症候群」や
「うつ」になってしまう人が全国的に増えてきているようです。
のんびりムードの沖縄には「パニック症候群」や「うつ」の人など
いないだろうなぁ…なんて高を括っていたのですが、とんでもないそうで、
沖縄のあちこちでも耳にするようになりました。
ある税理士事務所の若い職員の彼などは、普段からとても真面目でお人柄も
よかったそうなのですが、ある日の朝、いつものようにバイクで事務所に
出勤しようとすると、雨が降っていて、途端に憂鬱で頭がいっぱいに
なってしまったようで、心がそこでプチッとキレてしまって、その後の一ヵ月半、
無連絡のまま失踪。家族や職場はもう大パニックだったそうです。
当の本人は失踪に至るまでのことは全く覚えていないそうで、
いきなり航空券を買って東京まで行き、そこから横浜まで歩き続け、
ネットカフェにずっといたのだとか。
私の好きな作家の白石一文さんも、文芸春秋の編集者時代に、
頭の中が憂鬱や恐れでいっぱいになる発作が突如襲うというこの「パニック症候群」
に罹ってしまい、退社後福岡に戻られ、作家になられた方で、
その頭が狂いそうになる恐怖や苦悩を「すぐそばの彼方」という小説の中でも
書いておられます。
「うつ」に至っては今やもう日本中に蔓延していますよね。

一体どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

理由はたくさんのことが複合的に重なっているのだと思うのですが、
私が思う一つの仮説は、長い時間をかけて学校でつけてしまったクセに
あるのではないかと思うのです。
そのクセというのは「すべてのことに答えを求めてしまうこと」なのでは
ないでしょうか。
当然、出される試験には答えがあり、それはたいがい一つです。
ある人が「私なりの答えを出してみました」と、言ったところで、
それではいい点はもらえませんよね。
そして学校を卒業すると今度は、定期的な試験こそありませんが、
決心や実力の程度を試み、試すための試験が待ち構えています。
それには苦難がつきもので、逃げ出したりするとダメな人ということになって
しまいます。言い方を変えれば、人はダメな人と呼ばれないためにがんばって
いるのかもしれません。
でも、問題なのは、ダメな人は本当にダメなのだろうか? ということです。
そもそも自分の判断基準はどこからきたのでしょう?
みんなが同じ答えでなくてはいけませんか?
疑いもなく、それが答えだと思い込んでいるフシはありませんか?
例えば、仮にこの世に平等ということがあるとすれば、それは人それぞれ違うと
いうことを認めることが平等なのではないでしょうか。
男女の平等にしたって、男が男らしく、女が女らしくなったとき、本当の平等が
あるのだと、私は思います。
自分と違うからといって、ダメかダメじゃないかを判断しているなんて
おかしな話ですよね。

どうやら、試験と違って、生きることに答えはないようです。
それでも答えを出そうとすると必ず頭が痛くなるのがその証拠です。
ないと思えばもう楽ちんでしょう?
だから、いい点を取る必要なんてまったくないんですよ~!

それでも「なんだかむしゃくしゃするな~」と感じるなら、
心持ちに、暑さに、へこたれないように、
体に精をつける食べ物をとるべく、食い養生をいたしましょう!
日曜日は丁度「土用の丑の日」です。
「鰻ごはん」をがっつり食べちゃいましょう!
この土用の丑の日にうなぎを食べるようになったきっかけは、
江戸のうなぎ屋が商いがうまくいくようにと、物知りで知られていた平賀源内に
相談をしたそうです。夏の土用の丑の日は一年のうちでも最も暑い日といわれ、
体調をくずしがちになる時期で、「う」のつくものを食べると病気にならない
という言い伝えを知っていた源内は「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙を
店先に出すことを提案しました。するとお店が大繁盛したのだとか。
その様子をみて、ほかのうなぎ屋もまねをしはじめ、いつの間にか
土用の丑の日には、うなぎを食べることが定着したのだといわれています。
つまりは、江戸時代の平賀源内の広告コピーが功を奏した結果が、
現代まで受け継がれているということのようです。
恐るべし源内。
ま、うなぎが苦手という方でも、「う」につくものであればいいようですので、
「梅干し」「うどん」「うり」などを召し上がってみてはいかがでしょうか。

食い養生、ということで思い出したことがあります。
女には辛いとき、悲しいときに独りで泣くという特技があるものですが、
同じように独りでお料理を作ってがつがつ食べるという特技もあると
私は思っています。
以前、精神的に苦しい時期に、誰の顔も見たくないとか、誰にも自分のことを
話したくないということがありました。仕事が終わるとさっさと帰宅し、
揃えた贅沢な食材や調味料を使って毎晩お料理を作って食べ、
少しずつ立ち直っていったことがあります。
この「食べる」ということは非常に不思議なもので、
お腹がいっぱいになってくると、まずは心身が落ち着いてきます。
すると、ささくれ立っていた気持ちが次第におさまっていくんですね。
身体と心とは本当に一つにつながっているんだなぁと実感したものです。

あなたも土用の丑の日の「美味しい」週末をお過ごしくださいね!

【2009.7.17 末金典子】

「問題は、その問題を生み出した考え方と同じ考え方をしているうちは解けない」
アルバート・アインシュタイン

本稿は、日本の農業に関して、「I. 問題の本質」を特定し、その問題を「II. 治癒」するためのプランを明らかにします。現代の農業問題を混乱させている最大の原因は、その根源的な原因が特定されていないこと、そして、その根源的な問題を治癒するための具体的かつ実行可能な計画が存在しないこと、であり、この二点を明らかにすることこそが問題解決であるためです。

I. 問題の本質
根源的な原因を理解せずに行う「問題解決」は全て対症療法に過ぎず、長期的には病状を治癒するどころか却って悪化させることが珍しくありません。逆に、根源的な原因とは、「これが治癒されれば全体が健全さを取り戻す」、という波及効果の観点から特定されるべきであり、農業問題の本質は以下の二点に集約すると思います。

①  持続性がないこと
②  事業性がないこと

第一は、現在の農業生産方式は持続性がないこと*(1)、すなわち、過去60年間、農業が資本主義社会に組み込まれることによって実質的に工業化し、化学肥料、農薬、(遺伝子組み換え作物)、食糧の大量輸出入、家畜糞尿、などによって、土壌汚染、砂漠化、水質汚染を含む生態系のバランスが崩れ、農業が最大の環境問題のひとつとなりつつあること、そして、長期間に亘って食品の質が著しく低下し、栄養素を失った農薬漬けの作物を取り続けることによって、人間の生理的限界が近づいているように思えることです。平たく言えば、「農業がわれわれの環境と肉体を蝕んでいる」という問題です。第二は、農業が事業性を持たないこと、すなわち、一般的な農業は独立した事業として採算が取れず、国際競争力を失い、補助金や政治的な保護なしでは存続しえず、人財を引きつける魅力を失っていることです。これも平たく言えば、「農業が儲からない」という問題です。

しがって、農業の問題は、持続的な方式で生産される、質の高い農作物が、十分な収益を生み出すことで、その大半が解決します。持続的で環境に優しく、高品質で体に優れた農産物であっても、事業性がなければ社会に広まることはありませんし、事業性を優先した第一次産業の行き着く先は、環境破壊と疾病の蔓延であることは疑いがありません。重要な点は、農業問題の本質が第一次産業内部だけで生じたものではないため、従来の発想によって解決することが不可能だということです。具体的かつ実効性ある手順は、①上記の条件(バランス)を満たす社会のプロトタイプを実現し、②その収益性を梃子に、次第に社会全体へ広める、というプロセス以外にないと思われます。

「持続的な生産方式」、「高品質の農産物」、「事業性のある農業」、がバランスする社会は、環境問題、耕作放棄地の問題、後継者不足の問題、食糧自給率の問題を解消し、安全で栄養価の高い農産物を復活させ、そして、中長期的にはわれわれが健康になることによって、恐らく、花粉症やアレルギー、化学物質過敏症、生活習慣病の改善、ひいては社会全体の疾病率と医療費の削減、高齢者のライフスタイルと幸福度の向上に至るまで、広範囲な影響をもたらすでしょう。

II. 治癒
有機無農薬栽培*(2) は、ほんの数年前まで非現実的な理想論という見方が農業界の常識でしたが、現在では有機・特別栽培による野菜がプレミアムで取引され、インターネットを通じた直接販売はもちろん、スーパーなどの小売店舗でも当たり前のように販売されるようになりました。この急速な変化をもたらした理由のひとつは、有機無農薬栽培の事業採算が取れるようになったためであり、安全で質の良い農産物であれば、多少割高であっても消費者が積極的に選好するようになったこと、すなわち、「質の高い商品の単価が上昇したこと」によると思います。この現象は、「持続的な農業生産」、「高品質な農産物」、「農業の事業性」が農業問題の鍵であるという前項の仮説を裏付けています。逆に考えると、この業界においては、採算の取れない生産方式が「非常識」とされていた(る)に過ぎず、事業性を生み出すことで、農業の常識(パラダイム)が変化することはむしろ当然といえます。

しかしながら、有機無農薬栽培と云えども、持続的な農業生産とは言えない可能性があり(*(2)参照下さい)、本当の意味で「持続的な農業生産」、「高品質な農産物」を実現するためには、自然農*(3)による、という農業生産第二のパラダイムシフトが待たれるかも知れません。語弊を怖れずに大掴みに表現すると、(i)化学肥料と農薬を使う慣行栽培、(ii)有機無農薬栽培、(iii)自然栽培、の順に、生態系に近い自然な農業生産方式であり、持続性が高く、高品質な農産物を収穫する栽培方法と言えます。反面、(単位あたりの収量にはそれ程の差はないものの)自然な農業ほど労働集約的で、一人あたりの耕作可能面積が急速に減少するため、商業的に成立するためのハードルが高くなります。実際に、商業的に成り立っている自然農家は、現状では日本に数えるほどしか存在していません。

以上の裏返しは、自然栽培で高い事業性を生み出すことができれば、農業問題を完全に解決するためのプロトタイプが誕生することを意味します。そして、自然栽培が高収益事業として成り立つためには、次の四点を満たすことで足ります。第一に、農産物を可能な限り高い単価で売却できる「出口」が存在すること。イメージとしては慣行栽培の2~3倍の実質単価で取引される感覚です。重要な点は、単に割り増し価格で販売するのではなく、質の高い顧客層にアクセスし、付加価値の高い事業性を生み出す経営力によって、これを実現する必要があります。なお、実質単価を決定する要素は、売却価格だけではなく、流通や小売によるロス・廃棄の水準も重要です。例えば、3割ロスを減らすことができれば、単価を3割増にしたと同様の経済効果が生じるため、多少不揃いな生産物であっても柔軟に取引ができるというようなことが有効です。第二に、消費・販売に合わせて農業生産を管理するのではなく、自然な農業生産に合わせて消費・販売がなされること。すなわち、第三次産業に食材を提供する、という従来の関係から、自然な形の第一次産業を第三次産業が支える、という産業バランスへの変容を意味します。第三に、労働集約的な自然栽培に対して、特に農繁期には(例えば、隣接するリゾートホテルなどの第三次産業から)援農のための労働力が提供されること。そして、この点が恐らく最も重要なポイントとなりますが、その前提として、日常的な援農を可能にするために、第三次産業の経営・人事・労働の根源的なあり方そのものが、人間関係を中心とした柔軟なものへと見直されることです。第四に、このような労働力のやり取りを可能にするためには、高付加価値、高品質、高単価事業が実現し、第三次産業における労働の概念が大きく変わり、労働生産性が飛躍的に向上した状態で事業全体の採算を取るという、新たな(「非常識」な?)経営バランスを必要とします*(4)。・・・すなわち、農業問題の解決は、以上のバランスを理解した、第三次産業の経営者にかかっているとも言えるのです。

【2009.7.7 樋口耕太郎】

*(1) この分野について知れば知るほど、現代農業の現状に対して根源的な疑問を抱かざるを得ません。この議論は、20世紀の前半で既に解決済みと考えられていた農業生産の問題が、社会の大問題として再浮上するという大事件であり、石油化学と動力に依拠して世界の人口を支えている、工業的な大規模農業のあり方が根本的に見直される可能性を示唆します。現代の農業生産を持続的な産業に変化させるためには、農業分野だけの変革では到底不可能です。資本主義が長い年月をかけて作り上げてきた現在の産業社会は、工業的な農業生産を前提として構築されているため、農業問題に向き合う一連のプロセスは、社会全体の産業構造、企業と経営のあり方、労働のパターン、社会インフラ、都市構造など、人々の生活と社会の全てにおいて革命的な変化をもたらします。特に、自給率が先進国中最低水準、農薬消費量が世界的に高く、農産物の(すなわち、窒素と水の)最大輸入国である日本は、世界で一番始めに、かつ最も大きな衝撃を伴って向き合う必要が生じます。

先進国の食糧が農薬・化学肥料など、実質的に石油によって生産されるようになってから約60年。現代の子供たちは母子間の生体濃縮の第三世代にあたります。最近急増している、生まれながらのアトピー、花粉アレルギー、化学物質過敏症、若年化する認知証、増加する鬱などの原因は「不明」とされており、近い将来も原因が特定されることはないと思いますが、我々が近年急速に体を害していることの重要な一因が食事 ・・・すなわち、農産物の生産・流通・保存に際して利用される大量の農薬、化学物質で汚染されている有機肥料、土壌と作物の自然の力を弱める化学肥料に加え、食品の加工生産過程、流通過程で大量に混入される食品添加物の数・・・、にあると疑い始めている人は少なくないと思います。今後、生体濃縮の第四世代、第五世代と進むにつれて、食と健康の問題は深刻さを増すことは確実であるように思われます。近い将来、子供たちの、例えば10%が化学物質過敏症や重度アレルギー体質生まれてくるような社会現象などをきっかけとして、世界中の慣行農業(化学肥料や農薬を使う、現在一般的な農業)が大きく見直される可能性はないでしょうか。それともミツバチの大量失踪と大量死現象(蜂群崩壊症候群: Colony Collapse Disorder*)など、もっと早い「引き金」が我々の資本主義社会に向けて引かれるのでしょうか。もし、現実になった場合、我々は代替する社会を構築することができるのでしょうか。

*Colony Collapse Disorder: ローワン・ジェイコブセン著『ハチはなぜ大量死したのか』中里京子訳、2009年1月、文藝春秋 (原題: “Fruitless Fall: The Collapse of the Bee and the Coming Agriculture Crisis”)などを参照しています。地球上に存在する約25万種の植物のうち、75%は花粉媒介者の手を借りて繁殖を行っていますが、巣箱一箱分のミツバチが、一日に2,500万個の花を受粉させることができるような、セイヨウミツバチの働きはその中でも突出しています。この受粉効率の高さ故、アメリカの大半のミツバチは、トラックの荷台に乗せられて一年中全国を駆け巡り、商業農作物の花粉交配を行っています。現代農業は、このような商業的季節労働ミツバチに大きく依存しており、一つの蜂群が、カリフォルニアのアーモンド(二月)、ワシントンのりんご園(三月)、サウスダコタのひまわりと菜種(五月)、ペンシルバニアのかぼちゃ(七月)などを回る強行軍を繰り返しています。その他、ブルーベリー、さくらんぼ、メロン、コーヒー、牛の飼料となるクローバーとアルファルファ、きゅうり、ズッキーニ、スクワッシュなどのウリ科植物、カカオ、マンゴーを始めとするトロピカルフルーツ、なし、プラム、桃、かんきつ類、キウィ、マカダミアナッツ、アボガド、キャロットシード、オニオンシード、ブロッコリー、綿花など、私たちが口にする食物や商業的に利用する植物の、実に80%が多かれ少なかれミツバチなどの花粉媒介者の手助けを必要としています。

ここ数年世界の大問題になりつつある蜂群崩壊症候群(「CCD」)は、世界の農業生産の根源的な矛盾が暴力的に顕在化することの引き金かも知れません。2006年冬、全米のミツバチのコロニー240万群のうち80万群が崩壊し、30億匹が死んだと推定・報告されています。2007年カナダではオンタリオ州のミツバチの35%、欧州ではフランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、ドイツ、ポーランド、スイス、スウェーデン、ウクライナ、ロシアのミツバチの40%近くが死滅、南米は壊滅状態、タイと中国も大きな被害に見舞われています(同期間に世界の食糧価格は37%上昇しています)。

死んだ蜂を調べると、どの蜂もただ一つの病気ではなく、山のような病気を抱えていました。蜂の免疫系が崩壊し、あたかもエイズのようなものに侵されていたことを示しています。CCDの原因と病原体の正体はなお明らかではありませんが、当事者はその「原因は一つではない」という重大な事実に気が付きはじめています。すなわち、CCDは、大量の農薬散布、毒物遺伝子の組み込まれた食物、商業的な受粉作業、環境汚染など、商業化、工業化、化学化された現代農業の構造そのものが生み出した社会の「生活習慣病」であり、対症療法による治癒は不可能であり、農業のあり方そのものを再考し、社会と生態系の根源的なバランスを取り戻すことでしか解決できないように思われます。

なお、約45年前、アメリカの生物学者レイチェル・カーソン(1907~1964)は、世界的に有名となった1962年の著書『沈黙の春』で、ミツバチにとどまらず、野生のあらゆる受粉昆虫が消滅し、「花粉交配が行われず、果実の実らない秋」が来る可能性を警告していました。

農業生産の持続性に関わる第一の問題は、現代農業が大量の農薬に依存している点です。日本において、1950年には100億円足らずであった農薬生産額は、1990年代には4,000億円を超え、耕作面積あたりの消費量(1K㎡あたり1.27t)は韓国についで世界第2位、イタリアの2倍弱、フランスの3倍強の水準に達しています。例えば、北海道で一般的なじゃがいもの栽培方法では、①種イモの消毒、②雑草を枯らすための除草剤、③殺菌剤(10数回)、④殺虫剤(10数回)、⑤収穫期には機械で収穫しやすくするために枯凋剤がそれぞれ利用されていますし、宮崎県の農作物栽培「慣行基準」に基づく農薬散布回数は、多い作物から順に、ナス74回、トマト62回、ピーマン62回、いちご60回、きゅうり50回(以上、促成栽培)、という水準です。促成栽培とは、ビニールハウスや温室などを利用して温度や日照量を操作することで、出荷時期を早める栽培法です。これに対して、露地栽培・雨除け栽培では、ナス36回、トマト46回、ピーマン32回、きゅうり42回と、半減までは行きませんが減少します。旬をはずした作物が高いだけでなく、栄養価が低いだけでなく、農薬の面からもマイナス点が多いという現状が分かります(河名秀郎著『自然の野菜は腐らない』、2009年2月、朝日出版社、などを参照しています)。

反面、一般的な慣行農業に関わる殆どの人は、農薬なしで作物を育てることが事業的に成り立つとは考えていません。有機農法はまだしも、不施肥、不耕起、不除草を基本とする自然農などは、異端であるだけでなく、危険思想と捉える向きがこの業界の常識といえるでしょう。実際、近年根強い広がりを見せている、自然栽培の実践者の大半は自給農家に過ぎず、つまり産業として殆ど成立しておらず、社会の食糧生産を担うなどという議論は、完全に絵空事として片付けられているのも無理はありません。

第一の問題と不可分な第二の問題は、化学肥料の大量消費による土壌の衰退です。日本は農薬に加えて、肥料の消費量でも世界のトップクラスですが、農薬と肥料の使用量に強い相関があるのは偶然ではありません。現代農業の基本的な考え方において、畑の作物を収穫するということは、その分土壌から栄養分が減るということであり、収穫を続ければ次第に土地が痩せ、いずれは作物が育たなくなります。それを避けるために、肥料という形で畑に栄養素を人為的に戻す必要があります。肥料を投与して作物を栽培すると、始めのうちは収量が激増し、野菜の状態も抜群によくなります。しかし、土壌に栄養が豊富になりすぎるため、植物は根を深く広く伸ばす努力を放棄します。やがて土壌が固くなり、バクテリアなどの土壌生態系が衰退して土壌が痩せ、作物の根伸びが益々悪くなります。生命の根源である、根を張る力を失った植物は、自力で養分を吸収する力を失い、生育が悪く、害虫や病原菌に犯されやすくなり、これに対処するための農薬が大量に必要になるという、悪循環が生じるためです。農薬は、害虫や病原菌を殺しますが、同時に、作物にとって有益な虫や微生物も死んでしまいます。あたかも、畑が無菌室のようになるのですが、このような環境で育つ作物は、病原菌への抵抗力をなくしてしまいます。農薬を繰り返し投与すると、害虫や病原菌は農薬に対する耐性を獲得するために、さらにより強い農薬が必要になる、というサイクルを生んでいますが、この循環は、作物から栄養分が失われ、人体が薬品漬けで健康を害し、環境が後戻りできないところまで破壊尽くされるまで、必然的に継続する性質のものです。

恐らく以上の結果として、野菜のミネラルや栄養素が驚くほど減少しています。例えば、ほうれん草の可食部100gあたりのビタミンC含有量は、1950年に150mgであったものが2000年には35mgと、50年間で5分の1(-77%)になってしまいました。同じく、この50年間で減少した栄養素は、ほうれん草のビタミンA:-71%、鉄分:-85%、にんじんのビタミンA:-63%、ビタミンC:-60%、トマトのビタミンA:-26%、ビタミンC:-25%、大根のビタミンC:-40%、キャベツのビタミンB1:-50%、ビタミンB2:-90%と、かつての野菜とは実質的に別の作物になってしまいました(河名秀郎前掲書)。

第三の問題は、昆虫を寄せ付けない「毒性」遺伝子を混入させた、いわゆる遺伝子組み換え作物の浸透です。例えば、遺伝子組み換えトウモロコシのDNAには、したがって、その全ての細胞には、「バチルス・チューリンゲンシス(Bt)」という土壌細菌が組み込まれています。Btは昆虫にとって毒性があり、ちょうど植物全体を天然の殺虫剤に浸したようなものでしょう。確かにひとつの考え方としては、作物に農薬を噴霧して土壌や地下水を汚染するよりも、「合理的」な方法なのかも知れませんが、反面、我々は、Btが自然界に存在する天然の農薬成分だとはいえ、洗い落とすことができない「有毒」成分が隅々まで混入したトウモロコシを食べることになるのです(前掲ジェイコブセン)。現在、遺伝子組み換え「技術」は、トウモロコシ、ナタネ、大豆、綿などで実用化され、2007年における遺伝子組み換え作物の世界の栽培面積は、日本国土面積の3倍に匹敵する、1億1430万haに達しています。

日本においては未だ「対岸の火事」という扱いですが、米農務省2007年の推計によると、栽培面積ベースで、トウモロコシの73%、大豆の91%が遺伝子組み換え作物であり、日本で消費するトウモロコシの約97%、大豆の75%が米国産である以上、相当量の遺伝子組み換え作物が既に日本で消費されているのは明らかでありながら、その事実や詳細は一般的に知らされていません。現に、醤油や食用油などには表示義務がなく、消費者はどのような原料が使用されているかを知る方法はありませんし、例え表示されていたとしても、法律上、5%までの混入は「不使用」の表示が認められています。また、2006年、9都道府県の大手スーパーで売られている「遺伝子組み換え大豆不使用」とされる豆腐のサンプリング調査では、約41%から遺伝子組み換え大豆が検出されたそうです。

なお、現在、遺伝子組み換え作物は人体に「全く悪影響はない」、とされています。

第四の問題は、今のところ殆ど問題にされていませんが、いずれ大問題となる可能性の高い「種苗」です。かつて農家では、収穫した野菜のうち性質の良いものを選別して種を取り、翌年その種を蒔いていました(「自家採取」といいます。)。自家採取が繰り返されて、地域の環境と土壌に適応した種子は「在来種」または「固定種」と呼ばれ、例えば「京野菜」や「沖縄の島野菜」のような、地域ごとに特色のある野菜を生み出してきました。基本的に、農作物は種と土壌と環境の産物で、種子には、その地域の風土に合わせて淘汰されることで、その土地に適した品種に変わっていく力があります。本来、野菜の味は土によって大きく異なり、その土地ならではの個性的で、独特な味わいが生まれるものです。

現代農業において、恐らく1960年代頃から、殆どの農家では自家採取によって種を取ることをしなくなりました。地産地消を前提とした産地中心の生産から、大消費地に農産物を提供する消費者中心の生産へと農業の機能が変化したためです。流通上の都合から、「(消費者にとって)おいしいか」「たくさん収穫できるか」「病気に罹りにくいか」「いかに効率よく遠くへ運べるか」が、農業生産における重要な要素になりました。発芽のタイミングが揃う品種を開発することで出荷にあわせた収穫が可能になり、トマトの皮を厚くし、きゅうりのとげを丸くすることで、輸送の段階で傷みにくくなり、形が均一であると、箱詰めが効率的になります。こうした消費者と流通主導の要求に応えるために、人工的な掛け合わせによる、「F1種」または「ハイブリッド種」と呼ばれる種が主流になり、現在の農業における大半の種子はF1種となっています。F1種は遺伝的に離れた種同士を掛け合わせることで生じる「雑種強勢」というしくみによって、両者の良い性質を受け継ぐ、強い種子を採取する手法です。例えば、収穫量が多い大根と病気に強い大根を掛け合わせて、収穫量が多く病気に強い大根の種を生産するイメージです。しかしながら、このF1種から育った作物の種を採取して翌年畑に植えると、メンデルの法則に基づいて、逆に両者の悪い性質だけを受け継いだ作物が育ち、とても商品にはなりません。F1種の採取は、資本、開発力、技術力、労働力が必要な大事業で、普通の農家がF1種を作ることは事実上不可能です。このため、市場で競争力のある野菜を作るために、農家は一代限りのF1種子を買い続けなければならなくなりました。同時に、市場原理においては「非効率」な伝統野菜や無農薬野菜の固定種は衰退・消滅し、現在では入手することも困難になってしまいました。

農業から自家採取の固定種が事実上消滅し、大半の農家は種子会社が生産するF1種子に依存している現実は、農業の根幹が種子会社の販売戦略と資本の論理によってコントロールされているということでもあります。仮に、種子会社の事業戦略によって、近い将来遺伝子組み換え作物の種子が中心になった場合、他に種子の生産手段を持たない農家がこれを拒むことは事実上不可能です。これらF1種子の生産に際しては、当然農薬・化学肥料が大量に使用されている可能性が高く、流通過程においてあらかじめ殺虫・殺菌処理がなされているものが大半です。さらに、大半の種は海外で生産されているため、食糧安全保障の観点からも、実質的な食糧自給率を大きく引き下げていることになります。

自然農(後述参照)は、自家採取による固定種を復活させ得る、恐らく唯一の現実的な方法です。この問題に対処するためには、現代の農業産業のあり方そのものを再構築する必要があり、逆に、現在とは質の異なる農業経営を実現することなしには、解決し得ない性質のものです。

*(2) 有機無農薬栽培による農産物が注目され始めています。私は有機無農薬栽培が社会で急速に普及している現状を心から喜んでいる一人でもあるのですが、持続性ある農業生産の観点から、いくつかの問題点が考えられるという事実を直視せざるを得ません。第一に、有機栽培であれば安全だとは限らない点です。有機肥料は牛糞、鶏糞、などの厩肥と植物性の堆肥などを混ぜて作られますが、この原料が汚染されている可能性があります。現在の日本の畜産業で利用されている一般的な飼料には、残留農薬、遺伝子操作作物、成長ホルモン剤などの残留薬物などが混入している可能性が高いと考えられるためです。これらの厩肥が産業廃棄物として処分に困っていたものを、有機農業に利用できないかと考えたという側面もあります。植物性の堆肥も、農作物の収穫後に残る葉や茎(農業残滓)を原料としていることがありますが、これにも残留農薬の心配があります。なお、「有機」という表示があれば無農薬であるとは全く限りません。現在の有機JAS法では、マシン油やボルドー液など29種類の農薬が認められ、「有機・無農薬」として表示されています。第二に、仮に安全な厩肥・堆肥を利用した有機農業であっても、肥料の使い過ぎは毒性を持つという点です。余剰分の肥料は土中に残留し土壌が窒素過多になり、窒素過多の土壌で育った野菜は毒性を持つ硝酸塩を多く含むことがあります。第三は、恐らくこれが最も重要な点だと思います。有機農業にも本当に多くの種類があり、農家の数だけ農業がある、といえるほどですが敢えて一般化すると、「経済生産性を優先した現代の工業的農業を、無農薬・無化学肥料の有機環境で行っている」、と表現すべき有機農業が一般的ではないかと思う点です。この場合、農薬などを多用する一般の「工業的農業」と比べると、圧倒的に安全な作物が生産されるとは言えるのですが、必ずしも循環的ではなく「自然の生態系から切り離された」という農業の枠組みは変わりません。害虫や雑草を敵とし、自然をコントロールする努力を通じて、市場で評価されるタイミングと規格に合致した農産物を生産することが主目的であり、効率を目指した単一栽培、農地の有効利用を目指した連作、ハウス栽培などによる市場対応、などの価値観は「工業的農業」とそれ程大きな差はありません。これは主観的なものですが、自然の生態系が生み出す土壌で栽培されるものではないため、安全でおいしいながらも、やはりハッとするほどの味の濃さに出会うことはないのです。

*(3) 「自然農」は他のどの農法よりも豊かな土壌で農業を営むため、「最高品質」の農産物を生産することが可能で、有機無農薬栽培の野菜などと比較してもその違いがはっきり分かります。「自然農」の基本的な手法は無農薬、無化学肥料であることはもちろん、害虫や雑草を敵とせず、最小限の除草、不耕起(ふこうき)、不施肥を基本とした少量多品目栽培を特徴とするため、農地は一見「草ぼうぼう」状態です。より重要なのはその価値観で、農業であると同時に「哲学」あるいは「生き方」と表現した方が適当かもしれません。農業が有史以来試みてきた、いかに自然をコントロールし効率的に生産するか、という考え方とは対極の発想により、自然の営みに寄り添い、害虫や雑草を敵とせず、自然がもともと有するありのままの力を肯定して生態系からの果実を収穫するものです。

自然農は、一般的な農業の価値観からは「非常識」と評価されがちですが、実際には科学的な根拠と合理性があります。自然農の農家は、自然をコントロールすることを止め、自然の営みを注意深く観察しサポートする役割を担うことになります。豊かな生態系と強い地力を持つ土壌で作物が育つため、高品質で健康的な農産物を生産し、環境に対して持続可能で、そして何よりも生産者と消費者にとって完全に安全であるため、最近では高学歴の知識層や元ビジネスマンなど、若手の新規知的就農者や、化学化・工業化した現代農業の合理性に疑問を持つ農家などの間で広まりつつあります。自然農で栽培された野菜や穀物は、完全有機無農薬であることはもちろん、「おいしい」以上に「迫力がある」という表現が適当です。甘いものは甘く、からいものはからく、同じ品種の野菜でも一つ一つが個性的でエネルギーに溢れ、ブランド品種が最もおいしいとされている常識を覆す迫力です。

これだけ高品質の作物を生産する手法でありながら、自然農の農産物が全くと言っていいほど流通していないのは、収量と労働効率の水準が生産・販売事業として成り立たないためです。不耕起栽培であるために、農地に機械を入れることが出来ず、基本的に作業の大半が手仕事となり、一般的な成人一人が3反から5反を耕作することが限度です。この程度の耕作面積では、家族の自給分+αの生産量に留まるため、現在自然農を実践する農家の大半が自給農家となっている現実があります。

このジレンマは、例えば、200名を越えるリゾートホテル従業員が必要に応じて農作業を手伝うなど、第一次産業と第三次産業の業態を組み合わせることで嘘のように解消するのですが、このようなプランが次世代農業のプロトタイプとして実現すれば、農業問題の解決に端緒をつけると同時に、日本と言わず恐らく世界的にも、商業的に殆ど入手不可能な最高品質の農作物が食材として必要なだけ供給されるリゾートが誕生し、世界最高の顧客層に対して新しい農業のあり方を広める絶好の「ショールーム」として機能することになります。

上記のように、農業生産における労働力のジレンマの解消方法は至ってシンプルですが、この「農作業助け合い」のシステムは、成果主義人事考課を採用する企業組織と組み合わせて機能させることは事実上不可能です。リゾートホテルなどの第三次産業従業員が農作業を頻繁かつストレスなく手伝うことができるための組織は、成果主義、部門主義、責任主義、収益主義の一切を放棄した人事方式を採用していることが実質的な要件となるかも知れません。

*(4) 最後に残る重大な問いは、第一に、熾烈な資本主義社会の競争に晒されている第三次産業が、自然農に対して余剰労働力を提供するだけの事業的付加価値と労働生産性を生みだすことは現実に可能か、という点です。例えば、一日6時間労働、週休二日制、一般的なホテル業の2倍の給与(といっても、沖縄を基準にすると500万円程度です)、という水準がこれを可能にする労働生産性の私のイメージですが、このため には労働生産性を一般的なホテルのおよそ2倍+α にする必要があります。・・・「常識的」には一笑に付されて議論にさえならない、と言ったところでしょうか。結論だけ申し上げると、私は十分に、というよりも容易に実現可能と考えているのですが、実際これほどの生産性はどのようにして実現可能か、という議論は本稿のテーマを超え、本ウェブサイトに関わるほぼすべての議論(未発表の稿を含みます)が正に該当することになります。残る問いの第二は、以上のような飛躍的な生産性が仮に実現したとして、そこから生まれる莫大な営業利益から多額の労働分配を行うということは、株主との大きな利益相反をほぼ確実に生じるため、資本主義社会のフレームワークにおいてそもそもそんなことが可能か、という点です。嘘のように聞こえるのは承知ですが、この問題の解決もそれほど困難ではありません。重要な点は、次世代社会への移行過程において、農業の変容が既存金融の根源的な枠組みに大きな影響を与える可能性があるということでしょう。同じく、この議論の詳細は本稿の範囲を超えており、「次世代金融論」の今後の議論にてその「解」をまとめる予定です(シリーズ原稿の完成までにはまだ暫くかかりそうです)。

ところで、現実には、近い将来慣行農業の機能不全が顕在化し、自然な農業の産業化が重大な社会的課題になるに従って、第三次産業のあり方そのものが上記のような「融合モデル」に適応せざるを得ない、という社会変容が同時並行的に生じるような気がします。その際、いち早くこの「融合モデル」によって採算を上げている事業体、その事業概念、地域経済が、次世代社会をリードすることになることになるでしょう。・・・農業問題の本質とは、現代社会と経営のあり方の根源を問う問題であるのです。以上を実現するプロトタイプの具体事例として、①自然農に最も適した、太陽光が豊富な南西(沖縄)地区において、②最も単価の高い「出口」を有するハイエ ンド・リゾートと自然農を経営的に組合せ、③同じく、豊富な労働力を有するリゾートの従業員が必要に応じていつでも援農を行う事業形態を有し、④人間関係 中心の、新しい労働観・事業観によって経営される事業が有効な一歩となるでしょう。詳細は、『トリニティリゾート事業計画』を参照下さい。別途、高単価「出口」の可能性としては、那覇空港ビルディングなどの施設も有力です。

こんにちは。
空梅雨?!と思いきや、ここのところ、どしゃどしゃと雨が降ってくれて
ほっとする毎日ですね。

さて。
明後日は父の日ですね。

いきなり重い話題で恐縮なのですが、一昨年に父が脳梗塞で入院しました。
その知らせを母からもらった後、父に対するいろいろな想いが胸を去来しました。

私の父はとても変わった人で、私が子供の頃、大切にしていた物を失くして
ガックリしていると、
「物を失くしても、落ち込んだり、心配しないように。必ず地球の上にあるからね。」
なんて言う人なんです。
また、会社から帰ると詩や小説を書いたりの夢見るロマンチスト。
で、優しい人かというと、
私に素潜りを教えるといって、いきなり日本海の深い海にボートから突き落とす。
スキーを教えるといって、いきなり山の急斜面から突き落とす。
テニスを教えるといって、ボールをバシバシ叩きつけてくる。
まさにスパルタの極み。
躾よろしく小学生の時まではバシバシ叩かれもしました。
父は昭和8年生まれの75歳。会社も5年前に引退し、ゴルフ、スキンダイビング、
卓球、映画鑑賞、カラオケ、読書、文筆活動など趣味三昧の毎日を送っています。
以前、父の湯たんぽのエピソードとともに御紹介させていただきましたが、
3年前に、私が沖縄に住んでから200通目の父からもらった手紙がこんな感じでした。

典子さま
父の日のプレゼントありがとう。とても美しいブルーのウェアですね。
この夏は、このブルーの海に潜ります。ただ、私ももう70代、あちらこちらに
微妙な狂いが出てきております。“コトン”と死にたいですが、そう巧くは
いかないかもしれません。いずれにしても日々好きな事をして
幸せに生きておりますからご安心ください。毎日を神さまの御心のままに
生かされているのです。いつお召しがあろうにも悔いはありません。
典子も決して悲しんだり泣いたりしないように。
生けるものには必ず別れはあるものですから。
日頃からその心構えはしておきましょう。
典子の手紙に、“一緒にも住めず、結婚もできず、孫も見せてあげられない娘で
ごめんなさい。私にできる親孝行は何なのでしょうか…”とありましたが、
親孝行しようなんて考えなくてもいいのです。ちゃんと育ってくれて
十分信用しているから。私はね、素晴らしい妻に巡り逢え、恵まれただけで本当に
幸せです。私達には欲なんて全然ありません。絶対親孝行しなければ!なんて
気負って生きなくていいんだよ。自然体で思う通りに生きなさい。
子供は親を踏み台にして生きてゆくのです。それが進化というもの。
親の方だって、本当はそのことがよくわかっているのです。
自分だって、子供であった時があるのだから。
その代わり、確実に幸福になること。
それだけが、典子にできる私達への恩返しでしょう。
では又…生あるかぎりお便りします。
父より

その父が、脳梗塞、で入院したというのです。

実は、父との思い出は、そのほとんどが、厳しくされた、叩かれた、
叱られた、というものでしかなく、いつも思い出すのは、一緒にスキーに
行った時のこと。
「一緒にスキー」なんていうとステキな思い出であるかのようですが、私にとって、
父とのスキーは「苦行」そのものでした。
大阪の街で生まれ育った幼い私が、スキー「1級」の父に連れられ、
雪深い豪雪地帯の山村のスキー場へ。
小さい身体には、道具があまりに重たく、寒さにガタガタ震え、吹雪に打たれた
頬はヒリヒリ。突風でリフトから振り落とされそうになったり、転倒したまま
ゲレンデの下まで落下したこともあります。
それなのに…。
映画やテレビなどで雪の森の風景を思い出すと、なつかしさと切なさで
胸がきゅんと痛くなるのです。
それはいったいなぜ? 雪の世界のいったい何が、私の心をつかむんだろう?

あなたはスキーをなさったことがおありでしょうか?
今は夏ですが、私も久々に、両足にスキー板をつけて、雪の森の中へと
滑りこんでいった瞬間を思い出してみました。
さあっと視野が開けてきます。
滑りはじめれば、まるで空を行く鳥の気分。
2本足歩行の束縛から解き放たれ、翼が生えたかのように、大胆に自由に、
森の中を進んでいくと、ふと、人であることの不自由さを忘れ、山や木々や雪と
一緒に幸福に溶け合ったような気分に包まれます。
煙のように、宙を舞う粉雪。
凍てついた木の幹。厳冬に耐えながらたたずむ、孤独な樹木を見ると、
その命を心から讃えたくなったものです。「おまえもしっかり生きろ」と、
木の内部から温かい声が響いてくるような気がしました。
新雪の上にウサギやタヌキの足跡も発見。とこ、とこ、とこ、とこと、
木々の間を縫って、どこまでも続く小さな痕跡。
頭上では、鳥の声が響きわたります。
厳寒の銀世界の中にも、いろいろな命がしっかりと呼吸しているんだ。
そのとき、自分自身も雪世界の一員となって溶けこんでしまったような、
そんな不思議な一体感に包まれたものです。

少々手荒ではありましたが、そんな学びを与えてくれてもいたんだなぁ、
父は。
今はそう思えるようになりました。

父が倒れるほんの数日前に手紙が届きました。

典子さま
お手紙ありがとう。麗王は13年になるんだね。2足の草鞋を履き続けてきた
典子のがんばりと強運に敬意を表します。
私と典子との思い出は、貴女が生まれてから、沖縄に行くまで、20数年間も
ありましたのに、それほど多く思い出されません。それはお互いの間が
空気のように違和感がなかったからというようなものかもしれません。
それと貴女が私の手におえないような問題を持っていなかったということ
なのかもしれません。
唯一の思い出は、貴女が2・3歳の頃、母さんが朝、私よりも先に仕事に行き、
寝ていた貴女を置いて行った時のことです。
目覚めた貴女が、なぜか急に泣き出してやみませんでした。
その時私はどうしてよいかわからず、今思えば何故だったのか、
貴女が泣き止むまで叩いた事を何十年たった今でも忘れません。
何の善悪も判らない無力なあなたを叩いた事が、後悔と自責の念で、
今でも私の心に突き刺さって、心の傷となって残っています。
これはおそらく私がお墓の中まで持って行く事なのでしょう。
母さんとお見合いをして、恋愛して、結婚して、50年になりました。
少々のぶつかりはありましたが、母さんが7割、私が3割、我慢して
生きてきたのだと思います。
母さんがお料理が上手だったこと。私に対して怒ったことがないほど
優しかったこと。そのことが最大の幸せでした。
だからいつも書いていることですが、お別れの日が来ても
決して涙などこぼさないようにしてください。
笑って見送ってほしいと思います。
くだらないことをぐだぐだと書いてお許しください。
父より

前回までのような陽気な手紙とは違って、病気を予感してか、気弱になった父を
感じました。
2・3歳の時に叩かれた当の私が忘れてしまっていることでも、父の心には
責めとなって今も残っているんだなぁと不思議な気持ちがしました。

親子の関係とはなんなのでしょう。
なぜ親子として生まれてきたのでしょう。

それは、父の言葉を借りれば、魂の進化成長のためなのかもしれません。
よりいっそう愛に近づくために自分を磨いて、いらないものは落とし、
より優しくなっていくためなのではないでしょうか。

必要があって、深い意味があって、私達はその環境、その家族を選んで
生まれています。自分が学ばなければならない命題が学べる場所、
あたたかい愛に向かって成長できる場所に、私達は生まれているのです。

だから、幸せであっても不幸せであっても……私達は学び成長しなければ
なりません。

例えば親子仲が悪いと思うのなら、それを不幸と思わずに、人との調和を
学ぶために生まれてきたのだと大事に受け入れてみる。そこをクリアできれば、
どこへ行っても、スッと人とハーモニーを創れる、優しい人間関係に
恵まれることでしょう。

明後日の父の日は、今までお父さんと距離をおいていたなと感じたなら、
ぜひ話す機会を持ってみてくださいね。
親にはいつまでも長生きしてほしい。いつまでも元気でいてほしい。
誰もがそう願っているはずです。
私も父が元気に退院することができて本当にうれしいです。
優しさ、強さ、温もり、情熱、笑顔、やすらぎ……。
たくさんの愛をありがとう!とあなたも感謝を伝えてあげてくださいね。
もう一歩だけ照れる気持ちを乗り越えて。

そして、いっぱいいっぱいお話してください。
あなたのお父さんへの想い―。

【2009.6.19 末金典子】

6月13日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第2期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(6月~8月)
講座: 第二・第四土曜日、午後7時より2時間程度(全6回講座) 第一回目は6月13日(土)午後7時~
場所: 那覇市『厚生会館』多目的ホール(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎
定員: 50名
受講料: 3万円(消費税込、全6回講座分、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など一切不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス
③ご所属と簡単な担当業務・役職
④ご希望など(もしあれば)

講座内容: 資本主義社会の変容に伴い、金融・経営・事業の役割と機能が変化し始めています。
我々が迎えつつある次世代社会において、機能する金融とは、経営とは、事業とは、社会とは、を問い、
より良い事業や社会を構築するための、具体的かつ効果的な処方を模索します。
(ご参考:内閣府・沖縄県主催、「金融人財育成講座」受講者の声はこちらを参照下さい。)

受講者の皆様へのメッセージ:


樋口耕太郎

盛岡(岩手県)出身の私が、沖縄にとても深い縁が生まれてからそろそろ5年。沖縄は間違いなく、日本でも最も県民意識の高い地域のひとつで、食事をしても、お酒を飲んでも、人が集まると必ず沖縄についての話になると言っていいくらいです。青い空、青い海、ゆったりした県民性。日本語が通じる「外国」。日本で最も守られた市場。米軍基地の街。政治的に利用され続けた地域。補助金が降り注ぐ経済。模合という巨大金融文化・・・。さまざまな方がさまざまな価値観と表現で「沖縄」を語ります。聞く度に、どの観点も興味深く、それらは確かにそれぞれ重要な要素なのですが、私には、やはりステレオタイプの域を超えず、「沖縄の本質」、と云うべきものとは何か違っているような気がしていました。

このことがずっと頭にひっかかりながらの5年間、「沖縄らしさ」とはなにか、ということを私なりに考え続けてきましたが、つい最近、沖縄社会の真髄は、「人を変えようとしないこと」、ではないかと思い至っています。「社会はかくあるべし」、という規範が人を縛るのではなく、「自分は自分」、という人々の集合体として社会が構成されているような、そして各人の生き方がどのようなものであれ、人の生き方には関知しない、・・・結果として、他人をあるがままに受け入れる(放っておく?)土壌が、社会の本質を構成しているのではないか、と思うのです。コンビニの店員が、スローモーションのようにレジを打っていても、観光客が傍若無人に振舞っても、米兵が夜中に騒いでも、特段注意するでもなく、あるいは、不義理な人が模合を崩そうと、場合によっては詐欺行為を働こうと、そんな人たちでもなんとなく居場所があるような社会は、まさに「真髄」といったところ。

また、沖縄社会は、社会的な地位や肩書きに捉われず、人間性をずばりと見抜く鋭い感性を持つ人が多いことが重大な特徴のひとつです。人を変えようとしない代わりに、自分を変えようとする人には敏感で、その「危険」を感じると、一言も発せずにいつの間にか遠ざかって寄り付こうともしません。

翻って、本土経済、世界経済、資本主義は、人を変え、組織を変え、市場を変えることで成長を遂げてきました。経営者は自分以外の全てを変えることが自分の仕事だと固く信じ、競争に遅れそうな人を叱咤し、指導し、時には誠意と優しさをもって、人の人生に最大限干渉し、影響力を行使します。この社会で成功者といわれ、目覚しい成果を挙げてきた人は、ほぼ例外なく、多くの人や物事をコントロールすることで「生産性」を上げてきた人物です。

本土復帰以来35年、星の数ほどの本土系企業、あるいは外資系企業が、沖縄に進出してはことごとく失敗し、実質的な意味において、沖縄で成功したと言える企業がいまだに存在しない最大の理由はここにあるのではないかと思います。一般に、沖縄は本土の価値観、すなわち、資本主義の世界観に基づく、コントロール主体の事業経営や、スタイル重視のマーケティングが全くといっていいほど機能しない社会であり、例えば、そば一杯が売れる理由が本土とは本質的に異なるのです。

この事実を素直に解釈すると、沖縄には、資本主義とは異なる、横の人間関係を中心とした「第二の経済」が存在し、その原理を理解するインサイダーと、その原理に気が付かないアウトサイダーが入り乱れて市場が構成されているように見えます。必然的にアウトサイダーには継続性がなく、いずれ撤退を余儀なくされ、結果として日本で最も守られた市場が形成されています。沖縄は、日本最大の、そして恐らく世界最大の「第二の経済」圏である、と云えるのです。

現在、時代が大きな変換期を迎え、社会の構造や価値観が根底から変容し、本土的、資本主義的な経済構造が機能不全を起こしはじめています。今までの常識、価値観、序列、経営理論、事業モデルが破綻し、どのように事業、経営、戦略、人事を考えれば良いのか、についての新たな、そして合理的な実践行動モデルが必要とされはじめていますが、その鍵は、沖縄が最も得意とする、「第二の経済」が握っているという可能性はないでしょうか。

私が試みた当時、本土からは「正気の沙汰ではない」と云われた、サンマリーナホテルの、「人間関係をなによりも優先する愛の経営」が、実践において極めて高い経営合理性を持つのと同様、資本主義的な価値観からは「非効率」で「遅れている」と考えられていた沖縄の社会や人間関係が、今後の全く新しい社会の構造において、もっとも合理的に機能することが、次第に、やがて激流のように明らかになるでしょう。

この変容の中で、「周回遅れでトップを走る」、沖縄型社会・経済ビジョンを模索し、広く共有するため、そして、現在非常に高い評価を頂いている「次世代金融講座」を、定期的に続けて欲しい、という多くのみなさんの気持ちをつなぐため、6月13日(土)より 第二期 『次世代金融講座』 を開催いたします。この試みは、単なる講座ではなく、沖縄を中心とした、幅広い異業種間の、意識の高い次世代のリーダーを、利害によってではなく社会への高い意識と共感によって繋ぎ、グローバルな目線と先端経済の動きを敏感に捉え、まじめな経済模合風に運営する人的ネットワークとしても運営しようと考えています。

講座名称は、「金融」と銘打っていますが、これは、次世代社会において、事業と金融が不可分に変容するという想定に基づいているもので、要項にもありますとおり、受講に際して、業種・職種・タイトルなどをまったく問いません。是非ご参加頂ければと思います。

在沖米国商工会議所の6月月例会(6月5日金曜日)にて、以下の概要で講演を行います。

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Kotaro Higuchi will be the presenter at the American Chamber of Commerce in Okinawa’s monthly General Membership Meeting for June.  Attached is the Japanese version of presentation summary for Japanese audiences.

売上目標がない! 研修制度は全廃! 流行のクレドもない! 顧客満足度も目指さない! 上司の唯一の仕事は「部下の役に立つこと」。社長は1ヶ月間他の仕事をせずに、250人の全従業員と一人30分の面接。また時には、厨房で丸一日仕込みの丁稚奉公(下の写真参照)。人間関係が何よりも(仕事よりも!)優先され、成果主義・収益主義・能力主義の一切が組織から消えた。役員を含む全ての従業員の給与・昇給・昇格・役職を決めるのは、「人間的な成長」、「どれだけ人の役に立ったか」の二項目だけ。夫婦喧嘩が遅刻の理由として認められ、「自分の好きなことだけをしてください」と全従業員に明言する企業が、数年前、沖縄に存在していたことをご存知でしたか?

沖縄県恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し経営を引き継いだ樋口は、ウォール街仕込みの熱血管理経営を始めるが、沖縄の従業員にしてみれば、オーナーが代わるたびに本土からやってくる、毎度の「ナイチャー経営者」。やがて、組織から完全に浮き上がった「ばか殿」社長が、それまでの経営方針と自分の生き方を完全に覆し、資本主義の常識と正反対の経営を試みる。「企業は人間関係」と定義し、人間関係を最優先する方策を次々と実行。人への思いやりを、事業の手段ではなく、目的にするために、東京本社には内緒で、利益目標、売上進捗管理、人事の成果主義・能力主義を完全に廃し、「いま、愛なら何をするだろうか?」を企業理念かつ事業唯一の目的に。

その直後から、顧客満足度が爆発的に上昇し、旅行代理店からは、「最近のサンマリーナはいったい何をしたんですか?」と問い合わせが続き、熱狂した地元のオジーは誰に頼まれもせず、手塩にかけて育てた花木をホテルに持ち込む。10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナが、僅か1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超優良会社へといかに変容したか。そして、「成功しすぎた」サンマリーナが、取得から僅か2年で倍の価格で外資に転売され、それに抵抗した樋口が解任されるまでのお話。

【2009.6.3 樋口耕太郎】


サンマリーナ洋食厨房で一日丁稚奉公
社員が面白がって写真を撮ってくれました

100年ほど前に、イギリスの思想家ジョン・ラスキンがこんな話を書いています。ある男が全財産の金貨を大きな袋につめて船に乗り込んだ。数日後、船は激しい嵐に襲われ、乗客は船を棄てて逃げろと警告された。男は金貨の袋を腰にくくりつけると、甲板に上がって海に飛び込んだが、たちまち海の底に沈んでしまった。そこでラスキンはこう問いかけます。「さて、海に沈んでいったとき、男は金を所有していたのだろうか、それとも金が男を所有していたのだろうか?」*(1)

資本主義の第四の幻想であり、恐らく資本主義社会の最大の問題が、富の蓄積が社会を豊かにするという「常識」です。本稿『次世代金融論』において、現代の資本主義社会の本質は何かというテーマで議論を続けていますが、これまでの議論から既に明らかなことは、現代の資本主義社会における最も根源的な価値観は、「お金があれば幸せになる」というものであり、この信念がわれわれの制度、経済、政治、教育、医療、福祉、家庭、人間関係のことごとくに投影され、現代社会が今のような姿になっているということでしょう。「お金があれば幸せ」 ・・・すなわち、「富の蓄積が社会を豊かにする」、ということですが・・・ という世界観が資本主義の本質であるならば、資本主義社会は、「お金が富である」、「富があれば幸せである」、という二つの大きな前提の上に成立していることになります。この両者が、資本主義の第四にして最大の幻想を構成している、というのが本稿の趣旨です。

お金という「富」
資本主義社会に生きる人の大半は、いかにしてお金を獲得しようか、そして、そのお金をいかに増やそうか、ということに人生の大半を費やしています。莫大なエネルギーを傾け、大きな犠牲をいとわず、人生を賭して少しでも多くを蓄積しようとしているお金とは、そもそもどのようなものなのでしょうか。お金には、本当にわれわれが考えているような価値が存在するのでしょうか。

お金*(2) は、かくもパワフルな存在であり、現代社会で暮らしている殆どの人々は、お金自体に大きな価値があると考えている訳ですが、お金は本来、価値の交換、維持、利殖(利子)機能を果たす「道具」に過ぎません。社会の構成員がその機能を信じることで、(多分辛うじて)成立してる恣意的な紙片またはデジタル情報であり、お金が表彰する「価値」とは全く別のものである筈です。ある人が商品の代わりにお金を受け取るのは、社会の(殆ど)全ての人がそのお金をお金として受け入れるという「予測」によるもので、その人が後で別の商品を手に入れたいときには、商品の売主がこのお金を受け取ると「思う」ためです。お金とは、価値があるから価値を持つのではなく、価値があると皆が思うために価値を持つという不思議な存在であり、「価値があると皆が思う」という、皆の「気持ち」がその実体です。このように書くと、17世紀前半オランダのチューリップ・バブル*(3) や、最近のサブプライム危機、あるいは椅子取りゲームやババ抜きのようにも聞こえるのですが、もともと価値のないものを価値の交換、維持、利殖手段にしているお金の根源的な構造は、その本質においてババ抜きと同じものです。実際、このお金というゲームには(ハイパー)インフレーションというババが存在し、社会の構成員は皆 ・・・もちろんそれが可能であれば、ですが・・・ このババをつかまないようにお金を次の人に先送りし続けなければ、いずれどこかの時点で自分の保有する「価値」を大きく毀損してしまうことになります。

資本主義がお金の蓄積を最大の目的としており、お金の実体が人の「気持ち」であるならば、お金に対する人々の「気持ち」が揺らぐことが、資本主義の最大の危機であり、それがインフレーションの本質かも知れません。私は、経済政策においてインフレーションが重大問題とされていることの理由が良く理解できずにずいぶん長い間悩んでいたのですが、ごく最近このような解釈に辿り着いて、ようやく納得できた気分です。この点については、東京大学の岩井克人先生が興味深いコメントをなされています:

一般的に、「恐慌」が資本主義の危機として捉えられていますが、実はそうではありません。「恐慌」とは、商品の売り手がいるのに買い手がいない状態で、市場にはモノをお金に換えたい人が多数存在し、お金への信頼は揺らぐどころか却って強固になります。資本主義にとっての本当の危機とはハイパーインフレーションです。ハイパーインフレーションは、買い手がいるのに誰もモノを売らない状態で、市場にはモノを欲しい人が多数存在するのに、誰もお金を受け取ってくれません。お金への信頼が失われ、お金を仲立ちとした商品経済が崩壊し、お金がお金としてして機能しなくなる、本当の資本主義の危機なのです*(4)

暴落する通貨
ハイパーインフレーションというと特別なことのようですが、それに近い現象は既に、しかもわれわれが一般に認識しているよりも頻繁に、そして現在も、生じています。例えば、昨年夏以降の原油価格の暴騰(と暴落)に伴って、日本でもガソリン小売価格が一時期180円/㍑前後まで上昇したのは記憶に新しいところです。この現象は一般に、「原油価格の暴騰」と認識されていますが、これは決済通貨であるドル(および、それにおおよそ連動する主要通貨)建ての原油価格が上昇したためです。しかし、例えば金の価格を基準にすると、原油価格は殆ど変化していないため、原油価格の暴騰というよりもドルの暴落(≒インフレーション)と捉えることもできるのです*(5)

より大きなスケールでは、金に対するドルの価値は100年前に比べて50分の1に下落しており、当時の1ドルは現在2セントの価値しかありません。もちろん、この価格には、100年の間に採掘された金が新たな供給に加わり、工業用その他の需要が増加したという、金自体の需給の変化による価値変動が含まれているとは思いますが、大掴みに捉えると、金の価格がドル建てで長期的に上昇し、その裏返しとしてドルの価値が暴落しているという事実に変わりはありません。このような事実が一般に認識されていないのは、1944年に成立したブレトン-ウッズ体制によってドルが世界の基軸通貨になって以来、60年以上、世界中の国際取引の決済がドル建てで行われているたためで、殆どの商品がドルで計測される世界においては、ドル自体の下落は自覚されにくい、ということだと思います。この「ドル暴落」の大半は、1971年8月15日のニクソンショック以降に生じたものですが、この日を境にドルが「金と同等の価値」から「紙片」へと変質したことに呼応した結果と考えることもできます。昨日まで金であったものが紙片になれば、その価値が50分の1に暴落したとしてもまだ少ないくらいです。その後1973年の第一次オイルショックでは、原油を中心とした世界中の天然資源が暴騰して世界的な大不況を引き起こす訳ですが、これも見方を変えれば、ニクソンショックによって「紙片」になったドルの暴落に伴って、本来価値のあるモノ(資源)が暴騰したように見えた、・・・オイルショックというよりも、ドルショックと呼ぶべき現象、と考える方が妥当に思えてきます。

日本の視点では、円の価値をドルとの相対観で捉えることがあまりに一般的です。1971年以前の1ドル360円から、1973年の変動相場制への移行を経て現在まで、円はドルに対して4倍(ドルは円に対して4分の1)になっているために、殆どの人は、高度成長期以降、長期的な円高が続いてきたと考えていますが、アメリカ経済に大きく依存してきた日本の円もまた、大きな流れではドルと連動しながら、(ドルよりも程度は少ないとは言え)下落し続けてきたという見方が可能であり、実際、円建て1グラムあたりの金価格は1970年の690円から、最近では3,000円まで上昇、すなわち円の長期に亘る下落を示しています*(6)

なぜ通貨は暴落するか
前述の通り、ドルは過去100年で50分の1に下落していますが、私は、この暴落は不兌換通貨(Fiat Money:フィアット・マネー)の構造的な問題ではないかと疑っています。米連邦準備銀行(「FRB」)が設立された1913年が、ドルの長期的な暴落のおおよその基点になっているのも偶然ではないと思いますし、ニクソンショックによってフィアット(不兌換)化した直後から、ドルが「大暴落」しているのも象徴的な現象といえそうです。

現在のお金である不兌換紙幣は、物理的には紙幣を印刷することで「無」から生じますが、社会・経済的なメカニズムの観点からは、誰かがお金を借りた瞬間に、信用創造がなされ、お金が市場に流通します。社会における最大の債務者は通常国家であるため、政府が国債を発行することで、大半のお金が生み出されることになります*(7)。ところで、近代の資本主義/民主主義国家においては、政治的に、できるだけ税金を少なく、できるだけ支出を多く、という強いバイアスが存在します。仮にそれが長期的には好ましくないことだとしても、選挙で勝つためには有効な手法だと考えられているからです。現在世界の「先進」諸国の債務が増加傾向にあり、財政赤字と国家の過剰債務の問題が多くの国で生じているのは、基本的にこのような単純な理由によるものではないかと思います。この過剰債務現象の裏側では、大量の信用創造が行われ、大量のお金が市場に放出されることになります。「公開市場操作」、「マネーサプライの増加」、などというと、なにやら科学的なことのようですが、要は、FRBが新たに紙幣を印刷して国債を買う(国の債務を肩代わりする)行為であり、供給量を増やして市場に流通している貨幣の価値を薄める行為、といったら語弊があるのでしょうか。

過剰債務のバイアスに持続性はありませんので、政府はいずれどこかの時点でこれらの債務を返済する必要が生じます。通常国家が債務の「清算」を行う方法は、①増税、②紙幣の印刷、③国有資産の売却(電電公社の民営化とNTT株式上場、専売公社民営化と日本たばこ株式上場、国有地売却など)、④債務の否認(1917年ロシア革命において、帝政ロシア時代の債務1,100億ドルをソヴィエト政府が否認した事例など)、⑤戦争などによる略奪、の5種類です。そのうち、①増税は政治的に最も不人気で、経済が成長しているときですら困難であり、実質的に機能することはないと思って差し支えないでしょう。そして、②紙幣の印刷について、論旨が循環するようですが、前述および注記*(7)の通り、お金は誰かの債務であり、お金が(「無」から)生まれるためには、誰かが債務(主として国家の債務)を増やさなければなりません。紙幣の印刷はすなわち、債務による債務の借り換えであり、継続的に債務残高を増加させ、市場に過剰流動性を生じ、実体経済を超えてマネー経済を膨張させ、自国通貨を下落させ、いずれどこかの時点でインフレーション、場合によってはハイパーインフレーションをもたらす可能性があります。そして通貨価値の下落を伴うインフレーションは、結果として、①経済活動の隅々に増税を行う行為、と同様の効果を持ちます。

・・・最近どこかで聞いた話に似ていないでしょうか?資本主義下の政治は、不兌換通貨の発行によって、政府の負債を膨張し、マネーサプライを増加させ、インフレ(すなわち通貨の暴落)を起こしやすい構造をもともと有しており、不兌換通貨の継続的な下落は、資本主義の構造そのものと云えるのではないでしょうか。

【2009.6.3 樋口耕太郎】

*(1) ピーター・バーンスタイン著『ゴールド:金と人間の文明史』、鈴木主税訳、2001年8月、日本経済新聞社のプロローグからの孫引きです。原典はイギリスの思想家ジョン・ラスキンによる100年以上前のエッセイによります。Ruskin, John, 1862. “Unto This Last”: Four Essays on the First Principles of Political Economy. London: Smith, Elder & Co.

*(2) 本稿の議論の重要な前提ですが、本稿で「お金」というときは、現代のお金、すなわち利息が一般に認められた社会における、中央銀行によって管理された、別の言葉では、中央銀行が無尽蔵に印刷可能な、変動為替相場制度下の不兌換紙幣を示します。お金と一口にいってもその時代、社会・経済的な背景、お金自体の構造によってその本質は大きく異なるため、お金の本質を議論する際の前提としてこのように定義する必要があります。例えば、(通貨を発行する)国家の概念はせいぜい2~300年。社会的にお金に利息を付す事が積極的に認知されるようになったのは1~200年(産業革命は農業革命に次ぐ人類の大革命とされていますが、私には、社会において金利が事業として認められたことが、資本主義の本質ではないかと思えます。『次世代金融論《その14》』 『次世代金融論《その15》』参照下さい。)。現在の形の中央銀行が登場するのは日本銀行が1882年、FRBが1913年のこと。ドルの金兌換が停止されたのは1971年8月15日のニクソンショック、円ドルの変動相場制が始まったのは1973年2月からに過ぎず、超・資本主義社会下における現在の、不兌換紙幣、変動相場制という「実験」は、正に人類史上初の試みであり、その期間も僅か40年間継続しているに過ぎません。

*(3) 有名なオランダのチューリップ・バブルについての記述は、150年間世界的な超ロング+ベストセラー、チャールズ・マッケイ著『狂気とバブル』、2004年6月、パンローリング社(1852年版の日本語訳です)、ジョン・ケネス・ガルブレイス著『新版・バブルの物語』、鈴木哲太郎訳、2008年12月、ダイヤモンド社、など。

*(4) 岩井克人著『貨幣論』、1993年、筑摩書房、および、2009年5月24日号日経ヴェリタスの記事によります(文脈は筆者がアレンジしました)。『貨幣論』が著されたのが1993年だということが驚きですが、このことからも金融・経済の本質についての岩井先生の洞察力の鋭さが分かります。

*(5) 米地質学研究所(American Geological Institute:「AGI」)のレポートを参照しています。AGIは1948年に設立され、およそ12万人を超える地質学者、地球物理学者が直接間接に参加する歴史のある団体です。また、超長期の金価格の推移(グラフ)は、オーストラリアの老舗投資顧問、AMPキャピタル・インベスターズのレポートなどで参照できます。

なお、世界の原油(特に中東産)はドルによって決済されるものが大半です(した)ので、どの国も原油が欲しければまず自国通貨をドルに換えなければならないという事情があります。このことがドルの通貨価値を相当かさ上げしていることは間違いありません。例えば、2003年3月、アメリカを主体とした有志連合がイラクに侵攻して勃発したイラク戦争は、サダム・フセインが大量破壊兵器を開発していたため、イラクがテロリストを支援していたため、あるいは、アメリカにとって原油資源の安定確保のため、などといわれることが多いのですが、私は、アメリカにとってのイラク戦争の最大の目的は「ドル防衛」ではなかったかと思っています。2000年11月より、フセインはイラク産原油の決済をドル建てからユーロ建てに変更しました。フセインの行為は、彼がどれほど意識していたかどうかは別にして、中東が産出する大量の原油がドルを支え、ひいてはアメリカ経済を支えるという、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の基本構造を切り崩す、すなわち、アメリカの琴線に直接触れる行為です。

原油のドル決済は、アメリカにとっては、「ドルを印刷するだけで、原油を無尽蔵に手に入れる」ことができる、物凄いしくみです。更に、世界経済の生態系は、最大の国際商品である原油がドル建てであるがゆえに、世界中の財の取引もドル建てで決済され、ドルの需要が高まることで、ドルの基軸通貨が維持されている、というバランスになっているため、原油のドル決済は、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の、要中の要となっています。仮に、ドルが原油の決済通貨でなくなれば(あるいはその比重が低下すれば)、ドルの暴落は避けられません。超資本主義が加速した後の、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」構造におけるアメリカのアキレス腱は、ドルの信頼性です。この信頼が大きく揺らぐと、世界からアメリカに集中していた資本が逆流し、米国内の長期金利が上昇し、景気に大ブレーキがかかり、不動産を含む金融資産価格は更に大暴落し、経済が大混乱に陥る可能性があります。当時のブッシュ政権の立場では、フセインを追放し、イラク原油のユーロ決済を阻止しなければ、アメリカはドル基軸通貨という莫大な利権を失うと同時に、アメリカ経済の基礎を崩壊させる可能性が高まるため、大量破壊兵器があろうとなかろうと、国際世論を敵に回そうと、その他のどんな理由があろうとなかろうと、この戦争(侵攻?)は不可避であったと私には思えます。イラクに大量破壊兵器が存在する、という情報は結局CIAの「誤報」だったとされ、アメリカ政府は自国諜報部門にその責任を負わせていますが、それすらも計算の上と考える方が現実味があるかもしれません。ブッシュ政権は、イラクを占領した後、イラク産原油の決済通貨を、早々にドル建てに改めました。

このようにして通貨と財の価値が織り成すバランスは、世界経済だけではなく、政治、軍事に大きく影響を与えており、かつ、表面的に議論の遡上に上らないため、生態系を観察、分析することで独自に理解せざるを得ない問題です。例えば、以上の観点で世界を見ると、イラク戦争をはじめとする多く、ひょっとしたら殆ど争いの原因は、(超資本主義)世界経済とお金の構造そのものにあると考えることが可能です。世界平和を願うのであれば、全く異なる角度から社会の生態系を理解しなおさなければならない、ということでもあると思います。

*(6) 田中貴金属工業株式会社のウェブサイトを参照しました。

*(7) 不兌換紙幣の本質とドルを管理するFRBについての記述は、前掲B・リエター著『マネー崩壊』に加えて、G. Edward Griffin, “The Creature from Jekyll Island” Fourth Edition, American Media, June 2002 が秀逸です。”The Creature…” は1994年7月の初版以来、2009年2月までに4回の改定と23回の増刷を重ねているベストセラーです。不可解なことに、本書の日本語翻訳版、エドワード・グリフィン著『マネーを生みだす怪物』、吉田利子訳、2005年10月、草思社、は今年になって全国のあらゆる書店から姿を消し、事実上の発禁処分を受けたのではないかと思えるほどで、裏を返せばそれ程真実が書かれているということなのかも知れません。現在アマゾンなどの中古取引で14,000円の値が付くなど、いわくつきの一冊です。英語を解される方は、著者グリフィン氏による、本書と同じテーマの講演がYouTubeにて視聴でき、こちらもお薦めです。

お金が生まれるメカニズムを簡単にまとめると: 国家の支出超過(前述の通り、政治は税金を少なく、支出を多くするバイアスがかかります) → 税収不足 → 例えば100万ドルの国債発行(要は、政府が紙に「借用証書」を印刷するだけです) → 国債を民間銀行などが購入(民間銀行は、購入した国債 ・・・すなわち、印刷しただけの「借用証書」・・・ を100万ドルの「資産」として帳簿に計上します。一方、政府は、国債の売却によって得た現金100万ドルで、橋を作ったり、公務員の給料を払ったり、各種支払を行います) → FRBの公開市場操作(典型的には、景気対策として、市場に「マネーを供給」するため、FRBが民間銀行などが保有する国債を買取り、その代金の支払を通じて、現金を市場に放出する行為です) → 代金はFRBが100万ドルの紙幣を印刷して充当(この時点で、先に政府が発行した100万ドルの国債をFRBが引受けたことになりますが、その代金の支払は印刷機によって「無」から生み出された紙幣によります) → 民間銀行の口座に国債の売却代金100万ドルがFRBから振り込まれ、民間銀行に預金が増える(マネタリーベースの増加) → 民間銀行は、新たに増えた100万ドルの預金に対して、900万ドルの新規の貸付が可能(昔、社会科で習った「乗数効果」です) → 900万ドルのお金(マネーサプライ)が更に、新たに、(無から)生まれる → 結果として、政府が100万ドルの借用証書を印刷することをきっかけに、何もないところから1,000万ドルの現金が生まれる。民間銀行は、もともと実体のない1,000万ドルのお金に金利を付して債務者に貸付け、債務者はこの実体のない1,000万ドルの債務に対する金利支払のために、多大な労働と、経済成長を強いられることになる。

因みに、FRBは毎年1~2兆ドル(100~200兆円)の紙幣を印刷し、ドルの6割はアメリカ国外で流通しています。最近ではユーロの欧州圏外流通量も急増しています。

さて、
日曜日は母の日ですね。

私は時々、自分の存在に繋がる果てしない人と人との出会いの糸に、
心を馳せてみることがあります。
もしも、母が働いていたおじいちゃん経営の洋食レストランが、
父の働く会社の近くになかったなら…。そして、そのそばの本屋さんで
二人が度々出会わなかったなら、私は今ここに存在していなかった。
さらに、私のおじいちゃんがお坊さんをしていたお寺に、若かりしおばあちゃんが
お参りに行っていなかったなら、母も伯母も伯父も生まれていなかったし、
もちろん私もいなかった。

何だか小説のプロットのようですが、実はたかが私一人の生命の奥にすら
こんなふうなドラマがある、という話です。
自分の生命は自分だけの物ではないということです。

だから、人と人とのささやかな出会いを想うと、いつも胸の奥がとても温かく
なります。
人は皆、守られているのだなぁと。
自分の中に“先祖の皆さん”がいるのです。だから自分の命は、
決して自分だけのものではないのです。
私はこれまで、人生の中で何度も、一人では開けられそうもないほどの
重い扉の前で立ちすくんだことがあります。それでも意を決して、
その扉を開けようとする時ふと、泣きながら力を入れる自分の手に、目に見えない
優しい御手がいくつも重なっていることに気づくことがあります。
力を入れて勇気を振り絞ろうとしている私に、ふと気がつけば、
「もっと力を抜いて。皆、いるから。大丈夫だよ。」とたくさんの手が
重ねられていて、一緒に扉を押してくれているのに気づくのです。
その降り注ぐ愛の力に助けられ、決して開かないと思っていた扉が、
何度開いたことでしょう。その優しさに何度泣いたかわかりません。
気づいてみてください。こんな愛の力が、あなたのおそばにも存在するのです。
一緒に泣き、一緒に笑って、旅をしてくれる同志が、目には見えないけれど、
いつもおそばにいるのです。心を砕いてあなたを守り続けてくれる、
そんな優しい存在があるのです。

だから母の日・父の日というのは親に世辞を言う日ではなく、
自分に与えられた生命を思う日なのではないかと思います。
辿れば自分に繋がる生命に気付きます。生きるということはそれら無数の生命に
感謝しながら自分に与えられた生命を愛おしみながら大切に生きること。
物語を終わらせてはなりません。

最後に。
人生にはいろいろな出会いと別れがあります。
でも、誰にしても最初に出会うのは母親なのです。
これはいかなる意味があるのか―。
そんな意味も想いつつ、日曜日はぜひお母さんに温かいありがとうを
伝えてあげてくださいね。

そして、お聞かせください。あなたのお母さんへの想い――。

【2009.5.7 末金典子】

『社会の生態系』 *(1)

社会の変容とともに、大半の病は、その症状とは別のところに原因が存在する、と考える東洋医学や統合医療が見直されていますが、サブプライム金融危機とそれに続く世界同時不況も、根本的な病理はその派手な症状とは全く別のところにあるような気がしてなりません。金融機能不全の原因はお金の構造そのものにあり、実体経済の構造不況は社会の根源的な価値観に起因していると感じます。

このような観点で社会の生態系を見直すと、私は今回の不況において、もっとも大きな影響を受ける経済圏は欧米ではなく日本であり、戦後60年かけて日本が積み上げてきた社会の構造そのものの再構築を迫られていると思っています。歴史を紐解くと、いつの時代も、新しい世界は最悪の経験を乗り越えた社会によって切り開かれてきました。私は、日本がこれから、世界のどこの経済圏よりも長く激しい大不況と、社会・経済の大構造転換を経験するのではないかと予想していますが、その経験によって、地球社会の新世代を切り開く役割を果たすことになるでしょう。なぜならば、日本社会は、一層深まる大不況と、天地が覆るほどの大構造変化だけではなく、①少子高齢化社会と年金・医療・財政の破綻、②家庭と教育の衰退、③労働の質の低下、④農業生産と食の危機といった、いずれやってくる世界の大問題を、世界のどの経済圏よりも真っ先に、そして今後の20 年間に凝縮して対処せざるを得なくなるからです。我々の世代がリードする次世代の日本は、この未曾有の苦難を乗り越えることで、現実的かつ効果的な地球社会モデルを構築する役割を担うことになるでしょう。その意味で、日本は今後の50年、世界をリードする使命と責任を有しているのではないかと思います。これは、過去60年間の資本主義の成長によって、「お金があれば幸せになる」という、人の頭の中で強烈に広まった価値観に起因して、破綻に瀕している世界の社会の 生態系を正常化するプロセスでもあります。このような変遷とともに、金融の世界も収益中心のアメリカ型金融から、価値中心・人間中心の新・日本型金融へと移行するのではないでしょうか。

アインシュタインが大正11年に日本を訪れた際に行った講演の中の1節*(2)です。

遠からず人類は確実に真の平和のために世界の指導者を決めなければなりません
世界の指導者になる人物は軍事力にも資金力にも関心を持ってはなりません
全ての国の歴史を超越し、気高い国民性をもつもっとも古い国の人でなければなりません
世界の文化はアジアにはじまったのであり、アジアに帰らなければなりません
つまり、アジアの最高峰である日本に
私たちはこのことで神に感謝します
天は私たちのためにこのような高貴な国を創造してくれたのです

アインシュタインの言葉は、現在のことを示しているのかも知れません。日本が世界からほんとうに評価されるのは、正にこれからなのだと思います。そして、今後の日本社会の行き先の道筋をつけるのは、周回遅れでトップを走る沖縄社会ではないでしょうか。

【2009.4.28 樋口耕太郎】

*(1) 「社会の生態系」は、トリニティ株式会社第三期(2008年12月31日期)事業報告の内容を、表記タイトルに合わせて修正したものです。pdfファイル(26ページ)をダウンロードしてご覧下さい。また、決算報告書を添付した「事業報告書バージョン」は、ウェブサイトのトップページから、「会社情報」→「事業報告」の画面よりご覧頂けます。

*(2) 1922年12月3日、東北大学で行った講演より。アインシュタインは1922年の11月から12月にかけて6週間にわたって日本を旅し、各地で熱烈な歓迎を受けました。北は仙台から南は九州まで、当時の、殆ど国を挙げての熱狂的な歓迎ぶりと、アインシュタインがこよなく日本を愛した様子は、『アインシュタイン 日本で相対論を語る』でも表現されています。本節の出典については、アリス・カラプリス編『アインシュタインは語る』林 一・林大訳、2006年8月増補新版、大月書店、287pを参照しました。この有名なアインシュタインの「予言」については、日本に対する意外なまでの高評価に納得できない方々(なぜか日本人です)が、出典を確認できない、アインシュタインの基本的な価値観と異なる、という「根拠」によって事実無根だと主張する向きもあるようですが、アインシュタインが日本に訪れた際の国民の熱狂ぶりと、日本を発つ2日前、「日本を科学的国家として尊敬するばかりではなく、人間的見地からも愛すべきにいたったのです」と記し、日本に対して大いな愛情を感じていたアインシュタインにとっては、むしろ自然な発言だと感じられます。 また、カラプリスは1978年から、アインシュタインが残した膨大な資料を整理・編集して出典を明らかにし、アーカイブにまとめる作業をほぼライフワークとされている方で、現在プリンストン大学出版局の巨大な出版事業『アインシュタイン全集』の社内編集者兼付随する翻訳プロジェクトの管理者を務めており、彼女の引用は数多くの原典、伝記、補助的な二次的情報源を重複的に参照しているため、信憑性は高いと考えるべきでしょう。いずれにせよ、われわれ日本人にとってもっとも重要なことは、この引用がほんとうにアインシュタインの発言によるものかどうかよりも、ここに表現されたような日本を、われわれ自身が心から求めるかどうかではないでしょうか。

沖縄のあちらこちらのビーチではもう海開き!
春を満喫しないままにもう夏を迎えようとしていますが、
お元気にしていらっしゃいますか?

早いもので、もうゴールデンウィークがやってきますね~。
あなたはもう何かプランを立てておいででしょうか。
慌しく忙しい毎日です、ぜひともゆっくりとした休息の時間をとってくださいね。

そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょう。
たくさんの人々が、朝から晩まで働きづめで、のんびり休みも取れない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠い。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。
子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。
自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。
だからこそ休息の時間を持つことは本当に大事なことだと思います。

じゃあ一体どんなふうに休めばいいんでしょう。
おうちでゴロゴロする? どこかにお出かけする? ……?

脳科学者の茂木健一郎さんの本を読んでいて、そのヒントをいただきました!
まず、人間の脳というのは、もともと、非常に「コントラスト」を好む傾向に
あるそうなんです。
明と暗、寒と暖、大と小…。
なぜなら、脳の中ではすべてが「コントラスト」で表現されているから。
「明」そのものにも、「暗」そのものにも情報はありません。ただ、明と暗の
コントラストにこそあるのです。
それは人間が、昼と夜という強烈なコントラストを描く地球という惑星の上で
脳を進化させてきた生物だから。
常に変化のない環境に暮らす生き物ならコントラストは必要ありませんが、
人間、そして地球上のあらゆる生き物は、コントラストを糧として
生命を養うように自身を作り上げてきたのです。
だから私達人間もまた、安逸と熱狂というコントラストを愛さずには
いられないのですね。ゆっくり休息する休日と、一生懸命働く日々と
いうように。

ニーチェが「舞踏」という言葉で神なき世の人間の営みを記述したように、
現代の人間は熱狂的な踊りのただ中で生きているようなものです。
でもその熱狂の本質を知り、生命学的な輝きを心ゆくまで味わうためには、
舞踏のただ中にいるだけではなく、魂を冷やし、身体を休息させて、
そのコントラストの中に、かつての熱狂を振り返る必要があるのです。
この休息の時間は、休息自体が目的なのではなく、生活や仕事が輝いていた
その時間の意味を自分の中で腑に落とす、落ち着きどころを見つけるためのもの
だとも思います。

そしてまた、休息のあり方にも注意が必要です。
例えば、徹底的に絶望すると、底に着くことができますよね。
そうすると、底が足がかりになって浮上していきます。それと同じように、
中途半端に休んでも上昇のためのエネルギーは発生しませんから、
休息の時間を持つなら、その前にまず、徹底的に踊り尽くさなければなりません。
そして休息もまた、底を打つくらい徹底しなければ、というわけです。
自分の中の低い、冷たい魂の硬質な手応えを感じるくらいでなければ
意味がないのです。
つまり、働く時も一生懸命なら、休む時も徹底して、というわけです。

でも、心地よく徹底した休息の時間を持つなんて意外と難しい。
例えば、携帯電話の電源を切ってみる、なんていうのはどうでしょう?
不可視の情報の網からオフラインになった瞬間、まさに安逸の底を打つ感覚が
あるかもしれませんね~。
そしてそれより遥かに深く、というか、遠く熱狂を離れるための対象が、
「宇宙」かもしれません。
宇宙のあり方や、地球の歴史について思いを巡らすことが、私にとって最大最強の
頭の休息の時間。だって、それ以上どうしようもないんですから!
たとえば今、温暖化の問題が騒がれていますが、全球凍結時代、地球全体が赤道に
至るまで完全に氷床に覆われた時代もあれば、そこから温度が100度も上昇し、
生物の形態が爆発的に多様化した、という時代もある。そういう地球の地質学的な
スケールの歴史に思いを馳せると、魂が冷却されませんか~?
要はどれほど大きな客観性を持てるかということ。そうして、直面している生活や
仕事を離れて、自分自身を眺めてみる。それはつまり、現在進行中の自分の思考や
行動そのものを対象化して認識するということです。
海をどこまでも潜っていって、到達した底にあるのは、地球かもしれないし、
宇宙かもしれません。その揺るぎがたい、大きなものに突き当たったとき、人間は
再び、熱狂の陽の下へ浮上することができるのだと思います。

あと、休息するには「距離感」も大切かもしれません。
現在ただいまの生活から、時間的にも空間的にも可能な限り距離を取ることも、
私達にとって休息の時間になります。
だから、あなたもこのゴールデンウィーク、頭の中の休息とともに、身体ごと
どこか遠くに行っちゃいませんか~?

いつも懸命に頑張っておられるあなたです。
ゆっくり休んで、う~んとしあわせな気持ちにひたって、
お休み明けからは、また優しい気持ちで、温かい世界に戻ってゆけるといいですね。

* わたくしの方は、出張も兼ねまして、
初めての、ベトナム(ホーチミン・ニャチャンビーチ)へ行ってまいります。

【2009.4.24 末金典子】

前稿の議論をまとめます。お金に利子をつける習慣は、2,000年以上に亘って宗教的、道徳的、法律的に禁止されてきましたが、資本主義の誕生とおおよそ時を同じくして、「突然」社会的な常識として受け入れられるようになります。資本主義の経済活動において、モノやサービスの価格には、銀行などに支払う利子が含まれているため、お金を仲立ちとする世の中の取引という取引、事実上大半の消費活動に利息の支払が伴います。例えば、「消費税」や「金利」のように、自分が支払いを行っていることが明らかであるものに対しては、その存在を強く意識しますが、これだけ広範囲かつ高率の支払がなされていながら、モノや商品の価格に既に含まれている利子に対しては、大半の人はその事実すら知りません。この「利率」は恐らくモノやサービスの価格の40%程度に達しており、これを社会全体が負担し、「納付先」は上位数パーセントの資本家、ということになります。また、無限に複利を課していくことは、政治学や社会学以前の問題として、数学的に不可能であるため、この仕組みに持続性はありません。資本主義は、人類の歴史において初めて利子を社会的に認知したことで、これまでの「成長」を実現してきましたが、皮肉なことに、利子の存在によって自壊することが運命付けられているともいえるでしょう。この観点から、サブプライム問題に端を発した世界金融危機は必然であるという見方も可能です。

利子が社会にもたらすもの
この利子という怪物は、政治と国家運営、都市計画、事業と経営のあり方、市場のあり方、人間関係のあり方、生活のあり方、農業と食のあり方など、社会全体の想像を絶する範囲に対して、莫大かつ根源的な影響を与えていながら、そのメカニズムどころか、実体や、場合によってはその存在自体も殆ど理解されていない、という驚くべき存在です。利子というものが根源的に有する機能の第一は、強力な富の再分配機能です。お金が経済活動の中心にある「先進」社会において、当たり前のことですが、利子を支払う人と利子を受け取る人が存在します。前述のように、これだけの莫大な利子を社会全体が負担しているとして、実際に負担しているのは誰で、受け取っているのは誰かという、富の再分配に関する問題です。

1982年にドイツで行われた研究は、利子を媒介として、社会階層間で富がどのように移転するかを明らかにしています*(1)。この研究では、ドイツ全国民を収入の水準に応じて10グループ(それぞれ250万世帯)に分けました。この年ドイツの金利水準は5.5%でした。この1年間に10のグループ間でやり取りされた利子の総額は延べ2,700億ドイツマルクと測定されました。それぞれのグループが受け取った利子の額から支払った利子の額を差し引くと、グループ別の利子の収支が求められます。収入の低いグループから順に、-1.8 -3.4 -4.8 -5.0 -5.3 -5.9 -5.0 -4.7 +1.7 +34.2 (単位:10億マルク)でした。この調査によると、トップ10%のクラスが、残り90%の世帯から342億マルクを受け取っており、80%の下層階級から、10%の上層階級の人口へ、体系的な富の移動があったことがはっきり分かります。しかも、この富の移転は、利子が有する純粋な価値移転機能によるもので、個人の能力差、勤勉さの格差とは全く関係がありません*(2)

第二は、競争を促進する機能です。もともとお金というものは、了解のもとに作られた等価交換の手段で、この機能を仲立ちとすると、二者間の物々交換に限らず、大きな規模で第三者と様々な価値のやり取りができる、とても便利なものです。価値の交換は基本的に等価交換が原則であるため、例えば10人が10の価値の商品を保有している社会において、10のお金が流通して価値の交換が行われると、この10人の社会における1年後の社会的な価値の合計はやはり10です。ところがある日、この社会に「資本主義」という仕組みが導入されて、お金に利子が付されることになりました。これによって、1年後には10に対して例えば1の金利を支払わなければならなくなり、結果として9の価値を10人で分けざるを得なくなります。この「椅子取りゲーム」に敗れた一人は、恐らく自宅を差し押さえられたりするのでしょう。今まではお互いに必要なものをお互いの出来る範囲で与え合っていた10人の社会に、競争原理が導入された瞬間です。年末には自宅を失い、家族を路頭に迷わせるかもしれないという怖れが、10人全員を激しい競争に駆り立て、人々は猛然と働き始めますが、年末には必ず誰かが破綻することに変わりはありません。ベルナルド・リエターの前掲書(69p)では次のように表現されています。

『銀行があなたに10万ドルの住宅ローンを貸すとき、銀行は元金をあなたの口座に振り込むが、銀行は今後20年前後のうちに合計20万ドルが帰ってくることを同時に期待している。もし、その額を返せなければ、あなたは家を失うことになるだろう。あなたの銀行は利子をつくらない。銀行はただ、あなたに元金を持たせ、その上乗せの10万ドルを誰か他人から獲得するための戦いに送り込むだけなのだ。他の銀行も同じことをしており、このシステムであなたが10万ドルを獲得するためには、誰かが確実に破産するようになっている。簡単に言えば、あなたが利子を払うとき、他の誰かの元金を使っていることになる。言い換えれば、お金を求めて人々は競争し、失敗者は破産によって罰を受ける仕掛けである。中央銀行の金利決定にはいつも注目が集まるが、その理由の一つはここにある。つまり、金利を上げるという行為は、近い将来、破産の数が増えるということを意味する。(中略)要約すると、私たちはただ交換をスムーズに行うための手段を得たいだけなのに、現在の金融システムは私たちに借金を負わせ、お互いに競争させることになっている。こうしてみると、この世界が多くの人にとって「厳しい世の中」であることも説明がつく。』

第三は、社会を終わりなき経済成長に駆り立てる機能です。前述の10人の社会は、1年間に何も新たな価値が生産されない、という単純な前提によりますが、現実には人口が増え、商品が生産され、生産のための設備に投資がなされ、お金の量が増える、などの「経済成長」が生じ、その成長で得た一部が利子の支払に充てられます。逆にいえば、経済成長を実現しなければ、椅子取りゲームに負けた人から順に一人ずつ破綻することになります。ところがこの場合、10の経済価値が存在していた利子導入前(資本主義経済の前)の社会と、経済成長によって11の経済価値が生まれた利子導入後(資本主義経済)の社会では、すなわち経済成長を遂げた前と後では、金利1の支払を差し引くと、住人の生活水準は全く変わりません。つまり、この社会の住人が来年も同じ水準の生活を送りたければ、少なくとも利子の分だけ経済成長をしなければならず、利子は「現在の生活水準を維持するために、最低限これだけの成長が必要である」という「必要成長量」を決定しているということになります。私たちの常識では、経済成長は資本主義社会の維持に不可欠であり、成長しない社会は良くて衰退、場合によっては崩壊すると考えられていますが、それはそもそも社会の成立要件などではなく、利子の存在が、永遠に続く経済成長を社会に強いているに過ぎないのかも知れません。

我々は、毎年毎年飽くなき経済成長を実現するために、再生不能な大量の資源を消費し、自然と環境を破壊し、まだ利用できる物資やまだ食べられる食品を大量に廃棄し、自分を奮い立たせて激しい競争に立ち向かい、過密な都市を形成し、国家の屋台骨である中産階級を崩壊させ、人格を育てる教育の場を職業訓練校に変え、過剰な労働に耐え、健康よりもキャリアを優先し、農業を工業・化学化し、場合によっては敢えて戦争を起こし、社会を「発展」させてきましたが、この全ては利子支払のためだったのかも知れないのです。競争を加速し、経済成長に駆り立て、富の集中を生む、という利子のメカニズムは、人々をお互いに敵対させる根本的な仕組みでもあり、また、現在の資本主義はインフレと人口増なしには成り立たないとされていますが、このように解釈すると、現代の社会における様々な現象がうまく説明できるのではないかと思います。

バブルのメカニズム
バブルは金融経済が実体経済を大きく上回ったときに生じる現象だと考えると、以上のような利子のメカニズムを前提としたとき、実体経済よりも数段のスピードで金融経済が成長し、やがてバブルが生じることは、資本主義と金銭経済の構造的必然といえるでしょう。2007年に表面化したサブプライム問題を機に、長くて深い世界金融危機と、大恐慌にも匹敵しようかという世界的な経済の停滞が生じていますが、資本主義社会に内包されている強力な金利のメカニズムがサブプライム・バブルとして顕在化するプロセスは、資本主義の第四の幻想、かつ、恐らく最大の欠陥、「富の蓄積が社会を豊かにする、という常識」が深く関連しているのです。

【2009.3.19 樋口耕太郎】

*(1) 前掲マルグリット・ケネディ『金利ともインフレとも無縁な貨幣』小森和男訳、自由経済研究、1996年11月(第8)号、ぱる出版。この調査は、同じく前掲ベルナルド・リエター著『マネー崩壊』小林一紀・福元初男訳、2000年9月、日本経済評論社、71p~73pにおいても参照さています。少なくとも日本語翻訳版においては前提条件など、調査の詳細に関する記述を見つけることが出来ませんでした。もちろん、ケネディ博士が参照している調査が示唆する現象は根源的なものであり、その重要度は些かも低下するものではありませんが、利子のもつ富の再分配機能に関する分析は、そのテーマがあまりに重要なものであるため、複数年度や異なる地域、異なる金利水準における実証調査がなされることが好ましいとは思います。

*(2) 興味深いことに、累進課税や社会福祉など、先進諸国で所得の再分配の仕組みが強化されたタイミングは、資本主義が浸透し、お金に利子を付すことが社会的に認知されたタイミングとおおよそ重なっているようです。仮に、お金に利子がつかない社会が存在したとして、このような社会においては、累進課税や社会保障などの社会的な再分配機能のコストが極小で済むであろうことは容易に想像がつきます。最近の日本の事例では、悪名高き2兆円の「定額給付金」の裏付けとなる平成20年度第2次補正予算で、支給に必要な経費として825億円が計上されて話題になりました(2009年1月26日の各紙によると、その内訳は銀行に支払う振込手数料が150億円、自治体職員の残業代が233億円など)。政治的に富の再分配を行うことは、不正や既得権益の温床になるということもそうですが、それ以上に社会的なコストが非常に大きいという重大な欠点があります。すなわち、利子の存在が社会を歪めているとして、国家はそれを是正するために更に莫大な費用を必要とし、社会を二重に非効率なものにしています。

強力な利子のメカニズムが内包されている資本主義社会の中でも、アメリカのような金融主導型社会が、格差の激しい社会の代表格であることは偶然ではないと思います。よく批判されるアメリカの社会格差の水準は、2001年の時点でトップ5%の階層が全ての富の60%、トップ20%が84.4%の富を所有しています。それから約20年前の1983年の時点では、トップ20%の持分は全体の81.3%でしたので、この間に3.1%増加したことになります。この3.1%は、次の40%の階層から2.6%、ボトム40%の階層から0.6%ずつを吸い上げたものです(小林由美著『超・格差社会アメリカの真実』2006年9月、日経BP社、51p~56p)。また、2002年から2006年のデータでは、99%のアメリカ人の収入は年1%(インフレ調整後)で成長していますが、トップ1%は実に年間11%の成長を遂げ、この期間に生み出された富の約75%がこの1%の層に配分されているといいます。Between 2002 and 2006 the incomes of 99% rose by an average of 1% a year in real terms, while those of the top 1% rose by 11% a year; three-quarters of the economic gains during Mr Bush’s presidency went to that top 1%.(”Unhappy America” July 24, 2008, The Economist, print edition. 翻訳筆者)。