政治は人を幸せにするか?
政治は何のためにあるのだろう? 私は人々の幸福のためにあると思っていたのだが、少なくとも各派の選挙公約を見る限りそうではないらしい。
例えば、保守系の公約によると、アベノミクスによって雇用を創出するという、デフレを脱却するという、GDP600兆円を実現するという、待機児童を解消するという、経済成長の成果を子育て介護などの福祉分野に再分配するという。それらのすべては価値あることだと思うのだが、しかし、それらがどのようにして私たちを幸福にするかという因果関係はまったく説明されていない。「公約が実現すれば国民は幸せになる」という前提に立っているのは理解できるのだが、この前提は本当に正しいのだろうか?
Photo by Nao iizuka (CC BY 2.0)
革新系の公約もベクトルが異なるだけで同じ状況に見える。沖縄選挙区では必ず基地関連のことがらが公約にのぼる。 憲法9条を維持し、日米地位協定の改定に取り組み、オスプレイ配備を撤回させ、米軍基地返還を求め、跡地利用や基地従業員の雇用問題に取り組むという。沖縄の基地問題は日本社会の矛盾が集約されたような重大なテーマである。しかし、あえて問いたいのは、これらの公約が100%実現したら、私たちは幸せになるのだろうか?
反論される方は、少し立ち止まって考え直してみてほしい。
例えば、政治は自殺を考えている人に生きる動機を与えられるだろうか? 政治は虐待の痛みを虐待者に伝えられるだろうか? 政治はシングルマザーを正社員に登用しながら(あるいは、登用するからこそ)売り上げが増えるような企業経営を浸透させられるだろうか? 政治は手取り月12万円で働く沖縄のホテル従業員にやりがいのある仕事を提供できるだろうか? 政治は毎朝仕事にいくのが楽しみな75歳を増やすことができるだろうか?
Photo by 初沢亜利
政治は沖縄の醜い埋め立てと無粋な架橋を止められるだろうか? 政治は自立心を失った国民の魂を取り戻せるだろうか? 政治はアトピー性皮膚炎や花粉症の蔓延を治せるだろうか? 政治は農薬漬けと添加物漬けで毒薬と化した我々の食を正常化できるだろうか? 政治はインシュリンや常備薬がなければ1週間と生きられない病人だらけの高齢化社会を修正できるだろうか?
政治は子供と一緒に遊ぶ両親を増やすことができるだろうか? 政治は夫婦の絆を深めることができるだろうか? 政治は役人が公正に働く動機を生み出せるだろうか? 政治は飲み屋での知的な議論を増やすことができるだろうか? 政治は女性の役割に深い関心を持つ男性を増やせるだろうか? 政治はLGBTへの偏見を減らせるだろうか? 政治は従業員の立場で考える経営者を増やせるだろうか? 政治は思いやりを目的とした経済を実現できるだろうか?
Photo by 初沢亜利
これらすべてのことは、一人ひとりの幸せに直結することばかりだと思うのだが、これらが選挙公約でないのはなぜだろう? これが政治の仕事ではなければ、いったい政治は何のためにあるのだろう?
政治が私たちに提案することは、少なくとも私の見る限り、そして驚くことに、ほぼそれ以外のことなのだ。経済成長であり、政治改革であり、消費税率の改定であり、消費税率の維持であり、憲法改正であり、憲法の維持であり、基地の移設であり、基地の撤去であり、貧困対策の補助金であり、子育て支援の制度であり、学費補助であり、医療費の軽減負担であり、これらがそのまま公約になっている。
乱暴な一般化と批判されるかもしれないが、すべては大きな意味での資本の再配分なのだ。そして、適切な資本の再分配が実現すれば、人々が幸せになるという前提で政治が成り立っているように見える。人々が欲するお金を、政治家が再分配する。それが、はじめから政治という構造の持つ機能なのだ、と。
因果関係は逆かもしれない
実は、因果関係が逆だということはないだろうか? 各派の選挙公約が謳うように、経済成長や、数々の改革や、福祉政策や、基地問題を解決することが私たちを幸せにするのではなく、私たちが幸せになることで、これらの社会問題が解決していくという可能性だ。政治が人々の幸せを目的にしていないことが、数々の社会問題を生み出している原因ではないだろうか?
現に、保守でも革新でも構わない、各派の選挙公約が100%実現して、国民がより良い仕事についても、所得が増えても、パートナーと家計を共にしても、病気が治っても、長生きをしても、貧困が根絶されたとしても人々が幸せになるわけではない。一部上場企業に勤めているからといって幸せな人生を送ると は限らないことから明らかなように、人は「良い仕事」に就くから幸せになるわけではなく、幸せだから今ある仕事を生かすことができるのだ。
同様に、高給だから幸せなのではなく、幸せな人が高い所得を得る傾向がある。パートナーを見つけたから幸せになるわけではなく、幸せだから理想のパートナーを惹きつける。健康だから幸せというよりも、幸せだから健康に生きられる。長生きが幸せだとは限らないが、幸せな人は長生きだ。貧困が根絶されれば幸せになるのではなく、幸せな人は貧困に陥りにくい。基地問題が人を不幸にしているという側面はもちろんあるが、人々が不幸だからこそ基地問題が熱を帯びているという面はないだろうか?
Photo by 初沢亜利
幸せに働く人たちは、お互いに生きる動機を高め合い、人の痛みと喜びに共感し、社会的弱者に心を配り、女性を大切にし、自分らしく生き、自立心を持 ち、自分にも他人にも嘘をつかず、家族に優しく、仕事だけの人生に偏らず、他人に関心を持ち、そして何といっても生産性が高く、離職率が低く、顧客満足度 を向上させ、組織の生産性を高め、企業の利益を増加させる。
幸せに働く人たちの家族もまた幸せである傾向が高く、家族の医療費は減じられるだろうし、子女たちの教育問題も、虐待やネグレクト、依存症や貧困な どの社会問題も生じにくくなるだろう。経済的発展が私たちを幸せにするのではない。私たちが幸せだから、社会と経済が正常化するのだ。
Photo by 初沢亜利
政治は今まで、政策を作り、法律を変え、制度に変更を与えることで、いわば演繹的に社会に影響力を行使しようとしてきた。制度の改変や資本の再分配を目的とするのであればこの方法は有効なのだが、人々の幸せを目的とする場合は、このやり方がまったくと言っていいほど機能しない。
政治がすべきことは社会制度ではなく社会に対する見方を変えること
もし政治が、人々の幸せを第一に考えるのであれば、発想を真逆にする必要があるのではないか。
20世紀の社会主義国家の失敗から私たちも学ぶべきだと思うのだが、私たちが理想の社会を作ろうとするのであれば、概念的な「理想」をベースに現実社会を構築することはとても難しいのだ。それよりも、一人の幸せな生き方、一つの幸せな組織、一つの幸せなミニ社会を作り上げて、それを拡大再生産する方がはるかに現実的だ。いわば帰納的に社会を変えていく方法だ。その時政治は主役ではなく、むしろ有能な黒子になる。そして政治とは正にそうあるべきものではないだろうか。
日本で最も幸せな従業員、幸せな企業、幸せな組織、幸せなリーダーたちを鉄の下駄を履いてでも探し出し、彼らの成功が社会全体に拡散する手助けをすることができれば、驚くほどの低コストで社会を正常化することができるだろう。制度や法律を整備するのもいいのだが、本当はそんなことすら必要ない。補助金を出すのは逆効果なくらいだ。人の心をはっとさせる異質な事業を社会の「脅威」とみなすのではなく、政治が温かく応援するだけで良い。
人々は、政治権力の強さを知っている。意識的にであっても、無意識的にであっても、社会的に許容されないと感じれば、消極的になってしまうものだろう。政治がこんなやり方を評価してくれるのだ、と感じた瞬間に、人々の個性が開花してあっという間に社会にイノベーションの野火が広がる。
先日マイケル・ムーア監督の新作『世界侵略のススメ』を観てきた。彼が世界を回って母国アメリカにインスピレーションを持ち帰るという内容。イタリアでは一般的な企業で有給休暇が年間合計8週間あり、その年に消化できなかった有給休暇は翌年に持ち越される。年末には「13カ月」目の給与が支払われるが、「休暇にはお金が必要だから」という理由による。ブランド製品を30年間作り続けているラルディーニ社の従業員は、2時間の昼休みに自宅に帰って家族と一緒に料理をする。
Photo by Randy OHC (CC BY 2.0)
ポルトガルでは15年ほど前の法改正以来、覚醒剤、麻薬、マリファナなど一切の薬物使用が罪に問われない。これによって麻薬関連の裁判、警察、刑務所などの費用がゼロになり、同時に薬物の使用者が激減したという。誰が使っても合法ならば、ちゃんと病院で処方してもらったり、人に相談したり、治療を受けたりするようになるということのようだ。
Photo by Kyle Butler (CC BY 2.0)
ノルウェーでは死刑が廃止されて久しく、警察官は武器を携帯せず、どれだけの凶悪犯でも最大21年の刑期しかない。受刑者の部屋は一戸建てで窓の外には緑の景観が広がり、図書、ビデオゲーム、テレビ、冷蔵庫、キッチンにはナイフ一式が揃っていて、朝食は各自で作る。森の中ではチェーンソー(!)を使って木材の切り出し作業を行い、有機農園では受刑者と刑務官が一緒に収穫作業を行う。
日本の貧困家庭よりもよほど豊かではないかと思えるほどの環境で、「犯罪者を罰する」という発想はそこにはない。刑務官たちにとっても、受刑者の刑期が最大21年であれば、彼らはいつか必ずここを出て、自分たちの隣に住むかもしれない。基本的な哲学は、「より良い隣人になってもらうための刑期」なのだ。アメリカの再犯率が8割であるのに対して、ノルウェーの再犯率(2割)は世界最低水準だそうだ。ちなみに、ノルウェーでは女性閣僚の割合が53%で世界1位である。
Photo by Municipal Archives of Trondheim (CC BY 2.0)
例えばこんな小さな事例の一つ一つが、私たちの未来のプロトタイプになり得る。世界はもちろん、日本国内にもまだまだ私たちの「未来」が埋もれているはずだ。私が政治家だったら、そんな幸せな未来を発掘して広めることを公約にしたいと思う。
*本稿は「ポリタス」(2016年7月5日)に掲載された。