だんだん涼しくはなっているものの、まだまだ夏かのような暑さも残る毎日、
もうすぐ師走だなんてウソのようですね~! 月日のたつのは早いものです。
そして明後日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日。
さて、今年のワインの出来具合はどうでしょうか。
あなたはどんな親しい方と秋の夜長に初物のワインをじっくり楽しまれますか?
とても親しい仲の人というと、友人やパートナー、家族の顔が
浮かんできますよね。私の場合、麗王で知り合うことができたあの方この方の
お顔も浮かんできます。
あまりに当たり前なようですが、親しき仲の人が、一人でも自分にいると
いうことは、とても幸せなことであるし、どれだけ心の支えになっていることかしらと
つくづく思うのです。
ではその親しき仲の人に、自分はどのように接しているかしら、どんなふうに
付き合っているかしらと、ふと考えてみると、それはまあ、わがままをしてばかりで
申し訳ないなあという負い目のようなものを感じ、わがままばかりを
押し付けるのではなく、もっと相手の気持ちを思いやらないといけないなと
反省の気持ちが湧いてきます。
また、その反対もあって、例えば、私には姉妹がいないからか年下の素敵な
女性と知り合った時には、ついつい想いが入ってしまい、
アドバイスを求められたり、助けを乞われたら、あれこれとお世話してみたり、
熱く応えてしまったりするのですが、そのうちに相手がどんどん依存してきたり、
何でも与えてもらって、してもらってあたりまえというようになってきてしまい、
こちらが重荷になってくるというようなこともあります。
そこで今度は、彼女を褒めたり励ましたり支えたりするだけではなくて、
よくない点を怒るのではなく叱ってみたりするのですが、そうなると
サッと離れていってしまったり、恨まれたりということになってしまうことがあります。
つまりは、親しき仲だからこそ、ついつい甘えてしまうのです。
まあ、お互い様と言ってしまえば、それでよいのかもしれないけれど、
甘えあったり、わがままを言いあったりするのが、親しき仲かというと、
それは少し違うようです。
人に愛情と思いやりを持って真剣に接するとはどういうことでしょうか?
琉球新報の「南風」に今連載中の、歴代の書き手の中でもピカイチの
法務省沖縄少年院・法務教官の武藤杜夫さんが以下のように
書いておられます。
最近は、叱るより、褒めて伸ばすのが子育ての主流に
なっているようだ。書店に立ち寄り、教育関連の本棚をのぞいても、
そんな方法を勧める書籍が目立つ。こういった子育て論の
煽(あお)りを受けてか、少年院に収容されるのは、叱るばかりの
誤った教育を受けてきた子どもたちだと主張する外部の方が、
ちらほら見られるようになった。本当に、そうなのだろうか?
子どもたちと対話し、生育歴を確認すると、見えてくるものがある。
確かに、叱られっぱなしの幼少期を送った者は存在する。しかし、
非行を繰り返していたにもかかわらず、長所ばかりを褒められて
育った者も多く存在する。やはり、褒めてさえおけばよいと
いうものではないのだ。保護者と面談すると、叱るか褒めるか、
どちらがよいのかという質問を頻繁に受ける。ただ、僕に関しては、
どちらもあまりしないため、両方ともお勧めできないと答えている。
今思えば、少年院に赴任した頃の僕は、よく叱り、よく褒める
法務教官だった。それが、子どもに対する思いやりだと
信じていたからだ。そのことに疑問を持ったのは、
僕になついていたある子どもが「叱ったり褒めたりしてくれるのは、
武藤先生だけ」と愚痴っているのを耳にしたからだ。彼が社会に
帰ったとき、真剣に叱り、褒めてくれる大人が周囲に存在するとは
限らない。僕は彼を、「叱られ、褒められなければ動けない人間に
してしまったのでは」と煩悶(はんもん)した。現在は、叱ったり
褒めたりする代わりに、自分の感情を伝えることを大切にしている。
信頼関係を築いた上で「嬉(うれ)しい」「悲しい」といった
思いを細やかに伝え、相手が感じ、考え、自ら動くのを待つのだ。
時間がかかり過ぎる? 当然だ。子どもたちは、大人の都合で
動かしてよいロボットではないのだから。
なるほど。
私も以前そのような考えに至り、感情を伝え続けてみたのですが、
相手が大人ということもあるのか、伝え方が下手なのか、
なにかどこか機能しない想いを抱え続けてきました。
そして次にふと思い浮かんだ言葉があります。
「寄り添う」ということ。
いつも寄り添う。何があろうと寄り添う。ずっと寄り添う。
親しき仲において、一番すてきな心がけであり、嬉しいことが、寄り添うと
いうことかもしれないなと思ったのです。
例えば、暮らしや仕事において、孤独を感じたり、もしくはとても疲れたり、
その苦痛の状態を説明したくてもできないとき、親しき仲の人に
どうしてもらいたいでしょうか。
そのときは何も聞かず、何も語らずに、ただただ寄り添うということが、どれほど
嬉しくて、どれほど助けられるものかと思うのです。
もちろん、伝えあったり、語りあったり、感じあったりというシェアは大切だけど、
それが出来ないときもあります。そういう時、自分にいつも寄り添ってくれる人が
いるというのは、なんて幸せなんだろうと思うのです。
そして、自分に寄り添ってくれる人が欲しいなら、まずは自分から寄り添うことを
大事にしなければいけません。そういうことを考えていくと、親しき仲というのは、
寄り添いあう、という関係が理想なように思えてきます。
相手に寂しさを感じさせない関係。それは一番嬉しいことではないでしょうか。
そして、そこに留まるのではなく、寄り添って歩くということができたら、
なんて素敵なんでしょう。
あなたには、寄り添うあう人はいますか。
寄り添って歩いている人はいますか。
木曜日はぜひその人と麗王でボジョレーヌーボーを。
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* 麗王で毎年御用意しているボジョレーヌーボーは、
ドメーヌ デュ クレ ド ビーヌ(シュブラン家)のワイン。
シュブラン家はボジョレー地区南西部で5世代前から続くぶどう農家。
現当主のフランソワさんは元農学校教授。2008年にビオディナミを実践する
友人のワインに感動したことからオーガニック、ビオディナミ農法への転換を
決意しました。畑には草花があふれ、みみずなどの動植物が土を耕します。
醸造は、昔ながらの製法でマセラシオンセミカルボニックを実践。
25℃を超えない低温でゆっくりと仕上げます。
そんなシュブランさんのワインは花崗岩質の畑の特長を生かしたミネラル感と
きれいな酸味を楽しむことができる味わいです。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりください。
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【末金典子】