本稿は、2015年10月18日に、那覇青年会議所(JC)の主催で開かれたパネルディスカッション「沖縄経済ミッション2015」 〜現状から考える沖縄の未来〜 における樋口の発言を加筆修正したものである。取り上げられたテーマは3つ。
1. 県内格差の問題について
2. 基地返還後の跡地利用について
3. 沖縄振興一括交付金の使い道について
パネリストは、元沖縄県副知事の上原良幸さん、経済博士で評論家の篠原章さん、沖縄国際大学教授の前泊博盛さんと樋口である。
1. 県内格差の問題について
沖縄で格差と貧困がなぜ生じているかについては、複雑な理由が存在するが、一口で言えば、沖縄の事業者に生産性を上げる力がないからだと思っている。こういうと、反論されるかも知れない。沖縄の自立経済を語る上で、私が多くの人と議論が噛み合わないのは、「生産性の定義」が大きく異なっているからだ。私が言う、生産性を上げるということの意味は、規制のない、補助金のない、参入障壁のない、独占形態のない自由市場で、体一つで、努力と、知恵と、経験と、チームワークで外貨を稼ぐという意味である。大変失礼ながら、その意味で、沖縄に実業はほとんど存在しないのではないかと思っている。
もちろん沖縄に何がない、という話をしたいのではない。私たちの経済的自立を語る上で、何が自立かを定義し、そのためにどのような水準の変化が必要かを明らかにする必要があると思うのだ。
実業の本質の一つはプロセス力である。プロセスはもっとも地味で、もっとも退屈で、もっとも努力が必要とされる。それゆえに、プロセス力は社会で最も軽視され、もっとも不足している。プロセスが自分の仕事だと認識している経営者は驚くほど少ない。
アップルコンピューターを創業したスティーブ・ジョブズがプロセス力についてとてもわかりやすい説明をしている。ジョブズは30歳の時、自身が創業した会社をクビになり、ペプシコの経営者だったジョン・スカリーが彼の後を引き継いだ。ジョブズは後にインタビューに答えて次のように言っている。
私がアップルを去った後、スカリーは深刻な病に侵された。同じ病気にかかった人を何人も見てきたが、彼らはアイディアを出せば作業の9割は完成だと考える。そして考えを伝えさえすれば、社員が具体化してくれると思い込む。
しかし、凄いアイディアから優れた製品を生み出すには、大変な職人技の積み重ねが必要だ。それに製品に発展させる中でアイディアは変容し、成長する。細部を詰める過程で多くを学ぶし、妥協も必要になってくる。電子、プラスチック、ガラス、それぞれ不可能なことがある。工場やロボットもそうだ。だから製品をデザインするときには、5000のことを一度に考えることになる。大量のコンセプトを試行錯誤しながら組み換え、新たな方法で繋ぎ望みのものを生み出す。そして未知の発見や問題が現れるたびに、全体を組み直す。そういったプロセスがマジックを起こす。
成功を信じて突き進むチームを見て思い出すのは、子どもの頃、近所に住んでいた老人のことだ。妻に先立たれた80代の男性で、見た目が少し怖かった。私は芝刈りのバイトかなにかで彼と知り合うようになった。ある時彼のガレージでモーターとコーヒー缶をバンドで繋げた古い研磨機を見せられた。それから裏庭に出て一緒に何の変哲もない石をたくさん集めた。彼は石を缶に入れ液体と砂粒を加えた。そしてモーターを動かすと、「明日また来い」という。缶は激しく音を立てていた。翌日彼を訪ね、缶を開けてみると、驚くほど美しく磨かれた石が出てきた。こすれ合うことで摩擦や騒音を生じながら、ありふれた石が美しく磨き上がる。私にとって、この体験こそが情熱を持って働くチームのインスピレーションになっている。ずば抜けた才能を持つものが集まって、ぶつかり合い、議論を戦わせ、喧嘩して怒鳴り散らす。そうやってお互いを磨き合い、アイディアを磨き上げて美しい石を創り出す。(「スティーブ・ジョブズ1995 ロスト・インタビュー」より)
積み重ねられた努力とチームワークがあって、1万もの問題を乗り越える創意工夫があって、何回もの試行錯誤を重ねるプロセスがあって、生産性が生まれる。そのプロセス力が事業力の本質の一つである。
先ほど会の冒頭でコーディネータの平良理事長が、この会の運営について樋口から「お叱りを受けた」とおっしゃっていたのにはいくつか背景があるのだが、たとえば、本会のチラシ、パンフレット上の私のプロフィールが「盛岡県」出身になっている。JCの問題を議論したいのではない。あくまでプロセスの問題として考えると、あれは、ゲラを一回注意深く校正すればいいだけの話なのだ。
また、今回のシンポジウムは6つのテーマが設定されている。6つはそれぞれとても深いテーマで、その中には私がそれほど明るくない分野も含まれているから、自分の言葉に責任を持つためにも、事前にできるだけ調べたい。他の先生方もおそらく同じ感覚をお持ちではないだろうか。
しかしこの会の進め方は、6つのテーマのうちから3つを当日来場者に選んでもらい、残りの3つを捨てるというのだ。私たちが発言の一つ一つに責任を持とうと思って調べようとするものに対して、3つしか取り上げられない。東京からいらっしゃっている先生をはじめ、みなさんご多忙の中で、そのような会の運営方法はどうなのだ、と私が文句を言ったのだ。「それは失礼じゃないのか」と。多少至らないことがあろうと突っ走る、若い人たちのパワーは良い。問題は、その後のプロセスである。私がこれを指摘したのは2日前である。運営側にとっては大問題であろう。実質的に「シンポジウムの基本的な枠組みを組み替えろ」と、間際になって樋口から指摘されたことになるからだ。
ちょっとした危機対応である。臨時で理事会を開くなり、アイディアを根本的に練り直すなり、時間が限られている中で、理念との整合性を保ちながら、最小限の変更で最大限の効果を生み出すためになにをするべきか。たった二日間しかない中、すでに99%の構成と根回しが出来上がっているにもかかわらず、最後の1%の詰めに50%の労力を割く。そのために徹夜でもして、悪戦苦闘しながら、最後の最後まであきらめずに良いものを仕上げる。そのプロセス力が商品力の正体であり、経済の本質であり、事業力であり、自由市場における生産性の源なのだ。
沖縄の未来の経済力とは、つまりJCのプロセス力である。30代以下の君たちが、自由市場において、このようなプロセスを通じて生産性を獲得しなければ、結局沖縄は誰かのお荷物にならざるを得ない。一方で、たとえば東京のビジネスパーソンたちは、このような危機的状況におかれると、何度も原稿を見直したり、最後に「組み替えろ」と誰かから重要な指摘をされたら、何日か徹夜をしてでも帳尻を合わせたり、最後の1%で最大の成果を上げる産みの苦しみを通じて、より良い商品を生み出し、顧客を獲得し、外貨を稼ぎ、彼らが稼いだ外貨の中から私たちは大量の補助金という形で補助を受け、沖縄経済圏では「盛岡県」というクオリティでも事業が成立している。
日本政府は過去43年間「それでいい」と言っている。問題は、私たち沖縄はそれでいいのか?ということだろう。現実を直視して、私たちの事業力をもう一度問い直すべきではないだろうか?自立経済を考えるということは、そういう意味ではないのだろうか?
私がなぜJCに呼ばれたのかということをずっと考えていたのだが、せっかく頂いたこの貴重な機会に、若いみなさんに対して、こういう生意気なことを提案するのも一考だと思った。自由市場のもとで、自分の体一つで、沖縄県民のために外貨を稼いでくる。そういう事業をあなたたちは、今日、やっているだろうか?それは夜中の1時2時を過ぎても最後のゲラに細かく目を通すことであり、結果として「盛岡県」と書かないということであり、あるいは、遠方からいらっしゃる方の気持ちになって、思いやりを示して、それがどんなに間際であっても、絶望的に面倒に思えても、シンポジウムの構成を組み替えるということだ。
私は経済は思いやりだと思っている。今日のシンポジウムのように、沖縄を大好きで、沖縄のためになろうとして本土から沖縄に来てくれる方々が、沖縄の事業家の思いやりとプロセス力に乏しい対応に接して、落胆して帰っていく。この繰り返しが本当に沖縄のためになるのだろうか?これまでと同じ水準の生産性で、今後沖縄経済は持続性を保つことができるのだろうか?
覚悟を持って経営を見直し、真のプロセス力を身につけて、生産性を上げ、そこから従業員に給与を払う。生産性がなければ労働分配を増やすことは不可能である。そのようなプロセス力が貧困と格差の問題を解消するのだと思う。
2. 基地返還跡地の利用方法について
基地返還跡地に限らず、沖縄は多くの土地が「生まれて」いる地域だ。国土地理院沖縄支所(昭和63年~平成25年の沖縄県面積値の推移)によると、沖縄は1988年から2013年までの25年間で、東京ドーム300個分弱(13.91㎢)の埋め立てをしている。これも新しい開発用地である。これに今後返還される大量の基地が加わる。
この状況で重要なことは、バックミラーを見ないということ。戦後70年間、バックミラーに写っていた後ろの道、社会は、ある程度未来を予測していた。しかし、今後の社会は、今までとは全く異なった道が待ち構えている。だからバックミラーを見ながら運転したらどこかで必ず事故を起こす。その最大の変数は人口動態である。
たとえば、日本の年金制度は時間の問題で大きな修正を余儀なくされるだろう。少人数の若者が多数の高齢者を支えるようになれば、現在65歳の年金支給年限が近い将来70歳、ひょっとしたら75歳まで引き上げられることはほぼ間違いない。私たちの世代は70歳、75歳まで現役で働くことが当たり前になるだろう。それは、孫に小遣いを渡す程度の収入ではなく、私たちの普通の生活を支える、携帯を使う、インターネットを使う、車の維持費を払う、豊かな食材を買う、そいういう水準の収入のことを言っている。必然的にそれを可能にする労働環境が存在しなければならない。ところが、「70歳の私」がおもろまちで働く場所を探しても、どこにも適当な居場所がない。これが基地返還の最大の問題である。私たちが将来働けない街を作っているということだ。
那覇市では生活保護の問題が拡大し続けている。被生活保護者は2000年から2014年までの14年間で、70%以上増加して1万1千人を超え、2014年予算で209億円の税金を使っている(データは2015年1月5日沖縄タイムス、那覇市健康福祉概要、那覇市統計書による)。増加分のおよそ9割弱は50歳以上だ。生活保護増加の問題は、50歳以上の再雇用の問題である可能性が高い。私は50歳になったので、おもろまちでは働けない体になってしまった。このような、全然違う将来がこれから先に待ち受けている。
特に年齢が20歳から39歳までの出産可能な女性の人口が、これから25年間で半分以下に減少する市町村が、日本全国で900弱存在すると推定されている(増田寛也著『地方消滅』)。地方が消滅に向かうときに何が起こるかといえば、働き手がいなくなる。今年オープンしたライカムのイオンモールではすでにそのことが起こっている。巨大なショッピングセンターを開発すれば、どうやって顧客を獲得するかという以前に、そこで働く人が大量に必要だ。しかし、人がなかなか集まらない。期間限定とはいえ、バイトの時給といえば最低賃金が当たり前だったこの沖縄で、時給1500円で募集しても人が十分に集まらない。
基地返還跡地で、広大な埋立地で、開発をしようとする、ショッピングセンターをオープンしようとする、医療施設を作ろうとする。しかし、そもそも若者がいない。だからといって、高齢者と女性が働ける環境は存在しない。こういった社会設計の根源的な間違いが生じているが、過去70年間のバックミラーを見て都市計画すると、まさにこのような街ができるのだ。
70歳の私たちが働ける街を作るためには、発想の転換が必要である。あと数年たてば団塊の世代が70歳に突入して、介護される立場になる。介護するのは団塊の世代ジュニアである。彼らは40代の働き盛りで、課長だったり、部長だったり。その人たちが、「すみません、介護のために、今週午前中は休みを取ります」という働き方が普通にでき、それでもなお、2割、3割の高い生産性を持続的に産まなければならない。そのためには、全く異なった働き方のパラダイムが必要になる。ところが、沖縄は長年労働者が日本で一番虐げられてきた地域である。彼らに豊かな労働環境を提供できなければ、単に事業で利益を上げるという問題を超えて、私たちの社会がそもそも成り立たないのだ。
しかも、人口動態は、多くの経済予測と比較して正確な将来推定が可能である。だからこそ、私たちは今すぐ対応しなければならない。それにもかかわらず、私たちは違う問題を議論し過ぎてはいないだろうか。この対応が後手に回ることで最も割を食うのが、若者であり、シングルマザーであり、年収100万円台で働く非正規雇用者である。教育問題、DVの問題、依存症の問題、子育ての問題、こどもの貧困の問題、深夜徘徊の問題、自殺の問題、生活習慣病の問題、就職の問題。若者をはじめとする、「弱者」の本当の問題を、大人は誰も真剣に考えていないのではないか。私は学生と接していて、そういう失望感が、若者の間に広がっているような気がする。
自分の人生を前に進めたいのだが、バックミラーを見て設計された固定的な社会構造が目前に立ちはだかる。大人は現状維持を望んでいて、若者の問題を真剣に考えていない。私たちはこういう、沖縄の将来を担う、しかし現在は弱い立場にいる人のために真剣に考えなければならない。
本土との格差を縮めるために、振興開発計画を中心に大量の補助金が投下され、実際格差は縮小しつつある。しかし、補助金が不均等に配分されてきたために、結果として県内に大きな格差を生んでしまった。この格差は、現状維持を求める大人と、未来を切り開きたい若者の格差でもある。既得権を維持したい保守層と、社会的弱者の格差でもある。
バックミラーに映っている量の事業、量の開発ではなく、社会を固定化し、既得権を維持するだけの事業ではなく、もっと質を勘案する、ひとりひとりが月曜日が楽しくなるような職場はどこにあるのだ?そういった職場を作ることができる実業家は、誰なのだ?沖縄の事業家の中で誰が明日から従業員の給料を3割増やせるのだ?あるいは1年後から3割増やせるのだ?休みを2割増やせるのだ?70歳の高齢者を20人採用できるのだ?そのためには、現在の商品ではダメだから、サービスではダメだから、営業じゃダメだから、マーケティングじゃダメだから、経営のやり方を変えなければならない。そういう順番で事業の全てを見直さなければならない。しかもこの自由市場で成果を上げなければならない。補助金に頼らず、参入障壁に頼らず、独占形態に頼らず、である。
これから沖縄はどんどん補助金が削がれていく中で、不可逆的に自由市場にさらされていく。その先端で、生産性を上げ続けなけばならないが、その生産性を上げる環境は今までとは全く異なるということを認識しなければならない。
そして、このような事業が必要とするインフラは何だろう?都市機能とはなんだろう?交通は何が適当だろう?そのような企業で働く従業員にふさわしい住環境とはどのようなものだろう?そういう順番で、未来に必要なものから逆算して、基地返還跡地の利用方法を考えるべきだろう。
3. 沖縄振興一括交付金の使い道について
お金は劇薬である。人間を天国にも地獄にも追いやる魔法の薬だ。私たちはその魔法の薬をたくさんもらっているのだが、その薬をどう使うか、処方箋が存在しないのだ。薬屋さんに行って、劇薬をもらって、処方箋がどこにもない様子を想像してもらいたい。しかもこの薬は砂糖に包んであって、口当たりが良く、即効性と中毒性があり、みんなこぞって服用するものだから、社会のいたるところで、激烈な副作用が生じている。現代社会、本土復帰以降の沖縄は、このような状態に置かれている。政治や行政に頼らず、私たちが自分たちの手で処方箋を書かなければならない。
本土復帰以来43年、振興開発計画に基づいて、本土に追いつくことを目標に、つまり本土の平均を目指して経済成長を重視してきた。その結果、本土との経済格差は多少縮まった。しかし、その過程で、振興開発計画によって投下された大量の補助金が、沖縄県に不均等に分配され続け、県内に大きな格差を生んで、貧困の問題をはじめとする、数々の社会問題を生み出しているというのが、私の認識である。
例えば、酒税の減免措置。沖縄振興開発特別措置法に基づいて、沖縄で製造販売される泡盛に関して、35%の減免措置が本土復帰以降43年経過してもなお継続している。現在泡盛の蔵元は県内47。ただし、この減免措置を受けることができるのは、復帰時に蔵元だったこの47社だけだ。新規参入が事実上認められていない。既得権を持つ蔵元は、税金の減免措置のために、安価に商品を販売できるため売り上げを伸ばし、大手蔵元は特に巨額の利益を得ている。
だからといって彼らが新しい事業展開をできるかといえば、沖縄社会ではあまり目立つことができない。業界の序列を変えるような新規事業はまったく歓迎されないし、ある蔵元がいくら儲かっているからといって、従業員一人あたりの給与を700万、800万円にすれば、「なんでお前だけそんなに給与を払っているのだ?」と周囲から声なき圧力を受けて、浮き上がってしまう。結果として、イノベーティブな事業に投資もできず、従業員に多くを分配することも叶わず、バランスシートの中に現金がたまっていく。お金の使い道がないものだから、ある蔵元のように4人の同族経営者に4年間で19億4千万の報酬が支払われる(2014年11月2日朝日新聞デジタル)。県内格差の象徴的な事例である。
私たちの創意工夫とプロセス力で新しいものを生み出すことができるような、文化的、経済的、社会的土壌を生み出さなければならない。沖縄では二次産業が育たない、私たちは島国だから工場を作れない、と良く言われるが、世界で最も時価総額が高いメーカーはアップルである。彼らの製造拠点は中国である。世界で最も価値の高いメーカーは、実は地元で製造していない。それにもかかわらず、製造収益を地元に取り込んでいる。なぜそれが可能かといえば、制度でも補助でもないお金でもない、人の発想と情熱とプロセス力による。
いかに人を生かすようにお金を使うか。今までの発想を転換させるようなお金の使い方を見つけなければならない。子供に多額の小遣いを渡せば、人を潰してしまう。それとは全く違った、人を生かすような使い方をしなければならない。
そのヒントのひとつは「外貨」だと思う。沖縄が戦後まとまって県外からお金を稼いだ時代は2回しかないと思う。1945年終戦後から7年間の密貿易の時代。米軍の資材を流して、与那国経由で台湾、香港とつながり、当時のお金で、個人で100億円の収入を得た人がいたくらい。散々外貨を稼いだが、7年間で終わった。
もう一つはベトナム戦争のコザロックである。一晩でドラム缶にドル札がいっぱいになるくらいの外貨を稼いだ。どちらの時代も、とても個性的な人材を大量に輩出した。外貨を稼ぐ過程で生まれてくる創意工夫とダイナミズムが、大いに人を育てるのだ。しかし、それ以来、沖縄は集中的に外貨を稼いだことはない。
沖縄の自立経済とイノベーティブな人材育成のカギは外需にある。周囲とのバランスを取らなければならない沖縄社会において、沖縄の事業家の中で、外需型の事業家は個性的な方が多いように見える。これを事例に出したら本人に怒られるかもしれないが、お菓子のポルシェの経営者沢岻カズ子さんは、紅芋色のポルシェに乗っている。普通の経営者であれば、「レクサスに乗りにくいから、クラウンにしようかな」、という配慮が必要な沖縄社会で、彼女は堂々とポルシェに乗っている。それは彼女が外貨を稼いでいることと無関係ではないと思う。経済的に自立し、社会に胸を張って、自分を生きている。
また、70歳以上のウチナーンチュと話すと、これが同じ県民かと思うくらい率直に発言する人が多い。「おまえ、それはおかしい」と。普通のウチナーンチュだったら、口にしないようなことも、はっきり口にする。自分の意見を公言して憚らない。私は、それは復帰後の補助金経済が始まる前に社会に出た経験のある世代だからではないかと思っている。外需と自立経済は人を育てるのだ。
だから私たちは視線を外に向けなければならない。このような条件に該当する、外貨を稼ぐことができる企業が沖縄を見渡して、どこにあるかと考えてみると、私は、南西航空を買い戻して、沖縄のフラッグシップとして、人を育てて、腰が抜けるほど外貨を稼ぎ、自力で稼いだ収益をトップではなく、ボトムに幅広く、社会全体に再配分する事業再生を実現するべきだと思っている。
向社会的な投資で収益を生み出す、インパクト投資という概念が世界で広がり始めている。これは政治に頼る必要がない。行政に頼ることもない。たった一人の事業家が、株式の譲渡と経営力でできることだ。私たちが実現すべき経営のイメージを伝える象徴的な事業になるだろう。オレンジの翼が沖縄に戻ってきて、飛行機が一回発着するたびに、その収益が県民のために使われる。そのお金を教育に使っても、農業に使ってもいい。
現在日本トランスオーシャン航空(旧南西航空)の売上は約400億円。東アジアと日本の地方都市にルートを広げ、アジアのダイナミズムを取り込み、売り上げを1000億円に伸ばし、その経常利益率が2割だとしても、毎年税引後で100億円くらいのキャッシュを生み出す事業を実現することは容易なことだ。そして、他人のお金ではない、自分が稼いだそのお金を社会のためにどう使うかを真剣に考える。
とても突飛なことのように聞こえるかもしれないが、自由市場で稼いでいる人たちは、普通にこういうことをしているのだ。それを沖縄でやろうじゃないか。そうすれば、日本全体が、「沖縄はすごいな」、「事業で社会が変わるんだ」、と感じるようになる。
日本の地方都市から見ると、東アジアの観光客や経済が、沖縄を経由してどんどんやってくる。「沖縄の南西航空が地方に経済を運んできてくれた」、ということを目の当たりにすれば、全国的に沖縄のことをもっと真剣に考えようという気持ちが生まれるのは当然のことだろう。本土と対立するのではなく、沖縄が沖縄以外の人の役に立つ。その姿勢が、心でつながる沖縄ファンを全国に増やし、結果として沖縄の発展をもたらす。そういう事業を作ろうじゃないか。そういう発想を持つ人が、事業が、お金を活用すれば、とても豊かな社会になる。そういう会社では70歳の人が普通に働いているはずだ。シングルマザーが出産後、普通に1年間有給休暇をもらえるはずだ。
そのような企業が沖縄から生まれるためには、どういう都市開発がふさわしいのか、基地返還をどう設計するべきなのか、そういう順番でものを考えるべきだろう。
4. 質疑応答: 自由市場での競争について
Q: 生産性を飛躍的に増加させる方法について、自由市場の激しい競争環境を前提として考えるべきなのだろうか?新自由主義経済の枠組みが格差を生んでいるということではないのか?
樋口: とても良い質問をいただいた。「自由市場で生産性を上げる」と表現すると、規制緩和、自由競争を主な手法とする新自由主義的な激しい競争環境を想起させる。そのイメージで「自由市場」を捉えれば、さらに格差にドライブをかけるような印象を与えてしまったかもしれない。
私はまさにこの世界に10数年いたため、この環境がどれだけ過酷なものかよくわかっているつもりである。それを沖縄のような地方で再現しようとしても、みんな心臓発作を起こしてしまう。そんなことに持続性はないし、そのような経済原理を私たちの社会に取り込む必要は全くないと思う。
ただ、素晴らしいことに(というべきか)、この新自由主義経済が機能しなくなり始めている。それにはいろいろな理由があるが、その一つはやはり人口動態である。どれだけ顧客が来ても、どれだけ売り上げがあっても、どれだけ利益が確保されていても、商品が優れていようが、マーケティングがうまくいっていようが、働く人がいなくなって黒字で倒産という事例が出始めている。今の時点でもこの状態なので、5年後、10年後、新自由主義経済は根源的に激しい修正を余儀なくされるだろう。
先に、沖縄では労働者が虐げられてきたと申し上げたが、これは世界的な現象でもある。労働者を叩けば叩くほど企業収益が上がるという発想で、新自由主義経済は「成長」してきたのだが、肝心の労働者が疲弊しきってしまっている。若者がたくさんいた時はそれでも良かったが、今はもう労働者の絶対数が不足している。どれだけ補助金を獲得しても、中国からどれだけ観光客が来てくれても、ほんとうに真剣に人のことを考えなければ、そもそも事業が成り立たない。単に給料を倍にしたからといって人が集まってくれるとは限らない環境で、生きるとはなんだろう?働くとはなんだろう?楽しい月曜日にするために何をしたらいいのだろう?このような、人の心と思いやりを経済活動に取り込まなければ、事業活動そのものが自由市場で戦えないという時代が到来しつつある。
それに呼応するように、経営者の意識が変わり始めている。今までは従業員の給与を減らして、叩けば叩くほど収益が上がるという、企業収益と労働分配はトレードオフの関係にあると考えられてきたのだが、今後は決定的に変化する。従業員を幸せにするほど、彼らが元気になればなるほど、結果として事業収益が上がるのだ。このことを、ポップなセミナーではなく、ハードな科学者が証明しはじめている。この事実が、心理科学、社会科学のレベルから経営に浸透し始めると、それを実証しながら大いに事業を伸ばす経営者が実際に生まれてくる。従業員をとことん大切にすることで、今までとは全く異なる水準の生産性を生む事業モデルが仮に沖縄から生まれたら、今までとは全く異なる労働環境で、豊かな収益を生みながら、楽しく幸福に働けるのだという、次世代の経済原則をみんなが沖縄から学ぶことになる。
そういう会社には人が集まる。幸福な従業員が働いている会社は、幸福な顧客を引きつける。そして、幸福な顧客は財布が緩む。お金を使う。さらに、収益が地域に還元されることがわかっていれば、南西航空を利用すれば、この会社の商品を購入すれば、きっと自分の売り上げは、地域をよくするために使われるのだという、今までとは全く違った信頼関係が企業と消費者の間で生まれる。そうすれば、単に飛行機を利用する、商品を購入するという意味を超えて、社会全体のために、消費者が慈善家として機能するようになる。経営者のパラダイムシフトによって事業の発想が変わりさえすれば、70億人の消費者を慈善家に変えることも可能である。
これは時間の問題で生まれる。世界のどこかで。どうせならばこれを沖縄から生み出そうじゃないか。その1社が、2社が、10社が生まれると、世界から見た沖縄ということの意味が変わる。沖縄社会が異なったパラダイムで世界から見られる。沖縄の問題は、日本全体の問題である。日本の問題はやがて中国の問題になる。中国ではもう、労働人口が減り始めている。人件費が高くて、中国から生産拠点が流出する時代になっている。次にはインドへ広がる。この沖縄モデルが東アジアに拡散する。私たち沖縄がその中心で活動するべきではないか。その沖縄がどの社会よりも優しくて豊かで、75歳が、若者が、シングルマザーが普通に、幸せに働いている。沖縄の真の21世紀ビジョンはこのようにあるべきだろう。
(以上)
*本稿は2015年10月26日、沖縄タイムスデジタル版に掲載された。