この間の台風も過ぎ、これから夏本番の沖縄。
この海の日の連休はあいにくの雨模様でしたが
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか?
過日の沖縄の新聞社に対する百田発言もきっかけとして、
ネット文化の急速な普及などもあり、
マスコミ、ジャーナリズムのあり方といったことに注目が集まっていますね。
ちょっと過激に言うと、
ジャーナリズムというものが、今のこの世の中にあるのでしょうか。
いろいろなインタビュー記事を読む時など、
インタビューを受けている方の立場に立つとなんだか虚しくなってしまうのです。
アングルはマンネリになり、同じようなことを繰り返し聞いている。
これでは答える側は馬鹿馬鹿しい気分になり最後には呆れてしまうのでは
ないかと思うのです。
インタビューする側に覚悟はあるのでしょうか。
引き出し方をどれだけもち、相手を理解しているのでしょうか。
それがないと、答える方は正直、その浅薄なやりとりに飽きてしまうのでは
ないかと思うのです。
「マス」コミュニケーションの性なのでしょうか。
最近、よく思い出す言葉があります。
「虚実皮膜」
芸の真実は虚構と現実とのはざまにあるとする、近松門左衛門の言葉です。
皮と膜の間、物質としては存在しないけれど、真実はそこにある、というのです。
真実がそこにあると感じ取ること、あるいは真実らしきものを感じ取る、
そんな見方にこそ力があるのではないでしょうか。
そして、それを言葉というものに置き換える。
それこそが、人間に残された力なのだと思います。
私も麗王であなたとお話させていただく時には、傾聴しつつ、
虚実皮膜な見方でうかがいたいなと、昨日の海の日の雨の合間に
海辺をランニングしながら思ったことでした。
今週もまた一日一日を丁寧に。