沖縄の問題は「辺野古」米軍基地移設だけではないのは当たり前だが、内在化している問題はほとんどメディアにのることはない。日本政府と対立する政治性だけがクローズアップされがちで、米軍占領下から「ヤマト世」へ移行し、現在に至るまで沖縄が抱え込まざるを得なかった構造的な問題性は腫れ物に触るかのように扱われてきた。そういった問題のいくつかを、金融の専門家にして沖縄大学人文学部准教授、トリニティ株式会社代表取締役をつとめる、沖縄に移住して10年の樋口耕太郎さんに意見をうかがった。

■沖縄で繁栄するモールができれば廃れる町もある■

藤井:沖縄の北中城村に巨大ショッピングモール「ライカム」が2015年4月にオープンしました。イオンのショピングモールです。米軍基地の返還地ですが、もともとは米兵のゴルフ場として使われてきた。その前は沖縄のアメリカ統治下の司令部の名前です。それをそのまま流用するのがある意味で沖縄的だなあと思いつつ、ぼくも見に行ってきました。周囲の道路は大渋滞でしたが、施設の中は広いし、衣食住関連のショップの数はすごい。沖縄の人たちはもちろん、内地や中国、韓国などアジアや世界中から観光客が押し寄せていましたし、米軍基地関係の家族連れも多くて、すごくカオスなかんじがしました。

しかし、近くのコザ(沖縄市)に目を転じると、コザの商店街という商店街は壊滅状態のありさまです。繁栄する町があれば、廃れる町もあるというセットで考えないと何も見えないということを痛感します。コザの夜の飲食店街の「中の町」も含めて、コザのアーケード街は中央パークアベニュー(かつてのセンター通り)やそれに連なるアーケード商店街は、見るも無残です。もっとも、ライカムは町ではなくショッピングモールですが、これからライカムの影響でコザや他の街の商店街も、もう息の根を止められるのではないかと思ってしまいます。

樋口:コザは見ていて苦しい気持ちになります。今は誰も打つ手が無いという感じで放置されているかのようです。多くの方々がたくさんのことを試みてきたと思いますが、対処方法そのものよりも、発想の仕方が問題を悪化させているのではないでしょうか。「基本的にはコザには価値のあるものなどないから、だから何かを作らなければいけない」という前提で発想をすると、一等地の地上げをしてコザミュージックタウンをつくるという結論になる。心臓が悪くなったので外科手術で新しい臓器と取り替えようというイメージでしょうか。その発想を変えてみるということです。「コザは寂れたとはいえ、まだ本島で一番魅力的だし、此処しかないものがまだまだある街だ」という前提で考えると、外科手術よりも、体に栄養を行き渡らせるために血流を良くする方法が適当かもしれない。傷口を開いて、心臓移植をするような、一等地を地上げして箱ものを造るようなやり方じゃない。鍼灸治療のように、そこには面白いものがたくさんあるのだから、血流を回してそこに栄養分を行き渡らせようじゃないかと。例えばの話ですが、幹線道路を除いたすべての道路で路上駐車を解禁するとか。そうすると、コストもかからずに人が街にもどって来る。一番少ないコストで、味のあるコザのコンテンツを活性化出来るのではないか。「この街には良いものがあるんだ」という発想で プロジェクトを進めることが、よいメッセージを広めると思う。ミュージックタウンの何が気になるかと言えば、コザ市民が「今の自分には自信がない」と言っているかのように感じられることです。

藤井:コザは戦後に米軍が基地をつくるために土地を強制接収することによってできた街です。それにともなって基地と共存してきた歴史もあり、たとえば「デイゴホテル」はオーナーは最近亡くなり、いまは新しく建てかえられてしまいましたが、90年代に何度か泊まってしたけれど、こんなに歴史を感じられる所があるのだと思いました。もっと中央パークアベニューも賑やかでした。ところが今は名店だったニューヨークレストランすらつぶれてしまいました。

樋口:なくなったんだ・・・。

藤井:数年前に行ったときに閉店してました。窓ガラスも割られてひどい状態です。「チャーリー多幸寿」だけが営業しています。地元で昔からやっているのは、BCスポーツと照屋楽器店など数軒だけです。通りを上がっていった所にあるテナントビルの「コリンザ」もいまひどい状況です。たしかむかしは大型電器店が入ってた。一階にテーブルがいくつかあって、人がつっぷして寝ていました。コザは独自の歴史があり、それを観光のウリにしてはいますが、沖縄フリークや、歴史好きにはいいかもしれないけれど、もうそういった資源では多くの人を呼ぶのは限界なのかなあという気にもなりました。ミュージックタウンもそうだけれど、コザロックで町おこしをやろうとしたわけで、いまはエイサー会館を造ろうとしているのです。確かにエイサーのさかんな地域だからそういう発想はあるだろうと は思うのですが・・・。

樋口:僕が言っているのは多分10年前だったら機能するプランであって、今はもう手遅れかもしれない。10年前とは言わなくても、5年前だったらまだ面白い店はあった。ここ2 ~3 年で急速に寂れたかな。

藤井:たしかに急速にゴーストタウン化したのはここ2~3 年ですね。

樋口:もう手遅れになっちゃったのかな。

藤井:コザ十字路の銀天街なんて見る影もないですよ。戦後あそこは一番にぎやかな所だったのですけれど、現在は道路を拡張して道路に面した建物の壁に、コザの歴史が絵巻のようにした壁画が描いてある。

樋口:街ってこんなに簡単に変わっちゃうのだね。

■沖縄で50歳以上の生活保護受給者が増えている状況をどう考えるか■

藤井:コザのあちこちには昔の街の面影が残っているスナックとかクラブをリニューアルしてやっている店がごくわずかあるけれど、まち全体の魅力につながっていない。街づくりは一朝一夕でできるものではないけれど、基地に付随して発展してきた街や、米軍基地の返還地はまとめてでかい箱ものをつくるか、ショッピングモールをつくるパターンが目立ちます。もちろん、そうではない例も浦添の港川の米軍住宅をそのまま再利用したショップが立ち並んだ区域(港川ステイツサイドタウン)など一部にはあります。この間行ってきたら、ケーキ屋やカフェ、古着屋に中国から若い女性たちがたくさん来ていました。ところで、樋口さんの金融の専門家の視点から見ると、経済をまわす意味では箱ものをつくるほうが楽なんですか。

樋口:ハコモノは時間的に早く出来上がるし、お金さえ払えば人が作ってくれるものだから、よりよい商品やサービスを生み出したり、苦労して人材を育てたり、頭を使 う必要も汗を流す必要もない。安易というか、その方が楽だと考える人は多い。大きなお金も動くし、街づくりを手がける当事者の実績にもなりやすい。自分たちが世界中のモノを見て、文化的なものを経験して、膨大な資料に目を通して、たくさん勉強して、そのうえで地元にある資源を生かしてやっていきたいとい う、時間や手間のかかる街づくりは敬遠されちゃうのではないかな。

藤井:樋口さんは沖縄では50代以上の生活保護者がすごく増えていて、それは仕事が無いからだという指摘をされています。一方で、ライカムが出来て、以前のゴルフ場の時の従業員は80人くらいだけど、今は3千人位になっている。雇用が増えたから若い人たちはすごくいいことなわけですが、樋口さんは『週刊金融財政事情』(2015.5.25 号)にこう書いておられます。すこし長くなりますが、抜粋させていただきます。

現在人口約30万人の那覇市では、1万1809人(2014年10月現在)の被生活保護者が存在する。最低値5788人を記録した1993年から20年間増加を続け、倍増した。これら保護世帯にかかる2014年度予算が約209億円。54億円弱が一般財源から支出され、市財政を強く圧迫している。80年から長きにわたって減少傾向にあった被生活保護者数は、2000年前後を起点に急上昇に転じている。2000年に6870人だった被生活保護者数は、2014年度には1万1809人となり、72%増加した。2000年から2014年は、翁長雄志知事が那覇市長を勤めた期間でもある(データは2015年1月5日沖縄タイムス、那覇市健康福祉概要、那覇市統計書による)。(中略)

たとえば、人口約260万人の大阪市には他都道府県から日中1000万人の流入があるが、島嶼圏の沖縄はこのような広域経済圏をもたない。島国で経済のパイが変わらないため、競合する事業が生まれれば他の地域の顧客が奪われることになる。顕著な事例は、北谷美浜地区のアメリカンビレッジ再開発によって崩壊状 態に瀕している隣町のコザだろう。基地返還のモデルケースといわれている北谷美浜地区の評価は、コザの衰退とセットで考えなければ実態をとらえることはで きない。

琉球イオン、サンエーの大手2社が2000年から2014年までの間に1000億円近く売上げを増やしたということは、地元の小売店や自営業者の売上げがそれだけの規模で奪われた可能性があるということだ。個人事業主で廃業した人も少なくないだろう。地域を支えていた共同体も変化したに違いない。

ショッピングセンターの開業や再開発に伴って新たな雇用が生まれる一方で、新たな雇用の「受け皿」から漏れる人たちが少なからず存在する。50歳以上の労働者だ。地元に根づいた商売が成り立たなくなれば、転職を考えなければならないが、50歳を超えて再就職先をみつけることは容易ではない。これが2000年以降、50歳以上を中心に被生活保護者数が急増し続けている基本構造ではないだろうか。

実際、2000年からの14年間で増加した4939人の被生活保護者のうち、50歳以上が実に9割弱(4325人)を占めている。50歳以上だけでみると、同期間114%の増加率である。2000年以降の被生活保護者数急増は、シニアの再雇用問題である可能性が高い。

しかし、被生活保護者数増加の一因がショッピングセンターの急増だったとしても、イオンやサンエーを批判することはお門違いだ。彼らの立場で株主に対して 責任を果たそうと思えば、それ以外の選択肢は事実上存在しない。ダイナミズムあふれるグローバル社会において、地域の変化は避けられないことであり、悪いことばかりではない。大手企業が新たな雇用を生むこと自体は地域にとって明らかなメリットであり、生産性の低い業態が淘汰され、新たな産業が生まれる構造変化は社会の活力源でもある。1990年以降、伝統的な製造業の雇用が大幅に減少するなかで、シリコンバレーの新興企業が大量に雇用を創出して、アメリカの国力を支えているのは典型的な事例だ。

問題の本質は、ショッピングセンターの増加ではない。古い産 業が淘汰されることでもない。(語弊があるが)古い共同体が崩壊したことでもない。これらの変化は避けられないことであり、私たちは変化を前提に未来を創造せざるをえないのだ。本当の問題は、「私たちが現在生み出している産業のなかに、将来の自分たちが健康で幸福に働ける場所が存在しない」ということ、そして「再開発で街並みが変わったあとに新たな人のつながり(共同体)が生まれにくい社会設計を放置している」ことにある。

樋口:オープンしたてのイオンライカムでは、始めの数ヶ月という条件付きですが、時給1500円くらいで募集している。沖縄で一番時給が高いから若い世代には飛びつく人もいる。確かに雇用は増える。絶対数で失業率は下がる。とりあえず彼らの購買意欲も生まれるし、経済的にはプラスしかない様に見えるけれど、その影で社会は確実に壊れている。質的な変化は目に見えにくいので、見逃されがちです。すぐに は問題にならないのですが、放置しておくとボディーブローのように後から効いてくる。目に見えないものは、想像力を働かせないと認識出来ない。社会政策や経営を未来志向で捉えると、その時点では証明されていないものであっても、ときには直感を信じて行動しなければならない。社会も同じだと思います。50代以上の生活保護の増加も、ショッピングセンターとの因果関係が必ずしも明確だとは言えませんが、生活保護という症状に現れている以上、必ず「身体」のどこかに異変が生じているはずです。それが「内蔵」なのか、「神経」なのか、「血液」なのか、身体の内部を常に意識しながら社会を捉えないといけないと思うんですよ。そのためには多少大胆な仮説も必要です。

藤井:事象と事象を関連づけて想像力を働かせて見ていかないと本質はわかりにくいということですね。こちらを立てればこちらが立たないというように、そうした沖縄の急速な「変化」も視野に入れながら議論をする必要がある。辺野古に反対するのはもちろん賛成なのですけれど、樋口さんも指摘されていますが、他の海岸に目を転じると埋め立てだらけで、皮肉なことに立入禁止の米軍基地の海岸が一番綺麗だったりする。どんどん護岸工事をしてきた。辺野古の海も大切ですが、一方で開発振興ということで自然を壊してきたこともきちんと視野に入れるべきじゃないかと私はいつも思うのです。だって護岸工事された浜は観光資源にはならない。

樋口:ほんとうにそう思います。複眼でものを見る必要がありますね。

■幻の政策アドバイザー■

樋口:じつは僕、一昨年浦添市の副市長になりかかった事があるんです。副市長は民間からでも、どこから登用されてもいいのですけれど、さすがに内地出身の副市長はないだろうということで、政策アドバイザーに内定したのです。話の発端は、2013年2月に松本哲治氏が当選して浦添市長になった時のことです。元々、彼は「浦添新軍港受け入れ容認」という立場で候補になりました。ところが、自民党県連から支持されたもうひとりの対立候補の西原さんが、当時の儀間市長(軍港容認派)に対抗する為に、翁長那覇市長(当時)のバックアップを受けた形で「軍港受け入れ反対」を主張したのです。このため、選挙直前に松本さんも「軍港受け入れ反対」へと立場を切り替えた。あの一瞬だけ翁長さんは実質的に「浦添への新軍港移設反対」の立場にまわったともいえます。

形勢不利だった松本さんでしたが、蓋を開けてみれば、保革相乗りの「オール沖縄」的な票が想像以上に広がり、「軍港受け入れ反対」の公約を背負ったまま勝っちゃった訳です。儀間さんにとっても、自民党にとっても想定外だった。松本さんの後の説明によると、松本市長が誕生した後で、翁長さん(当時・那覇市 長)は、「(自分が推薦した西原さんではなく)松本さんが通ったのだったらいいや」、と言わんばかりに、受け入れ容認派に逆戻りしてしまった、と。

その結果、たった一人、沖縄で松本市長だけが「軍港受け入れ反対」という立場になってしまった。軍港受け入れ反対という姿勢がどれだけ周りから反発されるか、松本さんは後になってその意味を実感したと思うのです。浦添新軍港を含む浦添西海岸の埋め立て工事では8千億円のカネが落ちると言われていますから、 計画が前に進めば「20年間は食える」と経済界は考えていた。実際に軍港受け入れを表明した儀間市政では、2002年以降てだこホールや浦添美術館がオープンし、小中学校の整備が進むなど、多くのお金が落ちて、儀間さんの票に繋がり、長期に市政が安定していたわけです。

それらの勢力が全部松本市長の敵になってしまったわけです。「ふざけるな、松本」という経済界やらの声がデカくなって、あまりに反対が激しいものだから、 彼は困ってしまった。誰かこの風当たりから守ってくれる人は居ないだろうかとさがしたところ、沖縄大学に樋口という変な奴がいて埋め立て反対だということを青臭く言っている、とぼくに話が来たわけです。西海岸の問題は樋口さんやってくれない?全部任せるから、というかんじで投げられた。信任して任せても らったというよりは、ともかく自分の盾になってくれという意味だったように思います。それは後から気付いたのですけれど。

藤井:樋口さんが絡んでおられたとは知りませんでした。地元に地縁血縁や利権の絡みのないシマナイチャーにそこに入って貰うという意味もあったのですか。

樋口:僕は必ずしも悪い意味だとは思っていないのですが、ともかくいつ切り捨てても、クビにしてもよさそうな人間。沖縄社会とはしがらみの無いナイチャーだし、悪者になってくれそうな人という事で、彼はぼくをアドバイザーに内定したのではないかな。僕もキンザーを活かすことができるならと、喜んでその役目を 引き受けた。そうしたら、松本さんにとって裏目に出た訳です。「ヒグチって誰だ?」、「ナイチャーだろ」、「埋め立て反対だと?」、しかも(ポーズだけじゃなくて)本当に反対しそうだと、経済界からの反発に火に油を注いでしまうかっこうになり、松本さんに対する圧力が倍増したのです。

■補助金を必要とする人たち■

藤井:そのあたりは沖縄らしいというと叱られるかもしれませんが、狭い共同体の中で外来者を徹底的に裏でつぶすやり方ですね。

樋口:誰が僕の人事を止めたのかはだいたい分かっています。狭い沖縄で、いろんな話が筒抜けですから。浦添市役所はいまだに前市長の儀間さんの影響が強く、新しい松本市長が「こうやってくれ」と言っても、すぐには動かない。長い間に築かれた多様な関係がきっとあるのでしょう。そんな訳で僕の人事は半年くらい内定状態のままで放置された。松本市長も僕と接触するとさらに不都合になるという状況だったのでしょう。お忍びに近い形で何度か会いにきて頂きましたが、 会話がまったく煮え切らない。松本市長にはきちんとしたビジョンがなかったことも原因のひとつなのですが、僕が彼を困らせているような気がしたので、最終的にはぼくのほうから辞退した訳です

一連のそういった経験の中で、何故埋め立てが止まらないのか、肌身で理解したところがあります。先程も言ったように、8 千億円という大事業がかかっていたら、樋口がどう言っている、松本市長がどう言っている、なんて小さな話なんです。彼らがどんな意見で、どんな立場であろうと知った事か、とにかく彼らを止めろ、という発想になるのは当然でしょう。埋め立てさえ進めば、街のクオリティにはそれほどこだわらない。綺麗な海を残すよりも、ともかく新たな土地を作るのだ、という考えが中心にものごとが動くわけです。その為に彼らは彼らで全力を出して戦っている訳ですから。この人達は例えば「20年後に社会が求める街づくり」というような発想はほとんど持っていない、というよりも周囲との関係で持てないのではないでしょうか。とにかく埋立て事業を進めることが最優先なのだなということがわかりました。

しかも沖縄では、土木建築事業の最大95パーセントは沖縄振興予算で賄われますから、自治体の懐はあまり痛まない。浦添新軍港受け入れは、振興のための補助金を獲得する手段としては絶好といえます。 「長い時間をかけて埋め立て計画を進めてきて、ようやくこれから金になるという時に潰すのか」という怒りも起きる。その気持ちは理解できます。

藤井:松本市長の「変節」は内地ではかなり報道されました。最終的に今年(2014年)になってから、翁長県政がスタートしてから内地でもニュースは流れましたけれど、松本市長は軍港受け入れを正式に表明しましたね。松本市長は苦渋の選択をしたということを言っていましたが、利権絡みの圧力がそうとうあったということは予想できたことです。

樋口:松本市長の特徴は、浦添新軍港の受け入れか反対かについて、自分自身の強い意見や信念がないということでしょう。「沖縄県知事だった仲井眞さんや翁長市長が軍港は浦添でなくても構わないという姿勢をとったから、僕も軍港受け入れに反対した」、と繰り返し発言しています。それなのに当選した瞬間に彼らは 「手のひらを返しちゃった」から、梯子を外されて困っているのは私の方なのだという説明をしている訳です。

藤井:このあたりの経緯は「ポリタス」で樋口さんが書かれています。当選後、少しずつ公約を撤回するかたちで自民党寄りになっていくところまで樋口さんはお書きになっていましたが、翁長さんもこうなる可能性もゼロではないという、ただ手放しで喜んでいるだけではいけないという冷静なメッセージでした。

■浦添市長は浦添新軍港について何の決定権もじつはなかった■

樋口:沖縄は今、辺野古基地建設反対の強い風が吹いています。翁長さんの皆の心を動かしている言葉は、「沖縄に基地を作らせない」、「ウチナンチュは今まで自ら進んで基地のために土地を提供した事は無いのだ」という二つ。こういったフレーズがものすごく人の心を打っている。

僕は、翁長知事は浦添新軍港の建設について、遠からず明確に反対だと言わざるを得なくなると思います。今のところ、「沖縄タイムス」も「琉球新報」もこの問題を積極的に取り上げない。翁長さんが十数年前から浦添新軍港への移設を推進してきたこれまでのことはいいとしても、今現在に至っても、推進の立場を変えていないにもかかわらず、です。それに関して彼もほとんどコメントしないし、メディアも県議会の野党もほとんど沈黙していて、表面化していないので、こ の問題の存在自体に気付いていない人がほとんどではないでしょうか。

藤井:地元記者と何人か懇談したのですけれど、触らないようにしているようです。

樋口:これもあまり知られていないことですが、あの那覇軍港の浦添地先への移転、つまり浦添新軍港を決める当事者というのは、那覇市ではないのです。浦添市でも、沖縄県でもありません。

藤井:別の組織があるのですね。

樋口:那覇市、浦添市、沖縄県とはまた別に、「那覇港管理組合」という名称を聞いた事はひょっとしたらあるかも知れないけれど、あそこの海岸沿いから海にかけては、いわばもう一つの「海の自治体」があるのです。首長がいて議会がある、ガバナンスも自治体そのもの。「管理組合」の議会は10票から成っていて、5票が沖縄県、3票が那覇市、2票が浦添市のそれぞれ選出の県議、市議が議員になって、那覇と浦添の海岸から海にかけて、政府と相談しながら、開発、運営の全てを決めている訳です。だから那覇市も浦添市も沖縄県も直接の意味では権限がありません。松本さんも軍港受け入れ反対を目玉の公約にして当選したのは良いのだけれど、この人は当事者ではないのです。

藤井:決定権がない訳ですね。じゃあ、なぜ軍港受け入れ反対を公約にしちゃったのか。松本さんが意見を言う事は出来るけれど、公約にするのもおかしな話です。

樋口:松本さんはそういう事を知らずに、軍港受け入れ反対の立場を取ってしまったのではないかな。たぶん市長になった後で、「実は自分は何も出来ないじゃないか」と気がついた。だから、公約を守って進むのも困難、退くのも困難という状態になってしまった。福祉事業出身の松本さんにそういう行政知識はなかったと思います。

「那覇港管理組合」という「海の自治体」の評決権は県が5、那覇市が3。すなわち翁長さんが実質的に8割の票を持っているに等しいのです。那覇市の3票は翁長さんの「後継者」である城間幹子市長が持っていますので。なおかつこの組織上のトップ、いわゆる「首長」に該当する人間は翁長さん自身なのです。あとは常勤の管理者として、実務のトップに該当するのは、沖縄県の土木畑の金城勉さんという方がなっていま す。これも沖縄県の方。

藤井:金城勉さんは公明党ですね。政府では与党ですがウェブサイトを見ると、与党的ではない意見を表明されていて、翁長さんと近いですね。翁長さんは事実上、辺野古反対でやっているけれど、那覇新軍港はオーケーの立場なのだから、というか、那覇軍港には明確にノーと言っていないから、ある意味でダブルスタンダードをやっているということなのですね。

樋口:浦添新軍港に関しては翁長さんが事実上一人で決められる、というより、この軍港の話を進めているのは、彼が当事者そのものなのです。誰と相談しなきゃいけないとか、権限が曖昧なのではなくて、とてつもなくはっきりした権限者なのです。

■那覇軍港の移転と辺野古基地■

藤井:翁長さんはどう説明をされるかわかりませんが、彼は日米安保の重要性は認めている。沖縄から基地はもっと割合を減らして内地も負担せよということですね。ということは辺野古は許せないけれど、那覇の軍港は仕方がないという理屈なのかな。

樋口:翁長さんが辺野古新基地の建設に反対するのと、浦添新軍港に反対するのとでは、経済的にも、政治的にも後者の方がはるかに難しいはずです。沖縄の保守政治家としてのバランス感覚はすごくある方だろうから、辺野古の5千億の工事を捨てる代わりに、軍港の8千億はとっておくということかもしれない。彼の意見とはまた別に、彼の支持者の意図も複雑に絡み合っているはずです。

藤井:那覇軍港の方が落ちるおカネはデカいのですね。

樋口:浦添西海岸は外海だから、軍港の先に3キロメートルの堤防を造る必要があって、1メートルについて1億円かかるそうです。堤防だけで3千億円です。莫大なおカネが落ちます。しかも名護市辺野古に落ちるおカネと浦添市に落ちるおカネを比較すると、沖縄経済全体からしたらどちらが得かは明らかでしょう。しかも彼の票田である那覇市のお膝下に大量にお金が落ちるとなれば、政治的にも遥かに価値があるのじゃないでしょうか。

藤井:ぼくも沖縄で土建関係のわりと裏社会ともつながりがある人に取材すると、反翁長の人が多いんですが、辺野古はダメでも浦添の方でという判断もあるようですね。

樋口:沖縄の裏社会だって、経済的には保守でしょう。辺野古(に反対するの)は仕方ないけれど、知事になったのだから浦添は分かっているのだろうな、という暗黙の圧力があってもおかしくない。保守系の政治家としての翁長さんを支えてきた経済界も、黙ってはいないでしょう。辺野古に加えて浦添もNOと翁長さんが言ったら、そういう意味でも苦しい立場になるかも知れない。一方で、彼が浦添新軍港に賛成の立場である事、しかも事実上の権限者である事が衆知なったとき、「絶対に新基地はつくらせない」という旗印のもとで集まった「オール沖縄」、反基地の人たち、あるいは沖縄の苦境に同情して辺野古基金の7割を寄付した方々のような本土世論に対してどう説明をするのか。

藤井:どっちにも転べない状態ですね。だから問題にならないように棚上げしておくようなかんじでしょうか。ぼくは先日、「沖縄報道の温度差」というテーマで地元紙の沖縄タイムス、琉球新報の幹部、自民党県連幹事長、保守派の元知事などに会ってインタビューをしたのです。今回、反辺野古の県民集会で初めて自民党がコメントを出さなかったのです。幹事長に会って「なぜコメントを出さなかったんですか」と質問したら、もう我慢ならんと険しい顔をしてました。つまり反辺野古のことばかりで、こちら側のことをまったく触れないことに。別に社説があるのはいい、けれど、それだと本来の権力監視ではないじゃないかと自民党の幹事長が言っていました。でも、軍港のことは翁長さんの古巣、もとの盟友たちはよく知っているはずですから、そのうちに翁長さんはそのあたりをつつかれる可能性はあります。

樋口:「オール沖縄」の勢いを止めない為には、翁長さんは新軍港建設にもいずれ反対せざるを得ないはずです。ところがその決断は、彼の今までの支持者を「裏切り」、既得権者を脅かす、ひょっとしたら裏の世界の反感を買うかもしれない。相当重大な決断だと思うけれど、彼が今やろうとしている事を貫く為には避けて通れないと思います。

藤井:翁長さんが朝日新聞のインタビューでも答えていましたけれど、国からの補助金などカネは一切要らないから、全て自己決定にさせてくれと。だから、軍港の8千億も要らないというのも筋としては合っている。

樋口:意外な展開にも見えますが、今まで放っておいても良かったものを、放っておけなくしたのが松本哲治市長なんです。軍港受け入れを今年になってから正式に発表した後に、松本哲治市長は官邸の菅さんの所に呼ばれています。浦添新軍港受け入れで、浦添市民から公約違反と批判されている松本さんとしては、政府のど真ん中で官房長官から握手を求められて歓待されたら、心強いでしょう。松本市長が公約を撤回して、軍港受け入れに賛成し、彼がこの問題を舞台に上げてしまったがゆえに、「じゃあこの軍港の話ってどうなっているの」と再燃する可能性が生まれている。「浦添新軍港はもともと翁長さんが進めてきたプロジェクトなのではないの」、というふうに疑念が広まるのは時間の問題じゃないでしょうか。

藤井:翁長さんと仲井真さんのときに5つの首長が仲井真さんについているから、すでにオール沖縄ではないですが、翁長さんの政治的な立ち振る舞い方に注目したいですね。

■辺野古以外の軍事施設の新設や移転を知事はどう判断するか■

樋口:さらに問題があって、浦添市は今まで10年以上進めてきた浦添新軍港の位置を移す新提案をしています。浦添案というやつです。昨今の合意通り進めるということであれば、翁長さんは軍港の事を積極的に議論しなくても良かったのですけれど、松本市長が軍港を移す事を提案してしまったので、軍港をどうするかという議論をせざるを得なくなってしまった。そのままだったら、何となく慣性の法則も働いていたのだけれど。先程も言いましたけれど、決定は翁長さんの権限なわけです。軍港の修正案を議論するという事は、賛成か反対かを明らかにせざるを得ないということです。那覇軍港の移設と浦添新軍港受け入れおよび関連する港湾の開発計画は10年ごとに見直されることになっていて、第一次計画の10年が終わるのがちょうど今年の8月です。見直し期限が多少延長される可能性もあるけれど、いずれ、ここで決める次のプランはここから10年続くわけです。今年の見直しで浦添新軍港の受け入れを翁長さんが承認すれば、浦添新軍港はほぼ完成することになるでしょう。

藤井:今、新軍港があまり話題になっていないから進んでいるんでしょうか。とうぜん翁長さんや周囲もそのことは知っているわけで、そのカードをどういうふうに使うかということを考えているのではないですか。メディアもまったく無視していられるわけがないし、これは市長時代に決めたことで、彼は政治的な立場を変えたのだから、それもすぐに結論を出せというのも酷な話だという同情論もあるでしょう。

樋口:善意的に解釈すれば、翁長さんはいまタイミングを計っていて、辺野古の問題にすこし目処がついたら、浦添への移設反対を切り出そうというのかもしれない。あるいは、このまま放置して殆どコメントをしないまま(こっそり)承認と言うことなのかも知れません。でも、いったん判子を押したら、将来のどこかの時点で必ず、それこそ県民の中から「えっ?そうだったの?」と言う声が上がる事になるわけです。いつか本格的に浦添新軍港の話が認知されはじめた時に、「誰が進めていたんだっけ?」と今年の見直し決定内容に遡り、翁長さんの承認だという事がいずれ何処かで明らかにならざるを得ない。翁長さんがこれからこの数か月の間に浦添新軍港に対してどういう態度を取るかが、実は「オール沖縄」の行方を決めるのではないでしょうか。

■基地「関連」収入を少なく見積もってはいけない■

藤井:普天間の基地の地権者の会合を取材したことがあります。今は二世代目、三世代目になっています。地権者は3千人以上いて、宜野湾市役所の担当部署が取りまとめています。宜野湾市の数字をいろいろ見せてもらったのですが、かつてに比べてたしかに基地関連収入は減っています。働く人口も少し減っていたり、 あとは米兵が街で落とす金も減っています。米兵は自分たちが起こす事件のせいで外出禁止令で外に出られないので、米兵相手の飲み屋はやっていけない。県全体で見ると現在は2~3パーセントと言います。

しかし、一括交付金も含めて、たとえば泡盛などの酒類などの税制優遇なども、やはり米軍基地負担の見返りとしてのおカネと考えていいと思います。軍の職員の給料と地代だけではない。地代だけでもめちゃくちゃでかいですが、それの何十倍の金が回っているという現実も見る必要がありますね。

樋口:観光客は那覇空港の着陸料が安くなってから倍増しています。それも形を変えた沖縄振興策です。この優遇措置なくなったら観光客は半減とは言わないけれど、2~3割は平気で減るんじゃないでしょうか。観光収入が4千億から3千5百億ぐらいになってしまうイメージです。酒税の優遇措置も、もしなくなったらオリオンビールは経営的に危機を迎えるかもしれない。オリオンビールは沖縄では大きな広告費を出しているから、多くの広告代理店もきびしくなる。こういったことも広い意味では基地経済と関連しているはずなのだけれど、基地関連収入 「5パーセント」の枠外にとらえられています。問題は、それが特別な事だと思わない程に麻痺しちゃっていることです。翁長さんは補助金は要らないと言っている。「5パーセント」が無くなっても良いという話なら沖縄経済にそれほどのダメージは生じないけれど、現実的にあり得ない。沖縄県のGDP の2~3割、ひょっとしたら5割減に関わってしまうことにもなりかねない。その代わりに東アジアとの貿易で埋め合わせが出来るのか。いずれそういう事を考えないといけない。これまでと全然違った付加価値を生み出す事を、沖縄自身が考えなければならない。これまで政治や行政が補助金を使って振興を進めてきましたが、新しいことを始めようとするたびに、いつも最後は人材がいない、という結論にたどり着きます。補助金がありすぎて人材が育たず、情熱が失われ、想像力が喪失されているからだと思います。

藤井:ごく一部の話だと思いますが、たとえば音楽の領域では、ライブハウスで客がゼロでも損をしないという話を聞いたことがたまにあります。たしかにミュージシャンとかに取材をしたら、 芸術にも補助金が出る仕組みがありました。それはそれでいいことだと思いますが、一方で競争力を削ぐことにもなります。描いたり、良い音楽をしたり、良いアートを創る事をしなくても、例えばライブをして、客がゼロでもお金が貰えることが、アートのためにいいのかどうか。それから居酒屋の出店率と閉店率が日本一ですが、それも補助金が出やすいから出店して、客が入らないとすぐに閉店してしまう。で、借金だけが残る。県民一人当たりの居酒屋数が日本一で、「沖縄の人 は泡盛好きだね」「沖縄は夜が長い」というステレオタイプの紹介をされるでしょう。最近は「居酒屋にちいさな子どもを連れて行くのが当たり前の沖縄」というネガティブなかんじで話題にもなりましたが、そういう仕組みがあって、自然に若い世代の仲間うちの集合場所になっているからという面もあります。若い人 たちの起業のアイディアがそっちに偏ってしまっている傾向は否めないと思う。

樋口:翁長さんも繰り返し、基地は経済発展の阻害要因であると言っています。僕はそれに反対はしません。もちろん、基地がなくなった方が発展の画は描ける。 だからと言って、黙って基地が還って来て、那覇の新都心の「おもろまち」のようになったからといって、本当に持続的な発展を遂げる社会になっていくのでしょうか。おもろまちは、親泊前市長が手がけ、翁長さんが完成した街です。翁長さんは基地問題に対して、政治的な流れをつくる力は確かにあると思う。オー ル沖縄が今後も実体として社会を動かしていくかどうかはまだ未知数なところがありますが、一つの流れをつくってきた演出家としての腕は見事と言うほかはない。それを街づくりのほうにも生かして、今までとは異なる社会をデザインして欲しい。

藤井:沖縄の基地のあとにどういう町をデザインするかというのは、どういう付加価値の高い社会をつくるかということにもつながります。観光立県をいうならば、そういうことにもっとあらゆるアイディアや知力を注ぎ込んだほうがいいですね。

■共同体の中で声が上げにくい沖縄■

樋口:酷い言い方に聞こえるかもしれませんが、何にでも補助金が出るのは、経済的には形を変えた生活保護のようなものです。今、生活保護者数の急増が問題になっていますが、「実質的な生活保護」という見方で考えたら、実際に問題視されている額よりもはるかに金額が大きい。見かけ上は仕事があるし、収入があるし、家庭があるから、本人も含めて、誰も「生活保護」だとは思わないかもしれないけれど。補助金に頼って売り上げをつくり、それが商売だと言えるのだったら、多くの人はその方が気楽でいいと思うけれど、そんな事業は結局続かない。

藤井:格差問題も最大の問題だと樋口さんは指摘されているけれど、僕もそう思っています。8月に出す『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)の取材で、沖縄の売買春街の戦後史を取材して、現代ではどうなっているのかを取材しましたが百パーセントシングルマザーで、ほぼ間違いなく夫の暴力や、仕事放棄があり、高リスクの家庭の問題もあります。男尊女卑的な社会も感じました。

樋口:男が働かないことにあまり文句を言われない。女性が支えているのに、すごく男性優位社会。

藤井:門中制度が機能していて皆で子どもを育て合う文化が残っていると指摘する「沖縄通」の論者も少なくないのですが、ほんとうにそうなのかなと思います。離婚率は日本一高いですが、子どもはシングルマザーが引き取って、アパートで一人で育てています。門中や親戚関係からパージされているケースはめずらしくない。共働き家庭が大半だから、老人を地域や家で爺さん婆さんを抱えることは無理で、核家族も進んでいます。古き良き沖縄のイメージとはかけ離れた実態があると思います。そして経済格差もすごいものがある。とくに公務員や元公務員と民間の差が激しいですね。

樋口:ぼくが経営をしていたサンマリーナホテルの副料理長が「食えない」と言って、週末にタクシーの運転手をしていたことがあるそうです。ホテルの副料理長でそれですよ。沖縄で、仕事を2つ3つ掛け持つのは当然なんです。ぼくの(本土的な)感覚で、従業員が他の仕事を持っているなんて、はじめは何ふざけているんだろうと思ったけれど、彼らはそうしないと生活が出来ないわけです。

藤井:沖縄は労働組合もきわめて少ない。沖縄の友人たちの言い分を聞いていると、給料をもう少し上げてくれという事すら、皆まとまって言う事が出来ないのです。文句を言うと白い目で見られるという意識がすごく強い。

樋口:独占企業が安価な雇用で経営を安定させる。悪意のない搾取が構造化している社会です。それを文化的に強化しているのは、「シージャー権力」だと思う。年長主義。ここまで年長主義が残っている地域って日本では珍しいと思うのです。

藤井:年寄りを大事にする文化だとポジティブに捉えられているけれど。

樋口:この文化は権力を固定化するにはとても都合がいい。反面、社会を向上させたり、物事を変化させようとする人に対して、強力な逆風が吹きます。沖縄は、何もしない人に対してはとても優しいけれど、何か新しいことをしようとする人に対しては、表面上は穏やかに、しかし獰猛に潰しにかかるようなところがあります。サンマリーナの従業員組合は、ぼくが買収する前に解散したのだけど労働組合の元委員長に色々話を聞いたことがあります。彼は本当に擦り切れていて、「もう二度とこんな仕事をしたくない」と言っていた。なぜかと言うと、委員長が矢面に立っても、残りの従業員は誰も付いて来ないから。沖縄は連絡ごとの返事をもらうにも一苦労する文化です。全て彼が引っ被らないとものごとが前に進まない。人と違う事をしたり、新しいことに取り組むのはタブーだから、委員長だけではなく、委員長のサポートをする人も、「いいかっこをしている」と思われたりして、そのとばっちりを受けるわけです。新しい事を試みたり、その活動に加担しているのを周りに見られると、周囲から人が遠のいて、いつの間にか自分の居場所を失う。このような人間関係が経済と社会に与える影響は大きいと思います。

■「ゆいまーる」精神とはなんだろうか疑問に思った事件■

藤井:まったく私事の一つの「経験」をお話しします。ぼくは沖縄が好きが高じて、10年前ぐらいに那覇の中心部に中古マンションを購入して「半移住」のような生活をしていますが、マンションの所有者の理事会が紛糾した事件がありました。30数世帯が入っています。あるとき、管理人として20代前半の男の子が雇われたのですが、積み立て金の管理費の800万を騙して銀行から引き出して持って逃げたのです。その管理人が雇われた理由は、理事長のバツイチの娘の彼氏だったからなのです。深夜はスーパーで働いていたから、昼間の管理人の仕事は寝ていることが多くてできるはずもない。その雇い入れ方もどうかと言う話になるのですが、800万を持って逃げて、名護で仲間と強制わいせつ事件を起こした。被害者は中学生の女子です。行方不明になった時から、ぼくは警察に強く言わなきゃだめだと理事会で主張して、個人的に告発状を出したりしました。

しかし、理事会では事件が起きるまでは、そのうち返せばいい、それがユイマール精神という人までいて驚きました。聞けば、そういう事件は過去に二度あって、そうやって返させてきたと。元管理人の青年は重大な刑事事件を起こしたから、裁判員裁判になった。ぼくが各世帯に裁判傍聴に誘っても誰も来ない。ぼくは集中審理に通い、公判を報告する手作り新聞をつくり、全ポストに毎日入れました。法廷レポートを書いて、記者クラブの友達から資料を貰って、かなり詳細な事件を伝えました。管理費が盗まれて、強制わいせつ事件が起き、裁判で実刑が確定するまで2~3年かかったのですが、ぼくは事件担当理事になりました。 その過程で2~3世帯は協力してくれるようになったのですが、ヘンなナイチャーが騒いでいるぐらいにしか思われてなかったと思います。そもそもマンションの理事会は声のデカい男性前の方に陣取ってワーワーと文句を言うだけだったのですが、その事件が起きて、ぼくが理事会の危機感のなさや、理事会の記録開示やいろいろな手続きの問題を指摘し始めたら、そういう人たちはぼくを嫌ってだんだん来なくなり、女性が発言できるような雰囲気にはなりました。夜になると声のデカい人からぼくに電話が掛かってきて、懐柔しようとするわけです。そういう出来事はうちのマンションだけかち思っていたら、同じような「解決」の方法をあちこちで耳にしました。共同体性の強い地域では、だいたいそうかもしれませんが、何か裏で手をまわして物事を進めていく空気をあらわしているように思い、それまでに僕が勝手に思い描いていた「沖縄イメージ」が少し変わりました。まあ、月に一度しか沖縄に来ない外来者の勝手な言い分ですが(笑)。

樋口:沖縄って誰もクラクションを鳴らさないじゃないですか。本土だったら、不用意に右折をしようとする車がいたら、パーッと鳴らして、周りの人間は「いいぞ、ふざけた運転をするな。もっと鳴らせ」となると思うのです。ところが沖縄でクラクションを鳴らすと、違法運転を した人を誰も責めないのですね。逆に鳴らした人間をパッと見るわけです。誰、こんな(クラクションを鳴らすような)怖い事をしているのは」と。社会的に制裁を加えられるのは、声を上げた人間のほうなんです。正しい事であれ、社会的にプラスの事であれ、ともかく良い悪いではないのです。声を上げた人間から は、人がどんどん離れていき、やがて周りに誰もいなくなる。

ぼくがもし商売をしていたら、お客さんがひとりまたひとりといなくなり、生活が成り立たなくなる。そんなぼくに関わる人も、ぼくと同類に見られるから、その人の生活も成り立たなくなる。新しい事をする、あるいは正しい事をする、ものを変えるというのが沖縄の最大のタブーの一つではないですかね。例えば、上司と部下の関係で、部下がダラダラ働いているのを見て、「お前、これはこうじゃないか」と上司が指摘をすると、「上司さん怖いね」となる。

藤井:「クラクション」の今のお話は、僕は感じたことがなくて、むしろクラクションを鳴らすタクシーとか多いなぁと印象なんですが(笑)。

沖縄のさまざまな社会の仕組みの中に、利害関係のない人が外から人がどんどん入ってくる事が重要なんじゃないかと思う事が多いです。たとえば、さきほどのように、利権がもろに絡むようなところには、樋口さんが政策アドバイサーで入るみたいな。大学は県外からも教員がかなり来ていますが、市議会も県議会も、全部沖縄の人です。それでは利権構造や地縁血縁に縛られてしまう。

樋口:問題を指摘する人間を、ゆるやかに、しかし強力に排除する仕組みが社会の中に組み込まれている。声をあげた人がいると、言われた人は「責められた」というふうに振る舞って「被害者」になる。声をあげた人が「加害者」になる。事情に関係なく、事の善し悪しに関係なく、声を上げた加害者が悪いということになります。そして最終的には人間関係の「制裁」が加わる。沖縄のルールとして、ともかく声をあげて目立った瞬間に社会から浮くわけです。このルールは本土には分からないですね。本土ってどちらかと言うと、出来ない人が苛められるけれど、沖縄は逆で、出来る人が苛められるの です。「なんで、お前だけ働くの」、「どうして良い格好しているの」、「やめておけよ」、という声なき声です。

藤井:観光客などで流行っている街に行くと、この辺で儲けているのはヤマトの人だけで皆お金儲けが上手いねーという陰口みたいなのを聞きます。たしかに大資本が吸い上げていく構造は問題かもしれないけれど、カネもうけはあたかもヤマトからきた人の特権で、それは良くないことで、沖縄の人は被害者的な文脈になっちゃう。このトーンで皆に話が伝わる。樋口さんがおっしゃる同調圧力がしみついている構造もあるし、ヤマト嫌いという空気もそれに複雑に絡んできますね。さきほどのマンションの問題ふくめて、ぼくはいろいろなところで、揉め事に関わったことがあるけれど、ふた言目には「だからヤマトは信用できん」ということになることが多かった。それまでの話はぜんぶ吹っ飛んでしまって唖然とするしかないことが何度もありました。さすがに「くされナイチャー」とは言われないけど。

■沖縄に住み続ける理由■

藤井:ところで、樋口さんはどうして沖縄にいらっしゃるのですか。もちろん仕事があるということだろうけれど、沖縄をなんとかしたいという気持ちがあるのですか。通いではなく、居を構えたという事も含めて。

樋口:ぼくは一生沖縄にいる事を10年前に決めています。すべてはその覚悟から始まっているのですけれど、なぜかと言われれば、直観によるものです。あまり論理的に説明できません。ただ、ずいぶん以前から、一所懸命という言葉が大好きで、自分の居場所は自分で決めるべきではないと感じているのです。沖縄に来たのも私の意志ではなく偶然に近いものですし、その前に住んでいた東京もニューヨークも私が望んだわけではありません。縁がある一所で命を懸けるという生き方に意味があると思っているのです。同じように、自分が仕事を求めるよりも、仕事に必要とされるような自分の価値を積み上げたいと思っています。

あえて沖縄にいる必然性を言葉で説明しようと試みると、一つの例としては、東京で何か社会のイノベーションが起こって、「これは上手く社会の問題を解決出来る」というものが生まれたとしても、それを沖縄に持って来ても全然上手くいかないわけです。だけれど沖縄でこの社会の問題を根本的に解決出来る仕組みが生まれたら、ずっと幅広い人たちの役にたつことが可能だと思うのです。これからの社会の問題は基本的に地方の問題です。中央はこれに答えを出せないのです。地方が潰れたら、どうせ日本も潰れるから、日本を再生するイノベーションというか、何か新しいものを創ろうと思ったら、地方で考えて実践するしかない。いろいろな問題が山積している沖縄だけれど、じつは同じ問題が日本の地方の至る所にある。その問題が超デフォルメされているこの沖縄社会だった ら、その本質を見つけやすいかもしれない。

藤井:福島は沖縄は、日本の周縁化されて基地と原発を押しつけられて、それなしでは生きていけなくさせられてしまったという意味ではとよく似ていると言われますけれど、それが復興というものを通じて変えられるかもしれなくて移住した人も居ます。そういう様な、ある種実験的なもので、自分自身の経済専門家として、何かモデルが創れるのではないかとそういう様な形ですか。

樋口:そんなイメージはありますね。沖縄はすごく発信力がある地域なのです。ここで起こったものは宣伝をしなくてもあっという間に全国に広がる訳です。僕は岩手県の出身だけれど、岩手で起こったことが日本全体に影響を与えるとは考え辛い。

増田寛也さんの『地方消滅』が売れていますが、高齢者が増えているという時代がもう終わりかけていて、高齢者そのものが減りはじめている。医療や介 護関係の雇用、あるいは年金による消費など、高齢者がいるから地方はもっていたわけで、地方経済のかなりの部分は、実は高齢者がいないと成り立たない。彼らがいなくなると、地方の生活が保たれなくなって、一気に若い世代が都市に流れる。

そうなると、ぼくの想像ですけれど、どれだけいい商品を開発しても、どれだけ売り上げがあっても、どれだけサービスが良くても、人がいないから黒字倒産する会社が生まれてくると思う。それこそライカムじゃないけれど、給料を倍にしたからって、それだけでは人を惹きつけることが困難になる。今までの労働概念と全く違った深さと発想で、「人が働くって何だろう」、「人が本当に豊かに生きるって何だろう」ということを考えていかざるを得なくなる。人間の心の奥底まで掘り下げて、本当の幸せを考えている企業しか存在し得ないのではないかなと。

藤井:なるほど。それが沖縄で出来る可能性がある。人口も東京に次いで増えている県でもある。人口の流動性が高い。潜在的な文化も含め、土地の持っている力があると見ているのですね。

樋口:すごくあります。今までの世界はお金、マーケティング、資金力、経済力などが人の生き方を決めてきたけれど、これからは全然違った社会、つまり本当に人の事を考えている企業が物凄く伸びる。

藤井:若い人にも大学教育を通じて、そういう事を伝えていきたいと。

樋口:彼らが本当に活き活きとした人生を送るためにどういう手助けができるのか、どういう接し方をしたら彼らがインスピレーションを感じるのかという事を、毎日、試行錯誤しながら実証的に観察・研究しているのです。それが次世代社会の人間再生のモデルになり、将来、事業でも地域再生でも教育でも良いけれど応用していけばいいと思うのです。

■若い人たちが夢を持てる沖縄に■

藤井:あるインターネットのトーク番組で沖縄の予備校でかなり偏差値の高い子たちに「皆さんの夢は?」と質問すると、シーンとした後、沖縄電力などの大企業に入る事や、公務員になる事という答えしか返ってこなくて、困ったことがありました。ぼくとしてはもっと沖縄の独自性を見据えたような起業のアイディアなどを期待していたのですが、違ってた。そのうほうが親が喜ぶし、周りが喜ぶからです。そういう人生の目標をもちろんあれこれ言えないけど、どこか自分を抑えているかんじがしたんですよ。

樋口:やりたいことを皆の前ではっきり口にすると、不都合が生じる可能性がある。目立ってはいけないのですよ。言った瞬間にだれかに邪魔される可能性がある。沖縄の中でちょっと尖がっている人間、ちょっと個性のある人間はたたかれやすい傾向があると思います。この実態を知りたいと思って、学生にかなり細かくインタビューをしています。彼らが小学校から大学に至るまで、社会から、親から、兄弟から、友達からどんなプレッシャーを受けてきたか。本人が気付いていなかったものも含めて、どんな人生を送っているのかという事をいろいろ聞いていると、びっくりするくらいプレッシャーを受けている。がんじがらめで自分の人生を生きることが難しい。本心から意見をいいにくい。これを言ってしまったら関係が壊れるかもと思ってしまう。だから、ウチナンチュが人の心を読む力は抜群です。自分の居場所を作る為に、人の気持ちがどう変化したのか、鋭く捉える力が研ぎすまされている。自分の居場所を微妙に調整するために。だから学生に「何か質問は?」と言っても、誰も手を上げないのは何も考えていないというわけではなく、周りにどのような影響を与えるのかが気になるからです。

藤井:沖縄で新しい仕事をつくるという発想ってすごく夢があると思うし、じっさいにうまく言っている個人や会社もあります。沖縄の人もいれば、内地や海外から来た人を含て、おもしろいことをやって、それは世界的に発信力を持っていますよね。

樋口:沖縄社会を変える原動力となり得るのは、内需型ではなくて、自分独自に外貨(県外からの売上)を稼げる、しがらみが少なく経済的に独立出来る人間です。彼らが「自分」を生きられない大きな理由は経済なのです。本当に正直にものを言っても、自分の生活が保たれるくらいの、強力な経済エンジンがあったらいいのです。これは補助金ではだめです。実際、私の見るかぎり、外需型の事業家はこの沖縄社会にあってもずいぶん個性的な人が多い。やはり沖縄社会から経済的に自立しているからでしょう。そう考えると、人が自分らしく生きられるかどうかは、自分とお金との戦いのようなところがある。ですから、補助金の多い地域ほど自分を生きにくいのは当然。ぼくが経済にこだわるのはそういう理由もあります。

藤井:沖縄ではとくに米軍基地の問題は賛成や反対が日常のなかで言えないじゃないですか。基地の賛成と反対で亀裂が入ってしまった親戚や友人関係もよくありますが、そうならないように触れないようにしている。辺野古だって取材で条件付きではあっても「賛成派」の人や誘致活動している議員に話を聞くと、同じ地域での住民の中で口に出さないだけで心の中の対立はすごいものがあると感じてしまいます。日本各地でも原発のある地域もそうですが、地域を二分ような「政治」問題があるとき、押し黙ることは処世術としてあるとも思います。

樋口:相手を傷つけちゃうかもしれないという心のブレーキがすごくかかる。そういう文化的なものが、経済や政治、社会にも影響を与えていると思っていて、この事を理解せずには沖縄での新しい社会変革は成り立たないと思うのです。子どもの頃から言いたい事が言えない。親の為に諦めた事はごまんとある。ぼくがつきあいのある若いウチナンチュが言っていましたけれど、「僕達はともかく誰かと一緒にいるけれど、いなきゃいけないようなところもある。踏み込んだ深い話 は出来ない。本当に自分の事を理解出来る友達は少なくて、ぼくたちは孤独なのです」って。

藤井:樋口さんはほぼ毎夜、那覇の繁華街・松山のバーでハーブティーを飲んでおられる。客が一日7人としても、年間2000人、これまで10年間で2万人を超える人となんらかの言葉を交わしておられることになるわけですよね。このインタビューもそのお店でやらせていただているわけですが、ここはウチナンチュの方もこれば、ナイチャーの方も来るし、いろいろな属性の方がくる。そうやって定点観測的に樋口さんは沖縄の内側を観察してこられたわけですが、そうやって膨大な人を通じて吸収、蓄積されてきた樋口さんのデータベースはすごいなと思います。大学では沖縄の子どもたちとも接点がある。それらを樋口さんのフィルターを通じて、今後も発信されていってください。今回はありがとうございました。

(終わり)

*2015年5月25日に行われた、ノンフィクションライターの藤井誠二さんとのインタビュー記事に、樋口が加筆修正しました。