まだクーラーを必要とする暑さではありますが、風や日差しは、
確実に秋の訪れを知らせてくれている今日この頃ですね。
トマトやなす、冬瓜、そら豆、桃やスイカ…と、今年の夏も、
みずみずしくておいしい旬のものをたくさんお料理していただきました。
夏は、シンプルに、素材の力強い持ち味をそのままいただくのも
おいしい時季。さっと焼いたり、冷やしたり、薬味やスパイスもよく合い、
いただき方も多彩です。季節の恵みの豊かさに、ありがたみを
感じました。
弊社のHPのアップデイトでは我が家で作って食べているものを毎日
アップしたり、季節ごとの行事やエピソードや想い、社会で今起こっている
出来事に対する考えなどを綴っているのですが、先日も
「なんで食べているものを毎日載せたりしているんですか?」と
問われました。
これからも変わらずに続けていこうと思っていることですのでこの機会に
お答えしておこうと思います。
戦後70年という今、考えてみるとこうしたあたり前の日常生活も、
すべて、平和な世の中があってこそ、その上に成り立っているものだと
あらためて気づきます。
先日、琉球新報さんの主催でノルウェーの平和学者、
ヨハン・ガルトゥング博士の講演会が開かれていましたが、
私は以前にこのヨハン・ガルトゥング博士の考えに触れたことが
ありましたので、戦後70年の節目の時ということもあって、ここのところ
よく雑誌などでも取り上げられたりして
やはり注目される考え方なのだなと思っておりました。
そうしたところに、麗王にもいらしてくださった日本政策学校・代表理事の
金野さまから、
「ノルウェーから来日中のヨハン・ガルトゥング博士が
(戦後の平和学の創始者、紛争解決の世界的パイオニア)、
六本木での田原総一朗氏との対談で、
「東アジアの共同体を作り、その首都は沖縄にすべし」と
熱弁されていました。
というメールをいただき、ますますその感を強くした次第です。
ヨハン・ガルトゥング博士は、戦争のない状態を、「消極的平和」とし、
それに加えて、貧困や抑圧、差別などがない状態を「積極的平和」として
唱え、本当の平和の意味、未来への道すじを示しました。
高度経済成長、バブル景気と崩壊、大震災、大災害などを経た現在、
「平和」とは、とても広く深いものであると思い至ります。
だれもが住みやすく、あたたかい世の中にするためには、どうしたら
よいでしょうか。
それには、私達の暮らしのあり方そのものが問われているように思うのです。
戦争や紛争だけでなく、自然環境やエネルギー問題、格差や貧困など、
いまあるさまざまな課題は、「暮らしの問題」です。
だからこそ私は毎日の生活の質や、季節や行事の細かなことや、
社会で人々の間で今起こっていることなどを、さまざまな主義の枠組みを
超えて、私達自身の我が事として考えたいという思いから始めました。
特に、その暮らしの中で大事なことが、「心身ともに健康であること」
なのだと思います。そのためには質の良い食は欠かせません。
今の世の中は、便利さ、手軽さ、安さなどが追い求められているために、
流通のため日持ちするよう保存料が加えられ、
見た目の良さのため着色料が加えられ、
材料のコストを抑えるため化学調味料が加えられ…と
いろいろと余計な添加物が加えられ、成人男性で年間5キロもの
化学性の合成添加物を摂っているといわれています。
そしてそれを消化するために身体は余計な労力を必要としますし
体外に排出されず体にどんどん溜まっていく添加物もあります。
当たり前のことですが、私達の身体は毎日の食べるものから
できています。
つまり、私達の身体は工場のようなもので、食べたものを材料に、
燃やして形を変え、新しい肉体となり、身体と心の健康に大きな
影響を与えているのです。
そして私達の肉体は新陳代謝という形で、常に新しく生まれ変わって
います。3ヶ月経つと体内の細胞がほとんど入れ替わるそうです。
健康的な肉体を保つには、
① いかによい材料を入れるか?
② いかに消化・吸収するか?
③ いかに不要なものを排出するか?
この3つが大切です。
つまりは自分の身体の材料を選ぶつもりで、食べるものを
選びたいものですね。
そして私達個々人が毎日を健やかに、小さな幸せを積み重ねて
丁寧に暮らしていく、そんななかから平和も生まれていくのではないでしょうか。
来週は秋分の日。
あなたにとっての秋は食欲の秋?読書の秋?スポーツの秋?…
どんな秋でしょうか。
私にとっては色気のない話ですが、やはり食欲の秋かしら。
だって、食べるということは、お腹がいっぱいになるだけじゃなくて、
暮らしの歓びそのものなのですから。
【末金典子】