アメリカでは過去50年で結婚率が20%低下。4割は、結婚制度が社会的な機能を失いつつあると考え始めている。
この傾向は特に低収入層に顕著で、過去のパターン(高収入・高学歴ほど結婚しにくい)と逆転している。現在、30歳までに結婚する確率は、大学卒の方が高くなっている。
・・・味気ない言い方だが、男性の収入が減少していることが原因だろう。あくまで一般論だが、女性は収入優先。男性は容姿・服従優先。どちらにとっても人間性は二の次のように見える。超・資本主義が進み、男性の収入が減って、女性の要求を満たすことができなくなれば、婚姻率が減少するのは当然だ。
仮に、男性の収入減が婚姻率低下の原因ならば、結婚という制度はお金が介在しなければ成り立たないのだ。そんな機能はなくなっても構わないと思う。
そもそも婚姻制度は愛とは無関係だ。皮肉な言い回しで恐縮だが、私が知る限り、結婚で不幸になっている人は五万といるが、離婚して後悔している人はあまり見たことがない。できの悪い冗談のようだが、結婚の90%は過ちで、離婚の100%は正しい。それは結婚の多くが、愛を目的としていない関係になってしまっているからだろう。
逆に、本当に愛に生きるのなら、なぜ婚姻制度が必要なのだろう? 結婚という仕組み自体が、男女という最も重要な人間関係から愛を奪っているということはないだろうか?
女性の悩みを聞いていると、いかに稼ぎの良い男性を見つけるか、という話になりがちだ。しかし、男性はこれを批判できるだろうか? 対象が異なるだけで、これは男性の仕事に対する姿勢と瓜二つだからだ。男性も女性も、結局「お金」「安定」のために、本当に大事なものを二の次にして生きている。
結婚相手を探すとき、私たちはとかく相手の条件を検討する。そして、自分の状況と刷り合わせて妥協する。そろそろ子供を生みたいし、親がうるさいし、これ以上良い人が現れそうにないし、待つのに疲れてしまったし、相手が好きだといってくれるし・・・ 自分の愛はいつも二番目だ。
世の中はとてもうまくできていて、この人「でも」いいか、と妥協すれば、相手からも必ずこの子「でも」いいか、と妥協される関係になる。そんな人間関係が継続するためには、お金か子供でもいなければ成り立たないのは当然だろう。
本当に深みがあり、継続する人間関係を求めるのならば、「相手の人生を、そして二人の人生をどれだけ豊かにできるだろうか。そして、そのために自分は何ができるだろうか」、と問うべきだろう。
結婚に限らず、人間関係の価値とは「1+1>2」が成り立つかどうか。それ以外に二人でいることの理由はないと思う。
【樋口耕太郎】 (2010年11月24日のツイッターより再掲)