今週末は沖縄の県知事選挙。それにしても、なぜこれだけ多くの人が、政治の勝ち負けに熱中するのか、保守だ革新だと立場を決めたがるのか、私には理解ができない。政治議論に熱くなったり、政治に不満を持つ人は多いのだが、それは「政治こそが世の中を良くする手段だ」という大前提があるからこそだろう。

私が疑問に思うのは、(少なくとも現在の)政治という社会運営システムは、そもそも、社会を良くする機能を構造的に備えているのだろうか?ということだ。例えば、政治は自殺率を減らせるだろうか?政治は虐待を減らせるだろうか?政治はシングルマザーと夜中の無認可保育を減らせるだろうか?

政治は沖縄のホテル従業員の手取り給与を12万円から上げられるだろうか?政治はキャンプキンザーの醜い埋め立てと無粋な架橋を止められるだろうか?政 治は補助金漬けで自立心を失った沖縄県民の魂を取り戻せるだろうか?政治はアトピー性皮膚炎や花粉症の蔓延を治せるだろうか?

政治は農薬漬けと添加物漬けで毒薬と化した我々の食を正常化できるのだろうか?政治はインシュリンや常備薬がなければ1週間と生きられない病人だらけの 高齢化社会を修正できるのだろうか?政治は儲けるだけではない、人に嘘をつかない、思いやりを目的とした経済を実現できるのだろうか?

これらのすべての問いについて、政治が解決してくれるだろうと期待している人は、少し立ち止まって考え直した方が良い。このシステムで過去60年間実現しなかったこと、それどころが、悪化の一途を辿っていることが、今度は違う!明日から改善する!と思える根拠は一体何処にあるのだろう?

アルバート・アインシュタインは、「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という」と言う言葉を残したが、その言葉どおりに解釈すると、我々の社会は既に正気を失っているということになる。そして、正にその通りの社会が生まれているのだ。

正反対のことを言うようだが、実は、我々は誰も政治に対して、先の各問いにYESと答えることなど期待していないのだろうと思う。我々が政治に期待しているものは、突き詰めれば結局「経済成長」であり、それによって(実質的に)お金の分配に預かるということだ。

少々乱暴な一般化だが、実際、過去60年間政治が果たした機能は「経済成長」であり、それ以外のことで政治が社会運営に対して本質的な役割を担ったことは、そもそもあったのだろうか?

国民が欲するお金を、政治家が再分配する。その対価が先の社会問題の数々である。このように考えれば、我々の社会がなぜ現在の姿のようになっているのか、とても説明できると思う。それが、始めから政治という構造の持つ機能なのだ、と。

恐らく最も重要なことは、政治はあくまで国民の欲するものを実現する機能だということ。政治の目的は、一般に認識されているような「世の中を良くすること」では始めからない。社会にお金を増やすことだ。しかし、それは、国民がそれを望んでいるからなのだ。

現在の社会問題の数々は、本当は「問題」ではない。我々が望んだことが、政治家というエージェントを通じて100%叶ったというだけのことだ。社会の本当の「問題」とは、それが解決できないことではなく、我々が解決したくないということにある。

我々がこの社会を本当に良くしたいと望むのであれば、解決するフリをするのではなく、我々が望むものそのものを変えるべきだろう。そして、社会に変化を生むための必要条件は、今までとは(本質的に)異なる何かを試すということである。

【2014.11.14 樋口耕太郎】