今月は十五夜、重陽の節句、敬老の日、お彼岸の入り、ともう過ぎてしまって
来週は秋分の日。いよいよ本格的な秋の訪れですね。
日々の雑事に追われているうちに
「え~っ?もう今年もあと三ヶ月ほどなの~っ?」って感じで、
本当に月日の経つのの早いことったら!

「自分はいったい今年何を成し遂げたのだろう?」
「こんなことしていて、このまままで、いいのだろうか?」……
そんなふうに不安な気持ちになったり、将来に対する怖れの気持ちなどで
いっぱいになったりしていないでしょうか。
今日はその不安を取り除くためのお話を書こうと思います。

人間の感情は、突き詰めると「愛」と「怖れ」の二つしかないと言われています。
「愛」こそが私たちの真実で、「怖れ」は人間が作り出した幻想でしかありません。
確かに、自分が怖れや不安に思うことのほぼ90%は当たらないそうです。
であるにもかかわらず、怖れの気持ちでいっぱいでいると、
かけがえのない「いま」この一瞬がおろそかにされてしまいます。

現在、このひとときが幸福であるなら、それを充分に味わえばよいのに、
いろいろなことを考えて悩みはじめると、その幸福は手の中から
こぼれていってしまいます。

世の中はべつに心配事に満ちているわけではありません。
私達は、つねに心配したりおびえたりする気持ちから解放されることが
できるのです。
それには、「人はだれかを助けようと夢中になっているときは怖れを感じない。」
ということが心配やおびえから解放される唯一の道のようです。

いろいろな怖れや怒りは心をトレーニングすることによって、
解放し自由になることができると説く国際的に有名な精神科医の
ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士のエピソードを御紹介します。

「人はだれかを助けようと夢中になっているときは怖れを感じない。」

このことをはっきりと意識したのは、1945年、私がスタンフォード大学医学部で
インターン三か月目の時でした。医学部では、クラスの三分の一の学生が
そのとき勉強している病気の症状を引き起こしているように見えました。
そしてそのうちの何人かは勉強中の病気に実際にかかってしまうのです。
私が一番恐れていたのは結核で、自分は結核にかかって死ぬのに
ちがいないとまで思いこんでいました。そしてインターンのとき、ついに
結核病棟の担当になってしまったのです。ある朝、目覚めて
一息呼吸したとたんに、そのまま死んでしまう、そんな自分の姿が何度も何度も
目に浮かびました。

ある夜のことです。私は、結核に加え、アルコールによる肝硬変を併発している
55歳の女性患者のことで緊急に呼び出されました。肝硬変を起こすと、
食道に静脈瘤ができやすくなるのですが、この女性患者は、食道静脈瘤が
破裂して吐血し、ショック状態に陥っていました。脈拍は微弱になっており、
血圧は低下して脈拍はふれることができませんでした。私はまず、
食道と気管からあふれ出る血液を吸引した後心臓マッサージを行いました。
ところが、あいにくその日は、酸素吸入器が故障しており、
私はマウス・ツー・マウスの人工呼吸を行わなければなりませんでしたが、
幸いなことにこの緊急処置は、患者の容態を好転させました。

当直室に戻った私は、鏡に映る自分の姿を眺めました。緑色の手術着は
患者の血で、赤く染まっていました。そして、そのとき突然私は、患者の処置に
必死になっている間、ただの一度も恐れを感じなかったのに気がついたのです。

人を助けることに集中しているとき、恐れを感じることはない。

私はこの真実に気づきました。これは猛烈な体験でした。それまでは、
結核にかかるのではないか、と内心おびえていたため、その恐怖にすくみ
動けなくなってしまうことさえあったのです。

人が、与えることだけを考えているとき、恐れを感じることはない。
このことをはっきり教えてくれた体験でした。

これを読んでいて私の子供の頃のことを思い出しました。

それは、幼稚園でのお昼ご飯の光景。
子供たちそれぞれの前には、お母さんの心のこもったお弁当が広げられています。
でもその中でひとり、不安そうにまわりを見ているちずるちゃんという
女の子がいました。
実はその日、ちずるちゃんのお母さんから幼稚園に電話が入り、
「ちずるを送り出してから、使っていた包丁が欠けていたのに気づいたので、
持たせたお弁当は食べさせないようにお願いします」という言伝があったのです。
そこで先生は、ちずるちゃんのお弁当箱のフタをお皿代わりにして、私たちに
語りかけました。
「みんなのおいしそうなお弁当からおすそわけしてくれる人はいるかな?」
すると、いっせいに手が挙がって、それはもうオモチャ箱をひっくり返したような
大騒ぎです。私も一生懸命手を挙げましたが、見ると、
普段は意地悪でいじめっ子の男の子たちまで、割れるような大声を出して、
必死に手を挙げています。私は小さいながらも、「ああ、みんな同じなんだ。
本当はみんな優しいんだ」と感じたのを覚えています。
その時、先生と私の目が合いました。すると先生は、「じゃあ、卵焼きを一つ
分けてあげてね」といって、先生のお箸が、私の卵焼きを拾いあげてゆく…。
その時、小さな私の胸はとても幸せにときめいたのです。
「ああこれでちずるちゃんも、お弁当が食べられるんだ」と、何ともいえない
温かさが湧き、澄んだ喜びが心の奥からこぼれ落ちそうになりました。
お腹がすいているのに、自分の食べ物が減ってゆくことが、何だか嬉しい…。
今思えばあれは「誰かのお役に立てる」という、最初のときめきだったのでしょう。
大人になると、こういう純粋さはついつい忘れてしまいがちですが、
あの日クラスのみんなが手を挙げたように、本当は誰もの中に、純粋で優しい
気持ちが息づいているのだと思います。
そしてそんな気持ちで生きていくことこそが、怖れや不安を感じずに、
幸せに生きていくことなのではと、私なりに感じたことでした。

あなたが秋の毎日をうんと幸せにお過ごしになられますように。

【2014.9.18 末金典子】