お元気ですか?
オリンピックや夏休みも終わり、みんなの気持ちも穏やかな秋に向かい
落ち着きつつありますが、あなたの夏はいかがでしたでしょうか。
さて、月曜日は敬老の日ですね。
この日は、私の大好きな聖徳太子が、悲伝院というお年寄りの救護施設を
設立したことにちなんで作られた国民の祝日です。お年寄りへの感謝と尊敬を
思い出させてくれる日でもありますね。
毎年この月には、私の祖父母の思い出などを書かせていただいて
いるのですが、今年は少し趣きを変えて「歳をとること」について
考えてみたいと思います。
そこで、あなたに質問です。
あのときいちばん幸せだったと言えるのは、いつですか?
もう卒業した、と思うことは何ですか?
愛読書は、と聞かれたら何と答えますか?
これだけは「ちょっとしたもの」と胸を張れることは何ですか?
やらずに過ごしてきたことは何ですか?
これからの10年、どうしますか?
夫として、父として、女性なら妻として、母として、独身なら社会人として、
これまで過ごしてきた時間を、「ちょっとしたもの」と振り返って
胸を張ることができる。それがだいたい50歳くらいなのではないでしょうか。
裏返せば、築いてきた“人生のキャリア”という見晴らしのよい場所を得て、
暮らしの楽しみを再構築するための、またとない時間が広がっている、
とも言うことができるのではないでしょうか。あらためて「個人」に戻ることが
できた人だけが、その時間の広がりへ歩みを進める資格があるのでしょう。
そうなると、趣味も仕事も、もう“使い捨て”程度のことには時間と力は
注ぎたくはありませんよね。
あなたは今何歳ですか?
これから迎える10年、さあ、覚悟はよろしいですか?
生まれてくる時代も場所も環境も、選ぶことはできません。
たぶん、死んでいくときも同じで、時間も場所も思うようにはならないと
思います。ただ、わかっていることは、生まれたのだからやがて死ぬという
ことだけ。では、生と死のはざ間で、自分の思うようになる時間と環境が
どれほどあるかというと、これも相対的に見れば大して長い時間ではありません。
こういう忙しい現代に生きていると、人生の中で自由になることができる時間を
いかに使い切ったかで、その人の幸福感は違ってくるのでは…と思ったりも
します。
人間が幸福を感じるのは「刹那の中に永遠を見たとき」といいますが、
そういう瞬間はいつでも起きるわけではありません。よほど上手に考えて時間を
やりくりしないと、自分のための時間はなくなってしまいます。常日ごろから、
刹那の中に永遠を見られる段取りをきちんとしておきたいものです。
要するに、人間の一生を集約してしまえば、自分で自分を思い通りにできる
時間は本当にわずかなのです。
地球上に生きている人類すべてに時間は平等です。唯一の平等原則かも
しれません。それなら、私は「私自身による、私自身のための、私自身の人生」
を創造し、できるだけ楽しく生き抜いてしまうほうが賢いのではないかと
思うのです。言ってしまえば、下手な悩みは休むに似たり。
では、それはどんなふうにすれば創造できるのでしょうか。
それほど難しいことではありません。
日常生活の中から、できる限りわずらわしいことを排除していけばよいのです。
また人間関係でも「自分は自分、他人は他人」という線引きをきちんとする。
こう言うと、いかにもわがことばかりの「ミーイズム」のように感じたり、
「冷たい」と思ったりしてしまうのですが、このせちがらくも忙しい、そして
いまだ成熟の域に達しきらない現代社会をスマートに生き抜こうと思ったら、
お互いが「自立した社会人」にならなければいけません。
いつの世も人情や愛情は替えがたく最も大切なものです。でも、お互いの存在に
必要以上にもたれかかったり、べっとりとよりかかったままでは、「情」に
つぶされて自立した人間が育たないように思います。
「自分自身のための、自分自身による、自分自身の人生」。
読んでしまえば、あまりにも当たりまえで、あまりにも身近な言葉です。
でも、この言葉を現実のものとして、自分の手に入れるのは相当至難の技だと
思います。しっかりした自立の精神で、自分自身の人生を築きたいものですね。
限りある人生です。あなたも時間を大切に上手に使って、ぜひ、より輝きに
満ちた人生を作り出してください。
最後にもう一度…
これからの10年、どうしますか?
【2008.9.12 末金典子】