お元気ですか?
今日は桃の節句ですね。
この節句は中国から伝わったもので、この日に川で手足を洗って心身の穢れを
祓ったといいます。
日本では、穢れや邪気を、身代わりの人形に移し、川や海に流し、
川原や海辺で干し飯やあられを食べて楽しんだのだとか。

子供の頃、おばあちゃんと母が、飾ってくれたお雛さまの前で、
どうしてひな祭りの日には、はまぐりの潮汁・白酒・ひし餅・などを食するのか
という話をしてくれたことを思い出します。
お膳にはその他、ちらしずし・桜餅・桜漬け・鯛の尾頭付き・ひなあられ・
菜の花のおひたし・白酒などが並んでいましたっけ。
今日もぜひそうやって古式ゆかしく、ひな祭りを祝おうと思っています。

さて、ひな祭りの時期といえば、卒業式があちらこちらで行われていますね~。

私がちょうど40歳になる頃に、あとにも先にもこれ1回きりだけど、
同窓会に出たことがあります。
私の高校は男女共学の公立高校だったのですが、大学進学前の3年生になると、
選択科目コース別クラスに分けられ、文系でなおかつ生物&地学を選択した私は
12クラス中唯一の全員が女子の「女組」へ。
(因みに理数系で物理&数Ⅲを選択した子は12クラス中これまた唯一男子ばかりの
「男組」というのもありました。)
つまり、私の高校3年生時代は、教室の中だけ女子高だったわけです。
その「女組」の同窓会に出てみると……ちょっぴり太ったり、シワを作ったりした
女性たちが御堂筋のホテルに集まって、ちょっと壮観でしたね~。
でも、みんなの話題は「うちの主人は○○に勤めていて」「息子は○○中学なの」
といったふうに、卒業写真の中にはない、自分に加わった価値を競い合っている
ようにみえました。
私の青春時代の教祖さまともいえるユーミンが50歳を過ぎた時に
書かれていたことを、その時ふと思い出しました。
「40歳はまだ生乾き。まだギラギラした部分がいっぱいある。50歳を超えると
幸せが形でないことに気づくから、目に見えるものでは競い合ったりは
しないもの」。と。

「人ごみに流されて変わってゆく私を、あなたはときどき遠くでしかって」。
ユーミンは30年前そう綴っていたけれど、今、学生時代の自分と向き合うと、
愛おしい半面、あの頃の自分をぶっちぎったから今の私がいる、そうも思うのです。
先週末、お客さまがお話されていたことがとても印象的だったのですが、
娘さんの高校の卒業式に列席なさった時、涙が止まらなかった
そうなのです。娘さんがよくぞここまで育ってくれたという想いや感慨とは
別のところで、子供達の答辞や送辞などを聞いているうちに、これからの夢や
希望に溢れた、真っ白で無垢な飾らない純粋な気持ちに触れ、当時の自分や
今の自分に思うところが大きかったようなのです。
変わることは決して悪いことではありません。でも、ちょっと振り返って、
たまには、変わる前の自分に思いを馳せてみるのも、自分を知るいい機会に
なるかもしれませんね。
私が「同窓会に出よう」。そう思った本当の理由は、友達に会うこと以上に、
自分を知るため、だったように思います。

生まれてきた目的は人によって違いますが、すべての人に共通する目的もあります。
それは、「自分を知る」という目的。人はみな、自分が自分になるために
生まれてくるのです。
「私は誰?」
「私は何のために生まれてきたの?」
「私の役目って?」
それはやっぱり自分にしか、自分でしか分からない。
だからこそいつも自分の心の声を聞き、自分が惹かれるもの、憧れるもの、
感じるものを大切にし、「自分自身」を知っていきたいものですね。

別に同窓会に行かなくとも、自身でそれをする方法があるんです。
卒業写真を開いて、自分と向き合ってみるのです。
――さあ、今のあなた、変わったものは何ですか?
変わらないものは何ですか?

【2008.3.3 末金典子】