ゴールデンウィークはのんびりなさいましたか?
私はといいますと、おうちでひたすらのんびりと本を読んだりDVDを観たり
お料理を作ったりして過ごし、それだけでは太る~!っと、ランニングもしっかり
こなした連休でした。

さて、この週末は母の日ですが、あなたのお母さまはどんな方ですか?

私の母は、昭和9年生まれの79歳で、学校を卒業するとすぐに祖父の代からの
洋食レストランで働き、数年前に引退するまでずっとレストランの看板として
店を切り盛りしてきた「大阪下町のおばちゃんアイドル」のような女性なんです。
以前も書かせていただいたことですが、母は子供である私が言うのもなんなのですが、
いつもすること言うことが仏さま・観音さまのような人なのです。
例えば、私が子供の頃、母と一緒に一緒にゆうげのお買い物に行く途中、
道端のお乞食さんに出会うということがありました。
すると母は、自分のお財布の中に1000円しか入っていなくても、
今日使うことができるお金を惜しげもなく全部あげてしまうのです。
それも迷うことなく間髪をいれずにさっとあげてしまうのです。
私達の夕食のお買い物にあてるお金を全て、です。
私が「なんでぇ? 今日のお夕食はどうすんの?」と聞くと、
母は決まって「お家にあるもんですませよね。」と言うのです。
「コロッケ作ってくれるって言うたのにぃ。」と恨めしく言う私に、
「こういうことを“お布施”って言うねんよ。
考えてごらん。もしもあのお乞食さんが神さまやったらどうすんのん?
それに、お布施はしてあげるんやないよ。させていただくんやで。
させていただくことによって私達の心の中に清々しい気持ちが湧いてきて
その気持ちを逆に恵んでいただいてるんやよ。
そういう世界に私達を導いてくれはるために神さまがお乞食さんの姿に
なってはるのかもしれへんやろ?
あげてるんやなくて、もらっていただいてるんやよ。」と。
はぁ~、お坊さんだったおじいちゃんにして、この娘あり、って感じですよね~。
まぁ、そんな母でしたので、レストランには、純粋に「布施名物のコロッケ」や
洋食を食べにいらしてくださる人達の他に、いろいろな悩み事を抱えた人達が、
相談やお話をなさりに連日わんさかといらして、母はただただみなさんのお話を
じっくりとうかがっていたものです。

母親がこのように家業でお商売をしていたものですから、私も子供の頃から必然
学校から帰ってきてランドセルを置いたらすぐにお手伝いです。
遊びにも行けません。限りないお皿洗いに、寸胴いっぱいのゆで卵や海老の殻むき、
ダンボール箱にいっぱいのじゃがいもやにんじんの皮むき、紙ナプキン折り、
フライ売り場の売り子さん、ウエイトレス…。
それが終わったら暖房も冷房もない倉庫で、みかん箱の机と裸電球で宿題です。
今思えば、けなげ~。 だから、私は子供の頃に誓ったことがあります。
「大人になったら絶対商売人になんてならないから!」と。
それが何の因果でしょう…。結果、自分もお商売をし、いろいろな方達のお話を
うかがわせていただく毎日を送ることになるとは…。
ただ、母と私の違うところは、私はお節介でせっかちなところがあって、
みなさんの悩みやお話をうかがううちに、解決してあげたいという想いから
「ではこうしたらどうでしょう?」なんてつい言ってしまうんです。
でも、母の日を前に、母の仕事をゆっくり思い出し気づいたことがあります。

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、
もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。
心に傷を負った時、すぐに家族や友人達の中に支えてくれる人を見つけることが
できればよいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分では
わからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。
そのような人達がレストランにいらっしゃると、母は、その人の話したいこと、
思っていることを全部うけとめて聞くようにしていました。
「あなたはそう言うけれど、それは間違っているわよ」とか、
「こうすればいいのよ」とか、途中で話をさえぎるようなことはしません。
そのようなことをすれば、相手は開きかけた心をまた閉ざしてしまいます。
また、ただぼんやりと聞いているだけでは、相手もなかなか話してはくれません。
そこを母は「そうやね」「それは大変やったね」と、自分をその人の身に置きかえ、
共に喜び、共に悲しむという気持ちで聞いてました。
そうすると、自分が受け入れられているという安心感からなのでしょう、
次から次へと、みなさん心の内を話しておられました。
そうして最後には、母がその人に最も伝えたいと思っていることに
自分で気がつかれ、自分で答を出しておられたように思います。

そうなのですよね。
悩みを抱える多くの人は、本当はどうすればいいのか、自分でわかっています。
ですから、ああしなさい、こうしなさいと、アドバイスめいた指示をするのではなく、
そばにいて共感し、その人が自分なりの解決の方法を見つけるのを
お手伝いすることが、私や麗王が、いらしてくださる方のためにできること、
もしくは少しでもお役にたつことができることなのではないかしらと
改めて感じました。
支えるとは共にいることであり、寄り添うこと。
そんなふうでありたいなと思っています。

あなたがお母さまから学ばれたことはなんですか?

【2013.5.9 末金典子】