お元気ですか? 暦の上ではもう春ですね~。
春というだけで、なんだか、ふんわり、ほんわかとした気持ちになってくるから
不思議です。
そのほんわか気分そのままに来週はヴァレンタイン・デーですね~。
前回は鬼の話なぞをお届けしてしまったので、今日はちょっとロマンチックに
愛することについて書いちゃおうと思います。
そこで、まずは呼吸のお話からなんです。
「吸うよりも、まず吐くのですよ。」
こう聞かされたときには、たじろぎました。
呼吸といえば、まずは新しい空気を胸のなかにとり入れる、
という考えでいましたから。
「吐く」ってことは二の次で、なんだか「吸う」ほうにばかり
熱心になっていたようです。
「吐いてから吸う」と教えておられるのは、自然流育児で有名な小児科医・
真弓定夫先生です。
母親の胎内にいるとき、ひとは、母体とへその緒で結ばれていたから、呼吸は
へその緒と胎盤を通じて行われるのだそうです。
生まれ落ち、肺呼吸に切り替わるときに、肺や気管のなかにたまったものを
まず吐きださなければならない。
肺の中の空気をできるだけ多く出すことによって、酸素交換の効率も
高まるのだとか。
なるほど。ひとは生まれてきてまず最初に吐き出すことから始めるのですね。
これがひとの基本ならば、欲張らずにこれからは物でもお金でも愛でも
「出してから入れる」を心がける時代かもしれません。
そういえば…往年の名女優達やココ・シャネルなど成功の人生を歩んだとされる
女性達に共通していたのは、愛されるという受け身ではなくて、愛することに
喜びを見出した人達だったということでした。
人は生きる上で愛を得たいと思うものですが、愛されたいと願っても、
そう簡単にはいきません。
でも私が感じたことは、愛されるより愛するほうが、
信じてもらうより信じるほうが、人は輝くということです。
愛する喜びは人を強くし、輝かせるのですね。
でも現実として、先のことはわからないものです。
例えば、人を好きになり、その人との愛が成就するかに保証はありません。
愛を育むにも、1年後も恋人の気持ちは変わらないだろうかと考えると
不安になりますが、それはいくら悩んでもわかりません。
また理想とする愛の形に苦心しても、相手に無理強いするわけにもいきません。
信じることも、また難しいものです。
そのため現代では、愛の関係性にリスクヘッジの考え方を持ち込む人も
いるようです。ひとりを信じて結婚を決めるより、金融商品の投資先のように
相手を複数揃え、どこにヘッジをかけるのがいいかと値踏みする、といった
具合です。これも不安ゆえの行動だと考えられますが、信頼のないところに
果たして愛はあるのでしょうか。自分の選択を信じられなければ、
愛する人のこともまた信じられないのではないでしょうか。
ちょっと唐突な例ですが、猫はとても猜疑心の強い動物です。でも一旦馴れれば、
身体をごろんと横たえて、飼い主にお腹を見せもします。この無防備な行動は
「あなたにすべて任せてもいいですよ」というサインですが、私は人間の愛も
同じだと思うのです。愛の本質は、自分自身を投げ出すことができるかにあります。
これは単なる自己放棄ではなく、自分を持ちつつ、相手に自分を
投げ出していいという心情です。
自分を投げ出すには相手を信じる必要があり、また投げ出すからこそ、
相手を信じられるようにもなります。
つまり愛は「信じる」ことに通じるのです。
だから愛は必要であり、人は誰かを愛さずにはいられないのでしょう。
かの文豪トルストイあの最後のメッセージは
「人は愛によって生かされていくもので、愛を自覚した人間の結びつきが、
この社会を支えていく。愛こそが最後の拠りどころ」というものでした。
今あなたには心から愛するひとがいますか?
その愛を深めるためにも、ここに確実に存在するお互いが深く愛を感じ合い、
今とここを、まずは精一杯生きてくださいね。
来週はヴァレンタインデー。
どうぞそんな一日をお過ごしくださいますように。
【2013.2.7 末金典子】