ゴールデンウィークはいかがお過ごでしたか~?
5日は子どもの日でしたので、お父さん方は海や公園など行楽地にお出かけ
なさったことでしょうね。
この、菖蒲の節句とも言う子どもの日、昔は、菖蒲など季節の薬草で
厄払いをする宮中の行事でした。その後、武士の間で菖蒲を尚武(武を尊ぶ)と
解したことから、男の子のお祝いとして定着。兜や鎧を飾り、子ども達が
たくましく育つようにと願いを込めたそうです。
今もって子供はいない私なのですが、素敵な子どもに出逢うことができた日と
なりました。

私は無類の猫好き。私の住む北谷の町には、いたる所にわんさかノラ猫が
いるんです。毎日、海沿いにウォーキングしていると、決まったエリアに
決まったノラ猫がいるので、いつの間にか顔馴染みになり、今では挨拶を
交わすほどの仲になりました。私の昔からの習慣で、どこへ出かける時にも
いつも小さなタッパーにキャットフードを入れて持ち歩いていて、
ウォーキングの途中で会った猫ちゃん達にももちろんご馳走することに
しています。たまに見過ごして通り過ぎると、
「フニャーッ!(今日はくれないの~!)」と追いかけてくるほどです。
以前、ある建築家の方から、「その猫を一生面倒みる覚悟もないくせに、
中途半端な親切なんかかけるな!」とお叱りを受け、随分考え込んで一時
やめたことがあるものの、お腹の大きな母猫や、子猫をたくさん抱えた母猫が
餓えておっぱいもろくに出ない様子に遭遇した時に、たとえ一時でも、と
再開してしまい、今では再びエサを持ち歩く毎日です。
その日、ウォーキングの帰り道に寄ったサンエーの駐車場でのこと。
私を待ち構えるようにして寄ってきた猫が4匹。いつものようにエサをあげて
なでなでしていると、7,8歳ぐらいの真っ黒に日焼けしたわんぱくそうな
男の子が、私に「こんにちは!」と大きな声で笑いかけてくれるでは
ありませんか。うれしくなって私も大きな声で「こんにちは!」
するとこう言ってくれたんです。
「おばさん、ありがとうね。僕ね、いつもお母さんとここに来る度に
ここの猫ちゃん達のために家のミーコのエサを持って来てあげるんだけどさ、
今日は忘れちゃって猫ちゃん達にごめんねって謝ってたんだ。それで
『神さま、どうか、誰か優しい人がここに来てくれて、僕の代わりに
猫ちゃん達にエサをあげてくれるようにしてください』って必死で
お願いしてたんだよ。そしたらさ、おばさんが向こうから歩いて来て、
座って猫ちゃん達にエサをあげてくれたんだ。すっごいびっくりしちゃった。
おばさんは神さまの声が聞けるんだね。本当にありがとうね。
神さまもありがとうね!」
って言うと車に走って行きました。
私こそびっくりしちゃいました。
そして、この子の後姿には羽が生えてるように感じました。
よく、「今の子ども達は…、」などと言われますが、なかなかどうして。
すくすく育っている素晴らしい子どももいるなぁって、
とっても嬉しくなっちゃいました。
そうですよね、生まれてくる時にはみんな真っ白で、純粋無垢。
そんな子ども達を犯罪や非行に駆り立てているのは、大人が創り出す環境や
教育から。
この子のように、命を大切に思う子にみんなが育ってほしいですね。

いかなる理由があっても人を傷つけてはならない、あやめてはならないと、
幼いころから聞かされてきました。それは家庭で、学校で、幾度となく
教えられる、あたりまえのこと。大切なこと。疑いようのないこと。

命は地球より重いのだから――。

米オハイオ州に住む77歳のトーマス・シーマーさんは、公共の展示物を
汚損したことで逮捕されました。広島に原爆を投下したB29爆撃機
「エノラ・ゲイ」が、被爆の惨状にまったくふれず、まるで英雄のように
展示されていることに抗議してのことでした。有罪判決が下り、シーマーさんは
涙を流していました。罪人となり、家族や友人に心配をかけたからでは
ありません。シーマーさんが人として心から恥じ、悔やんだのは、
シーマーさん自身が、1953年から1976年まで多国籍企業ロックウェル社の
従業員としてクラスター爆弾やミサイルの開発にかかわったこと。その罪を
償うためにも、残りの人生をすべて平和のために捧げたいのだそうです。
人の命も地球より重いのだから――と。

自ら手をくだしていなくても、兵器をつくるのは、人をあやめる凶器を世に
送り出すこと、それは罪です。
では、合成化学物質はどうでしょう。
発ガン性が報告されても化粧品に、食品に、日本中の企業が使いつづけています。
そこに、いかなる理由があるのでしょう。そこで働く大人達は「命は地球より重い」
ことを、正義の意味を、子ども達に、どう教えるのでしょうか。

子どもの日の出逢いから、そんなことを考えてしまいました。

さあ、今日からまたお仕事ですね。
自分の仕事が、している事が、話す事が、伝える事が、
小さくとも、誰かの、何かの、お役に立つといいですね。

【2007.5.7 末金典子】