既に気付いた方がいらっしゃるかもしれませんが、本稿は経営バランスをテーマにしていながら、肝心の経営バランスを定義していません。前稿までに、経営バランスは目に見えないが実体として存在し事業経営に重要な影響を与えることや、経営バランスは経営者が事業(とその生態系)をどのように認識するかによって異なることや、経営バランスが達成されたときにどれだけのパワーが生じるか、などについて説明を試みましたが、これだけでは「経営バランスとはなにか」をきちんと説明したことにはなりません。次善の策として、今までの議論に加えて、 経営バランスが取れたとはどのような状態か、 どのようなときにより効果的な経営バランスが生まれるか、についてある程度の説明を行うことは可能だと思います。

経営がバランスするとき
個人的な経験ですが、サンマリーナホテルにおいてうまく経営バランスが取れたと感じたときには、次のような各現象が起こりました。あまりに出来すぎに聞こえるため、嘘や誇張と思われるかもしれませんが、全ては現実に起こったことです。 (i)経営的な成果は増加しながら、自分の労働時間が極端に(10分の1程度へ)減少しました、(ii)従業員に対して指示をする機会が殆どなくなりました、(iii)広告宣伝費を大幅に削減しながら、企業認知度が高まりました、(iv)建物改修などの追加投資を殆ど行わなかったにも関わらず、清潔できれいな施設という評価が増加しました、(v)パートの正社員登用を行い、新卒採用を再開し、ベースアップと賞与支給回数と支給総額を増やしながら、売上高人件費率はあまり上昇しませんでした(これは売上高が人件費の増加以上に上昇したためです。そのまま継続していたら売上高人件費率はむしろ減少していたと思います)、(vi)成果主義人事考課を廃止しながら、従業員間の公平間が高まりました、(vii)人事研修や対応マニュアルなどを全廃したにもかかわらず、顧客から好評価のコメントが大幅に増加し、顧客満足度が急上昇しました。・・・以上の結果として事業収益と企業価値が著しく高まりました。

経営バランスが取れたと感じる瞬間は、初めて補助輪なしの自転車に乗れるようになったときのように、一瞬身体が軽くなるような気がします。それまで少しでも良い事業結果を出そうと身を削り、バイタリティーと集中力で自ら事業の隅々までを理解し、競合相手を注意深く観察しながら精魂を傾け戦略を練り、24時間事業と従業員のことを考え続け、自分の時間的体力的物理的限界まで鬼気迫る努力を重ね、大汗をかきながら前にすすんでいた状態が、ある臨界点を境に、自転車に乗る自分の足が地面から離れるように、ヤジロベエがバランスするように、全ての効率が著しく高まると同時に、自分に課してきた負荷がどこかに消滅してしまったようでした。大量の変数を大きなエネルギーで対処していた状態から、最も重要な原則を除いてその他の全てを手放した状態に移行した瞬間だったかもしれません。そして、このようなバランス体験は特別なことではなく、事業経営の現場に限らず多くの方が経験していることでもあります。

例えば、本人と直接お会いしたことはありませんが、不可能といわれていたりんごの完全無農薬栽培を実現した青森県のりんご農家木村秋則さんもその一人ではないかと想像しています。最近NHKの『プロフェッショナル』にも取り上げられ話題になりましたが、害虫との格闘に悪戦苦闘して多大なエネルギーを費やす状態を乗り越えて、りんごの力を自然の中で生かす「バランス」を体験された瞬間から、不可能を可能にするという大きな事業性が生まれたのだと思います。以下は、NHK『プロフェッショナル』のウェブサイトからの抜粋です。

『化学的に合成された農薬や肥料を一切使わない木村のりんごづくり。不可能と言われた栽培を確立するまでには、長く壮絶な格闘があった。かつて使っていた農薬で皮膚がかぶれたことをきっかけに、農薬を使わない栽培に挑戦し始めた。しかし、3年たっても4年たってもりんごは実らない。収入の無くなった木村は、キャバレーの呼び込みや、出稼ぎで生活費を稼いだ。畑の雑草で食費を切りつめ、子供たちは小さな消しゴムを3つに分けて使う極貧生活。6年目の夏、絶望した木村は死を決意した。ロープを片手に死に場所を求めて岩木山をさまよう。そこでふと目にしたドングリの木で栽培のヒントをつかむ。「なぜ山の木には害虫も病気も少ないのだろう?」疑問に思い、根本の土を掘りかえすと、手で掘り返せるほど柔らかい。この土を再現すれば、りんごが実るのではないか?早速、山の環境を畑で再現した。8年目の春、木村の畑に奇跡が起こった。畑一面を覆い尽くすりんごの花。それは豊かな実りを約束する、希望の花だった。その光景に木村は涙が止まらなかった。

木村の畑では、あえて雑草を伸び放題にしている。畑をできるだけ自然の状態に近づけることで、豊かな生態系が生まれる。害虫を食べる益虫も繁殖することで、害虫の被害は大きくならない。さらに、葉の表面にもさまざまな菌が生息することで、病気の発生も抑えられる。木村がやることは、人工的にりんごを育てるのではなく、りんごが本来持っている生命力を引き出し、育ちやすい環境を整えることだ。害虫の卵が増えすぎたと見れば手で取り、病気のまん延を防ぐためには酢を散布する。すべては、徹底した自然観察から生まれた木村の流儀だ。「私の栽培は目が農薬であり、肥料なんです」』

現在の酪農業界は放牧牛による牛乳生産が全消費量のわずか約2%。日本で流通している牛乳の殆どが牛舎で濃厚飼料を大量に投与され、まるで工業製品のように搾乳さたものです。この現状にありながら放牧山地酪農を成功させた旭川斎藤牧場の斎藤晶さんも彼独自の「バランス」を体得されたひとりだと思います。斎藤さんは北海道への開拓団の一員として山形から入植し、未開拓の山地と原野の開拓で大変な苦労をされます。以下は古庄弘枝著『モー革命』からの抜粋です。

『クワを振るえば石にあたる。大豆、小豆、野菜、雑穀をつくれば、ウサギやネズミなどの集中攻撃を受ける。富子さん(奥様)は、出産・育児・家事・開墾の過労から倒れて入退院を繰り返す。晶さんは働けば働くほど窮地に追い込まれた。昭和30年、「ここで生きるにはどうすればよいのか」と切実に考えた。木の登るのが好きだった彼は山の頂上に行き、いちばん高い木に登った。そして、荒れ放題の自分の山や遠くに見える大雪山を眺めていた。「人間はなぜこんな血の出るような苦労をしても成果につながらないのか」「鳥や昆虫がなにも働きもしないのに、悠々と生きているのはどうゆうことなのか」と、考えながら飛ぶ鳥を眺め、鳥の声を聞いていた。ハッと気がついた。「自然というものを征服するような姿勢そのものが勘違いだ」「これからは、鳥や虫たちと同じ姿勢で生きていけば良いじゃないか」と。「価値観をひっくり返した」。すると、答えは全て山にあった。

「思い込み」から開放された彼は、「草」に対する視点を変えた。「草」を敵とするのではなく、「利用」しようと考えた。家畜が食べれば、「雑草」は「牧草」だ。笹薮だらけだった山に牛を放した。馬喰に頼んでオス牛や水田酪農家の育成牛など20頭を無償で預った。牛たちはどんどん笹を食べていった。草地もつくろうと、まず笹を刈り払って火をつけ、焼き払った。そのあとに、牧草の種を蒔いた。そこに牛を放すと、牛はまわりの笹を食べながら歩き回り、種を踏みつけた。数日後、牧草が生えてきた。そこで彼は気づいた。「牛が蹄で踏んだ種が土に定着して草地になる」。これは「蹄耕法」と呼ばれる草地造成の方法だった。ニュージーランドなど酪農の伝統がある国では、基本的な草地づくりだった。しかし、そんなことは知らない彼は、牛と自然の観察から独自にそのことを学んだ。』

経営バランスが達成されるということは、判断や決断の原則がシンプルになり(ときに一つに統合され)、経営行動に一貫性が生まれるということかもしれません。多くの経営者は大量のエネルギーを事業に投下して成果を上げようと努力しますが、本当に経営者が事業的効果を最大化しようとするならば、「いかに多くの仕事をこなすか」よりも、少々語弊がありますが「いかに仕事をしないか」を追求する方が合理的です。なぜならば、どんな人も10倍働くことは出来ませんが、10倍楽することは物理的に可能だからです。10倍楽することが出来て初めて10倍の仕事をすることができる、あるいは10倍楽することを学習しなければ10倍働けない、とも言えるでしょう。これは本当に必要なこと以外の仕事をいかに切り捨てるということでもありますが、簡単そうに見えてなかなか実行する人は多くありません。実際、殺人的に忙しいと悩んでいる経営者に、「時間を作る方法はとても簡単なんです。それでは今取り掛かっている仕事の8割を今すぐ断ってください」とアドバイスしても、それを実行する気になる人は殆どいないでしょうし、万一その気になったとしても、そのとき経営者が感じる恐怖を乗り越えることは余程のことがなければ無理だと思います。初めて自転車に乗るときと同様、経験した人にとってはとても簡単ですが、未体験の人にとっては到底不可能なことに思えるのだと思います。また、10倍楽することを目指す、と言いながら実際にそのための試行錯誤を始めると、経営者がいきなりだらけたように見えるため、周囲(従業員や株主)からのプレッシャーも相当なものになるでしょう。事業や人生が順調(のように見える)な通常の状態でこのバランスを体得することは容易ではないかもしれません。したがって、前述の木村さんや斎藤さんのように、経営バランスは経営者の個人的な価値観の転換によって生み出されることが少なくないようです。そして、個人的な価値観の大転換はなんらかの大きな窮地に陥り、それを乗り越える過程で起こることが典型的なパターンといえるかもしれません。

【2007.9.1 樋口耕太郎】