経営バランスの議論は単なる抽象概念ではなく、多くの従業員の努力を意味あるものにするかどうかの分かれ目でもあり、現実の経営に有効かつ具体的なツールであり、企業価値を高めるパワフルなエンジンです。

経営バランスを効果的に応用するためには、目に見えるものだけを信じる習慣から一旦心を解き放つ必要があります。例えば、3Dジグソーパズルを構成する最も重要な要素が、目に見えない「組み合わせ」という概念であると同様に、効果的な経営を実現するために極めて重要な「経営バランス」も形あるものではありません。目に見えない経営バランスをいかに認識するかが経営的に重要性を持つのであれば、これを実体として解釈・対応することは経営科学的な合理性を持つことになります。一般的な経営者はとかく目に見えるしくみを捕らえ、しくみを変えることで変革を実行しようとします。しかしながら、しくみを変化させることによって事業の本質に影響を与えることができる度合いは一般に考えられている程大きくはない印象です。むしろ反対に、目に見えない「実体」が目に見えるしくみを規定しているように思います。企業に存在する目に見えるしくみは、うまく機能しているものほど、(企業の実態である)従業員の集合意識が形になったものが多く、しくみが企業を作り上げているのではないと思います。従業員の集合意識は目に見えないものでありながら、そのしくみの本質を理解する重要な鍵となります。

大切なものは、目に見えない
フランスの飛行士であり小説家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』は云わずと知れた児童文学の名著ですが、経営、特に人事を考える上で非常に示唆に富む名著でもあると思います。王子さまが地球にたどり着く前に出会った色々な星の大人たち、・・・自分の体面を保つことに汲々とする王様、賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋、お酒を飲むことを恥じ、それを忘れるためにお酒を飲む飲んべえ、夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家、自分の机を離れたことがない地理学者などなど・・・。その他、何をするにつけても急ぎ、どこに行くかもよく理解しないまま特急列車であちこちに移動したり、時間を節約する事にあくせくして、節約した時間で何をするかを考えていなかったりという大人たちの姿が語られていますが、この「児童文学」は現代企業社会のノンフィクションかと見紛う程のリアリティがあります。物語に登場する大人たちの共通点は、目に見えない価値観に注意を払わず、目の前に見えるものと目先の利害だけを現実と認識していることでしょう。そして、彼らの(滑稽な)行動は各自の世界観に照らし合わせて全て個別に「正しい」のであり、彼らの「目に見えるもの中心の世界観」が彼らの人生を非常に非効率なものにしているのです。

王子さま訪れる7番目の星、地球に降り立った王子さまとキツネの会話は物語の重要な場面です。キツネの有名な台詞 l’essentiel est invisible pour les yeux  ・・・「大切なものは、目に見えない」を単なるファンタジーと解釈するか、人の心と人間関係を規定する重要な実体と認識するかによってその人の世界観(そして、その人が経営者の場合は経営観)は大きく変化します。「目に見えるものだけを信じる習慣から一旦心を解き放つ」作業は、(多くの人が「きれいごと」と考える)ファンタジーに経営科学的な合理性を見出す作業でもあるのです。

このような世界観を前提に経営を行うと事業効率を生み出す可能性があるのですが、(株主や取締役会を含む)社会からは「現実逃避的」「抽象的過ぎる」「裏がある」「頼りがいがない」、事業的な成果が連動しない場合は「法螺吹き」と評価されるというジレンマに陥ることになります。これが「経営バランス」を現実に応用するときに経営者が直面する(個人的な)最大のハードルとなるでしょう。経営者がこのハードルを乗り越えるかどうかによって事業における経営合理性が担保され、経営合理性と事業効率は経営者個人の人間性と価値観と選択と行動に影響される、という構造になっているのです。言葉で表現すると容易に感じられますが、実際は経営者が目に見えないものを信じることは勇気のいることです。経営者が目に見えないものを語り始めると、株主や従業員を含め周辺を不安にさせることになり、これを補うために正直で緊密なコミュニケーションが必要になるのですが、経営者にとっては実行する前の想像を超える価値のある体験になるでしょう。

経営バランスという目に見えない概念が、経営効率に重要な影響を与える要素であり、これを信じるか否かは経営者の個人的な人間力にかかっている、という構成になっていると考えられるとき、経営理論は、目に見える個別理論(いわゆる一般的な経営理論)、 目に見えない経営バランス、 経営者の人間的資質、の三種類の要素から構成されると有効に機能すると考えられます。この議論は『トリニティのリーダーシップ論』で詳細にコメントしたいと思います。

【2007.8.24 樋口耕太郎】