経営バランス(事業の生態系)に関する二つのポイント:
①経営の一般的な現場において、殆どの経営判断は個別に正しい、
②個別の「正しい」経営判断の積み上げが企業価値を必ずしも最大化しないばかりではなく、場合によっては企業価値を毀損する、
は、経営理論の常識に対する新たな論点を導く可能性があります。
合理性は目的次第
経営理論の多くは、例えば、運用効率を下げずに費用を最小化する組織や人事はどのようなものか(人事論)、どのような顧客を対象としどのようにアクセスすることが効率的か(マーケティング理論)、生産過程をどのように合理化するか(オペレーションズリサーチ)、競合他社に対して比較優位を生み出す戦略はどのようなものか(競争戦略理論)、などなど、最終的に収益と企業価値の最大化を達成するための「合理的」な経営判断を議論するもので、それこそ膨大な人数の研究者や経営者などが膨大な時間と試行錯誤を繰り返しながら、膨大な分析がなされています。
ところが、何が「正しい」か、あるいは何が「合理的」かの判断は、達成しようとする目的に照らして考えなければ全く意味を成しません。・・・近所のスーパーに買い物に行くときには、法定速度を守って時速50キロで車を走らせることが適当ですが、モナコグランプリで優勝しようと思えば、合理性を欠くことになります・・・。翻って、一般に、経営の目的は「収益と企業価値の最大化」とされています。ところが、「収益と企業価値の最大化」ということの意味を理解するためには、(i)企業とは何か、(ii)企業価値とは何か、(iii)経済行為とは何か、という問いに答える必要がある筈なのですが、この三要素はあまりに自明のことと考えられているようで、経営の現場において殆ど議論されることはありませんし、現代経営理論はこの問いに対する明確な回答を持ちません。ひょっとしたら、世の中の一般的な経営者は、「目的が明らかでないまま合理性の追求を行っている」・・・買い物に行くのか、グランプリに出場するのかそれ程明確でないまま、「合理的な」走行速度を必死に求めているのかも知れないのです。
経営問題に関する仮説
以上の前提によって、いくつかの仮説が成り立ちます。第一の仮説は、現代の経営を困難にしているのは、何が「合理的」であるかどうかについての解答がないからではなく、一見自明に思える「経営の目的」に関する理解が殆ど手付かずの状態で放置されている、・・・具体的には、経営の目的を構成する三つの要素(事業を取り巻く世界観)が特定されていないためではないでしょうか。例えば、企業をより良いものにすることが経営の目的だとしても、(i) 企業とは何か、について誤解がある場合、よりよくするために働きかける対象を誤る可能性があります。同様に、(ii) 企業価値とはなにか、の認識を誤れば、高めるべき価値の対象が不明確となり、(iii) 経済行為とは何か、を正確に把握せずに、収益を高めるための努力をしても非効率である可能性が高いことは明らかです。
現代の経営を困難にしているのは、経営者が正しい(合理的な)選択をしていないからではなく、その合理性の前提となる「世界観」の認識が不十分であるため、という第一の仮説は、冒頭の、経営バランスに関するポイントと整合性を持ちます。「経営の一般的な現場において、殆どの経営判断は個別に正しい」、・・・殆どの経営者はその個人の世界観に照らし合わせて、間違ったことはしていない、といえるかもしれないのです。
第二の仮説は、目的に照らし合わせて初めて合理性が決定され、目的は世界観によって決定されるのであれば、「経営の優劣は、問題の解決方法よりも経営者の世界観による」と考えられる点です。そして、経営者の世界観とは、経営バランスであり、事業の生態系の認識であり、(i)企業とは何か、(ii)企業価値とは何か、(iii)経済行為とは何か、という問いに対する各経営者の自分なりの回答を意味します。
事業の現実は、経営者(の世界観)の数と同じだけ存在し、経営者の世界観が経営者の行動を規定するため、企業を機械的な構造物と認識する経営者(・・・例えば「人件費の削減=利益」と単純に考える経営者)と、事業を生態系と認識する経営者では、全く同じ事業環境において全く異なる行動を取ることになるでしょう。そしてどちらの経営者も「合理的に」行動しているのです。例えば「無駄をなくす」という行為一つとっても、経営者固有の世界観の違いによって(・・・すなわち経営バランスの取り方の違いによって)、何が無駄かについての「合理的な」回答が幾通りも存在します。
逆の表現では、経営者にとって、事業の「合理的」な解を導き、自分の世界観に基づいて「正しい」行動を起すこと程容易なことはないのかもしれません。そして、多くの経営者は、自分は「正しい」ことをしたのになぜ事業が立ち行かなくなるのかと悩み、社員の能力不足や、資金不足や、市場環境の悪化や、競合の激化が原因だと典型的に結論付け、その「原因」を取り除こうとして悪循環に陥っているような気がします。
【2007.8.7 樋口耕太郎】