先日ある方とお話していて、その方が学生時代に卒業単位を大幅に超過して山ほどの単位を取得し、かつ極めて優秀な成績で卒業されたと言う話になりました。彼曰く「いくら勉強しても授業料は変わらないので、たくさん勉強した方が得だと思った」とのこと。謙虚な彼はなんとなく冗談めかして話されていましたが、この考え方は学ぶと言うことの本質を的確に表現していると思いました。本来勉強はとても楽しい筈なのに、「受験勉強」や「学位取得」を通じて、殆どの人にとって「しなければならないこと」になってしまっています。学ぶことそのものが何よりの報酬になり得るのに、多くの場合勉強は最大の苦しみであり、「何のために勉強するんだろう」と多くの学生が悩んでいます。
きっと、仕事も同じで、やはり本来とても楽しいことなのだと思います。心から楽しみながらする仕事は爆発的な事業力を生み出しますし、仕事自体が人生をとても豊かにする可能性を秘めています。一般論として、「仕事を心から楽しむとき高い事業性が生まれる」という考え方に共感する方は少なくないと思うのですが、この概念が企業経営において現実に応用可能だと考える経営者は少数であるのみならず、これを実際に実行する経営者は、良くて変人、一般的には狂人、具体的な成果が出始めると危険人物扱いされることになります。サンマリーナホテルでの僕の「実験」は、やるべきこと、しなければならないことを一切排除して、心からしたいことだけを事業化しようと試み、劇的な成果を生み出した事例の一つです。笑い話のようですが、これを実行するに際して、当時の共同経営者からは僕が本当に「頭がおかしく」なったと疑われ、精神科への入院を指示されたくらいです。
パタゴニア
しかしながら、世界的にはこの原理を経営手法として実践している経営者が少しずつ現れ、大きな成果を生み始めています。以下は、アウトドアウェアのメーカー、パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナード著『社員をサーフィンに行かせよう』の日本語版への序文からの引用です。
私たちの会社で「社員をサーフィンに行かせよう」と言い出したのはずいぶん前からのことだ。私たちの会社では、本当に社員はいつでもサーフィンに行っていいのだ。もちろん、勤務時間中でもだ。平日の午前十一時だろうが、午後二時だろうがかまわない。いい波が来ているのに、サーフィンに出かけないほうがおかしい。 私は、数あるスポーツの中でもサーフィンが最も好きなので、この言葉を使ったが、登山、フィッシング、自転車、ランニングなど、ほかのどんなスポーツでもかまわない。パタゴニアの本社が太平洋を望むベンチュラにあるのも、パタゴニア日本支社が鎌倉市にあるのも、社員がサーフィンに行きやすい場所だからだ。そして何より、私自身がサーフィンをしたいのだ。
私が「社員をサーフィンに行かせよう」と言い出したのには、実はいくつか狙いがある。 第一は「責任感」だ。私は、社員一人一人が責任をもって仕事をしてほしいと思っている。いまからサーフィンに行ってもいいか、いつまでに仕事を終えなければならないかなどと、いちいち上司にお伺いを立てるようではいけない。もしサーフィンに行くことで仕事が遅れたら、夜や週末に仕事をして、遅れを取り戻せばいい。そんな判断を社員一人一人が自分でできるような組織を望んでいる。
第二は「効率性」だ。自分が好きなことを思いっきりやれば、仕事もはかどる。午後にいい波が来るとわかれば、サーフィンに出かけることを考える。すると、その前の数時間の仕事はとても効率的になる。机に座っていても、実は仕事をしていないビジネスマンは多い。彼らは、どこにも出かけない代わりに、仕事もあまりしない。仕事をしている振りをしているだけだ。そこに生産性はない。
第三は「融通をきかせること」だ。サーフィンでは「来週の土曜日の午後4時から」などと、前もって予定を組むことはできない。その時間にいい波がくるかどうかわからないからだ。もしあなたが真剣なサーファーやスキーヤーだったら、いい波が来たら、すぐに出かけられるように、常日頃から生活や仕事のスタイルをフレキシブルにしておかなければならない。
第四は「協調性」だ。パタゴニアには、「私がサーフィンに行っている間に取引先から電話があると思うので、受けておいてほしい」と誰かが頼むと、「ああ、いいよ。楽しんでおいで」と誰もが言う雰囲気がある。一人の社員が仕事を抱え込むのではなく、周囲がお互いの仕事を知っていれば、誰かが病気になったとしても、あるいは子どもが生まれて三カ月休んだとしても、お互いが助け合える。お互いが信頼し合ってこそ、機能する仕組みだ。実際にどれくらいの社員がサーフィンに行くかというと、もちろん全社員ではない。全くスポーツをしない社員もいる。しかし、たとえば、ある社員の子供が病気で、今日は家に帰って仕事をしたいと言うと、誰もがそれを受け入れる。私の娘はこの会社でデザイナーをしているが、一人で集中したくなると、自宅にこもって仕事をしている。だから、「社員をサーフィンに行かせよう」という精神はスポーツに限っているわけではないのだ。
結局、「社員をサーフィンに行かせよう」という精神は、会社が従業員を信頼していないと成立しない。社員が会社の外にいる以上、どこかでサボっているかも知れないからだ。しかし、経営者がいちいちそれを心配していては成り立たない。私たち経営陣は、仕事がいつも期日通りに終わり、きちんと成果をあげられることを信じているし、社員たちもその期待に応えてくれる。お互いに信頼関係があるからこそ、この言葉が機能するのだ。
「社員をサーフィンに行かせよう」と言っている私自身、世界中の自然を渡り歩いている。一年のおよそ半分は会社にいない。サーフィン、フライフィッシング、フリーダイビング、山登り、テニスもよくやる。これを私なりにMBAと呼んでいる。「経営学修士」ではなく、「Management by Absence(不在による経営)」だ。一旦旅行に出ると、私は会社に一切電話しない。そもそも携帯電話もパソコンも持っていかない。もちろん、私の不在時に、彼らが下した判断を後で覆すことはない。社員たちの判断を尊重したいからだ。そうすることで、彼らの自主性がさらに高まるのだ。
最後に、私たちのビジネスで最も重要な使命について触れておきたい。それは「私たちの地球を守る」ことだ。私たちの会社では、このことをなによりも優先している。売上高より、利益よりもだ。今までのように、ニュージーランドの毛糸を香港でセーターに編み、アメリカで売ることは難しくなる。恐らく十年以内には、セーターのコストの中で輸送費が最大になるだろう。そうなるとグローバリズムは困難になる。ローカルエコノミーに戻るべきだ。求めるべきは、スローエコノミーであり、スロービジネスである。
本書の完成までに、実に十五年の歳月がかかった。それだけ長い時を費やしてようやく次のことを立証することができたのだ。従来の規範に従わなくてもビジネスは立ちゆくばかりか、いっそう機能することを。百年後も存続したいと望む企業にとっては、とりわけそうであることを。(日本語版への序文より)
戦略としての人事
サンマリーナやパタゴニアの事例は、今までの事業環境では、「とても変わった人事手法が経営的な成果をあげた一例」という程度のものであったかもしれませんが、今後の日本の企業社会ではそれ以上の意味をもつことになるでしょう。現在、人事を取り巻く状況が大きく変わりつつあります。少子高齢化と団塊の世代の大量退職が始まり、大都市圏では人材の確保が経営的な重要性を増しつつありますが、これは一大構造変化の序の口に過ぎません。今後30年間の長きに渡って労働人口が毎年1%ずつ減少することは人口動態上明らかであり、人材確保が経営的に最重要テーマになると思います。人事の対処を誤れば、給与を3倍にしても人材を確保できずに破綻する企業が続出するイメージです。
現状においても「人を大事にする」と言わない企業の方が少ないのですが、従来の価値観の延長上ではまるで対応しきれない市場環境になるため、「そもそも人を大事にするとはどういうことか」、「企業における人間関係はどのように在るべきか」、「企業は従業員の幸せと成長にどのように貢献できるか」を根本的に問い直し、試行錯誤をしながら適切な経営バランスを見つける企業が、業界を圧倒的にリードすることになると思います。このため、人事は企業の存続をかけた事業戦略という意味合いがどんどん強くなるでしょう。
【2007.5.18 樋口耕太郎】