楽しいゴールデンウィークをお過ごしになられましたでしょうか。
わたくしはと言えば、1日に黄砂アレルギーとカゼを併発し、高熱とひどい咳で
ダウンしてしまい、2日からお休みの予定を1日早くお休みした挙げ句、
昨日までお休みすることになってしまいました。
みなさんには大変御迷惑をおかけしてしまい本当にすみませんでした。
今回の私もそうなのですが、いつの時も、ものごとには必ず良い面と悪い面の
両方が現れるもので、悪い事が起こっているようでも、後になってみれば、
実はそれが後の良い事につながっていたとか、あなたにもそんな経験がきっと
おありではないでしょうか。
今回の私は先週から病気でお休みせざるをえなくなり、
病気の辛さや、みなさんに御迷惑をおかけした不甲斐なさを味わった半面、
みなさんの温かさや御人柄の素晴らしさを改めて知ることができ、
人の優しさをたくさんいただくことができました。
1日にいらしてくださる予定だったみなさんにお断りのメールやお電話を
させていただいた時のみなさんのお優しかったこと。
私のいたらなさを責めるどころか、メールの文章の行間から立ち上ってくる
温かい思いやり、お電話の声や言葉から伝わってくる労わりの気持ち、
それらがどんなに心強くありがたかったことでしょう。
病気の時って、なんだか自分がとっても情けな~く弱く感じるもの。
そんな時だからこそ、お一人お一人の温かいお気持ちがじ~んわりと心に
沁みました。あ~、私はいつもこんなに優しく温かい人達とご縁を持たせて
いただいているんだなぁと。
おかげさまで回復することができ、また今日から元気に仕事を
再開できることとなりました。本当にありがとうございました。
また、名医と誉れの高い西平医院長先生、的確な診療をありがとうございました。
さて、
日曜日は母の日ですね。
前々回の季節の便りでは母から学んだ「謝ること」について
書かせていただいたのですが、今回は母から学んだ「働くこと」のイメージを
書こうと思います。
私の母は本当にいつも働いている人でした。
今でこそ夫婦共働きが当たり前になっていますが、私の子供時代は、
お母さんは家で家事をしている人、つまりは主婦が主流でした。
でも私の母は実家が老舗の洋食屋さんで、母の弟妹はそれぞれ好きな仕事に
就いているというのに、自分だけは両親を手伝って結婚後も
70歳になるまでずっと洋食屋さんを切り盛りして働いていました。
毎朝8時から夜は10時まで。
子供の私はというと、小学校低学年の頃までは洋食屋さんの2階で宿題を
したりして過ごしていましたが、高学年になるとお店の隣の駅の自宅で、
弟と二人で父の帰りを待つという「鍵っ子」生活が続きました。
子供心にはやはり寂しく、家に帰ればお母さんが「お帰り」と言ってくれて
手作りのおやつが出てくる同級生のみんながすごく羨ましかったものです。
でもその半面、女性が働くということが、そして人は働いて生きていくもの
なのだということがごく自然に心に焼き付いたようです。
また、私達の時代では学生生活を終えれば就職して社会人になるというのが、
ごく当たり前の人生のコースのように考えられていて、フリーターやニートなる
言葉や価値観はまだ登場していませんでした。
今の世の中は、学生を終え、いよいよ就職となっても厳しい就職難。
就職してからだって、その出世争いの厳しいことったらもう。そこでもまた
頑張ってある高みに上り詰めたと思ったら、やれリストラだ倒産だ吸収合併だ
敵対的買収だ、では正直やる気も出ませんよね。こういう先輩世代を見て
真面目に就職するなんてバカバカしいとニートになってしまう若者達も…。
なんだか働く意味を失いがちな社会になってきています。
どうしたらいいのでしょう。
一体どうしたら世の中がもっとハッピーになるのでしょうか。
よく「モチベーションを上げて働こう!」などというセミナーがありますが、
そもそもモチベーションを上げないと人は働いたり能力を発揮できないもの
なのでしょうか?
じゃあこんなふうに考えてみたらどうかなと思うんです。
「お前さんねえ、はたらくってのは傍が楽になるからハタラクってんだよ」
という落語の一節にもなっている仏教の法話の中にその答になる大きなヒントが
あるのではと。
みんな働くのは自分のためだって思うから辛くなりますよね。
でも自分の身の回りの人を楽にさせるために働くんだって考えたら、
やる気も出ませんか? つまり好きな人のために頑張るっていうのが
人間一番元気が出るものではないでしょうか。
自分のために頑張るのは限界がありますが、好きな人のために頑張ることに
限界はありませんよね。愛のエネルギーは無限なのですから。
確かに私の母も、働き詰めでろくに休みもなく相当疲れているはずなのに
「みんなの喜ぶ顔が見たいから」といつも生き生きと楽しそうに、
ひとさまのためにばかり心を尽くしていた人でしたっけ。
そういえば、最近、面白いマーケティングの分析を見ました。
右肩上がりの経済成長が見込めなくなってしまった今、
人は「幸せ」をどのようにして感じることが可能か、というお話。
「格差社会」という言葉の提唱者として有名な山田昌弘氏と大手代理店の
分析では、幸せのイメージとしては「他の人の役に立っている」という
感覚にあるそうで、その感覚を消費するスタイルが人気になってきているそう
なんです。実際、パッケージ化された途上国へのボランティア旅行が
人気プランになっているんだとか。人間には必ず「善意」が存在するから
だそうです。
また、阪神大震災で大被害に遭われたオリックスさんの池田支店長にうかがうと
震災後、トイレ掃除から仕出しから、池田さんも含め本当にたくさんの方々が
無償で黙々と、決していやいやではなく生き生きと働いておられたそうです。
さぁ、ゴールデンウィークも終わりまたお仕事ですね!
願わくば、みんながその善意のもとに楽しく働くことができますように。
そして、私達のその善意がこの世界に対して小さくとも何か温かなものを
プレゼントしてくれますように。
最後に。
少し長くなってしまうのですが、私が高校生の時に出会い、
29歳の時に沖縄に引っ越してきてすぐに、偶然また逢い、
覚えてくださっていたというお坊さまの法話を写しておきたいと思います。
この方も私に
「自分の幸せは一切考えなさるな。「人を幸せにする」そのことこそが
幸せへの道ですぞ。」
と言われたのでした。
だまされたと思って、ぜひ声に出して読まれることをお薦めします。
この文章には言霊が宿っているので、必ず心が清らかに洗われ、働く力が
漲ってくるはずです。
「私共の日常生活の言葉に、はたらく(働く)という言葉がありますが、これは
はたがらく(楽)になるということです。はたというのは人さん、御近所さま、
世間さんのことです。近所に迷惑をかけることを、はた迷惑と言います。
このはたさまが楽しく幸せになってくださるためのお手伝いを
させていただけることを喜んでさせていただくのが、即ち働く(はたらく)で
あります。はたらくとは宗教的な温かい言葉です。
私たち一人ひとりがこうした気持ちで自分の仕事に励ませていただくなら、
世の中はどんなに明るく楽しくなることでありましょうか。
仕事は事にお仕えするということですね。ですから仕事はするものではない、
させていただくものです。働くのではない、働かせていただくのです。
私共がどんなに仕事をした、働いたと言っても、世間さまから、社会の人々から
うけている無量のおかげにくらべれば、何程のことが出来たと言えましょう。
生きているのではない。生かさせていただいているのです。
私共がどんなにそのうけているおかげさまにおかげ返しをつとめても、
お返ししきれるものではありません。
「つとめても なほつとめても つとめても つとめたらぬは つとめなりけり」
です。労働だけになってはいけません。はたらく気持ちを忘れてはなりません。」
この気持ちで、また今日から元気に、みなさまにお目にかかれますのを楽しみに
しております。
【2010.5.7 末金典子】