新年明けましておめでとうございます。
予期せぬ巡り会わせで、沖縄県行政改革懇話会の5名の専門委員の一人に推薦頂き、昨年8月から沖縄県の行政改革の現場に参加させて頂いています。懇話会という組織自体は法的拘束力を発揮するものではありませんので、専門委員の意見が直接県政に反映されるとは全く限らないのですが、少なくとも私個人的には、沖縄の県政・財政全般に関する膨大な資料を詳細に拝見し、10回にわたる専門委員会での検討を通じて、県政のほぼ全貌を理解する最高の機会であったこと、そして、県政の現状分析、根源的な理念に関する議論、次世代沖縄社会のビジョンなど、沖縄県総務部の中核組織である行政改革課に対して自分の思うところを率直にお伝えする機会を頂いた、という大きな意義がありました。
今後どのような事業計画を実現するにせよ、それが社会をよりよくするという目的を果すためには、社会の現状に大きな影響を与えている行政を深く理解することが欠かせませんし、それ以前に、毎回の専門委員会の前に行政改革課事務局の方々から送付されてくる大量の資料はどれも興味深いものばかりで、あれこれ考えながら事細かく読み砕く作業と、専門委員会での議論の時間を毎回相当楽しみにしているところです(2010年1月21日の第10回専門委員会が最終回です)。
沖縄県に(沖縄県に限りませんが)行政改革が必要な最大の理由は、「お金がない」ということですが、それは表面的な問題に過ぎません。沖縄は1972年の本土復帰以来38年間、本土から8兆円を超える財政補助をはじめ有形無形の援助を受け続け、その財務的な依存状態はもちろん、精神的な自立心を完全に失ってしまったかのようです。県の歳出6,000億円のうち、県税で賄われているのは僅か1,000億円。沖縄振興特別措置法によって、道路工事や公共工事の90%(±)は国からの補助で賄われるために、島はコンクリートの塊と化して、観光資源そのものを破壊し続けています。更に、今後年間数100億円の規模で財源不足に陥ることがほぼ確実ですが、これはひいては日本にとっての重大問題でもあります。日本の財政の現状を考えると、これまでのような財政的援助は持続不可能である中、今の沖縄の財政状態、精神状態のまま、本土からの補助が大幅に削減される事態になれば、最悪の場合は国政・防衛を巻き込んだ問題に発展しかねません。これを避けるためには、極めてまっとうに、沖縄が財政的に自立する、そしてそのために始めの一歩を踏み出す、以外の方法はありません。
行政改革のような思い切ったコストカットに際しては、単に数字を議論するのではなく、われわれはどのような社会を望むかという基本理念と、そしてなによりも愛が必要だと思います。以下は、このような考え方に基づき、私なりの「行政改革に対する私個人の基本理念」をまとめ、専門委員と事務局の方々に送付したメール(2009年8月19日)からの抜粋です。
先日、「『新たな行政改革プランの基本理念、指針、基本方針』を検討するための基本観」に関してのコメントをご送付し、我々が取り組もうとしている行政改革は、そもそも何のためなのか、我々はどのような社会を構築したいのか、というビジョンを明確にすることで、各推進項目の個別検討・対応の際の、判断の「ものさし」を持つことができるのではないか、という趣旨を申し上げました。
本日頂戴した第2回専門委員会資料における、「新たな行政改革プランの体系図(案)」、および、「21世紀ビジョンの中間取りまとめ(案)」を拝読し、専門委員会においては上記のような根源的議論に時間を費やすことがその運営上建設的ではないということを、今更ながらではありますが理解した次第です。
一方、・・・これは、したがって、私個人の考え方に過ぎませんが・・・、将来社会のビジョンを前提とせずに、何らかの意見を申し上げることは、特に行政改革において非効率であるという考え方に変わりはありません。そこで、私ができる最低限の作業として、私なりのビジョンを以下に簡単にまとめました。個人的なものであるため、専門委員会や事務局の皆さまや、その他の誰に対する意見、主張でないことはもちろん、これによって何らかの影響力を果たそうとも、皆様の意図に反する変化を生み出そうというものではありません。しかしながら、専門委員会における私の発言の大半はこの「ものさし」を前提としたものになるであろうため、その発言の根拠を明確にすることで、専門委員会の建設的な議論に、多少なりとも資することがあるのではないかと考えました。ご多忙中大変恐縮ですが、以上の趣旨にてご参照頂けると幸甚です。
* * * * *
第一に、沖縄の自立を助けるものであること
沖縄の「自立」が議論されてから久しいのですが、多くの場合その具体的な意味は曖昧です。一般的には経済的な自立と解する人が少なくないと思いますが、それが仮に、特措法に基づく補助金なしで県政を成立たせるということであっても、自主財源比率を例えば全国平均並みにするということであっても、まして、県税で歳出を賄うということであっても、現実的な目標にはなり得ません。辛うじて、県債を発行せずに歳出を賄うことなどは、可能と言える水準の目標なのかも知れませんが、それとても、地方交付税や国庫支出金に大きく依存する枠組みは変わりません。
この事実から明らかなことは、逆説的ですが、我々が「自立」を目指すのであれば、それは財政的なものではなく(そもそも直ぐには不可能ですので)、まずは我々の事業精神にこそあるべきであり、それは、他者に依存しない産業・事業を生みだす心構えと行動を意味します。
一方、現在の沖縄経済は、実質的に四つの産業・事業モデルしか存在しないように見えます。デフォルメによって論点をはっきりさせるために敢えて赤裸々な表現を使用すると、①補助金なしでは存続し得ない「要介護」事業(製糖・ビールなど)、②消費者にコスト転嫁が容易な規制・独占業種(製鉄・電力など)、③自分のノウハウを持たない経営不在型・他者依存型事業(フランチャイズや提携事業など)、④低品質高価格の「ぼったくり型」事業(少なからず一部のみやげ物、県産品など)。
特に③については、フランチャイズ事業に限らず、本土金融と資本に依存し本土広告代理店がプロデュースするリゾート開発など、沖縄の基幹産業・事業において顕著です。自分の事業を切り開くという意識と自信と意欲が希薄なためか、沖縄県内からノウハウと人材が輩出されず、沖縄に留まらず、沖縄で活かされない現状が生まれています。我々には何が欠けているか、これを打破するために何ができるか、何をすべきか、に正面から向き合うことが課題です。
第二に、観光地としての質を高めるものであること
上記④(低品質高価格事業)は典型的に、世の中に普通に存在する原材料に「沖縄」のブランドを付して、質の低い高額品を観光客や本土消費者に販売する、「ぼったくり型」とも言うべき事業モデルですが、より広義には、県産品やみやげ物に限らず、例えば、価格に到底見合わない品質の食事、夏のハイシーズンに法外なほど高騰する宿泊価格、リゾート地に似つかわしくない雑然とした町並み、日没の1時間以上前から遊泳禁止になるビーチ、広大なビーチにほんの僅かしか設定されない遊泳区域、なかなか改善しない道路標識の分かり難さ、何度も議論されている台風足止め客への対応など、多くのリゾートや行政などのサービス産業においても少なからず顕著といえます。
この問題においても、上記と同様、問題の根源はその現象にはなく、それを実現たらしめている我々の意識の中に存在するのではないでしょうか。我々が向き合うべき課題とは、第一に、地元県民や従業員が、自分自身あるいは自分の家族のために利用したいと思えるものを顧客に提供する心と、それに基づく行動であり、そして第二に、(我々らしくないものを)売れるから売るのではなく、それが一見地味なものであっても借り物ではない自分らしさを純粋に追求する精神だと考えます。・・・私のお気に入りの事例は、北海道旭川市の旭山動物園です。旭山動物園のヒーローはどこにでもいるアザラシやペンギンなど、なんの変哲もない地元の動物たちですが、飼育係の人たちが野生の動物たちの凄みに心底触れて、それを顧客に如何に伝えるかを何年も考え続けた結果として、いまや世界的に有名になった「行動展示」の形態が生まれます。うちなんちゅにとってはひょっとしたら何の変哲もない「沖縄的なもの」に向き合い、それに再び光をあてることで、世界に二つとない観光資源を生み出すことは、どこよりも恵まれた沖縄にとってそれ程難しいことではないと思います。
第三に、沖縄以外の人々へ奉仕するものであること
沖縄は復帰以来、本土から「してもらうこと」に大きな関心を持ち続けてきました。誰に対しても「沖縄のため」が合言葉になり、どれだけ顧客が沖縄で「お金を落とす」か、という発想を頻繁に耳にします。皮肉なことに、人でも会社でも地域でも、その持続的な成功は、「してもらうこと」によってではなく、「してあげること」によってのみ実現するものであり、これが沖縄の自立を長らく阻んできた最大の原因ではないかと思います。
また、観光地として成功するための必要条件は、①継続的な質の向上と、②顧客に対する誠意と奉仕であり、この意味でも、「沖縄の以外の人々に対して我々は何ができるか」、という発想なしに沖縄の将来を豊かにすることはできないと思います。
第四に、隠し事がなく、本質的な矛盾がなく、正直なリーダーシップによる事業であること
行政に限らず、組織運営においては、それが大きなものであるほど「組織」や「仕組み」が実体として捉えられがちですが、どのようにして選抜された、どのような人格を持つ、誰が、どのような環境で実行するか、ということの方が現実的にはよほど重要です。また、リーダーの選別に当たって、有能な不正直者はその有能さが裏目に出ることが余りに多いため、世の中で広く信じられているほど必ずしも効率的な人事にはならないという印象です。事業運営においては正直で誠意あるリーダーの存在が何よりも(しくみよりも)重要だと思います。具体的には、我々が事業の在り方を考えるとき、その事業を運営する上で最も誠実な人財は誰か?「この人に任せて、ダメだったら仕方がない」、と県民が思えるリーダーは誰か?という観点をなによりも優先するということです。
以上を担保するために、隠し事のない情報と、本質的矛盾のない議論の枠組みが不可欠です。例えば、ですが、「天下り人事」が問題の本質でありながら、事業の可否のみが議論されるような状態は、非効率であるだけでなく、行政改革において逆効果を生む決断の原因となりがちです。また、例えば、環境保全と産業振興など、根源的に両立が不可能なテーマについて、それぞれの具体的な対処を明確に定義せず、双方を同時に目標とするなどは、基本方針として全く機能しない可能性が高く、それこそ行政資源を無駄に費やすことになるでしょう。
第五に、人生の質を高めるものであること
本土経済が長い間追求してきたように、経済的な「量」を追い求めることは、沖縄には似つかわしくないもののように思えます。そもそも、沖縄が復帰以来追いかけてきた「本土並み」社会は、本土経済自体が行き詰まりつつある現在において、本当に目指す価値があるものかどうか疑問を感じ始めている人は、沖縄にも本土にも増え始めています。沖縄は本土経済とは異なる人生の質を実現することが可能な、日本で初めての地方中核社会になり得るのではないかと思います。
人生の質を追求する社会は、経済的に成功する社会と必ずしも矛盾しません。経済的に成長を遂げる方法は、量的な拡大と質的な向上の二種類存在しますが、量的な拡大を目指す本土的価値観に従って、例えば、現在のようなコールセンターやホテル業をいくら拡大しても、時給650円の臨時雇用者を増やすばかりで、社会の質が向上することはないでしょう。
質の高い人生の基礎となる、質の高い雇用を実現するためには、質の高い事業を生み出すことが不可欠ですが、それは正に、沖縄が自立し、観光地としての質を高め、他者に奉仕し、本質的な矛盾のない産業・事業を生みだすことによります。質の高い事業によって高い労働生産性を実現し、そのようにして生まれた生産性を、より高い収入のみならず労働形態や労働環境の質的向上に振り向けることによって相乗的に効果が生じます。
今年もよき年になりますように。
【2010.1.5 樋口耕太郎】