100年ほど前に、イギリスの思想家ジョン・ラスキンがこんな話を書いています。ある男が全財産の金貨を大きな袋につめて船に乗り込んだ。数日後、船は激しい嵐に襲われ、乗客は船を棄てて逃げろと警告された。男は金貨の袋を腰にくくりつけると、甲板に上がって海に飛び込んだが、たちまち海の底に沈んでしまった。そこでラスキンはこう問いかけます。「さて、海に沈んでいったとき、男は金を所有していたのだろうか、それとも金が男を所有していたのだろうか?」*(1)

資本主義の第四の幻想であり、恐らく資本主義社会の最大の問題が、富の蓄積が社会を豊かにするという「常識」です。本稿『次世代金融論』において、現代の資本主義社会の本質は何かというテーマで議論を続けていますが、これまでの議論から既に明らかなことは、現代の資本主義社会における最も根源的な価値観は、「お金があれば幸せになる」というものであり、この信念がわれわれの制度、経済、政治、教育、医療、福祉、家庭、人間関係のことごとくに投影され、現代社会が今のような姿になっているということでしょう。「お金があれば幸せ」 ・・・すなわち、「富の蓄積が社会を豊かにする」、ということですが・・・ という世界観が資本主義の本質であるならば、資本主義社会は、「お金が富である」、「富があれば幸せである」、という二つの大きな前提の上に成立していることになります。この両者が、資本主義の第四にして最大の幻想を構成している、というのが本稿の趣旨です。

お金という「富」
資本主義社会に生きる人の大半は、いかにしてお金を獲得しようか、そして、そのお金をいかに増やそうか、ということに人生の大半を費やしています。莫大なエネルギーを傾け、大きな犠牲をいとわず、人生を賭して少しでも多くを蓄積しようとしているお金とは、そもそもどのようなものなのでしょうか。お金には、本当にわれわれが考えているような価値が存在するのでしょうか。

お金*(2) は、かくもパワフルな存在であり、現代社会で暮らしている殆どの人々は、お金自体に大きな価値があると考えている訳ですが、お金は本来、価値の交換、維持、利殖(利子)機能を果たす「道具」に過ぎません。社会の構成員がその機能を信じることで、(多分辛うじて)成立してる恣意的な紙片またはデジタル情報であり、お金が表彰する「価値」とは全く別のものである筈です。ある人が商品の代わりにお金を受け取るのは、社会の(殆ど)全ての人がそのお金をお金として受け入れるという「予測」によるもので、その人が後で別の商品を手に入れたいときには、商品の売主がこのお金を受け取ると「思う」ためです。お金とは、価値があるから価値を持つのではなく、価値があると皆が思うために価値を持つという不思議な存在であり、「価値があると皆が思う」という、皆の「気持ち」がその実体です。このように書くと、17世紀前半オランダのチューリップ・バブル*(3) や、最近のサブプライム危機、あるいは椅子取りゲームやババ抜きのようにも聞こえるのですが、もともと価値のないものを価値の交換、維持、利殖手段にしているお金の根源的な構造は、その本質においてババ抜きと同じものです。実際、このお金というゲームには(ハイパー)インフレーションというババが存在し、社会の構成員は皆 ・・・もちろんそれが可能であれば、ですが・・・ このババをつかまないようにお金を次の人に先送りし続けなければ、いずれどこかの時点で自分の保有する「価値」を大きく毀損してしまうことになります。

資本主義がお金の蓄積を最大の目的としており、お金の実体が人の「気持ち」であるならば、お金に対する人々の「気持ち」が揺らぐことが、資本主義の最大の危機であり、それがインフレーションの本質かも知れません。私は、経済政策においてインフレーションが重大問題とされていることの理由が良く理解できずにずいぶん長い間悩んでいたのですが、ごく最近このような解釈に辿り着いて、ようやく納得できた気分です。この点については、東京大学の岩井克人先生が興味深いコメントをなされています:

一般的に、「恐慌」が資本主義の危機として捉えられていますが、実はそうではありません。「恐慌」とは、商品の売り手がいるのに買い手がいない状態で、市場にはモノをお金に換えたい人が多数存在し、お金への信頼は揺らぐどころか却って強固になります。資本主義にとっての本当の危機とはハイパーインフレーションです。ハイパーインフレーションは、買い手がいるのに誰もモノを売らない状態で、市場にはモノを欲しい人が多数存在するのに、誰もお金を受け取ってくれません。お金への信頼が失われ、お金を仲立ちとした商品経済が崩壊し、お金がお金としてして機能しなくなる、本当の資本主義の危機なのです*(4)

暴落する通貨
ハイパーインフレーションというと特別なことのようですが、それに近い現象は既に、しかもわれわれが一般に認識しているよりも頻繁に、そして現在も、生じています。例えば、昨年夏以降の原油価格の暴騰(と暴落)に伴って、日本でもガソリン小売価格が一時期180円/㍑前後まで上昇したのは記憶に新しいところです。この現象は一般に、「原油価格の暴騰」と認識されていますが、これは決済通貨であるドル(および、それにおおよそ連動する主要通貨)建ての原油価格が上昇したためです。しかし、例えば金の価格を基準にすると、原油価格は殆ど変化していないため、原油価格の暴騰というよりもドルの暴落(≒インフレーション)と捉えることもできるのです*(5)

より大きなスケールでは、金に対するドルの価値は100年前に比べて50分の1に下落しており、当時の1ドルは現在2セントの価値しかありません。もちろん、この価格には、100年の間に採掘された金が新たな供給に加わり、工業用その他の需要が増加したという、金自体の需給の変化による価値変動が含まれているとは思いますが、大掴みに捉えると、金の価格がドル建てで長期的に上昇し、その裏返しとしてドルの価値が暴落しているという事実に変わりはありません。このような事実が一般に認識されていないのは、1944年に成立したブレトン-ウッズ体制によってドルが世界の基軸通貨になって以来、60年以上、世界中の国際取引の決済がドル建てで行われているたためで、殆どの商品がドルで計測される世界においては、ドル自体の下落は自覚されにくい、ということだと思います。この「ドル暴落」の大半は、1971年8月15日のニクソンショック以降に生じたものですが、この日を境にドルが「金と同等の価値」から「紙片」へと変質したことに呼応した結果と考えることもできます。昨日まで金であったものが紙片になれば、その価値が50分の1に暴落したとしてもまだ少ないくらいです。その後1973年の第一次オイルショックでは、原油を中心とした世界中の天然資源が暴騰して世界的な大不況を引き起こす訳ですが、これも見方を変えれば、ニクソンショックによって「紙片」になったドルの暴落に伴って、本来価値のあるモノ(資源)が暴騰したように見えた、・・・オイルショックというよりも、ドルショックと呼ぶべき現象、と考える方が妥当に思えてきます。

日本の視点では、円の価値をドルとの相対観で捉えることがあまりに一般的です。1971年以前の1ドル360円から、1973年の変動相場制への移行を経て現在まで、円はドルに対して4倍(ドルは円に対して4分の1)になっているために、殆どの人は、高度成長期以降、長期的な円高が続いてきたと考えていますが、アメリカ経済に大きく依存してきた日本の円もまた、大きな流れではドルと連動しながら、(ドルよりも程度は少ないとは言え)下落し続けてきたという見方が可能であり、実際、円建て1グラムあたりの金価格は1970年の690円から、最近では3,000円まで上昇、すなわち円の長期に亘る下落を示しています*(6)

なぜ通貨は暴落するか
前述の通り、ドルは過去100年で50分の1に下落していますが、私は、この暴落は不兌換通貨(Fiat Money:フィアット・マネー)の構造的な問題ではないかと疑っています。米連邦準備銀行(「FRB」)が設立された1913年が、ドルの長期的な暴落のおおよその基点になっているのも偶然ではないと思いますし、ニクソンショックによってフィアット(不兌換)化した直後から、ドルが「大暴落」しているのも象徴的な現象といえそうです。

現在のお金である不兌換紙幣は、物理的には紙幣を印刷することで「無」から生じますが、社会・経済的なメカニズムの観点からは、誰かがお金を借りた瞬間に、信用創造がなされ、お金が市場に流通します。社会における最大の債務者は通常国家であるため、政府が国債を発行することで、大半のお金が生み出されることになります*(7)。ところで、近代の資本主義/民主主義国家においては、政治的に、できるだけ税金を少なく、できるだけ支出を多く、という強いバイアスが存在します。仮にそれが長期的には好ましくないことだとしても、選挙で勝つためには有効な手法だと考えられているからです。現在世界の「先進」諸国の債務が増加傾向にあり、財政赤字と国家の過剰債務の問題が多くの国で生じているのは、基本的にこのような単純な理由によるものではないかと思います。この過剰債務現象の裏側では、大量の信用創造が行われ、大量のお金が市場に放出されることになります。「公開市場操作」、「マネーサプライの増加」、などというと、なにやら科学的なことのようですが、要は、FRBが新たに紙幣を印刷して国債を買う(国の債務を肩代わりする)行為であり、供給量を増やして市場に流通している貨幣の価値を薄める行為、といったら語弊があるのでしょうか。

過剰債務のバイアスに持続性はありませんので、政府はいずれどこかの時点でこれらの債務を返済する必要が生じます。通常国家が債務の「清算」を行う方法は、①増税、②紙幣の印刷、③国有資産の売却(電電公社の民営化とNTT株式上場、専売公社民営化と日本たばこ株式上場、国有地売却など)、④債務の否認(1917年ロシア革命において、帝政ロシア時代の債務1,100億ドルをソヴィエト政府が否認した事例など)、⑤戦争などによる略奪、の5種類です。そのうち、①増税は政治的に最も不人気で、経済が成長しているときですら困難であり、実質的に機能することはないと思って差し支えないでしょう。そして、②紙幣の印刷について、論旨が循環するようですが、前述および注記*(7)の通り、お金は誰かの債務であり、お金が(「無」から)生まれるためには、誰かが債務(主として国家の債務)を増やさなければなりません。紙幣の印刷はすなわち、債務による債務の借り換えであり、継続的に債務残高を増加させ、市場に過剰流動性を生じ、実体経済を超えてマネー経済を膨張させ、自国通貨を下落させ、いずれどこかの時点でインフレーション、場合によってはハイパーインフレーションをもたらす可能性があります。そして通貨価値の下落を伴うインフレーションは、結果として、①経済活動の隅々に増税を行う行為、と同様の効果を持ちます。

・・・最近どこかで聞いた話に似ていないでしょうか?資本主義下の政治は、不兌換通貨の発行によって、政府の負債を膨張し、マネーサプライを増加させ、インフレ(すなわち通貨の暴落)を起こしやすい構造をもともと有しており、不兌換通貨の継続的な下落は、資本主義の構造そのものと云えるのではないでしょうか。

【2009.6.3 樋口耕太郎】

*(1) ピーター・バーンスタイン著『ゴールド:金と人間の文明史』、鈴木主税訳、2001年8月、日本経済新聞社のプロローグからの孫引きです。原典はイギリスの思想家ジョン・ラスキンによる100年以上前のエッセイによります。Ruskin, John, 1862. “Unto This Last”: Four Essays on the First Principles of Political Economy. London: Smith, Elder & Co.

*(2) 本稿の議論の重要な前提ですが、本稿で「お金」というときは、現代のお金、すなわち利息が一般に認められた社会における、中央銀行によって管理された、別の言葉では、中央銀行が無尽蔵に印刷可能な、変動為替相場制度下の不兌換紙幣を示します。お金と一口にいってもその時代、社会・経済的な背景、お金自体の構造によってその本質は大きく異なるため、お金の本質を議論する際の前提としてこのように定義する必要があります。例えば、(通貨を発行する)国家の概念はせいぜい2~300年。社会的にお金に利息を付す事が積極的に認知されるようになったのは1~200年(産業革命は農業革命に次ぐ人類の大革命とされていますが、私には、社会において金利が事業として認められたことが、資本主義の本質ではないかと思えます。『次世代金融論《その14》』 『次世代金融論《その15》』参照下さい。)。現在の形の中央銀行が登場するのは日本銀行が1882年、FRBが1913年のこと。ドルの金兌換が停止されたのは1971年8月15日のニクソンショック、円ドルの変動相場制が始まったのは1973年2月からに過ぎず、超・資本主義社会下における現在の、不兌換紙幣、変動相場制という「実験」は、正に人類史上初の試みであり、その期間も僅か40年間継続しているに過ぎません。

*(3) 有名なオランダのチューリップ・バブルについての記述は、150年間世界的な超ロング+ベストセラー、チャールズ・マッケイ著『狂気とバブル』、2004年6月、パンローリング社(1852年版の日本語訳です)、ジョン・ケネス・ガルブレイス著『新版・バブルの物語』、鈴木哲太郎訳、2008年12月、ダイヤモンド社、など。

*(4) 岩井克人著『貨幣論』、1993年、筑摩書房、および、2009年5月24日号日経ヴェリタスの記事によります(文脈は筆者がアレンジしました)。『貨幣論』が著されたのが1993年だということが驚きですが、このことからも金融・経済の本質についての岩井先生の洞察力の鋭さが分かります。

*(5) 米地質学研究所(American Geological Institute:「AGI」)のレポートを参照しています。AGIは1948年に設立され、およそ12万人を超える地質学者、地球物理学者が直接間接に参加する歴史のある団体です。また、超長期の金価格の推移(グラフ)は、オーストラリアの老舗投資顧問、AMPキャピタル・インベスターズのレポートなどで参照できます。

なお、世界の原油(特に中東産)はドルによって決済されるものが大半です(した)ので、どの国も原油が欲しければまず自国通貨をドルに換えなければならないという事情があります。このことがドルの通貨価値を相当かさ上げしていることは間違いありません。例えば、2003年3月、アメリカを主体とした有志連合がイラクに侵攻して勃発したイラク戦争は、サダム・フセインが大量破壊兵器を開発していたため、イラクがテロリストを支援していたため、あるいは、アメリカにとって原油資源の安定確保のため、などといわれることが多いのですが、私は、アメリカにとってのイラク戦争の最大の目的は「ドル防衛」ではなかったかと思っています。2000年11月より、フセインはイラク産原油の決済をドル建てからユーロ建てに変更しました。フセインの行為は、彼がどれほど意識していたかどうかは別にして、中東が産出する大量の原油がドルを支え、ひいてはアメリカ経済を支えるという、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の基本構造を切り崩す、すなわち、アメリカの琴線に直接触れる行為です。

原油のドル決済は、アメリカにとっては、「ドルを印刷するだけで、原油を無尽蔵に手に入れる」ことができる、物凄いしくみです。更に、世界経済の生態系は、最大の国際商品である原油がドル建てであるがゆえに、世界中の財の取引もドル建てで決済され、ドルの需要が高まることで、ドルの基軸通貨が維持されている、というバランスになっているため、原油のドル決済は、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の、要中の要となっています。仮に、ドルが原油の決済通貨でなくなれば(あるいはその比重が低下すれば)、ドルの暴落は避けられません。超資本主義が加速した後の、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」構造におけるアメリカのアキレス腱は、ドルの信頼性です。この信頼が大きく揺らぐと、世界からアメリカに集中していた資本が逆流し、米国内の長期金利が上昇し、景気に大ブレーキがかかり、不動産を含む金融資産価格は更に大暴落し、経済が大混乱に陥る可能性があります。当時のブッシュ政権の立場では、フセインを追放し、イラク原油のユーロ決済を阻止しなければ、アメリカはドル基軸通貨という莫大な利権を失うと同時に、アメリカ経済の基礎を崩壊させる可能性が高まるため、大量破壊兵器があろうとなかろうと、国際世論を敵に回そうと、その他のどんな理由があろうとなかろうと、この戦争(侵攻?)は不可避であったと私には思えます。イラクに大量破壊兵器が存在する、という情報は結局CIAの「誤報」だったとされ、アメリカ政府は自国諜報部門にその責任を負わせていますが、それすらも計算の上と考える方が現実味があるかもしれません。ブッシュ政権は、イラクを占領した後、イラク産原油の決済通貨を、早々にドル建てに改めました。

このようにして通貨と財の価値が織り成すバランスは、世界経済だけではなく、政治、軍事に大きく影響を与えており、かつ、表面的に議論の遡上に上らないため、生態系を観察、分析することで独自に理解せざるを得ない問題です。例えば、以上の観点で世界を見ると、イラク戦争をはじめとする多く、ひょっとしたら殆ど争いの原因は、(超資本主義)世界経済とお金の構造そのものにあると考えることが可能です。世界平和を願うのであれば、全く異なる角度から社会の生態系を理解しなおさなければならない、ということでもあると思います。

*(6) 田中貴金属工業株式会社のウェブサイトを参照しました。

*(7) 不兌換紙幣の本質とドルを管理するFRBについての記述は、前掲B・リエター著『マネー崩壊』に加えて、G. Edward Griffin, “The Creature from Jekyll Island” Fourth Edition, American Media, June 2002 が秀逸です。”The Creature…” は1994年7月の初版以来、2009年2月までに4回の改定と23回の増刷を重ねているベストセラーです。不可解なことに、本書の日本語翻訳版、エドワード・グリフィン著『マネーを生みだす怪物』、吉田利子訳、2005年10月、草思社、は今年になって全国のあらゆる書店から姿を消し、事実上の発禁処分を受けたのではないかと思えるほどで、裏を返せばそれ程真実が書かれているということなのかも知れません。現在アマゾンなどの中古取引で14,000円の値が付くなど、いわくつきの一冊です。英語を解される方は、著者グリフィン氏による、本書と同じテーマの講演がYouTubeにて視聴でき、こちらもお薦めです。

お金が生まれるメカニズムを簡単にまとめると: 国家の支出超過(前述の通り、政治は税金を少なく、支出を多くするバイアスがかかります) → 税収不足 → 例えば100万ドルの国債発行(要は、政府が紙に「借用証書」を印刷するだけです) → 国債を民間銀行などが購入(民間銀行は、購入した国債 ・・・すなわち、印刷しただけの「借用証書」・・・ を100万ドルの「資産」として帳簿に計上します。一方、政府は、国債の売却によって得た現金100万ドルで、橋を作ったり、公務員の給料を払ったり、各種支払を行います) → FRBの公開市場操作(典型的には、景気対策として、市場に「マネーを供給」するため、FRBが民間銀行などが保有する国債を買取り、その代金の支払を通じて、現金を市場に放出する行為です) → 代金はFRBが100万ドルの紙幣を印刷して充当(この時点で、先に政府が発行した100万ドルの国債をFRBが引受けたことになりますが、その代金の支払は印刷機によって「無」から生み出された紙幣によります) → 民間銀行の口座に国債の売却代金100万ドルがFRBから振り込まれ、民間銀行に預金が増える(マネタリーベースの増加) → 民間銀行は、新たに増えた100万ドルの預金に対して、900万ドルの新規の貸付が可能(昔、社会科で習った「乗数効果」です) → 900万ドルのお金(マネーサプライ)が更に、新たに、(無から)生まれる → 結果として、政府が100万ドルの借用証書を印刷することをきっかけに、何もないところから1,000万ドルの現金が生まれる。民間銀行は、もともと実体のない1,000万ドルのお金に金利を付して債務者に貸付け、債務者はこの実体のない1,000万ドルの債務に対する金利支払のために、多大な労働と、経済成長を強いられることになる。

因みに、FRBは毎年1~2兆ドル(100~200兆円)の紙幣を印刷し、ドルの6割はアメリカ国外で流通しています。最近ではユーロの欧州圏外流通量も急増しています。