さて、
日曜日は母の日ですね。
私は時々、自分の存在に繋がる果てしない人と人との出会いの糸に、
心を馳せてみることがあります。
もしも、母が働いていたおじいちゃん経営の洋食レストランが、
父の働く会社の近くになかったなら…。そして、そのそばの本屋さんで
二人が度々出会わなかったなら、私は今ここに存在していなかった。
さらに、私のおじいちゃんがお坊さんをしていたお寺に、若かりしおばあちゃんが
お参りに行っていなかったなら、母も伯母も伯父も生まれていなかったし、
もちろん私もいなかった。
何だか小説のプロットのようですが、実はたかが私一人の生命の奥にすら
こんなふうなドラマがある、という話です。
自分の生命は自分だけの物ではないということです。
だから、人と人とのささやかな出会いを想うと、いつも胸の奥がとても温かく
なります。
人は皆、守られているのだなぁと。
自分の中に“先祖の皆さん”がいるのです。だから自分の命は、
決して自分だけのものではないのです。
私はこれまで、人生の中で何度も、一人では開けられそうもないほどの
重い扉の前で立ちすくんだことがあります。それでも意を決して、
その扉を開けようとする時ふと、泣きながら力を入れる自分の手に、目に見えない
優しい御手がいくつも重なっていることに気づくことがあります。
力を入れて勇気を振り絞ろうとしている私に、ふと気がつけば、
「もっと力を抜いて。皆、いるから。大丈夫だよ。」とたくさんの手が
重ねられていて、一緒に扉を押してくれているのに気づくのです。
その降り注ぐ愛の力に助けられ、決して開かないと思っていた扉が、
何度開いたことでしょう。その優しさに何度泣いたかわかりません。
気づいてみてください。こんな愛の力が、あなたのおそばにも存在するのです。
一緒に泣き、一緒に笑って、旅をしてくれる同志が、目には見えないけれど、
いつもおそばにいるのです。心を砕いてあなたを守り続けてくれる、
そんな優しい存在があるのです。
だから母の日・父の日というのは親に世辞を言う日ではなく、
自分に与えられた生命を思う日なのではないかと思います。
辿れば自分に繋がる生命に気付きます。生きるということはそれら無数の生命に
感謝しながら自分に与えられた生命を愛おしみながら大切に生きること。
物語を終わらせてはなりません。
最後に。
人生にはいろいろな出会いと別れがあります。
でも、誰にしても最初に出会うのは母親なのです。
これはいかなる意味があるのか―。
そんな意味も想いつつ、日曜日はぜひお母さんに温かいありがとうを
伝えてあげてくださいね。
そして、お聞かせください。あなたのお母さんへの想い――。
【2009.5.7 末金典子】