トリニティのサービス論(pdf)

前回までのエントリーで紹介した「顧客体験」という概念と、その概念を利用した「商品としてのサービス」の認識をベースに、これらを実際のサービス戦略にどのように応用するかというテーマでコメントしようと思います。戦略とは差別化するということでもありますので、本稿では差別化すべき対象、つまり世の中の「一般的なサービス戦略」との比較についてもコメントします。

「顧客のコメント」について
その前提として、「一般的なサービ戦略」の基礎となっている顧客満足度を評価する際に重要視される顧客のコメントやクレームについての考え方をご紹介します。始めに、「顧客体験」と「顧客の声」の違いについて触れたいと思います。サービス業において顧客の経験や満足度を理解する重要な「窓」として顧客が残すコメント、アンケート、クレームがあり(以下、「顧客のコメント」と総称します。)、一般に顧客満足度を評価するために重要な一次情報として利用されています。トリニティのサービス論では、商品としてのサービスを評価する際に、このような「顧客のコメント」よりも、「顧客体験」という考え方を優先しているのですが、その理由は両者とも顧客が経験したサービスを顧客の価値観で表現するという点においては共通しているものの、いくつかの重要な点において異なるためです。

第一に、コメントを残す顧客やクレームを起こす顧客は極めて例外的と言って良いほどの少数派であることです。ホテル業界では、ひとつのコメントの背後には同様の意見を持つ100人の顧客がいるといわれることがありますが、決して誇張ではないと思います。まして「小さい傷」を問題視してコメントに残す顧客は殆ど存在しないと思いますし、本人ですら自分の気持ちに気づかないことがむしろ一般的ではないでしょうか。

第二に、顧客は何に満足したかを正確に表現するとは限らないためです。サンマリーナホテルでの興味深い事例ですが、トリニティ経営を導入し経営的・人事的な仕組みの全てを構築し直し人間関係を最優先する運営を開始した後、従業員に対するコメントももちろんですが、その時点では殆ど目立った改装などを行っていなかったにも拘らず、「とてもきれいな施設ですね。」などのホテルのハードに対する好意的なコメントが急増した事実があります。また、レストランなどでも、顧客は食事の味自体よりも会話の楽しさや従業員を含むレストランの雰囲気の方が記憶に残る傾向があると思います。そして、このように楽しい時間を過ごしたレストランは「おいしいレストラン」と口コミで伝えられることになります。

第三に、同様にクレームはその内容自体に顧客の真意があるとは限りません。不満が生じた直接の原因よりも、従業員に感情を伝えやすい出来事をクレームのねたにすることが少なくないと思います。例えば、「トリニティのサービス論《前編》」でのカプリチョーザでの事例では、ラストオーダーの時間を間違えたことについて僕(顧客)が指摘をした、とレジの従業員は考えがちだと思いますが、僕の本心はラストオーダーの時間が合っていようとなかろうとお店の顧客に対する配慮の不足を伝えたかった、というようなことです。

もちろん「顧客のコメント」は顧客の満足度や感想を伝える重要なツールであり続けると思いますが、以上の特質を理解し、コメントの背後にある顧客の意図を感性で補いながら評価することでより正確なサービスの現状認識が行えるのではないかと思います。

「一般的なサービス戦略」
世の中のサービス戦略を一般化することは難しいので、代表的なパターンをやや断片的に列挙し、これを仮に「一般的なサービス戦略」とします。また、顧客との直接の接点を持つ現場の裏には、商品力、流通力、費用のコントロール、情報システムなど、縁の下の力持ちがきわめて重要な役割を果たすことが珍しくありませんが、ここでの論点では、顧客と企業の直接の接点に関するものごとに限定しました。また、セグメンテーション(顧客の属性を分類して販売に役立てる手法)やターゲティング(顧客の属性に対応した商品やサービスの提供を行う手法)などのマーケティング概念も、顧客と直接の接点を構成しないためこの論点では無視しています。

第一のパターンは、顧客にとって新鮮な驚きや感動を演出するサービスパッケージで、競合他社に先行・差別化し、かつ費用対効果が合理的な演出を継続的に更新する方法です。このパターンでは顧客にとって一般的ではないアイディアを常に提供する必要があります。例えばホテルでさりげなく用意する子供用の歯ブラシ、子供のネームが入ったお風呂スポンジ、話題の先端を行くアメニティ、シーズンごとのイベント、流行のメニュー・・・。

第二のパターンは、担当者の専門性を高度に磨くサービスパッケージです。例えば1万人の顧客の名前を覚えているコンシェルジュであったり、顧客の意図の先を読む配慮であったり、言葉遣いのトレーニングであったり、跪いてオーダーを取る教育などです。

第三のパターンは、「施設は永遠に完成しない」に象徴されるように、施設を常に追加・更新し顧客に対して新鮮な環境を提供するサービスパッケージです。業態のこまめな変更、定期的な改装、新型施設の導入などが該当し、多額の資本投下を伴うことが少なくありません。

これらのサービスパッケージを実現するために、現代の企業が投下している経営資源は、研修施設、その運営費用、講師やスタッフの人件費、受講する社員の機会損失、会議・ミーティング費用、サービスにかかる広告宣伝費、企画費用と人件費、サービスシステムの導入・運営費用、施設への継続投資、デザインやコンサルティングなどのソフトコスト、などが該当し、一般的な企業(特に大企業)において投下される費用は莫大なものです。

「一般的なサービス戦略」を顧客の観点から考える
以上を前提に、「一般的なサービス戦略」がどのような考え方で構成されているかをまとめると、①上記第一から第三のパターンによるサービスの向上に努め他社との差別化を図る、②その際多額の支出を積極的に行う、③顧客からのコメントは、このようなサービス戦略の進捗、現状把握、他社とのサービスの比較評価を行うために活用する、④ネガティブな顧客コメントやクレームをなくすることが重要な目標。一般的な企業は、このような考え方でサービスの差別化が達成されると認識しているのではないでしょうか。

サービス業の立場で考えると、スターバックスはタリーズやひょっとしたらドトールと競合していると考えるのが一般的だと思います。この考え方の前提は、競合とは顧客がコーヒーを飲みたいと考えたときに選択されるかどうかであり、逆の発想では、「コーヒーを飲みたい気持ちになった」人を競合戦略における対象顧客と認識していると思います。

反面、顧客の立場で考えると、まずコーヒーを飲むことを心に決める、第二にどこで飲むかを決める、という順位で意思決定を行うことはそれほど多くないのではないでしょうか。もちろん、コーヒーを飲むことを決めてからお店を選択する顧客も必ず存在しますし、このような顧客に限定して考えれば、上記のような発想でサービス戦略を構築することの合理性はあると思います。しかし、マーケット全体で考えた場合、特に潜在的な顧客もその概念に含めた場合(「マーケティングはどうなる?」を参照ください)、「コーヒーを飲む決断」は顧客の意思決定の上位には存在しないどころか、例外的ではないかと僕は疑っています。つまり、「コーヒーを飲む顧客がスターバックスを選択する」ケースよりも、「単に顧客がスターバックスを選択する」あるいは「スターバックスだからコーヒーを飲む」ケースの方が遥かに現象として大きい、特に潜在的な顧客(足跡を残さないウサギ)も含めると莫大な規模になるのではないでしょうか。

この考え方が仮に正しいとすると、「コーヒーを提供するプロセス」としてサービスを捕らえ差別化する戦略は、経営的に非効率である可能性が生まれます。例えばスターバックスが顧客コメントやクレームなどの反響で良い顧客満足度を達成し、他社(つまり他のコーヒーサービス)と差別化することができたとしても、(全体としての)顧客の立場ではこのような比較は意思決定に殆ど影響を与えていないかもしれないのです。そして、「コーヒーを飲む」意思決定が初めに来ない、莫大数の顧客が比較する対象は「顧客の日常体験」であり、サービス事業者が本来差別化すべきは、「顧客の日常体験」と「企業における顧客体験」である、すなわち実質的な意味で従来の概念による競合は存在しない、というのが僕の考え方です。

「一般的なサービス戦略」の現状
前二回のエントリーで「顧客体験」という概念を紹介しましたが、翻って考えると顧客の現代社会におけるサービス体験は過去30年悪化し続けていると思います。現代サービス業の一般的なサービスパッケージには、お金を払っているにも関わらず、物理的な対価(例えばコーヒー)と引き換えに、言われなく非難され、ウソをつかれ、質問を無視され、人間性を無視され、間抜け扱いされる顧客体験が含まれるところまで悪化してしまいました。あたかも「自尊心があるなら消費するな」と罵倒されながらも泣く泣く消費を行っているようなものです(「トリニティのサービス論《前編》」を参照ください。)。外出から自宅に帰ってくるとどっと疲労感を感じるのは無理もない気がします。

反面、「顧客の日常体験」すなわち学校や職場や友人関係や家族との人間関係では、サービスの現場で経験するような、小さいけれどもこれほど傷だらの経験をするものでしょうか。もちろん大きな個人差はありますし、生活環境によっても多大な差がありますし、社会全体としてもこのような「顧客の日常体験」は急速に悪化する傾向にあります。「夫婦喧嘩で家を飛び出して、スターバックスで一息つく」などというパターンでは、企業での「顧客体験」が「顧客の日常体験」に比較して差別化されていることになります。しかし、概して現代のサービス業が提供しているサービスパッケージ(企業における「顧客体験」)は「顧客の日常体験」と比較してどんどん悪化しており、差別化するどころか現状は乖離し続けているように思えます。(本稿の主題ではありませんが、現代社会では「顧客の日常体験」もどんどん悪化しています。一例として「所有することの価値」をご参照ください。しかし、それ以上に企業との顧客体験が悪化しているというイメージです。)

これに対して企業の現状は、①潜在的な顧客(足跡を残さないウサギ)をほぼ無視して、矮小化された顧客群(まずコーヒーを飲むことを決めた顧客)を前提に、サービス戦略を構築する、②矮小化された(「顧客体験」の概念を無視した)サービスを競合他社から差別化するために、莫大な経営資源を投下する、・・・というサービス戦略を突き進んでいるように見えます。しかしながら、企業が莫大な経営資源を投下して向上しようとしているサービス戦略は、顧客の購買行動において、本来差別化するべき「顧客の日常体験」との格差を縮小する機能をあまり果たしていないため、実質的な戦略として非常に非効率である可能性があるのです。

戦略としてのサービス
トリニティのサービス論において、このように一見エキセントリックとも思えるほど厳格な現状認識のアプローチを取る理由は、第一にそれが現実であることと、第二にこのような現状認識が著しく経営効率を高めるからです。

トリニティのサービス論では「顧客の日常体験」と比較した、企業における「顧客体験」の向上が、最も重要なサービス戦略の目的だと考えます。例えば、特別な「サービス」を付加する努力よりも、顧客を非難したり、馬鹿にしたり、無視したり、ウソをついたりしないこと、そしてその仕組みを企業で構築し組織的に運用することが経営的に最も効率の高いサービス戦略だという考えです。

この戦略の利点は、①「一般的なサービス戦略」が要求する莫大な経営資源の投下が殆ど不要になり、資本効率が著しく高まります。②莫大な潜在顧客にアクセスすることが可能になり、営業効率を著しく高めます。③そして恐らく最も重要なことですが、企業との「顧客体験」も「顧客の日常体験」の一部を構成しますので、「顧客体験」をよりよいものにすることで、「顧客の日常体験」、つまりささやかながら顧客の人生そのもの、をより良いものにする直接の役に立ちます。

仮に以上の前提が正しいとき、皆さんがサービス業の経営者であったら、どのようにしてこの戦略を実行・運用しますか?

【2006.12.25 樋口耕太郎】