「トリニティのホテル金融論《前編》」では、「ホテルを破綻させないための運営の最低水準は、総投資額を物件の残存耐用年数で割った額に等しい単年度事業収益を税引き後で生み出すこと(事業収益は金利支払前、減価償却費差引き後)」である、とコメントしました。ホテル運営者の立場からは一見突飛な発想に感じられる可能性が高いのですが、不動産金融の世界ではむしろ常識に近い発想だといえます。これは資産売買が想定されない事業環境から、売買市場が生まれ金融メカニズムが機能し始める過渡期にはどの業界にも一様に生じる認識のギャップです。不動産流動化のマーケットでは90年代のアメリカ、2000年代の日本でも同様のことが起こっています。
不動産金融の考え方
金融的な見方が一般化しているオフィスなどの収益不動産物件では、築年が経過している中古物件は取引に際してどんどんキャップレート*(1) が上昇するなど、実質的に前述の「理論」と同様の市場原理が機能しています。「あと5年で取り壊しだろう」、と思われる老朽物件でも年間キャッシュフローの5倍までの価格で買うことができれば(キャップレート20%ということになります)、少なくとも物件が朽ち果てるまでに元本は回収でき、実際に不動産売買市場ではこのような考え方を基本にして値段が決まります。
ホテルがオフィスなどの不動産物件と異なる点は、①従業員が大量に存在すること、②躯体が物理的に維持されたとしても機能の陳腐化によって資産価値が大きく減価する可能性があること、③不動産などと比べて売上高利益率が非常に低く事業リスクが高いこと(「運営レバレッジが高い」と表現されることもあります)、④資産の所有形態についても不動産というよりも事業としての特性が強く法人税等の負担がかかりやすいこと、という性質がありこのため資産評価に対するプレミアムは不動産以上に要求されるはずです。
日本のホテル金融の特殊性
この考え方において、ホテルがその他の不動産と最も異なるのは従業員の存在です。残存耐用年数5年の不動産であれば、5年で投資資金を回収してしまえば不動産が朽ちても投資は完了しますが、ホテルの場合は従業員が存在するため、原則として建物を建て直して事業を継続しなければなりません。この物件建て直しと事業の再開が実現できなければ事業はその時点で破綻してしまいます。したがって、ホテル事業ではこの再開発の資金調達を前提に単年度の収支を逆算しなければならない点が、単純な不動産金融と決定的に異なるというのが僕の考えです。
このような考え方をする人は現状殆ど存在しないのではないかと思うのですが、恐らくその理由は、①日本ではホテルが現在まで一般的な売買の対象とされていなかったこと、②アメリカの考え方をそのまま適用していること、によるのではないかと思います。前者については、収益物件として第三者に売却された(第一号とは言いませんが)事実上の幕開けとなった案件は2000年のリーガロイヤルホテル成田(現成田ヒルトン)の案件以来だと思います。したがって近年急速に増加しているとはいえ、まだ5・6年分の事例しかありません。後者については、ホテル金融理論が生まれたアメリカでは従業員の解雇が(日本と比較して相対的に)一般的な現象であり、ホテルの建物が老朽化して廃業・取り壊しとなってもこのような問題はそれほど深刻な問題を引き起こさないという考え方から、アメリカ型の金融理論のフレームワークには勘案されていないのではないかと推測しています。
金融的に表現すると、不動産投資は将来のどこかで元本の価値が消滅するワラント投資に似ていますが、日本のホテル資産に関して言えば、従業員の存在と事業継続の原則のために、将来ワラントの元本が消滅する不動産的な性質のみならず、満期時に新たな追加投資を行う義務が投資家に(実質的に)課せられている、というイメージです。ただし、ここでの「追加投資」すなわち物件の再開発は投資家の法的な義務ではありません。事業の継続と従業員の雇用を前提とした場合、「実質的に」必要であるという性質に過ぎないため、あとは経営者と投資家の価値観によります。そして、経営者が事業の継続と従業員の雇用と生活を尊重するという選択をするのであれば、単年度事業の課題として対処されるべきで、トリニティのホテル経営論に沿った事業運営が重要になってくるという考え方です。
前回の質問への回答
なぜ外資系に代表される投資家はこれほど大量に高い簿価で資産を取得し続けるのでしょうか?また、現実には上記の運営水準を単体でクリアしていないホテルが少なくないと思うのですが、なぜそれでもホテル事業が成り立っているのでしょう?というのが前回の質問でした。答えは簡単で、単独のホテル収益以外からその差額の埋め合わせがなされている、つまり将来の資産の実質的な転売や収支の補填などによって他の投資家や事業が実質的に負担しているからです。
そのいわば利益「付け替え」の手法はいずれも金融によるもので、いくつかのパターンがあります。第一に、親会社が実質的に負担する。第二に、継続的な追加資産の買収やM&Aによって資金調達を可能にする。第三に、上場などの外部資金調達(つまり実質的な転売)によって充当する、が代表的なものです。
第一の、親会社などが負担するパターンの典型は、大手エアライン系、電鉄系、旅行会社系、かつての建設会社系などのホテルチェーンにおいて、単独ホテルの収益が前述の理論的なガイドラインに満たない場合でも、資本力のある親会社からの潤沢な出資・貸付・債務保証などによって資金提供がなされるものです。単独資産での収支が合わないことはあまり議論されず、「事業シナジー」という概念で説明されることが多いのではないでしょうか。確かに考え方としては、単独ホテルの収益力の不足分を超える「事業シナジー」が生まれる場合、合理的な経営判断になりえるのですが・・・。「シナジー」って結局なんでしょう?
第二の、継続的な資産買収やM&A は、良きにつけ悪しきにつけ最近特に注目度の高い手法です。このメカニズムはホテルなどの資産買収であろうと企業のM&Aであろうと基本的に同じです。例えば、売上20億円、理論的な企業存続の収益ガイドラインが年間4億円で、実際には2億円の収益しかないホテル会社があったとします。これでは将来のどこかの時点で破綻する可能性が高いので、この経営者は対応策として新しいホテル投資案件を探すことにします。程よく見つかった新規案件もやはり同様の規模で買収価格40億円、売上20億円、収益ガイドライン4億円に対して、実際の収益が2億円だったとします。
冷静に考えれば、この投資を実行することはマイナスの上塗りになりそうなものですが、金融市場が理性的に機能することを期待してはいけません(少なくとも僕の印象はそうです)。新規案件のファイナンスにおいて、買収価格40億円を全額借入金で賄い、40億円に対して3%、1.2億円の金利支払が生じるとして、売上は20億円から40億円に倍増すると同時に、この追加負担が年間2億円以下で済む場合一株あたりの利益も確実に増加します。そうすると、企業が発表する事業のシナリオ次第では、「急成長企業」ということになり株価が上がり、より高い株価で資金調達・・・という循環が出来上がる可能性があります。このとき借入金も同様に急増するのですが、「資産(事業)の急拡大」と見られるか、「有利子負債の膨張」と見られるかは(この場合両者は同じことなのですが)、みんなの雰囲気というか、アナリストの気分次第というか、IR のイメージと会社の雰囲気次第みたいなところがあります。
マイナスにマイナスを加えてもどこかで破綻する可能性は減少するどころか増加するだけなので、必ずどこかの時点で立ち行かなくなることは明らかでありながら、金融市場では全く逆の評価がなされ、「注目の成長企業」といったイメージが少なくとも一定期間継続します。「金融」に強い関心を持つ多くのベンチャー企業家はこのメカニズムを理解しており、IT、急成長市場のイメージとこのメカニズムを重ねて、市場から大量の資本を調達します。どこかで破綻する可能性が高い構造でありながら、その際にババをつかむのは一般の株式投資家ということになります(ライブドアへの株式投資で実感した方は少なくないのでは?)。このような「成長企業」は収益力の実態がなくとも増資や株式公開で投資家から集めた現金の内部留保があればとりあえず企業の破綻は避けられますので、ひとつの事業手法?として少なくとも今のところ機能しています。このためこのような事業ならぬ「お金集め」を事実上の本業とする企業は増える一方です。その結果、実質的な事業付加価値を生まず、利益と現金しかない「成長企業」と(中には利益すらない会社もありますが)、短期間で「成功」した経営者が大量生産される・・・といったら皮肉が過ぎるでしょうか。逆に考えると米国を起源に、現在これほどM&A が活発になっている理由の相当比率はこのメカニズムに起因します。
第三のパターンは、投資銀行や投資ファンドが得意とする金融手法です。金融の世界も酒屋さんと同じで小売と卸売りが存在します。突き詰めて考えると問屋さんの目的は転売することですが、不動産金融の場合も同様です。金融の世界の問屋さんは投資ファンド(プライベート・エクイティといいます)が代表的で、この事業の目的はやはり転売することです。例えば不動産やホテルを大量に仕入れ、これをREIT(リート:不動産投資信託)などにまとめて株式市場などに上場しますが、これは一般投資家(リテール)に株式という形で不動産を転売する事業です。より高い価格で転売することが目的であれば、「単独ホテルを破綻させないための収支ガイドライン」はあまり関心ごとにはならないのです。そして上場した後は、上記第二のパターンを活用することが可能ですので、なかなか息の長い「成長」を遂げることができます。
補足とまとめ: トリニティのホテル金融論の使い方
トリニティのホテル金融論では、投資家の資本的な制約(投資簿価)を基準として、単体のホテル事業を破綻させないための最低運営水準を明確にし、運営的なガイドラインとして表現しなおしました。これは、ホテル投資家と運営者の業務分担の中で、ホテル運営者が最低限果たすべき運営上のガイドラインを規定したもの、あるいは、投資家の資本的な制約を運営的な指標で表現し直したもの、という意味でもあります。したがって、正確に表現するならば、「理論」というよりも合理的かつ実質的な経営のガイドラインというべきものです。
例えば、このようなガイドライン収益を運営者が達成しても、投資家が資金を内部留保しなければ再開発は実現しない可能性が高いことからも分かるように、このガイドラインは投資家と運営者のルールではなく、ひとつの財務的な分担基準です。運営者がこのガイドライン収益を達成できなければ、単独で事業を存続することはどこかの時点で不可能になる可能性が高い反面、その差額について投資家が別途資金の調達を行うなど、必要な役割分担が明らかになります。あるいは、一般的な運営水準をはるかに超える投資条件(高い投資簿価)で案件をスタートした場合でも同様ですが、このような状況は、先に説明した三つの「利益付け替え」スパイラルに踏み込んでいるということをお互いに確認することができますので、自制を働かせたり、運営サイドと投資サイドの現実的な責任分担や対策を再確認する目的にも利用できるのではないかと思います。
現在のホテル業界においては運営者と投資家それぞれの事業分野に関する専門的な相互理解が十分ではないという印象があります。双方の専門家はそれぞれに学習と経験を積んでいるからこそ、その協力関係において相乗効果が生まれるのであり、双方がお互いのことを一から学習しなければならないとしたら、これは非効率ですしお互いの価値を高めることにもならないと思います。このようなガイドラインによって、実質的かつ効果的に、双方の人材が事業の価値観を共有し、しかし異なる専門性を分担するための橋渡しになるのではないかと考えています。
【2006.12.14 樋口耕太郎】
*(1) キャップレート(Cap Rate): 不動産の資産評価において、物件が生み出す収益を基準にして資産評価を行う方法(収益還元法)で広く利用される「収益還元率」。投資家が不動産投資に際して要求する単年度利回りと考えることもできる。「物件からのキャッシュフロー(減価償却前、金利支払前、税前の営業利益)÷キャップレート=資産価格」の関係にあり、収益倍率の逆数でもある。例えば、年間1億円のキャッシュフローを生む物件が20億円で取引されたとき、この物件のキャップレートは5%(1億円÷20億円)であり、この投資家はこの不動産物件を投資するに当たり、投資額に対して5%の収益が妥当と評価した、というおおよその意味を持つ。キャッシュフロー(フロー)を資産評価額(ストック)に変換する、すなわち収益をキャピタライズ(資産化)するという意味において、Capitalization Rateが語源。