サーチエンジン、掲示板、アップローダ、動画掲示板、SNS、携帯電話とメール、ブログ、eメール、ウェブサイトなどは現在進行中のデジタル情報革命の代表選手たちです。20年くらい前まではITという言葉もなく、コンピューター・ネットワーキングといえばなんとなくサブカルチャー的な扱いを受けていた面影は今どこにもありません。現在のデジタル情報革命は文字通り革命と呼ぶにふさわしい影響をごく一般的な人たちの生活と社会に広範囲に生み出しています。まだ一般的な認識になっているとは言えませんが、この現象が今後経営、特にサービス事業に対して与える影響は想像を絶するインパクトとなるでしょう。この革命的な現象と多大な影響を勘案せずに事業戦略を検討することはほとんど意味がなくなるのではないでしょうか。
情報のフラット化
その中でも特筆すべき現象は、ブログ、SNS、アップローダや掲示板などの広がりによって、一次情報(編集されていない情報)の量、伝達コストの安さ、拡散性、スピードが著しく高まっていることだと思います(デジタル情報革命がもたらすこれらの現象を仮に「情報のフラット化」と表現することにします)。フラット化現象における大きな特徴は、①「真実の情報」と、「広告情報」(いわば飾った情報)では、その伝達範囲、スピード、コストに著しく格差が生じる、すなわち情報の質によって拡散性が大きく異なること、②「俯瞰的な真実」や「状況証拠」によって情報の真偽が評価される。また「証明されない真実」によってより深い真実が伝播する(以下に説明を試みます)、ということだと思います。
真実は光速で伝播する
前者(①)については僕のイメージでは少なくとも数十倍、ひょっとしたら100倍くらいの効率差があるような気がします。飾らない真実は誰もが積極的に伝えようとするものです。広告は費用を払う人しか伝達する人がいない(誰も広告の意図に沿った噂はしません)ということもひとつの構造的な要因かもしれません。別の表現では、「真実は本質的に拡散するものである」+「デジタル情報革命はその真実のもつ本質を、極めて効率的かつテクニカルにサポートする」という二つの原理が重なった現象と理解することができるかもしれません。
そして、情報が大きな拡散性を持つかどうかは、その情報が真実かどうかだけがポイントとなり、その情報が会社(情報元)にとって都合がよいものかどうかという点は全く勘案されません。また「真実」であってもどこか飾られていたり(要は厳密な意味で真実ではないということですが)、「ウソだと知らなかったふり」をしてもあまり効果がありません。集合体としてのネット利用者がこの辺の虚飾を見抜く力は驚異的だと思うことがあります。よかれ悪しかれ、掲示板、顧客コメント、口コミ情報、社員のブログでのコメントなどから伝わる情報がどんどん増えていますしこの傾向は増加する一方だと思います。個人の名前で検索すると本人すら知らないさまざまな情報がヒットしたりもします。もちろんこのような情報は断片的なものですが、俯瞰的に見ると意外なくらい真実を伝える可能性があります。
ホテルなどサービス業の利用顧客の評判はリアルタイムで誰もが知るようになっています。現場での真実が伝わるコストが激減し伝達のスピードと範囲が著しく高まっているため、ごまかし、誇張広告、うそ、不誠実、その場しのぎはマイナスどころか、事業の存続そのものを脅かし始めています。後を絶たず報道されている多くの不祥事も、事業上の過失よりもそれらの隠蔽が明らかになることで決定的なダメージを生んでいるケースがあまりに多く見られます。逆に考えると、真実はあっという間に伝わるので、誠実できちんとした事業であれば、実に安価に、広告もいらずに事業が爆発的に伸びるということになるでしょう。
より深い真実が伝播する
後者(②)については、例えば「証拠とするには足りないが、状況やニュアンスにより真実だと多くの人が直感できる」現象が更に意味を持ち始めるということです。例えば(あまりいい例が思いつかなかったのですが)、社内で不倫している男女が実際に不倫していると証明されるためには現場を目撃されるなどが必要ですが、二人の雰囲気をなんとなく感じたり、いつも同じ時間に二人がいなくなることを知っている同僚は、目撃写真がなくても真実を知ることができます。奥さんの方はそれこそ女の直感で、証拠があろうとなかろうと真実を知る力が厳然と備わっています。これと似たイメージで、ネットの世界での真実は、法廷での証拠には事欠きますが十分に真実を伝える威力があります。冷静に考えてみると証明できるということと、それが真実であるということは全く別の問題で、証明できない真実は世の中に山ほど存在しますし、人と争うことを前提にさえしなければそもそも証明する必要はどこにもないのです。逆の面では、「ウソだと証明されなければ構わない」という事業姿勢は今後致命的になるということでしょう。
この現象によって、多くの人が真実そのものを深く正確に理解するという効果が生まれます。逆説的ですが、論理的な実証を積み上げてたどりつく証明可能な「真実」と、複合的な視点と俯瞰的な視点から直感的に認識できる「真実」とでは、後者の方がよほど深い真実にたどり着くことになると思います。例えば先般のライブドア事件でも、ネットで取得できる多様な情報(無論玉石混交ですが、それでも複眼的に見ると真実が見えてきます)に関心を払うだけでも、その政治的、経済的、アンダーグランド的背景に何が起こっているかが立体的に理解できる人には理解できると思うのですが、実際の法廷の現場で「真実」が明らかにされるまでには何年かかるか想像できないくらいです(それどころか明らかにされないことが大半でしょう)。つまり「人を裁く」という目的を手放しさえすれば、真実はより深く正確に早く認識できるということかもしれません。「人を裁かない」ことによって経営効率が著しく上がる、ということの一現象だと思います。
フラットな情報環境が経営に与える影響
現実的には、このような現象に対して経営が具体的に対応する必要が生じるということです。いまのところ、情報管理や社内規定などのテクニカルな作業やしくみによって対応しようとする経営者が一般的だと思いますが、このようないわば対処療法的な対応では遠からず限界に達することになり、近い将来自分自身と会社の成り立ちそのものを変化させなければ結局解決しないという認識に至ることでしょう。つまり「いかに臭いものに蓋をするか」(世の中では「情報管理」と呼ばれています)、あるいは「問題が起こっても言い訳できる体制をいかに構築するか」(同様に、世の中では「危機管理」と呼ばれているみたいです)という発想から、「勇気を持って臭いの根元をキレイにするしか解決方法は存在しない」という認識へと変化してくると思います。リーダーが会社の中の真実をどんどん吸い上げて開放していかなければ企業の存続自体が困難になり、会社が自浄作用としてクローズ情報を開放する現象が起こってくるような気がします。なお、このときもっとも抵抗を示すのは経営者自身である可能性が高く、この問題は経営者個人の非常にパーソナルな問題に振り代わるでしょう。
具体的な影響の第二は、非常に突飛な発想に聞こえるかもしれませんが、企業(少なくとも一部業種)において、販売行為・マーケティング・広告宣伝が消滅する(すくなくともその重要度が著しく低下する)可能性です。企業のうそのない「あり方」そのものが最大の広告・営業機能を果たすようになるためです。僕が経営を担当していた時期のサンマリーナホテルでは、社内に「うそ」が少なくなり、社員と顧客の間に真実の関係が増えると同時に、広告宣伝費用が全く不要になるという「非常識な」現象が起こっています。
そして第三に、正直でうそのない事業とサービスが、企業にとって成長(あるいは存続)の必要条件になるということです。ところが、いざ「うそのないサービス」を実行しようとしても、「企業方針の決定」、「指示伝達」、「進捗管理」など、今までの経営作業によって達成することはできないのです。組織というものは、「うそをつかないようにしましょう」という指示を出すだけでは全く機能しません。今までの一般的な経営者は、会社のすべてを変えることはあっても、自分を変えることなど考えもしなかった人ばかりですし、取締役会や株主もこのような経営者の価値観を評価する傾向が強かったと思います。このような経営者はこれからの経営環境の変化に直面し、経営という職務を果たしながら非常に個人的な問題に向き合う機会が提供されることと思います。
【2006.11.29 樋口耕太郎】