前回のエントリーでは、資本主義の第一の幻想について、資本主義を支える金融・資本市場の利用コストが高く、お金の流通メカニズムとして非効率であることを指摘しました。社会全体で見ると、付加価値を生み出す主体は実体経済であるため、金融業の利益は、実体経済が稼いだ利益の中から、お金のやり取りに際して生じる「摩擦」分を、実体経済に対して請求したものです。本来、金融は、事業者をサポートする黒子であるときに、最も社会的に寄与する存在ですが、事業者が生み出した利益を流通過程で収受することで、全企業利益の40%(米国のケース)を「稼ぎ出す」金融業の姿は、不健全を通り越して異常事態といっていい程です。2006年度のニューヨーク州調査によると、ニューヨーク市内の証券会社で支払われたボーナスの合計は約2兆8,200億円。社員1人当たり約1,600万円。特に、ゴールドマン・サックスは全世界の社員に平均約7,300万円の報酬を支払い話題になりました。・・・念のために、これは社長でなく、社員への平均支給額です。同年度、ゴールドマン・サックスのロイド・ブランクファインCEOが受け取ったボーナスは約63億円で、ウォール街の最高額を更新したそうです。社会全体で見ると、金融業界の利益の源は事業会社の稼ぎであるため、事業会社はこれだけの利益を負担するために、質の高い実業を行う余裕を失い、不毛なM&Aと、「合理化」と称する大量解雇に明け暮れ、正社員を削減し、従業員を驚くほどの低賃金で酷使することになります。・・・ウォール街の莫大な収益を支えるために、労働者の30%が時給8ドル以下の労働を余儀なくされているような社会システムが、いずれ崩壊するのは必然ではないかと思います。

サラ金からお金を借りて事業をしようとする事業家はいないと思いますが、アメリカは社会全体で見ると、既にそのような状態に陥っています。・・・それどころか、サラ金を通り越して、闇金並みの利率40%を金融・資本市場に払い続ける国が、世界で最も豊かとされているのは、アメリカン・ブラックユーモアなのでしょうか。アメリカは世界に先駆けてこのような金融主導型社会を構築してしまったため、永遠に金融収益を拡大し続けなければならない立場に自らを追い込んでしまいました。国際金融資本はウォール街というマッドサイエンティストが生み出したフランケンシュタインのようなものです。ドルを基軸通貨として好きなだけ紙幣を印刷しても、85年のプラザ合意、95年以降の日本版の金融ビッグバンなどの政治的枠組みで日本市場を草刈場にしても、自国の中産階級を崩壊させながら実体経済を焼け野原にしても、フランケンシュタインの空腹感が満たされることはありません。最近では、グローバル経済・金融市場の構築と、金融工学を駆使した証券化による大量の信用創造などによって、本来価値のない証券にAAAの格付けを付して世界中に大量に流通させ、サブプライム危機をもたらしています。…日本ではこのような社会をモデルとした「構造改革」が、1995年の橋本政権以降、(小渕)-森-小泉-安倍-福田とバトンを手渡しながら急速に進行しています。

良い金融、悪い金融
刃物が人を殺すのではなく、扱う人の問題であるのと同様に、金融もそれ自体善でも悪でもありません。どのような金融が社会的に効率が高く・・・すなわち社会を豊かにし・・・、どのような金融が社会を弱体化させるか、という「良い金融」と「悪い金融」を区別して理解する必要があります。「良い金融」とは事業機会を創出し、実体経済を豊かにするもので、事業のために金融が機能する状態です。「悪い金融」とは事業収益の成長分を金融が収受するもので、金融機能が実体経済の足枷となっている状態です。高い金利が必ずしも「悪い金融」ではなく、事業収益とのバランスが最も重要です。例えば、後述するグラミン銀行の事例のように、人の生活を豊かにする利益率600%の事業が社会に存在するとき、20%の金利で資本を提供する行為は、「良い金融」である可能性があります。・・・それどころか、このケースでは200%の金利を請求しても、債務者の生活を助け、社会的な意義が存在するかも知れません。

成長社会に投下される金融資本は、当初は小額の資金が非常に高い利回りで運用されます。一般に、経済が高度成長から安定成長へ移行するに従って、社会が豊かになったことの証として、社会の事業収支はどこかで必ず大きく低下します。単純に考えて、年率20%で資本が運用されれば、5年で2倍、10年で4倍というように、運用資本が等比級数的に増加して行く反面、社会が経済発展を遂げ、成熟するにしたがって、実体経済における高成長事業はどんどん減少していきます。また、例えば100億のファンドと1兆円のファンドでは、前者のほうが圧倒的に運用しやすいという性質があります。したがって、社会が経済成長を遂げるにつれ、倍々ゲームで増え続ける大量の資本を、成熟した実体経済にそぐわない高利回りで運用せざるを得ないという、ギャップが必然的に生じるのです。社会的に最も合理的な行為は、金融専門家がこのギャップに相当する運用資本を投資家に戻すことであり*(1)、恐らく本質的にそれ以外の解決方法は存在しないのですが、資本主義社会において、資金の量は社会に対するコントロールと自らの存在価値そのもの(『次世代金融論《その2》』ご参照下さい)であるため、現実にそうなることは稀です。次善の策として、資本主義が持続するためには、増え続ける運用資本を高利回りで運用するために、新しい金融市場を永遠に開拓し続ける必要が生じます。ウォール街が得意とする革新的な金融工学と、アグレッシブなバンカーたちによって、資本市場とIPO、ベンチャーキャピタル、債権トレーディング、エマージングマーケット、金融デリバティブ、ジャンク債、証券化、プライベートエクイティなど、創造的な金融商品と市場が大量に開発され続けて来た背景はこのようなものだったと思います。しかし、どこかの時点で、投資家が期待する高利回りの運用が可能な実体経済が、運用資本の量に見合うほど存在しなくなると、投資家はやはり必然的に、そのギャップの額だけ損失を被ることになります。特に1995年を境に、社会全体で見た金融資本の要求利回りが、投資対象となる実体経済の事業収益を上回り、またそのような資本が実体経済の規模を超えて、世界中に大量に流動する状況へと変化しています。これが悪い金融市場の始まりであり、資本主義のおわりの始まりです。サブプライム危機の本質は、このように説明できるのではないかと思います。

社会を豊かにする金融
「貧者の銀行」として知られるグラミン銀行とムハマド・ユヌス総裁が、2006年にノーベル平和賞を受賞しました。事業経営者が平和賞を受賞するのは恐らく初めてではないかと思います。現在、グラミン銀行はバングラデシュの首都ダッカを本社とし、9万人の「乞食」を含む750万人の低所得者に対して、600億円の貸し出しを行うなどの(2008年5月のデータ)マイクロ・クレジット事業を運営しています。1974年、ダッカ近郊ジョブラ村の42人の貧しい職人に対して、ユヌス教授が貸し付けた27ドルから、グラミン銀行の事業が誕生します。以来、「信用力」が乏しいと言われる貧困層に対して、無担保融資を実行しながら、返済率が98%を超えるなどの実績を伴って驚異的な成長を続けています。グラミン銀行は、それ自体が、資本主義と金融業の常識がいかに恣意的なものであるかを実証する存在でもあり、グラミン銀行の事業・・・特にその成り立ち・・・を考察することで、金融機能の本質・・・「良い金融」・・・についてのインスピレーションを受けることが可能ではないかと思います。

ユヌス教授が米国から帰国し、農村部の大学で経済学の教職に就いた1974年、バングラデシュは深刻な飢饉に見舞われました。飢餓のために大量の人が瀕死の状態にある中、この環境とは見当違いの経済理論を教えることに大きな矛盾を感じ、経済学者としてではなく、人間として何かできることはないかを真剣に考え始めます。例えほんの少しずつであっても人々の生活が昨日よりもよくなる方法を見出す努力をしたいという観点に立つと、人々の生活の現実を直視することができるようになります。村々を自らの足で巡り始めたある日、ある荒れ果てた家の前で、美しい竹細工の椅子を作っているにもかかわらず極めて貧しい経済状況にあるソフィアという女性との出会いがありました。ユヌス教授はそんなに美しい竹製の椅子を作っているのに、なぜ彼女がそれ程貧しい状況を脱することができないのかについて理解したいと考えました。

1970年代当時、単純な日雇い労働でも1日20セントになるのに、ソフィアの椅子製作で得られる稼ぎは1日2セント。わずかの稼ぎはぎりぎりの生活費に消え、貧しい生活から永遠に抜け出せないという循環が出来上がっていました。貧しいソフィアには材料の竹を買う20セントがなかったため、商人から材料代を借りざるを得ず、貸付の条件として、仕上がった椅子を言い値(22セント)で商人に売らされていたためでした。もしソフィアにわずか20セントのお金があれば、そのお金で材料の竹を購入し、マーケットで自由に販売することでその何倍もの利益を手にすることができます。この事実を知ったユネス教授は、材料代をソフィアに貸し与え、そのお金で商人へ借金を返済し、完成した椅子をどこでもいいから一番高く売れるところで売るように説得しました。その結果、ソフィアの毎日の儲けが1ドル25セント、以前の60倍に増えたのです。椅子の市場価格は、儲けの額に材料費20セントを加えた1ドル45セントと推測できますが、商人はソフィアへ材料代の20セントを貸し、完成した椅子を彼女から22セントで買取り、マーケットで1ドル45セントで売却していたとすると、ソフィアに対して実質的に1ドル23セント、すなわち1日615%もの金利を課していたことになります*(2)

ユヌス教授は常々教室で、多額の投資を伴う開発計画やバングラデシュの経済状況や貧困状況を改善する方法について教えていましたが、ソフィアに会うまでは、1ドル足らずのお金がないために苦しんでいる多くの人の存在を知りませんでした。更に調査を進めるうちに、貧困層各家庭の借金が平均1ドル以下であることがわかり、たった1ドルで彼らが貧しい生活から脱却することができるのだという事実にたどり着きます。ユヌス教授は自分のお金を村人に差し出すことも考えましたが、それでは根本的な解決にならないと思い直し、大手銀行に対して、貧しい人への貸し出しを願い出ます。自分が保証人になるなどしてようやく借り入れたお金を貧困層に貸し付け、目を見張るほどの返済実績を何度銀行に示しても、銀行は「貧しい人は信用に値しない。彼らがお金を返せるとは思えない。」という理由で直接の融資プログラムを検討しようとはしませんでした。結局ユヌス教授は、1983年に貧困層向け融資を行うグラミン銀行を自分自身で創設するに至ります。ユネス教授が実感したことは、貧しい人々に適正な条件で資金が提供されるなら、彼女たちはそれ以外の手助けがなくとも生産性の高いビジネスを始めることができる、ということです。

「良い金融」は優れた事業戦略
グラミン銀行の事業は、貧困を減らすための現実的な行為として世界中から賞賛され、注目されていますが、金融メカニズムの観点から事業成功の鍵を分析すると、実体経済の現実を理解し、その現実とバランスの取れた「良い金融」を社会に提供したという、基本的なことではないかと思うのです。逆に考えると、グラミン銀行がこれほど注目されていることの裏返しとして、「良い金融」を実行する金融専門家が社会に殆ど存在しなくなっていること、そして、より重要な点として、「良い金融」は高い事業性を生み、金融事業戦略として非常に有効な選択肢であると言うことです。

【2008.7.2 樋口耕太郎】

*(1) そして恐らく、資金を戻された「投資家」は、その資金を再投資ではなく消費する必要があります。

*(2) グラミン銀行とムハマド・ユヌス氏に関する記述は、ムハマド・ユヌス+アラン・ジョリ著『ムハマド・ユヌス自伝』、坪井ひろみ著『グラミン銀行を知っていますか』、ニコラス・サリバン著『グラミンフォンという奇跡』、2005年1月26日東京大学でのムハマド・ユヌス氏による講演録、グラミン銀行ウェブサイト、などを参照しています。

資料のデータが一部不足しているためにはっきりしないのですが、ユヌス教授から資金を借りたソフィアは、1日に2つの椅子を作るようになり、1ドル25セントの儲けは椅子2つ分だったかも知れません。その場合でも、商人はソフィアに対して1日300%を超える金利を課していたことになります。