サブプライム危機を機に、Black Swanの概念とナシーム・ニコラス・タレブ博士に対する世界的注目度が急上昇中で、現在彼の講演料は1回6万ドル、『The Black Swan』に続く次回作の前払い金は400万ドルを超える勢いです。もっとも、大恐慌以前から、Black Swanの重要性を認識していた学者が他に存在します。シカゴ大学で50年に亘って教鞭をとった経済学者フランク・ナイト博士(1885-1972年)は、「予想ができない領域」が存在する、ということの経済学的重要性を認識していた一人です*(1)。彼は、発生確率が予想できる危険を「リスク」、それが予想できない危険を「不確実性」と呼んで区別しました。タレブ博士のBlack Swanは、フランク・ナイト博士の「不確実性」の概念に該当します。
フランク・ナイト博士の思想における、市場における競争原理と、不確実性と、企業の利潤の関係を、慶応大学の竹森俊平先生が最近の著書*(2) の中で明快に解説 していますので、以下に引用します。
彼(フランク・ナイト博士)に言わせれば、価格を引き下げてライバルから市場を奪おうとして企業が熾烈な競争を展開している市場において、企業家は確率予想のできない危険、すなわち「不確実性」の領域に踏み込むことによってのみ利潤を得られる。なぜなら、事業に関わる危険が、確率予想のできる「リスク」だけであるならば、事業についての収入と生産費の期待値が計算できてしまうからだ。そうだとすると、収入の期待値が生産費の期待値を上回り、平均的には利潤がその事業に見込まれるという場合には、企業間の熾烈な競争が継続するだろう。その結果、収入の期待値は生産費の期待値にまで下がって、平均的には利潤は消滅せざるを得ないのである。
それに対して、危険についての確率予想のできない「不確実性」の領域に踏み込むなら、企業家は時に利潤を得られる。なぜなら、「不確実性」の領域では、利潤についての確率予想も成り立たないから、いかに強力な競争の力をもってしても、利潤がゼロまで下がるとは断言できないからだ。ある企業家が、他の者から見ればあまりに無謀な事業に乗り出している場合には、他の者はその企業家に競争を挑もうとしない。それゆえ、その企業家が運よく利潤を、しかも莫大な利潤をつかむということもありえる。
これはもちろん、「不確実性」に挑戦する企業家に、必ず利潤が保証されているということではない。計算の立たない危険に身をさらしているのだから、むしろ殆どの企業家は利潤を実現できないまま市場から退出する。
競争原理とリスク
要は、「自由競争の下では、過剰なリスクをとらなければ利益が生まれない。しかし過剰なリスクをとることで、大半の企業はいずれ破綻してゆく」、すなわち、「競争する事業は成り立たない」ということです。このフランク・ナイト博士の発想を素直に解釈すると、「そもそも資本主義と競争原理は両立しない」という可能性*(3) が示唆されますが、それが、サブプライム危機の根源的な原因なのではないでしょうか。競争環境で多額の利益を一定期間生み出すことが原理的に不可能であれば、これを実現するためにはある種の「ごまかし」が必要で、それがトレーディング事業を通じた、(オフバランスのような)制度の裏をかく裁定であり、(投資銀行のような)過剰なレバレッジであり、(証券化のような)裏づけのない請求権の拡大であり、いずれも行き過ぎるとバブルを生み出す原動力となります。超資本主義の浸透が企業間の競争を生み、大半の業種が利潤をすり減らす中、少なくともつい最近までは、金融業だけが空前の利潤を享受していた現象は、金融業がトレーディング事業を通じて「不確実性」の領域に大きく踏み込み、過剰なリスクをとることの対価として、桁外れの利潤を捻出していたと考える方がむしろ自然です。このように考えると、超資本主義による競争原理の浸透が、資本主義自身を崩壊に導くのは必然なのかも知れません。・・・「競争原理が社会の効率を高める」、が資本主義の第二の幻想であることの所以です。
ここで竹森先生は、サブプライム危機の本質を理解する重要な二つのポイントを指摘しています。①「不確実性」に基づく利潤は、稀に得られることがあるのみで、むしろ大多数は失敗するのが普通である筈なのですが、金融業と金融専門家の破格の利益と報酬は最近まで業界の大半が、継続的に享受していた点、②金融業の先端的なリスク管理は、確率論的予想に基づいているため、金融業はあくまでも「リスク」の領域でビジネスを行っていた筈ではないのか、という点です。
熾烈な競争環境で、リスクが十分に管理された安全な商売を嗜好しながら、業界の大半の企業に空前の利益が長期間継続するなど、そもそもあり得ないことです。上記二つのポイントに対する合理的な回答は、事実上ひとつしかありません。「リスク」の領域で、金融業界のほぼ全員が莫大な利益を享受することはあり得ませんので、金融業界全体が「リスク」の領域であると偽って「不確実性」の領域に踏み込んでいたことは明らかですし、「不確実性」の領域で、市場参加者のほぼ全員が、比較的長期間に亘って事業を成功させ続けることはあり得ませんので、空前の利益と言われていたものの実体は、金融業が踏み込んだ「不確実性」の領域に存在する予測不能かつ莫大な危険を引き受けることに対する代償(プレミアム)に過ぎなかったといえるでしょう。本来貸してはいけない人に、大甘な与信審査を行い、将来の価格上昇を前提とした不動産担保評価を基に、多額のローンを提供したサブプライムローンの証券化は、「不確実性」の領域にある莫大なリスクを、証券化のプロセスと高格付けによって厚化粧し、あたかも「リスク」の領域における商品であるかのごとく販売する行為の典型であり、空気に格付を付けて販売するようなものです。
リスクをお金に換える
「不確実性」の領域にあるリスクを収益化する典型的な事例が、サブプライム危機の主役の一人ともいうべきクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)です。CDSはある種の保険商品で、CDSの買い手は保険料を払う代わりに、対象企業が貸し倒れた場合の元利金の支払いを第三者(CDSの売り手)に保証してもらう契約です。CDSは投資家を企業破綻リスクから保護するための保険商品として開発されたのですが、保険の売り手にとっては、将来貸し倒れが生じた場合の支払いを約束することで、少なくとも当初は現金を拠出せずに保険料を受け取ることができるため、金融的には、自己資金ゼロ、100%の高レバレッジの投資と同等の効果があり、貸し倒れさえ生じなければ、CDSを売れば売るほど運用利益が増加します。最終的に履行できるかどうかはともかく、保証を約束するだけで現金収益が生まれるCDS契約は、ファンドや生保の投資収益を極大化する手段として適当でした。2001年には63兆円だったCDSの市場規模(名目元本残高)は、ピークの2007年末には6,200兆円を超え、過去6年間の増加率は実に約100倍を記録しています*(4)。CDSの最大の売り手であったAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)は、サブプライム危機において、フランク・ナイト博士の理論どおりに破綻し、実質的に国有化されています。
「不確実性」の領域にあるリスクをお金に換えるもうひとつの事例は、コミットメント・ラインと呼ばれる融資契約です。これもCDSと同様、「将来の約束」を「現在のお金」に変える金融取引であるため、「できもしない約束を乱発するほど目先儲かる」という原理が働きます。ラインの概念自体は昔から存在するシンプルなもので、ラインの借り手に将来資金ニーズが生じた場合は、あらかじめ約束された上限額まで融資を実行する代わりに、コミットメント手数料を受け取るというものです。物事を複雑にしたのは、銀行や投資銀行が会計上のオフバランスを利用して、実質的なレバレッジを極大化するために多用された点です。『次世代金融論《その10》』で述べたように、オフバランスは、事業と金融の実体はどうあれ、コントロールする資産があたかもそこに存在しないかのごとく会計処理を行うことで、実質的なレバレッジを最大化するものです。会計上存在しないはずの資産から収益だけを計上することができれば、事業の利益率が高まるのは当然のことですが、これも先端「金融工学」の一手法ということになります。
コミットメント・ライン取引には、サブプライム危機に関する一連の報道で、SIV(Structured Investment Vehicle)や、ABCP(Asset Backed Commercial Paper)というキーワードで表現される金融取引が関連しています。銀行や証券会社は、自己資本規制を逃れるために(そして、レバレッジを最大化するために)、会計上オフバランスのファンド(SIV)を設立し、SIVがABCPを発行して資金調達を行い、その資金でサブプライム証券など、「不確実性」が沢山詰まった金融商品に投資を行いました。…なにやら複雑な取引のようですが、本質的には、銀行が自らCP(コマーシャル・ペーパー)を発行して調達した短期の資金で、リスクの高いサブプライム証券に投資するという単純な行為です。これらの取引が全てオンバランスでなされたとすると、借り換えリスクの高いCPで、リスクの高い投資を行う、素朴な(間抜けな?)投融資事業に過ぎないのですが、オフバランス、証券化、格付、SIV、ABCP、という「金融工学」のお化粧をすると、とても高度なものに思えてしまいます。かつて1980年代に、アメリカのS&L(Savings and Loan Association:日本でいえば中小の信金・信組です)が、短期資金でジャンクボンドを買い込んで大量に破綻しましたが、目先の利益を得るために、短期の資金で長期のリスク資産に投資して銀行が破綻に至るプロセスは、銀行破綻の典型的なパターンであり、個人経営のS&L経営者と「最先端」のウォール街の投資銀行家は、本質において全く同じ経営判断を行っています。
会計上オフバランスであっても、銀行の信用補完がなければ、SIVがABCPを発行して資金を調達することはできません。投資家が納得しないためです。このため、銀行はSIVに対してコミットメント・ライン契約を締結し、短期のABCPを資金源とするSIVが、万一、ABCPの借り換えに失敗して資金繰りに詰まる場合には、本体行から資金供給が受けられるようにしました。この仕組みの「利点」は、銀行側から見れば、融資を実行せずにコミットメント手数料を得られることはもちろん、大量の債権投資をオフバランスで行うことで、財務の見かけ上、収益率が大幅に高まる点です。ABCPの投資家にとっては、銀行がいざとなればSIVに資金供給を行うことが約束されているため、本体行のCPを購入するのとほぼ同等のリスクで、CPよりも高いABCPの利回りを享受することができる、ということになります。サブプライムやリスク資産のことを別にしても、何のことはない、銀行はオフバランスという財務上のお化粧のために、短期資金の調達コストを上げ、実質的な企業価値を下げている可能性が高いのです。
以上の結果は、その後の報道の通りです。サブプライム証券の暴落に伴って、ABCPの借り換えが滞り、銀行はコミットメント・ラインの履行を求められます。大幅に価値が下落し、流動性を全く失った証券を担保に実行する融資は、直後から不良債権となり、銀行のSIVに対する関与度合いが上昇せざるを得なくなります。これが会計上の規定に抵触し、銀行は、多額の損失を抱えたSIVのオンバランス計上を余儀なくされ、巨額の評価損を発表することになります。サブプライム危機でシティバンクやその他の大手行が実質的に破綻したのはこのようなメカニズムによります*(5)。
問題の本質
かつての銀行中心の時代には、銀行業と証券業を完全に分離したグラス・スティーガル法の運用や、証券発行に厳しい規制をかけるなどして、銀行が取引の中心となるように金融制度が設計されていました。銀行同士が過当競争によって利益を減らし、過剰なリスクをとることがないよう、アメリカでは州を越えて支店を拡大することが禁止されるなど、競争を制限する規定が多く設けられ、銀行の利益は事実上保証され、金融システムの安全が何よりも優先されていました。やがて、超資本主義の浸透によって、規制緩和と競争原理が金融業界にも浸透し、安定した銀行経営よりも、より高いリスクの対価としての高収益、より高い効率と大きな事業規模が生き残りの必要条件となります。サブプライム危機の問題の根本は、超資本主義環境による競争原理の下で、「計算できるリスクの範囲で、高利潤、高報酬を実現」しようとする、無理な要求そのものにあります。要求が無理なものである以上、合法的に、実質的な「ごまかし」商品を開発・販売する以外に、これを「実現」する方法は存在しません。サブプライム危機は超資本主義における、競争原理と規制緩和の社会的枠組みが生んだ結果に過ぎず、一般的に指摘されている、格付機関の投資銀行寄りの姿勢や、投資銀行家の利益追求主義と高額報酬や、市場原理主義とグローバリゼーションなどは、問題の根本的な原因ではないのです。
トレーディング社会の弊害
以上のプロセスの大半は、トレーディング事業とそのメカニズム(①裁定、②レバレッジ、③請求権の拡大)によって仲介されていますが、金融機能を果たすべき投資銀行がトレーディング事業に偏重すると、社会におけるお金の流通コスト(資本コスト)が上昇するなど、社会的に数々の弊害が生まれることになります。
「本来」の金融をお金の流通業と捉えると、社会的に効率の高い金融とは、余剰資金を保有する人(投資家)のお金を、必要とする運用者(企業など)に対して、低コストで融通する機能と考えられます。金融効率が高まることによる付加価値は投資家と運用者に還元され、投資家の利回りが高まり、運用者の資本コスト(資金調達コスト)が下がります。株式売買におけるネット証券の拡大などは、このイメージに重なります。それはあたかも、問屋業において、バーコードなどのデジタル商品管理・コンピュータ化・機械化を導入することで処理能力を高めて流通コストを下げ、生産者と小売業に利益を還元することでシェアを獲得しながら事業を成長させる姿に似ています。これに対して、金融会社がトレーディング事業を拡大して裁定を始めると、今まで顧客であった投資家や企業に対して、金融会社が「買い向かう」ことになり、お金の流通コストが増加するだけでなく、産業の健全な成長を阻害することになりがちです。問屋業で例えれば、醤油を蔵から仕入れてスーパーに卸していた問屋さん(流通業者)が、ある日を境にトレーディングポジションを取って、自己の利益を最大化しようとすることに似ています。
銀行に就職して金融を学び、企業留学でMBAを取得したある問屋の五代目若旦那が、代替わりで地元に戻って家業を継ぐことになりました。若旦那は先代までの「古い」商売のやり方を改め、薄利多売が常識だった問屋業界に「イノベーション」を起こそうと考えます。醤油を安定的に仕入れるよりも、外資系金融機関と組んで大量の資金を調達し、醤油蔵が経営危機に陥るタイミングを計り、破綻した蔵会社を在庫ごと安く買い叩いて大量に仕入れ、蔵会社の従業員を解雇して利益を確保しながら、在庫を高値で高級食材店に卸す(業界では「バリューアップ」と呼ばれています)、またはこ洒落たネーミングを付け、有名デザイナー作のラベルを貼って「こだわり」商品を「ブランド」化し、富裕層に対して直販する(同じく「事業再生」と言うようです)新事業に進出します。利益水準は通常卸業の数パーセントに対して、トレーディングであれば数百パーセントの利益率を実現することも珍しくありません。反面、取引は単発的で継続性がなくなり、事業的な安定性を失い、顧客との信頼関係は消滅し、市場からは時間をかけてよい製品を作り出す蔵が激減することでしょう。著しく短くなった商品サイクルをカバーするため、対象商品を醤油から、吟醸酒、ワイン、シングルモルトなど、より「クリエイティブ」で「付加価値の高い」(しかし流動性の低い)業態に展開します。トレーディング事業を始めた若旦那は、莫大な収益を生み出し、短期間で株式上場を実現して、メディアで大きく取り上げられ、業界の革命児と呼ばれ、講演会の依頼が急増し、表紙や帯に大きな顔写真が載った著書が発売されます。やがてこのような商品に本質的な付加価値が存在しないことに顧客が気が付き始め、また、市場の変化によって不良在庫を抱え、外資系の戦略転換によって資金繰りに窮し、あっけなく破綻します。
*以上で、『次世代金融論《その6》』より継続していた、資本主義の第二の幻想「競争原理が社会の効率を高める」、についての議論を終了します。次稿は、資本主義の第三の幻想「経済成長が社会を豊かにする」、についての議論へと続きます。
【2008.11.22 樋口耕太郎】
*(1) フランク・ナイト著『危険・不確実性および利潤 』(現代代経済学名著選集 6)、文雅堂銀行研究社、1959年3月、原版は1921年に発表され古典的名著との評価を受けています。和書は絶版になっているようですが、洋書版は2006年3月のエディションが入手可能です。
*(2) 竹森俊平著『資本主義は嫌いですか』、日本経済新聞出版社、2008年9月。引用は序文より。本書はサブプライム危機を理解するうえで重要な海外の先端経済論文の解説、といった内容です。膨大な情報量の中から、サブプライム危機の本質にかかるものを抽出して、比較的平易な言葉で表現されており、お勧めの一冊です。
*(3) 「資本主義と競争原理は両立しない」、という仮説に対して、「競争原理を前提とする資本主義が現実に成り立っているではないか」、という反論が当然想定されます。しかし、サブプライム危機が生じる前の金融業界も、不動産と金融バブルを前提として「成り立っていた」(どころか、この世の春を謳歌していましたが)ことと同様、戦後60年間継続しているアメリカ中心の資本主義が、アメリカ経済とドルの過大評価、という超長期かつ最大級のバブルを蓄積し続けることで成立してきた可能性があると思います。本当にアメリカが経済的実力を発揮していたのは1971年のニクソンショックと金本位制度の崩壊までで、ドルが金の裏づけを失ったという事実は、ドルがバブルに向かう明確なサインと考えられます。そして、1971年は超資本主義が誕生した時期と重なるのは偶然ではないと思います。
通常であれば、このような議論はほとんど現実味がないのですが、大きな社会の転換点においては、逆に最も実質的な意味を持ちます。私は、サブプライム問題に端を発した金融危機は、単なる金融危機ではなく、1929年の大恐慌から80年、第二次大戦後60年継続してきたアメリカ・ド ル・石油本位資本主義経済制度の転換点ではないかと考えており、その後の世界経済と社会の大変化を前提とした次世代金融と経済制度の青写真を提示すること が、『次世代金融論』の趣旨でもあります。詳細についてはまだまだ続く本稿で後述します。
*(4) International Swaps and Derivatives Assiciation, Inc. (”ISDA”) ウェブサイトより。 ISDA Market Survey.
*(5) アメリカ大手行の試練はまだまだ続くでしょう。今後の問題は、デトロイトの自動車産業の連鎖倒産と、商業不動産の大暴落に飛び火すると思いますが、特に商業不動産は金融機関の大量解雇によるオフィス需要の激減に加えて、住宅価格の暴落によって消費が冷え込み、アメリカ中でホテルの稼働率が急低下し、ショッピングモールが経営危機に陥り始めています。商業不動産担保証券(CMBS)のリスクプレミアムが異常な上昇を示しているのも気になります。更に、裾野が広い自動車産業の破綻は、個人消費を直撃し、相乗的に問題を拡大することでしょう。オフィス、ショッピングセンター、ホテル、アパートなどの商業不動産は金融会社の経営に直結していますので、一瞬危機を脱したかに見える大手行ですが、もう一度実質的な破綻に瀕する可能性が高いと思います。先月もシティグループとゴールドマンサックスの合併の検討が報道されていますが、早くもその兆候が現れているのかも知れません。(11月25日追記: アメリカ財務省は日本時間の11月24日、シティグループに約2兆円の出資と最大30兆円の資産保証を行うと発表し、シティグループはサブプライム危機以降、先の救済的増資に次いで実質的に2度目の破綻を迎えました。)