10月から、沖縄県内のある企業の研修を担当させていただいています。以下はその概要をまとめたものです。

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リーダー研修の目的とプログラムの基本的な考え方

外的動機付け

事業経営において最も重要なことのひとつは、従業員の力を最大限に引き出すことである。多くの経営者は、このためには、いわゆる「アメとムチ」こそが、従業員の動機を掻き立てる有効な方法だと考えており、実際、現代経営はその原理によって労務管理されている。従業員に対して「外的な動機付け」を与えてコントロールするという手法である。この考え方に基づく運用はシンプルである。①仕事の範囲と望ましい成果を明確にし、②好ましい行動と結果に対して褒賞を与える、というものだ。

しかしながら、この方法の欠点は、言葉は悪いが、オットセイに芸を仕込む方法と原理的にはまったく同じだということだ。オットセイにサカナをあげることで、ありとあらゆる芸をさせることができるが、同時に、サカナを渡さなければ、オットセイはピクリともしなくなる。経営が成果(サカナ)を強調すればするほど、従業員は成果を出さんがために近道を選ぶようになり、例えば長い時間をかけて顧客との信頼関係を築く作業など、本質的かつ重要だが地味なプロセスを省いてしまったり、場合によっては成果を形にするために不正を行ったりする。上司が見ていない場所では仕事への意欲を失い、何よりも、仕事そのものの楽しさを感じることが難しくなる。

内的動機付け

一方で、多くの研究と実証実験によって明らかになっている重要な経営科学的事実で、経営の現場においてはほぼ完全に無視されていることがある。「人間は外から動機付けられるよりも、自分で自分を動機づける方が、忍耐力、創造性、誠実さ、責任感、集中力、行動力、持続性、つまり、生産性についてのありとあらゆる観点において圧倒的に優れている」という事実である。*(注1)。このような、「内発的動機付け」は組織の生産性に極めて重要な影響をあたえる要素でありながら、経営の現場では未だにこの重要性が真剣に受け止められていない。

*(注1) 例えば、教育心理学の研究において、外的動機付けではなく、内的動機付けに促された場合の方が、学生たちは概念をより正確に理解し、テストの成績に優れ、記憶が持続し、思考力、集中力、直観力、作業の創造性や質が高まるなど、優れた学習が成立することがわかっている。そして、なによりも、外的動機付けによる学習では、学生はその学習自体を楽しむことができないのだ。

統制だらけの社会

一般的には、自律的な意識と行動が妨げられるような「統制」が存在する場合、人は内的動機付けを失ってしまう。統制とは力による強制を意味するが、そのマイナスの効果は、明確な指示や言葉や規制はもちろん、それらに寄らなくても、非常に微妙なニュアンスや見えない意図が存在するだけで生じてしまう。統制の例は、金銭報酬、うまくいかなかったときに罰すると(暗黙に)告げること、締め切りの設定、目標の押し付け、監視、評価、競争などであり、これらのすべてが内発的動機付けを低下させる。つまり、人に圧力をかける行為は、ことごとく自律性を失わせ、物事に対する興味や熱意を奪ってゆく。さらに、経営が従業員を統制することで、内的動機付けが奪われた従業員は、その部下を外的動機付けによって統制する傾向が強く、結果として組織全体の成長を大きく阻んでしまうことになる。そもそも、経営者自身が内発的動機によって毎朝出勤していないということが、根源的な問題を生み出してもいる。

さらに、私たちの日常は、内発的動機付けを低下させる事柄に溢れている。目覚まし時計、時間通りに仕事場に到着すること、成果報酬、締め切り、ペナルティや評価など、私たちは統制圧力にさらされながら生きている。さらに言えば、経営計画の進捗管理も基本的に統制的であり、経営や管理職が良かれと思って実行しているこの管理体制そのものが、企業の生産性を低下させている可能性が高い。一般的な企業で働く多くの従業員たちが内的動機付けを失い、統制され、アメとムチに追われるように働き、自分自身を生きられないのは当然のことかもしれない。

オットセイ

内発的な動機付けを失った従業員は、まさにオットセイのような状態で毎日を過ごすことになる。報酬のため、または、自分の居場所を失わないために最小限の仕事をソツなくこなすが、自発的に仕事に取り組まなくなる。失敗を恐れ、挑戦を避け、創造性を発揮することができなくなる。創造的であるためには、多くの失敗が許容されなければならないからだ。成果が思うように上がらず、イノベーションを生み出すことができなければ、やがて自分に自信を失い、自己肯定感が低下し、現状維持を目的とするようになり、やる気のある部下にやんわりブレーキをかけ、組織全体の生産性を水面下で破壊してしまう。このすべては目に見えない変化なので、一般的な経営は認識することができない。こうして組織が蝕まれ、事業は苦しみの現場となり、毎日の課題をこなすだけの連続になっていく。

このような状態の従業員を「管理」しようとする経営者は、情熱のない、やる気のない、生産性の低い従業員を働かせるために、アメとムチがなくてはならないものだと考えるようになる。実際、アメとムチがなければ、従業員は適切に機能しないように見えるのだ。

しかし現実は、この経営者の統制的な管理行為自体が、従業員の内発的動機をさらに奪い、生産性を低下させ、企業内部の数々の問題を生じさせてしまっている。売り上げが上がらないこと、営業が目標を達成できないこと、コンペで競争相手に負けること、退職率が高いこと、人が集まらないこと、などは表面的な問題に過ぎず、これらの「問題」にどれだけ対処しても、目に見えない動機付けという根源的な問題に向き合わない限り、現場の作業量は等比級数的に増加する一方である。

リーダー研修の目的

逆に考えれば、経営の生産性を飛躍的に向上させるためのカギは、現場の従業員の、そしてひいては従業員に接する数々の関係者、取引業者たちの「内発的な動機付け」を奪わないこと(回復させること)、そしてその原理を理解し、現場において、自ら従業員の内的動機付けに働きかけるリーダーを育成することである。強い言葉を使えば、従業員を、オットセイとしてではなく、人間として扱う習慣を、経営者以下、組織全体に根付かせる必要がある。本リーダー研修プログラムの最大の目的はここにある。

「鏡」のプログラム

だから、私たち現場の人間がすべきことは、新たな対策などではない。そもそも、社会科学的にも心理学的にも経営科学的にも間違った統制的な管理経営をやめるだけで良い。良薬を飲む前に、毒薬を飲むことをやめれば人は健康になるのと同じ原理である。

このとき最大の障壁となるのが、リーダー自身の自己認識である。統制しないやり方で、従業員を内的に動機づけるためには、心からの誠実さが求められるが、それがなかなか難しい。人に対して誠実であるためには、なによりもまず、人に対して深い関心を持たなければならないからだ。一般に、地位のある立場にいる人ほど、自分が普段いかに人に関心を示していないか、普段いかに人の話に耳を傾けていないか、という事実を(まったく)認識していない。

「子どもを深く愛している」、「子どもの人生にとても関心がある」と心から信じている親も、実際子どもに関心があるとはまったく限らない。「従業員の声に耳を傾けている」と胸を張る経営者も、従業員に問うてみれば、同じ答えが返ってくることの方が少ない。最も厄介なことは、リーダー自身が「自分は人に関心を持っており、誰よりも人の声に耳を傾けている」と信じていることである。

同様に、自分は統制的ではなく、従業員の自由意志を尊重していると確信しているリーダーも、実際には統制的に振舞っていることの方が多い。「人を褒めたり、例を示して導いたり、人が本当に欲しいものや必要なものを与えているだけで、決して彼らを型にはめようとなどしていない」、と考える経営者であっても、第三者が注意深く観察してみれば、実際には人々に心理的な圧力をかけるために、あの手この手の報酬と懲罰を利用しているのである。

そもそも、「動機付けが本人の中から生まれない人たちに対して、どのように動機付けたらいいのだろう」。このように問いを立てたのでは、この重要な質問に答えを導くことはできない。正しい問いは、「他者をどのように動機づけるか」ではない。「どのようにすれば他者が自ら動機づける条件を生み出せるか」と問わなければならない。

本リーダー研修では、リーダーが自分自身の姿を写す「鏡」として機能することを重視している。もしその「鏡」の中に、非効率な自分を見つけることができれば、初めて自分の行動を「内発的に」修正することができるからだ。