スパイシーなカレーきゃべつが大人の味。有機キャベツの千切りを、カレーパウダー、ローストガーリック、パセリ、オレガノ、バジル、ブラックペッパー、セージ、セロリシードと一緒に炒めました。有機粒マスタードさんだかんのフランクフルトとよく合います。パンは、ミアズブレッドのブルマンブレッドを奈良からお取り寄せ。


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なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

この間の台風も過ぎ、これから夏本番の沖縄。
この海の日の連休はあいにくの雨模様でしたが
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか?

過日の沖縄の新聞社に対する百田発言もきっかけとして、
ネット文化の急速な普及などもあり、
マスコミ、ジャーナリズムのあり方といったことに注目が集まっていますね。

ちょっと過激に言うと、
ジャーナリズムというものが、今のこの世の中にあるのでしょうか。
いろいろなインタビュー記事を読む時など、
インタビューを受けている方の立場に立つとなんだか虚しくなってしまうのです。
アングルはマンネリになり、同じようなことを繰り返し聞いている。
これでは答える側は馬鹿馬鹿しい気分になり最後には呆れてしまうのでは
ないかと思うのです。

インタビューする側に覚悟はあるのでしょうか。
引き出し方をどれだけもち、相手を理解しているのでしょうか。

それがないと、答える方は正直、その浅薄なやりとりに飽きてしまうのでは
ないかと思うのです。
「マス」コミュニケーションの性なのでしょうか。

最近、よく思い出す言葉があります。
「虚実皮膜」
芸の真実は虚構と現実とのはざまにあるとする、近松門左衛門の言葉です。
皮と膜の間、物質としては存在しないけれど、真実はそこにある、というのです。
真実がそこにあると感じ取ること、あるいは真実らしきものを感じ取る、
そんな見方にこそ力があるのではないでしょうか。
そして、それを言葉というものに置き換える。
それこそが、人間に残された力なのだと思います。

私も麗王であなたとお話させていただく時には、傾聴しつつ、
虚実皮膜な見方でうかがいたいなと、昨日の海の日の雨の合間に
海辺をランニングしながら思ったことでした。

今週もまた一日一日を丁寧に。

今日は土用の丑の日。この日にうなぎを食べる理由は諸説ありますが、
丑の日にうなぎや梅やうどんなど、うのつくものを食べると病気にならない、
と信じられていたとか。
我が家もそれに倣い、今日は無投薬の国産うなぎを
有精卵の卵焼きと海苔を敷いた龍の瞳の有機JASご飯でいただきます。
和風だしとしそとおねぎのゆし豆腐も一緒に。

【末金典子】


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土曜丑の日には、鹿児島県産、抗生物質・合成抗菌剤を使用せずに育てた「五匠鰻」を
オイシックスで取り寄せました。鰻師、焼酎杜氏、赤酒(みりん)杜氏、醤油杜氏、焼師、
選りすぐりの匠の力が合わさって商品化されたために、この名がついているそうです。

地下70mの地下水を用い、温度や餌の食べ方など24時間鰻を気遣うことで
抗生物質・合成抗菌剤を投与せずに養殖することができるとのこと。

【樋口耕太郎】

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この間の台風も過ぎ、これから夏本番の沖縄。
この海の日の連休はあいにくの雨模様でしたが
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか?

過日の沖縄の新聞社に対する百田発言もきっかけとして、
ネット文化の急速な普及などもあり、
マスコミ、ジャーナリズムのあり方といったことに注目が集まっていますね。

ちょっと過激に言うと、
ジャーナリズムというものが、今のこの世の中にあるのでしょうか。
いろいろなインタビュー記事を読む時など、
インタビューを受けている方の立場に立つとなんだか虚しくなってしまうのです。
アングルはマンネリになり、同じようなことを繰り返し聞いている。
これでは答える側は馬鹿馬鹿しい気分になり最後には呆れてしまうのでは
ないかと思うのです。

インタビューする側に覚悟はあるのでしょうか。
引き出し方をどれだけもち、相手を理解しているのでしょうか。

それがないと、答える方は正直、その浅薄なやりとりに飽きてしまうのでは
ないかと思うのです。
「マス」コミュニケーションの性なのでしょうか。

最近、よく思い出す言葉があります。
「虚実皮膜」
芸の真実は虚構と現実とのはざまにあるとする、近松門左衛門の言葉です。
皮と膜の間、物質としては存在しないけれど、真実はそこにある、というのです。
真実がそこにあると感じ取ること、あるいは真実らしきものを感じ取る、
そんな見方にこそ力があるのではないでしょうか。
そして、それを言葉というものに置き換える。
それこそが、人間に残された力なのだと思います。

私も麗王であなたとお話させていただく時には、傾聴しつつ、
虚実皮膜な見方でうかがいたいなと、昨日の海の日の雨の合間に
海辺をランニングしながら思ったことでした。

今週もまた一日一日を丁寧に。

【末金典子】

葉の柔らかいキャベツをたねに混ぜ、上にもたっぷりと。
できたてがおいしいサラダも添えて。

【末金典子】


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《たっぷり有機キャベツバーグ》

材料:
有機キャベツ(1/3個・約300g)
ピザ用無添加チーズ(30g)
有機粒マスタード(小1)
有機無添加白ワイン(大2)
有機レモン汁(小2)
有機パセリ(適宜)
ラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイル(適宜)
有機しょうゆ(適宜)

たね:
ニュージーランド産のオーシャンビーフ
沖縄県産紅豚をフードプロセッサーでミンチにした合い挽き肉(360g)
宮城農園のEM有精卵
(2個分)の溶き卵
有機にんにくのみじん切り(1かけ分)
岩手県産南部小麦で作った無添加パン粉
(大2)
低温殺菌木次(きすき)牛乳
(大2)
デルモンテ有機トマトケチャップ
(大2)
伊平屋の塩
(小2/3

有機粗挽き黒こしょう(少々)

作り方:
①有機きゃべつは1/2量を細切りにする。残りを4㎝四方に切り、ピザ用無添加チーズ、有機無添加粒マスタードを加えて混ぜる。たねの材料をボールに入れ、手で粘りが出るまで練り混ぜる。細切りの有機きゃべつを加えて混ぜ合わせ、たねを2等分してだ円形に整え、てでキャッチボールするように2〜3回投げて空気を抜く。
スイスダイヤモンドのフライパンにオリーブ油大2を中火で熱し、①のたねを並べ入れる。こんがりと焼き色がついたら裏返し、強火にして30秒ほど焼く。残りの有機きゃべつを1/2量ずつのせ、有機無添加白ワインをふって弱火にし、フタをして4分ほど蒸し焼きにする。器に盛り、有機パセリを加える。
③フライパンに残った肉汁に有機レモン汁とゆうきしょうゆ大さじ1を加えて煮立て、キャベツバーグにかけて出来上がり。

《有機トマトとかにのあっさりサラダ》

①有機玉ねぎ1/4個は横に薄切りにしてボールに入れ、美濃有機純米酢(大2)、粗糖(小1)、伊平屋の塩(小2/3)、有機粗挽き黒こしょう(少々)を加えてあえる。
②有機トマト2個はへたを取って縦半分に切り、横に幅5〜6㎜に切る。無添加かにのほぐし身(60g)とともに①に加えてざっと混ぜ、
ラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイル(小4)を加えてあえて出来上がり。

☞ごはんはいつもの通り、ハリオ製フタがガラスの炊飯鍋で炊いた岐阜県下呂産有機JAS龍の瞳(2合)。今日のお皿は、キャベツの色合いとハンバーグに合わせて、デンマーク製ダンスクの「アラベスク」です。

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最近我が家のマイブームは、ネットでもカフェでも大流行中の、
しっかり食べてもヘルシーな「具だくさん」サンドイッチ。

火付け役は私が全国のパンをいろいろお取り寄せした中でピカイチ美味しかった「ミアズブレッド」

最近のブームは「沼サン」から。

今日のレシピは代官山の大人気サンドイッチ店「キングジョージ」のものです。

何かの合間にさっと食べる、作業中に「ながら」で食べる、そんな軽食の
代名詞だったサンドイッチですが、おなかの満足感と、何時食べても
罪悪感の少ないヘルシーさを両立!とすてきに進化を遂げています。

【末金典子】


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大根や卵に無投薬刀根鶏から出るおだしがしみて、キムチを使っているのに
とてもまろやかな、いつもと違うおでんです。
鶏肉を焼いたら、無添加キムチ、有機にんにくをいっしょに加えて
さっと炒めておくと、こくがアップします。

【末金典子】


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材料:
宮崎県産無投薬刀根鶏
手羽中(12本)
妻家房
のキムチ
(150g)
無添加ちくわ(2本)
有機だいこん(200g)
木更津農場平飼いゆでたまご(4個)
有機にんにく(1かけ)
マルホンの太香ごま油
(大1)
純米酒(50ml)
有機しょうゆ(大2)

作り方:
①有機だいこんは皮をむいて厚さ2㎝の半月切りにする。ゆで卵は殻をむく。無添加ちくわは斜め半分に切る。有機にんにくは縦半分に切ってしんを抜いてつぶす。
ルクルーゼの鍋に太香ごま油を中火で熱して鶏肉を入れ、こんがりとした焼き色をつける。妻家房のキムチ、有機にんにくを加えてさっと炒める。
③香りがたったら純米酒をふって水800ml、有機だいこんを加えて煮る。煮立ったらアクを取って蓋をずらしてのせ、15分ほど煮る。無添加ちくわ、ゆで卵、有機しょうゆを加えて混ぜ、さらに有機だいこんが柔らかく煮えるまで15分ほど煮て出来上がり。

【樋口耕太郎】

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有機にんにく&とうがらしがきいたパワフルソースです。
豚肉に豊富に含まれ、疲れを軽減する働きがあるビタミンB1。
ただこのビタミンB1は水に溶けだす水溶性なので、にんにくなど香り成分の
アリシンを含む食材を一緒にとると長く体にとどまり、効率よく働き、おいしさも
アップ、食欲増進にもなります!

【末金典子】


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材料:
沖縄県産紅豚
肩ロースかたまり肉(12枚・400g)
有機玉ねぎ(2個)
伊平屋の塩
有機粗挽き黒こしょう
ムソーの有機薄力小麦粉
ラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイル

ペペロンチーノソース:
有機にんにくの薄切り(3片分)
有機赤とうがらしの小口切り(2本分)
有機パセリのみじん切り(大2)
ラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイル(大3)
伊平屋の塩(少々)
有機粗挽き黒こしょう(少々)

作り方:
①豚肉は脂身と赤身の間に数カ所切り込みを入れて筋取りをし、伊平屋の塩、有機粗挽き黒こしょう各少々をふって、有機薄力小麦粉を薄くまぶす。有機玉ねぎは7〜8㎜厚さの輪切りにする。
スイスダイヤモンドのフライパンにオリーブ油小さじ2を強めの中火で熱し、有機玉ねぎを並べて焼く。こんがりと焼き色がついたら上下を返し、同様に焼いて取り出す。
③続けて豚肉を並べ入れ、約3分こんがりと焼き色がつくまで焼く。上下を返してさっと焼き、色が変わったら、②とともに器に盛る。フライパンはペーパータオルでさっと拭く。
④ペペロンチーノソースを作る。オリーブ油の半量、有機にんにくを入れて火にかけ、両面をこんがり焼いて取り出す。火を止め、残りの材料を加えて混ぜる。
⑤④を③の豚肉に有機にんにくとともにかける。好みでクレソン、ルッコラなどを添えて出来上がり。

【樋口耕太郎】
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クラクションという「地雷」

沖縄を訪れる観光客は、どれだけ道が混雑していても、誰もクラクションを鳴らさないことに気がつくと、「沖縄の人たちはなんて優しいんだ」と感動する。世界中どこの都市でも街の音と言えばクラクション。那覇市は人口あたりの街の騒音が最も低い都市のひとつではないかと思うくらいだ。ところが、沖縄で暮らして何年か経過すると、これはクラクションを「鳴らさない」というよりも、「鳴らせない」状態に近いということを理解しはじめる。

車を運転している私が、往来の激しい国道で、違法に右折しようとしている車を見つけてクラクションを鳴らすと、周囲は違法運転している前の車ではな く、一斉に私のことを見る。違法運転している者を咎めるのではなく、それに対して声を上げた者に対して暗黙の批判が向けられるのだ。「今鳴らしたのは誰だ!」という無言のメッセージが私に突き刺さる。この瞬間、私は違法運転に迷惑を被った「被害者」ではなく、クラクションを鳴らした「加害者」なのだ。沖縄社会で「加害者」のレッテルを貼られることほど最悪なことはない。

ある本土人が、沖縄人(ウチナンチュ)の友人を乗せて車を運転したときの話をしてくれた。その本土人が迷惑な車に対し、何気なくクラクションを鳴ら したとき、そのウチナンチュの友人が慌てて「あぃ、いま、なんで鳴らす!」と指摘してきて、その慌てぶりに驚いたのだという。なぜそのウチナンチュが、とても迷惑そうな、居心地の悪そうな態度を取ったのか。それは、自分もクラクションを鳴らす本土人と同じだと周囲から思われてしまうと、「加害者」の共犯とみなされ、さまざまな不都合が生じるからだ。

もし私が毎日クラクションを鳴らしながら生活すれば、プライバシーが事実上存在しない沖縄社会でそのことはやがて周知となり、「樋口さんは怖い人 さーねー」という噂、あるいは言葉にならないニュアンスがなんとなく広まっていくだろう。そして、私の商売からお客さんが一人減りまた一人減りして、やがて生活基盤が失われる。

このルールは、本土人の目には見えない地雷(?)のようなもので、「沖縄の空気」を読めずにいると大怪我をする。この原則に抵触する人は、沖縄で長期間存続することができない。ウチナンチュは、「地雷」の怖さをよく理解しているので、それを避けるための直感力が抜群に研ぎすまされている。人の心の変化を敏感に察知することにかけては、ウチナンチュの右に出るものはいないのではないか。彼らに噓は通用しない。

「NO」と言えないウチナンチュ

クラクションを鳴らすことができない沖縄社会では、人と異なる態度を取ることは難しい。人からのちょっとした誘いに対しても、面と向かって断ることはできない。少々大げさに表現すれば、そこには人間関係に対する絶縁状のような感覚が含まれていて、断られた方は「裏切られた」と解釈しかねない。「横のつながり」が緊密な沖縄では、小さなクラクションが思わぬ波及効果を生む。

ある学生が私に自分の体験を語ってくれた。「大学4年生になって将来の事を考えるようになり、少しは勉強する時間を確保しようと思って、いつもは断らない飲み会の誘いを断ったら、別々の友人10人から連絡が来なくなった」という。沖縄のような狭い島社会で、人間関係を分断してしまえば、あっという間に居場所を失ってしまう。

沖縄の学力が「低い」というデータを持ち出して、子供に対して、「なぜもっと勉強しないのか?」と苛立つ大人がいる。しかし、学生にとって「ひとりで勉強する」という単純な行為が、実際にはそれほど単純ではないことを理解しなければ、沖縄では「教育」問題ひとつ解決しない。

本土的な価値観からすると一見些細なこと——例えば、車に乗ってクラクションを鳴らすこと、誘いを断ること、人に反論すること、集団の中で真っ先に 意見を述べること、割り込んだ相手にひとこと注意するといったことにも、公然と人間関係にNOを突きつけるニュアンスが含まれていて、これが周囲の人を慌てさせることになるのだ。

だから沖縄人は、あらゆる手段を用いてNOと言うことを避けようとする。沖縄では相手に直接NOと言うくらいならば、空手形を切ったり、約束をすっぽかしたり、曖昧に引き延ばしたり、返事をしないで放置する方が、人間関係のダメージが少ない。よく沖縄人は「テーゲー(いいかげん)」だと言われるが、そこには一定の沖縄ならではの社会的合理性があるのではないか。テーゲーであることは、本土的な価値観から見ればまったく理解しがたい、無責任な行動に映りがちだ。しかし、この「ダブルスタンダード」が、沖縄社会においては人間関係に不要な摩擦を生まないための、積極的な社会的機能を果たし得るのだ。したがって、社会通念上も、テーゲーであることがおおいに許容される。というより、テーゲーでなければ人間関係がうまくバランスしないところがある。

「個性」を発揮することを拒む沖縄社会

NOと言ってはいけない沖縄社会では、必然的に、自分の意志に反することでも、理不尽なことでも、受け入れなければならない。沖縄には「模合(もあい)」という頼母子講が根強く残っているが、中には「学生時代から30年間続いている」といったものも珍しくない。典型的には月に1回、同級生が経営するレストランに10数名が集まり、食事をしながら毎回変わらず30年前の話をする、というような会だ。それは、単なる親睦のみならず、レストランを経営する同級生への経済援助といった役割も果たしている。 そのような模合メンバーのひとりが私に「いつも同じメニューで、正直なところあまり美味しいとも感じない。だから人知れず自宅で食事をしてから参加するんです」と語ってくれたことがある。しかし、だからといって模合から脱会すれば、30年来の友人に対する「裏切り」となり、彼との信頼関係を壊すだけでな く、模合を通じて複雑につながっている無数の人間関係に同様のメッセージを発することになる。この場合もむろん、脱会した方が「加害者」であり、裏切られたレストランオーナーは「被害者」である。

あるいは、沖縄社会の年長(シージャー)主義は絶対で、それがどれだけ理不尽なものでも、親の言うことに背けば、親類縁者全員に対する「裏切り」とみなされることを覚悟しなければならない。長男であればその「罪」は特に重い。男性が優位な沖縄社会の長男は、なにかにつけて優遇されて、甘やかされるが、その一方で一族からがんじがらめにされる。それゆえ彼らは声を上げようにも上げられず、自分らしく生きることが難しくなる。結果として個性を発揮することができず、打たれ弱い。

別の、30年来の模合仲間3人が連れ立って飲んでいたとき、会話に加えてもらったことがある。私が時間をかけて彼らの話に耳を傾けると、やがてその中のひとりの女性が、現在隣人とのトラブルで深刻な悩みを抱えていて、多額の費用をかけてまで引っ越ししようかどうかを思案中だという。隣のアパートに数年前から住んでいる母子家庭で、毎晩のように子供が虐待されているというのだ。アパートの薄い壁は音が筒抜けで、聞いていて辛いし、子供にとっても悪影響 だ。私が「通報はされないのですか?」と訊ねると、「自分が通報したことが知られてしまうリスクを考えたら、とても怖くてそんなことはできない」という。

印象的だったのは、この話を聞いていた彼女の30年来の男友達が、「おまえ、こんなふうに考えるヤツだったのか?」「こんな話は、今まで一度も聞い たことがなかった」と驚いていたことだ。この発言を聞いて、私の方が驚いた。過去30年、毎月顔を合わせて何時間も会話する旧友たちが、お互いのことを本質的な意味で何も知らないのだ。逆に考えれば、人間関係を30年間続けるためには、相手に踏み込んではいけないし、人生の重要な悩みに向き合うことも避けなければならないのかもしれない。

私が後日この話を別のウチナンチュにしたら、彼は神妙な顔つきで頷きながらこういった。

「このお話の方々のことがよくわかるような気がします。沖縄では、親密な人間関係を壊すことが絶対にできないので、結局お互いを傷つけない、表面的 な付き合いしかできないような気がします。相手に踏み込むのも踏み込まれるのも怖くて、心を開くことが難しい。私たちは、いつも誰かと一緒にいるけれど、 実はとても孤独なんです」

不用意に声を上げてしまえば「悪気がなかった」では済まされない。自分が意図していなくても、人の気分を害してしまえば厳しい結果を招く。このため、沖縄社会に生きる人たちは、発言するときに、自分の考えを表明するよりも、他人がどう感じるかについて、慎重に間合いを取る傾向が強い。全国を回って講演をしているあるセミナー講師が、「講演会でも、イベントでも、沖縄は全国的にもっとも笑いやウケを取りにくい地域のひとつだ」と語ったことがあった。それはウチナンチュが感情に乏しいからではなく、周囲から浮き上がることを恐れるからだろう。

また別の学生たちはこんなことも語ってくれた。

「授業で先生に聞きたいことがあっても、ほかの学生から『あいつばかり良いカッコしている』と思われるリスクを考えると、何も言えなくなる」

「バイト先でやりたい仕事があったのだが、『アイツ調子に乗っている』と思われそうで、あまりやりたくない係に手を挙げた」

はっきりとした物言いをする人に対しては、表面上はやんわりながら、あるいは、ほとんど目には見えないほどの微妙さで、その発言を取り消せと言わんばかりの強い圧力がかかる。自分の意見は常に他人の出方を見てから言う。自分の意見が際立つくらいなら、いっそ意見など持たない方がいい。うかつに意見を述べると、クラクションを鳴らして、自分が「加害者」になってしまうかもしれないからだ。

「できるものいじめ」の社会

この社会習慣は、人をいたずらに傷つけることがないという、明らかな利点がある。間違いを犯した人、失敗した人にも居場所を提供し、少なくとも表面上では人を追いつめない。沖縄のご当地ヒーロー・琉神マブヤーは、最後は敵を抹殺するのではなく、赦すところで終わるのもこの美しい文化を象徴している。

一方でこのルールは、人がもっとも個性を発揮しづらく、おたがい切磋琢磨できず、この社会で成長しようとする若者から挑戦と成長と失敗の機会を奪うという、重大な弊害を生んでいる。善意を持って注意すること、学生に厳しく叱ること、部下に社会の基本動作を教えること、友人に欠点を指摘すること、将来のために現実的な議論を戦わせることなどの多くは、沖縄では最も困難なことのひとつだ。

少々乱暴な一般化を試みると、本土のいじめは弱いものいじめである。仕事のできないもの、いつまでも学ばないもの、やる気のない者に強い圧力がかかる。これに対して、沖縄のいじめは「できるものいじめ」だ。少し個性的な人物、一所懸命でまわりが見えていない人物、ちょっと生意気なタイプがターゲットになりやすい。

大胆なアイディア、売上を飛躍的に増加させる営業努力、経営を別次元に進めるイノベーションなどは、沖縄のタブーである。周囲が「できない人」だらけであれば、問題は生じない。グループに1人でも「できる人」が加わると、ものごとを変えることになる。これを避けるために、組織内に「できるもの」を排除する圧力がかかる。本土で成功したウチナンチュは少なくないが、その実績が見込まれて沖縄の支社にUターンしてきた優秀な人材が社内で浮きまくり、協力者を獲得できず、短期間で鬱になっていく事例を私は何人も見てきた。

教育の現場では、文章がしっかり書ける学生でも、授業中ほとんど質問が出ない。思考していない訳ではない、意見がない訳でもない、時間をかけて一対 一で話せば個性が光る。しかし、周囲の反応を考慮しなければ発言できないため、結果として、議論の機会が失われ、思考と論理が磨かれない。学ぶことの意味が深まらなければ情熱が湧かず、学力は上がらない。

企業の人材育成の現場でも、先輩が後輩を注意できず、人を育てることができない。上司が愛情を持って厳しく注意すると、若者は「いじめられた」という態度を取りがちで、いつのまにか上司である自分が「加害者」にさせられてしまっている。エリート社員ほど叱られず、厳しさを経験せず、十分な実力を身につけることができず、目的を失って離職する。沖縄では、就職後3年以内の離職率がおよそ2人に1人、全国的に圧倒的なトップである。

沖縄は女性登用が遅れていると指摘されているが、そもそも女性が管理職になりたがらない、パートが正社員になりたがらないという傾向がある。責任ある立場におかれて人から目立ってしまったり、これまでの同僚に注意・指摘しなければならない立場に置かれることは、沖縄社会では極めてリスクが高い。これだけ能力のある女性の進出が進まず、正規雇用比率が全国最低である理由は、社会的な要因が大きい

同様に、沖縄社会でリーダーシップを発揮することは茨の道だ。人をまとめようにも、反応がない。行動を強制すれば人が離れて「加害者」にさせられる。以前私が経営していたホテルの組合委員長は、従業員のためによかれと思って一所懸命努力しても、協力者は少なく、仕事が大量に押し付けられ、感謝もされずに相当傷ついていた。

業界の間でも、例えば社員の給与を業界水準以上に上げるなど、目立つことをすると強力に妨害される。「ひとりだけいいかっこをすると、まわりが迷惑する」という、声なき声だ。

ウチナンチュは本当に多才で有能だ。多岐にわたる業界で、沖縄出身者の活躍は目覚ましい。成功するウチナンチュの多くは県外、国外で能力を開花させる。しかし、外で成功したウチナンチュも、沖縄に戻るとつぶされて居場所を失ってしまう。結果として、沖縄社会は深刻な人材不足に直面している。これまで沖縄社会が永きにわたって個性を阻害してきたことの弊害だ。こうしたことを繰り返すことで、沖縄社会はイノベーションを生み出す力をすっかり失ってしまったように見える。世界や日本で通用するオンリーワン企業はほとんど生まれない。産業の生産性が上がらなければ、雇用の質も低下し、十分な収入がなければ県民の生活の質も低下する。結果、数々の社会問題が拡大する。

「オール沖縄」の本質

つまり、戦後70年間でつくりあげられた沖縄社会の基本的なルールは、「物事を変えてはいけない」ということと、「新しいものを生み出してはいけない」ということだ。 この重大なルールは、人間関係のみならず、教育やビジネス、行政、社会運営の基本動作、そして「オール沖縄」の運動にも大きな影響を及ぼしている。それどころか、「オール沖縄」は、この社会規範が動かしていると言っても差し支えないかもしれない。「オール沖縄」を中心とする現在の沖縄の政治的潮流を、このような沖縄の社会的、文化的な背景と重ねて理解すると、意外な側面が見えてくる。

先日、沖縄から放送されたテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」(沖縄では琉球朝日放送で放送された)で、パネラーの恵隆之介氏が、稲嶺進名護市長の要望書について指摘していたことが印象的だった。2011年と2013年の2度に渡って、キャンプハンセンの名護市の部分約162ヘクタールについて、返還期限が経過したにもかかわらず、その期限を延長するよう、防衛局に要望書を提出していた件だ。

また、日本記者クラブ沖縄取材団が6月12日に名護市で開いた会見において、稲嶺進名護市長は、「辺野古新基地反対」の立場をとりながら、同時に「日米安保支持」「現状のキャンプシュワブであれば容認」と発言している。

翁長知事も、「辺野古に新基地はつくらせない」と繰り返し発言する一方で、浦添新軍港の開発については2001年那覇市長時代からの計画を推進する立場を変えていない。特に、現在沖縄県知事となった翁長氏は、浦添新軍港開発の当事者である那覇港管理組合のトップを兼任し、同軍港開発の直接の決定権者であるにも関わらず、である。

翁長知事の政策は、辺野古新基地反対であることを除けば、ほとんど前仲井真県政時代と同じだと指摘されている。この現象を素直に解釈すると、「オール沖縄」とは、基地反対運動と言うよりも、壮大な現状維持運動と言うべきではないだろうか。「物事を変えてはいけない」「新しいものを生み出してはいけない」という沖縄社会の重要2大ルールに完全にのっとって政策を進めているように見えるのだ。

翻って考えると、「オール沖縄」は新しいものを生み出す活動ではないように見える。ひとりひとりの個性を尊重して、多様性を受け入れるというよりも、同調圧力で他の意見を許さないという傾向の方が強くないだろうか。

戦後先人から引き継がれた沖縄社会は、若者の個性を抑圧し、新しいものを生み出すことを避けてきた。私たちは、いまだにその流れを変えることはできないのだろうか。

ひとりひとりの自由な生き方に挑戦すること、勇気を持って自分の声で語ること、異論を恐れずに心を開くこと、人間関係の摩擦を恐れずに信念を貫くこと――私が信じる本来のウチナンチュとは、このような人たちだ。魂を持った人材を沖縄から生み出さなければ、結局どれだけ基地が返ってきても、社会は成り立たない。

終戦の傷跡がまだ残るかつての沖縄で、このようなウチナンチュの魂に触れた岡本太郎は、名著『沖縄文化論』の中で、「沖縄が日本に復帰するのではない、日本が沖縄に復帰するのだ」と表現した。日本が経済大国に突き進む過程で忘れかけている魂が、当時の沖縄にはまだ残っているのだという。日本人が復帰すべき魂がここにあるのだ、と。

慰霊の日に、私たちが成すべき真の鎮魂は、後の世代を引き継ぐ私たちが、自分自身を生きることではないだろうか。

*本稿は「ポリタス」(2015年7月12日)に掲載された。

6月17日に参議院で開催された、沖縄及び北方問題に関する特別委員会(沖縄北方委員会)において、沖縄振興に関する参考人として意見陳述を行ってきました。映像はこちらからご覧いただけます。以下は、私の発言に関連する議事録です。口語的に意味が通じにくい箇所、小さな言い間違い、意味がわかりにくいところなどを微修正していますので、公的な議事録の内容とは一部異なるところがあります。

*   *   *

第189回国会 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会会議録第7号
平成27年6月17日(水曜日)午後1時開会。出席者は下のとおり。

委員長 風間直樹君

理事 石田昌宏君
、末松信介君
、藤田幸久君
、河野義博君

委員 江島潔君、鴻池祥肇君、島尻安伊子君、野村哲郎君、長谷川岳君、橋本聖子君、三宅伸吾君、山本一太君、石上俊雄君、藤本祐司君
、牧山ひろみ君
、竹谷とし子君
、儀間光男君
、大門実紀史君
、吉田忠智君

事務局側 第一特別調査室長    松井一彦君

参考人 宜野湾市長 佐喜眞淳君、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授 小川和久君、沖縄大学人文学部准教授・トリニティ株式会社代表取締役社長 樋口耕太郎君、沖縄国際大学経済学部教授 前泊博盛君

*   *

委員長(風間直樹君) 沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査のうち、沖縄振興及び在沖縄米軍基地問題に関する件を議題といたします。

(中略)

○参考人(樋口耕太郎君) 沖縄から参りました樋口耕太郎です。経済と振興の話をさせていただきたいと思います。

沖縄復帰以来43年、沖縄振興開発計画等々、非常に目覚ましい成果が上げられたと思います。本当に多くの方が尽力されています。振興予算だけでも15兆円近くの累積額が投下されていて、件経済の規模は復帰から約8倍。観光産業も振興が目覚ましく、振興計画のみならず、例えば1997年に那覇空港を発着する空港の着陸料、施設料、燃料税、大幅に減免され、あるいは、美ら海水族館の新館、首里城公園世界遺産登録、あるいは二千円札の裏に守礼の門、沖縄を支えてくれる日本国のサポートが本当に感じられるようで、1997年から15年間で観光客は倍増しております。

また、2000年に九州・沖縄サミット、あるいは2010年から中国人の副次ビザ、沖縄で一泊する中国人に関しては、複数回のビザが発行されるという特典。そして、現在は那覇空港の第二滑走路が進行中です。結果、沖縄を訪れる観光客は毎年700万人の声を聞く来訪者数になり、観光収入は4000億円。

観光だけではありません。情報産業、通信産業も目覚ましく、過去10年で、これは2002年から2012年のデータですけど、情報通信関連企業数は5倍以上、コールセンターなどを中心に大量の雇用が生まれ、過去10年間で雇用も5倍弱になっています。

おかげでというべきなのか分かりませんけれども、人口増加も、流入と相まって少なくとも現時点において人口が増えている数少ない地方都市であり、経済成長だけではなく、それに規模の深みが加わって、日本で最も景気の良い地方都市の一つになっています。これは皆さんご案内の通りだと思います。

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ところが、観光の質、労働の質、社会の質。これについては非常に問題が山積どころか悪化しているんじゃないだろうか。観光の質も、一人当たりの観光収入の低下が止まらない。観光客一人当たりの滞在日数も低下傾向。観光客はどんどん沖縄本島を離れて離党にばかり行っているように見える。あるいは、観光立県と言われながら、ホテルで働く従業員の給料は全く上がらず、若者の給料は200万円いけばいい方だ。長年勤めても給料は上がらない。子供を作ることも難しい。日本最低の収入であることも依然として変わらず、情報通信産業がこれほどまで増えているのに、なぜ沖縄はまだ最下位の所得のままなんだろう。

あるいは、経済的なものだけではありません。教育問題、大学、高校とも進学率はいまだに最低水準。大学卒業後の無業者は全国一位、就職率全国最低、就職後の離職率も残念ながら全国一位。

あるいは、社会的な問題としては、いわゆるでき婚率、全国一位であり、若い結婚は生涯年収が低くなる傾向があって離婚率が高く、シングルマザーを大量に生み出す可能性があり、例えば花街で働く女性、ホステスの大多数はシングルマザーです。そうなると家庭の問題が生じる。子供の深夜徘徊、不眠、睡眠不足。早稲田大学のレポートによりますと、1歳から6歳まで、年端もいかない幼児の7割強が睡眠不足という調査があります。

あるいは、死亡率、死亡者数当たりの自殺、これも全国トップ。長寿県から転落し、65歳以上の死亡率は全国の高水準レベルを推移している。メタボ率もトップ。あるいは糖尿病、高血圧、生活習慣病が広がっている。幼児虐待、DV、性的虐待、これも高水準だというふうに報告されています。

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数量的な成果を実現する陰で、産業、労働、生活の質が著しく低下し続けている。これは非常に問題というか、とっても痛ましいことであって、我々の振興計画に何か足りないものがあったに違いない。この点に関して我々は深く向き合って考える時期に来ているんじゃないだろうか。多大な方々の今までの努力を無駄にしないためにも、今ここで発想を変えて、全然違ったアプローチでこの生活と社会の質を上げるような方法はないんだろうかというようなことを考えて、随分長い間たちます。

沖縄は低所得県と言われますが、それ以上に日本最大の格差社会だというエビデンスもあります。振興計画が本土との格差を縮めることを目的として長年実行されてきましたが、それゆえに県内に格差を生み、多くの社会問題の原因となっているのではないだろうか。我々が沖縄にとって良かれと思った補助金が傾斜的に配分され、社会の格差を生み、生活の質を痛めているとするならば、アプローチを変えるべきではないだろうか。

私は沖縄に来て10年、岩手県盛岡市の出身なので、沖縄にとってはよそ者。この地域の社会、文化を知るために、毎晩、松山という那覇の町で、1日5時間、夜の9時半から朝の3時まで、女の子もいない、カラオケもないところで、人の話を聞くために、内外の知識人が集まると言われている店に過去10年通っています。毎日7人のお客さんがいらっしゃって、年間僕300日その店にいますので、年間延べ2100名、10年間やっていますので2万1000人の話を聞き続けて、何かそこから沖縄の社会のような、文化のような、構造のような、問題を解く道筋がないかということをずっと自分なりに考えてきました

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この振興計画は、文化に対する深い理解なしでは無理だというのが私の今の結論でございます。沖縄は本土とは全くと言っていいくらい異なる文化を持つ社会で、よそ者の私だから逆に言えるのかも分かりません。あるテレビ番組でこういうことを申し上げました。沖縄はクラクションを鳴らさないんだと。本土だったら、違法運転とか不届きな運転をしている人間に対してクラクションを鳴らすと、いいぞ樋口、もっと鳴らせというかも知れないけれど、沖縄は、鳴らした樋口の方をさっと見て、なんで鳴らすのかなと僕の方が責められるんです。声を上げた人間の方が問題視される、あるいは加害者だというふうな扱いを受けて、結局のところ、声を上げる人間がなかなか存在しない。

これは言葉で言うだけでは難しいですが、本土の感覚とは随分違うので、なかなか理解することは難しいと思います。声を上げられない社会、ちょっとでも他人と違うことをすると物すごく目立ってしまう。ミダサー、これは物を乱すという意味ですけど、と非難される。

ある有名なミュージシャンが、私はとってもワインが好きなんだ、ウチナーンチュです。でも、これはひた隠しに隠している。自分がワインが好きだということが暴露というか知られると、ウチナーンチュどうしの人間関係がこじれる。

私は大学で教えていますけど、教育の現場でも、文章はしっかり書ける学生でも質問を全然してくれない。声を上げて質問するという行為が、やっぱり周囲の目を気にするということが非常に多いんだと思います。頭のいい子でも、賢い子でも、思考をしている子でも、やっぱり声を上げることが非常に難しい。

人材でも、会社の現場では部下を注意できない。注意をすると、逆にミダサーと言われて、何で、あの先輩怖いよねと、むしろ何か先輩の方が非難されるような雰囲気になる。

雇用でもそうです。例えば経営者が、従業員の給料を上げよう、業界水準以上に上げようと思って努力すると、周りの業界の人たちから、そんなに頑張らないでもねと無言の圧力がかかる。

この手の微妙な感情な動きを物すごい鋭い感覚で感じるセンサーをウチナーンチュは持っているわけです。自分の居場所を確保するための死活問題といってもいいと思います。

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補助金を管理する人間が社会全体に公平に分配しようと思っても、やっぱり親類縁者あるいは自分の側近たちが、そんなことをなぜするんですかと。自分の血縁、あるいは自分の身近なグループを優先して配分しなければ、その人自身が居場所を失うという現象があるかもしれない。補助金が不均等に分配されるのを知っていても、社会全体に対してフェアに振る舞おうとしても、身内が反対することには非常に困難で、ある意味の同調圧力にあらがうことは難しい。

あるいは、既得権益の企業の多くは、複雑な株式の持ち合いなどを通じてお互いを縛りあっているという、こういう環境にあります。

ですから、このような方々に、別に彼らを悪者にしようと言っている意味はないんですが、補助金を投下しても、格差は拡大するばかりではないだろうか。

大原則と言っていいと思いますけれど、沖縄は物を変えてはいけない、声を上げてはいけない、こういった無言のルールがあるように感じています。

結果として、人材が育たない、新しいことをやろうとしている人間、イノベーションを起こそうという人間に対して無言の圧力が掛かって頭抜けることができない。沖縄出身者というのは非常に才能があるんだけれども、結局、活躍している人はほとんど県外あるいは国外です。成功した人間も沖縄に戻ってくるとまた潰される。したがって、社会の中からイノベーションが起こらない、創業者が生まれない、オンリーワン企業がほとんど生じない。結果として、産業の質が低下し、雇用の質が低下し、生活の質が低下し、数々の社会問題が生じているんではないだろうか。

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この分析が仮に正しいとして、さあ、なにをするべきか。社会的、文化的な制約を受けずに実業として成り立つ選択肢、とっぴに思われるかもしれないですけれども、私は、JALの子会社、日本トランスオーシャン航空、かつて南西航空という飛行機会社を沖縄に買い戻して、社会的、文化的圧力から抜けるような独自の経営をして沖縄の人材を育成する、活性化する、そういったドラスチックな方法がこれからの振興に必要なんではないかと思います。

地方創生は、人の創生であり、人が生きないと社会は生きない。人を殺さない事業体が必ず必要で、人を殺さない事業体というのはそれなりの条件が必要だ。それは文化的なものであり、社会的なものと深く関連している、と。

失礼しました。時間が長くなりました。

(中略)

◯参考人(樋口耕太郎君) 格差の解消についてですが、沖縄の一つの難しさは、格差を解消しようとして給料を上げると社会的な圧力がかかるという見えない力があると思います。その力にかかわらずに、実際にどんどん給料を上げていく、従業員たちにどんどんイノベーティブなことをやってもらうためには、外需型の産業じゃないと成り立たないと私は思っています。内需型では、お互い人間関係があり、縁故があり、取引業者があり、その中で株の持ち合いがあった場合、自分は独立して歩むんだということは非常にいいにくい。ところが、東アジアあるいは県外から外資を稼げる事業体であれば独自の経営ができるんじゃないかなと思っています。

また、南西航空というふうに私は呼んでいますが、この会社を沖縄に買い戻して、沖縄は今まで、那覇空港、石垣空港のような「点」ではなくて、離島便をたくさん飛ばすことによって「面」で売る。そうすれば、観光客は滞在日数が当然延びる。那覇に来たらあと与那国に行ってみようかなと。3日、4日延びる。今平均で2泊しかしないお客さんが仮に平均で4泊するみたいなことになれば、すごく単純な算出ですけど、観光収入は4000億円から8000億円になるイメージができる可能性があるというぐらい、一社で物すごく経済的なインパクトをもたらす可能性があるわけです。

伸びるビジネスには人が付きます。人を育てるためにはビジネスが伸びなきゃいけない、新しいことをしなきゃいけない、イノベーションを起こして初めて人が強くなるんだと。イノベーションが起こらない産業からは人が育たないので、会社自体を伸ばすために、内需型、内側に向かうのではなくて、外側に伸びる可能性を探すとなると、消去法でこの会社しか残らないじゃないか。

あるいは、人の心に火がともるというんですかね、俺たちもできるんじゃかないかというふうにインスピレーションを受けることが非常に重要で、変な話ですけど、野茂英雄が近鉄を首になってロサンゼルスで新人王を取った。あのときまで日本人で大リーグで野球できるなんて誰も思わなかったんだけど、あれからあれよあれよと言う間に日本人大リーガーが続出して、あっという間に日本人なしでは大リーグが成り立たないぐらいになっていると。これがインスピレーションの強さであり、このメッセージ性の強さというのがウチナーンチュに向けられて発せられたときに、もうどれだけのパワーが出るかということを非常に楽しみにしたいな、そういう社会性のある沖縄県民だと私は思っています。

南西航空は一民間企業ですが、2010年1月27日、琉球新報の報道によりますと、JTAが合弁会社の南西航空としてスタートした1967年5月、JALと沖縄側の提携先企業が交わした合弁会社契約第7条において、日航は将来適当な時期に新会社の実質的経営権の主体を沖縄企業に移管すると明記されているというふうに報道されています。つまり、創業以来、いずれ沖縄に経営権を渡すということが前提としてスタートした会社であり、現在、JALの子会社として経営されていますが、大量の公的資金が投入され、一民間企業の利益ではなくて、社会全体に寄与するかどうかという非常に公的な視点から今この会社の将来を決めるべきじゃないかなと私は思っています。

ありがとうございます。

(中略)

◯参考人(樋口耕太郎君) 文化的、社会的な制約を受けない外需型のイスピレーショナルな企業というふうに申し上げましたが、だからといって沖縄に全く異物を持ち込んでも成り立たないと思います。ウチナーンチュの心に響くものでなきゃいけない。だから、単に本土企業の子会社という意味では全く成り立たないと思っている。これは、あくまで、とことん、究極的に、沖縄のためでなきゃいけない。

ただ、私は本土の人間として沖縄に10年住んでいて、これよく言われるんです。樋口さん、沖縄のために頑張ってくださいって。正直言って、私、この言葉に多少違和感を覚えるんですね。私、岩手県の出身ですが、岩手にお客さんが来たら、岩手県が何かできますかと、多分そういうふうに申し上げると思うんです。

ですから、沖縄が本当に栄えるためには、沖縄のため何かをするんではなくて、日本の地方、東アジアのために沖縄がお役に立てる方法を模索するべきであって、今、地方経済で衰退をしている各地、沖縄だけじゃない、本当にいろんなところに問題があります。そこに飛行機を飛ばして東アジアにつなぐ、この成長著しい経済を日本に持ち込む、沖縄があるからこそ経済がやってきたというふうに感謝されて初めて沖縄と本土の関係が本当の意味で良くなるんじゃないのかなと。沖縄以外のために沖縄が尽くして、結果として沖縄のためになる、そのためには沖縄内部の制約から解き放たれなければならないと、こういう図式になっていると私は理解しています。

(中略)

沖縄でのカジノ事業についての質問を受けて

◯参考人(樋口耕太郎君) 個人的な感覚的な話になると思うんですが、私、アメリカに暮らしていたことがありまして、カジノをいろいろ見て回ったことがあります。不動産金融をやっていましたので。まず思ったのは、数量的な経済の規模に比べて視覚的な経済の範囲が非常に狭いということですね。ラスベガスも本当に大きな経済規模を持っていますけど、上から見たら、このストリップだけでこれだけ稼いでいるのかと。一歩外れたら、社会的な乱れというのかな、非常に印象が悪くて、僕は個人的には非常に納得感がない。

カジノがどうこうという議論もあるんですけれども、そもそも我々、少子高齢化社会に突入して人口動態が大きく傾斜する中で、70歳、75歳まで小遣い稼ぎじゃなくて普通に働かなきゃいけない。そういうふうな職場としてふさわしいかという観点がとっても必要だと思うんですね。

その意味では、何をつくるかというよりも、どのように経営するのか、どのように運営するのかというふうな観点がとっても重要で、特に地方の議論からすれば、増田寛也さんのレポートじゃないですけれども、これから25年間で出産可能な女性人口が半分以下になる地方自治体が日本で800以上と。それは、どれだけ給料を上げても、どれだけ福利厚生しても、それだけでは人が来ない時代が来るかもしれない。人が働くということの良さを真に追求した企業でなければ、どれだけ給料を渡しても、売り上げがあっても、利幅があっても、黒字で倒産するということが起こるんじゃないだろうかと。労働の概念そのものを変えるような議論につなげればいいんじゃないかなと私は思っています。