本土はこの冬は厳寒・大雪ということで、今をピークにインフルエンザが
流行っているようですが、なんと!沖縄は、その本土の4倍もの
インフルエンザ患者数とのこと!!

かくいう私も先週やられてしまいまいました!
先週の木曜日から麗王も休み、信頼するかかりつけ医の西平守樹先生の迅速な処置と
西平医院の優秀で心優しい看護師さん達のおかげで熱はすぐに下がったものの、
西平先生から「熱が下がっても人にうつさないように3日は外出厳禁」とのお達し。
咳がひどかったので喉が荒れて声が出にくかったこともあり、
大事をとって昨日の木曜日まで丸1週間お休みさせていただきました。
その間、麗王にいらしてくださった方々、予約やお見舞いのお電話やメールを
くださった方々、本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。
西平先生と西平医院の方々も本当にありがとうございました。

お休みさせていただいた8日間の最初の3日間はうんうんと熱と咳にうなり苦しみ
その後はひたすら静養のためぐ~ぐ~寝たり、本を読んだり…。
お正月休みなどとは違って、みんなが働いている日なのに自分だけ働きもせずに
だらだら過ごしていると、日が経つにつれ、楽しいというよりはなんだか
「自分だけこんなことしていていいのだろうか?」なんて、
自分だけがどんどん取り残された気分になっていくのです。
やっぱり働くことって素晴らしいことなんだなって。
それでも、必ず治っていく病気なのですからどんなにありがたいことでしょう。
不治の病と闘っている方々は日々どんなに苦しんでおられることでしょう。
改めて病と人との関わりにいろいろな想いをめぐらしたことでした。
痛みを知ることって本当に大事なことですね。
さぁ、旧正月の本日よりまた気持ちをまっさらにして
元気よく営業させていただきます!
どうぞまた本日より麗王をよろしくお願いいたします。

あなたのほうはお元気にしていらっしゃるでしょうか。
1月も早や終わり、週が明けるともう節分ですね。
節分というのは、平安時代の宮中儀式「追儺(ついな)」が始まりといわれていて、
この日は立春の前日で文字通り季節を分ける境目。旧暦でいう大晦日なのです。
それで前年の悪疫邪気払いの行事としてこの「追儺」が行われていました。

で、なぜ「豆」を投げるのでしょう?
実は鬼の目「魔目」に豆を投げれば「魔滅」するからだとか。

また煎った豆でないといけないのはどうしてでしょう?
生の豆は芽が出てくるため、そこから鬼が芽を出という説や、
豆(魔目)を煎ることにより鬼を退治するという説もあるそうです。
つまり豆自体が鬼なので、外に投げ「鬼は外!」、あるいは食べてやっつけろ!
というわけですね。

それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。
旧暦大晦日の節分の次の日は、新年元旦。
新年って、合理的に考えれば単に年の数字が一つ増えるだけのことなのですが、
それでも、新年を迎えると心身ともにリフレッシュされる気がします。
近年以前の人たちは、新しい年を迎えるときには、そのつど、この世界そのものが
一新されると考えていたのです。そのなかでは、もちろん、私達自身も新しくなる
というわけです。
一年の計は元旦にあり。1月1日に計を立てられなかった方は、今日の旧正月や
来週の節分の次の日がいいチャンス。去年の出来事やいろいろな思いを振っきって、
新しい年に踏み出しましょう。

私の今年の目標はといいますと…、麗王でもっともっとあなたの心に寄り添って
お話をうかがうことができるようになること。
昨年も静かな日はともかくとしてもバタバタしている日などは、
まだまだできていないなぁと日々反省の毎日でしたから。

昭和女子大学学長の坂東眞理子さん曰く、一番品格のある会話とは、
自分のことを話したくてたまらない人(ほとんどすべての人)の話を聞くこと、
なのだそうです。

確かに、コミュニケーションの一番の基礎は聞くことです。
会話の中で気の利いたことを言おうとか、笑いを取ろうとか、
ユーモアとセンスのよさを見せようとする必要はありません。
ひたすら相手のお話を肯定的な態度で聞くのです。

傾聴という言葉を知っておられますか?
それはただ聞き流す、尋ねるのではなく、
相手の話すことに耳も心も傾けて聞く、話し手を中心に置く聞き方です。
批判したり、評価するのではなく、相手の言い分を無心に聞く。
これは心理カウンセラーの重要な手法ですが、傾聴によって、
問題を抱えている話し手が、聞き手に受容されていると感じ、悩みを吐き出し、
新しい気づきが生まれるといわれます。
日常生活でも傾聴することによって相手に安心感、信頼感が生まれ、
よい人間関係ができるようです。

とはいっても本格的に傾聴することはなかなか難しい。
ともすれば相手の話をありのままに受け止めないで批評や批判の言葉が出たり、
とんちんかんな相槌を打ったり、気休めにしかならない激励をしてしまったり
ついしがちですね。
私なんて相手に向き合おうとするあまり、暑苦しく入り込みすぎたりしてしまう
なんてもうしょっちゅう!
専門家ではないのですから、百パーセント完全にできないにしても、
話すより聞くことを心がけるだけで、人間関係はずっとよくなるはずですよね。

今年こそ私も傾聴ができるように努めたいと思います。
麗王にいらしてくださるあなたのお話をしっかりうかがって、
そっと肩を押すことができるようになるためにも。

さぁ、週明けは節分。
複雑な課題の多い今日この頃、厄払いはしっかりとしたいものです。
あなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は~外、福は~内。」
私も邪気を払うべく、もっと元気になるべく豆を今までより少し多めに撒き、
しっかりと数え歳プラス1個のお豆さんをいただくことにいたします。
そして今年の恵方の東北東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりするぞ~!
あなたと私の今年一年の幸せを、今日を元気に生きていることの幸せを、
心から願って。

【2014.1.31 末金典子】

あけましておめでとうございます。

いつもよりは暖かめのお正月でしたね。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、元旦にお雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、
あとはひたすら読書とお料理とDVD三昧というお正月でした。
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか。

さて、東京から時折いらしてくださるお客さまで、ドイツ史やドイツの軍服を研究し
著書も出しておられる山下氏は、私にいつもこんなふうに話しかけられます。

「マダム、私はこう思うんですがね…」

こんなふうに「マダム」とよばれるのは、なんと気持ちのよいことだろう、と
いつも思うのです。フランスの女の人は、結婚していようと、していまいと、
若かろうと、若くなかろうと、みんな一様に「マダム」と呼ばれます。
マダムという呼び方は、大人の男の人がすべてムッシューとよばれるのと一対で、
もちろん、職業のいかんも、地位の高低も、年令も問いません。

ドゴール将軍がなくなられた時、テレビを通じてドゴールの死を告げる
ときのフランスのポンピドウ大統領のスピーチは、「フランセーズ、フランセ」で
はじまっていたのを子供心に覚えています。
日本語になおせば、「フランスの女の人達、フランスの男の人達」と
なるところではないでしょうか。でも日本語ではどうも格好がつきません。
こういう呼びかけは、その国の習慣と、片づけてしまえばそれまでですが、
日常の習慣のなかに、相手の年令や職業にかかわらず同じに呼びかける、
そういう気持ちが出ていて、本当にいいと思います。

おばさん、おかみさん、奥さん、ママさん、……
相手によって呼びかえている私達の日本語も、なにか「マダム」のように、
ひとことで、誰も同じに呼ぶことができる言葉が出来るといいなと。

今、日本はいろいろな面でとても子供っぽいと私は思うのです。
ファッションも子供っぽいし、仕事の仕方も子供っぽいし、
結婚の仕方もすごく子供っぽい。
若さに価値を置いたり、それをよしとしすぎる社会も子どもっぽい気がします。
これは見方を変えると、「だれかにプロテクトしてほしい」とみんなが
思っているからかもしれません。

女性が結婚をゴールと思っていた時代は、相手に求めるもの、依存するものは
とてもたくさんあったと思います。だけど、今はもう男性にはそれだけの
キャパシティがないのではないでしょうか。
自分では生活の糧を得るすべもなく衣食住すべてを男性に依存するという女性を
背負い込むだけのゆとりは、若い男性にはもう持つことができない社会の構造に
なってきているのだと思います。生活にかかるコストとか、世の中に転がっている
チャンスの比率とか、ゆとりや隙間があまりにないと思いませんか?

だから、今、どういう女性と本当に結婚したいと男性が思うかといったら、
「自分で自分のことができる女性」だと私は思うのです。
今の女性は社会的にも、別に男性に衣食住を用意してもらう必要はないかも
しれません。自分で手に入れられる収入があれば、相手に依存することなく、
もっと純粋に一緒に居て楽しい関係でいられるし、また男性側も
それを望んでいるのではないでしょうか。

去年の麗王は若い女性がとても多くいらしてくださったので書いておきたいのですが、
27歳くらいから34歳の間が一番女性が迷ってしまう時かもしれません。
この時期というのは、恋愛も盛り上がる頃だし、気持ちが何かに集中すると同時に
見失いやすく、すごく気持ちが揺れる時でもあると思います。
だからこそ、その時期に、寂しいからとか年齢的なことだけで無理に結婚をして
キャリアを失うことは避けたほうがいいと思います。仕事は絶対に続けたほうがいい。
結婚までいかない恋愛にしても、相手に自分を守ってもらおうと思ったら、
そこでもう何か違うものになっている気がするのです。

年をとったら不安だから特定の人を決めておきたいという考え方もあるけれど、
自分の老後を見させるために配偶者を選ぶものではありません。
そんなことはなんの価値もない投資で、相手が先に死んだり病に倒れたりしたら、
自分のほうが面倒を見ないとならない。まったくあてにならないことです。
それよりも純粋に「この人と一緒にいたい」「この人と時間を過ごしたい」という
気持ちが重要であって、面倒を見てくれることに価値を置くと、実は不安を自分で
抱え込んでしまうということに気づくべきなのです。

人はなぜ不安になるかというと、「失ったら困る」というものを持っているから。
失ったら自分はどうやって生きてこの生活を維持していけばいいの?と
執着する相手やお金や空間……失うものを持っていればいるほど不安の原因は
多いということです。でも、何を失っても自分の足で立って生きていくことが
できるという心の準備があれば不安は和らぎます。
それには、自分で食べていくことができる、つまりは収入があることが基本です。

大人は自分で自分の身を守らなくてはいけないもの。
そして極力、自分の中から不安を取り除いて生きる姿勢が、
快適な人生といい運を引き寄せるのだと私は思っています。

さぁ私もまた今年もしっかり働かなくては!
麗王にいらしてくださるあなたとのひとときを優しさや楽しさで包むことが
どうぞできますように。
そんな想いでスタートをきりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

明日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしが
ありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
明日は麗王でもこの七草粥を御用意しておりますので
ぜひ召し上がってみてくださいね。

なお、今日はおせち料理を、
11日土曜日には「鏡開き」のおぜんざいをご用意いたしておりますよ~。

【2014.1.6 末金典子】