お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。
このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。冬至の日、昼が一番短くなりますがこの日を境に光は
また徐々に復活していきます。光の死と再生を祝うとても大事な祝祭だったようです。
クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうため。
また、このころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、目を向けてみては
どうでしょう?

文筆家の松浦弥太郎氏がヘンリー・ディヴィッド・ソローの「森の生活」について
書いておられるのを読んで懐かしくなりました。
私が読んだのは何歳の時だったかなぁ。

「気持ちのよい春の朝には、すべての人間が持つ罪は許されている…」。

私はこの一文がとても好きです。朝、目が覚めてから部屋の窓を開けたとき、
この一文を、あたかも祈りの言葉のように唱えることがあります。
そんなときは、疲れていたり、弱っているときかもしれません。
季節がいつであろうとも、気持ちのよい朝は、どこにいる誰にとっても、
心が新しく生き返り、安らぎと平和と慈愛に満ちたひとときなのでしょう。
そして夜になり、明日になれば、そんな朝は必ずまたやってくる。
なんてすばらしいのだろうと思うのです。
朝がまたやってくるなんて、当たり前すぎて、なにを言っているのだろうと
思われるかもしれませんが、当たり前のことにこそ、その一つ一つにありがとうと
感謝したい。いつもそこにある、当たり前のことが、私達の日々の暮らしを
助けてくれているからです。

今年もいろいろと不安なことや悲しいことばかりが起きる世の中でしたが、
リスが夏の間に、冬のための木の実をたくわえるように、そういった出来事にも
感謝し、麗王にいらしてくださるみなさまとの語らいのために、来年からもまた
努力を積み重ねたいと思います。

人は話すことで、心の内を整理しています。
もし私の周りに悩んでいる人がいたら、話し相手になりたいなぁと思って
19年前にはじめた麗王でもありました。
なにも意見を言わなくても、ただ話を聞くだけで、相手の気持ちが
落ち着くはずではと思ったからです。

そうして学んだことの一つは、人にやさしく接するということは、
細かく世話を焼くことではなく、その人の状態にあった態度で接する
ということでした。過干渉は、かえって相手の不安を大きくしてしまいますから。
でもこれがまたなかなか難しい。その人の状態をちゃんと知ることも、
それにみあった態度とは何かを見つけることも。

人が集まれば、その数だけ価値観や考え方があります。
自分が周りにどう見られているかを気にしすぎると、自分が感じていることや
思っていることを、素直に表現するのが難しくなってしまいます。
「私は私。あなたはあなた。」なのです。

なので、意見の食い違いを恐れてはいけないのです。
他人と意見が食い違うことはよくあること。
大切なのは、意見が食い違ったときに、お互いにどう歩み寄ることができるか
なのだと思います。

そのなかでは時に、人に傷つけられたり、人を傷つけてしまったりということも
起こってきます。傷つけられた方も、傷つけた方も、苦しまねばなりません。
そして、どれほど苦しんでも、傷は癒えないかもしれません。
他人はどこまでいっても自分の思い通りにはなりませんから。
たとえ、相手から「もう気にしてないよ」なんて言われても、そう単純には
救われないですよね。
考えてみれば、私達は人を傷つけ、嘘をつき、自分をも傷つけながら
生きていくしかないような存在です。
だから人を傷つけた苦しみを背負ったまま生きていかねばなりません。
そして、そのことをごまかさず、きちんと背負うのです。
ひとつ間違えれば、自分を守るために大切な人さえも傷つけかねない、
それが私達の実相です。
そのことに自覚的であるか、無自覚であるか、そこが分岐点なのでは
ないでしょうか。
自覚的にあろうと決意して、踏み出した一歩先に救いの扉があるように思うのです。

さて。
今年も残すところ2週間ほどとなりました。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……

日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定で、不景気な今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、
隅々まで心を配り、そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間を
お過ごしいただこうかと深く考えながら、大きく反省もしながら、
お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで、
これからも麗王に立たせていただきます。
みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
どうか来年からもまた麗王にいらしてくださいますよう心からお願い申し上げます。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして、あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。

【2013.12.19 末金典子】

今年7月に松本市長から口頭で委嘱を依頼され、その後「浦添市政策アドバイザー(市長補佐)に内定」との報道がなされて以来、浦添市役所からこの件についての連絡がなく現在に至っています。ほぼ半年が経過していますが、政策アドバイザー職の委嘱は受けておらず、その予定(の有無)についても曖昧なままでした。

9月に開催された浦添市の定例議会において、政策アドバイザーに関連する法案が提出され、同期中に取り下げられたこと、現在会期中の浦添市定例議会では政策アドバイザー法案が実質的に廃案になっている様子であることは、善意の第三者から噂としてお聞きしたのみであり、浦添市からはいかなる説明も頂いておりません。

西海岸埋め立てについて、私が反対の立場をとっていたことは、誰もがご存知のことです。正確に表現すれば、私は西海岸の埋め立てに反対している訳ではなく、浦添市と沖縄の将来を破壊する安易な都市計画、事業計画に反対しているに過ぎないのですが。

いずれにせよ、このような私の立場と利害が対立するとお考えの方々を中心に、極めて強い反発があったとお聞きしています。そのような背景があり、浦添市としてもどのように対応してよいのか、苦慮された結果だと想像しています。

そのような事情によるものかどうか、松本市長は何度か私を尋ねていらっしゃいましたが、役職や、政策や、ビジョンなどについて、具体的に言及されたことはありませんし、私が意見を求められたこともありません。

従って、西海岸アセス凍結と解除、10月の宮崎衆議院議員を中心とする保守系議員の連絡会設置、そして、本日琉球新報、昨日沖縄タイムスに報道されてい る、「普天間飛行場の返還について、辺野古への移設を容認した」と報道されている松本市長の決断に関しても、私は関与しておりませんし、その術も立場もあ りません。

私が7月に政策アドバイザーの件で、個人的に相談した方々10人中10人に強く反対されましたが、それでも当職をお受けしたのは、当時の松本市長の政策が、社会的に価値があると思えたからです。私のことをご存知の方々が、ここ数日の報道について、とても違和感を感じられたのは当然だと思います。

本日の辺野古移設容認報道を含む、松本市長の一連の決断が私のアドバイスによる、と誤解された方々から多くの問い合わせを頂きましたので、そのような事実関係はないことを、この場にてお伝えしたいと思います。

【樋口耕太郎】