私が考える経営の本質とは、例えば、第一に、資本と事業とは無関係であるということ、第二に、企業価値と収益は無関係であること、第三に、コント ロールと生産性は無関係であることだ。逆に言えば、事業の問題の大半は、経営者がこれらの要素を混同しているところから生じていると思う。

資本と事業は別のものだ。殆どの経営者は、資本がなければ事業が成り立たないと考えているように見えるのだが、この発想は非効率なだけでなく、事業リスクを不用意に高める効果がある。

沖縄のように補助金が溢れているマーケットにおいてはこの弊害が特に大きい。若手事業家が起業するとまず補助金を獲得しようと考えるし、沖縄で「事業」を行うNPOやコンサルタントの大半は、何の生産性も生まずに、ただ補助金を消費するだけの存在になってしまっている。

商品があるにも拘らず、不況で少しばかり売れ行きが鈍ると、弱気になって資金繰りのために低利の特別融資や特別支援に頼る。この経営者は、「モノを作って売る」のが事業ではないということを理解していない。事業とは「売れるものを作る」こと、あるいは「作ったものを売る」ことをいうのだ。

補助金が大量に降り注ぐ基地経済のために、沖縄は恐らく日本で一番お金が調達しやすい地域だ。そのため資金繰りに窮すると簡単に融資に頼るが、「在庫を売る」ということが最も効果的なファイナンス(資金調達)のひとつなのだ。「資金繰りが・・・」と青い顔をして、条件のユルいお金を追いかける暇があったら、寸暇を惜しんで、火の玉になって、全情熱をかけて自分の商品を売るべきだろう。

ある「起業家」が、「お金がないために商品を仕入れることができません。どうしたら良いでしょう?」と相談に来たことがある。十分な前提が揃わなければ事業が成り立たないと考えている時点で、彼は事業家の魂を失っている。「商品がなくても、まず売れば良いではないか。誠実に振る舞い、お客様に信用頂いて、契約を取った後で、手付けを頂いた後で、必死になって商品を仕入れれば良いではないか。」

翻って、補助金が溢れる沖縄では、まずお金が存在し、のんびり給与をもらいながら思い思いの商品を作る。売れるかどうか不確かなであっても、もともと事業リスクをとっていないのだから真剣味はない。かくして売れないことが分かった段階で、急に弱気になり、延命のために追加融資を追いかける。

事業の本質は、100のものを110にすることではない。事業取引とは100→100と、0→10が合成されたものであり、付加価値とは常にゼロから生まれるものを言うのだ。100→110が事業だという世界観をもつ「事業家」は、まず100を集めようとする。100がなければ事業そのものが成り立たないと考えるからだ。そして、規模や資本や営業ネットワークの大きい事業ほど有利だと考える。・・・これらの発想は事業の本質とは異なるのだ。

第二に、企業価値と収益は無関係である。一般的な経営者は、このまるで異質な二つの要素を区別していないように思える。・・・収益を上げることが企業価値を高めることだと混同して解釈しているのだろう。企業価値が上がれば、結果として収益が生まれるが、逆は必ずしも真ではない。収益を上げながら企業価値を下げる経営事例は溢れているし、むしろ、そのようなケースの方が多いくらいではないか?そして当然ながら、経営者の重要な仕事は、企業価値を高めることであり、結果として収益を生み出す事業力を整えることであり、一義的に収益を生み出すことではない。

企業を本当に強くする要素とは何だろう?収益だろうか?資産の規模だろうか?資産に占める現金の比率だろうか?純資産の厚みだろうか?利益率だろうか?・・・一般的に企業価値の要素とされるこれらの一切は、私は、企業価値の本質とは無関係だと思う。実際、大企業や成長企業が高収益をあげながら、一瞬にして破綻する事例は珍しくない。これらの要素が本当に企業価値を表しているのであれば、なぜこのようなことが生じ得るのだろう?

それらのすべては(保有資産も含めて)過去のものであり、将来この企業が何をするか、何者になるかということとは本来非連続なものなのだ。

先日航空会社の幹部の方と議論した際にお聞きしたことだが、最近の「事業戦略」の重点は、経費削減と資本効率、特に機材の利用効率を高めるための「改革」だと言う。確かに、経費を削減すれば利益に直結する。1日3便飛ばしていた機材を4便・5便と飛ばせば当然資産あたりの収益が高まる。

利益が上がれば、フリーキャッシュフローが増加し、企業価値が増加すると解釈するのは、企業金融のイロハなのだが、本当にそうだろうか?

資産の回転率を上げれば数字上の利益は生まれるのだが、その影で従業員の作業負担は高まる。同時に人件費が削られ、増員が凍結され、現場の情熱に水がかけられる。同じ仕事でも一旦情熱を失ってしまえば、とても辛い「作業」になるのだが、これら一切の要素は経営(財務)上無視されるのだ。

フランチャイズビジネスでも、ポートフォリオをどんどん増やしながら事業を「拡大」するファンドでも同様のパターンが見られるのだが、競合などによって、 例えば単一ホテルの収益率が下がる時、企業全体の収益を維持するために、もう一つホテルを購入するというパターンが余りに一般的だ。

機材の回転率向上、ポートフォリオの拡大、経費の削減・・・、これらの一切は利益を生むが、企業価値を高める行為とは無関係である可能性が高い。企業価値に寄与しなければ、一時の利益を上げたとしても、競合が進めばやがて利益率は低減し元の木阿弥になる。長期的には現場が疲弊しただけだ。

先の航空会社の幹部に申し上げたことは、機材の回転率も良いのだが、思考実験として、世の中すべての航空会社がそれぞれ一社一機一路線しか運営していない状況を考える・・・。その時顧客が、他社ではなく、この路線をこの価格(又はそれ以上の価格)で利用するための理由とは何だろう?その理由を生み出すために、今日何をしただろう?明日何をするだろう?・・・これが企業価値に寄与する真の経営課題だと思う。

その「理由」がはっきりと理解できて、その「理由」をしっかり生み出すことができて、経営バランスが実現できて、それから機材効率、経費の見直し、ポートフォリをの拡大を検討するべきではないか?

マイナスの企業価値の上塗りはマイナスに過ぎない。問題は、マイナスの企業価値でも収益がプラスである場合、マイナス企業価値(=プラスの収益)を積上げて目先の利益を確保しようとする経営者が余りに一般的なのだ。

第三に、コントロールと生産性は無関係だ。企業を永遠に経営するという長期視野を前提とすると、生産性とは費用を削ることでも、資本回転率を上げることでも、まして従業員を長時間働かせることでもない。これらにはすべて上限があるため、永遠の持続性を担保することができないためである。

イノベーションは飛躍的な生産性の上昇をもたらす現象を言うが、その本質は世界観の転換である。例えば、今まで「マル」と思っていたものを「シカク」にしてみれば、生産量が著しく向上すると同時に、「マル」にするために必要とされていた資本や労力や顧客管理が不要になるかも知れない。

そのためには「マル」という成功体験と、現在「マル」が生み出している利益やシェアを手放す必要があるかもしれない。そこに(主として従業員に対する)コントロールの要素は存在しないどころか、その対極の現象が必要なのだ。

多くの経営者は、既存の成功を手放すことを恐れるばかりに、世界観の転換とイノベーションを恐れがちだ。競合によって企業収支の帳尻を合わせなければならないプレッシャーが生まれると、従業員と現場をコントロールして「生産性」を高めようとする。

結局自分の恐れを従業員に転嫁しているだけなのだが、経営者は自分の中にではなく、現場に問題が存在するという前提で、コントロールを更に強化する。不幸なことに、この方法でも短期的には十分に利益が確保できるのだ。その「成果」を根拠に経営者は自分の居場所を確保し、従業員をさらに管理する・・・。

一言で言えば、経営の現場は科学的でも合理的でも論理的でもないのだが、それは決して経営者の頭がおかしいからではない。彼らの恐れが真の合理性にもとづく判断を妨げているのだ。

リーダーシップの本質とは、覚悟する力、自分のエゴよりも人と社会を優先する力、理想を実現する情熱、嘘をつかない勇気・・・といったものなのだが、現代社会ではこれらの要素が顧みられなくなって久しい。私は、このことが企業価値を高めることを妨げている最大の要素だと思う。

企業価値を高めるために、利益ではなくてあらゆる人間関係と思いやりを優先し、成果ではなく人格でリーダーを登用する企業が生まれれば、それが持続性を失った我々の社会を変える一枚目のドミノになるだろう。

【樋口耕太郎】

雨や曇りも多いゴールデンウィークでしたが
それでもまとまったお休みというのはのんびりとしてうれしいものですね。
あなたはゆっくりとリフレッシュなさいましたか?

さて次の日曜日は母の日ですね。
毎年この月のお便りは母から学んだ「謝ること」「働くこと」
「出し惜しみしないこと」といったことなどを書かせていただいているのですが、
今年は「成長すること」について書こうと思うのです。

私の母は昭和9年生まれで、戦争のための疎開など激動の日本を生きてきた
世代です。大変な苦労もあったようですが、実家の洋食レストランの仕事を
切り盛りしながら家族の世話もこなして生きてきた頑張りやの女性です。
私が以前家族と一緒に大阪で暮らしている頃に、仕事や人間関係のことで悩んで
「私っていつもこんなことばかり悩んでいて一体これでも成長しているのかなぁ」
と、母に相談するとよく言われたのが、
「お母さんの若い頃は暗い時代やったよ~。
そやけどハングリーやったから仕事ができたし、なにより希望があったの。
それって闇の中にも光は必ずあるということやよ。
とにかく、やり続けること。
何もしなければ何も始まらないんやから。
それが成長するということやよ。」と。

「成長」……これは人にとって絶対のキーワードですよね。

でも、実際のところ、成長とは何なのでしょう。
何をもって、成長というのでしょうか。
成長にこだわり続けている人は、果たしてちゃんと成長しているのでしょうか。

たとえば今ここで、あなたがこの数年の間に、どう成長したか、
ちょっと思い浮かべてみてください。

中途採用の面接で、
「あなたはこれまでの仕事を通して、どんな成長を遂げましたか?」と聞かれた
25歳くらいの応募者が、ここぞとばかりに10も20も自分の成長をとうとうと語り、
止まらなくなったのだとか。私は人を心から気遣うことができるとか、
人のために汗を流すことができるとか。
面接にあたった人は、あなたそれ、ホントの成長じゃないかもと、
ノドまで出かかったのだとおっしゃっていました。
それはおそらく、人間は本当の意味で成長すると、逆にまず自分の小ささや
「しょうもなさ」がわかってしまうものだからではないでしょうか。
社会に出た時、世の中にはこんなにすごい人がいるんだとか、こんなに立派な人が
いるんだとか、むしろそういうことに気づくのが、
社会人としての成長なんじゃないかと思うのです。

従って、いっぱしのオトナになったつもりでいたけれど、そう思ったこと自体を
逆に恥ずかしいと思うのが、この年代の成長なんだと思うのです。
ダメな自分に気づく方が、ずっと大切な成長なのです。
自分を大きく見せるのじゃなく、むしろ自分を小さく見せようとする人の方が、
絶対成長しているし、今後の成長も早いはずです。

つまり人間、そんなにすごい勢いで成長したりはしないのでしょう。
だから一歩一歩、少しずつでいいのです。
自分がどう成長したかなんか、わからないくらいでいいのです。
それでもちゃんと成長はしているのだと思います。
自分は社会に出て10年もたつけれど、果たして成長しているの?と
不安に思うくらいの人がじつはちゃんと成長しているのです。

母の締めくくりの言葉はこうでした。
「自分の成長は?成長は?と、そこにばかりとらわれるよりも、
今はまだとりあえず苦しいことも辛いことも、イヤなことも、何でもやっておく。
それがすべて見えない成長になっていること、覚えていなさい。」

今もこの言葉は私の宝物です。

人生で最初に出会うお母さん。
日曜日は温かいありがとうの日をお過ごしください。

【2012.5.11 末金典子】