心持ち寒さがゆるんできましたね。
お元気ですか?
明日はヴァレンタインデーですね~!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

よく「運命の人」といいますよね。
私は誰にでも「運命の人」や「二枚貝の片割れのような人」はいると
思っているのですが、最初から「これが運命的な出会いなんだ!」と
感じるものではないと思っているんです。
ただの出会いやフツーの出会い方でも、努力次第で運命的な出会いになる可能性を
秘めていて、「この人とは運命的な出会いだったんだ」というのは、
後から感じるものだと思うのです。
だから、「運命の人」と出会うためには、ひとつひとつの出会いに
アンテナを張って、自分の人生にとって運命的な出会いにするための努力を
しなければならないのだと思います。

一生に出会う人の数は限られています。
ただ出会う人は5万人、そのうち名前を覚えられる人は3千人。
名前と顔を一致させられるのは300人。
友達と呼ぶことができる人は30人くらいが平均と言われています。
たまたま同じ時代に生まれ、約69億の人がいるなかで、
出会うということは、なんと奇跡的なことでしょうか。

なぜある人を好きになるのでしょう?
考えてみれば不思議なことですよね。
お互いが相手を好きになるということは、
本当になんという不思議なことでしょう。素晴らしいことでしょう。

簡単に、「出会いがない」「運命の人に出会えない」という人は、
出会うことの難しさや、尊さを噛みしめる必要があるのかもしれません。
出会いに、なまけてしまってはいけません。
ただの出会いも、関係を磨いていくことで、努力次第で、もしかしたら
運命的な出会いに変わっていくかもしれないのです。

あらためて思うのは、男と女はやはり2人一緒にいることで初めて人生が完成する
ということ。
互いにまったく違う遺伝子を持った相手を思いやり、愛することで、
自分の魂が磨かれていくのではないでしょうか。
40代になっても、50代になっても、大切なパートナーと愛情を分かちあう作業が
人生には欠かせません。むしろ、年を取れば取るほど、誰かを真剣に愛することが
大切なのだと思います。

ところで。
愛された記憶は、暖かいカシミアの毛布のようだと言われます。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけれど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれたあの言葉。彼の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えるのでしょう。

また、これから出会う新しい恋は、行く先に輝く虹のようだと言われます。

そして、今あなたの隣にいる人。
あなたが手で触れられる人のことを想ってください。
そういう人がいない?
それなら自分自身に触れてあげてください。

さて、これらのことはすべて「今」あなたが持っているものなのです。
過去の毛布も、未来の虹も、今触れられるものも、
「今、ここ」には、あなたのなかには、すべてがあるのです。
つまり、あなたの人生にはいつも愛があるのです。

さあ、明日はヴァレンタインデー。
どうぞあなたにとって愛いっぱいの、幸せいっぱいの日となりますように。

【2012.2.13 末金典子】

ハーバード大学が12000人以上を対象に、30年以上にわたって追跡した研究によると、家族や友人が幸せを感じていると、自分も幸せを感じる可能性が15%高まるという報告がある。

驚くべきことに、幸福は直接面識のない人にまで影響する。あなたの友達の友達を直接知らなくても、その友達の友達が幸せな人であれば、あなたの幸福度は10%高まる。

このハーバード大学による大規模な社会的実験によって、人の幸せは自分から数えて3人目まで影響することが分かっている。

具体的には、あなたの友達の友達、および友達の友達の友達の幸福度が高いと、あなたの幸福度は6%向上する。逆に、あなたが幸せだと、例えば、あなたの → 配偶者の → 同僚の → 家族(!)が幸福を感じる可能性が6%高まるということでもある。

「6%の幸福」は、決して小さなものではない。ハーバード大学の研究では、年収が1万ドル増えても幸福度は2%しか増加しない。幸せになりたければ、収入を増やすよりも、幸せな友人を引き寄せる方が遥かに効果的だ。そして、幸福な人を引き寄せる最良の方法は、人を幸福にすることだろう。

身近な人間関係は、私たちが想像するよりも遥かに大きな影響を及ぼし合い、拡散する。誰かを幸福にするように行動すれば、その効果はほぼ確実に自分を含む自分の大切な人たちにもれなく返ってくる。

周囲の人を幸せにする手助けをすれば、結果として、それは自分自身に対する最大の投資になる。「情けは人のためならず」は科学的に証明された事実ということだ。金融不安、世界経済の混乱を控えた不況期に最も有効な投資は、これに勝るものはない。

ニコラス・クリスタキス著『つながり』 講談社 (2010/7/22)

【樋口耕太郎】

1930年、コーンフレーク製造大手ケロッグ社は、1500名の従業員の大半の労働時間を、これまでの8時間から6時間に変更した。ケロッグの狙いは、ワークシェアリングによる雇用の確保も然ることながら、「大量生産と大量消費による幸福の追求」という価値観に組しない経営を実現することだった。

ケロッグの社員はこの「2時間」を喜んで受け入れた。例えば朝9時出勤して、午後3時以降が自分の時間になる、という毎日を想像してみれば、ハタラクということの意味や人間関係や生活が根本的に変わることがわかる。

ケロッグ社員たちにとっても、家族や友人と共に過ごすことはもちろん、あたかも1日を2度楽しむような人生になる。女性は裁縫やガーデニングを楽しみ、隣人を訪ね、一緒に料理を作るようになった。男性は仲間たちとスポーツや狩りを楽しみ、図書館に行き、趣味に没頭した。

更に、ケロッグの6時間労働によって、社員が幸福になったというだけではない、労働生産性が飛躍的に向上したのだ。時間あたりに箱詰めされるビスケットの数が83箱から96箱になるだけではなく、間接費や事故も減少した。

この偉大な試みは70年前のことである。その後第二次世界大戦が勃発し、8時間労働を復活せざるを得なくなって現在に至るのだが、そもそも、1日の労働時間が8時間であるということの根拠はなんだろう?少なくとも生産性と全く無関係であることは明らかだ。

大戦によって6時間労働が中止された後にケロッグが実施した従業員アンケートでは、男性の77%、女性の87%が、賃金ダウンになるとしても週30時間労働を選ぶと解答した。

8時間労働が復活した後で、ある従業員はこう語ったそうだ「8時間労働になった時には、賃金が増えて皆が金持ちになると思ったけど、結局はそれほど変わらなかった。余分に働いた賃金も何かに消えてしまった。」

Kellog’s Six-Hour Day“, Temple University Press (1996/10/29)

【樋口耕太郎】

本土は厳寒・大雪ということで、さすがの沖縄も寒い毎日が続いていますね~。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

1月も終わり、2月に入ると明後日はもう節分ですね。
立春が一年の始まりだった昔は、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

でもふと思うに、年の初めには「今年こそ幸せに」とか、
「もっと幸せになれますように」なんて祈ったりするものですが、
あなたにとっての幸せって一体何でしょう…?

私は毎日のように家の前のアラハビーチをランニングしているのですが、
公園の遊歩道脇にクローバーがいっぱい生えているんです。
少し前のことですが、ふと目をとめると、なんと四つ葉のクローバーが!
これを摘むと、幸せになれるという言い伝えは有名ですよね。
それで麗王にいらしてくださる方々にもさしあげたいなと
捜索を試みてみたんです。
いざ這いつくばり目を皿のようにして探してみると、みつかりません。
幸せって、こんなものかもしれないですね。
探してもみつからない…。
ただ、この公園には、みつからないだけで、何枚か四つ葉のクローバーは
あるんですよね、きっと。
誰のものかなんていうことじゃなく、ただそこにある幸せって、
なんだかいいなぁ、と思ったことでした。

昨日の麗王では、東北大震災の被災地の子供達を沖縄に招いてあげようという
支援の会「ティーダキッズ」を立ち上げられた作家の奥野先生を中心に、
昨年の大震災からそろそろ1年になろうとしていますねという話となりました。
沖縄に住む私達はニュースやネットでしか状況がなかなかわからないものですが、
それでも被災された方々がどれほどの困難に立ち向わなくてはならないのかを
その度にあらためて実感します。
一瞬にして親を失った子供達。それだけでも受けとめるにはあまりに酷い事実
なのに、その両親を囲んでみんなで過ごした家、自分の大事な机、勉強道具、
自転車、一切合財津波はなぎ倒し、破壊し、海へと引きずり込んで、
すべてを奪っていきました。被災地のそうした子供達が笑顔で頑張っていたりする
映像などを見るにつけ、この子供達がどうやって生きていくのか想像も
つきませんでした。

それでも人間は生きて行きます。
ご飯を食べ、眠り、起きてその日の作業や仕事、もしくは勉強をします。
なんと強靭な存在なのでしょう。
生命があるかぎり、居なくなってしまった人の分まで生きようと決意し、
前に進もうとします。
どこから手をつけていいのか途方にくれるガレキの山にとりつき、
わずかに残った思い出の写真を探しだし、泥をぬぐって大切にポケットに
しまう人々。
たちはだかっているガレキを除き、道を確保し、泥を掻きだす人々。
子供達にはせめて勉強できる環境をと、すぐに学校を再開させました。
毎日の暮らしがままならない中での学校の再開は世界の人々を驚かせ、
感服させたのです。
身体の不自由なお年寄りは、体育館の凍るように冷たいであろう床に
じっと耐えて横たわっておられました。ひたすら静かに耐えて、
迷惑をかけまいとしておられたのです。それぞれが生きていくために
できることを精いっぱいしておられました。
生きるために自分にできること。生きているからできること。
そうしたことを誰もが直感的に感じ取って、
懸命にそれを果たしている。前に進もうとしている。
そのことに私は深く心をうたれました。
人間は苦難のどん底にあるとき、その苦痛とひきかえに本来の気高さを
とりもどすのでしょうか。

あれから一年ほどが経った今、誰しもが大なり小なりの不安をかかえています。
その根本には先の見えない福島第一原発の事故と放射性物質の飛散による
環境汚染があります。
東北や関東の方々は地震が今でもあり不安な毎日を送られています。
こんなに離れている沖縄の私達だって、野菜やお米は大丈夫なのかしら…など
不安はあります。
この先日本がどうなるのか分からない、というストレスだって。

でも生きている、のです。
だから生きている私達は、生きるために自分にできることをしなくてはならないし、
生きているからこそできることをしなくてはならないと思うのです。
なぜならば、生きているという事実そのものがすでに幸せなのだから。
津波で家族を流された初老の男性が
「いっそ自分もいっしょに流されてしまったほうが幸せだった…」と
おっしゃっていました。「生きるも地獄、死ぬのも地獄」とも。
これまで代々大切につないで、つくりあげてきた家族、家、畑。
すべてが一瞬にして奪われれば、「いっそ…」とも思われたのでしょう。
でも、きっとあの人は時間はかかるかもしれないけれど、顔をあげて、
生きているからこそできることをし始めておられると、私は信じています。
波にのまれていった家族の想像を絶する無念さと苦しさに思いが至った時、
絶対にあの人はそうされるのだと信じています。
なぜならあの人は生きておられるからです。

私は、生きていること、それこそが幸せなのだとあの震災を通じて知りました。
これまで、生きていることは当たり前で、そのうえでどう生きるかに
多くの時間とエネルギーを使ってきました。
でも生きていることはけっして当たり前のような安いものではないのです。
だからそんな暮らしは大きく転換すると思います。まずは生きていることの幸せに
感謝して、今日を誠実に生きることにしたいものです。
先が見えないから夢が持てない、何かを計画しようにもそんな気にならない、
そういう声もたくさん聞きます。
だったらいいではないですか。今日を生きていることの幸せをあらためて
かみしめてみてはどうでしょうか。そんな生きることへのまっとうな畏敬の念と
感謝の気持ちの積み重ねで、私達は必ずこの危機を乗り越えていくことが
できるのだと思っています。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方の北北西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、今日を生きていることの幸せを、心から願って。

【2012.2.1 末金典子】