沖縄振興特別措置法に基づいて、那覇空港を離発着する航空機に対して適用されている、①航空着陸料、②航行援助施設利用料、③航空機燃料税、の各軽減措置(以下、「軽減措置」という。)について、その経緯、現状、意義、考え方などをまとめた。沖縄の航空産業に関して適用される特別措置は、その他にも離島便に掛かる航行費補助金など、上記①~③に限らないが、基本的な考え方は同様に適用すると考えられ、本稿では主たる分析をこれに絞っている。

主な論点は二つである。第一に、「軽減措置」は那覇離発着の航空便を増便させる効果、航空機を大型化する効果、路線を長距離化する効果を生むが、一般的に理解されているような、利用者にとっての航空料金を減額する効果は(少なくともこの要因からは)殆ど生じていない可能性があるということ。第二に、「軽減措置」が発効した97年*(1) は、大量の増便を実現するには(たまたま)絶好のタイミングであった。逆に考えると、今後これ以上の「軽減措置」の拡充を行っても同等の効果が生まれる可能性は低い。

「軽減措置」の効果
沖縄と本土との間の航空機を対象として「軽減措置」が実施されたのが97年度。最近の内閣府沖縄担当部局の資料によると、08年度の那覇空港における「軽減措置」の合計額は、316億円(着陸料102億円、航行援助施設利用料119億円、航空燃料税95億円)である。同08年度の沖縄県への入域観光客数が5,934,300人。そのうち国内旅行者数が5,697,300人であり、観光客一人当たり5,550円(片道一人あたり2,770円)の軽減措置が施された計算になる。・・・しかし、このことは、「軽減措置」の合計額316億円が消費者に移転したことを必ずしも意味しない。

「軽減措置」の実施以降、航空運賃が下落したことは事実だが、これは「軽減措置」によるものというよりも、96年の幅運賃制度の自由化から始まった航空業界の規制緩和の流れが、98年の新規参入の自由化、99年の新規路線への参入自由化、そして、00年の航空法改正と航空運賃の自由化と進むにつれて、国内の航空運賃に全般的な下落圧力を生んだためだろう。「軽減措置」は利用者負担を軽減するのではなく、そのまま企業の利益補填として利用されたと考えるべきだろう。

このことは、航空会社の路線選択において、路線搭乗率が同じであるならば、他の路線から沖縄路線に就航先を切り替えることで、「軽減措置」分だけ路線利潤が増加することを意味する。すなわち、「軽減措置」は沖縄路線の就航数を増加させる効果を有している。実際、96年と00年の比較では、那覇から各主要空港への一日あたりの便数は、羽田8便、福岡5便、伊丹・関空4便増加した。また、着陸料、航行援助施設利用料、航空燃料税は、大型機であるほど、長距離路線であるほど軽減額が逓増するため、機体の大型化と長距離路線の就航を促し、特に前者は沖縄への入域観光客数の増加にも寄与したと推測できる。実際、沖縄への入域観光客数は、97年以降大幅な増加率の上昇を伴って急増した。97年以前には50万人増加するために約6年(90~96年)を要したが、97年以降、僅か2年程度しかかかっていない。

「軽減措置」の政治的背景、市場環境
「軽減措置」に代表される補助金などの政策は、基本的に沖縄離発着の供給増加政策であるといえるが、それが十分な効果を生むためには、他の空港における供給、そして同時期に、同水準の需要が生じなければならない。便数(供給)が増えただけで旅客(需要)が増加するとは限らず、それに伴う旅客需要がなければ、結局搭乗率が下落して収益が相殺されてしまう。沖縄における過去15年間は(恐らく幸運な偶然が重なって)この条件が完璧といえるほど合致していた例外的な時期といえる。

航空会社にとって沖縄路線の利益率が高まることで、大型機(ジャンボ)による増便効果が生まれたが、その一方で、那覇を飛び立った飛行機は、必ずどこかに着陸しなければならない。沖縄にとっての第一の幸運は、「軽減措置」が発効する前後のタイミングで、関西空港が開港し(94)、羽田C滑走路が共用開始された(97)ことだ。これら主要空港における離発着枠の増加が沖縄路線増便の受け皿となった。

そして、沖縄にとっての第二の幸運は、タイミングをほぼ同じくして、これらの大幅供給増に十分見合う需要が生まれたことだ。その要素は二つある。一つ目は、90年代から始まった航空自由化によって航空運賃が大幅に下落し、国内旅客数が大幅に増加したことである。90年代の約10年間で、日本の国内航空運賃は平均で30%下落し、国内旅客数は40%弱増加した。二つ目は、95年以降特に活発化した補助金の大量投下や数々の沖縄キャンペーンによって大量に創出された観光旅客需要である。90年代中頃から現在まで約15年間継続している「沖縄ブーム」は、95年の米兵による少女暴行事件に端を発した革新大田県政下の大規模な基地反対運動に対するいわば「火消し」を目的として、無尽蔵といえるほどに投下された各種補助金等によるところが大きい*(2)。沖縄サミットの開催、首里城跡の世界遺産登録、守礼之門を図柄とする2000円札の発行、美ら海水族館新館、国立劇場おきなわ、DFSギャラリア・沖縄、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の放送などの沖縄キャンペーン。そして97年に発効した「軽減措置」は、沖縄への莫大な旅客需要を生み出し、沖縄入域観光客数の増加に計り知れない貢献をしたものばかりだが、95年の暴行事件がなければ全ては実現していなかった可能性が高い。この「メッキ」は国の財政問題などによって大きくはがれつつあり、これに代替する新たな需要を生み出すことができなければ、沖縄経済は早晩大規模な収縮局面を迎えるだろう。

「軽減措置」の延長は激変を緩和する重要な役割を持つものの、それ自体は辛うじて現状を維持するためのカンフル剤に過ぎない。沖縄にとっての本質的な課題は、「莫大なメッキ」を代替する新たな旅客需要の創出であり、これは、同じ顧客(本土観光客)に対して同じもの(同じ質のサービス)を提供し続けることでは絶対に不可能である。東アジアと日本の地方都市を結び、顧客を多様化し、季節平準化を促進する、新・南西航空が沖縄にどうしても必要な所以である。

*(1) 97年度に発効した「軽減措置」は、いずれも本則に対して、①航空着陸料1/6、②航行援助施設利用料1/6、③航空燃料税3/5、に軽減されるもの。③航空燃料税は99年度に現行の1/2へ拡充され、さらに2010年度から沖縄貨物ハブ計画に対応する形で、貨物航空機が対象に追加されている。
*(2) 金融財政事情研究会編、『季刊・事業再生と債権管理』2011年1月5日号、「日本の端の沖縄から地域再生を考える」(樋口耕太郎)を参照。

【2011.2.14 樋口耕太郎】

ようやく寒さがゆるんできましたね~。
お元気ですか。
週明けはヴァレンタインデーですね!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

昔、女の人は、恋人からの手紙をきものの帯揚げの間に隠して、肌身離さず
持っていた、ということを読みました。なんて艶やかなことでしょう。
ところで今の男性は、女の人が持ち歩きたくなるようなロマンティックな恋文を
書いてくれる人がいるのかしら?

最近のお客さまはなぜだか女性が圧倒的に多くて、いろいろな恋愛話にも
なるのですが、「パートナーとの間でロマンティックなことが少ない」、
「彼が何もしてくれない」、そんな相談をよく受けます。
でも、ふたりの間のロマンティックというものは、もし彼がロマンティックな
ことをしてくれないのであれば、女性のほうがロマンティックな雰囲気を
つくってあげる、そういうものなのではないかしらと思います。
彼に望んでも無理、今の男の人にはそれだけの余裕も土壌も
ないかもしれませんよ~。(ナーンテ!男性陣ごめんなさい!)

ただ、女性は男性を立てるほうが平和だと思います。これは日本に限らず
どこの国でもそう。絶対にそうです。
私の生まれ育った関西では、まず男性を立てて、実権は女性が持ちます。
おばあちゃんや母がよく言っていたものですが、
「妻が実権をぐっと握っていても、夫を心から尊敬していれば、
男性はいい気持ちであなたに任せてくれるものよ。」と。

また、アメリカ合衆国憲法の基礎を作ったといわれるインディアンの
イロコイ族は、現在でも母系社会で、女性達が会社でいう取締役を固め、
トップの男性の罷免権を持ち、調停者の役割を担う、という社会を、
千年間もの間築き上げています。

例えば、世界中の大統領や総理大臣が全員女性であれば、世の中から戦争は
なくなってしまうかもしれませんよね。

男女の間では、女性は女性なりに、優しさや包容力をもちたいものです。
強くならなくていいんです。賢く、ただし「静かに」賢くなればいいのでしょう。
パートナーに対して、あまり強すぎたり賢すぎたりすると、相手が疲れますよね。
どんな時代でも女性こそ、優しくないといけません。
だって本来は男性のほうが優しいものなのですから。
会ったときにほっとするそんな女性になりたいものだと思います。

まだ運命のパートナーに出会っていなくて、焦っている人もいるでしょう。
でも大丈夫。必ず二枚貝の片割れのような相手がいるのです。
出会うということは、これはもう自分の力だけではありません。「縁」という
日本語には深い意味があるようです。
きっとどの人にも今までにいろいろな恋愛の経験があることと思います。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれた言葉。彼女の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えませんか。
恋愛は面倒なもの。だからこそ、きっと残してくれるものも大きいのでしょう。
それらの出会いによって今の自分が作られているのです。
そしてまた次の自分へと導かれて行くのです。
縁とはそういうものなのかもしれません。

愛するパートナーがいらっしゃる方はその幸せをうんと噛み締めてくださいね。
そしてその愛する気持ちをちゃんと伝えてあげてください。
パートナーの方はきっと幸せな気持ちでいっぱいになられることと思います。
最も身近な人を幸せにすることは、最も難しいことであり、
それ故に最も価値のあることなのだから。

さあ、週明けはヴァレンタインデー。
どうぞあなたが愛いっぱいの、幸せいっぱいの日でありますように。

【2010.2.9 末金典子】

お元気ですか?
今年の冬はなかなか寒いですね~!
体調を崩したりなさっておられませんでしょうか。
インフルエンザも流行っていますのでくれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は10日前に沖縄銀行さんから沖縄県経済同友会に出向しておられた長松さんが
クモ膜下出血でお亡くなりになられました。
仕事を終え帰宅途中のバスの中での出来事だったそうです。まだ44歳。
お亡くなりになる1週間前にいらしてくださった時、
「正直に言うと今の会社のあり方に少し物足りなく思っているところも
あるので私なりに頑張りたいと思います。」
とおっしゃっておられたのが印象的でした。
これからという人生を歩んでおられた途中。心残り幾許であったことでしょう。
心から御冥福をお祈りいたします。

随分前に、ある男性が人生最後の日に書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものを御紹介させていただきましたが、今一度お読みいただければと
思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

また、お正月あけに、脚本家の下島先生から
以下のようなお便りをいただきました。すごく素晴らしい内容でしたので、
先生にお断りをして御紹介させていただこうと思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

昨年、1月2日にたった一人の弟が、突然逝ってしまいました。
お正月いつも来る弟一家の中に弟はいませんでした。この1年、ことあるごとに
蘇った弟は、小さい頃だったり、若い頃だったり、家族の中での笑顔だったり。
でも、人は本当に逝ってしまうのですね。
一周忌を昨日、済ませました。弟を大事にし、いつも夫婦で旅を楽しんでいた
義妹も、娘、そして息子の家族と、今も弟を偲び、孫の世話と仕事に
明け暮れています。
人が生きるということ、その大事さと切なさを、今、しみじみと感じます。
その日まで、精一杯生きよう、と、思っています。
寒い日が続きます。お風邪など召さぬ様に。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

もしも、今日が人生で最後の日になるなら、
あなたは、今日をどう生きますか?
周りの人にどんな言葉をかけますか?
会ってうんとお話したい人は誰ですか?

過去と未来が存在するのは、人がそれについて考えるときだけ。
つまり、両方とも印象であり、実体はないのです。
それなのに私達は、過去に対する後悔と、未来に対する不安を
わざわざつくりだしているのですね。
いつ終わりの日が来ても悔いのないように。
今日を、今この時を、大切に精一杯生きたいものですね。

明後日は節分です。
立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の目標や、新しいトライはこの頃に
幸せな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

一月の内にちゃんと今年の計画を立てられなかった人は、改めてこの節分に
誓いを立てても遅くはありませんよ~。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・南南東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、健康を、心から願って。

【2011.2.1 末金典子】