9月25日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第7期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(9月25日~12月11日)
講座: 日程と概要は以下を参照下さい。各講座の開講時間はいずれも午後7時より2時間程度(12月11日、第六回講座のみ午後3時半からに変更になりました)。
*原則とし て、第二・第四土曜日が開催日です。

9月25日(土) 「経営と人事」 事業再生のケーススタディ
10月9日(土) 「経営と生産性」 10倍の生産性は可能か?
10月23日(土) 「企業金融・マネー経済・お金の本質」 誰も知らない、お金の話
11月13日(土) 「資本主義社会の変容とグローバル経済」 我々の社会の「生態系」を理解する
11月27日(土) 「事業戦略・沖縄地域経済・農業」 沖縄の次世代戦略
12月11日(土) 「リーダーシップ・行動するということ」 明日から、できること

場所: 那覇市『厚生会館』(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎 http://twitter.com/trinity_inc (ツイッター)
定員: 30名
受講料: 6回講座分 3万円 (消費税込、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス(必須。できれば、数メガバイトの受信容量があるもの)
③ご所属と簡単な担当業務・役職

講座の概要: 2時間があっという間に過ぎるほど衝撃的で、有意義で、面白い、「理想の講義」の実現を目指しています。具体事例 を多用して、誰にでも分かりやすく、平易に伝えることを重視していますので、受講に際 して金融知識、経済知識、経営経験など一切不要です。

6回の講座によって、ひとつの大きな世界観(社会の生態系)をお伝えする構成になっていますが、 途中回を欠席せざるを得ない場合であっても、それぞれの講座は単独で受講して十分意味あるものとして構成されています。また、期間中いつでも新規に参加でき、欠席回は次期以降の受講が可能です。

受講者の皆様へのメッセージ: 私と沖縄との縁は2004年、恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し、経営を引き継いだのがきっかけです。10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナホテルは、価格と売上を伸ばしながら、わずか1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超高収益会社へと変容したのですが、その手法は至ってシンプルです。

私の結論は、企業は人間関係そのものであり、思いやりによる良好な人間関係が企業価値を最大化するということです。一般的な経営者は社員に恐れを与えることでコントロールしようとしますが、最も効果的なことは、むしろ恐れを取り除くことではないでしょうか。経営者が社員に誠実な意識を持つだけで、彼らの人生にいかに多大な貢献ができるかは計り知れません。

はっきりしていることは、事業再生は心の再生であるということです。いくら優れた「ビジネス」を組み立てても、目に見える合理性を追及しても、人の心が変らなければ事業は再生しません。心から好きな仕事をするとき、人は自分に正直に生きています。自分に嘘をつかず、時間と気持ちに余裕があってこそ、人は人に対して優しくなれる。あまりに嘘だらけになってしまった社会で、正直な人間関係が顧客にとって何よりも意味ある体験となり、結果として顧客満足度が上がり、口コミが広がり、顧客の離反率が減少し、顧客層が高まり、運営コストが下がり、生産性が回復し、事業が再生する。これが経営イノベーションの本質なのです。

周回遅れでトップを走る沖縄で、次世代社会を考えてみませんか。

樋口耕太郎

まだまだ暑さの続く毎日ですがお元気にお過ごしですか?

私ごとで恐縮ですが、先月の19日に40代最後のお誕生日を迎えました。
えええ~~~っ、もう? っていう感じです。
あなたも自分の年齢ってそんなヘンな感じがしませんか~?

で、約半世紀の自分のこれまでの人生ってどんなだったかしらと
ちょい振り返ってみました。

私の人生とは……なもの!

あなたなら……には何を入れられますか?

私にとっては、「すべてが、今この瞬間の積み重ね」であったように思います。

例えば、人生の何かに立ち向うとき、自分を奮い立たせるためには、
今やるべきことに集中して一生懸命やるだけしかありません。
過ぎてしまった過去や、まだこない未来を思い煩っても仕方ありませんものね。
でも、たま~に孤独や寂しさを感じた時などは、逆に「何もしない」ようにも
しています。今必要だからあるんだと、敢えて感じ、受け入れるように
しているんです。
どちらも今を大切にすることだと思います。

そして…、今を積み重ねていって、いつかは、どの人の人生にも最後には
「死」がやってきます。

NHKのドキュメンタリーで「無縁死」という現象が取り上げられ、大反響を
呼びました。番組では、家族も友人もなく孤独に死に、無縁仏として葬られた
人たち、あるいはそんな最後を予期して怯える人たちの人生がクローズアップ
されていました。すると、30代、40代のまだ若い世代が「無縁死」という
キーワードに敏感に反応しました。日本では、この世代に独身者が圧倒的に
増えています。親が死ねば一人になってしまう。血縁、地縁から切り離されて、
都会の片隅でたった一人、死を迎える人の姿が「他人事じゃない」と、深刻に
受け止められたわけです。

私も含めお客さまの女性達や友人も、アラサー、アラフォー、
アラフィフの独身者だらけ。そういう人たちに、無縁死について聞いてみると…
これはまた意外にも数人から、「そんなのあたりまえ。別に恐くない」という
答えが返ってきたのです。
たとえば私の友人に、トルコ大学で教鞭をとっている同級生がいるのですが、
彼女には恋人もいるにはいるけれども、違う国に住んでいて、会うのは
三ヶ月に一度程度。二人の間に将来の話は全く出ないという状態なのです。
でも彼女はそれをよしとしていて、相手を縛る気も頼る気もないし、
今のままでいい。好きなことはやってきたし、いつ死んでもいい。――
そんなふうに言うんです。実際、何年か前トルコ大地震があった時、
何日か連絡が取れず、周囲を冷や冷やさせ、一ヵ月後に帰ってきて
「それで死んじゃったら、それはそれでしょう」とケロっとしていました。
そんな彼女のことを考えていたら、「無縁死」っていうのは、
実に主観的な言葉だなとすら思えてきました。
つまり、予期される自分の死を、「孤独で寂しい死」と捉えれば、それは
「無縁死」になりうるのですが、そう捉えなければ、そうではない

いうことですよね。

また、家族・親子という縦の繋がりを失っても、人には横の繋がりが残ります。
友人、知人、ご近所との、ささやかといえばささやかな繋がり。
家族を持たず、あるいは家族を失って年老いたとき、友人と濃く深い繋がりが
持てればそれに越したことはありませんが、たとえ淡いものであっても、
人との横の繋がりを大切にして、自分なりにその中で居心地良く生きられれば、
人は自分を孤独だと感じないですむのかもしれません。
98歳で天寿をまっとうされた宇野千代さんが、晩年、新聞のコラムの文章に、
「愛はいたるところにある」と書いておられました。
近所の人が朝、自分に挨拶してくれる、その気持ちの中にも愛はある。
隣の夫婦が月に一度くらい自分の髪を切りに来てくれる、その行為の中にも
愛はある。その愛に感謝しつつ生きていきたい」と文章は綴られていました。
たくさんの人が独身のまま老いを迎えるであろうこれからの日本では、
人との横の繋がりが何よりも大事なことであると思います。

そして、やっぱり最後には、自分を救うのは、自分自身の心でしかないのでは
ないでしょうか。
今、家族のいるあなたも私も、もしかしたら死ぬ時には一人かも
しれないのだから。
それまでに、周囲にあるささやかな愛を大切に育み、
心豊かに生きていけるように、今この瞬間の積み重ねを大事にしてゆきたいなと、
誕生日にあらためて思ったことでした。

心で手を繋いでくださるあなたに心からの感謝と愛をこめて。

P.S. 連休の敬老の日には、周りにいらっしゃるお年寄りに温かな気持ちを
注いであげてくださいね。私も昭和一桁生まれの両親を労いたいと
思っています。

【2010.9.17 末金典子】