こんにちは。
空梅雨?!と思いきや、ここのところ、どしゃどしゃと雨が降ってくれて
ほっとする毎日ですね。

さて。
明後日は父の日ですね。

いきなり重い話題で恐縮なのですが、一昨年に父が脳梗塞で入院しました。
その知らせを母からもらった後、父に対するいろいろな想いが胸を去来しました。

私の父はとても変わった人で、私が子供の頃、大切にしていた物を失くして
ガックリしていると、
「物を失くしても、落ち込んだり、心配しないように。必ず地球の上にあるからね。」
なんて言う人なんです。
また、会社から帰ると詩や小説を書いたりの夢見るロマンチスト。
で、優しい人かというと、
私に素潜りを教えるといって、いきなり日本海の深い海にボートから突き落とす。
スキーを教えるといって、いきなり山の急斜面から突き落とす。
テニスを教えるといって、ボールをバシバシ叩きつけてくる。
まさにスパルタの極み。
躾よろしく小学生の時まではバシバシ叩かれもしました。
父は昭和8年生まれの75歳。会社も5年前に引退し、ゴルフ、スキンダイビング、
卓球、映画鑑賞、カラオケ、読書、文筆活動など趣味三昧の毎日を送っています。
以前、父の湯たんぽのエピソードとともに御紹介させていただきましたが、
3年前に、私が沖縄に住んでから200通目の父からもらった手紙がこんな感じでした。

典子さま
父の日のプレゼントありがとう。とても美しいブルーのウェアですね。
この夏は、このブルーの海に潜ります。ただ、私ももう70代、あちらこちらに
微妙な狂いが出てきております。“コトン”と死にたいですが、そう巧くは
いかないかもしれません。いずれにしても日々好きな事をして
幸せに生きておりますからご安心ください。毎日を神さまの御心のままに
生かされているのです。いつお召しがあろうにも悔いはありません。
典子も決して悲しんだり泣いたりしないように。
生けるものには必ず別れはあるものですから。
日頃からその心構えはしておきましょう。
典子の手紙に、“一緒にも住めず、結婚もできず、孫も見せてあげられない娘で
ごめんなさい。私にできる親孝行は何なのでしょうか…”とありましたが、
親孝行しようなんて考えなくてもいいのです。ちゃんと育ってくれて
十分信用しているから。私はね、素晴らしい妻に巡り逢え、恵まれただけで本当に
幸せです。私達には欲なんて全然ありません。絶対親孝行しなければ!なんて
気負って生きなくていいんだよ。自然体で思う通りに生きなさい。
子供は親を踏み台にして生きてゆくのです。それが進化というもの。
親の方だって、本当はそのことがよくわかっているのです。
自分だって、子供であった時があるのだから。
その代わり、確実に幸福になること。
それだけが、典子にできる私達への恩返しでしょう。
では又…生あるかぎりお便りします。
父より

その父が、脳梗塞、で入院したというのです。

実は、父との思い出は、そのほとんどが、厳しくされた、叩かれた、
叱られた、というものでしかなく、いつも思い出すのは、一緒にスキーに
行った時のこと。
「一緒にスキー」なんていうとステキな思い出であるかのようですが、私にとって、
父とのスキーは「苦行」そのものでした。
大阪の街で生まれ育った幼い私が、スキー「1級」の父に連れられ、
雪深い豪雪地帯の山村のスキー場へ。
小さい身体には、道具があまりに重たく、寒さにガタガタ震え、吹雪に打たれた
頬はヒリヒリ。突風でリフトから振り落とされそうになったり、転倒したまま
ゲレンデの下まで落下したこともあります。
それなのに…。
映画やテレビなどで雪の森の風景を思い出すと、なつかしさと切なさで
胸がきゅんと痛くなるのです。
それはいったいなぜ? 雪の世界のいったい何が、私の心をつかむんだろう?

あなたはスキーをなさったことがおありでしょうか?
今は夏ですが、私も久々に、両足にスキー板をつけて、雪の森の中へと
滑りこんでいった瞬間を思い出してみました。
さあっと視野が開けてきます。
滑りはじめれば、まるで空を行く鳥の気分。
2本足歩行の束縛から解き放たれ、翼が生えたかのように、大胆に自由に、
森の中を進んでいくと、ふと、人であることの不自由さを忘れ、山や木々や雪と
一緒に幸福に溶け合ったような気分に包まれます。
煙のように、宙を舞う粉雪。
凍てついた木の幹。厳冬に耐えながらたたずむ、孤独な樹木を見ると、
その命を心から讃えたくなったものです。「おまえもしっかり生きろ」と、
木の内部から温かい声が響いてくるような気がしました。
新雪の上にウサギやタヌキの足跡も発見。とこ、とこ、とこ、とこと、
木々の間を縫って、どこまでも続く小さな痕跡。
頭上では、鳥の声が響きわたります。
厳寒の銀世界の中にも、いろいろな命がしっかりと呼吸しているんだ。
そのとき、自分自身も雪世界の一員となって溶けこんでしまったような、
そんな不思議な一体感に包まれたものです。

少々手荒ではありましたが、そんな学びを与えてくれてもいたんだなぁ、
父は。
今はそう思えるようになりました。

父が倒れるほんの数日前に手紙が届きました。

典子さま
お手紙ありがとう。麗王は13年になるんだね。2足の草鞋を履き続けてきた
典子のがんばりと強運に敬意を表します。
私と典子との思い出は、貴女が生まれてから、沖縄に行くまで、20数年間も
ありましたのに、それほど多く思い出されません。それはお互いの間が
空気のように違和感がなかったからというようなものかもしれません。
それと貴女が私の手におえないような問題を持っていなかったということ
なのかもしれません。
唯一の思い出は、貴女が2・3歳の頃、母さんが朝、私よりも先に仕事に行き、
寝ていた貴女を置いて行った時のことです。
目覚めた貴女が、なぜか急に泣き出してやみませんでした。
その時私はどうしてよいかわからず、今思えば何故だったのか、
貴女が泣き止むまで叩いた事を何十年たった今でも忘れません。
何の善悪も判らない無力なあなたを叩いた事が、後悔と自責の念で、
今でも私の心に突き刺さって、心の傷となって残っています。
これはおそらく私がお墓の中まで持って行く事なのでしょう。
母さんとお見合いをして、恋愛して、結婚して、50年になりました。
少々のぶつかりはありましたが、母さんが7割、私が3割、我慢して
生きてきたのだと思います。
母さんがお料理が上手だったこと。私に対して怒ったことがないほど
優しかったこと。そのことが最大の幸せでした。
だからいつも書いていることですが、お別れの日が来ても
決して涙などこぼさないようにしてください。
笑って見送ってほしいと思います。
くだらないことをぐだぐだと書いてお許しください。
父より

前回までのような陽気な手紙とは違って、病気を予感してか、気弱になった父を
感じました。
2・3歳の時に叩かれた当の私が忘れてしまっていることでも、父の心には
責めとなって今も残っているんだなぁと不思議な気持ちがしました。

親子の関係とはなんなのでしょう。
なぜ親子として生まれてきたのでしょう。

それは、父の言葉を借りれば、魂の進化成長のためなのかもしれません。
よりいっそう愛に近づくために自分を磨いて、いらないものは落とし、
より優しくなっていくためなのではないでしょうか。

必要があって、深い意味があって、私達はその環境、その家族を選んで
生まれています。自分が学ばなければならない命題が学べる場所、
あたたかい愛に向かって成長できる場所に、私達は生まれているのです。

だから、幸せであっても不幸せであっても……私達は学び成長しなければ
なりません。

例えば親子仲が悪いと思うのなら、それを不幸と思わずに、人との調和を
学ぶために生まれてきたのだと大事に受け入れてみる。そこをクリアできれば、
どこへ行っても、スッと人とハーモニーを創れる、優しい人間関係に
恵まれることでしょう。

明後日の父の日は、今までお父さんと距離をおいていたなと感じたなら、
ぜひ話す機会を持ってみてくださいね。
親にはいつまでも長生きしてほしい。いつまでも元気でいてほしい。
誰もがそう願っているはずです。
私も父が元気に退院することができて本当にうれしいです。
優しさ、強さ、温もり、情熱、笑顔、やすらぎ……。
たくさんの愛をありがとう!とあなたも感謝を伝えてあげてくださいね。
もう一歩だけ照れる気持ちを乗り越えて。

そして、いっぱいいっぱいお話してください。
あなたのお父さんへの想い―。

【2009.6.19 末金典子】

6月13日(土)午後7時開講、『次世代金融講座』 第2期 受講者を、以下の通り募集します。

期間: 3ヶ月(6月~8月)
講座: 第二・第四土曜日、午後7時より2時間程度(全6回講座) 第一回目は6月13日(土)午後7時~
場所: 那覇市『厚生会館』多目的ホール(みずプラッサB棟3階)  那覇市おもろまち1丁目1番2号3階
講師: 樋口耕太郎
定員: 50名
受講料: 3万円(消費税込、全6回講座分、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など一切不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス
③ご所属と簡単な担当業務・役職
④ご希望など(もしあれば)

講座内容: 資本主義社会の変容に伴い、金融・経営・事業の役割と機能が変化し始めています。
我々が迎えつつある次世代社会において、機能する金融とは、経営とは、事業とは、社会とは、を問い、
より良い事業や社会を構築するための、具体的かつ効果的な処方を模索します。
(ご参考:内閣府・沖縄県主催、「金融人財育成講座」受講者の声はこちらを参照下さい。)

受講者の皆様へのメッセージ:


樋口耕太郎

盛岡(岩手県)出身の私が、沖縄にとても深い縁が生まれてからそろそろ5年。沖縄は間違いなく、日本でも最も県民意識の高い地域のひとつで、食事をしても、お酒を飲んでも、人が集まると必ず沖縄についての話になると言っていいくらいです。青い空、青い海、ゆったりした県民性。日本語が通じる「外国」。日本で最も守られた市場。米軍基地の街。政治的に利用され続けた地域。補助金が降り注ぐ経済。模合という巨大金融文化・・・。さまざまな方がさまざまな価値観と表現で「沖縄」を語ります。聞く度に、どの観点も興味深く、それらは確かにそれぞれ重要な要素なのですが、私には、やはりステレオタイプの域を超えず、「沖縄の本質」、と云うべきものとは何か違っているような気がしていました。

このことがずっと頭にひっかかりながらの5年間、「沖縄らしさ」とはなにか、ということを私なりに考え続けてきましたが、つい最近、沖縄社会の真髄は、「人を変えようとしないこと」、ではないかと思い至っています。「社会はかくあるべし」、という規範が人を縛るのではなく、「自分は自分」、という人々の集合体として社会が構成されているような、そして各人の生き方がどのようなものであれ、人の生き方には関知しない、・・・結果として、他人をあるがままに受け入れる(放っておく?)土壌が、社会の本質を構成しているのではないか、と思うのです。コンビニの店員が、スローモーションのようにレジを打っていても、観光客が傍若無人に振舞っても、米兵が夜中に騒いでも、特段注意するでもなく、あるいは、不義理な人が模合を崩そうと、場合によっては詐欺行為を働こうと、そんな人たちでもなんとなく居場所があるような社会は、まさに「真髄」といったところ。

また、沖縄社会は、社会的な地位や肩書きに捉われず、人間性をずばりと見抜く鋭い感性を持つ人が多いことが重大な特徴のひとつです。人を変えようとしない代わりに、自分を変えようとする人には敏感で、その「危険」を感じると、一言も発せずにいつの間にか遠ざかって寄り付こうともしません。

翻って、本土経済、世界経済、資本主義は、人を変え、組織を変え、市場を変えることで成長を遂げてきました。経営者は自分以外の全てを変えることが自分の仕事だと固く信じ、競争に遅れそうな人を叱咤し、指導し、時には誠意と優しさをもって、人の人生に最大限干渉し、影響力を行使します。この社会で成功者といわれ、目覚しい成果を挙げてきた人は、ほぼ例外なく、多くの人や物事をコントロールすることで「生産性」を上げてきた人物です。

本土復帰以来35年、星の数ほどの本土系企業、あるいは外資系企業が、沖縄に進出してはことごとく失敗し、実質的な意味において、沖縄で成功したと言える企業がいまだに存在しない最大の理由はここにあるのではないかと思います。一般に、沖縄は本土の価値観、すなわち、資本主義の世界観に基づく、コントロール主体の事業経営や、スタイル重視のマーケティングが全くといっていいほど機能しない社会であり、例えば、そば一杯が売れる理由が本土とは本質的に異なるのです。

この事実を素直に解釈すると、沖縄には、資本主義とは異なる、横の人間関係を中心とした「第二の経済」が存在し、その原理を理解するインサイダーと、その原理に気が付かないアウトサイダーが入り乱れて市場が構成されているように見えます。必然的にアウトサイダーには継続性がなく、いずれ撤退を余儀なくされ、結果として日本で最も守られた市場が形成されています。沖縄は、日本最大の、そして恐らく世界最大の「第二の経済」圏である、と云えるのです。

現在、時代が大きな変換期を迎え、社会の構造や価値観が根底から変容し、本土的、資本主義的な経済構造が機能不全を起こしはじめています。今までの常識、価値観、序列、経営理論、事業モデルが破綻し、どのように事業、経営、戦略、人事を考えれば良いのか、についての新たな、そして合理的な実践行動モデルが必要とされはじめていますが、その鍵は、沖縄が最も得意とする、「第二の経済」が握っているという可能性はないでしょうか。

私が試みた当時、本土からは「正気の沙汰ではない」と云われた、サンマリーナホテルの、「人間関係をなによりも優先する愛の経営」が、実践において極めて高い経営合理性を持つのと同様、資本主義的な価値観からは「非効率」で「遅れている」と考えられていた沖縄の社会や人間関係が、今後の全く新しい社会の構造において、もっとも合理的に機能することが、次第に、やがて激流のように明らかになるでしょう。

この変容の中で、「周回遅れでトップを走る」、沖縄型社会・経済ビジョンを模索し、広く共有するため、そして、現在非常に高い評価を頂いている「次世代金融講座」を、定期的に続けて欲しい、という多くのみなさんの気持ちをつなぐため、6月13日(土)より 第二期 『次世代金融講座』 を開催いたします。この試みは、単なる講座ではなく、沖縄を中心とした、幅広い異業種間の、意識の高い次世代のリーダーを、利害によってではなく社会への高い意識と共感によって繋ぎ、グローバルな目線と先端経済の動きを敏感に捉え、まじめな経済模合風に運営する人的ネットワークとしても運営しようと考えています。

講座名称は、「金融」と銘打っていますが、これは、次世代社会において、事業と金融が不可分に変容するという想定に基づいているもので、要項にもありますとおり、受講に際して、業種・職種・タイトルなどをまったく問いません。是非ご参加頂ければと思います。

在沖米国商工会議所の6月月例会(6月5日金曜日)にて、以下の概要で講演を行います。

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Kotaro Higuchi will be the presenter at the American Chamber of Commerce in Okinawa’s monthly General Membership Meeting for June.  Attached is the Japanese version of presentation summary for Japanese audiences.

売上目標がない! 研修制度は全廃! 流行のクレドもない! 顧客満足度も目指さない! 上司の唯一の仕事は「部下の役に立つこと」。社長は1ヶ月間他の仕事をせずに、250人の全従業員と一人30分の面接。また時には、厨房で丸一日仕込みの丁稚奉公(下の写真参照)。人間関係が何よりも(仕事よりも!)優先され、成果主義・収益主義・能力主義の一切が組織から消えた。役員を含む全ての従業員の給与・昇給・昇格・役職を決めるのは、「人間的な成長」、「どれだけ人の役に立ったか」の二項目だけ。夫婦喧嘩が遅刻の理由として認められ、「自分の好きなことだけをしてください」と全従業員に明言する企業が、数年前、沖縄に存在していたことをご存知でしたか?

沖縄県恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し経営を引き継いだ樋口は、ウォール街仕込みの熱血管理経営を始めるが、沖縄の従業員にしてみれば、オーナーが代わるたびに本土からやってくる、毎度の「ナイチャー経営者」。やがて、組織から完全に浮き上がった「ばか殿」社長が、それまでの経営方針と自分の生き方を完全に覆し、資本主義の常識と正反対の経営を試みる。「企業は人間関係」と定義し、人間関係を最優先する方策を次々と実行。人への思いやりを、事業の手段ではなく、目的にするために、東京本社には内緒で、利益目標、売上進捗管理、人事の成果主義・能力主義を完全に廃し、「いま、愛なら何をするだろうか?」を企業理念かつ事業唯一の目的に。

その直後から、顧客満足度が爆発的に上昇し、旅行代理店からは、「最近のサンマリーナはいったい何をしたんですか?」と問い合わせが続き、熱狂した地元のオジーは誰に頼まれもせず、手塩にかけて育てた花木をホテルに持ち込む。10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナが、僅か1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超優良会社へといかに変容したか。そして、「成功しすぎた」サンマリーナが、取得から僅か2年で倍の価格で外資に転売され、それに抵抗した樋口が解任されるまでのお話。

【2009.6.3 樋口耕太郎】


サンマリーナ洋食厨房で一日丁稚奉公
社員が面白がって写真を撮ってくれました

100年ほど前に、イギリスの思想家ジョン・ラスキンがこんな話を書いています。ある男が全財産の金貨を大きな袋につめて船に乗り込んだ。数日後、船は激しい嵐に襲われ、乗客は船を棄てて逃げろと警告された。男は金貨の袋を腰にくくりつけると、甲板に上がって海に飛び込んだが、たちまち海の底に沈んでしまった。そこでラスキンはこう問いかけます。「さて、海に沈んでいったとき、男は金を所有していたのだろうか、それとも金が男を所有していたのだろうか?」*(1)

資本主義の第四の幻想であり、恐らく資本主義社会の最大の問題が、富の蓄積が社会を豊かにするという「常識」です。本稿『次世代金融論』において、現代の資本主義社会の本質は何かというテーマで議論を続けていますが、これまでの議論から既に明らかなことは、現代の資本主義社会における最も根源的な価値観は、「お金があれば幸せになる」というものであり、この信念がわれわれの制度、経済、政治、教育、医療、福祉、家庭、人間関係のことごとくに投影され、現代社会が今のような姿になっているということでしょう。「お金があれば幸せ」 ・・・すなわち、「富の蓄積が社会を豊かにする」、ということですが・・・ という世界観が資本主義の本質であるならば、資本主義社会は、「お金が富である」、「富があれば幸せである」、という二つの大きな前提の上に成立していることになります。この両者が、資本主義の第四にして最大の幻想を構成している、というのが本稿の趣旨です。

お金という「富」
資本主義社会に生きる人の大半は、いかにしてお金を獲得しようか、そして、そのお金をいかに増やそうか、ということに人生の大半を費やしています。莫大なエネルギーを傾け、大きな犠牲をいとわず、人生を賭して少しでも多くを蓄積しようとしているお金とは、そもそもどのようなものなのでしょうか。お金には、本当にわれわれが考えているような価値が存在するのでしょうか。

お金*(2) は、かくもパワフルな存在であり、現代社会で暮らしている殆どの人々は、お金自体に大きな価値があると考えている訳ですが、お金は本来、価値の交換、維持、利殖(利子)機能を果たす「道具」に過ぎません。社会の構成員がその機能を信じることで、(多分辛うじて)成立してる恣意的な紙片またはデジタル情報であり、お金が表彰する「価値」とは全く別のものである筈です。ある人が商品の代わりにお金を受け取るのは、社会の(殆ど)全ての人がそのお金をお金として受け入れるという「予測」によるもので、その人が後で別の商品を手に入れたいときには、商品の売主がこのお金を受け取ると「思う」ためです。お金とは、価値があるから価値を持つのではなく、価値があると皆が思うために価値を持つという不思議な存在であり、「価値があると皆が思う」という、皆の「気持ち」がその実体です。このように書くと、17世紀前半オランダのチューリップ・バブル*(3) や、最近のサブプライム危機、あるいは椅子取りゲームやババ抜きのようにも聞こえるのですが、もともと価値のないものを価値の交換、維持、利殖手段にしているお金の根源的な構造は、その本質においてババ抜きと同じものです。実際、このお金というゲームには(ハイパー)インフレーションというババが存在し、社会の構成員は皆 ・・・もちろんそれが可能であれば、ですが・・・ このババをつかまないようにお金を次の人に先送りし続けなければ、いずれどこかの時点で自分の保有する「価値」を大きく毀損してしまうことになります。

資本主義がお金の蓄積を最大の目的としており、お金の実体が人の「気持ち」であるならば、お金に対する人々の「気持ち」が揺らぐことが、資本主義の最大の危機であり、それがインフレーションの本質かも知れません。私は、経済政策においてインフレーションが重大問題とされていることの理由が良く理解できずにずいぶん長い間悩んでいたのですが、ごく最近このような解釈に辿り着いて、ようやく納得できた気分です。この点については、東京大学の岩井克人先生が興味深いコメントをなされています:

一般的に、「恐慌」が資本主義の危機として捉えられていますが、実はそうではありません。「恐慌」とは、商品の売り手がいるのに買い手がいない状態で、市場にはモノをお金に換えたい人が多数存在し、お金への信頼は揺らぐどころか却って強固になります。資本主義にとっての本当の危機とはハイパーインフレーションです。ハイパーインフレーションは、買い手がいるのに誰もモノを売らない状態で、市場にはモノを欲しい人が多数存在するのに、誰もお金を受け取ってくれません。お金への信頼が失われ、お金を仲立ちとした商品経済が崩壊し、お金がお金としてして機能しなくなる、本当の資本主義の危機なのです*(4)

暴落する通貨
ハイパーインフレーションというと特別なことのようですが、それに近い現象は既に、しかもわれわれが一般に認識しているよりも頻繁に、そして現在も、生じています。例えば、昨年夏以降の原油価格の暴騰(と暴落)に伴って、日本でもガソリン小売価格が一時期180円/㍑前後まで上昇したのは記憶に新しいところです。この現象は一般に、「原油価格の暴騰」と認識されていますが、これは決済通貨であるドル(および、それにおおよそ連動する主要通貨)建ての原油価格が上昇したためです。しかし、例えば金の価格を基準にすると、原油価格は殆ど変化していないため、原油価格の暴騰というよりもドルの暴落(≒インフレーション)と捉えることもできるのです*(5)

より大きなスケールでは、金に対するドルの価値は100年前に比べて50分の1に下落しており、当時の1ドルは現在2セントの価値しかありません。もちろん、この価格には、100年の間に採掘された金が新たな供給に加わり、工業用その他の需要が増加したという、金自体の需給の変化による価値変動が含まれているとは思いますが、大掴みに捉えると、金の価格がドル建てで長期的に上昇し、その裏返しとしてドルの価値が暴落しているという事実に変わりはありません。このような事実が一般に認識されていないのは、1944年に成立したブレトン-ウッズ体制によってドルが世界の基軸通貨になって以来、60年以上、世界中の国際取引の決済がドル建てで行われているたためで、殆どの商品がドルで計測される世界においては、ドル自体の下落は自覚されにくい、ということだと思います。この「ドル暴落」の大半は、1971年8月15日のニクソンショック以降に生じたものですが、この日を境にドルが「金と同等の価値」から「紙片」へと変質したことに呼応した結果と考えることもできます。昨日まで金であったものが紙片になれば、その価値が50分の1に暴落したとしてもまだ少ないくらいです。その後1973年の第一次オイルショックでは、原油を中心とした世界中の天然資源が暴騰して世界的な大不況を引き起こす訳ですが、これも見方を変えれば、ニクソンショックによって「紙片」になったドルの暴落に伴って、本来価値のあるモノ(資源)が暴騰したように見えた、・・・オイルショックというよりも、ドルショックと呼ぶべき現象、と考える方が妥当に思えてきます。

日本の視点では、円の価値をドルとの相対観で捉えることがあまりに一般的です。1971年以前の1ドル360円から、1973年の変動相場制への移行を経て現在まで、円はドルに対して4倍(ドルは円に対して4分の1)になっているために、殆どの人は、高度成長期以降、長期的な円高が続いてきたと考えていますが、アメリカ経済に大きく依存してきた日本の円もまた、大きな流れではドルと連動しながら、(ドルよりも程度は少ないとは言え)下落し続けてきたという見方が可能であり、実際、円建て1グラムあたりの金価格は1970年の690円から、最近では3,000円まで上昇、すなわち円の長期に亘る下落を示しています*(6)

なぜ通貨は暴落するか
前述の通り、ドルは過去100年で50分の1に下落していますが、私は、この暴落は不兌換通貨(Fiat Money:フィアット・マネー)の構造的な問題ではないかと疑っています。米連邦準備銀行(「FRB」)が設立された1913年が、ドルの長期的な暴落のおおよその基点になっているのも偶然ではないと思いますし、ニクソンショックによってフィアット(不兌換)化した直後から、ドルが「大暴落」しているのも象徴的な現象といえそうです。

現在のお金である不兌換紙幣は、物理的には紙幣を印刷することで「無」から生じますが、社会・経済的なメカニズムの観点からは、誰かがお金を借りた瞬間に、信用創造がなされ、お金が市場に流通します。社会における最大の債務者は通常国家であるため、政府が国債を発行することで、大半のお金が生み出されることになります*(7)。ところで、近代の資本主義/民主主義国家においては、政治的に、できるだけ税金を少なく、できるだけ支出を多く、という強いバイアスが存在します。仮にそれが長期的には好ましくないことだとしても、選挙で勝つためには有効な手法だと考えられているからです。現在世界の「先進」諸国の債務が増加傾向にあり、財政赤字と国家の過剰債務の問題が多くの国で生じているのは、基本的にこのような単純な理由によるものではないかと思います。この過剰債務現象の裏側では、大量の信用創造が行われ、大量のお金が市場に放出されることになります。「公開市場操作」、「マネーサプライの増加」、などというと、なにやら科学的なことのようですが、要は、FRBが新たに紙幣を印刷して国債を買う(国の債務を肩代わりする)行為であり、供給量を増やして市場に流通している貨幣の価値を薄める行為、といったら語弊があるのでしょうか。

過剰債務のバイアスに持続性はありませんので、政府はいずれどこかの時点でこれらの債務を返済する必要が生じます。通常国家が債務の「清算」を行う方法は、①増税、②紙幣の印刷、③国有資産の売却(電電公社の民営化とNTT株式上場、専売公社民営化と日本たばこ株式上場、国有地売却など)、④債務の否認(1917年ロシア革命において、帝政ロシア時代の債務1,100億ドルをソヴィエト政府が否認した事例など)、⑤戦争などによる略奪、の5種類です。そのうち、①増税は政治的に最も不人気で、経済が成長しているときですら困難であり、実質的に機能することはないと思って差し支えないでしょう。そして、②紙幣の印刷について、論旨が循環するようですが、前述および注記*(7)の通り、お金は誰かの債務であり、お金が(「無」から)生まれるためには、誰かが債務(主として国家の債務)を増やさなければなりません。紙幣の印刷はすなわち、債務による債務の借り換えであり、継続的に債務残高を増加させ、市場に過剰流動性を生じ、実体経済を超えてマネー経済を膨張させ、自国通貨を下落させ、いずれどこかの時点でインフレーション、場合によってはハイパーインフレーションをもたらす可能性があります。そして通貨価値の下落を伴うインフレーションは、結果として、①経済活動の隅々に増税を行う行為、と同様の効果を持ちます。

・・・最近どこかで聞いた話に似ていないでしょうか?資本主義下の政治は、不兌換通貨の発行によって、政府の負債を膨張し、マネーサプライを増加させ、インフレ(すなわち通貨の暴落)を起こしやすい構造をもともと有しており、不兌換通貨の継続的な下落は、資本主義の構造そのものと云えるのではないでしょうか。

【2009.6.3 樋口耕太郎】

*(1) ピーター・バーンスタイン著『ゴールド:金と人間の文明史』、鈴木主税訳、2001年8月、日本経済新聞社のプロローグからの孫引きです。原典はイギリスの思想家ジョン・ラスキンによる100年以上前のエッセイによります。Ruskin, John, 1862. “Unto This Last”: Four Essays on the First Principles of Political Economy. London: Smith, Elder & Co.

*(2) 本稿の議論の重要な前提ですが、本稿で「お金」というときは、現代のお金、すなわち利息が一般に認められた社会における、中央銀行によって管理された、別の言葉では、中央銀行が無尽蔵に印刷可能な、変動為替相場制度下の不兌換紙幣を示します。お金と一口にいってもその時代、社会・経済的な背景、お金自体の構造によってその本質は大きく異なるため、お金の本質を議論する際の前提としてこのように定義する必要があります。例えば、(通貨を発行する)国家の概念はせいぜい2~300年。社会的にお金に利息を付す事が積極的に認知されるようになったのは1~200年(産業革命は農業革命に次ぐ人類の大革命とされていますが、私には、社会において金利が事業として認められたことが、資本主義の本質ではないかと思えます。『次世代金融論《その14》』 『次世代金融論《その15》』参照下さい。)。現在の形の中央銀行が登場するのは日本銀行が1882年、FRBが1913年のこと。ドルの金兌換が停止されたのは1971年8月15日のニクソンショック、円ドルの変動相場制が始まったのは1973年2月からに過ぎず、超・資本主義社会下における現在の、不兌換紙幣、変動相場制という「実験」は、正に人類史上初の試みであり、その期間も僅か40年間継続しているに過ぎません。

*(3) 有名なオランダのチューリップ・バブルについての記述は、150年間世界的な超ロング+ベストセラー、チャールズ・マッケイ著『狂気とバブル』、2004年6月、パンローリング社(1852年版の日本語訳です)、ジョン・ケネス・ガルブレイス著『新版・バブルの物語』、鈴木哲太郎訳、2008年12月、ダイヤモンド社、など。

*(4) 岩井克人著『貨幣論』、1993年、筑摩書房、および、2009年5月24日号日経ヴェリタスの記事によります(文脈は筆者がアレンジしました)。『貨幣論』が著されたのが1993年だということが驚きですが、このことからも金融・経済の本質についての岩井先生の洞察力の鋭さが分かります。

*(5) 米地質学研究所(American Geological Institute:「AGI」)のレポートを参照しています。AGIは1948年に設立され、およそ12万人を超える地質学者、地球物理学者が直接間接に参加する歴史のある団体です。また、超長期の金価格の推移(グラフ)は、オーストラリアの老舗投資顧問、AMPキャピタル・インベスターズのレポートなどで参照できます。

なお、世界の原油(特に中東産)はドルによって決済されるものが大半です(した)ので、どの国も原油が欲しければまず自国通貨をドルに換えなければならないという事情があります。このことがドルの通貨価値を相当かさ上げしていることは間違いありません。例えば、2003年3月、アメリカを主体とした有志連合がイラクに侵攻して勃発したイラク戦争は、サダム・フセインが大量破壊兵器を開発していたため、イラクがテロリストを支援していたため、あるいは、アメリカにとって原油資源の安定確保のため、などといわれることが多いのですが、私は、アメリカにとってのイラク戦争の最大の目的は「ドル防衛」ではなかったかと思っています。2000年11月より、フセインはイラク産原油の決済をドル建てからユーロ建てに変更しました。フセインの行為は、彼がどれほど意識していたかどうかは別にして、中東が産出する大量の原油がドルを支え、ひいてはアメリカ経済を支えるという、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の基本構造を切り崩す、すなわち、アメリカの琴線に直接触れる行為です。

原油のドル決済は、アメリカにとっては、「ドルを印刷するだけで、原油を無尽蔵に手に入れる」ことができる、物凄いしくみです。更に、世界経済の生態系は、最大の国際商品である原油がドル建てであるがゆえに、世界中の財の取引もドル建てで決済され、ドルの需要が高まることで、ドルの基軸通貨が維持されている、というバランスになっているため、原油のドル決済は、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」の、要中の要となっています。仮に、ドルが原油の決済通貨でなくなれば(あるいはその比重が低下すれば)、ドルの暴落は避けられません。超資本主義が加速した後の、「ドルを機軸としたアメリカ資本主義」構造におけるアメリカのアキレス腱は、ドルの信頼性です。この信頼が大きく揺らぐと、世界からアメリカに集中していた資本が逆流し、米国内の長期金利が上昇し、景気に大ブレーキがかかり、不動産を含む金融資産価格は更に大暴落し、経済が大混乱に陥る可能性があります。当時のブッシュ政権の立場では、フセインを追放し、イラク原油のユーロ決済を阻止しなければ、アメリカはドル基軸通貨という莫大な利権を失うと同時に、アメリカ経済の基礎を崩壊させる可能性が高まるため、大量破壊兵器があろうとなかろうと、国際世論を敵に回そうと、その他のどんな理由があろうとなかろうと、この戦争(侵攻?)は不可避であったと私には思えます。イラクに大量破壊兵器が存在する、という情報は結局CIAの「誤報」だったとされ、アメリカ政府は自国諜報部門にその責任を負わせていますが、それすらも計算の上と考える方が現実味があるかもしれません。ブッシュ政権は、イラクを占領した後、イラク産原油の決済通貨を、早々にドル建てに改めました。

このようにして通貨と財の価値が織り成すバランスは、世界経済だけではなく、政治、軍事に大きく影響を与えており、かつ、表面的に議論の遡上に上らないため、生態系を観察、分析することで独自に理解せざるを得ない問題です。例えば、以上の観点で世界を見ると、イラク戦争をはじめとする多く、ひょっとしたら殆ど争いの原因は、(超資本主義)世界経済とお金の構造そのものにあると考えることが可能です。世界平和を願うのであれば、全く異なる角度から社会の生態系を理解しなおさなければならない、ということでもあると思います。

*(6) 田中貴金属工業株式会社のウェブサイトを参照しました。

*(7) 不兌換紙幣の本質とドルを管理するFRBについての記述は、前掲B・リエター著『マネー崩壊』に加えて、G. Edward Griffin, “The Creature from Jekyll Island” Fourth Edition, American Media, June 2002 が秀逸です。”The Creature…” は1994年7月の初版以来、2009年2月までに4回の改定と23回の増刷を重ねているベストセラーです。不可解なことに、本書の日本語翻訳版、エドワード・グリフィン著『マネーを生みだす怪物』、吉田利子訳、2005年10月、草思社、は今年になって全国のあらゆる書店から姿を消し、事実上の発禁処分を受けたのではないかと思えるほどで、裏を返せばそれ程真実が書かれているということなのかも知れません。現在アマゾンなどの中古取引で14,000円の値が付くなど、いわくつきの一冊です。英語を解される方は、著者グリフィン氏による、本書と同じテーマの講演がYouTubeにて視聴でき、こちらもお薦めです。

お金が生まれるメカニズムを簡単にまとめると: 国家の支出超過(前述の通り、政治は税金を少なく、支出を多くするバイアスがかかります) → 税収不足 → 例えば100万ドルの国債発行(要は、政府が紙に「借用証書」を印刷するだけです) → 国債を民間銀行などが購入(民間銀行は、購入した国債 ・・・すなわち、印刷しただけの「借用証書」・・・ を100万ドルの「資産」として帳簿に計上します。一方、政府は、国債の売却によって得た現金100万ドルで、橋を作ったり、公務員の給料を払ったり、各種支払を行います) → FRBの公開市場操作(典型的には、景気対策として、市場に「マネーを供給」するため、FRBが民間銀行などが保有する国債を買取り、その代金の支払を通じて、現金を市場に放出する行為です) → 代金はFRBが100万ドルの紙幣を印刷して充当(この時点で、先に政府が発行した100万ドルの国債をFRBが引受けたことになりますが、その代金の支払は印刷機によって「無」から生み出された紙幣によります) → 民間銀行の口座に国債の売却代金100万ドルがFRBから振り込まれ、民間銀行に預金が増える(マネタリーベースの増加) → 民間銀行は、新たに増えた100万ドルの預金に対して、900万ドルの新規の貸付が可能(昔、社会科で習った「乗数効果」です) → 900万ドルのお金(マネーサプライ)が更に、新たに、(無から)生まれる → 結果として、政府が100万ドルの借用証書を印刷することをきっかけに、何もないところから1,000万ドルの現金が生まれる。民間銀行は、もともと実体のない1,000万ドルのお金に金利を付して債務者に貸付け、債務者はこの実体のない1,000万ドルの債務に対する金利支払のために、多大な労働と、経済成長を強いられることになる。

因みに、FRBは毎年1~2兆ドル(100~200兆円)の紙幣を印刷し、ドルの6割はアメリカ国外で流通しています。最近ではユーロの欧州圏外流通量も急増しています。