『社会の生態系』 *(1)

社会の変容とともに、大半の病は、その症状とは別のところに原因が存在する、と考える東洋医学や統合医療が見直されていますが、サブプライム金融危機とそれに続く世界同時不況も、根本的な病理はその派手な症状とは全く別のところにあるような気がしてなりません。金融機能不全の原因はお金の構造そのものにあり、実体経済の構造不況は社会の根源的な価値観に起因していると感じます。

このような観点で社会の生態系を見直すと、私は今回の不況において、もっとも大きな影響を受ける経済圏は欧米ではなく日本であり、戦後60年かけて日本が積み上げてきた社会の構造そのものの再構築を迫られていると思っています。歴史を紐解くと、いつの時代も、新しい世界は最悪の経験を乗り越えた社会によって切り開かれてきました。私は、日本がこれから、世界のどこの経済圏よりも長く激しい大不況と、社会・経済の大構造転換を経験するのではないかと予想していますが、その経験によって、地球社会の新世代を切り開く役割を果たすことになるでしょう。なぜならば、日本社会は、一層深まる大不況と、天地が覆るほどの大構造変化だけではなく、①少子高齢化社会と年金・医療・財政の破綻、②家庭と教育の衰退、③労働の質の低下、④農業生産と食の危機といった、いずれやってくる世界の大問題を、世界のどの経済圏よりも真っ先に、そして今後の20 年間に凝縮して対処せざるを得なくなるからです。我々の世代がリードする次世代の日本は、この未曾有の苦難を乗り越えることで、現実的かつ効果的な地球社会モデルを構築する役割を担うことになるでしょう。その意味で、日本は今後の50年、世界をリードする使命と責任を有しているのではないかと思います。これは、過去60年間の資本主義の成長によって、「お金があれば幸せになる」という、人の頭の中で強烈に広まった価値観に起因して、破綻に瀕している世界の社会の 生態系を正常化するプロセスでもあります。このような変遷とともに、金融の世界も収益中心のアメリカ型金融から、価値中心・人間中心の新・日本型金融へと移行するのではないでしょうか。

アインシュタインが大正11年に日本を訪れた際に行った講演の中の1節*(2)です。

遠からず人類は確実に真の平和のために世界の指導者を決めなければなりません
世界の指導者になる人物は軍事力にも資金力にも関心を持ってはなりません
全ての国の歴史を超越し、気高い国民性をもつもっとも古い国の人でなければなりません
世界の文化はアジアにはじまったのであり、アジアに帰らなければなりません
つまり、アジアの最高峰である日本に
私たちはこのことで神に感謝します
天は私たちのためにこのような高貴な国を創造してくれたのです

アインシュタインの言葉は、現在のことを示しているのかも知れません。日本が世界からほんとうに評価されるのは、正にこれからなのだと思います。そして、今後の日本社会の行き先の道筋をつけるのは、周回遅れでトップを走る沖縄社会ではないでしょうか。

【2009.4.28 樋口耕太郎】

*(1) 「社会の生態系」は、トリニティ株式会社第三期(2008年12月31日期)事業報告の内容を、表記タイトルに合わせて修正したものです。pdfファイル(26ページ)をダウンロードしてご覧下さい。また、決算報告書を添付した「事業報告書バージョン」は、ウェブサイトのトップページから、「会社情報」→「事業報告」の画面よりご覧頂けます。

*(2) 1922年12月3日、東北大学で行った講演より。アインシュタインは1922年の11月から12月にかけて6週間にわたって日本を旅し、各地で熱烈な歓迎を受けました。北は仙台から南は九州まで、当時の、殆ど国を挙げての熱狂的な歓迎ぶりと、アインシュタインがこよなく日本を愛した様子は、『アインシュタイン 日本で相対論を語る』でも表現されています。本節の出典については、アリス・カラプリス編『アインシュタインは語る』林 一・林大訳、2006年8月増補新版、大月書店、287pを参照しました。この有名なアインシュタインの「予言」については、日本に対する意外なまでの高評価に納得できない方々(なぜか日本人です)が、出典を確認できない、アインシュタインの基本的な価値観と異なる、という「根拠」によって事実無根だと主張する向きもあるようですが、アインシュタインが日本に訪れた際の国民の熱狂ぶりと、日本を発つ2日前、「日本を科学的国家として尊敬するばかりではなく、人間的見地からも愛すべきにいたったのです」と記し、日本に対して大いな愛情を感じていたアインシュタインにとっては、むしろ自然な発言だと感じられます。 また、カラプリスは1978年から、アインシュタインが残した膨大な資料を整理・編集して出典を明らかにし、アーカイブにまとめる作業をほぼライフワークとされている方で、現在プリンストン大学出版局の巨大な出版事業『アインシュタイン全集』の社内編集者兼付随する翻訳プロジェクトの管理者を務めており、彼女の引用は数多くの原典、伝記、補助的な二次的情報源を重複的に参照しているため、信憑性は高いと考えるべきでしょう。いずれにせよ、われわれ日本人にとってもっとも重要なことは、この引用がほんとうにアインシュタインの発言によるものかどうかよりも、ここに表現されたような日本を、われわれ自身が心から求めるかどうかではないでしょうか。

沖縄のあちらこちらのビーチではもう海開き!
春を満喫しないままにもう夏を迎えようとしていますが、
お元気にしていらっしゃいますか?

早いもので、もうゴールデンウィークがやってきますね~。
あなたはもう何かプランを立てておいででしょうか。
慌しく忙しい毎日です、ぜひともゆっくりとした休息の時間をとってくださいね。

そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょう。
たくさんの人々が、朝から晩まで働きづめで、のんびり休みも取れない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠い。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。
子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。
自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。
だからこそ休息の時間を持つことは本当に大事なことだと思います。

じゃあ一体どんなふうに休めばいいんでしょう。
おうちでゴロゴロする? どこかにお出かけする? ……?

脳科学者の茂木健一郎さんの本を読んでいて、そのヒントをいただきました!
まず、人間の脳というのは、もともと、非常に「コントラスト」を好む傾向に
あるそうなんです。
明と暗、寒と暖、大と小…。
なぜなら、脳の中ではすべてが「コントラスト」で表現されているから。
「明」そのものにも、「暗」そのものにも情報はありません。ただ、明と暗の
コントラストにこそあるのです。
それは人間が、昼と夜という強烈なコントラストを描く地球という惑星の上で
脳を進化させてきた生物だから。
常に変化のない環境に暮らす生き物ならコントラストは必要ありませんが、
人間、そして地球上のあらゆる生き物は、コントラストを糧として
生命を養うように自身を作り上げてきたのです。
だから私達人間もまた、安逸と熱狂というコントラストを愛さずには
いられないのですね。ゆっくり休息する休日と、一生懸命働く日々と
いうように。

ニーチェが「舞踏」という言葉で神なき世の人間の営みを記述したように、
現代の人間は熱狂的な踊りのただ中で生きているようなものです。
でもその熱狂の本質を知り、生命学的な輝きを心ゆくまで味わうためには、
舞踏のただ中にいるだけではなく、魂を冷やし、身体を休息させて、
そのコントラストの中に、かつての熱狂を振り返る必要があるのです。
この休息の時間は、休息自体が目的なのではなく、生活や仕事が輝いていた
その時間の意味を自分の中で腑に落とす、落ち着きどころを見つけるためのもの
だとも思います。

そしてまた、休息のあり方にも注意が必要です。
例えば、徹底的に絶望すると、底に着くことができますよね。
そうすると、底が足がかりになって浮上していきます。それと同じように、
中途半端に休んでも上昇のためのエネルギーは発生しませんから、
休息の時間を持つなら、その前にまず、徹底的に踊り尽くさなければなりません。
そして休息もまた、底を打つくらい徹底しなければ、というわけです。
自分の中の低い、冷たい魂の硬質な手応えを感じるくらいでなければ
意味がないのです。
つまり、働く時も一生懸命なら、休む時も徹底して、というわけです。

でも、心地よく徹底した休息の時間を持つなんて意外と難しい。
例えば、携帯電話の電源を切ってみる、なんていうのはどうでしょう?
不可視の情報の網からオフラインになった瞬間、まさに安逸の底を打つ感覚が
あるかもしれませんね~。
そしてそれより遥かに深く、というか、遠く熱狂を離れるための対象が、
「宇宙」かもしれません。
宇宙のあり方や、地球の歴史について思いを巡らすことが、私にとって最大最強の
頭の休息の時間。だって、それ以上どうしようもないんですから!
たとえば今、温暖化の問題が騒がれていますが、全球凍結時代、地球全体が赤道に
至るまで完全に氷床に覆われた時代もあれば、そこから温度が100度も上昇し、
生物の形態が爆発的に多様化した、という時代もある。そういう地球の地質学的な
スケールの歴史に思いを馳せると、魂が冷却されませんか~?
要はどれほど大きな客観性を持てるかということ。そうして、直面している生活や
仕事を離れて、自分自身を眺めてみる。それはつまり、現在進行中の自分の思考や
行動そのものを対象化して認識するということです。
海をどこまでも潜っていって、到達した底にあるのは、地球かもしれないし、
宇宙かもしれません。その揺るぎがたい、大きなものに突き当たったとき、人間は
再び、熱狂の陽の下へ浮上することができるのだと思います。

あと、休息するには「距離感」も大切かもしれません。
現在ただいまの生活から、時間的にも空間的にも可能な限り距離を取ることも、
私達にとって休息の時間になります。
だから、あなたもこのゴールデンウィーク、頭の中の休息とともに、身体ごと
どこか遠くに行っちゃいませんか~?

いつも懸命に頑張っておられるあなたです。
ゆっくり休んで、う~んとしあわせな気持ちにひたって、
お休み明けからは、また優しい気持ちで、温かい世界に戻ってゆけるといいですね。

* わたくしの方は、出張も兼ねまして、
初めての、ベトナム(ホーチミン・ニャチャンビーチ)へ行ってまいります。

【2009.4.24 末金典子】