3月14日(土)午後7時より、「次世代金融講座」を開講します。ぜひご参加下さい。講座要項はpdfにてもご参照いただけます。次世代金融講座 要項 からダウンロードしてご覧下さい。

「次世代金融講座」 第1期要項

期間: 3ヶ月
講座: 第二・第四土曜日、午後7時より2時間程度(全6回講座) 第一回目は3月14日(土)午後7時
場所: 那覇市『厚生会館』多目的ホール(みずプラッサB棟3階)
〒900-0006 那覇市おもろまち1丁目1番2号3階、電話:098・867・7423

講師: 樋口耕太郎
定員: 100名
受講料: 3万円(消費税込、全6回講座分、学生は1万8千円)
受講資格: 業界・職業など一切不問
お申込み: 本ページ右下の「お問い合わせ」をクリックして、以下の内容をご送付下さい

①お名前
②メールアドレス
③ご所属と簡単な担当業務・役職
④ご希望など(もしあれば)

講座内容: 資本主義社会の変容に伴って、金融・経営・事業の役割や機能が大きく変化し始めています。我々が迎える全く新しい社会において、機能する金融とは、経営とは、事業とは、社会とは、を問い、より良い社会を構築するための論理的、具体的かつ効果的な処方を模索します。具体的なアプローチは:

・グローバル金融・経済・社会のメカニズムの本質を議論する
・今後の5年~20年間に想定される社会変容のシナリオを構築する
・社会で「常識」とされている金融・経営・事業理論や実践の合理性を、批判的に分析する
・現代社会の「生態系」を理解する
・社会問題(病理)の本質を議論し、対症療法ではない、治療のプロセスを特定する
・以上を前提とし、現在までの「常識」とは異なる視点を含めて、沖縄地区の潜在性を明らかにする
・沖縄地区で具体的に実行可能な、起業、事業、政策を、その優先度とともに議論する
・各人が各人の立場で、すぐに実行できる、具体的かつ効果的な行動を特定する

受講者の皆様へのメッセージ:

本ウェブサイトでもご紹介していましたので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、
私は、内閣府・沖縄県が主催する、金融人材育成講座におきまして、今年で
二年連続の講義を担当させて頂いています。去る1月24日の講座「沖縄型事業再生」も
盛況のうちに終了し、私自身も大変楽しく時間を過ごさせて頂きました。
みなさん大変熱心に受講して下さり、主催者のスタッフも、驚きながら、過去3年間、
約60の講義の中で、「休憩に入る前に拍手が沸き起こったのは始めてです」と、
教えて下さいました。 講義後のアンケートは、その大半が5段階の5。コメントも、
「こういう講義を受けたかった」「素晴らしかった」「3時間という時間があっという間に
経ってしまった」など、頂戴した私が読みながら、感動を覚えるものばかりでした。
それをお聞きして、とても嬉しかったと同時に、受講者の皆さんの思いがこんな形で
現れるのも、時代が大きな変換期を迎え、社会の構造や価値観が根底から変容する中、
私が四年前から確信している、「周回遅れでトップを走る沖縄型の社会・経済・金融」の
ビジョンと、みなさんが感じ始めている社会変容後の行き先のイメージが
合致しはじめたのではないかと思うのです。

誰もが実感しているとおり、社会では前人未到の大変化が猛スピードで進行中です。
過去の常識はもちろんのこと、数年前の経験があっという間に役に立たなくなるほどの
社会環境では、今までの常識、価値観、序列、経営理論、事業モデルが機能しないため、
どのように事業、経営、戦略、人事を考えれば良いのか、について合理的かつ明示的な
実践行動モデルが必要とされはじめています。企業経営においても、従来の「人事」という
狭い概念ではなく、資本家と経営者と従業員の人間関係をどのように機能させていくかは、
企業と組織の重大構造問題として顕在化することになるでしょう。
当時、本土からは「正気の沙汰ではない」と云われた、
サンマリーナホテルの「人間関係をなによりも優先する愛の経営」が
実践において極めて高い経営合理性を持つのと同様、
「非効率」で「遅れている」と考えられていた沖縄の社会や人間関係が、
今後の全く新しい社会の構造と価値観において、もっとも合理的に機能することが、
次第に、やがて激流のように明らかになるでしょう。

この変容の中で、「周回遅れでトップを走る、沖縄型社会・経済ビジョン」を模索し、
広く共有し続けるため、そして、単発でなくこれからも講座を定期的に続けて欲しい、
という多くのみなさんの気持ちをつなぐため、3月14日(土)より、『次世代金融講座』を開く
運びとなりました。この試みは、単なる講座ではなく、沖縄を中心とした、
幅広い異業種間の、意識の高い次世代のリーダーを、利害によってではなく社会への
高い意識と共感によって繋ぎ、グローバルな目線と先端経済の動きを敏感に捉え、
まじめな経済模合風に運営する、人的ネットワークとして運営しようと考えています。

既に申込みが入り始めているのですが、驚いたことに、
「このような講義は東京にも存在しない!」、という趣旨で、東京の著名法律事務所の
弁護士さんが、毎月二回沖縄までわざわざ通ってくださる前提で申込みを頂いたり、
私の話を何度も聞いているはずの、金融人財育成講座の事務局長も「何回もじっくりお聞きしたい」と
申込んでくださったり、そのほか、公認会計士、県内大手企業の経営者や企画担当、県庁職員、
一級建築士、学校経営者、ホテル業界企画担当、銀行、証券、金融サービス、県外経営者、
一般企業経営者の方々や企画担当者、自営業オーナー、そして、サンマリーナホテルの従業員!
などなど、多様な方々が申し込んでくださっています。

講座名称は、「金融」と銘打っていますが、これは、次世代社会において、事業と金融が
不可分に変容するという想定に基づいているもので、要項にもありますとおり、
受講に際して、業種・職種・タイトルなどをまったく問いません。是非ご参加頂ければと
思います。

樋口耕太郎

お元気ですか?

今日は桃の節句ですね~。
この節句は中国から伝わったもので、この日に川で手足を洗って心身の穢れを
祓ったといいます。
日本では、穢れや邪気を、身代わりの人形に移し、川や海に流し、川原や海辺で
干し飯やあられを食べて楽しんだのだとか。

子供の頃、おばあちゃんが、飾ってくれたお雛さまの前で、
どうしてひな祭りの日には、はまぐりの潮汁・白酒・ひし餅・などを食するのか
という話をしてくれたことを思い出します。
お膳にはその他、ちらしずし・桜餅・桜漬け・鯛の尾頭付き・ひなあられ・
菜の花のおひたし・白酒などが並んでいましたっけ。
だから私にとってひな祭りの日は、10年前に逝ってしまったおばあちゃんを
思い出す日でもあるんです。

その私のおばあちゃん、よくこんなことを言いました。
「電車で出かけんねんて?  板チョコ、持って行きなさいや」
お楽しみのために板チョコを持たせようというのではありません。
電車が故障したり事故にあったりして止まってしまったときの備え。
車内に閉じこめられたとき、板チョコを食べてしのぐのです。
友達と遊びに行くときにも、小さなおむすびを作って追いかけてきましたっけ。
たくさんの子供を産み育て、戦争を始めさまざまな災難をくぐり抜けてきた祖母。
生き抜くための備えには敏感でした。口うるさい質ではなかったので、
その注意はもっぱらお転婆な私に向けられていたようです。
祖母は、寝る前には枕元に、明日身につける着物類のほかに、板チョコ、
水の入った小さな水筒、タオル、足袋、懐中電灯が入った巾着袋を置いて
いました。「赤ん坊がいたころには、おむつと肌着も入れてたもんやで」
子供ごころに、大げさな、と言って笑いました。
でも、祖母の備え癖は、私になんらかの影響をもたらしたものと思われます。
私の家には“災害時非常持ち出しリュック”がいつも置いてありますもの。
生活というものは、不意のことと驚きの連続です。
望ましいのも、望ましからぬのもあり、そのどちらもが、本当に突然、
やってきます。
大人になってから、その実感はいっそう大きく私の胸に住みつくように
なりました。そして、見えてきたのです。祖母は備えるだけ備えてしまうと、
あとはさっぱり先のことは考えませんでした。まだ起きていないことを
心配したって仕方ないと思っているみたいでした。
「心配事や災難が降り掛かったら、そのときは、ここにいるみんなで一緒に
困りましょう」
という佇まいです。
わが祖母ながら、なんだか素敵。
十年前に逝った祖母に今度会ったら、たくましくもたおやかな立ち姿を
見せてくれてありがとう、とおじきしなければなりません。

そのおばあちゃんがとても大切にしていたのが、「こんにちは」「さようなら」
といったあいさつの言葉でした。

きわめて基本的な、あいさつのひとつなのに、じつはあんまり使われていないのが
この「さようなら」。
お友達と会って別れる時は、「じゃあね」とか「またね」とか「バイバイ」と
言ってしまうから「さようなら」は出てきません。
また一方、仕事の時も、「では失礼します」「ではよろしくお願いします」
さもなければ「じゃあ、そういうことで…」一体何が「そういうこと」なのか
わかりませんが、とにかくそれが別れのあいさつになっています。

あなたは最近「さようなら」の言葉を使われましたか?
最後に使ったのはいつでしょうか?

自分ではもう、ほとんど使わなくなっている「さようなら」を
あらためて使う時ってどうだったかなぁ…と思い出してみると、
それは、もう二度と会わないかもしれない相手や、遠い外国に住んでいて、
当分会えなくなる相手との別れの時。そういう場面では、確かに自分も
しっかりとした「さようなら」を相手の目を見て言った記憶があります。
長い長い別れや、重い別れ、そしてまた永遠の別れ…。
人は今ではそういう時のために、究極の別れの言葉として「さようなら」を
とっておくのかもしれません。

こんなことも思い出しました。小学生の頃から通っていた茶道教室の先生は、
私達を送り出す時、いつも決まって「さようなら」と、ていねいに頭を下げて
おられました。その別れがなんだかとても心地よくて、うっとりした気持ちで
家路についたことを覚えています。
そしてまた、私が訪ねるといつも家の外まで見送りに出て、こちらの姿が
見えなくなるまで手をふりつづけるおばあちゃんも、「さようなら」を
美しく言う人。
お茶の先生は言うまでもなく、「一期一会」という茶の湯の心を毎回のあいさつに
こめていらっしゃったのだろうし、祖母は祖母で日頃から言葉のひとつひとつを
とりわけていねいに言う人だから、日常的な別れさえ手軽に扱わないわけです。
ひとつひとつの別れをていねいに心に刻みつけようとしていたに違いありません。

そのおばあちゃん、10年前に私に会いに沖縄に来てくれて、何泊かを一緒に過ごし
大阪に戻ってから私の家の留守電にこう吹き込んでくれていました。
「典ちゃん、おばあちゃんです。
沖縄ではお世話になりましたね。本当にありがとう。
今ね、お土産にいただいたケーキをおじいちゃんのお仏壇に供えて、
思い出話をしてるのよ。沖縄はとっても楽しかったわぁ。
いい思い出になりました。本当にありがとう。
これからも身体に気をつけて、自分で一番いいと思う道を
悔いなく生きなさいね。
典ちゃん……さよなら」

その1週間後におばあちゃんは本当に逝ってしまいました。

だから特別な響きのある「さようなら」。
ひとつひとつの出会いと別れを、今よりもっと大切に扱うようになった時、
私にも自然にそういう「さようなら」が日常的に言える人になるのでしょうか。
今月は卒業式や転勤など、別れの季節です。
素敵な「さようなら」を言いたいものですね。

長くなってしまいましたが、
今日は古式ゆかしく、ひな祭りを祝おうと思っています。

【2009.3.3 末金典子】