お元気ですか?
沖縄は久しぶりに台風が直撃しましたが、あなたは大丈夫でしたでしょうか。
金曜日はさすがにバスも終日運休しましたので、仕事もお休みさせて
いただきました。
昨日は本土で大きな地震もあったりと、天災続きでたいへんな連休に
なってしまいました。お見舞い申し上げます。

さて、昨日は海の日でしたね。あいにくの雨で海水浴も叶わず、
お部屋の窓から雨模様の海を眺めてすごしました。

太陽系の惑星の中で、海があるのは地球だけです。生命が存在するのも…。
そして、青い惑星と呼ばれるように、私たちが住むこの地球の70%は海です。

地球ができたのは今から46億年前。ごく小さな惑星同士が衝突・合体を
繰り返して、しだいに大きな惑星ができあがったと考えられています。
衝突の熱のため、当時の地球は、1700℃くらいの高温。ドロドロに溶けた
マグマが地表をおおい、水蒸気や窒素、二酸化炭素などを含むガスが上空に
立ち込めていました。その後、地球の温度が急速に下がると、ガスの中の
水蒸気が冷え、雨となって地上に降り注ぎます。これが海の始まりでした。
今から43億年ほど前のことです。

この雨にはガス中の塩化水素が多く溶けていたため、最初の海水は
塩酸のようなもので、とても生命の住める環境ではありませんでした。
しかし海に接する岩石から、ナトリウムやカルシウム、カリウム、
マグネシウムなどさまざまな無機物がしだいに溶かし出され、
大規模な中和反応が起こります。その結果として、今のような、塩辛くて、
ほぼ中性の海ができあがったのです。

この海の中で、炭素化合物の一種であるアミノ酸が自然合成され、
そのアミノ酸が集まって作られたたんぱく質から、最初の生命体が生まれました。
アミノ酸の生成は化学反応の一種であり、水の分子のないところでは
むずかしかったと考えられます。またオゾン層の形成されていなかったこの時代、
強烈な紫外線が降り注ぐ地上に、生命体が住むことは不可能でした。やがて、
少しずつ進化した原始的な海中植物の中に、二酸化炭素を取り込んで酸素を出す
「光合成」を行うものが現れたことは画期的でした。この酸素を取り入れて
呼吸する「動物」が出現。その後長い進化の歴史を経て、私たち人間が
生まれたのです。

このように、海は、私たち人間が生まれるずっと前からこの地球に
存在しています。私たちが知りようもない遥か昔の記憶がそこには刻まれて
いるのです。
生命の誕生と死、地球上で繰り返される闘いと破壊、人間の豊かさと愚かさ、
海はすべてを見ています。
私たちは昔から、海に対してある種の浪漫を抱いてきました。
見ることのできない海の彼方に想いを馳せ、様々な夢や伝説を創り出して
きました。
私たちの想像力をかきたてる未知なる海は、たとえて言うなら、母なるガイア
(地球)の羊水。私たちの生命の源がそこにはあるのです。

不思議なことに、お母さんのお腹の中で赤ちゃんを育む羊水は、
ミネラルバランスなどの組成が、古代の海水と大変似ているそうです。
広い海を眺め、波の音に耳を傾けていると自然に心が癒されるのは、
海が私たちのふるさとだからなのかもしれません。

そんな海は、誰もが普段身につけている鎧を脱ぎ捨て、裸の自分に戻れる場所。
そこでは自分を偽ることができません。子供がどんなにウソをついたり
ごまかしたりしても、お母さんには全部ばれてしまうのです。
私たち子供は、母なる大自然には何ひとつ勝つことができません。
今回の台風や地震の爪痕ひとつとってもそうです。
どんなに虚勢を張ってみても、いえ、虚勢を張れば張るほど、ちっぽけな自分が
浮き上がってしまいます。
この夏、そんな自分の弱さを認めて、海に思いきり甘え、私たち生命の源に
帰って、その大いなるメッセージに耳を傾けてみませんか?
夏はエネルギーが解放される季節です。じっくり自分を見つめる時間を持ち、
あなたの内面に手をかけてあげてくださいね。

【2007.7.17 末金典子】

「金融・資本市場は効率的なしくみである」、という資本主義の第一の幻想について議論を続けます。前二稿でコメントしましたが、社会全体で見た場合、付加価値の源である事業会社が、金融業者の利益を実質的に負担するということは、金融業者の利益を事業会社が「余分に」稼がなければならない、と言うことであり、事業会社が資金調達の際に負担する資本コストはその分「割高」であることを意味します。結果として、資本市場の代表的機能である株式上場も、非常にコストの高い資金調達手段です。多くの事業経営者が、株式上場を有効な事業戦略、あるいは成功の証と考え、会社発展の重要な一里塚と位置づけていますが、株式上場が事業に対してどれだけの経済的負担を伴うかという現実を本当に理解している経営者は稀だと思います。

一般に、株式の新規上場を含む時価発行増資は、企業が調達する様々な資本の中でも最も資本コストの高い調達方法ですが、この単純な事実は意外なほど理解されていないようです。それどころか、株式は借入金と違って返済期日や約定金利がないために、コストがゼロだと考えている経営者や、配当が株式の資本コストだと考えている経営者もいるくらいです。本稿は、事業経営における資本コストの本質的な意味と、上場企業が負担する資本コストの実態を明らかにすることで、資本市場の構造を直視しようという試みです。

資本コストの本質
第一に、資本コストは、調達した株主資本に対して、経営者が責任を負う事業収益であることから、実質的な債務と考えられる点です。調達手段が株式か負債かという違いは、本質的なものではありません。負債の場合、あらかじめ約束された期日に返済できなければ債務不履行になりますが、上場株式の場合、資本コストに相当する事業収益が生み出されなければ、株価が下落し、それが長期間継続すると、経営者に対する株主からの提案や、場合によっては経営権取得を前提とした株式の買い付けなどが生じます。負債の債務不履行ほど迅速ではありませんが、長期的には経営陣の交代などによって、実質的に債務不履行とおおよそ同様の結果に至るのです*(1)。株式上場における資本コストとは、それだけの収益を「約束」したという意味で、経営者が出資者に対して責任を負う「借入条件」であり、必要な収益を生み出せなければ立場を失うという意味で、資本市場が上場企業の経営者に課す「みかじめ料」であり、経営者としての職責を全うし、株主に対する「約束」を守るための収益基準であるという意味で、経営者が出資者を裏切らないための必要条件、と言えるのです。

第二に、資本コストは経営者が株主と交わす言外の「約束」事ですが、その約束の内容は、株式の時価発行増資における株価によって規定される、・・・新株発行時の時価総額が、企業にとっての資本コストの負担量を決定するという関係にある点です。新規上場においては、より大きな時価総額と、より多額の資金調達をもたらすため、経営者や証券会社の間では、高い株価での発行が無条件に喜ばれる傾向がありますが、株価(時価総額)が高いほど、株主へ多大な約束を行うことを意味し、その後永遠に続く資本コスト負担が増大し、資本コストのために事業を拡大するという本末転倒が生じ易くなります。目先の資金調達の額と「より良い」売り出し条件に目がくらみ、経営者がより高い発行株価を望むことによって、実質的に実行不能な「約束」を株主にしてしまうケースが後を絶ちません。

例えば、5億円の当期利益、資本コスト10%のA社が上場する際、毎年の適正な利益成長の見積もりが5%であるならば、A社は、5%(資本コスト10%-利益成長率5%)の益利回り、PER20倍の株価、時価総額100億円と評価されます。これに対して、経営者仲間に見栄を張ろうとしたり、証券会社に煽られたり、自分の借金をまとめて返済したいと言った個人的な利害が気になり始めたA社の経営者は、欲を出して、より高い株価で上場しようと思い立ちます。事業計画にそれらしい新規事業を盛り込んだり、事業拡大のペースを前倒ししたり、人件費圧縮のために採用計画を遅らせたりするなど、計画を修正して毎年の利益成長を7.5%と表明することにしました。これによって当期利益5億円のA社の評価は、2.5%の益利回り(資本コスト10%-利益成長率7.5%)、PER40倍の株価、時価総額200億円と、当初の倍の株価で資金調達を行うことができるのです。

企業実体が全く同じでも、将来の利益成長率を僅か(この例では年率2.5%)上昇させただけで、株式の時価総額が倍(100億円から200億円)になるほどのインパクトがあります。A社の経営者にしても、毎年わずか2.5%程度の利益成長なら、ちょっと事業で無理をすれば実現可能であるように思えますし、その程度の違いで時価総額が倍になるのであれば、とてもうまい話ではないかと考えがちです。しかしながら、この発想の第一の問題は、この2.5%の違いによる利益を享受するのが、主に経営者自身(特にオーナー経営者)であるに対して、その差を生み出す原動力は従業員の永遠の努力に依るという、重大なコンフリクトが生じる点であり、第二に、2.5%の利益成長率の差(将来の当期利益の合計の差)は、単年度で比較すると僅かの違いのようですが、長期間では莫大な額になるという点です。当初のファイナンス(5%成長)では、30年間で合計332億円の当期利益が要求されますが、修正評価によるファイナンス(7.5%成長)では、同じく合計517億円の当期利益を生まなければ、株主に対する「約束」を満たすことができず、株価が下落するという考え方です。30年間の資本コストの差額の合計は、実に185億円(517億円-332億円)にも上るのですが、これは、資本コスト計算の分母(時価総額)が100億円から200億円に倍増したことの30年分の対価です。このように、資金調達額の如何に関わらず、A社の上場株価(正確には公募株価)によって、経営者が株主に「約束」する資本コストが332億円から517億円まで変化します。上場株価はこれほど重大な意味を持つものですが、このケースにおいては(そして、このようなケースは余りに一般的ですが)、A社の経営者が、自分の経営者仲間に見栄を張り、自分の借金を返済するという目的のために、自社の全従業員に対して、30年間で185億円の利益を追加で生み出すことを強いているという意味でもあるのです。

ROE 10%
このように考えると、資本コストは経営者にとって極めて重要な経営指標である筈なのですが、書籍を開いても、理論的な枠組みが抽象的に議論されるばかりで*(2)、経営に使えそうな具体的な数値になかなか辿りつきません。色々な情報を総合して、感覚的に捉えると、市場金利の水準や、個別企業によって変化するものの、一般的な上場株式の資本コストは、恐らく8%~15%程度ではないかと思います。結局実務的には、例えば「ROE 10%」と、大雑把ながらシンプルに捉えることが、意外に有効ではないかと思います。ROE(Return on Equity:株価収益率)は、一般に、「来期予想の税引き後当期利益」を「簿価純資産」で割ったものですが、分子が来期の予想利益を基準にしているために、成長率の概念を内包していますし、分母は簿価純資産を基準としているため、短期的な株価の変動に左右されにくく、長期間の経営指標としては、(特に、過剰なレバレッジや、純資産から極端に乖離した株価での時価発行増資がなければ)資本コストと非常に近い数値になると考えられます。「10%」は突き詰めると僕の直感によるものですが、一定の根拠として、(i)日本の上場企業の平均ROEは、かつて70年代におおよそ10%前後で推移した後、80年代から2000年前後までの20年間でほぼゼロ近辺まで低下して底を打ち、2002年以降急上昇しながら、最近は10%前後に回復していること、(ii)日経平均の長期間における配当込み複利年率リターンが12.7%であること(1950年12月末から2000年12月末までのデータ:氏家純一編『日本の資本市場』より)、(iii)英・米・独の先進国では、過去30年間おおよそ10%から15%のレンジで推移していること、(iv)日本が伝統的に低ROEであった要素(株式持合いや様々な規制など)が崩れ、資本の移動が国際化するにしたがって、今後も欧米主要国の水準との差が縮まる傾向にあると予想されること、(v)汎用性のある指標とするために、心持ち低目の水準であること、などがあります。

以上を前提とすると、ROE 10%を(永遠に)継続することが、上場企業の経営者であるための必要条件となりますが、現実的に極めて高いハードルであり、それどころか、この基準を長期間満たす企業は、4,000社の上場企業の中でも、本当に数えるくらいしか存在しません(後述および*(4)参照下さい)。必要条件でありながら、それをクリアできる企業が殆ど存在しないという事実が、資本市場の歪みを象徴しているかのようです。資本コストを満たさなければ、経営者はどこかの時点で必ず株主の期待を「裏切る」ことになるため、現実には株主を裏切らずに経営を行う経営者が殆ど存在しない、ということを意味します。

…以上の議論は、現在あるいは将来の経営者に対する批判や、上場の正否についてのアドバイスなどを行うものではありません。資本市場というメカニズムが、資本の運用者(経営者)に対して要求する収益の水準を明らかにするという趣旨であり、現状認識のアプローチのひとつです。例えば、現在の資本市場は、株主資本を10%で調達するためのメカニズムである、と…大掴みではありますが…考えることができるのです。

サラ金よりもコスト高
上場株式の資本コスト(≒ROE)は企業の当期利益、すなわち税引後利益が基準になっています。したがって、借入れなど、損金参入が可能な資本コストと比較した経済負担は、法人実効税率を40%とすると、実質的に1.7倍近くになります。すなわち、10%の株式資本コストは、借入金利の17%*(3) に相当すると考えることができるのです。ちなみに、17%は利息制限法の上限金利を超過している水準です。更に、株式上場に伴って、その日から永遠に、年間5,000万円から1億円の費用が追加的にかかると言われています。具体的には、株主総会やIRの費用、証券発行費用、各種届出書・報告書作成費用、上場維持費用、公租公課、監査法人、弁護士会計士等費用、IR担当者の人件費、企業統治・コンプライアンスの整備費用などが該当し、更に、コンプライアンスの強化に関する日本版SOX(サーベインズ・オックスリー)法などの導入によって、実質的な費用が上昇する傾向にあります。例えば、新規上場時に50億円の資金を調達した企業は、税前相当の資本コスト8.5億円(50億円×17%)+上場関連費用1億円の費用が生じ、これらの合計は実質的に19%((8.5億円+1億円)÷50億円)の借り入れと同等の経済行為となります。以上の様に、そもそも株式上場による資金調達は、サラ金からお金を借りて事業を行う以上に資本効率が悪い、という側面があるのです。

資本コスト「10%」企業は例外的
株式の資本コストは、企業が上場している期間、複利で永遠に求められる収益であり、理論的には企業収益がこれを下回ると、株価が下がり、最終的には経営責任を問われる性質のものです。しかしながら、資本市場が要求する資本コストを永続できる企業は、数える程しか存在し得ないことが計算上明らかです。例えば、簿価純資産100億円で新規上場した会社が、10%の収益を複利で継続すると、ほぼ50年後には簿価純資産が1兆円を超えますが*(4)、日本の全上場企業約4,000社のうち、簿価純資産が1兆円を超える企業はわずかに40社弱、その40社の中で最も純資産額の小さい企業でも、日立、任天堂、三菱地所など、日本を代表する大企業です。毎年何百と上場する事業会社の一体何%が、将来この水準の企業に成長することができるというのでしょう。

株式上場:まとめ
現在の資本市場において、株式を上場するということは、すなわち:

①新規上場を含む時価発行増資において、目安として「ROE 10%」の資本コストが要求されます。
②「10%」の資本コストは、実質的に17%の金利で借入を行う行為と同等の負担を企業に課します。
③「10%」の資本コストを永続できる企業は実質的にほとんど存在しません。
④時価発行増資の際、特に新規上場において、経営者は企業の成長予測を甘く見積もり、株主に対して資本コストを過大に「約束」し、その負担を従業員の将来の労働に転嫁する傾向があります。
⑤一般に、資本市場が企業に要求する資本コストは、事業実体に比較して高すぎるため、資本コストを賄うために、事業を無理に拡大するなど、経営者は本末転倒の事業経営を強いられがちです。
⑥その結果、あるいはその過程において、労働分配率を低下させ、従業員に対して本来不要な労働を大量に課し、株主に対して多くを語らず、重要な情報を明確に開示せず、あるいは程度の差こそあれ「ごまかし」を行い、粉飾、隠蔽、虚偽記載、不適切な経営行為が横行する、現在の「企業文化」を生み出している可能性があります。
⑦したがって、上場企業はその構造上、その大半の経営者が、多かれ少なかれ、自覚していようといまいと、いずれどこかの時点で、必然的に株主との「約束」やステイクホルダーを裏切ることになる可能性が高いと言えます。
⑧情報開示が四半期ごとに求められるようになり、矛盾する事実の辻褄を合わせるために、更に矛盾点を拡大するという悪循環に陥っています。

つまり、現在の資本主義社会と資本市場のメカニズムにおいて、株式上場は既に「良い金融」(『次世代金融論《その4》』参照下さい)ではなくなっているのです。上場企業の経営者が、ステイクホルダーに対して誠実であり、(金融のためにではなく)事業本位の経営を優先することは、不可能と言わないまでも、非現実的と考えるべきでしょう。多くの経営者にとって、喜びだったはずの株式上場が、四半期決算発表ごとの恐れの種になり、彼らの最大の悩みは「なぜ上場してしまったか」、という笑えない話も耳にします。上場を選択しない大企業の経営者は直感的にこの点を理解しているのですが、上場を選択することの正否は別にして、上場の本質やメカニズムを理解し、資本コストが事業に与える影響を掘り下げて理解することは、多様な観点による経営判断を可能にすると思います。

次世代金融
以上の問題に対して根本的な対処を行うためには、

①現在の株式市場への上場を事業戦略として選択しない、
②資本市場への上場よりも株式資本コストが低く、効率の高い資金調達(次世代金融)を行う、
③資金調達において、自社の成長率を適正あるいは保守的に見積もる、

という選択肢が合理性を持つのです。

『次世代金融論《その3》』でコメントしたように、仮に、社会全体で見た場合、実体経済が金融に対して、全収益の「40%」を費用として支払っているのであれば、次世代金融は、企業の資本コストを10%から最大6%まで減少させる可能性を秘めているのです。6%の資本コストで株式資金をふんだんに調達することができれば、事業はどのように変わるでしょう?

前述のA社は、資本コスト10%、5%成長を前提としたファイナンスの対価として、30年間で合計332億円の当期利益が要求されました。もし、次世代金融市場から要求される資本コストが6%であれば、A社の成長率は1%、30年間で合計174億円の当期利益を提供すれば足ることになります。この資本コストの差額、 …158億円(332億円-174億円)の利益、 …税引き前相当では263億円(174億円÷(1-40%))の費用、 …年間平均では実に8.8億円(263億円÷30年)… を原資とすれば、より多くの従業員を、より良い条件で雇用することができないでしょうか。従業員が、より自分の好きなことに打ち込む機会を得、経営者は、いたずらに事業の量的な拡大を追わず、質の高い商品と正直なサービスに注力することができないでしょうか。

【2008.7.9 樋口耕太郎】

*(1) 安定株主を含み、発行済み株式の50%超を経営者が実質的に保有する場合、確かに法律行為として経営者が解任されることはないのですが、現実には、経営者(一族)が過半数の株式を保有している上場企業は極めて少数派でもあり、十分な企業収益が伴わなければ経営者に対する直接間接のプレッシャーは相当高まるでしょう。資本コストに関する一連の議論は、『トリニティの企業金融論』6~11ページ(II. 資本コスト)を参照下さい。

なお、本稿のテーマは上場会社に関するものですが、未上場会社であっても、株主として事業パートナーを募る際には、本質的には全く同様の法則が適用します。

*(2) 資本コストは、例えばモダンポートフォリオ理論において、ノーベル経済学者ウィリアム・シャープが創案した資本資産価格モデル(CAPM:Capital Asset Pricing Model)によって定式化されています。考え方は非常にシンプルで、①リスクと資本コスト(リターン)は比例する、②株式の資本コスト(Re)は、信用リスクが存在しないと考えられる長期国債の利回り(Rf)に、株式市場のリスク(Rm)、当該株式と市場の連動性(β)の各要素を加味したもの、というものです。

Re=Rf+β(Rm-Rf)

Re: 株主資本の資本コスト (期待総合利回り)
Rf: リスクフリー・レート(一般的には長期国債利回り)
Rm: 株式市場の期待収益率(株式市場全体に対する期待総合利回り)
Rm-Rf: 市場のリスク・プレミアム
β: ベータ値(当該株式と、株式市場の連動性)

定式化されているといっても、変数が定まっているわけではないため、個別株式の資本コスト(Re)がいくらか、という根本的な問いに回答を提供するわけではありません。株式市場のリスク・プレミアム(Rm-Rf)は5~6%と言われながら、決まった数値が存在するわけではありませんし、リスクフリーレート(Rf)も、例えば日本の超低金利環境で10年国債利回りを使用することがどれだけ妥当かという問題もあります。

*(3) 実効税率40%で税金を支払った後の10%の株式資本コストは、損金参入が可能な17%の金利を支払うのと同等の負担と考えることができます。10%÷(1-40%)=16.6666%

*(4) 現実的な想定ではありませんが、50年間配当を行わないという前提で計算しています。しかし、この点を差し引いたとしても、資本コスト10%を永遠に継続できる企業は、数える程しか存在しない、という事実は変わりません。

2008年7月9日現在で、簿価純資産が1兆円を超える日本企業は、トヨタ、三菱UFJ銀行、NTT、三井住友銀行、ソニー、NTTドコモ、みずほ銀行、東京海上日動、松下電器、東京電力、キャノン、ホンダ、JT、日産自動車、デンソー、KDDI、関西電力、三菱商事、7&I、富士フィルム、中部電力、武田薬品、JR東日本、野村證券、新日鉄、豊田織機、三菱重工、三井物産、京セラ、JFE、シャープ、第一三共製薬、ブリヂストン、三菱地所、損保ジャパン、任天堂、住友信託銀行、九州電力、日立、の39社です。(QUICKのデータ、7月9日の株価・PBRより算出)

前回のエントリーでは、資本主義の第一の幻想について、資本主義を支える金融・資本市場の利用コストが高く、お金の流通メカニズムとして非効率であることを指摘しました。社会全体で見ると、付加価値を生み出す主体は実体経済であるため、金融業の利益は、実体経済が稼いだ利益の中から、お金のやり取りに際して生じる「摩擦」分を、実体経済に対して請求したものです。本来、金融は、事業者をサポートする黒子であるときに、最も社会的に寄与する存在ですが、事業者が生み出した利益を流通過程で収受することで、全企業利益の40%(米国のケース)を「稼ぎ出す」金融業の姿は、不健全を通り越して異常事態といっていい程です。2006年度のニューヨーク州調査によると、ニューヨーク市内の証券会社で支払われたボーナスの合計は約2兆8,200億円。社員1人当たり約1,600万円。特に、ゴールドマン・サックスは全世界の社員に平均約7,300万円の報酬を支払い話題になりました。・・・念のために、これは社長でなく、社員への平均支給額です。同年度、ゴールドマン・サックスのロイド・ブランクファインCEOが受け取ったボーナスは約63億円で、ウォール街の最高額を更新したそうです。社会全体で見ると、金融業界の利益の源は事業会社の稼ぎであるため、事業会社はこれだけの利益を負担するために、質の高い実業を行う余裕を失い、不毛なM&Aと、「合理化」と称する大量解雇に明け暮れ、正社員を削減し、従業員を驚くほどの低賃金で酷使することになります。・・・ウォール街の莫大な収益を支えるために、労働者の30%が時給8ドル以下の労働を余儀なくされているような社会システムが、いずれ崩壊するのは必然ではないかと思います。

サラ金からお金を借りて事業をしようとする事業家はいないと思いますが、アメリカは社会全体で見ると、既にそのような状態に陥っています。・・・それどころか、サラ金を通り越して、闇金並みの利率40%を金融・資本市場に払い続ける国が、世界で最も豊かとされているのは、アメリカン・ブラックユーモアなのでしょうか。アメリカは世界に先駆けてこのような金融主導型社会を構築してしまったため、永遠に金融収益を拡大し続けなければならない立場に自らを追い込んでしまいました。国際金融資本はウォール街というマッドサイエンティストが生み出したフランケンシュタインのようなものです。ドルを基軸通貨として好きなだけ紙幣を印刷しても、85年のプラザ合意、95年以降の日本版の金融ビッグバンなどの政治的枠組みで日本市場を草刈場にしても、自国の中産階級を崩壊させながら実体経済を焼け野原にしても、フランケンシュタインの空腹感が満たされることはありません。最近では、グローバル経済・金融市場の構築と、金融工学を駆使した証券化による大量の信用創造などによって、本来価値のない証券にAAAの格付けを付して世界中に大量に流通させ、サブプライム危機をもたらしています。…日本ではこのような社会をモデルとした「構造改革」が、1995年の橋本政権以降、(小渕)-森-小泉-安倍-福田とバトンを手渡しながら急速に進行しています。

良い金融、悪い金融
刃物が人を殺すのではなく、扱う人の問題であるのと同様に、金融もそれ自体善でも悪でもありません。どのような金融が社会的に効率が高く・・・すなわち社会を豊かにし・・・、どのような金融が社会を弱体化させるか、という「良い金融」と「悪い金融」を区別して理解する必要があります。「良い金融」とは事業機会を創出し、実体経済を豊かにするもので、事業のために金融が機能する状態です。「悪い金融」とは事業収益の成長分を金融が収受するもので、金融機能が実体経済の足枷となっている状態です。高い金利が必ずしも「悪い金融」ではなく、事業収益とのバランスが最も重要です。例えば、後述するグラミン銀行の事例のように、人の生活を豊かにする利益率600%の事業が社会に存在するとき、20%の金利で資本を提供する行為は、「良い金融」である可能性があります。・・・それどころか、このケースでは200%の金利を請求しても、債務者の生活を助け、社会的な意義が存在するかも知れません。

成長社会に投下される金融資本は、当初は小額の資金が非常に高い利回りで運用されます。一般に、経済が高度成長から安定成長へ移行するに従って、社会が豊かになったことの証として、社会の事業収支はどこかで必ず大きく低下します。単純に考えて、年率20%で資本が運用されれば、5年で2倍、10年で4倍というように、運用資本が等比級数的に増加して行く反面、社会が経済発展を遂げ、成熟するにしたがって、実体経済における高成長事業はどんどん減少していきます。また、例えば100億のファンドと1兆円のファンドでは、前者のほうが圧倒的に運用しやすいという性質があります。したがって、社会が経済成長を遂げるにつれ、倍々ゲームで増え続ける大量の資本を、成熟した実体経済にそぐわない高利回りで運用せざるを得ないという、ギャップが必然的に生じるのです。社会的に最も合理的な行為は、金融専門家がこのギャップに相当する運用資本を投資家に戻すことであり*(1)、恐らく本質的にそれ以外の解決方法は存在しないのですが、資本主義社会において、資金の量は社会に対するコントロールと自らの存在価値そのもの(『次世代金融論《その2》』ご参照下さい)であるため、現実にそうなることは稀です。次善の策として、資本主義が持続するためには、増え続ける運用資本を高利回りで運用するために、新しい金融市場を永遠に開拓し続ける必要が生じます。ウォール街が得意とする革新的な金融工学と、アグレッシブなバンカーたちによって、資本市場とIPO、ベンチャーキャピタル、債権トレーディング、エマージングマーケット、金融デリバティブ、ジャンク債、証券化、プライベートエクイティなど、創造的な金融商品と市場が大量に開発され続けて来た背景はこのようなものだったと思います。しかし、どこかの時点で、投資家が期待する高利回りの運用が可能な実体経済が、運用資本の量に見合うほど存在しなくなると、投資家はやはり必然的に、そのギャップの額だけ損失を被ることになります。特に1995年を境に、社会全体で見た金融資本の要求利回りが、投資対象となる実体経済の事業収益を上回り、またそのような資本が実体経済の規模を超えて、世界中に大量に流動する状況へと変化しています。これが悪い金融市場の始まりであり、資本主義のおわりの始まりです。サブプライム危機の本質は、このように説明できるのではないかと思います。

社会を豊かにする金融
「貧者の銀行」として知られるグラミン銀行とムハマド・ユヌス総裁が、2006年にノーベル平和賞を受賞しました。事業経営者が平和賞を受賞するのは恐らく初めてではないかと思います。現在、グラミン銀行はバングラデシュの首都ダッカを本社とし、9万人の「乞食」を含む750万人の低所得者に対して、600億円の貸し出しを行うなどの(2008年5月のデータ)マイクロ・クレジット事業を運営しています。1974年、ダッカ近郊ジョブラ村の42人の貧しい職人に対して、ユヌス教授が貸し付けた27ドルから、グラミン銀行の事業が誕生します。以来、「信用力」が乏しいと言われる貧困層に対して、無担保融資を実行しながら、返済率が98%を超えるなどの実績を伴って驚異的な成長を続けています。グラミン銀行は、それ自体が、資本主義と金融業の常識がいかに恣意的なものであるかを実証する存在でもあり、グラミン銀行の事業・・・特にその成り立ち・・・を考察することで、金融機能の本質・・・「良い金融」・・・についてのインスピレーションを受けることが可能ではないかと思います。

ユヌス教授が米国から帰国し、農村部の大学で経済学の教職に就いた1974年、バングラデシュは深刻な飢饉に見舞われました。飢餓のために大量の人が瀕死の状態にある中、この環境とは見当違いの経済理論を教えることに大きな矛盾を感じ、経済学者としてではなく、人間として何かできることはないかを真剣に考え始めます。例えほんの少しずつであっても人々の生活が昨日よりもよくなる方法を見出す努力をしたいという観点に立つと、人々の生活の現実を直視することができるようになります。村々を自らの足で巡り始めたある日、ある荒れ果てた家の前で、美しい竹細工の椅子を作っているにもかかわらず極めて貧しい経済状況にあるソフィアという女性との出会いがありました。ユヌス教授はそんなに美しい竹製の椅子を作っているのに、なぜ彼女がそれ程貧しい状況を脱することができないのかについて理解したいと考えました。

1970年代当時、単純な日雇い労働でも1日20セントになるのに、ソフィアの椅子製作で得られる稼ぎは1日2セント。わずかの稼ぎはぎりぎりの生活費に消え、貧しい生活から永遠に抜け出せないという循環が出来上がっていました。貧しいソフィアには材料の竹を買う20セントがなかったため、商人から材料代を借りざるを得ず、貸付の条件として、仕上がった椅子を言い値(22セント)で商人に売らされていたためでした。もしソフィアにわずか20セントのお金があれば、そのお金で材料の竹を購入し、マーケットで自由に販売することでその何倍もの利益を手にすることができます。この事実を知ったユネス教授は、材料代をソフィアに貸し与え、そのお金で商人へ借金を返済し、完成した椅子をどこでもいいから一番高く売れるところで売るように説得しました。その結果、ソフィアの毎日の儲けが1ドル25セント、以前の60倍に増えたのです。椅子の市場価格は、儲けの額に材料費20セントを加えた1ドル45セントと推測できますが、商人はソフィアへ材料代の20セントを貸し、完成した椅子を彼女から22セントで買取り、マーケットで1ドル45セントで売却していたとすると、ソフィアに対して実質的に1ドル23セント、すなわち1日615%もの金利を課していたことになります*(2)

ユヌス教授は常々教室で、多額の投資を伴う開発計画やバングラデシュの経済状況や貧困状況を改善する方法について教えていましたが、ソフィアに会うまでは、1ドル足らずのお金がないために苦しんでいる多くの人の存在を知りませんでした。更に調査を進めるうちに、貧困層各家庭の借金が平均1ドル以下であることがわかり、たった1ドルで彼らが貧しい生活から脱却することができるのだという事実にたどり着きます。ユヌス教授は自分のお金を村人に差し出すことも考えましたが、それでは根本的な解決にならないと思い直し、大手銀行に対して、貧しい人への貸し出しを願い出ます。自分が保証人になるなどしてようやく借り入れたお金を貧困層に貸し付け、目を見張るほどの返済実績を何度銀行に示しても、銀行は「貧しい人は信用に値しない。彼らがお金を返せるとは思えない。」という理由で直接の融資プログラムを検討しようとはしませんでした。結局ユヌス教授は、1983年に貧困層向け融資を行うグラミン銀行を自分自身で創設するに至ります。ユネス教授が実感したことは、貧しい人々に適正な条件で資金が提供されるなら、彼女たちはそれ以外の手助けがなくとも生産性の高いビジネスを始めることができる、ということです。

「良い金融」は優れた事業戦略
グラミン銀行の事業は、貧困を減らすための現実的な行為として世界中から賞賛され、注目されていますが、金融メカニズムの観点から事業成功の鍵を分析すると、実体経済の現実を理解し、その現実とバランスの取れた「良い金融」を社会に提供したという、基本的なことではないかと思うのです。逆に考えると、グラミン銀行がこれほど注目されていることの裏返しとして、「良い金融」を実行する金融専門家が社会に殆ど存在しなくなっていること、そして、より重要な点として、「良い金融」は高い事業性を生み、金融事業戦略として非常に有効な選択肢であると言うことです。

【2008.7.2 樋口耕太郎】

*(1) そして恐らく、資金を戻された「投資家」は、その資金を再投資ではなく消費する必要があります。

*(2) グラミン銀行とムハマド・ユヌス氏に関する記述は、ムハマド・ユヌス+アラン・ジョリ著『ムハマド・ユヌス自伝』、坪井ひろみ著『グラミン銀行を知っていますか』、ニコラス・サリバン著『グラミンフォンという奇跡』、2005年1月26日東京大学でのムハマド・ユヌス氏による講演録、グラミン銀行ウェブサイト、などを参照しています。

資料のデータが一部不足しているためにはっきりしないのですが、ユヌス教授から資金を借りたソフィアは、1日に2つの椅子を作るようになり、1ドル25セントの儲けは椅子2つ分だったかも知れません。その場合でも、商人はソフィアに対して1日300%を超える金利を課していたことになります。