内閣府と沖縄県が主催し、10月13日から翌2月23日までの日程でスタートする『第2回金融人財育成講座』で樋口が講師を担当します。

樋口の担当は12月1日土曜日午後1時半からの講座で、「サンマリーナホテルの再生」をテーマに2時間弱お話します。会場は琉球大学大学会館、定員は約200名です。詳細はこちらをご参照下さい。

こんにちは。
連休前に台風が通り過ぎ、秋の気配が強まってきました。

昨日は敬老の日でしたね。おじいちゃん・おばあちゃんとお過ごしに
なられましたでしょうか。
この敬老の日、私の大好きな聖徳太子が悲伝院というお年寄りの救護施設を
設立したことにちなんで作られた国民の祝日です。
お年寄りへの感謝と尊敬を思い出させてくれる日でもあります。

先日意外な方からお電話をいただきました。
なんと!私の小学生の時の担任の先生から。
「末金さん、こんにちは。お元気になさっておられましたか?
覚えてくださっているかしら? わたくし、あなたが小学生当時に、
担任をさせていただいた植田でございます。」
もうビックリ!!! 大好きだった、憧れだった、お優しくて、お美しくて、
お上品で、とにかく素敵だった植田先生。当時は30歳ぐらいだったから、
今はもう、ええっと…65歳?! わぁ、想像できない、今の先生。
小学校教育一筋に、ずっと独身で…なんていうウワサを聞いたこともある。
でも、お声も、お話のなさり方も、今も変わらず、とてもお優しくて、
すごくお上品。
先生のおうちに何度かお招きいただいたこともある。
お友達数人とバスに揺られて、伺った先生のおうち。とてもきれいに
してらして、本を読んでくださったり、つくしを取って、それをたこ焼きに
入れて焼いてくださった。今でも忘れられないのが、帰る時には
「これバスの中でいただきなさいね。」とお土産に持たせてくださった
綺麗なレースのハンカチに包まれたキャンディ。
叱る時も厳しく叱るけれど、とにかくたくさん優しく褒めてくださる。
「とてもステキにご本が読めましたね。」「今のはとても立派な態度でしたね。」
と。もう男子などは、先生に褒められると、真っ赤になって、
木にもピョ~ンと登る勢いで喜び勇び、ついついいい子になっていたものだ。
その先生からのお電話、だ。
当時の私は今と違って(?!)、お転婆な女の子だったので、とてもよく覚えて
くださっていたのだろう。
生徒会副会長になって、実にたくさんの「みんなでやろう運動」を
立ち上げたっけ。
(例えば、学校近くの駅で“重い荷物を持ったお年寄りの方をおうちまで
送ってあげよう”“雨降りの時に傘を持っていない人がいたらおうちまで
送ってあげよう”なんて具合)なんだか今思うと気恥ずかしい。
先生は今回沖縄にいらっしゃることが決まると、私が沖縄にいるという
風のウワサを思い出され、レストランをしていた母に尋ねてくださり、
お電話をくださったというわけなのだ。

たくさんお話しすることができた。たくさん私の小学校時代が蘇ってきた。

私は子どもの頃から、百科事典まで愛読するほどの典型的な文系人間で、
今もって数学心のない人間。
私と同じような人の話をよく聞くけれど、私も最初から数学がまるでだめだった
わけではない。すくなくとも「さんすう」の段階までは、まだ何とか息があった。
テストでも単純な計算問題の部分はむしろ解くのが楽しかった。が、これが
設問形式となると、もういけなかった。たとえば
「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、
10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」
というような問題があったとすると、私はその“ある人”のことがひどく
気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。
家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7こしか買えないと
わかった時に“ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりで
あったろうか――。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまう
ことさえあり、(“ある人”ったら、うふふ……)などと想いを馳せて
いるうちに、「はい、鉛筆を置いて!」という先生の声が響きわたって
しまうのだった。

理科の時間には、みんなでお花を育てましょうということになり、私の班は、
ペチュニアにしようと決まった。しかしペチュニアには天敵がいた。
ナメクジだ。奴が夜のうちに花びらだけをきれいに齧りとってしまうのだ。
私の怒髪は天を衝いた。殺ナメクジ剤「ナメキール」を撒いてみたが効果は
なかった。私は同じ班のお友達と真夜中に学校に行き、懐中電灯を持って
花壇で『八つ墓村』のごとき憤怒の形で一匹ずつナメクジを割り箸で
つまんでは捨てた。「後にも先にも、ナメクジに対してあれほど強い殺意を
抱いたことはありません。」と今回その思い出話をしながら私が言うと、
先生は「おほほほ…」と笑いながら、「あなたは子供の時からおもしろい
お話のなさり方をしていたけれど、今もちっともお変わりありませんねぇ。」
と言われた。

もっとも、そういう私を育て導いてくださったのは、先生であり親なのだ。
先生も母も、偉大な国語学者であり教育家の大村はま先生の教えがいつも頭に
あったようだ。
「言葉が貧しいということは、心が貧しいこと。“読む”ことは
読むことによってしかのびないし、“話す”ことは話すことによってしか
“書く”ことは書くことによってしかのびない。」と。
それがどう私に活かされたかはわからないのだが……。

その先生も母も、もう「おばあちゃん」と呼ばれる年なんだなぁ。

おばあちゃんやおじいちゃんと接すると、彼らはいつの時も、鋭い洞察力で
時代を分析し、人生に対して優しくあたたかな眼差しを注いでいた。

彼らは、私たちの人生の大先輩。長年の経験をもとに紡がれるその言葉には、
人生を豊かで実りあるものにするためのステキなヒントが宿っている。
私がいただいた大きなヒントはこれ。
「幸せとは、生きることを楽しむこと。」
どんな時もゆとりを忘れず、喜びも悲しみも受け流す彼らはまさに、
人生の達人。

普段は忙しさにかまけて、あまり交流のないおじいちゃんやおばあちゃんの話に
耳を傾け、その思い出話やライフスタイルから、毎日を快適に過ごすための
知恵を学びとる日にしたいものだ。
そして、その深みのある人生に触れ、忘れてしまった大切なものを、
生きることの旨みを、教えていただきたいと思う。

【2007.9.18 末金典子】

経営バランス(pdf)

本稿では経営バランスが実際の経営の現場でどのように機能するのか、というテーマでコメントします。経営バランスは、例えば価格戦略(ここでは概ね単価の増加を意味します)の武器になり得ます。価格戦略における価格の増加が事業収益に与える影響は莫大であり、適切に応用することができれば、潜在的な事業価値を一気に収益として顕在化させたり、事業の成長を大きく後押しする原動力になります。このメカニズムは非常に単純で、特に売上高利益率が比較的低い労働集約型サービス業(例えばホテル)などではその傾向が顕著です。仮に、売上10億円、利益が売上の約10%程度のホテルを想定すると、1億円が利益になるわけですが、この事業の単価を10%上昇させると、売上は11億円、販管費の上昇を便宜的に無視すると、利益は2億円に倍増することになります。単純にモデル化していますが、単価の増加が企業収益に与える激しいインパクトをご理解頂けるでしょうか*(1)

単価と収益の激しい関係
このように表現すると、商品の単価を上げることで事業収益を増加させることはとても簡単なことのように感じられるかもしれません。例えば、毎年約14万人のお客様が宿泊するサンマリーナホテルで、一人一泊当たりの単価を1,000円上げることができれば、利益が1.4億円増加することになります。2005年の時点でサンマリーナの経常利益が約1.3億円でしたので、これだけで利益が倍増するイメージです。現実には、単に単価を上げただけではほぼ間違いなく顧客数が減少します。特に一人当たり1,000円の平均単価は、この業界では破格の増加と考えられるでしょうから、これによって恐らく10%から20%前後の顧客が失われるのではないでしょうか。年間14万人が宿泊する客室売上10億円のホテルでは、お客さま一人当たり7,100円(10億円÷14万人)の宿泊料を頂戴していますが、単価を1,000円上げて8,100円にする代わりに、顧客数が20%減少し11.2万人となると、逆に売上は約9億円(8,100円×11.2万人)に減少してしまいます。このホテルの単価変更前の利益が1億円程度だとすると、その全てが吹き飛んでしまうことになり、一般的な経営者が単価を不用意に上げることに恐怖を感じるのはこの理由によるものです。これは単純なモデルですが、現実のリゾートホテル収益構造の本質を表現しています。単価を1,000円を増加させるということは、利益を100%減少させることも、100%増加させることも可能なのです。

一筋縄ではいかない単価増
結局のところ、多くの事業ではこのような単価の上昇を達成するために莫大な経営資源と時間を投下しているとも言えるのです。例えば沖縄のリゾートホテルでは、客室やロビーを中心に大改装を行ったり、レストランのテーマを変更してみたり、より高級な宿泊プランを開発してみたり、アメニティを一新してみたり、研修プログラムを開発してみたり、経営者を交代してみたり…。いずれも費用(ときには多額の費用)を伴うことばかりですが、このような費用を投下しながら、実際に顧客数を減らさずに単価を増加させることができたケースはむしろ例外的ではないでしょうか。そして、顧客数を減らさずに単価を増加させることができなければ、投下した資金は砂に水をまくように、文字通り費用として消滅してしまうことになります。

例えば、ホテルの質の向上と、ひいては宿泊単価の増加を目的として、メインダイニングのコンセプトをより高級なものに変更し、内装をシックなものに変更し、食材の質を高め、コンサルタントを通じてコンセプトとメニューを一新し、料理長や責任者を入れ替えたとしても、それだけではこのメインダイニングの成功が保証されるものではありませんし、ましてホテルの格や宿泊単価が上がるとは限りません。現実には、より質の高い商品とサービスの提供を開始したのに売上がそれほど上がらず、投資額に見合った利益が確保できず、却って企業価値を下げるだけというケースが溢れています。

以上ゆえに、一般的な経営者がとりがちな選択は、①単価を下げ、顧客数を増やし、売上を伸ばすことで(利益率を下げながら)利益を確保する、②典型的には人件費などの費用を削減し(事業の成長力を低下させながら)利益を確保する、ものとなります。両者に共通することですが、短期間で確実に利益を生み出すことができる反面、事業の長期的な成長余力と企業価値を毀損するという問題を自らの選択によって生み出してしまうのです。

バランスが価値を顕在化する
より良いものを提供すれば、顧客は以前より高い評価をしてくれそうなものですが、質のいい商品を提供してもそれだけは事業のコストを増加させ、企業価値を下げるだけの結果に終わってしまうのはなぜでしょう。その原因が経営バランスの差ではないかというのが僕の仮説です。そして、より高い経営バランスを生むための要素は以下の通りだと思っています:

第一に、演出がないこと、嘘がないこと、自分に正直であること。ある経営者は、自分なりの強いこだわりを持って良いものを提供したにも拘らず、思うような成果を生むことができませんでした。「これほど良いものを提供しているのに…」と顧客を恨みたい気持ちでいっぱいです。別の経営者は、「本当に人を感動させるサービスは利益と採算と演出を頭の片隅に置きながらの状態では生まれない。お客様と接するときには売上のことなど考えていない」と言います。前者は、「これだけのことをしたのだから、顧客は評価すべき」と無意識に考えているように思え、彼にとって顧客へのサービスは、実質的に顧客との「取引」です。後者は自分に正直な経営者だと思います。自分が顧客にしたいこと、自分がしてもらったら嬉しいことを考えて心のままに実行するに過ぎません。

第二に、一貫性。企業内に矛盾がなくなるほど高い経営バランスが達成されると思います。企業理念などの価値観が一つに修練しており、かつその通りに実践されている企業は非常に高い一貫性を持つといえます(現実には、最近では企業理念を掲げない企業の方が珍しいのですが、その価値観に沿って運用されている事例は、殆ど存在しないように見えます)。なお、一貫性の完成度合いが高まるあたりで、経営バランスの効果が急激に高まるイメージがあります。

第三に、事業構造的に、経営バランスを取りにくい業態が存在すると思います。上記の二つの条件、嘘がないこと、一貫性、を持ちにくい構造を有する事業形態、具体的には、①低価格を比較優位とする事業、②上場企業、③情報の不均等を収益源にしている企業、が該当するような気がします。①については、経営バランスは基本的に事業の量的な拡大ではなく、質的な価値を顕在化する際に有効な概念で、低価格を武器とした量的拡大を目指す事業に適用しにくいのではないかと思います。②については、『トリニティの企業金融論』 『次世代金融論』で詳細に説明していますので、そちらをご参照頂けると幸甚です。③情報の不均等を収益源にしている企業は、『売上論』で紹介した「金色の売上」比率が低い企業を指します。情報の不均等を収益源にしているということは、価値観や言動の一貫性を導入することが構造的に困難だということは容易に想像が付くと思います。

経営バランスと資本投下
一般的なホテル経営者は、追加投資→価値の上昇→価格上昇→資金回収、をイメージして資金投下を行うのですが、現実には追加投資が思うように価値の上昇につながらず、資金回収が困難になり、企業価値が減少し、こらえ切れなくなるとそれを埋め合わせるために単価を下げて、企業価値を更に下げながら売上を確保する、という悪循環を招きがちです。

これに対して、経営バランス高めることを最優先すると、自然に顧客数が増加し稼働率が上昇します。また、経営指標にはっきり現れないために目に見えにくいのですが、より重要なこととして、経営バランスの水準が高まると顧客層(お客様の質)が高まる現象が生じます。こうなると無理やり単価を上げようとしなくても、需要のバランスを取るために価格を上昇させることが、顧客を含むステイクホルダー全員のメリットとなるのです。この状態で追加投資を行うと、企業価値を爆発的に向上させることができます。経営バランスを応用した価格戦略のプロセスが、一般的なケースと比較していかに効率が高く、リスクが少ないか(実質的には殆どリスクはありません)、ご理解できるのではないかと思います。

【2007.9.14 樋口耕太郎】

*『経営バランス』は本稿で終了です。

*(1) さらに、この事業を買収対象として金融的に(…すなわち事業そのものを金融資産として売買するという意味ですが)収益化するには、この事業を利益1億円の20倍(20億円)で取得し、単価を上げ、収益を2億円に増加したあとに同じ倍率(20倍)で売却すると売却額40億円、すなわち20億円の売買利益を生むことになります。米系を中心とした投資銀行やプライベートエクイティファンドが不動産投資や企業買収を繰り返すのはこのメカニズムによるもので、現場不在・金融主導の企業買収がこれほど広がっている大きな理由の一つです。

既に気付いた方がいらっしゃるかもしれませんが、本稿は経営バランスをテーマにしていながら、肝心の経営バランスを定義していません。前稿までに、経営バランスは目に見えないが実体として存在し事業経営に重要な影響を与えることや、経営バランスは経営者が事業(とその生態系)をどのように認識するかによって異なることや、経営バランスが達成されたときにどれだけのパワーが生じるか、などについて説明を試みましたが、これだけでは「経営バランスとはなにか」をきちんと説明したことにはなりません。次善の策として、今までの議論に加えて、 経営バランスが取れたとはどのような状態か、 どのようなときにより効果的な経営バランスが生まれるか、についてある程度の説明を行うことは可能だと思います。

経営がバランスするとき
個人的な経験ですが、サンマリーナホテルにおいてうまく経営バランスが取れたと感じたときには、次のような各現象が起こりました。あまりに出来すぎに聞こえるため、嘘や誇張と思われるかもしれませんが、全ては現実に起こったことです。 (i)経営的な成果は増加しながら、自分の労働時間が極端に(10分の1程度へ)減少しました、(ii)従業員に対して指示をする機会が殆どなくなりました、(iii)広告宣伝費を大幅に削減しながら、企業認知度が高まりました、(iv)建物改修などの追加投資を殆ど行わなかったにも関わらず、清潔できれいな施設という評価が増加しました、(v)パートの正社員登用を行い、新卒採用を再開し、ベースアップと賞与支給回数と支給総額を増やしながら、売上高人件費率はあまり上昇しませんでした(これは売上高が人件費の増加以上に上昇したためです。そのまま継続していたら売上高人件費率はむしろ減少していたと思います)、(vi)成果主義人事考課を廃止しながら、従業員間の公平間が高まりました、(vii)人事研修や対応マニュアルなどを全廃したにもかかわらず、顧客から好評価のコメントが大幅に増加し、顧客満足度が急上昇しました。・・・以上の結果として事業収益と企業価値が著しく高まりました。

経営バランスが取れたと感じる瞬間は、初めて補助輪なしの自転車に乗れるようになったときのように、一瞬身体が軽くなるような気がします。それまで少しでも良い事業結果を出そうと身を削り、バイタリティーと集中力で自ら事業の隅々までを理解し、競合相手を注意深く観察しながら精魂を傾け戦略を練り、24時間事業と従業員のことを考え続け、自分の時間的体力的物理的限界まで鬼気迫る努力を重ね、大汗をかきながら前にすすんでいた状態が、ある臨界点を境に、自転車に乗る自分の足が地面から離れるように、ヤジロベエがバランスするように、全ての効率が著しく高まると同時に、自分に課してきた負荷がどこかに消滅してしまったようでした。大量の変数を大きなエネルギーで対処していた状態から、最も重要な原則を除いてその他の全てを手放した状態に移行した瞬間だったかもしれません。そして、このようなバランス体験は特別なことではなく、事業経営の現場に限らず多くの方が経験していることでもあります。

例えば、本人と直接お会いしたことはありませんが、不可能といわれていたりんごの完全無農薬栽培を実現した青森県のりんご農家木村秋則さんもその一人ではないかと想像しています。最近NHKの『プロフェッショナル』にも取り上げられ話題になりましたが、害虫との格闘に悪戦苦闘して多大なエネルギーを費やす状態を乗り越えて、りんごの力を自然の中で生かす「バランス」を体験された瞬間から、不可能を可能にするという大きな事業性が生まれたのだと思います。以下は、NHK『プロフェッショナル』のウェブサイトからの抜粋です。

『化学的に合成された農薬や肥料を一切使わない木村のりんごづくり。不可能と言われた栽培を確立するまでには、長く壮絶な格闘があった。かつて使っていた農薬で皮膚がかぶれたことをきっかけに、農薬を使わない栽培に挑戦し始めた。しかし、3年たっても4年たってもりんごは実らない。収入の無くなった木村は、キャバレーの呼び込みや、出稼ぎで生活費を稼いだ。畑の雑草で食費を切りつめ、子供たちは小さな消しゴムを3つに分けて使う極貧生活。6年目の夏、絶望した木村は死を決意した。ロープを片手に死に場所を求めて岩木山をさまよう。そこでふと目にしたドングリの木で栽培のヒントをつかむ。「なぜ山の木には害虫も病気も少ないのだろう?」疑問に思い、根本の土を掘りかえすと、手で掘り返せるほど柔らかい。この土を再現すれば、りんごが実るのではないか?早速、山の環境を畑で再現した。8年目の春、木村の畑に奇跡が起こった。畑一面を覆い尽くすりんごの花。それは豊かな実りを約束する、希望の花だった。その光景に木村は涙が止まらなかった。

木村の畑では、あえて雑草を伸び放題にしている。畑をできるだけ自然の状態に近づけることで、豊かな生態系が生まれる。害虫を食べる益虫も繁殖することで、害虫の被害は大きくならない。さらに、葉の表面にもさまざまな菌が生息することで、病気の発生も抑えられる。木村がやることは、人工的にりんごを育てるのではなく、りんごが本来持っている生命力を引き出し、育ちやすい環境を整えることだ。害虫の卵が増えすぎたと見れば手で取り、病気のまん延を防ぐためには酢を散布する。すべては、徹底した自然観察から生まれた木村の流儀だ。「私の栽培は目が農薬であり、肥料なんです」』

現在の酪農業界は放牧牛による牛乳生産が全消費量のわずか約2%。日本で流通している牛乳の殆どが牛舎で濃厚飼料を大量に投与され、まるで工業製品のように搾乳さたものです。この現状にありながら放牧山地酪農を成功させた旭川斎藤牧場の斎藤晶さんも彼独自の「バランス」を体得されたひとりだと思います。斎藤さんは北海道への開拓団の一員として山形から入植し、未開拓の山地と原野の開拓で大変な苦労をされます。以下は古庄弘枝著『モー革命』からの抜粋です。

『クワを振るえば石にあたる。大豆、小豆、野菜、雑穀をつくれば、ウサギやネズミなどの集中攻撃を受ける。富子さん(奥様)は、出産・育児・家事・開墾の過労から倒れて入退院を繰り返す。晶さんは働けば働くほど窮地に追い込まれた。昭和30年、「ここで生きるにはどうすればよいのか」と切実に考えた。木の登るのが好きだった彼は山の頂上に行き、いちばん高い木に登った。そして、荒れ放題の自分の山や遠くに見える大雪山を眺めていた。「人間はなぜこんな血の出るような苦労をしても成果につながらないのか」「鳥や昆虫がなにも働きもしないのに、悠々と生きているのはどうゆうことなのか」と、考えながら飛ぶ鳥を眺め、鳥の声を聞いていた。ハッと気がついた。「自然というものを征服するような姿勢そのものが勘違いだ」「これからは、鳥や虫たちと同じ姿勢で生きていけば良いじゃないか」と。「価値観をひっくり返した」。すると、答えは全て山にあった。

「思い込み」から開放された彼は、「草」に対する視点を変えた。「草」を敵とするのではなく、「利用」しようと考えた。家畜が食べれば、「雑草」は「牧草」だ。笹薮だらけだった山に牛を放した。馬喰に頼んでオス牛や水田酪農家の育成牛など20頭を無償で預った。牛たちはどんどん笹を食べていった。草地もつくろうと、まず笹を刈り払って火をつけ、焼き払った。そのあとに、牧草の種を蒔いた。そこに牛を放すと、牛はまわりの笹を食べながら歩き回り、種を踏みつけた。数日後、牧草が生えてきた。そこで彼は気づいた。「牛が蹄で踏んだ種が土に定着して草地になる」。これは「蹄耕法」と呼ばれる草地造成の方法だった。ニュージーランドなど酪農の伝統がある国では、基本的な草地づくりだった。しかし、そんなことは知らない彼は、牛と自然の観察から独自にそのことを学んだ。』

経営バランスが達成されるということは、判断や決断の原則がシンプルになり(ときに一つに統合され)、経営行動に一貫性が生まれるということかもしれません。多くの経営者は大量のエネルギーを事業に投下して成果を上げようと努力しますが、本当に経営者が事業的効果を最大化しようとするならば、「いかに多くの仕事をこなすか」よりも、少々語弊がありますが「いかに仕事をしないか」を追求する方が合理的です。なぜならば、どんな人も10倍働くことは出来ませんが、10倍楽することは物理的に可能だからです。10倍楽することが出来て初めて10倍の仕事をすることができる、あるいは10倍楽することを学習しなければ10倍働けない、とも言えるでしょう。これは本当に必要なこと以外の仕事をいかに切り捨てるということでもありますが、簡単そうに見えてなかなか実行する人は多くありません。実際、殺人的に忙しいと悩んでいる経営者に、「時間を作る方法はとても簡単なんです。それでは今取り掛かっている仕事の8割を今すぐ断ってください」とアドバイスしても、それを実行する気になる人は殆どいないでしょうし、万一その気になったとしても、そのとき経営者が感じる恐怖を乗り越えることは余程のことがなければ無理だと思います。初めて自転車に乗るときと同様、経験した人にとってはとても簡単ですが、未体験の人にとっては到底不可能なことに思えるのだと思います。また、10倍楽することを目指す、と言いながら実際にそのための試行錯誤を始めると、経営者がいきなりだらけたように見えるため、周囲(従業員や株主)からのプレッシャーも相当なものになるでしょう。事業や人生が順調(のように見える)な通常の状態でこのバランスを体得することは容易ではないかもしれません。したがって、前述の木村さんや斎藤さんのように、経営バランスは経営者の個人的な価値観の転換によって生み出されることが少なくないようです。そして、個人的な価値観の大転換はなんらかの大きな窮地に陥り、それを乗り越える過程で起こることが典型的なパターンといえるかもしれません。

【2007.9.1 樋口耕太郎】