トリニティのマーケティング論(pdf)

リレーションシップ・マーケティングのエッセンスは、「顧客と良好な人間関係を保つ」というシンプルなものですが、その事業的なパワー(すなわち、事業における人間関係の重要性)は著しく過小評価されていると思います。例えば、単純に考えて、新規顧客の獲得が「100件に1件」の作業だとすると、既存の顧客と2倍の期間付き合うことができれば100回、5倍の期間では400回分の営業行為が不要になることを意味します。この事業効率のイメージを「経営の多面体パズル」に組み込んで全体の経営バランスをとることに成功すると、莫大な成果を生み出すことが可能になるでしょう*(1)

新規開拓のマーケティング
1980年代後半のバブルの時期は、リレーションシップ・マーケティングとは対極の市場環境を体験するという意味では最高の時代だったかもしれません。僕が社会に出たのは1989年(平成元年)で、激烈な(非常識な?)バブル市場を直接経験した最後の世代に該当します。この年に大学を卒業して野村證券に入社し(当時の入社ハードルは、今よりも随分低かったと思います。)岐阜支店営業課に配属されました。この時期、雑誌『TIME』のカバーストーリーで野村證券が特集され、国際的な注目を浴びていましたし、チャーリー・シーンとマイケル・ダグラスが出演した、オリバー・ストーン監督の『ウォール街』が封切られ、就職活動の帰り道に銀座かどこかの映画館に観に行き、大興奮した記憶があります。この映画はその後何10回見たか分かりません。金融業界では、この映画の台詞を今だに暗記している人もいるくらいです。この年に卒業していなかったら、そもそも就職先に証券会社を選んでいなかった筈で、あと一年入社年次が遅れていたら、僕の社会経験は全く異なったものになっていたと思います。

当時の野村證券の新規開拓力は相当なものでした。体力の有り余っている新入社員に強烈なプレッシャーを与え、激しい競争意識を植え付けながら、義理人情浪花節で新人の脆い心の琴線をしっかり支える営業部隊の人間関係は、その渦中にありながらも本当に良くできているなと感心したものです。入社式の翌日から、来る日も来る日も飛び込み営業を繰り返す、野村名物の「名刺集め」が始まります。「名刺集めが営業の基本」「同期との一日一枚の差は、今後絶対に縮まらない人生の差になる」「新人時代に最も名刺を集めた社員が社長になる(・・・そんな訳ないのですが)」と支店のスター・セールスマンの先輩に言われると、純真な若者(?)は本当に自分の人生が一枚一枚の名刺や一本一本の電話にかかっていると信じて疑わなくなるのです。名刺の「質」にもよりますが(「社長」の名刺が一般に質の高い名刺とされていました)、丸一日飛び込みを繰り返すと150件くらいの会社や店舗に飛び込むことができます。大体1日8時間、3分おきに1件絶えず飛び込み続ける計算です。これで、40枚から80枚くらいの名刺が集まり、これを約半年間延々と続けると5000枚を超える名刺が集まります。その後は「100本ノック」と呼ばれている電話営業。この名刺と営業名簿で延々と電話営業をかけます。大体丸一日で300~400件くらいの電話をかけていたと思います。新人当時は「サボる」などということは考えもしませんでした。

これほどのエネルギーを、バブルで浮かれた市場に放出すると、入社まで全く株式や経済に関する知識が皆無かつ世間知らずの大学生が、見ず知らずの土地で顧客ゼロの段階から、僅か1年後には200件の顧客から10億円の資金をお預かりし、月間1000万円の手数料を稼ぐ「証券マン」になるのです。これは地方中核支店という位置付けだった岐阜支店での水準ですので、東京・大阪などで上場会社の運用子会社や小型の銀行を顧客にした新人セールスは一桁上の成績を上げていました。当時は野村證券の経常利益が5000億円を超え、トヨタ自動車を抜いて日本一になり、相当鼻息の荒い時期でした。

顧客の「ライフタイム」
この時期の特徴は、本当にお客様が長く続きませんでした。イメージとしては全体の顧客の10%以下が稼ぎの90%以上を占める感じで、200件の顧客がいても常にコンタクトして売り買いする顧客は5~20件くらいだったでしょうか。しかし一件のお客様が2年を超えて取引を続けるケースは稀で、早ければ数ヶ月でいわゆる「スリープ顧客」になってしまいます。取引が始めの数回限りというお客様も少なからず居ました。どんなに新規の顧客を開拓しても、1年後にはその大半が実質的に顧客でなくなってしまう状況は、やはり何かがおかしいと感じていましたが、ではどうしたら良いのかという回答があるわけではありませんでした。株式市場が活況を呈し、資本市場と投資家層が拡大している市場環境では、新規の顧客を開拓し続けることで収益を上げる手法は効果的だと考えることが「常識」だったと思います。

これらの顧客を長期間、例えば現在までの20年間維持する方法はなかったのだろうか、もしこれだけの期間、顧客との関係を維持することができていたら、野村證券の現在の預り資産と経常利益はどれほどになっただろうか、と考えることがあります。当時の市場環境はそのような試みを許しはしなかったと思いますし、これを確かめる方法はありません。その代わりに、近い将来顧客との人間関係を最優先した証券会社を是非経営してみたいと思っています。その会社の事業結果が、ある意味この答えになるのかもしれません。

顧客と永遠に付き合う
顧客との関係が長期間継続するほど加速的に事業効率が増加することは冒頭に述べました。リレーションシップ・マーケティングの究極の姿は、顧客と永遠に付き合うことだとも言えるのですが、顧客との長期の関係を生み出す要素は何でしょうか。そのヒントになるのが、学生時代の友人たちとの関係でしょう。人間関係の中で一般に最も長期間継続する関係は、肉親を除くと幼馴染みや学生時代の友人です。もちろん、学生時代の友人も、現実には付き合いのなくなってしまっている人が大半だと思いますし、相性の良し悪しもあるため、その関係の全てが継続性を持つものではないのですが、反対に顧客とは学生時代の友人のような長期の関係になることはまずあり得ません。

顧客との関係も友人との関係も同じ人間関係なのですが、なぜ顧客とは学生時代の友人のような人間関係を構築することができないのでしょうか。なぜ学生時代の友人に会うときは「いらっしゃいませ」と言わなくても良好な人間関係が構築できるのに、顧客に対してこれをしないと一瞬にして関係が破綻するのでしょうか。この二者の間には何かが決定的に異なる要素があると考えるのが自然だと思います。僕の仮説では、学生時代の友人関係には、一般に、人間関係において、①隠れた意図がない、②利害がない、ことが大きく異なる点ではないかと思っています。更に、逆の発想による仮説ですが、ひょっとすると、隠れた意図を持ち、利害がある人間関係を構築しようとするとき(つまり一般的な商売をしようとするとき)、「いらっしゃいませ」に代表されるように、人間関係には本来全く不必要な「サービス」を提供する必要が生じ、これに莫大な労力を費やすことで人間関係をバランスする必要が生じているのではないでしょうか。つまり、一般的に「サービス」と呼ばれている莫大な労力と費用は、もともと不要なものかもしれないのです。そして仮に、①隠れた意図がないこと、と②利害がないこと、が人間関係を長期に継続するための必要条件だとしたら、この要素を顧客との間で応用することで事業性が生れるのではないでしょうか。

この仮説があながち突飛ではないことの一例として、ネットワークビジネスがあると思います。もちろん色んなケースがありますので一般化することは難しいのですが、よく、「ネットワークビジネスを始めると友人をなくすよ」と言われることがあります。実際ネットワークビジネスに熱中し始めると、友人関係が大きく変化することを経験する人は少なくないのではないでしょうか。人間関係に、①隠れた意図と、②利害が介在することで、その関係が根本的に変化する実例と言えないでしょうか。

世の中には、人間関係をお金に替え、不安と恐れを動機付けに利用する営業形態と、人間関係を優先して(結果として)お金を呼び込み、愛を動機とする事業形態の二種類が存在すると思うのですが、本当に皮肉なもので、後者の方が遥かに事業効率が高いのです。ただし、後者の事業性を生み出すためには、特定の「経営バランス」を体得することが必要で、「待ち」のマーケティングを試行錯誤したり、顧客を経営者の鏡と考えて自らを見つめる作業は、このバランスを理解するための非常に良いトレーニングになると思います。

営業することは非効率
以上が示唆することは、・・・これも冗談みたいに聞こえますが・・・、営業行為、マーケティング行為はリレーションシップ・マーケティングの観点(すなわち長期的な人間関係を継続する観点)から、あるいはサービス業の運営という観点からも、非常に非効率な事業行為である可能性があるのです。現実には、①隠れた意図、と②利害、を顧客との人間関係でどんどん排除していくと、長期的な人間関係が生む顧客の生涯価値が、営業行為が生み出す付加価値を上回るポイント(すなわち営業をしない方が逆に企業収益が高まるポイント)がどこかに存在するはずで、その経営バランスを発見することができれば、飛躍的に事業効率が高まることになるのだと思います。このように表現すると手品のようですが、現実には、一切営業をせずに成立している事業は意外に多いものです。これは特殊な事例や特定の業種で成り立つだけではなく、そのエッセンスは一定の経営バランスを前提に、どのような事業にも応用可能だというのが僕の体験による仮説です。

【2007.3.14 樋口耕太郎】

*『トリニティのマーケティング論』は本稿で終了です。

*(1) 事業経営における「バランス」は、恐らく経営的優先順位の一、二を争うほど重要な要素だと感じるのですが、その重要度の割りに殆ど認知されていない経営概念でもあります。事業経営はルービックキューブと似ているところがあり、パズルの一面を動かすと必ずその他の面にも何らかの影響を与えるため、パズル全体(事業の生態系)の立体的なイメージを常に捉えながら経営に当る必要があるという考え方です。社団法人金融財政事情(きんざい)が発行する季刊誌で、事業再生の分野では注目度の高い『事業再生と債権管理』の2007年1月5日号に「沖縄事業再生通信:ホテルという生態系」と題して、経営におけるバランスの重要性をテーマに樋口が寄稿しています。ご関心のある方はご一読頂けると幸甚です。

企業や経営者の「本心」が、同じ気持ちの顧客を惹きつける、という考え方は非科学的で根拠がないと考える人も少なくないと思いますが、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、生活の知恵として昔から人々が直感的に感じていることでもあります。トリニティ経営理論の考え方は、「理論の構成と内容が正しい(証明できる)か」どうかよりも、「実際の経営で機能する考え方(現実認識)は何か」を重要視するものです。この例では、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつける」という「現実」を前提として経営行動を起こす、という意味ですが、このような前提が「正しい」かどうかは必ずしも重要だとは考えません。これが「正しい」ということを証明することは不要ですし、そもそも不可能です。「企業は、企業の『本心』と同じ気持ちの顧客を惹きつける」ことが事実かどうかを証明する方法はありません。

経営において重要なテーマは、ある「現実認識」を前提とした時に、どのような事業行為が合理的かを明らかにし、それを実行し、その結果を観察することです。事業的な成果が生じる場合、このような現実認識は「正しかった」と推測することができますが、このような経営的行動が汎用性を持つ限り、実質的な経営手法として機能することは明らかです。つまり、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつける」ことの証明は不可能であり、理屈の上で否定することもできますが、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつけることを『現実』として経営行動を起こす」ことで事業的な結果が生れる場合、その利益と合理性を否定することはできません。別の言葉では「経営者の現実認識がそのまま事業の現実になる」、「事業の現実は経営者の数と同じだけ存在する」という意味でもあります。

このような発想を僕は勝手に「量子論的経営観」と呼んでいて、トリニティ経営理論のひとつの特徴でもあるのですが、本稿のテーマから逸れてしまうため、詳細は別の稿でご紹介いたします。少なくとも、この発想が示唆することのマーケティングにおける意味合いは、このような現実認識(価値観)には実体があり、特定の現実認識自体が経営の目的のひとつであるというものです。

顧客は企業の鏡(再び)
不思議なものですが、「感じること」を意識しながらホテルやレストランなどを数多く利用すると、お店を利用するだけで経営者の「本心」や気持ちの変化がだんだんと理解できるようになってきます。ホテルやレストランの経営者の方と直接お会いして人となりを知ったり、その経営者の右腕や現場のリーダーや主要な従業員の性質を理解したり、それ以降も何度かお会いしながら、経営者の意識の変化を「定点観測」したり、グループの同一または複数のホテルやレストランを定期的に利用しながら観察すると更に効果的です。

自分で商売(特に小さな商売)をなされている方はより恵まれた環境にあります。自分の気持ちとお客様の様子をじっくり観察することを一定期間辛抱強く続けると、自分の気持ちや意識の変化に合わせて、顧客層や顧客の反応がはっきり変化するのが感じられるようになります。更に、この現象を応用して、「今、自分がどのような意識で『在る』のか」、「今、お客様にどのような気持ちで接しているのか」、「今、お客様はどのような気持ちか」を意識するように努め、自分とお客様を知るための試行錯誤を一定期間行います。すると、自分が集めたいイメージのお客様を呼び込むために必要な自分の意識と、必要なお客様への接し方が分かるようになります。このような努力を継続すると、実際に、来店する顧客層をある意味「コントロール」することができるようになってくるのです。・・・このように表現すると、とても特別なことのようですが、長く続いているお店の中には、このような原理を直感的に理解している店主や経営者が散見されます。ただし、これは顧客を選り好みすると言う意味ではありません。特定のお客様がいらっしゃった時にいやな顔をしたり、「来なければ良いのに」と念じる、などと言ったこととは根本的に異なります。

「従業員は経営者の鏡、顧客は企業の鏡」とよく言われます。鏡の中に映っているものに満足できないとき、鏡を叩いてもこすってもそれを変えることはできません。自分が変わることでのみ鏡の中を変化させることができるということだと思います。この原理を体験するためには、大企業での経験よりも、店主一人で仕切る小さな接客商売を経験したり、そのようなお店を長期間じっくり観察し理解することの方が遥かに有益です。企業の事業再生が社会的な課題になり、ターンアラウンド・マネジャー(事業再生を担当する経営者)の不足が業界で語られるようになっていますが、僕は(i)大企業の経営力と、(ii)先端金融と、(iii)一人で仕切っているおでん屋さんの経営バランス、この三つの要素を理解する人材が理想的ではないかと思っているのです。現状は三つ目の要素を兼ね備え、あるいは経験している人材が最も不足している印象です。ひょっとしたら事業再生能力を身につけるためには、ビジネススクールに留学したり、ファンドで働いたりするよりも、個人で飲み屋さんや焼き鳥屋さんを経営してみる方が本質的に近道かも知れないと思うことがあります。お店を始めることが現実的でないビジネスマンの方でも、仕事帰りにどうせ飲みに行くなら、個人経営の、長く続いている個性的なお店に長期間通い詰めることで、非常に有益な経営感覚を学ぶことができると思います。

サービス業の運営が破綻するとき
以上を意識的に理解することができるようになると、売上などの財務に現れる前から、事業の本質的な変化や従業員や顧客の変化を察知することができます。反対に、自分の気持ちと従業員の気持ちと顧客の気持ちに無関心なまま、売上や財務諸表や顧客満足度(パーセンテージや変化率)などの数値に頼り過ぎた経営(つまり、ビジネススクールで教えている経営ですが・・・)を行うと、事業の現場における重要な変化を見失うことに繋がりかねません。この原理を利用して、サービス業が破綻するパターンを非常に良く説明することができます。例えば・・・

① 一時的な売上の落ち込み→経営者が恐れを抱いて自分の商売に弱気になる→事業の価値を高めることよりも目先の売上を追う気持ちが高まる→広告宣伝、キャンペーン、タレント起用、特典の発行、資本投下による店舗デザインの変更や改装など、事業の本質(人間関係)とは異なる販促を行う→目新しいこと、「得」なこと、ミーハーなことを好む顧客層(流動顧客)を大量に呼び込む→顧客満足度の上昇→この商売が好きだった顧客が離れる→広告宣伝費等の増加による損益分岐点の上昇→売上増により販促費の増加を吸収し一時的に利益が増加する→財務的に好調になり事業の危機が去ったように感じられる→流行の変化や競合他社の登場により、流動顧客が離れる→より大きな危機感とあせりと自信喪失→より大規模かつ効果の少ない販促→破綻への悪循環。

② 一時的な売上の落ち込み→経営者が恐れを抱いて自分の商売に弱気になる→事業の価値を高めることよりも目先の売上を追う気持ちが高まる→価格のディスカウントや特典による販促→単価の低い顧客層(商売自体よりも「得」なものに強い関心がある顧客層)を大量に呼び込む→もともとの商売に愛着を持つ顧客が離れる→回転率の増加によって一時的に売上と利益が増加する→回転率の増加に伴い従業員の実質負担が増加→「業績好調」である限り従業員は何らかの納得感を持つことが一般的→競合他社の登場により、流動顧客が離れる→売上の減少に伴い利益率の大幅低下→従業員のモラルの低下→破綻への悪循環。

③ 優れた商品(例えばうまい料理)の開発や好調な売上→経営者の慢心とおごり→顧客に対して「売ってやる」という意識の芽生え→自尊心の低い顧客を多く呼び込む→顧客満足度の上昇(世の中には失礼な店主に怒られながら食事をすることが好きな人もいるのです)→この商品や店主の純粋な熱意が好きだった顧客が離れる→自尊心の低い顧客が口コミで同様タイプの顧客を連れてくる→顧客属性の変化により店に活力と「華」がなくなる→緩やかな売上と単価の落ち込み→破綻への悪循環。

以上のように、経営者がサービス業の運営を「把握」する際、財務諸表や顧客満足度などの係数データに頼りすぎることは非常に危険である場合があるのです。後者については、現場で多くの時間を使い、現場を良く理解する努力はもちろんですが、それに加え、単なる「大変満足」のパーセンテージだけではなく、コメントの量の変化、コメントの質(場合によってはお客様の筆跡なども含む)から示唆される事業的な意味を、感性によって補いながら現場を把握・理解することが有効です。同様に、「どの商品が売れるか」、「どのような販促が効果的か」、「どのような内装が顧客に受けるか」に意識を注力し過ぎるよりも「自分の気持ち(本心)はなにか」、「顧客が誰か」、そして「自分の在り方と顧客との人間関係はどのようなものか」に深く向き合う方がより本質的な「マーケティング」のテーマと言えるのではないかと思います。

【2007.3.9 樋口耕太郎】