およそ3年前に沖縄に来て以来、多くの物事をそれ以前とは全く逆の価値観で考える機会が非常に増えました。仕事の内容やパターンや人間関係も大きく変化したために、それまで溜まりに溜まった名刺を整理したことがあったのですが、約4年間でお会いした方々の名刺を集めると、段ボール箱に一杯になったことが印象的でした。この名刺の方々にお会いするために費やされた時間はざっと「名刺の枚数÷2×1時間」くらいでしょうか(お会いするときは複数の方がご一緒されることが少なくないので2で割り、それぞれのミーティングは平均1時間という想定です)。細かく計算はしませんでしたが本当に膨大な時間です。4年間でこの名刺の山からおよそ10の案件をクロージングしたわけですが、以前は「このような努力と人脈の積み重ねがあって初めて10の案件にたどり着くことができた」、と当たり前のように考えていて、その前提を疑ったことは一度もありませんでした。でも、このとき段ボール箱を見ながら感じたのは、「本当に同じ成果をあげるためにこれだけの時間が必要だったのだろうか」ということでした。嘘みたいに聞こえるかも知れませんが、現在は、全く異なった発想と、一定の原理を理解することで、ダンボール一箱の人にお会いしなくても、初めから10枚の「当たり名刺」に巡り合うことができると思っています。もしそれが可能になった場合の効率は、少なくとも100倍くらい違うのではないかと思いますが、これはトリニティのマーケティング論が応用されたときに高まる事業効率のイメージと非常に重なるのです。

また、いわゆる「攻め」の業態の営業は「千三つ」の世界だと言われることがあります。千件のお客様に断られて、三つ案件が成約するという意味です。業態によっては、この千に三つの顧客が事業の売上げの100%をもたらしているので、この意味で非常に「効果的な」事業行為と言えなくもないのですが、その反面、997人の顧客が無用の電話や訪問を受け(その中には腹立たしい思いをする人も少なくありません)、997人に営業を行うための人件費やその他の費用は商品価格に転嫁され顧客となる3人が負担することになります。また、997人は、世の中に無数に存在する営業会社から、時には同じ会社の別の営業マンから繰り返し無用の営業をかけられるということが必然として生じます。営業会社の立場では、それこそが事業行為であり、現実に(時には莫大な)事業性があり、この行為が従業員の生活と、企業成長の糧であると考えるのは当然のことですが、企業が発するメッセージという観点では、毎日何百という地域の人たち(の大半)が望まない行為を延々と繰り返しながら、一方では多大な広告宣伝費をかけ、「私たちはお客様のことを第一に考えています」と語りかけることは、何かが根本的に非効率なのではないかと思うことがあります。以上を、「メッセージ伝達の法則」に当てはめると(2007年1月25日のエントリー「伝えるということ」をご参照下さい)、「行動と言葉が矛盾するとき、行動によるメッセージが優先して伝わる。同時に『メッセンジャーの言葉にはうそがある』、というメッセージが同時に伝わる。」という現象が生じると思います(過去のエントリーでも繰り返し強調している点ですが、以上は非難でも中傷でも、批判ですらありません。経営的な観点からマーケティング、営業の事業効率を観察するにあたっての、現状認識のアプローチのひとつです)。

「待ち」のマーケティングとリレーションシップ・マーケティングのツボ
さて、「トリニティのマーケティング論《その1》 《その2》」では、①デジタル情報ネットワークの環境においては、顧客に企業を見つけてもらう「待ち」のマーケティングの効率が著しく高まる。このとき、企業がすべきことは、基本的にメッセージを掲げることだけだが、そのメッセージの内容と企業のあり方によって効果が著しく異なる。②新たな顧客を獲得するよりも、良好な人間関係を通じて、既存の顧客を失わないことの方が、圧倒的に事業効率が高い。これを達成するために最も重要な点は、企業のあり方と企業と顧客の人間関係のあり方である。という趣旨を述べました。

「待ち」のマーケティングと、リレーションシップ・マーケティングをうまく活用することができれば、いずれも爆発的な事業効率を生み出すことが可能で、今後の市場環境では重要な事業戦略のポイントになるでしょう。両者は別々の概念ですが、事業効率を生み出すためには独特ツボを理解する必要があるということ、そしてそのツボが「いかに在るか、そしていかに嘘なく表現するか」ということであることが共通しています。すなわち、「自分のあり方、正直な表現」というひとつのツボをおさえることで、二つの概念による事業効果が相乗して生まれるため、経営的にも一石二鳥のイメージです。事業をシンプルに経営するほど事業効果が高まることの一例とも言えそうです。経営論の分野で多大な功績のある故ピーター・ドラッカーの有名な言葉のひとつに、「マーケティングの究極の目的は販売行為をなくすことである」というものがありますが、もし上記の手法が成り立つのであれば、ドラッカーのいう究極のマーケティングを具体的な事業環境で実現する有効な方法と言えるかも知れません。

「待ち」のマーケティングは自分磨き
少々突飛な例ですが、女性が理想の男性との出会いを求めながら(男性が・・・でも同じことです。念のため)、「なかなか良い出会いがない」と悩むことがよくあります。正確には「出会いがない」のではなく、「自分がどんな人間であるかは別にして、自分の理想を満たし、かつ誠実なひとが自分に対して強い関心を持ってくれない」という意味だと思うのですが、これは「攻め」のマーケティングを前提としている発想で、これまでの議論を前提とすると、理想的な相手を見つけるためには必ずしも効率が高い方法とはいえません。「待ち」のマーケティングの発想に切り替えると、まず、世の中には理想の男性が溢れているという事実が現実になります(日本だけでも何千万人の未婚者がいることを考えれば、やはりその中には沢山いると考えるべきでしょう)。ただし、その数多くの理想の男性は、その女性のことを知らないかもしれないし、その女性を知り得たとしても女性の「あり方」に嘘を感じるかもしれませんし、その女性「あり方」自体に魅力を感じないかもしれません。このハードルを越える作業が「待ち」のマーケティングにおけるテーマであり、「いかに在るか、いかに正直に表現するか」という100%自己完結する作業が意味をもつのです。・・・要は「相手を探し回るより、自分磨き」ということなのですが、この考え方と行動は、正しく努力・実行すると、マーケティング的にも、人生においても非常に高い成果を生むということだと思います。

顧客は企業の鏡、従業員は経営者の鏡
では、どのような「あり方」に対してどのような顧客が惹きつけられるものでしょうか。「トリニティのマーケティング論《その1》」では、出会い系サイトの事例において、①掲示するメッセージによって返信する女性の属性が変化する、②メッセージに対する返信は、「文字通りの内容」に反応するというよりも、メッセンジャーの本心に反応する傾向がある点を指摘しましたが、これは企業の「あり方」と、惹きつけられる顧客の関係にそのまま当てはまると思います。つまり、企業の「本心」と同じ性向をもつ顧客を惹きつけるのです。

ここで言う「本心」とは、企業が意識しているかどうかには関わらず、企業の行動が伝達する、企業の本当の(多くの場合隠れた)目的を意味するという点がポイントです。例えば、企業が「どうしたら単価の高い顧客を呼ぶことができるか」、ということを強く意識して経営を行うと、高級な顧客を呼び込むことにはならず、高級を求める顧客を呼び込むことにもならず、単価が高いものに価値を見出す顧客を呼び込むことになります。非常に高価かつ似合っていない(つまり趣味の悪い?)ものを身に着けているような顧客のイメージです。単価の高いものが高級だと考えている人は少なくありませんが、高級なものと単価の高いものは本質的に異なる概念です。高級とは何かを理解できないお金持ちは、単に単価の高いものに惹かれるという傾向があると思います。同様に、企業がどうしたら高級な顧客を呼ぶことができるか、ということを強く意識して経営を行うと、高級な顧客を呼び込むことにはならず、高級を求める(いわゆるミーハーな)顧客を呼び込むことになります。そして、企業が自ら高級になろうと強く心がけて行動すると、高級になろうと努力して生活を送っている顧客を惹きつけることになります。

以上の関係は、経営者と従業員の関係にも当てはまります。高級になろうと努力する経営者には高級な従業員が惹きつけられ、高級な従業員は高級な顧客を惹きつけます。仮にこれが事実だとすると、高級な顧客をひきつけるためには、経営者自身が高級な人間になろうと自ら努力することが事業的に効果的であり、企業のマーケティングは経営者の個人的なあり方というテーマと重なることになります。

【2007.2.24 樋口耕太郎】

2006年12月31日に終了する、第一期事業年度の事業報告および決算報告書をアップしました。こちらをクリックするか、ウェブサイトのトップ画面より、「会社情報」「事業報告」の画面よりpdfファイルをダウンロードしてご覧下さい。

陽射しがすこし柔らかくなったかな、と思ったら、また寒さがぶり返す。
いったん脱いだ衣服を、あわてて更に重ね着する…そんな季節柄から、旧暦の
二月は「衣更着(きさらぎ)」と呼ばれるようになったといいます。
でも今年の冬はとても暖かく、自然は、私たちの知らない所で着々と春の準備を
始めて、今や春になってしまったかのようです。
今日はバレンタインデー。気持ちも春色でお過ごしくださいね。

ずいぶん昔…、難病と闘うミコと、その恋人のマコの、激しくも悲しい恋愛を
綴った大島みち子さんの実話書簡集『愛と死を見つめて』が、ブームになり、
少し前に42年ぶりにテレビドラマとして蘇りました。
舞台となっている私の生まれた1960年代の日本は、普通の国の100年分くらいの
高度経済成長を遂げました。特殊な時代です。私の両親も、街や周囲がすごい
勢いで変化をしていく様に、当時すごく驚いた記憶があるようです。大人も
子どもも、輝かしい未来を信じて国民全員が全力疾走し生きている、そんな10年
だったそうです。ところがこの主人公の二人は、周囲の人々が先を夢見て生きる
中で、ミコの難病という現実を突きつけられ、掴めるはずだった明るい未来を
突然失ってしまいます。しかも、彼らの悲しみや悔しさを拾えるほど当時の
日本人に余裕はなかったので、周囲はどんどん先に走っていってしまう…。
ミコとマコは“置いていかれた側”です。でも、脇目もふらない速度で
走り続けた日本は、経済の成長と共に、何か大事なものをそこに置いてきて
しまったのではないのでしょうか。
愛し合う二人の愛は、純愛ですが、同時に“闘う愛”でもあると思うのです。
本気の恋愛とは、社会に対するレジスタンスと同義だと思います。
つまり、“愛よりも大切なものがある”という論理をかざしてくる
社会システムに、はっきりと“No”を言う。この二人の恋愛は、
1960年代という疾走するだけの時代に異論を突きつける行動だったのでは
ないか、と。二人は子どもだったけれど、その若さゆえのエモーショナルな
衝動には尊敬の念を私は抱きますし、これからの若い人たちにもそれを
感じてほしいし、あなたにもそんな本気の恋愛をしてほしいと思います。

「世の中、お金じゃない」
と言った時に、決まって返ってくるのが、
「じゃあ、お金なしで生きていけるの?」
という正論です。
でもじつは、「生きるのに必要なお金を稼ぐ」のと「お金儲けに走る」のとでは、
決定的な差があります。それは【コントロール欲求】に支配されているか
どうかということでもあります。この欲求が、多くの人を不幸にし、犠牲に
します。
たとえ金銭欲とは無縁の人々さえも、巻き込んでいくのです。
人も企業も、お金を儲けるために悪事を働くことがあります。人命を犠牲に
することさえあります。
本当は、企業が世の中の役に立つ活動をする資金を集める方法が株であり、
その活動を評価して買うのが株です。でも最近では、企業は実態なしにでも
株価を上げようとし、投資家は企業の活動内容と関係なく、利益の
得られそうな株を狙うマネーゲーム状態です。
すべてお金の魔力のせいです。年収が1500万円を超えると、かえって幸福感は
低下するという研究結果があるのに、なぜ人は必要以上にお金に
執着するのでしょうか?
そこにあるのがすなわち【コントロール欲求】のようなのです。
お金をパワーと感じ、お金があればすべてをコントロールできると
錯覚してしまうところから、際限なくお金を儲けようとするらしいのです。
人も自分も滅ぼすこともあります。決して健康な精神状態とは言えません。
企業も人間と同じように精神を病む場合があるのです。
現代はまさにそんな時代です。
それに立ち向えるのは、ミコとマコのような、また、自分より相手を大切に思う、
無償の愛情だけなのだと思います。

あなたの愛は生きていますか?
あなたの愛する人は誰ですか?
その人を本気で愛していますか?

誰もが愛し愛される大切な存在です。
あなたは愛し愛されるために生まれてきたのです。

今日は愛情あふれる一日をお過ごしくださいね。

【2007.2.14 末金典子】

最近のマーケティング理論の中で、実務的な観点から優れていると思うのは、「リレーションシップ・マーケティング」の概念です。従来、マーケティングの発想は「新規顧客を獲得する」というテーマに偏重していたように思いますが、新規顧客の獲得は既存顧客の維持よりも圧倒的にコストがかかる(5倍程度のコストがかかるという説もあるそうです)という非常に明快な理由で、既存顧客の離反率を下げることが非常に有効なマーケティング戦略として見直されており、これに関連する一連の概念が、一般に「リレーションシップ・マーケティング」と呼ばれているようです。リレーションシップ・マーケティングの事業効果を計る概念として、現在マーケティング研究の第一人者とされるノースウェスタン大学のフィリップ・コトラー教授は、顧客の「生涯価値」という考え方を提唱しています。すなわち、顧客が企業と取引を継続する期間中に生まれる合計収益を、マーケティングの成果として評価する考え方です。(さらに顧客の生涯価値から、企業が顧客を獲得・維持するための総費用を差し引いた概念を「顧客価値」と呼び、これを最大化することが企業の目的であるべきだという考え方をするようです)。

もっとも、「リレーションシップ・マーケティング」と表現すると、何かしら複雑な経営理論のようですが、要は「(顧客との)人間関係を大事にする」という当たり前のことで、逆に、これが「先端理論」とされていること自体、マーケティング理論がいかに現場から乖離しているかということかも知れません。例えば30年前、僕が子供の頃の盛岡の、地元の商店のおばちゃんはこの原則をきちんと理解してお店を経営していました。むしろこの概念が、長期間の経済成長の中でサービスの質の低下と共に退化の一途を辿り、今ようやく再び見直されてきたと考えるべきでしょう。

矮小化されているリレーションシップ・マーケティングの運用
リレーションシップ・マーケティングの発想は良好な人間関係の維持を重視した普遍性の高い概念だと思うのですが、その概念を現実の経営に応用する手法は、本来の「人間関係」から離れ、「しくみ」の議論に相当矮小化されているという印象を持ちます。その代表例が「ロイヤルティ・マーケティング(マイレージやポイントカードによる囲い込みなど)」や「データベース・マーケティング(顧客の属性データを集め、それに対応した商品の提供などをおこなう)」と呼ばれる「最先端」のマーケティング手法です。

ロイヤルティ・マーケティングは導入に多大なコストがかかりがちな反面、他社が追随しやすく、差別化にいたらない傾向と、結局「他がやっているから」という消極的な理由で運用されざるを得ない宿命があるような気がするのですが、本当に事業的な効果が生まれているのか不思議です。更に、ポイントカードでもマイレージでも、結局のところ、このしくみの導入によって企業が顧客に提供するものは、継続利用に対する実質的なボリューム・ディスカウントです。つまり、「顧客としっかり向き合って、良好な人間関係をいかに構築するか」という、事業にとっても、従業員個人個人にとっても極めて重要な、リレーションシップ・マーケティング本来のテーマが、「沢山買ってくれたお客様におまけする」というだけのことに矮小化されているわけで、このような考え方は、何か根本的なところで経営のあり方を却って非効率なものにしてしまっているように感じます。その他、これに比べれば小さい点ですが、顧客の立場では、沢山買っても得点がもらえず「なんとなく損をしたな」という気持ちになりたくない人は、財布の中がポイントカードだらけになることを覚悟しなければなりません。いつの間にかたまっていく山のようなポイントカードを見る度に、「このしくみは何かがおかしい」と思うのです。そもそも「沢山買ってくれたお客様におまけする」というだけのことに、なぜこれほどシステム投資が必要なのか、という素朴な疑問もあります。

データベース・マーケティングについても、顧客の立場からすると、例えば、3年前の引越しのときに少しだけ関心を持ったことがある家具の広告がいまだに送られてくるのを見ると非常にしらけた気分になるのは僕だけでしょうか。顧客の過去のある時点における購買行動や関心ごとが顧客の属性を決めるという考え方は一見合理的なようですが、顧客の価値観をあまりに矮小化しているように思え、このような前提からどれだけの事業性が生まれるのか疑問を感じます。また、インターネットの発達で、顧客へのアクセス(つまりはメールですが)が容易かつ安価になるということで、多大なシステム投資が正当化されるのですが、顧客にしてみれば、その他の大量のジャンクメールに混じって広告メールが届いたところで、本当に意識を割くものでしょうか。データベース・マーケティングはこの手法によって「適切な顧客へアクセスする効率を高める」という考え方が基本にありますが、インターネットに代表されるとデジタル情報ネットワーク環境の変化によって、そもそも企業が顧客にアクセスするという行為自体が非常に非効率になりつつあります(顧客は自分が関心を持つものには自らゼロコストでアクセス可能な環境では、「待ち」のマーケティングが有効なのではないか、という考え方は前回のエントリーでコメントしたとおりです)。…「最先端」のマーケティング理論に基づき、企業が多大な時間と資本と「専門家」を投下して構築しようとしているマーケティング・インフラは、既に出会い系サイトでほぼ実現していますので、そのインフラの効果を実感してみるのは非常に有益だと思います。「攻め」のマーケティングをいかに効率化しても、最先端理論が示唆するような効果はないということを実感されるかもしれません。

そして何よりも、以上のようなしくみと運用の最大の問題点は、顧客の気持ちが中心にない点ではないでしょうか。例えばですが、企業の意図は別にして、企業の「行動によるメッセージ」を素直に解釈すると、顧客は、欲しくもないカードを常に携帯しなければ、損した気持ちにさせられるという点で、企業から軽く脅されている状態に等しいと思います。

顧客を維持することのパワー
しかしながら、顧客との関係をより良いものにするというリレーションシップ・マーケティング本来の概念が極めて有効なものであることに変わりはありません。リレーションシップ・マーケティングや生涯価値の概念を経営に応用すること、すなわち顧客を維持することの事業的なパワーは相当なものです。経営論的に表現すると、米国の通信事業者は毎年25%の携帯電話加入者を失っており、これを金額に換算すると20億~40億ドルの損失が出ているといいます。また、平均的な企業は毎年顧客の10%を失っており、業種によっても異なりますが、離反率を5%減らせば、利益は25%~85%上昇するそうです(25%~125%という調査もあります)。

従来のマーケティングが重視している新規顧客の獲得は、あくまで一回の購買に関する概念ですが、リレーションシップ・マーケティングの概念では、例えば年間5回ある商品を買う顧客を2年間維持できれば10回の購買、10年維持できれば50回の購買(すなわち50倍の生涯価値/事業性)を生むことになります。50倍の数の顧客を獲得するよりも、10年顧客と付き合う方法を考えるほうが遥かに事業効率が高いことは容易に理解できることと思います。別の言葉では顧客を得ることよりも失わないことの方が数十倍の事業効果を持つ可能性があり、遥かに重要なマーケティング上の課題であるといえます。

マーケティングは「企業のあり方」
実のところ、「リレーションシップ・マーケティング」という言葉自体が、概念の本質を見にくくしている面があると思います。この概念は、「顧客との(長期の)人間関係を重要視する」ということでしょう。そして、効率的なリレーションシップ・マーケティングを突き詰めていくと、「マーケティング」というカテゴリーは消滅し、「企業のあり方」「人間関係のあり方」というテーマと同一のものになるのではないでしょうか。本当に継続する関係は、「出会い方」よりも、自分の「あり方」と人間関係に依拠するからです。その意味で、一般的な人間関係で、最も長期的に継続する関係は、肉親を別にすると同級生や幼馴染みですが、この人間関係がリレーションシップ・マーケティングの究極のイメージに近いと考えることはできないでしょうか。このような人間関係を顧客と構築することは不可能なことでしょうか。このような考え方をビジネスに応用することはできないでしょうか。

【2007.2.10 樋口耕太郎】

本稿は、「デジタル情報革命と企業経営」「マーケティングはどうなる?」に関連するテーマを、マーケティング理論の観点からより体系的に構成したものです。合わせてご覧いただけるとイメージが伝わりやすいかもしれません。前二稿の基本的な論旨は、

『デジタル情報革命後の次世代マーケティング環境では ①企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、②顧客は企業がどう見てもらいたいかとは全く異なる情報によってありのままの企業を知る、という現象が常態化する。同時に、③デジタル情報革命など、環境の変化によって対象顧客の範囲が飛躍的に拡大する。従って、(i)顧客を知る、顧客に自らを知らせる、というマーケティングは非効率になる、(ii)企業のあり方、特にうそのないあり方が最大の「マーケティング効果」を発揮する、(iii)企業が顧客のニーズを理解し、顧客を特定し、顧客のニーズに合う商品を提供するという行為は非効率になる。』

というものでした。

冗談ぽく聞こえるかも知れませんが、このような市場環境をとてもよく実感できる仕組みがインターネットの出会い系サイトです。この話題を提供することで自分の恥をさらすような感がありますが、出会い系サイトを実際に経験してみることは、デジタル情報革命後のマーケティング環境を体験する極めて有効な方法であるため、恥を忍んでも紹介したいという意識が勝りました。社会的にはなにやらいかがわしいイメージが付きまといますが、内容は玉石混交です。仕組みに問題があるのではなく、運用する各人の問題だと考えるべきでしょう。人を傷つけるような利用方法は決してすべきではないという前提で、マーケティングや経営に関心がある方は是非一定期間試行錯誤されてみることをお勧めします。

「理想的」なマーケティング環境
ご存じない方のために、出会い系サイトの基本的な構成を説明します。もちろんサイトごとに相当なバリエーションがありますし、僕の知識と経験も限定されていますが…、基本的に男性掲示板と女性掲示板の二種類が用意され、女性であれば女性掲示板に男性へのメッセージ、男性であれば男性掲示板に女性へのメッセージを掲載することができます。サイトによってはメッセージを掲示する際に、住居地、年齢、学歴、職業カテゴリー、年収、趣味などの属性を登録することができます。男性は女性掲示板にある多くの女性のメッセージを、女性は男性掲示板にある多くの男性メッセージを、属性ごとに検索・閲覧でき、関心がある相手に対してメールなどでメッセージを送付することができる、といったシンプルなものです。

出会い系サイトの男性と女性の関係は、デジタル情報革命後の企業(男性)と顧客(女性)の関係に非常に似ていると思います。女性の掲示に対しては一日で100通をゆうに超えるメールが集中する反面、男性の掲示に対しては1週間で1通の返信があれば良い方ですので、単純にイメージしても1000:1くらいのアクセス数の差があります。デジタル・ネットワーク環境でのマーケティングは、出会い系サイトで男性が如何にして女性からの連絡を獲得しようかと考えている状態と似ています。

男性は、自分の目的に適ったサイトを選択し、本人の自己申告によって構成される女性のプロフィールを絞込み(セグメンテーション)ます。男性はメッセージを可能な限りパーソナライズして送付します。学歴、年齢、住居地域、職業、趣味、その他個人的な嗜好がこと細かく特定されているサイトも珍しくありませんので、男性は女性の属性を相当程度把握し、サイトの種類、すなわち属性群、を自由に選択し、殆ど費用をかけずに、無制限にアクセスすることができます。一般企業がこのような「マーケティング・インフラ」を整備するためにどれだけの投資や整備を行っているかを考えると、出会い系サイトの男性は、「最先端」のマーケティングに必要な環境をただ同然のコストで利用でき、企業からすれば夢のようなマーケティング環境、ということになります。

マーケティング効率に関する問題点
このように、出会い系サイトでは、マーケティング理論的に理想的なマーケティング・インフラが提供されている筈なのですが、男性から女性にアクセスを試みる上で、いくつかの構造上の問題が存在しています。第一に、顧客属性の絞込みによってマーケティング効率が上がるという幻想です。有効返信は男性が送付したメッセージ100通に対して多くても1通くらいでしょうから1000通出して数通の返信があるというイメージで、メッセージを大量に送付します。メッセージの送付にはコストが殆どかかりませんので、理論的には送付すればするだけ効果が上がるはずです。ところが、女性の属性を利用して返信効果を挙げようと、「有効な対象属性」に対象先を絞れば絞るほど、急速に対象数が減少し、そのためより多くの新規サイトを徘徊しなければならなくなってしまいます。単純に考えて10分の1に対象を絞ると、対象数を10倍に増やさなければならなくなります。企業のマーケティングになぞると、属性が特定された顧客データを入手・構築して利用する戦略においては、そのデータを絞り込むほど、更に何倍もの多くのデータが必要となり、マーケティングそのものよりもデータの入手・構築にかかる労力がどんどん増加するといった、本末転倒の作業に時間と費用が費やされがちです。

第二の問題点は、同報メールなどのマス・メッセージとパーソナライズド・メッセージの伝達効率の大きな格差です。不思議なものですが、メッセージを受け取る女性は、それが本当にパーソナルなものか、大量にコピーして送付されるものかをしっかり感じるものです。ダイレクトメールの宛名だけ替えて送付されるメッセージでは、受信者に何の感動も共感も与えることはできません。このため男性は、女性の属性や掲示されたメッセージごとに、それらしくパーソナライズされたメッセージを書き分けることにします。この作業はある程度効果的なのですが、もともと何百も送付しなければ返信がない確率の中での作業ですので、メッセージの書き分けは全体の作業効率を著しく低下させます。

第三の問題点は、属性情報の根本的な価値についてです。例えばある時点で「音楽が趣味」とデータが示している人がいたとしても、来年も、あるいは極端な話、明日音楽に関心があるとは限りません。個人的な経験を振り返っても、車の種類、出張の頻度、音楽の好み、ライフスタイルなどは比較的短期間で相当な変遷をたどっています。少々大げさに表現すると、数年前に答えたアンケートの内容が自分とは思えない程です。男性・女性の別など、根本的なものを除けば、マーケティングの観点からは平均的な顧客(属性)は5年もたてば別人、と考えて差し支えないのではないでしょうか。僕が経営者としてデータベース・マーケティング(続編で後述します)に投資を考えるとしたら、どんなに甘い想定でもデータの効果は5年で償却されるという前提で収支を計算するとおもいます(実際は2年くらいの想定にするでしょう)。

第四の問題は、対象が「メッセージを掲示している女性」に限定されるということです。これは想像ですが、実際掲示板にメッセージの登録をする女性の数は、このサイトを閲覧する女性の1~10%くらいなのではないでしょうか。仮にこれが事実だとすると、女性の掲示板を見て対象を絞り込むという手法は、絞込みを開始する以前から10~100倍の対象女性を無視してしまっている可能性があるのです*(1)

「待ち」のマーケティング
では、以上のような、男性が女性にメッセージを送付する「攻め」のマーケティングに対して、正反対の発想をしてみたらどうでしょう。女性のメッセージを閲覧したり、属性を絞り込んだり、ダイレクト・メールを送ることを一切止めて、自分のメッセージを男性掲示板に掲載し、後はただ女性からメッセージが届くのを待つのです。このように発想した瞬間、出会い系サイトのインフラは次のような性質を持つことになります。

第一に、対象女性のデータを検索・収集したり、属性を検証・絞り込みなどの作業が一切不要になります。第二に、大量のメッセージの送付作業やパーソナライズしたメッセージを作成する手間、つまりメールを100通出しても一通返信があるかどうか、という環境で、それぞれメッセージをパーソナライズする労力は相当なものですが、この一切が不要になります。第三に、前述の理由から、掲示されている属性が現在も有効であるかどうかは非常に曖昧である可能性があります。これに対して、男性の掲示するメッセージの内容に女性がアクセスする「待ち」の手法においては、逆説的ですが、そのメッセージの内容次第で特定の属性の女性をかなり有効に呼び込むことが可能で、このため女性の属性を誤る可能性が低下します(詳細は後述します)。第四に、メッセージを掲示する女性が、前述の通り仮にサイトを閲覧する全女性数の1~10%だとすると、「待ち」の手法によって男性が掲示したメッセージを受け取る可能性が生じる対象女性数が、10~100倍に増加することになります。

本稿の冒頭で、『デジタル情報社会における次世代マーケティング環境において、企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、という現象が常態化すると同時に、対象顧客の範囲が飛躍的に拡大する。』と表現しました。更に、このような環境においては、『顧客を知る、顧客に自らを宣伝するマーケティングは非効率になり、企業が顧客のニーズを理解し、顧客を特定し、顧客のニーズに合う商品を提供するという行為は非効率になる。』とも。これは出会い系サイトの「待ち」の環境と非常に似ているのです。

同じ文章を出会い系サイトの「待ち」の男性に置き換えてみると、『出会い系サイトにおいて、男性はメッセージを送付してくれる女性の存在を知らないが、女性は男性の存在を知っています。そしてメッセージを送付してくれる可能性を持つ女性の範囲は「攻め」の利用方法と比較して飛躍的に拡大します。』。更に、このような環境においては、『対象女性を絞り込む努力、女性に自らを売り込む作業、男性が女性の嗜好を理解(推測)し、女性のフィーリングに合うメッセージをカスタマイズして送付するという行為は非効率』ということになります。

「待ち」が機能するための要素
出会い系サイトの「待ち」の手法で、効果的に女性からメッセージを受け取れるようになるコツの習得は、次世代マーケティング環境で高い効果を生む手法に繋がります。「待ち」の手法で物理的にすべきことは、メッセージを掲げて待つだけですので、「攻め」のマーケティングと比べると、その効率の高さは比較になりません。一部サイトを除き、写真や音声の掲示もありませんし、使える文字のフォントや色や大きさも大方特定されています。すなわち、視覚効果、デザイン、その他の演出では差別化する手段はなく、基本的にメッセージの内容だけが男性掲示板のその他多数のメッセージと差別化する唯一の手段であり、この作業に必要な資本は「知性」と「心」だけです*(2)。男性掲示板には自分以外のメッセージも多数掲載されていますので、どんなメッセージでも効果があるというわけではありません。むしろ、試行錯誤の初期においては、殆ど効果が出ずに諦めてしまう人が少なくないのではないでしょうか。恐らく本当に効果が出るメッセージがどのようなものかを理解するまでに、早くて3ヶ月から半年くらいはかかるような気がします。

掲示するメッセージと返信の関係で非常に興味深い事実がいくつかあります。第一に、ある意味当たり前なのかもしれませんが、掲示するメッセージによって返信する女性の属性が変化するということです。これは単にピアノが趣味だと掲示するとピアノが好きな女性が返信する、といった形式的な属性に加えて、以心伝心がネットの世界でも可能だと感じる時があります。イメージで表現すると、必ずしもメッセージで「ピアノ」に言及しなくても、「ピアノが本当に好きだ」という気持ちでメッセージを作成すると、音楽を心から愛する人が返信してくる、という感じです。

僕が駆け出しの証券マンだったころ、「儲かる株があります」というトーンのセールストークでお客様になって頂けた方と、「僕の将来を買ってください」というメッセージに共感してくれたお客様は、全く異なるタイプのお客様だったという経験がありますが、これも同じ現象だと思います。よく「顧客は企業の鏡」「従業員は経営者の鏡」といわれますが、出会い系サイトでも、本当にその通りだということをはっきり実感することができるのです。

第二に、メッセージに対する返信は、「文字通りの内容」に反応するというよりも、メッセンジャーの気持ち(本心)に反応する傾向があると思われる点です。例えば、メッセージで「高級車」に言及すると、「高級な人」ではなく、「高級に憧れる人」(あるいは大体同じ意味ですが、「高級なものをエゴの表現として利用する人」)が返信する、といった感じです。僕の推測ですが、これは高級車に言及する人の本当の気持ちが、返信者に伝わるためではないかと思います。本当に高級な人は、短いメッセージの中でわざわざ高級車に言及するようなことはしないものです。

この現象が仮に事実だとすると、メッセージを受け取る人(すなわち、誰でも、ということですが)の感じる力は相当なもので、本当は顧客に対して殆どごまかしが効かないかも知れないのです。僕がサンマリーナで経験した顧客の反応は、まさにこのような感覚と符号します。「顧客は企業が想像するよりも遥かに正確に企業の本当の意図を感じる力がある」という前提で事業を行うほうが、よほど現実的な結果が生まれるというのが僕の経験です。

なお、上の例で、「高級車」に言及する人の一定数は、それが本当は「高級なものをエゴの表現として利用する」意味だということを自覚していません。そして、このような表現が「高級だ」と感じる人、つまり「高級に憧れる人」を大量に惹きつけ、返信が目に見えて増加するため、それが本当に高級なことだと誤解してしまうケースが少なくないのではないでしょうか。つまり「目に見える表現」と「反応という結果」が強い相関を伴ってメッセンジャーの経験となるため、「成果を生むマーケティング手法」と理解されがちなのです(この論点に関する詳細も、続編で言及します)。

以上を前提にすると、企業の気持ち(すなわち、経営者と従業員の気持ち)が変わると、顧客の属性が変化する、ということが示唆されるのですが、これが仮に事実だとすると、非常に効率の高いマーケティング手法として応用可能なのです。

【2007.2.5 樋口耕太郎】

*(1) もちろん、積極的に掲示を行う女性は、単に閲覧するだけの女性よりも非常にマーケティング属性が高いという考え方もある程度成り立ちますが、その分対象属性の母集団として偏っているとも考えられます。

*(2) これはすなわち、人の本来の力が、資本や単純労働に圧倒的に勝る、ということを具体化した事業モデルでもあります。そして、人とその潜在能力をこのような意味で事業的に活かす手法では、(金銭的)資本を全く必要としないため、極めて高い収益(無限大の投資効率)を生むという特徴があります。資本主導の事業環境の中で、「人を自由にしながら活かす」経営手法のひとつとして非常に有効だと考えています。