お元気でしょうか。
毎月こうしてお便りを書かせていただくことを心から嬉しく思っています。
いつもほんとうにありがとうございます。
週明けはクリスマスですね。
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたためなのだそうですよ。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、家族や友達同士でワイワイ騒いだり…が
主流のジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。
麗王でも特製クリスマスケーキとともにお待ちしていますよ~。
そしてクリスマスが終わるともう新年。
政治の世界でも政権が変わるなど、いろいろ変化の多い年でしたが、
私達は社会の激変に呑み込まれることなくどのようにしたらこの時代を
うまく泳ぎ切ることができるのでしょう。
福沢諭吉の「学問のすすめ」をお読みになったことがおありですか?
私も学生時代に読んだことがあるのですが、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」…というあれです。
ふと思いました。「あれ? その次に続く言葉って何だったっけ?」と。
それで、130年以上も読まれ続けるこの世界的名著の中に何か今を生きぬく知恵が
あるのではと、福沢諭吉本を何冊か買って再読してみることにしました。
やはりありました。素晴らしい言葉の数々が。
その中から一つだけ御紹介させていただきますね。
渡り鳥である雁の群れには、それが十羽であれ、五十羽であれ、
必ず奴雁(どがん)と呼ばれる一羽がいるそうです。
雁が渡りをする際には、その群れの中で、常に危険を予測してそれに備える雁を、
奴雁というのです。
群れが多かろうとも、奴雁は一羽しかいないらしく、空を飛んでいるときや、
群れが羽を休めて餌をついばんでいるときなど、どんなときでも、
奴雁は決して休むことなく、首をぐーっと長く伸ばしてまわりをよく観察し、
もし危険なことが起きそうだったらすぐに大きな声で鳴いて知らせ、
群れを安全なところに導いていくというのです。
教育論集の中で福沢諭吉は、学者とは、国の奴雁であれと綴っています。
今が豊かでしあわせな社会であったとしても、学者は常に一人孤独で、
命がけになって、集団や組織、地域を守るべく、
奴雁の役割をしないといけないと。
私は、奴雁という存在をひとつも知らなかったので、
いたく感動してしまいました。そして、社会という長いものに巻かれずに、
一人孤独に、命がけになるという奴雁の生き方や仕事に心を打たれたのです。
そして考えました。今、私達の家庭で、地域で、会社で、日本という国で、
そして世界という地球全体で、ほんとうの意味において奴雁の役割をしているのは
何だろうかと。
また、自分自身が奴雁となって守るべきものは何だろうかと。
今こそ奴雁の精神を学ぶべき時代ではないでしょうか。
これはなにも学者の世界だけのお話ではないのです。
私達は誰しも、スケールの大小はあるだろうけれど、一羽の奴雁であることを
忘れてはいけないということを強く感じました。
そして、これからの暮らし方、働き方、過ごし方、生き方を、
新たにするためのヒントを、私は奴雁から学びたく思いました。
さて。
今年も残すところ10日ほどとなりました。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……
日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定で、不景気な今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、
隅々まで心を配り、そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間を
お過ごしいただこうかと深く考えながら、反省もしながら、
お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで、
これからも麗王に立たせていただきます。
みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
どうか来年からもまた麗王にいらしてくださいますよう心からお願い申し上げます。
あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何よりも、どうかこの上もなくお幸せでありますように。
【2012.12.20 末金典子】
| 麗王だより 2012年
随分ひんやりしてまいりましたね。先月まではまだ暑くて、窓を開けて眠っていて
泥棒に入られてしまった私も、防犯の意味だけではなく寒さのためもあって
今では窓をしっかり閉めて眠っております!
さて、その泥棒騒ぎの件では、みなさまからたくさんのお見舞いのお言葉や
麗王にわざわざいらしてくださっての励ましをいただき
本当にありがとうございました。
現金などは盗まれてしまいましたが、改めて自分にとっての財産とは何なのかを
考え、感じることができました。
この事件、私にとっては結構ショックな出来事でした。
「私が防犯を怠っていたからこうなったんだ」「普段の行いのいけないところが
こうしたことを招いたんだ」などと随分自分を責めたりもしました。
犯罪学でいうと、私のように泥棒に遭った人だけではなく、暴力を受けている人や
レイプに遭った人など犯罪に遭った人は一様に自分を責めるのだそうです。
それは「私にどうしてこんなにひどい事が起こったんだろう」というつらい心の
一つの落としどころとして「自分のせいで」と理由付けをするのだろうと
日本銀行の杉本支店長が教えてくださいました。なるほど。
一方、泥棒に入った犯人の方はというと、刑事さんのお話によると、
意外と罪の意識などはなく、一日に何軒も泥棒に入ったりして稼いでは
その日暮らしをしているのだとか。
こういう人は心理学でいう、つらいからという理由で簡単に仕事をやめてしまう
人達や麻薬や覚醒剤に溺れる人達に多い「快楽型人間」そのものです。
「快楽型人間」にとっては、努力は苦しみ以外の何ものでもなく、
努力のない人生こそが幸せな人生なのです。
でも人間は、努力なしではけっして幸せには生きられないのではないでしょうか?
こう考えていて、昔観た「トワイライト・ゾーン」のエピソードを思い出しました。
ドラマの主人公は、逃走中に殺された残酷な犯罪者です。彼は殺された直後、
ある天使に迎えられます。その天使は、彼のあらゆる願いを叶えるために、そこに
送られてきました。その男は、自分が天国にいることが信じられません。
犯罪者としての過去を忘れてはいないからです。でもすぐに、その幸運を受け入れ、
自分の願いを列挙しはじめます。
するとそれらは、すべて叶えられます。どんなに多くのお金を求めても、そんなに
ぜいたくな食べ物を求めても、すべて与えられます。美しい女性達を求めると、
彼女達が現れます。まさに、これ以上は望みえない生活に思われました。
ところが、彼はあるころから、何でも思い通りになるその生活に、喜びを
見いだせなくなります。努力不在の生活が、退屈でたまらなくなったのです。
そこで彼は、やりがいのある、挑戦的な仕事がほしいと天使に訴えます。
すると天使は、この場所では、ほしいものをなんでも与えられるが、ほしいものを
手に入れるために働く機会だけは例外だと答えます。
努力目標が何一つないまま、この犯罪者はイライラを募らせます。そしてやがて、
がまんが限界に達し、その場所を離れて「別の場所」に行きたいと訴えます。
つまり、この犯罪者は自分が天国にいるものと信じていて、そこがいやに
なったので地獄に行きたいと考えたのです。
ここでカメラが天使の顔を大映しにします。
天使の優美な顔が、いかにも邪悪そうな顔に変わります。そして、悪魔の不気味な
笑い声を上げながら、彼は言います。「ここが、その別の場所なのだよ。」
目標も、挑戦すべきことも、努力もない快楽主義的な人生は、私達をけっして
幸せにはしません。
私達は、谷間にいようと、頂上にいようと、くつろぐのではなく、より上を
目指すように作られているのだと思います。
人間は誰かに喜ばれるために生まれてきます。
そして喜ばれている自分を発見して成長する生き物です。
人間の成長は、もっと喜ばれる人になりたい、何をすれば喜ばれるだろうかと
考えることで生じます。
これからの時代は大変厳しくなることと思います。今までの常識も通用しません。
それでもどんな時代でも共通する生き方があります。
それは喜ばれている人間は常にどんな社会構造になっても必要とされるので、
喜ばれるために新しいことを考え、もっと何かができるだろうと考え行動すること
なのだと思います。
また誰かに喜ばれている人間の役割は、仕事の役割と同じです。
仕事の役割はお客さまに喜ばれることなのですから。
仕事の中にこそ実現する人生があり、だれかに喜ばれる自分をつくることこそ
人生なのです。
つまりは仕事をすることは自分の時間を誰かの喜びに変えることなのですね。
こう考えたら、先日の泥棒さんもなんだか気の毒な感じさえしてきました。
最後に、いやな事が起こった時、いつも私がいつも繰り返し唱える八木重吉さんの
「ゆるし」という詩を御紹介いたします。
神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまへにささげたい
与えられる物事の一つ一つを、ありがたく両手でいただき、
自分しか作ることのできない花束にして、笑顔で、神さまに捧げたいと
思っています。
さぁ、明後日の木曜日は今年のボジョレーヌーボーが解禁となる日です。
一生懸命働き、喜ばれているあなた御自身への御褒美に、今年の新しいワインを
プレゼントしてあげてくださいね。
(麗王では今年はJAL国際線ファーストクラスで唯一採用された
EUオーガニック認証ボジョレーヌーボーを御用意いたしております。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりくださいね。)
【2012.11.13 末金典子】
| 麗王だより 2012年
ようやく秋の気配が深まってきましたね。
お元気にお暮らしでしょうか。
私の方はと申しますと…、
なんと! 北谷の自宅で初めて泥棒に入られてしまいました!!
夜中の2時~朝6時の間に眠っている私の寝室の窓から侵入し、
眠っている私の横を堂々と通り(気持ち悪~い!)、電気もつけていたリビングへ。
テーブルに置いてあった私のお財布や通帳、私の部屋のバッグごとを玄関から
持ち去りました。
その後、現金のみを抜きさって、通帳や印鑑、カード、鍵、免許証、保険証などの
貴重品はバッグごと全部隣のマンションのパーキングに捨てられていました。
もう悔しいのなんのって。現金は命あってこそとあきらめもつくものの、
クレジットカードなど全部停止した後からバッグが見つかったので、
面倒なことったらありません。鑑識や調書等でまる1日潰れてしまいましたし。
哀しい人もいるものですね~。そんな危ない努力をするのなら真面目に努力すれば
いいものを…。
警察によると町内でその日だけでも3件も同じ手口で泥棒が入ったそうです。
涼しい時期なので、みんなクーラーをかけずに窓を開けて寝ていますので
入りやすかったんでしょうね。2Fがことのほか狙われやすいそうです。
中部だから、この24年間何もなかったからと、安心していた私への大きな警告とも
なりました。
あなたもどうぞ気をつけてくださいね。
さて、今月末はハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、
パーティで盛り上がるのですが、あなたは最近、思いっきり笑ったり、
はしゃいだりしたことがありますか~?
私達は、赤ちゃんや幼児の時には、どんなもの、どんなことでも、
「あるがまま」を無邪気にオープンなハートと全身で「感じて」いました。
その頃の私達は「そのままの自分」で「自然体」で、いつも「今」を
生きていたものです。それから年齢を重ねていくうちに、どんどんと、
感じることより、考えることのほうが多い生活を送る大人になりました。
その「考える」ことに、私達は必要以上の、どれだけ多大なエネルギーを
使い続けているか、そのために、どれだけ余計な悩み、苦しみ、不安、イライラ、
ストレス、怒り、悲しみを、自らつくり続けているのか、
その事実を認識することが本当に急務なのだと私は感じているのです。
何故なら、私達は誰でも「幸せ」でありたい、と思っていますよね。
でも、幸せとは、自分自身が「感じる」ものです。
すごくカッコイイ容姿なのに不満の多い人、いい大学を出て一流企業で
高給をもらっていても悩みをかかえている人、素敵なパートナーがいるのに
不安やコンプレックスから解放されない人、誰もが一生懸命生きているのに、
「十分な幸せ」を感じられない人がこんなに多いのは、何故でしょうか?
理由は、いろいろあるのでしょうが、大きな要因の一つに「感じる力」の低さが
あげられるのだと思います。
子どもって、ものごとを深刻に受け止めませんよね。
でも、知識や経験、理屈、記憶がいっぱいの大人は、思考や判断を持ち出し、
ものごとをつい深刻、複雑にして、心配や悩み、不安や恐れ、限界なども
創造してしまいがちです。
そんなふうに重たくなった時こそ、「子ども心に戻る体験」を、
自分にプレゼントしてあげてください。
思考にとらわれがちな生活の中で、感じる力を深めるために、
たくさん「遊び」ましょう。遊園地や動物園、水族館、植物園に…、自然の中に
出かけましょう。音楽や絵画、ダンス、お祭り、イベントで、
美しいものや面白いことに親しみ、自分の生命を楽しませ、喜ばせてあげましょう。
そのワクワク体験は単に楽しいだけでなく、あなたの中にあって癒やす必要のある
ネガティブなものを、上手に引き出してくれるはずです。
お友達と一緒に、家族で、恋人と。一緒に笑ったり、見とれたり、叫んだりして
我を忘れる時、私達は内なる子どもを取り戻し、リラックスして開放が
自然に起こることでしょう。
より自由に、よりオープンに、より素直に、よりありのままに、
より自分らしくなっていくことで、感じることに心身が開いていく。
頭からハートに、理屈から五感に――。
私達の生命は、エネルギーです。
日常のストレスもネガティブな思いも、長い間無意識下に隠れている感情も、
みんなエネルギーです。
もう不要になった内面にたまっている過去の不要なエネルギーを開放することは、
自由でイキイキした新しいエネルギーや創造力を生み出すために、
誰にとっても不可欠な作業なのです。
それは「幸せを感じる」エネルギーを活性化する第一ステップなのですから。
あなたは今、どんな願いや望み、計画を胸に抱いているでしょうか?
先日麗王にいらした女性に聞いてみたら、好きな人と結婚して子どもがほしいし、
仕事でもキャリアアップしたいと目を輝かせてそう話した後に、
なぜか暗い表情になって、こう言うのです。
「でも、私って男性運が悪いのか全然出会いがないんです。
仕事の方も自信がないし…。」
これが、すぐに判断してマイナス思考を持ち出す「大人のパターン」なのです。
その考えが正しいのだと信じ込んでいる限り、そう考える通りの状況が
創造され続けるわけです。
子どものように、楽しくシンプルになりましょう。
夢や望みを純粋に実現するエネルギーの源は、いつだって私達自身の中に
あるのですから、自分の思考のおしゃべりを、意識的にチェックすることです。
パターン化した思いにはまり込んでいてはもったいない。
いくつになっても私達の内面にずーっと生き続けている無邪気な「子ども」の
エネルギーとつながって、感じながら生きていきましょう。
それが、あなたを幸せにする、あなたの人生を開いていく鍵なのだということを
どうぞ忘れないで。
月末のハロウィンはあなたもぜひ子ども心に戻って楽しんでくださいね。
私も魔女の扮装であなたをお待ちしております!
え? 扮装しなくても魔女ですって?
麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!
【2012.10.11 末金典子】
| 麗王だより 2012年
もうクーラーなしで眠ることができるほど随分秋らしくなってきましたね~。
残暑の暑さから急激に温度が下がったことでたくさんの方々が
体調を崩されているということですがみなさんはお元気ですか?
私といいますとまさにその影響ででしょうか健康だけがとりえだというのに
体調を崩してしまって発熱し、15日の台風の日からこの連休の23日まで
なんと9日間も麗王をお休みしてしまいました。
御予約や御電話をいただいた方々、いらしてくださった方々には、
大変御迷惑をおかけしてしまいました。
折角のお気持ちを本当に申し訳ございませんでした。
自分の中では、毎日を楽しく送っているつもりでしたし、
ちゃんとお料理したものを毎日食べて、ちゃんと眠って、運動もして、と
とても健康的にストレスなどない生活を送っているつもりだったのですが、
9日間毎日12時間以上も眠ることができるほど疲れていたとは自分でも本当に
びっくりしてしまいました。
自分の身体でありながら全然わかっていなかったのだとつくづく感じました。
ガンやカゼなど病気はストレスからくることが多いといわれています。
ストレスを自分に与えないことがいかに大切か。
今回の自分のことでも、お客さまをみていても、最近、痛切にそれを感じます。
心身ともに充実感をもって健康的に生きていくには、
ストレスがいちばんのダメージ。
いろいろな生き方がありますが、自分に合ったストレスを感じない生き方を
探すことは人としてとても重要なことだなと思いました。
私の20代、30代は記憶にないほど仕事に没頭し、走り抜けた時代でした。
でも、それだけ忙しくても大病もせずに続けてこられたのは、
大好きな仕事に携われていたことと、休みが取れなくても一日のうちで
ONとOFFの切り替えを明確にしていたことが大きかったかもしれません。
最近聞いた話ですが、勉強の仕方として効率が良いのは、15分集中したら5分休む
という方法だそうです。脳は、働き続けていると動きが徐々に低下してくるけれど、
適度に急速を挟むと高いレベルで力が持続するのだそうです。
なるほど! 人生もそうかもしれないなと思いました。
ずっと走り続けるよりも、どこかで休みを取って空っぽになるほうがいい!
その間隔やバランスは人それぞれかもしれませんが、
自分なりの快適な暮らしのリズムをつくりだすのは、人生において重要な意味を
もつのだと思います。
私は人が人のために生み出した便利なものが溢れている都会に
長く身を置いているととても疲れてしまうタイプです。
都会は楽しくて刺激的なのですが、人がつくりあげた偉大なる発明や発見は、
皮肉なことに人を疲弊させるのです。
そういう疲れによるストレスは自然と接することでしか癒やされないような
気がします。自然の中で休息することで、再び都会での仕事ができるように
なるのです。大阪に住んでいる時などまさにそうでした。お休みを取っては
よく沖縄に来ていたものです。
疲れを感じたとき、いちばん見たくなるのは海だったから。
その感覚は今も変わりません。波の音や潮の香りを感じ、
どこまでも続く青の風景を見ていると、心底、身体が浄化され、
軽くなってくる気がします。
それもあって私はこの8年アラハビーチに住んでいます。
この休養の9日間も、寝室からひたすら毎日海を眺め、本を読み、眠って…。
ぼーっと本能のままに過ごすことに罪悪感を感じるどころか、気づいたことは、
何もしない、そんな時間にその人の文化レベルが表われるのではないかということ。
ゆっくりと自然からエネルギーをもらい、頭の中に余白ができると、
新しいアイディアや力がわいてきます。都会と自然を行ったり来たり。
そうすることで都会生活とうまく折り合いをつけられるような気がするのです。
力を入れて集中することと、息を抜いてのんびりすること。
それはどちらかだけではバランスが悪く、うまく回っていかないと思います。
まじめなことは大切ですが、まじめなだけでもうまくいかない。
例えば、きっちり予定を立てて、そのとおりに進めようとしても人生なんて
そんなにうまくいかないものです。
いつだって臨機応変。突発的なことにも対処できるよう、頭を軽やかに柔軟に。
とりあえずの人生の予定を立てたり、進むべき方向を一応決めてはみるけれど、
出会った人や物事、与えられた状況に応じて、軽やかに予定を変えることも
大切ではないでしょうか。
最初に決めたから、予定どおりにしたいから、そういった決め事に
振り回されないで。
やるべきことは自然に目の前に降りてくると思うから、それを、手を抜かずに
やっていく日々を送ればいいのだと思います。
さてあなたはどうでしょう?
まじめさがあだになり、ストレスフルな生活を送ってはいませんか?
次の日曜日は十五夜です。名月を眺めながら、時にはゆったり力を抜いて
想いのままに休みませんか?
【2012.9.24 末金典子】
| 麗王だより 2012年
先月は過去最高級の台風が沖縄を通過しましたが
みなさま影響はありませんでしたか~?
旧盆も終えて少~し秋の気配がしてきていますね。
さて、先月は私ごとで恐縮ですが大台+1歳のお誕生日を偶然たくさんの方々と
一緒に過ごしていただくことができました。本当にありがとうございました。
そのお誕生日、当たり前のことなのですが毎年必ずやって来ます。
40代を過ぎると、それまではとってもうれしかったはずのお誕生日も
女性にとってはちょっぴりブルーな気分になってしまう日でもあります。
私も以前はそうでした。
でも何年か前頃からか、年を取るって実は悪いことじゃないなぁと思うことが
できるようになりました。
登ったから見える景色があるんだな、と気づいたからなのです。
ちょうどそんな時、世代を超えて愛され続けている絵本「100万回生きたねこ」で
有名な絵本作家でもありエッセイストの故・佐野洋子さんの本を読んでいて
こんな言葉に出会ったのです。
わたしは70になったけど、70だけってわけじゃないんだね。
生まれてから70までの年を全部持っているんだよ。
だからわたしは7歳のわたしも12歳のわたしも持っているんだよ。
本当にそうだよね~って思いました。
あなたは、「おめでとう」と言われる日は、1年に何回ありますか?
あけましておめでとう。
お誕生日おめでとう。
もしかしたら、それくらいかもしれませんね。
だけど、そんな「おめでとう」がたくさんある人生って、幸せですよね。
仕事でとてもいいことがあった。
おめでとう。
体調が素晴らしく良くて、毎日ご飯がおいしいなぁ。
おめでとう。
一緒に泣いて笑うことができる友達がいる。
おめでとう。
学び続けたいものに出会ったぞ~。
おめでとう。
叶えたい夢、チャレンジしてみたいことがまだまだある。
おめでとう。
心から愛している人がいる。
おめでとう。
たとえ小さなことでも「おめでとう」という言葉にすると、
人生はもっと楽しむことができます。
「おめでとう」といっぱい言うことができる人生、
「おめでとう」といっぱい言ってもらうことができる人生。
それは、健康で元気だからこそ、味わうことができるのです。
それ自体も、とても「おめでとう」なこと。
台風がちょっと心配ですがこの連休は、敬老の日ですね。
積み重なった「おめでとう」を心から味わう日です。
今年も健やかに敬老の日を迎えることができることに、
「おめでとう」の多い人生に、
そして、麗王にいらしてくださる全ての方々の人生に、
おめでとうございます。
【2012.9.13 末金典子】
| 麗王だより 2012年
夏本番のこの頃ですがお元気にしていらっしゃいますか?
最近の一般的な傾向としまして、不景気が長引いていること、サラリーマンの
平均年収がどんどん下がってきていることもあってか、男子が外に飲みに
出かけなくなっているといいます。
麗王のような飲み屋さんにとっては致命的~!と思いきや、
ありがたやこの数ヶ月の麗王は女性のお客さまでカウンターを埋めてくださって
います。医療関係、教師、OL、クラブのお姉さま方…。そんな女子会になると
当然のように出てくる話題が恋愛や結婚のこと。
女と男は、お互い「空気」のような関係になれたらいいな…ってことに
なるのですが、それって本当でしょうか?
空気が無ければ生きてはいけませんが、空気って一方では、
無くなるまでその大切さに気づかないもの。
普段は存在をすっかり忘れています。有難みももちろん忘れています。
当然そこにあるものとして。
女と男がそんな関係で本当にいいのでしょうか?
その昔、男が本当の意味の「大黒柱」で、もっともっとイバっていた時は、
むしろ男が家の中で「空気のよう」になっていてくれたら嬉しい…と
思ったはずです。でも今、夫婦の関係は明らかに変わりました。
もともとが「空気のような男」も増えてきた時代、
単に家の中を漂ってもらっても困ります! もっと夫婦の単位で人生を積極的に
楽しむという考え方をすべきなのではないでしょうか。
とすれば、「空気」じゃ物足りませんよね。お互いがお互いを日々の生活の中で
もっと必要としあう関係になるべきなのだと思います。
生涯のパートナーとの関係が、人生の密度を決めると言ってもいいのですから。
そこで思い出されるのが、知りうる限りでもっとも関係が濃密だったのでは
ないかと思える御夫婦、田原聡一朗氏と、故・節子さん御夫妻。
お二人は「おしどり夫婦」どころじゃなくまさに一心同体。命をかけてお互いを
愛した究極の夫婦愛が脚光を浴びたカップルでした。
出会いは、節子さんが53歳の時。田原氏は55歳。まさしく「運命の出会い」を
果たした彼らは、もう出会ってしまった以上、「愛し合わずにはいられない」
というような、やむにやまれぬダブル不倫の末、田原氏の前妻が亡くなられた後に
節子さんが離婚をして結婚。「大人婚」~!
50代の出会いから、節子さんが乳ガンで亡くなられるまでの15年間、
離れている時間の全てをも惜しむように、会話し続けておられたといいます。
田原氏のジャーナリストとしての発言にダメ出しをできるのは、
節子さんだけだったといいます。ともかくすべてをとことん話し合い、
呼吸するように会話し続けたというのです。
だから田原氏は、闘病中の節子さんにまさに献身的に尽くし、
節子さんのガンが発覚した時と、亡くなった時の2度、自殺を考えたといって
憚りません。「きみが人生のすべてだった」と言い切り、今なお遺骨を自宅に
置いておられるとか。(ちょっとこわい!?)
少なくともこの御夫婦を見る限り、夫婦愛とは「会話の量と密度」にこそ
示されるものだと確信できます。それこそ、命を削るほどの情熱をもって
話し続ける。それがこの人達にとっては、愛情表現だったのでしょう。
ニーチェは作曲家ワーグナーにこういう言葉を贈りました。
「結婚生活は長い会話である。
結婚生活では、他のすべてのことは変化していくけれども、
一緒の時間の大部分は会話。それだけは変わらないのだ。」
確かにそうですよね。夫婦も最初は恋人のようでも、やがて兄弟のような関係に
なって、さらには親子のように思えてくる瞬間もあったりして、
ともかく関係そのものは動いていくし、二人でやることも、二人の興味の対象も
少しづつ変わっていきます。語り合う内容も、単純に子供のことから、家のことへ、
老後のことへ、変わっていきます。
でも、二人が一緒にいる時にすることは、ほとんど会話。それだけは変わりません。
長い長い会話をし続けることが、夫婦生活なのだって、本当にそうですよね。
であるならば、二人で何を話しますか?
レストランに夫婦で来て、ほとんど何もしゃべらずに、黙々とお食事を終えて
早々と帰っていく夫婦と、
まるで若い頃と同じように話に夢中になって、出てきたお料理がどうしても
冷めがちになってしまう夫婦とがいらっしゃいます。
二組の夫婦、それぞれの人生に思いを馳せる時、
なおさら「結婚生活は長い会話なのだ」と確信します。
まさしく長い沈黙のような人生を送っていく夫婦と、
長い長いおしゃべりのような人生を送っていく夫婦。
二組の夫婦が生きるのは、まったく対照的な人生です。
そして、夫婦の相性とはまさにそこで測るもの。
レストランで黙っているか、会話し続けるか、
それが生涯レベルの相性なのだと言ってもいいでしょう。
だから、何としてもずっと会話し続けられるパートナーと出会うべきなのです。
男も女も、人生かけて。
考えてもみてほしいのです。男と女は、出会ってしばらくは、本当によく
おしゃべりします。相手のことを、自分のことを、そしてお互いをどれだけ
好きかということを、ともかくしゃべり続けます。
でも話し尽くしてしまうと、途端に会話が減ります。会話が減ると恋愛感情が
少し冷めます。いえ冷めるから会話が減るのかもしれません。
でも男と女の本当の関わりはそこから始まります。お互いの話をし終わってから、
一生終わらない「女と男の会話」に入っていくのです。
たとえばですが、今日のニュースの話や今度見たい映画の話や
道端に咲いているお花の話や…そんな何でもない日常的な話題で2時間も3時間も
会話が続いていくということなのです。もちろんそれを入り口にして、
話題がいろんな広がりを見せていく。そこに夫婦の幸せがあるのは
間違いありません。
そう、だから日々「長いゴハン」も必要です。
レストランで無言になってしまうのは、家の食事はいつも、アッという間に
終わり、あとはTVを見ているか、めいめい好きなことをしているだけだから。
夫婦の会話はやっぱり「充実した食事」が自然にもたらしてくれるものなのです。
ゆっくりとだらだらと食べましょう。その間をつなぐのはもちろんお酒と会話。
せめて休日のお夕食だけでもそういうお食事ができたら、会話は長く長く続き、
そして生きていることそれ自体を喜びに感じるでしょう。
人は楽しく話をしている時と、食べている時に、
言い知れない幸せを感じ、人生の悦楽を覚えるそうです。
今年の夏休みにはぜひおいしい夕食を用意して、なるべく長く食べ、
なるべくだらだら話しながら、楽しい時間をお過ごしくださいね。男と女で。
もちろん麗王でも。
【2012.7.17 末金典子】
| 麗王だより 2012年
まだ梅雨も明けきらない気候ですが、みなさんはお元気に楽しい日々を
お暮らしでしょうか。
日曜日は父の日ですね。
母の日に比べるとなんだか盛り上がりに欠ける父の日なので、
お父さんにしっかりありがとうを伝えてあげてくださいね。
先月の母の日の麗王便りでは、母から教えられた「成長すること」について
書かせていただいたのですが、
父の日は何を書こうかしら…去年は一体何を書いたんだっけ…と読み返してみると、
去年は父の「のんき」について書いていました。さぁて今年は…と考えつつ、
ここのところ読んでいる脳科学者の方のいろいろな本をぱらぱらめくっていると
ふと思いついたことがあったので、その茂木健一郎さんのエッセイを
少し御紹介いたします。
「心の美しさは、ずっと変わることができるということの中にある。
何歳になっても、新しいことに出会って感動することさえ忘れなければ、
未知のものとの出会いを大切にしその楽しみに向き合っていれば、
健やかな美しい心を保つことができる。
「変わらない美しさ」というよりはむしろ、
「ずっと変わることができる」ということが私達の人生を豊かにしてくれるのだ。
そして、その豊かさに満ちた人生を送るために必要なことは、
まずは「行動する」こと。
いつかはいいことがないかと夢見ていても、幸せは向こうからやってこない。
次に「気づく」こと。
恵みをもたらす未知のものと出会っても、その存在に気づかなければ、
意味がない。
最後に、「受け入れる」こと。
今までの人生観や価値観にこだわって、せっかくの出会いを受け入れなければ、
すべてが水の泡になってしまう。」
なるほど! と思うのですが、歳を重ねるにつれて難しくなってくるのが、
この最後の「受け入れる」ことではないでしょうか。
今までの自分のやり方でいいのだと固執していては、
確かに大切な変化のきっかけをつかみ損なってしまいがちですし、
心が歳を取ってしまいます。
心の美しさってつまりは、何歳になっても淀まずに変わることのできる柔軟さ、
ということなのでしょうね。
このようなことを考えていて、思い出したのです。
父にプレゼントでもらった本・博物学者ライアル・ワトソンの「未知の贈りもの」。
生涯にわたってさまざまな著作を世に送り出したワトソンですが、若き日々を書いた
この本は、独特の感性に満ちていて美しい名著です。
ワトソンは、インドネシアの島に調査にでかけます。ある時、船で夜の海に出ると、
暗闇の中、ワトソンが乗った船を、たくさんの光が包み込みました。
その光達は、まるで生きているかのようにふるえ、脈動し、響き合います。
それは、イカ達の巨大な群れでした。
イカ達が、発光しながら、まるで群れそのものがもう一つの巨大な生きもので
あるかのように、ワトソン達が乗った船を包み込んでいたのでした。
ワトソンはその体験を通して考えます。イカの眼球は、非常に精巧に出来ている。
世界のありさまを、詳細に映し出している。ところが、イカの神経系は、それほど
発達していない。なぜ、見たものをそれほどよく「理解」できないのに、目だけは
発達しているのか。
ワトソンは、一つの考え方に思い至るのです。
イカ達は、ひょっとしたら、もっと巨大な何ものかのために、周囲の様子を
見ているのではないか。個体を超え、ひょっとしたら種さえも超えた、
巨大な生態系、自然そのもののために。
個体間の、あるいは種を超えた生物間の複雑で豊かな相互作用が
明らかにされた現在、ワトソンの考え方は、荒唐無稽であるとは決して言えません。
人間には、はっと気づく瞬間というものがあって、その前後で、本当に世界が
変わって見えるものです。問題は、自分が出会ったものを受け入れられるかどうか。
ワトソンと同じ体験をしても、「ああ、イカか」と深く考えないで
通り過ぎてしまう人もいるかもしれません。自分の経験が潜在的に持つ意味を
「受け入れる」ことができたからこそ、ワトソンは変わることができたし、
その後のさまざまな仕事の礎とすることができたのではないでしょうか。
子供の頃、この本のようにクリスマスやお誕生日にプレゼントをもらうのが
すご~く楽しみでした。あの頃のわくわく感、まるで、そのことによって
自分の人生が変わってしまうのではないかと思うほどの喜び。
そんな飛び上がるような気持ちを、私達はいつまでも忘れないでいたいものですね。
人生なんてこうだ、こんなものだと、決めつけてしまってはもったいないでは
ありませんか。
いつも、心のどこかに、「贈りもの」のための場所を空けておく。
そして思わぬ出会いがあったら、ちゃんと立ち止まって、それを受け入れる。
そんな心の余裕がある人は、いつまでも若く美しい心なのだと改めて思いました。
父からもらったのは本でしたが、云わば、人生そのものが「未知の贈りもの」
だったのだなと今では思っています。
日曜日はどうぞ温かな感謝の日をお過ごしくださいね。
【2012.6.14 末金典子】
| 麗王だより 2012年
雨や曇りも多いゴールデンウィークでしたが
それでもまとまったお休みというのはのんびりとしてうれしいものですね。
あなたはゆっくりとリフレッシュなさいましたか?
さて次の日曜日は母の日ですね。
毎年この月のお便りは母から学んだ「謝ること」「働くこと」
「出し惜しみしないこと」といったことなどを書かせていただいているのですが、
今年は「成長すること」について書こうと思うのです。
私の母は昭和9年生まれで、戦争のための疎開など激動の日本を生きてきた
世代です。大変な苦労もあったようですが、実家の洋食レストランの仕事を
切り盛りしながら家族の世話もこなして生きてきた頑張りやの女性です。
私が以前家族と一緒に大阪で暮らしている頃に、仕事や人間関係のことで悩んで
「私っていつもこんなことばかり悩んでいて一体これでも成長しているのかなぁ」
と、母に相談するとよく言われたのが、
「お母さんの若い頃は暗い時代やったよ~。
そやけどハングリーやったから仕事ができたし、なにより希望があったの。
それって闇の中にも光は必ずあるということやよ。
とにかく、やり続けること。
何もしなければ何も始まらないんやから。
それが成長するということやよ。」と。
「成長」……これは人にとって絶対のキーワードですよね。
でも、実際のところ、成長とは何なのでしょう。
何をもって、成長というのでしょうか。
成長にこだわり続けている人は、果たしてちゃんと成長しているのでしょうか。
たとえば今ここで、あなたがこの数年の間に、どう成長したか、
ちょっと思い浮かべてみてください。
中途採用の面接で、
「あなたはこれまでの仕事を通して、どんな成長を遂げましたか?」と聞かれた
25歳くらいの応募者が、ここぞとばかりに10も20も自分の成長をとうとうと語り、
止まらなくなったのだとか。私は人を心から気遣うことができるとか、
人のために汗を流すことができるとか。
面接にあたった人は、あなたそれ、ホントの成長じゃないかもと、
ノドまで出かかったのだとおっしゃっていました。
それはおそらく、人間は本当の意味で成長すると、逆にまず自分の小ささや
「しょうもなさ」がわかってしまうものだからではないでしょうか。
社会に出た時、世の中にはこんなにすごい人がいるんだとか、こんなに立派な人が
いるんだとか、むしろそういうことに気づくのが、
社会人としての成長なんじゃないかと思うのです。
従って、いっぱしのオトナになったつもりでいたけれど、そう思ったこと自体を
逆に恥ずかしいと思うのが、この年代の成長なんだと思うのです。
ダメな自分に気づく方が、ずっと大切な成長なのです。
自分を大きく見せるのじゃなく、むしろ自分を小さく見せようとする人の方が、
絶対成長しているし、今後の成長も早いはずです。
つまり人間、そんなにすごい勢いで成長したりはしないのでしょう。
だから一歩一歩、少しずつでいいのです。
自分がどう成長したかなんか、わからないくらいでいいのです。
それでもちゃんと成長はしているのだと思います。
自分は社会に出て10年もたつけれど、果たして成長しているの?と
不安に思うくらいの人がじつはちゃんと成長しているのです。
母の締めくくりの言葉はこうでした。
「自分の成長は?成長は?と、そこにばかりとらわれるよりも、
今はまだとりあえず苦しいことも辛いことも、イヤなことも、何でもやっておく。
それがすべて見えない成長になっていること、覚えていなさい。」
今もこの言葉は私の宝物です。
人生で最初に出会うお母さん。
日曜日は温かいありがとうの日をお過ごしください。
【2012.5.11 末金典子】
| 麗王だより 2012年
今年の沖縄はずっと梅雨かのようにじとじと続きですが、
あなたはお元気にしていらっしゃますか?
私はといいますと、この週末の土曜日から東京になんと25年ぶりに!!
行ってまいります。
東京に25年間も行ったことがない人なんて私くらいではないでしょうか!?
関西人ってなんかそういうところがありがちなんですが…。
身内の結婚式のついでに今の東京をいろいろ見てこようと思っておりますので
21日土曜日~23日月曜日の3日間、勝手ながら麗王はお休みさせていただきます。
結婚式といえば…ここのところの麗王は女性のお客さまの比率がかなり高く、
それも、結婚した~い!と望む独身女性がほとんど。そこでこんなお話を…
あるバツイチの男性が、二度目の結婚をなさいました。
一度目の結婚とは「180度違う生活」が始まって、女って本当はこういうもの
だったのかと驚いたそうなんです。
「どう違ったんですか?」とお聞きしましたら、ずばり「今すごく幸せ」と、
まるで女性のような表現から始まり、「人生ってこんなに楽しいものだったんだね」
っていうくらい楽しいんだよと、のろけるのです。
この時ハッと気づいたのは、男性が女性にプロポーズする時の古典的台詞の
「あなたを幸せにします」は、もともと無理があったんじゃないかということ。
なぜなら、「幸せ」のプロは、女性の方。
幸せを人生の目的にしてきたのはいつも、女性の方。
つまり、幸せになることにかけては、女性の方がはるかに達者なはずなのです。
だいたいが、「ボク、幸せになりたい」と口に出す男性は基本的にいないはずで、
大昔から「幸せ」は女性のものでした。
どこまでいっても「幸せ」は、女性達の、女性達による、女性達のためのもの
なのです。
なのに、男性が女性を「幸せにします」なんて、
ド素人の男性が「化粧で女をキレイにしてあげる」と言っているようなもの。
逆に言うと、私達女性もそういう男性達に「幸せにしてもらおう」と思うこと自体
間違っていたんじゃないでしょうか。
初心者の男性がいくら頑張って幸せを提案しても、
「そうじゃなくて、こうでしょ」と、だんだんイライラしてくるのがオチ。
男性に「幸せ」を託すなんて、もともと無謀すぎるのです。
さきほどの男性の再婚相手は、お休みのたびに「楽しいこと」を提案し、
毎週末イベントがあるような生活を提供してくれるのだとか。
日々のお食事も今までからしたら信じられないほど意味のある時間となり、
時間が会う日は平日の夜も落ち合って外食。二人でお料理を作りもする。
それに極めて軽いフットワークでアッという間に旅に出る。
それもありきたりの旅じゃなく、その独創性を人に自慢したくなるような
愉快な旅へ、たちまち出かける。そもそも旅というものは、行けば行くほど
クセになるから、旅と旅の間にすら、幸せを感じるようになったとも。
さらには、自分の趣味に夫を引き込むだけでなく、夫の趣味にも近づいてきて、
その本当の醍醐味を教えてくれるような新しい提案をしてくれる人でもあったそう
なのです。
基本的に、男性は自分の趣味から女性を引き離そうとするのですが、
彼女はお互いの趣味を上手に掛け合わせて、新しい「幸せ」をつくる方法を
知っていたのです。同じ趣味も一人でやるより、二人でやる方が何倍も
濃厚になること、二人でないと味わえない喜びにつなげることができるのを、
彼女に教わったというのです。
そこまでいくとひとつの「才能」で、「女性はみんな幸せ上手」というレベルを
超えています。ただ、その二度目の妻は、長い間恋人がおらず、基本的には
これまでずっと「一人」で幸せのテクニックを磨いてきたはずだというのです。
どうすれば幸せを感じられるのか、それをコツコツ形にしてきた女だと。
言いかえれば、もともと「男に幸せにしてもらおう」などという甘えはなく、
誰にも頼らずに、自分で自分に幸せを与えてきた人だからこそ、
人を幸せにするのも簡単だったのです。
女同士で楽しいことは、男と女で一緒にやってもちゃんと楽しい。
もっと楽しいかもしれない。やっぱり、「幸せになる方法」を真摯に追及してきた
女性の勝ちなのです。男に幸せにしてもらおうなどと思わずに。
女性からのプロポーズで有名なのは、故・夏目雅子さんのこのひと言でしょう。
「家に私みたいなのがいたら、きっと楽しいと思うんだけどな。」
もちろん誰が言うかによりますが、一般論としても、女性からのプロポーズで
いちばん成功率が高いのは、「私があなたを幸せにしてあげる」という
アプローチなのだそうです。女性から「私を養って」というスタンスに
なっちゃいけないのは当然のことですが、「幸せにしてあげる」と能動的に
女性から男性へ与える申し出こそが殺し文句になるのにはなるほど説得力が
あります。
良い例とは言えませんが、何人かの交際男性の死と関わりがあるということで、
長い長い裁判の結果、死刑判決が先日出た木嶋佳苗被告も、なぜああいう女性が
何人もの男性を手玉に取れたのか、ちょっと不思議に思っていたのですが、
その秘密はどうも得意とするアプローチにあったとか。
それが「私があなたを幸せにしてさしあげます」的なメールでの語りかけ。
言葉はとても丁寧だったといいいますから、本物の優しさに思えたのでしょうし、
「幸せの香り」がしたに違いありません。
もともと、男性は「幸せ」というものと距離感がある上に、
恋愛に対してとりわけ不器用な交際経験の少ない男性は、自分ではとうてい
幸せになれそうにないというコンプレックスがあるので、そのワナにハマって
しまうのでしょう。
いずれにしても、男性達にとって「この人と生きていきたい」という最大の動機と
なるのが、「幸せの香り」なのは確かです。「幸薄そうな印象」は、ある種の魅力
ではあっても、一方で危険な香りをもち、男性を知らず知らず遠ざけているはず。
男性達を無条件に惹きつけるのは、やはり
「そばにいるだけで幸せになれそうな引力」なのです。
今までそれに気づかずに「幸せにしてもらうこと」ばかり考え、
「幸せにしてくれないこと」に腹を立てている女性がいたら、早く気づいて
ほしいのです。「幸せ」は女性の得意技。自分が率先して幸せをつくって、
夫をその中に引き込む努力だけはしたいもの。それが長い人生を、本当の意味で
美しいものにするたったひとつのテクニックなのだから。
たとえばまず手始めに、おいしいお食事やワインを用意して、
やさしく楽しい言葉をかけ、一応のお食事を終えたあとも、だらだらとお食事を
続けてみてほしいのです。それが幸せの手続き。
幸せって、女性が待つものじゃなく、女性が自分の手で手づくりすべきもの。
しかも女性が男性を幸せにしてあげるなんて、いとも簡単なことなのだって、
きっと気づくはずなのです。
男性諸氏、そうではありませんか?
さぁ、もうすぐゴールデンウィーク。
あなたの大事なパートナーの方と、うんとお幸せにお過ごしくださいね!
【2012.4.19 末金典子】
| 麗王だより 2012年
心持ち寒さがゆるんできましたね。
お元気ですか?
明日はヴァレンタインデーですね~!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。
よく「運命の人」といいますよね。
私は誰にでも「運命の人」や「二枚貝の片割れのような人」はいると
思っているのですが、最初から「これが運命的な出会いなんだ!」と
感じるものではないと思っているんです。
ただの出会いやフツーの出会い方でも、努力次第で運命的な出会いになる可能性を
秘めていて、「この人とは運命的な出会いだったんだ」というのは、
後から感じるものだと思うのです。
だから、「運命の人」と出会うためには、ひとつひとつの出会いに
アンテナを張って、自分の人生にとって運命的な出会いにするための努力を
しなければならないのだと思います。
一生に出会う人の数は限られています。
ただ出会う人は5万人、そのうち名前を覚えられる人は3千人。
名前と顔を一致させられるのは300人。
友達と呼ぶことができる人は30人くらいが平均と言われています。
たまたま同じ時代に生まれ、約69億の人がいるなかで、
出会うということは、なんと奇跡的なことでしょうか。
なぜある人を好きになるのでしょう?
考えてみれば不思議なことですよね。
お互いが相手を好きになるということは、
本当になんという不思議なことでしょう。素晴らしいことでしょう。
簡単に、「出会いがない」「運命の人に出会えない」という人は、
出会うことの難しさや、尊さを噛みしめる必要があるのかもしれません。
出会いに、なまけてしまってはいけません。
ただの出会いも、関係を磨いていくことで、努力次第で、もしかしたら
運命的な出会いに変わっていくかもしれないのです。
あらためて思うのは、男と女はやはり2人一緒にいることで初めて人生が完成する
ということ。
互いにまったく違う遺伝子を持った相手を思いやり、愛することで、
自分の魂が磨かれていくのではないでしょうか。
40代になっても、50代になっても、大切なパートナーと愛情を分かちあう作業が
人生には欠かせません。むしろ、年を取れば取るほど、誰かを真剣に愛することが
大切なのだと思います。
ところで。
愛された記憶は、暖かいカシミアの毛布のようだと言われます。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけれど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれたあの言葉。彼の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えるのでしょう。
また、これから出会う新しい恋は、行く先に輝く虹のようだと言われます。
そして、今あなたの隣にいる人。
あなたが手で触れられる人のことを想ってください。
そういう人がいない?
それなら自分自身に触れてあげてください。
さて、これらのことはすべて「今」あなたが持っているものなのです。
過去の毛布も、未来の虹も、今触れられるものも、
「今、ここ」には、あなたのなかには、すべてがあるのです。
つまり、あなたの人生にはいつも愛があるのです。
さあ、明日はヴァレンタインデー。
どうぞあなたにとって愛いっぱいの、幸せいっぱいの日となりますように。
【2012.2.13 末金典子】
| 麗王だより 2012年
本土は厳寒・大雪ということで、さすがの沖縄も寒い毎日が続いていますね~。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?
1月も終わり、2月に入ると明後日はもう節分ですね。
立春が一年の始まりだった昔は、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。
でもふと思うに、年の初めには「今年こそ幸せに」とか、
「もっと幸せになれますように」なんて祈ったりするものですが、
あなたにとっての幸せって一体何でしょう…?
私は毎日のように家の前のアラハビーチをランニングしているのですが、
公園の遊歩道脇にクローバーがいっぱい生えているんです。
少し前のことですが、ふと目をとめると、なんと四つ葉のクローバーが!
これを摘むと、幸せになれるという言い伝えは有名ですよね。
それで麗王にいらしてくださる方々にもさしあげたいなと
捜索を試みてみたんです。
いざ這いつくばり目を皿のようにして探してみると、みつかりません。
幸せって、こんなものかもしれないですね。
探してもみつからない…。
ただ、この公園には、みつからないだけで、何枚か四つ葉のクローバーは
あるんですよね、きっと。
誰のものかなんていうことじゃなく、ただそこにある幸せって、
なんだかいいなぁ、と思ったことでした。
昨日の麗王では、東北大震災の被災地の子供達を沖縄に招いてあげようという
支援の会「ティーダキッズ」を立ち上げられた作家の奥野先生を中心に、
昨年の大震災からそろそろ1年になろうとしていますねという話となりました。
沖縄に住む私達はニュースやネットでしか状況がなかなかわからないものですが、
それでも被災された方々がどれほどの困難に立ち向わなくてはならないのかを
その度にあらためて実感します。
一瞬にして親を失った子供達。それだけでも受けとめるにはあまりに酷い事実
なのに、その両親を囲んでみんなで過ごした家、自分の大事な机、勉強道具、
自転車、一切合財津波はなぎ倒し、破壊し、海へと引きずり込んで、
すべてを奪っていきました。被災地のそうした子供達が笑顔で頑張っていたりする
映像などを見るにつけ、この子供達がどうやって生きていくのか想像も
つきませんでした。
それでも人間は生きて行きます。
ご飯を食べ、眠り、起きてその日の作業や仕事、もしくは勉強をします。
なんと強靭な存在なのでしょう。
生命があるかぎり、居なくなってしまった人の分まで生きようと決意し、
前に進もうとします。
どこから手をつけていいのか途方にくれるガレキの山にとりつき、
わずかに残った思い出の写真を探しだし、泥をぬぐって大切にポケットに
しまう人々。
たちはだかっているガレキを除き、道を確保し、泥を掻きだす人々。
子供達にはせめて勉強できる環境をと、すぐに学校を再開させました。
毎日の暮らしがままならない中での学校の再開は世界の人々を驚かせ、
感服させたのです。
身体の不自由なお年寄りは、体育館の凍るように冷たいであろう床に
じっと耐えて横たわっておられました。ひたすら静かに耐えて、
迷惑をかけまいとしておられたのです。それぞれが生きていくために
できることを精いっぱいしておられました。
生きるために自分にできること。生きているからできること。
そうしたことを誰もが直感的に感じ取って、
懸命にそれを果たしている。前に進もうとしている。
そのことに私は深く心をうたれました。
人間は苦難のどん底にあるとき、その苦痛とひきかえに本来の気高さを
とりもどすのでしょうか。
あれから一年ほどが経った今、誰しもが大なり小なりの不安をかかえています。
その根本には先の見えない福島第一原発の事故と放射性物質の飛散による
環境汚染があります。
東北や関東の方々は地震が今でもあり不安な毎日を送られています。
こんなに離れている沖縄の私達だって、野菜やお米は大丈夫なのかしら…など
不安はあります。
この先日本がどうなるのか分からない、というストレスだって。
でも生きている、のです。
だから生きている私達は、生きるために自分にできることをしなくてはならないし、
生きているからこそできることをしなくてはならないと思うのです。
なぜならば、生きているという事実そのものがすでに幸せなのだから。
津波で家族を流された初老の男性が
「いっそ自分もいっしょに流されてしまったほうが幸せだった…」と
おっしゃっていました。「生きるも地獄、死ぬのも地獄」とも。
これまで代々大切につないで、つくりあげてきた家族、家、畑。
すべてが一瞬にして奪われれば、「いっそ…」とも思われたのでしょう。
でも、きっとあの人は時間はかかるかもしれないけれど、顔をあげて、
生きているからこそできることをし始めておられると、私は信じています。
波にのまれていった家族の想像を絶する無念さと苦しさに思いが至った時、
絶対にあの人はそうされるのだと信じています。
なぜならあの人は生きておられるからです。
私は、生きていること、それこそが幸せなのだとあの震災を通じて知りました。
これまで、生きていることは当たり前で、そのうえでどう生きるかに
多くの時間とエネルギーを使ってきました。
でも生きていることはけっして当たり前のような安いものではないのです。
だからそんな暮らしは大きく転換すると思います。まずは生きていることの幸せに
感謝して、今日を誠実に生きることにしたいものです。
先が見えないから夢が持てない、何かを計画しようにもそんな気にならない、
そういう声もたくさん聞きます。
だったらいいではないですか。今日を生きていることの幸せをあらためて
かみしめてみてはどうでしょうか。そんな生きることへのまっとうな畏敬の念と
感謝の気持ちの積み重ねで、私達は必ずこの危機を乗り越えていくことが
できるのだと思っています。
さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方の北北西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、今日を生きていることの幸せを、心から願って。
【2012.2.1 末金典子】
| 麗王だより 2012年
あなたはどのようなお正月をお迎えでしたでしょうか。
私の方はといいますと、去年は目まぐるしくいろいろなことが立て続けに起こり、
年末にその疲れがどっと出てきたものか、なんと天皇さまもお患いになられた
という「マイコプラズマ肺炎」の軽いものに罹ってしまい、あともう少しで
お正月休みという時に麗王をお休みしてしまうという不祥事となって
しまいました。
ありがたいことに名医と噂に高い頼れる私の主治医の西平先生の
丁寧な問診と触診による診断で即座に治していただきました。
驚くほど注射の上手な看護師さんやハートフルな看護師さん達にも
とても感動しました。
心で働いておられる西平医院のみなさま、この場をお借りして
心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
ということでしたので、今年は例年のように普天間神宮までランニングで初詣へ、
というのはひかえて車で行ってまいりました。それでもあとはオーソドックスに
大晦日には年越しそばをいただき、紅白歌合戦を観て今やもうついていけない
流行歌のお勉強をこなし、おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともに
いただき、大好きな読書とDVDと思考と睡眠三昧で初夢も見たお正月でした。
さて、去年という年は、いつもの年よりも本当にいろいろな想いを経験し、
たくさんの学びを得ました。
辛いことや哀しいこと、悔しいこともありました。
もちろんたくさんの喜びも。
その中で私の性格からいってとても難しい学びとなったのが、
誤解されてもなじられても、言い返さず弁解せずにじっと相手のことを想い
思考し、時を待つということでした。
かなり落ち込みました。自分も責めました。なにより哀しかった。
そして経緯を辿りずっと考えました。
なぜなら以前にも書きましたが私のモットーは、悩みは心で悩まず、
頭まで引きあげてしっかりと考えることだったからです。
そして年が明けたある爽やかな朝、私は突然に悟ったのです。
「自分の人生は自分のものだ」と。
人のために、人のお役に立ちたいと生きているつもりになっていても、
結局それでさえも自分のために生きているのだと。当たり前のことなのですが。
愛と善意による自分の気持ちから発したことであっても
いろいろな要素で複雑なことにもなってしまう。けれどその結果もまた
全部自分の責任であり学びなのです。ならば、その責任を負うために
必要なことがたくさんあるけれど、ひとつづつでもクリアしていけばいいのだ、
それが自分のためなのだ、そう決心したのです。
自分の生活について、どこまでが外から思い込まされているものなのか、
そうでないのか。
私は時間をかけてひとつひとつ考え、今も考えています。
備えすぎてもだめだし、見ないように目をふさぎすぎてもだめなのです。
自分だけのためにカスタマイズする自分の人生。
今回その過程で気づいたいろんなことに私ははげまされました。
筋肉といっしょで、心も毎日鍛えれば、強くなっていくのです。
人に力をあずけてはいけません。
力は合わせるものであって、あずけてはいけないのです。
どんなに尊敬する人でも、愛する人でも。
一歩外に出たら、いや、実はうちにいても、人生はいつどこでなにがあるのか
わかりません。
このあいだ会えた人ともう会うことがないことなんて、あたりまえのことなのかも
しれません。
かといってぎゅっと握っていたら、なにもできません。
そのさじ加減。風に乗る、波に乗る。判断する。
そんな本能をいつでもとぎすませておきたいものです。
ぎらぎらと、あるいはたまにはのんきに。
プーケットで津波があったときにそこにいた方のお話なのですが、
その津波の朝バス停でチケットを買うときに、ふと思ったそうです。
「昨日も海を見たから、なんか、やっぱり、今日は山にしよう。」
そしてチケットを変更して、助かったそうなんです。
そんなふうに、行き当たりばったりに、野性の力はふってきます。
もし判断を失敗して死んじゃうときが来たら
「あちゃ~、はずしたか。自分もここまでだったか!」
とだけ思えるくらいに、せいいっぱい生きたいものです。
あれを食べなさい、これを食べなさい、
これを買いなさい、これを捨てなさい。
ありとあらゆる情報のあふれる海を、私達は泳いでいきます。
あくまで現実的でありたいなと思います。
なんでも想いや念じる力で解決したりするのもいやだし、
お金の力で解決するのはもっといやです。
目の前にお年寄りがいたら手伝い、小さい子がいたら大事にしてあげたい。
多少合わないなと思う人でも話を聞いてあげたいし、うるさすぎたら
「うるさいよ~。」と普通に言いたい。
あの爽やかな朝、確かに感じていた気持ちを裏切らない人生にしようと思います。
スタートは遅くとも、何歳からでもどんな状況でも取り戻すことはできるのです。
夢物語ではありません。
同じことをしようとしている仲間はきっと世界中にいるし、
動き出せばいきなり出会い始めるはずです。
人生は思い通りになんかなりません。
だったらその苦しい流れの中で泳げばいいのです。
意外なことがやってきたら、自分がどういうふうに対応するか、興味しんしんで
見ればいいのです。
泣くのか、笑うのか、あきらめるのか。
それが新しい自分なら祝ってあげればいいのです。
今日から、ひとつだけのことからでも、はじめられます。
命はひらかれているのだから。
さぁ、新しい年です。
新しい自分も始まります。
一緒にお祝いいたしましょう。
あけましておめでとうございます。
【2012.1.10 末金典子】
| 麗王だより 2012年