お元気ですか?

今週はクリスマスですね~!
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたためなのだそうです。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、友達同士でワイワイ騒いだり…が主流の
ジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。

さて、こんなふうに季節の暦の折々にお便りをさせて頂きましたが、
今年も最後のお便りとなってしまいました。
毎回お読みいただき本当にありがとうございました。

きっと、いまこのお便りを読んでくださっている方で、食べ物やお金で
不自由している方はおられないことでしょう。ですが、生きることに悩み、
幸せだと胸を張って言えない方が案外多くいらっしゃるのではないでしょうか。
私達はすぐに他人と自分とを比べ、嫉妬し、常になにかを欲しています。
自分だけをより快適に、より豊かにと、無意識に生きています。
「いえいえ、我が子の幸せが無上の喜びです」という方がいらしても、それは、
「自分の」子供だからではないですか? 自分の母親だから、自分の息子だから
より良くと願う、これは人間の性なのでしょう。

でも、その「自分だけが」という気持ちが、やがて自分を追い込み、
心を疲弊させ、ときに人を自死に追いやる。他人を踏みつけてでも、
嘘をついてでもという気持ちが、自分も他人も傷つけるのです。
いま、世界で絶滅の危機に瀕している動物達。彼らは人間の発展の陰で、
いのちを削らざるを得なくなった犠牲者です。

あと10日ほどで丑年から寅年へと変わりますが、その虎や、
この沖縄のイリオモテヤマネコも、「近い将来」に絶滅するしかない種である
という事実を知り、自分達の身勝手な行いが地球環境をいかに歪めてきたかと
感じざるを得ません。

あなたが2010年に手に入れたいものはなんですか? モノやお金ではなく、
そろそろ心を耕して、「自分だけ」という考えを越えて生きてみませんか。

お釈迦さまが涅槃に入られたとき、沙羅双樹は時ならぬ花を咲かせ、
師を囲むように弟子や老若男女、虎をはじめ、多くの鳥獣が慟哭したのだとか。
お釈迦さまは命あるものすべてに心を働かせておられたのですね。
孤独死が増えている現代とはなんという違いでしょう。

いかに生きたか。それは、お金やモノの問題ではなく、喜びや悲しみを共有する
仲間の有無、すなわち後ろを振り向いたときに、誰がどんな顔でそこに居るかが
問われるのではないでしょうか。

まずは、あなたの周りにいる人達、あなたが知り合った全ての人達、動物達に
あなたの愛を惜しみなく与えてあげてくださいね。
愛は決して枯渇しないのだから。
もらおうもらいたいと思うあなたは「無い人」ですが、
求めず与えていくときのあなたは「豊かな人」なのだから。
そして、このクリスマスやお正月には愛する人たちと共に楽しく楽しく
お過ごしくださいね。

さて。
本当にあっという間に、一年の終わりということになってしまいました。
なぜとはいえない気ぜわしさと、街の賑わいとはうらはらに一抹のさみしさも
おぼえる時です。忙中に閑あり。

そして。
今年も本当にありがとうございました。
世の中も大きく揺れ動いた今年一年でしたが、私にもこの一年いろいろなことが
起こりました。
ひどい腱鞘炎には一年中悩まされました。右手はほとんど使えず激痛が襲い、
二ヶ月に一度は注射を打ち続けて凌いでいました。その他にも小さな事も含め
本当にいろいろと…。
そんなふうに自分の身に何かが起こる度ごとに、
その道のエキスパートのみなさんに教えを乞い、助けていただきました。
医師、薬剤師、検査技師、建築士、会社経営者、マスコミ関係、司法書士、教師、
税理士、会計士、銀行マン、弁護士、政治家……
数え上げるとキリがないほどです。
つまりはそれだけたくさんの異業種の素晴らしい方々に、
支えていただいているんだということをしみじみと想いました。
だからどんなトラブルが起ころうとも、いつもそういう方々に
支えていただきながら今日があることの幸せの方が、どんなに幸せなことかと
胸が熱くなりました。
いつもお心にかけていただきまして本当にありがとうございます。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何より、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

【2009.12.22 末金典子】

もうすぐ師走だというのにまだまだ暖かい毎日ですね。
でも何だか嬉しいような。
あなたはお元気ですか~?

さて、2000年にアメリカで制作された「ペイ・フォワード」という映画を
ご覧になったことがあるでしょうか?
11歳の少年トレバーが「世界を変えたい」と考えた奇想天外なアイデアが、
他人から受けた厚意をその人に返すのではなく、まわりにいる別の人へと
贈っていくという「ペイ・フォワード」。
やがて、少年の考えたこのアイデアが広がり、心に傷を負った大人たちの心を
癒やしていく…というストーリーなんです。

先日これと同じようなことが私の身に起こったので、あなたと分かち合いたいと
想い、これを書いています。

私は北谷のアラハビーチの目の前に住んでいて、毎日7キロほどジョギングを
しています。コースは、アラハビーチを横目に走りながら、北谷公園を通り抜け、
サンセットビーチを回り込み、また戻ってくるという具合。
その道々に、もうわんさかノラ猫ちゃん達がいるんです。50匹かなぁ?
もっとかも…。デブ猫から、生まれたての子猫までもう本当にノラ猫だらけ。
私は家でも猫を3匹飼っているのですが、外出の際にはノラ猫のためにとバッグに
キャットフードを持ち歩くほどの大のネコ好き。
そんなわたくしとしましては、このノラ猫達のことも放ってはおけず、
ジョギングの際にはリュックに500グラム入り1袋のキャットフードを詰め込み
ノラ猫を見かける度に勝手につけた名前で声をかけ、ご飯を配り歩くという始末。
でも、以前そのことで大阪の建築家の先生に厳しく叱られたことがあるんです。
「あなたは偽善者だよ。そのネコを一生飼ってあげられるのならエサをあげても
いいと思うけど、ただ一時だけあげるというのは、所詮あなたがその時だけ
いい人になりたいという自己満足に過ぎないんじゃないの?」と。
すごく考え、悩みました。確かに一理あるかな、と。それでも、
「もしも餓えて死んでしまうのなら、その前に一度でも、あのご飯美味しかったな、
人間に優しくされたな、という想いがあってもいいのでは。」
と思ってみたりもして、自問自答しながらもご飯をあげ続けていたある日のこと
なんです。
走っている私の前方で、アメリカ人の男の人が、私の500グラムどころか
バケツにもうどっさりとキャットフードを入れて、スコップでノラ猫達に豪快に
ご飯を配り歩いているではありませんか!!
なんだかもう胸がいっぱいになってしまい、思わずその人に駆け寄って、
眼をうるうるさせながら、感激の意で片手は胸に手を当てて、
もう片手はアメリカ人の腕に軽く触れながら
「Thank you!  Thank you very much!!」
とお礼を言いました。
以来このアメリカ人も毎日ノラ猫達にご飯をあげているんだということがわかり、
私は同志を得たような感じもして、フード入りリュックを背負って
また走り続けていたそんな先週の出来事です。
いつものように「はっちゃん」という白黒ぶち猫の横ににしゃがみこんで
ご飯をあげている私の所に、御年配の御夫婦が立ち止まられ、
「あぁ、あなただったのねぇ!!」
と声をかけてこられました。
うかがうに、米軍雇用員を定年退職なさったというこの御夫婦が
先日いつものようにウォーキングしておられた時、目の前で「アメリカ~」が
バケツに入ったフードをノラ猫達に豪快に配り歩いていたので、
とっても感動なさって、
「外人さんは本当に親切だね~。偉いね~。」
と声をかけたらしいんです。そうしたらそのアメリカ人が
「オキナワの女性だって配っている人がいますよ。
その人が以前『ありがとう。本当にありがとう。』と目を潤ませながら
僕の腕に触れ声をかけてくれたんです。
僕は最初不思議に思いました。この女性は猫達の親でもないし、飼い主でもないし、
この公園の人でもないだろうに、なぜこんなにも感激して、僕にお礼を
言ってくれるんだろう、と。
でもその女性に腕を触れられながらお礼を言われた時に、
とても温かい気持ちが腕からどんどん伝わってきて幸せな気持ちでいっぱいに
なったんです。
だからあなた達が僕を労ってくださる気持ちがおありなら、
あなた達が彼女に出会った時に、どうか彼女の腕に触れてその気持ちを
ペイフォワードしてあげてくださいませんか。」
と言ったそうなんです。
そう話し終わるやいなや御夫婦の奥さんの方がいきなり私を
ぎゅっと抱きしめてくださり、
「あなただったんだねぇ。会えてよかったさ~。ね~ね~、毎日本当に偉いねぇ。
ありがとうね。」
と言ってくださったんです。
もうただうるうる……。
お礼を言われたくてしていたことではないけれど、こんな風に見ず知らずの方から
帰ってくるなんて、なんだかとっても感激したのです。

少し似た話ですが、
オリオンビールさんの量販課長代理で當間さんという素晴らしい方がいます。
提携関係にあるアサヒビールさんの東京本社出向に、相手をまず知ることからと
真っ先に手を挙げ、奥さまと共に転勤し上京。アサヒさんの社宅に住み、
夜間にはグロービス経営大学院で学んだというがんばりやさんの人で、
この當間さんが先日涙ぐみながら素晴らしいエピソードをお話くださいました。
東京在住の時に奥さまが妊娠なさっておられていて、頼る人も知り合いも
いないまま、不安のうちに東京で赤ちゃんを産むことになったそうです。
するとそれを知った社宅の人達が毎日食事を持ってきてくださったりとても親切に
お世話してくださったそうです。當間さんの奥さまはすっかり恐縮してしまい、
「こんなに親切にしていただいても、私達は沖縄のオリオンビールの人間であり、
いずれは沖縄に帰る身です。どんな風にお返ししてよいやらわかりませんので
どうぞお構いなきようお願いいたします。」
とおっしゃったそうなんです。その時社宅の奥さまがこう答えられたそうです。
「當間さん、お返しなどここでする必要など何もないんですよ。
でもどうしても気詰まりでとおっしゃるなら、いつかあなたが沖縄に
帰られた時に、どなたか困っている方がいらしたらその人に親切に
してさしあげてくださいね。」と。
これもまた素敵なペイフォワードですよね。

仏教の概念に「布施」の心というものがあります。
私は大阪の「布施」という所に生まれ育ち、おじいちゃんがその昔お坊さんだった
こともあって、おじいちゃんがよくこの「布施」について話してくれました。
「布施というのは布(あまねく)施(ほどこす)で、物を施すだけが決して
布施ではないんだよ。物がなくとも施しのできることがたくさんある。
布施というものはしてあげているのではない、させてもらっているんだよ。
私達は布施することによって、さっぱりとした清々しい気持ちになる。
させてもらったおかげで慈悲の心の養いを自分自身の中に受けているんだよ。」
と。今回私はたまたまお礼を言っていただけることになったけれど、
これからもこんな布施の気持ちで生きてゆきたいなぁ、と思ったことでした。

他人のために何かをしてあげる、例えば、愚痴などをやさしく聞いてあげる、
やさしい顔ですごす、やさしい言葉をかけてあげる、お年寄りや困っている人に
手を差し伸べてあげる……。
もっと私にできることは何かしら。
あなたにできることは何ですか?

さて木曜日はボジョレーヌーボーの解禁日。
いつもやさしいあなた自身へのお布施においしいワインはいかがでしょう。

【2009.11.17 末金典子】

お元気ですか?
だんだん涼しくなってきましたね~。体調など崩されておられませんでしょうか。

さて、あさってはハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには、子供に帰って遊ぶ、童心に戻るということは大切なことかも
しれませんね。

それに実は、子供から逆にいろいろなことを学んだり、ハッとさせられたりって
いうことが意外とありませんか?

それで思い出したのですが、私が20年ほど前にハワイにいた時のことです。

ある日曜日の午後。
歩道の縁石にちょこんと腰かけて、一人熱心に本を読む少女がいました。
その脇に置かれた小さなテーブルには紙コップとポットがありました。
くわえて、一枚の貼り紙。そこに書かれた文字はすこぶる下手っぴいでした。

Today’s Special. Ice Lemonade. 25cent.

「こんにちは。」とわたし。
「こんにちは。」少女はちょっとびっくりしながらも、わたしを見て
ニッコリと言葉を返しました。
「これ冷たいのかしら?」わかっていながら、わたしは少女に
ふと聞いてみました。
「もちろんよ。」
「う~ん…」わたしはわざと悩んで見せました。
「今日しかないわよ。」
「え?」
「明日来てもないのよ。学校だもん。」
「そうなんだ。」
「だから、このレモネードは今日の特別なの。」
「そっか、じゃ飲んでおかないとね。」

わたしは少女に25セントを渡しました。
少女は読んでいた本を脇に置いて、両手でポットを持ち、コップにレモネードを
なみなみと注いで、満面の笑顔でわたしにコップを手渡しました。

「よくかきまぜて飲んでね。ありがとう、良い一日を。」
「ありがとう、あなたも。」

わたしは少女が言った「今日」という言葉に心を奪われました。
そして、少女にとっての「今日の特別」である手作りのレモネード。
それをゆっくりと味わいながら「明日でなく今日なんだな。」とつぶやきました。
なんだかとてもうれしかったことを今でも時々思い出すのです。

さてさて、あさっては子どもの気持ちに帰って、ハロウィンをわいわい
楽しんじゃいましょうよ!
今、この時を、大切に、うんと楽しみましょう!
私も魔女に変装し、八ロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

【2009.10.29 末金典子】

秋の気配とはいえまだまだクーラーが必要な沖縄ですが
お元気ですか?

夜空を見上げると、今日も美しい月が、漣のように輝いています。
秋の夜長を美しく演出してくれる月。
この週末は秋の真ん中「中秋」の名月を眺めるお月見の日ですね。
日本と中国では、月を愛でる観月の習慣が古くからあり、さかのぼること
縄文時代の頃から、日本ではお月見をしていたようです。
おとぎ話のかぐや姫にも月が描かれていることを思うと、私達の心の奥には、
夜空に輝く月への思慕が古の時代から秘められているのかもしれません。
また近いところでは、昔は日本の各地で子供たちの“お団子盗み”を歓迎する
風習があり、その分は神が食べたとされ、翌年の豊作が見込めたとか。
同じく定番の供え物のススキは月の神の剣に見立てられ、供えた後も
魔除けとして軒に吊されたそうです。
お月見には収穫への感謝とともに、幸せを願う心が込められていたのですね。

さて、私はいつも色々な方々にお礼のお便りやメールを
贈らせていただいているのですが、なかには御丁寧にお返事をくださる方も
いらっしゃって、先日は拓実住宅の上原社長からメールが届きました。
この上原社長、社員のおうちに家庭訪問に行かれる方なんです。
トイレを見せていただくとなんとなく家庭がわかるとおっしゃいます。
また、お父さんが厳しい人であれば、その社員に優しく接し、逆にお父さんが
少し線の細い方であれば、厳しめに接する、といった接し方をなさるそうです。
この会社から独立して起業した卒業社員は20名近くいらっしゃるとか。
社員の方達におうかがいすると、休みの日でも会社に行きたくなってしまうほど
素晴らしい会社だと言い、辞めた元社員の方達もしょっちゅう社長に会いに
やってきます。常務の弟さんとも本当に仲がよくって息もぴったり。
とても清々しい会社だなぁと思いました。
その上原社長、あだ名はゴジラというぐらいの楽しい方ですが、
文章がすっごくお上手なんです。ばりばりのロマンチック。
今回いただいたメールをこっそり御紹介したいと思います。
(御本人に了解をいただいて)
**********

メールありがとうございます。
また、先日のメールにもいろいろ考えさせられました。
あると思うあたり前の状況が本当にありがたいと思うのは
残念ながらそれをなくした時、失ったときかもしれませんね。

今の私は幸せです。周りにいる妻や子供達、母、兄弟、社員、友人、取引先、
先輩や後輩、多くの人のかかわりに恵まれていると思います。

しかし、それを気が付かない間に当たり前になるのですね。

ふと、一日のうち、何度かそれを考える時に感謝と感極まることがあります。
朝の光を浴びたとき、出勤時に海を見るとき、太陽が力強く照るとき、
夕暮れの朱色の空を見るとき、満月の青白い光に包まれたとき、
側にいる人に伝えて、ともに感じたい。
周りの自然の美しさがそう導いてくれるのかもしれませんね。

そうは言っても昨日も飲みすぎてしまい、反省です。
健康や心のゆとりも・・と思いますが・・・・

今度の休みも息子の剣道部の合宿と会社の内装工事で忙しくなりそうです・・
忙中閑有・・・そういう時は空を見上げますね・・・ (^ ^)v

**********
何故引用させていただいたかというと、最後の一行にもありましたが、
上原社長はいつも「空を見上げる」ということをし続けてきた人だからなんです。

話は4年前に遡りますが、私が大阪へ帰った際大好きな奈良にも出かけました。
薬師寺では心が洗われる思いでした。ここでは、お坊様が、拝観される人達を
集めてお説教をしてくださいます。その日のお話はこういった内容でした。

「辛いこと悲しいこと嫌なことがあると、人はついつい顔を下に向けてしまう。
つまり、面が倒れるから、面倒、という気分になってしまう。
そういう時は、あえて顔を上に上げなさい。そうすると面が上に上がり、
月や太陽の光を浴びて白くなる。つまり、面白く、なるわけです。」と。

私も以前書きましたが、心を忙しくしすぎていたり、ゆとりがなくなると、
そこに花が咲いていても気がつかず、物は単なる物質として、当たり前の日々に
埋もれてしまいがちです。そんな時は自分の身の回りにあるやさしい幸運達を
見落としてしまいがちなもの。
あなたの傍で、あなたを幸福に導こうとしてくれる温かな意志に、いつの時も
気がつけるように、心はいつも柔らかくしていたいですね。
実は、私にも以前、自分の心を見つめてあげる暇もないほどに、
次々といろいろな事がおこり、走りぬけるように日々を過ごしていたために、
心が石のようにカチンカチンに固まってしまっていた時がありました。
あなたもこんな状態になってしまったことはありませんか?
忙しさに流され、感情が滞り、心が固くざらざらしていて、悲しくても
涙も出ないし、日々が疲れてたまらない、なんて状態です。
そういう時こそ、一瞬立ち止まって、変化する月の力にあやかって、そっと月を
見上げてみてください。
私達の魂には、進むべき方向があるからです。魂から流れるまっすぐな道は、
常に上へ上へ上がる方へ、上る方へと続いています。あなたの夢も幸せも、
下がる方ではなく上がる方、つまり上にあります。それゆえに魂は常に上に
向かおうとする力があるのです。
心が滞っている時、実は、私達の心は下を向いています。落ち込んでいる時、
私達の顔は下を向いているでしょう。それは生命のエネルギーの流れに
逆らっているから苦しいのです。
だからそんな時は、あえてなにか美しいものを見上げてみるといいのです。
実際に何かを見上げるという行為が、あなたの落ち込んだ心のエネルギーを
上に向けて引き上げてくれるんですね。

週末の十五夜にはぜひ、謙虚になって、素直な心で、月を見上げる優しい時間を
持ってみてくださいね。
今のあなたからさらにステキな未来に動きだすために。

そして今宵はどうぞ月を見上げながらお出かけくださいね!

【2009.9.29 末金典子】

暑~い夏も一段落し、少し身体に優しい風が吹き始めました。
お元気にしておられますか?
インフルエンザも流行っていますし季節の変わり目は体調も崩しやすいので
くれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は先月、お客さまが心筋梗塞で亡くなられました。
まだ50歳になられたばかり。
時を同じくして、同じ年齢の女性もガンで亡くなられました。
共に人のために尽力される素晴らしい人生を歩んでおられた途中でした。
心残り幾許であったことでしょう。心から御冥福をお祈りいたします。

今の日本人の三大疾病は、この「心筋梗塞」・「ガン」・「脳卒中」
なのだそうです。

以下は、ある男性が書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものです。

**********

その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

**********

幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

私もここまでではありませんが死にかけたことがあるんです。
今からちょうど10年前、昼も夜も仕事を続けていてもう毎日がくたくたで、
年末から体調がひどく、もう少しでお正月休みだからと無理を重ねていたところ
ある朝起き上がれなくなるほど体調がひどくなり、なんとかタクシーで
中部病院へ。「ただのカゼですね。この薬を飲んで温かくして眠れば治りますよ」
と先生に言われ総合感冒薬をもらいました。その日はその通りしてみましたが、
熱はどんどん上昇し、咳はひどく、どんどん悪化していきます。
次の日、一人暮らしの私を、コザから那覇まで毎日お世話になっているタクシーの
運転手さんがすぐ近くの医院まで抱きかかえるように運び込んでくださいました。
診察してくださったお医者さまはすぐ異常を察知し、「すぐに入院させます。
インフルエンザをこじらせ、肺の状態がかなり悪くなっています。
危ないところでしたよ。」と運転手さんに告げたそうです。
点滴を受ける間、朦朧とした頭で、なんだかとても「生きたい。死にたくない」と
思いました。お医者さまに危機を聞いていたわけではありませんが、本能的に
感じ取っていたのかもしれません。
あと1日生きられるなら、あと3日生きられるなら、あと1週間生きられるなら、
と遠くなる意識の中、必死に考えました。「もう一生さぼりません。頼みます、
生きさせてください!」
丸2日眠って目が覚めたとき、ちょうど病室の窓から朝焼けが見えたのを
よく覚えています。一番最初に見たのは看護婦さんの笑顔。あぁ~生きてる!
と思いました。もう与えられた人生を無駄にはしない、と。

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと
願った明日」

この言葉は、韓国のベストセラー小説「カシコギ」の一節ですが、私が当時感じた
「生きたい」「もう無駄にはしたくない」という強い気持ちをいつも私に
思い起こさせてくれます。ちょっと長い言葉ですが、私はとても大事にしています。

そんなことを振り返っていたら、ある素敵な出会いを思い出しました。
7月に名護からとても素敵な女性が私に会いに来てくださいました。
彼女は今41歳で、6年前に乳ガンを患われ、手術や抗がん治療も試みるもまた再発。
今度は坑がん治療などの化学療法だけに頼らず、沖縄のセンダンなどの
自然代替療法に果敢に挑戦され、見事にガンが消え克服された女性なんです。
そう書くとやたら強い女性を想像されると思うのですが、
彼女が入って来られた時、あまりにふんわりと美しい光に包まれ、
きらきらと輝いておられてびっくりしたほどなんです。
彼女のお顔の美しさだけではなく、すごくにこにこ、いきいきとなさっていて、
とてもガンを患っておられた人には見えないんです。どころか、健康な人よりも
はるかに「今を生きている!」という光り輝く美しさに圧倒されてしまったほど
でした。きっと、今この瞬間を大切にし、謳歌しておられるお姿なのでしょうね。

土曜日からシルバーウィークが始まり、お忙しいあなたも少しほっとしますね。
人生という行路をずっと走ってきたのですもの、少しのんびりなさってくださいね。
そしてどうか、あなたの命、あなたの愛する人、あなたを支えてくれる周りの
人達を大切になさりながら、今この瞬間を、限りある時を、楽しくお過ごし
くださいね!

【2009.9.17 末金典子】

お元気ですか?
毎日とっても暑いですね! 伊是名島では過去最高気温を更新したほどです。
風もやみがちで、こめかみに玉のように汗がころがり、ジョギングしていると、
腕や、うしろ頭が、じりじりと焦げてゆくようです。
夏バテなどなさっておられませんか?
暑いのはいや!という方も多いですが、あなたはどうでしょうか。

こういう「ちょっとしたいやなこと」が引き金となって「パニック症候群」や
「うつ」になってしまう人が全国的に増えてきているようです。
のんびりムードの沖縄には「パニック症候群」や「うつ」の人など
いないだろうなぁ…なんて高を括っていたのですが、とんでもないそうで、
沖縄のあちこちでも耳にするようになりました。
ある税理士事務所の若い職員の彼などは、普段からとても真面目でお人柄も
よかったそうなのですが、ある日の朝、いつものようにバイクで事務所に
出勤しようとすると、雨が降っていて、途端に憂鬱で頭がいっぱいに
なってしまったようで、心がそこでプチッとキレてしまって、その後の一ヵ月半、
無連絡のまま失踪。家族や職場はもう大パニックだったそうです。
当の本人は失踪に至るまでのことは全く覚えていないそうで、
いきなり航空券を買って東京まで行き、そこから横浜まで歩き続け、
ネットカフェにずっといたのだとか。
私の好きな作家の白石一文さんも、文芸春秋の編集者時代に、
頭の中が憂鬱や恐れでいっぱいになる発作が突如襲うというこの「パニック症候群」
に罹ってしまい、退社後福岡に戻られ、作家になられた方で、
その頭が狂いそうになる恐怖や苦悩を「すぐそばの彼方」という小説の中でも
書いておられます。
「うつ」に至っては今やもう日本中に蔓延していますよね。

一体どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

理由はたくさんのことが複合的に重なっているのだと思うのですが、
私が思う一つの仮説は、長い時間をかけて学校でつけてしまったクセに
あるのではないかと思うのです。
そのクセというのは「すべてのことに答えを求めてしまうこと」なのでは
ないでしょうか。
当然、出される試験には答えがあり、それはたいがい一つです。
ある人が「私なりの答えを出してみました」と、言ったところで、
それではいい点はもらえませんよね。
そして学校を卒業すると今度は、定期的な試験こそありませんが、
決心や実力の程度を試み、試すための試験が待ち構えています。
それには苦難がつきもので、逃げ出したりするとダメな人ということになって
しまいます。言い方を変えれば、人はダメな人と呼ばれないためにがんばって
いるのかもしれません。
でも、問題なのは、ダメな人は本当にダメなのだろうか? ということです。
そもそも自分の判断基準はどこからきたのでしょう?
みんなが同じ答えでなくてはいけませんか?
疑いもなく、それが答えだと思い込んでいるフシはありませんか?
例えば、仮にこの世に平等ということがあるとすれば、それは人それぞれ違うと
いうことを認めることが平等なのではないでしょうか。
男女の平等にしたって、男が男らしく、女が女らしくなったとき、本当の平等が
あるのだと、私は思います。
自分と違うからといって、ダメかダメじゃないかを判断しているなんて
おかしな話ですよね。

どうやら、試験と違って、生きることに答えはないようです。
それでも答えを出そうとすると必ず頭が痛くなるのがその証拠です。
ないと思えばもう楽ちんでしょう?
だから、いい点を取る必要なんてまったくないんですよ~!

それでも「なんだかむしゃくしゃするな~」と感じるなら、
心持ちに、暑さに、へこたれないように、
体に精をつける食べ物をとるべく、食い養生をいたしましょう!
日曜日は丁度「土用の丑の日」です。
「鰻ごはん」をがっつり食べちゃいましょう!
この土用の丑の日にうなぎを食べるようになったきっかけは、
江戸のうなぎ屋が商いがうまくいくようにと、物知りで知られていた平賀源内に
相談をしたそうです。夏の土用の丑の日は一年のうちでも最も暑い日といわれ、
体調をくずしがちになる時期で、「う」のつくものを食べると病気にならない
という言い伝えを知っていた源内は「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙を
店先に出すことを提案しました。するとお店が大繁盛したのだとか。
その様子をみて、ほかのうなぎ屋もまねをしはじめ、いつの間にか
土用の丑の日には、うなぎを食べることが定着したのだといわれています。
つまりは、江戸時代の平賀源内の広告コピーが功を奏した結果が、
現代まで受け継がれているということのようです。
恐るべし源内。
ま、うなぎが苦手という方でも、「う」につくものであればいいようですので、
「梅干し」「うどん」「うり」などを召し上がってみてはいかがでしょうか。

食い養生、ということで思い出したことがあります。
女には辛いとき、悲しいときに独りで泣くという特技があるものですが、
同じように独りでお料理を作ってがつがつ食べるという特技もあると
私は思っています。
以前、精神的に苦しい時期に、誰の顔も見たくないとか、誰にも自分のことを
話したくないということがありました。仕事が終わるとさっさと帰宅し、
揃えた贅沢な食材や調味料を使って毎晩お料理を作って食べ、
少しずつ立ち直っていったことがあります。
この「食べる」ということは非常に不思議なもので、
お腹がいっぱいになってくると、まずは心身が落ち着いてきます。
すると、ささくれ立っていた気持ちが次第におさまっていくんですね。
身体と心とは本当に一つにつながっているんだなぁと実感したものです。

あなたも土用の丑の日の「美味しい」週末をお過ごしくださいね!

【2009.7.17 末金典子】

こんにちは。
空梅雨?!と思いきや、ここのところ、どしゃどしゃと雨が降ってくれて
ほっとする毎日ですね。

さて。
明後日は父の日ですね。

いきなり重い話題で恐縮なのですが、一昨年に父が脳梗塞で入院しました。
その知らせを母からもらった後、父に対するいろいろな想いが胸を去来しました。

私の父はとても変わった人で、私が子供の頃、大切にしていた物を失くして
ガックリしていると、
「物を失くしても、落ち込んだり、心配しないように。必ず地球の上にあるからね。」
なんて言う人なんです。
また、会社から帰ると詩や小説を書いたりの夢見るロマンチスト。
で、優しい人かというと、
私に素潜りを教えるといって、いきなり日本海の深い海にボートから突き落とす。
スキーを教えるといって、いきなり山の急斜面から突き落とす。
テニスを教えるといって、ボールをバシバシ叩きつけてくる。
まさにスパルタの極み。
躾よろしく小学生の時まではバシバシ叩かれもしました。
父は昭和8年生まれの75歳。会社も5年前に引退し、ゴルフ、スキンダイビング、
卓球、映画鑑賞、カラオケ、読書、文筆活動など趣味三昧の毎日を送っています。
以前、父の湯たんぽのエピソードとともに御紹介させていただきましたが、
3年前に、私が沖縄に住んでから200通目の父からもらった手紙がこんな感じでした。

典子さま
父の日のプレゼントありがとう。とても美しいブルーのウェアですね。
この夏は、このブルーの海に潜ります。ただ、私ももう70代、あちらこちらに
微妙な狂いが出てきております。“コトン”と死にたいですが、そう巧くは
いかないかもしれません。いずれにしても日々好きな事をして
幸せに生きておりますからご安心ください。毎日を神さまの御心のままに
生かされているのです。いつお召しがあろうにも悔いはありません。
典子も決して悲しんだり泣いたりしないように。
生けるものには必ず別れはあるものですから。
日頃からその心構えはしておきましょう。
典子の手紙に、“一緒にも住めず、結婚もできず、孫も見せてあげられない娘で
ごめんなさい。私にできる親孝行は何なのでしょうか…”とありましたが、
親孝行しようなんて考えなくてもいいのです。ちゃんと育ってくれて
十分信用しているから。私はね、素晴らしい妻に巡り逢え、恵まれただけで本当に
幸せです。私達には欲なんて全然ありません。絶対親孝行しなければ!なんて
気負って生きなくていいんだよ。自然体で思う通りに生きなさい。
子供は親を踏み台にして生きてゆくのです。それが進化というもの。
親の方だって、本当はそのことがよくわかっているのです。
自分だって、子供であった時があるのだから。
その代わり、確実に幸福になること。
それだけが、典子にできる私達への恩返しでしょう。
では又…生あるかぎりお便りします。
父より

その父が、脳梗塞、で入院したというのです。

実は、父との思い出は、そのほとんどが、厳しくされた、叩かれた、
叱られた、というものでしかなく、いつも思い出すのは、一緒にスキーに
行った時のこと。
「一緒にスキー」なんていうとステキな思い出であるかのようですが、私にとって、
父とのスキーは「苦行」そのものでした。
大阪の街で生まれ育った幼い私が、スキー「1級」の父に連れられ、
雪深い豪雪地帯の山村のスキー場へ。
小さい身体には、道具があまりに重たく、寒さにガタガタ震え、吹雪に打たれた
頬はヒリヒリ。突風でリフトから振り落とされそうになったり、転倒したまま
ゲレンデの下まで落下したこともあります。
それなのに…。
映画やテレビなどで雪の森の風景を思い出すと、なつかしさと切なさで
胸がきゅんと痛くなるのです。
それはいったいなぜ? 雪の世界のいったい何が、私の心をつかむんだろう?

あなたはスキーをなさったことがおありでしょうか?
今は夏ですが、私も久々に、両足にスキー板をつけて、雪の森の中へと
滑りこんでいった瞬間を思い出してみました。
さあっと視野が開けてきます。
滑りはじめれば、まるで空を行く鳥の気分。
2本足歩行の束縛から解き放たれ、翼が生えたかのように、大胆に自由に、
森の中を進んでいくと、ふと、人であることの不自由さを忘れ、山や木々や雪と
一緒に幸福に溶け合ったような気分に包まれます。
煙のように、宙を舞う粉雪。
凍てついた木の幹。厳冬に耐えながらたたずむ、孤独な樹木を見ると、
その命を心から讃えたくなったものです。「おまえもしっかり生きろ」と、
木の内部から温かい声が響いてくるような気がしました。
新雪の上にウサギやタヌキの足跡も発見。とこ、とこ、とこ、とこと、
木々の間を縫って、どこまでも続く小さな痕跡。
頭上では、鳥の声が響きわたります。
厳寒の銀世界の中にも、いろいろな命がしっかりと呼吸しているんだ。
そのとき、自分自身も雪世界の一員となって溶けこんでしまったような、
そんな不思議な一体感に包まれたものです。

少々手荒ではありましたが、そんな学びを与えてくれてもいたんだなぁ、
父は。
今はそう思えるようになりました。

父が倒れるほんの数日前に手紙が届きました。

典子さま
お手紙ありがとう。麗王は13年になるんだね。2足の草鞋を履き続けてきた
典子のがんばりと強運に敬意を表します。
私と典子との思い出は、貴女が生まれてから、沖縄に行くまで、20数年間も
ありましたのに、それほど多く思い出されません。それはお互いの間が
空気のように違和感がなかったからというようなものかもしれません。
それと貴女が私の手におえないような問題を持っていなかったということ
なのかもしれません。
唯一の思い出は、貴女が2・3歳の頃、母さんが朝、私よりも先に仕事に行き、
寝ていた貴女を置いて行った時のことです。
目覚めた貴女が、なぜか急に泣き出してやみませんでした。
その時私はどうしてよいかわからず、今思えば何故だったのか、
貴女が泣き止むまで叩いた事を何十年たった今でも忘れません。
何の善悪も判らない無力なあなたを叩いた事が、後悔と自責の念で、
今でも私の心に突き刺さって、心の傷となって残っています。
これはおそらく私がお墓の中まで持って行く事なのでしょう。
母さんとお見合いをして、恋愛して、結婚して、50年になりました。
少々のぶつかりはありましたが、母さんが7割、私が3割、我慢して
生きてきたのだと思います。
母さんがお料理が上手だったこと。私に対して怒ったことがないほど
優しかったこと。そのことが最大の幸せでした。
だからいつも書いていることですが、お別れの日が来ても
決して涙などこぼさないようにしてください。
笑って見送ってほしいと思います。
くだらないことをぐだぐだと書いてお許しください。
父より

前回までのような陽気な手紙とは違って、病気を予感してか、気弱になった父を
感じました。
2・3歳の時に叩かれた当の私が忘れてしまっていることでも、父の心には
責めとなって今も残っているんだなぁと不思議な気持ちがしました。

親子の関係とはなんなのでしょう。
なぜ親子として生まれてきたのでしょう。

それは、父の言葉を借りれば、魂の進化成長のためなのかもしれません。
よりいっそう愛に近づくために自分を磨いて、いらないものは落とし、
より優しくなっていくためなのではないでしょうか。

必要があって、深い意味があって、私達はその環境、その家族を選んで
生まれています。自分が学ばなければならない命題が学べる場所、
あたたかい愛に向かって成長できる場所に、私達は生まれているのです。

だから、幸せであっても不幸せであっても……私達は学び成長しなければ
なりません。

例えば親子仲が悪いと思うのなら、それを不幸と思わずに、人との調和を
学ぶために生まれてきたのだと大事に受け入れてみる。そこをクリアできれば、
どこへ行っても、スッと人とハーモニーを創れる、優しい人間関係に
恵まれることでしょう。

明後日の父の日は、今までお父さんと距離をおいていたなと感じたなら、
ぜひ話す機会を持ってみてくださいね。
親にはいつまでも長生きしてほしい。いつまでも元気でいてほしい。
誰もがそう願っているはずです。
私も父が元気に退院することができて本当にうれしいです。
優しさ、強さ、温もり、情熱、笑顔、やすらぎ……。
たくさんの愛をありがとう!とあなたも感謝を伝えてあげてくださいね。
もう一歩だけ照れる気持ちを乗り越えて。

そして、いっぱいいっぱいお話してください。
あなたのお父さんへの想い―。

【2009.6.19 末金典子】

さて、
日曜日は母の日ですね。

私は時々、自分の存在に繋がる果てしない人と人との出会いの糸に、
心を馳せてみることがあります。
もしも、母が働いていたおじいちゃん経営の洋食レストランが、
父の働く会社の近くになかったなら…。そして、そのそばの本屋さんで
二人が度々出会わなかったなら、私は今ここに存在していなかった。
さらに、私のおじいちゃんがお坊さんをしていたお寺に、若かりしおばあちゃんが
お参りに行っていなかったなら、母も伯母も伯父も生まれていなかったし、
もちろん私もいなかった。

何だか小説のプロットのようですが、実はたかが私一人の生命の奥にすら
こんなふうなドラマがある、という話です。
自分の生命は自分だけの物ではないということです。

だから、人と人とのささやかな出会いを想うと、いつも胸の奥がとても温かく
なります。
人は皆、守られているのだなぁと。
自分の中に“先祖の皆さん”がいるのです。だから自分の命は、
決して自分だけのものではないのです。
私はこれまで、人生の中で何度も、一人では開けられそうもないほどの
重い扉の前で立ちすくんだことがあります。それでも意を決して、
その扉を開けようとする時ふと、泣きながら力を入れる自分の手に、目に見えない
優しい御手がいくつも重なっていることに気づくことがあります。
力を入れて勇気を振り絞ろうとしている私に、ふと気がつけば、
「もっと力を抜いて。皆、いるから。大丈夫だよ。」とたくさんの手が
重ねられていて、一緒に扉を押してくれているのに気づくのです。
その降り注ぐ愛の力に助けられ、決して開かないと思っていた扉が、
何度開いたことでしょう。その優しさに何度泣いたかわかりません。
気づいてみてください。こんな愛の力が、あなたのおそばにも存在するのです。
一緒に泣き、一緒に笑って、旅をしてくれる同志が、目には見えないけれど、
いつもおそばにいるのです。心を砕いてあなたを守り続けてくれる、
そんな優しい存在があるのです。

だから母の日・父の日というのは親に世辞を言う日ではなく、
自分に与えられた生命を思う日なのではないかと思います。
辿れば自分に繋がる生命に気付きます。生きるということはそれら無数の生命に
感謝しながら自分に与えられた生命を愛おしみながら大切に生きること。
物語を終わらせてはなりません。

最後に。
人生にはいろいろな出会いと別れがあります。
でも、誰にしても最初に出会うのは母親なのです。
これはいかなる意味があるのか―。
そんな意味も想いつつ、日曜日はぜひお母さんに温かいありがとうを
伝えてあげてくださいね。

そして、お聞かせください。あなたのお母さんへの想い――。

【2009.5.7 末金典子】

沖縄のあちらこちらのビーチではもう海開き!
春を満喫しないままにもう夏を迎えようとしていますが、
お元気にしていらっしゃいますか?

早いもので、もうゴールデンウィークがやってきますね~。
あなたはもう何かプランを立てておいででしょうか。
慌しく忙しい毎日です、ぜひともゆっくりとした休息の時間をとってくださいね。

そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょう。
たくさんの人々が、朝から晩まで働きづめで、のんびり休みも取れない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠い。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。
子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。
自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。
だからこそ休息の時間を持つことは本当に大事なことだと思います。

じゃあ一体どんなふうに休めばいいんでしょう。
おうちでゴロゴロする? どこかにお出かけする? ……?

脳科学者の茂木健一郎さんの本を読んでいて、そのヒントをいただきました!
まず、人間の脳というのは、もともと、非常に「コントラスト」を好む傾向に
あるそうなんです。
明と暗、寒と暖、大と小…。
なぜなら、脳の中ではすべてが「コントラスト」で表現されているから。
「明」そのものにも、「暗」そのものにも情報はありません。ただ、明と暗の
コントラストにこそあるのです。
それは人間が、昼と夜という強烈なコントラストを描く地球という惑星の上で
脳を進化させてきた生物だから。
常に変化のない環境に暮らす生き物ならコントラストは必要ありませんが、
人間、そして地球上のあらゆる生き物は、コントラストを糧として
生命を養うように自身を作り上げてきたのです。
だから私達人間もまた、安逸と熱狂というコントラストを愛さずには
いられないのですね。ゆっくり休息する休日と、一生懸命働く日々と
いうように。

ニーチェが「舞踏」という言葉で神なき世の人間の営みを記述したように、
現代の人間は熱狂的な踊りのただ中で生きているようなものです。
でもその熱狂の本質を知り、生命学的な輝きを心ゆくまで味わうためには、
舞踏のただ中にいるだけではなく、魂を冷やし、身体を休息させて、
そのコントラストの中に、かつての熱狂を振り返る必要があるのです。
この休息の時間は、休息自体が目的なのではなく、生活や仕事が輝いていた
その時間の意味を自分の中で腑に落とす、落ち着きどころを見つけるためのもの
だとも思います。

そしてまた、休息のあり方にも注意が必要です。
例えば、徹底的に絶望すると、底に着くことができますよね。
そうすると、底が足がかりになって浮上していきます。それと同じように、
中途半端に休んでも上昇のためのエネルギーは発生しませんから、
休息の時間を持つなら、その前にまず、徹底的に踊り尽くさなければなりません。
そして休息もまた、底を打つくらい徹底しなければ、というわけです。
自分の中の低い、冷たい魂の硬質な手応えを感じるくらいでなければ
意味がないのです。
つまり、働く時も一生懸命なら、休む時も徹底して、というわけです。

でも、心地よく徹底した休息の時間を持つなんて意外と難しい。
例えば、携帯電話の電源を切ってみる、なんていうのはどうでしょう?
不可視の情報の網からオフラインになった瞬間、まさに安逸の底を打つ感覚が
あるかもしれませんね~。
そしてそれより遥かに深く、というか、遠く熱狂を離れるための対象が、
「宇宙」かもしれません。
宇宙のあり方や、地球の歴史について思いを巡らすことが、私にとって最大最強の
頭の休息の時間。だって、それ以上どうしようもないんですから!
たとえば今、温暖化の問題が騒がれていますが、全球凍結時代、地球全体が赤道に
至るまで完全に氷床に覆われた時代もあれば、そこから温度が100度も上昇し、
生物の形態が爆発的に多様化した、という時代もある。そういう地球の地質学的な
スケールの歴史に思いを馳せると、魂が冷却されませんか~?
要はどれほど大きな客観性を持てるかということ。そうして、直面している生活や
仕事を離れて、自分自身を眺めてみる。それはつまり、現在進行中の自分の思考や
行動そのものを対象化して認識するということです。
海をどこまでも潜っていって、到達した底にあるのは、地球かもしれないし、
宇宙かもしれません。その揺るぎがたい、大きなものに突き当たったとき、人間は
再び、熱狂の陽の下へ浮上することができるのだと思います。

あと、休息するには「距離感」も大切かもしれません。
現在ただいまの生活から、時間的にも空間的にも可能な限り距離を取ることも、
私達にとって休息の時間になります。
だから、あなたもこのゴールデンウィーク、頭の中の休息とともに、身体ごと
どこか遠くに行っちゃいませんか~?

いつも懸命に頑張っておられるあなたです。
ゆっくり休んで、う~んとしあわせな気持ちにひたって、
お休み明けからは、また優しい気持ちで、温かい世界に戻ってゆけるといいですね。

* わたくしの方は、出張も兼ねまして、
初めての、ベトナム(ホーチミン・ニャチャンビーチ)へ行ってまいります。

【2009.4.24 末金典子】

お元気ですか?

今日は桃の節句ですね~。
この節句は中国から伝わったもので、この日に川で手足を洗って心身の穢れを
祓ったといいます。
日本では、穢れや邪気を、身代わりの人形に移し、川や海に流し、川原や海辺で
干し飯やあられを食べて楽しんだのだとか。

子供の頃、おばあちゃんが、飾ってくれたお雛さまの前で、
どうしてひな祭りの日には、はまぐりの潮汁・白酒・ひし餅・などを食するのか
という話をしてくれたことを思い出します。
お膳にはその他、ちらしずし・桜餅・桜漬け・鯛の尾頭付き・ひなあられ・
菜の花のおひたし・白酒などが並んでいましたっけ。
だから私にとってひな祭りの日は、10年前に逝ってしまったおばあちゃんを
思い出す日でもあるんです。

その私のおばあちゃん、よくこんなことを言いました。
「電車で出かけんねんて?  板チョコ、持って行きなさいや」
お楽しみのために板チョコを持たせようというのではありません。
電車が故障したり事故にあったりして止まってしまったときの備え。
車内に閉じこめられたとき、板チョコを食べてしのぐのです。
友達と遊びに行くときにも、小さなおむすびを作って追いかけてきましたっけ。
たくさんの子供を産み育て、戦争を始めさまざまな災難をくぐり抜けてきた祖母。
生き抜くための備えには敏感でした。口うるさい質ではなかったので、
その注意はもっぱらお転婆な私に向けられていたようです。
祖母は、寝る前には枕元に、明日身につける着物類のほかに、板チョコ、
水の入った小さな水筒、タオル、足袋、懐中電灯が入った巾着袋を置いて
いました。「赤ん坊がいたころには、おむつと肌着も入れてたもんやで」
子供ごころに、大げさな、と言って笑いました。
でも、祖母の備え癖は、私になんらかの影響をもたらしたものと思われます。
私の家には“災害時非常持ち出しリュック”がいつも置いてありますもの。
生活というものは、不意のことと驚きの連続です。
望ましいのも、望ましからぬのもあり、そのどちらもが、本当に突然、
やってきます。
大人になってから、その実感はいっそう大きく私の胸に住みつくように
なりました。そして、見えてきたのです。祖母は備えるだけ備えてしまうと、
あとはさっぱり先のことは考えませんでした。まだ起きていないことを
心配したって仕方ないと思っているみたいでした。
「心配事や災難が降り掛かったら、そのときは、ここにいるみんなで一緒に
困りましょう」
という佇まいです。
わが祖母ながら、なんだか素敵。
十年前に逝った祖母に今度会ったら、たくましくもたおやかな立ち姿を
見せてくれてありがとう、とおじきしなければなりません。

そのおばあちゃんがとても大切にしていたのが、「こんにちは」「さようなら」
といったあいさつの言葉でした。

きわめて基本的な、あいさつのひとつなのに、じつはあんまり使われていないのが
この「さようなら」。
お友達と会って別れる時は、「じゃあね」とか「またね」とか「バイバイ」と
言ってしまうから「さようなら」は出てきません。
また一方、仕事の時も、「では失礼します」「ではよろしくお願いします」
さもなければ「じゃあ、そういうことで…」一体何が「そういうこと」なのか
わかりませんが、とにかくそれが別れのあいさつになっています。

あなたは最近「さようなら」の言葉を使われましたか?
最後に使ったのはいつでしょうか?

自分ではもう、ほとんど使わなくなっている「さようなら」を
あらためて使う時ってどうだったかなぁ…と思い出してみると、
それは、もう二度と会わないかもしれない相手や、遠い外国に住んでいて、
当分会えなくなる相手との別れの時。そういう場面では、確かに自分も
しっかりとした「さようなら」を相手の目を見て言った記憶があります。
長い長い別れや、重い別れ、そしてまた永遠の別れ…。
人は今ではそういう時のために、究極の別れの言葉として「さようなら」を
とっておくのかもしれません。

こんなことも思い出しました。小学生の頃から通っていた茶道教室の先生は、
私達を送り出す時、いつも決まって「さようなら」と、ていねいに頭を下げて
おられました。その別れがなんだかとても心地よくて、うっとりした気持ちで
家路についたことを覚えています。
そしてまた、私が訪ねるといつも家の外まで見送りに出て、こちらの姿が
見えなくなるまで手をふりつづけるおばあちゃんも、「さようなら」を
美しく言う人。
お茶の先生は言うまでもなく、「一期一会」という茶の湯の心を毎回のあいさつに
こめていらっしゃったのだろうし、祖母は祖母で日頃から言葉のひとつひとつを
とりわけていねいに言う人だから、日常的な別れさえ手軽に扱わないわけです。
ひとつひとつの別れをていねいに心に刻みつけようとしていたに違いありません。

そのおばあちゃん、10年前に私に会いに沖縄に来てくれて、何泊かを一緒に過ごし
大阪に戻ってから私の家の留守電にこう吹き込んでくれていました。
「典ちゃん、おばあちゃんです。
沖縄ではお世話になりましたね。本当にありがとう。
今ね、お土産にいただいたケーキをおじいちゃんのお仏壇に供えて、
思い出話をしてるのよ。沖縄はとっても楽しかったわぁ。
いい思い出になりました。本当にありがとう。
これからも身体に気をつけて、自分で一番いいと思う道を
悔いなく生きなさいね。
典ちゃん……さよなら」

その1週間後におばあちゃんは本当に逝ってしまいました。

だから特別な響きのある「さようなら」。
ひとつひとつの出会いと別れを、今よりもっと大切に扱うようになった時、
私にも自然にそういう「さようなら」が日常的に言える人になるのでしょうか。
今月は卒業式や転勤など、別れの季節です。
素敵な「さようなら」を言いたいものですね。

長くなってしまいましたが、
今日は古式ゆかしく、ひな祭りを祝おうと思っています。

【2009.3.3 末金典子】

お元気ですか~?
明日はヴァレンタインデーですね。
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

そこで、明日を前にあなたに質問です。

あなたの愛は生きていますか?
あなたの愛する人は誰ですか?
その人を本気で愛していますか?

愛だ恋だなんてバカバカしい、政治・経済や仕事の話を語るほうが意味があると、
したり顔で言う人がいらっしゃいますが、それは大きなマチガイですよ~。
恋愛も、政治・経済や仕事も、大もとは同じ。
つまり、人を愛することなんです。

政治にしたって、日本では政治をすることを政(まつりごと)をするといいます。
「まつりごと」というのは本来神や仏、ご先祖の御魂を大切にうやまい、それを
祀ることですが、政治の精神はそのまつりごとに発するといわれています。
また、仕事だって、人を憎み、嫉妬ばかりしていたら、絶対にいい仕事は
できません。悪い感情はどう取り繕っても表れてしまいますから。
愛情豊かな人でなければ、美しい仕事はできない。私はそう思います。
それに、寝不足や二日酔いで「今から仕事」となれば苦痛でぐずぐず出かける
ところでも、「今からデート!」となれば気持ちも浮き立つのでは
ないでしょうか。

愛は生きる原動力です。
人間が風や海や太陽や原子のエネルギーを使うことができるようになったのと
同じように、愛のエネルギーを使うことができるようになったなら
それは火の発見にも値し、素晴らしい世の中になるのではないでしょうか。
愛のエネルギーは枯渇しないのだから。

今、モノはあふれ、情報は持て余すくらいに満ちています。
けれども…。
心は、満たされていますか?
人は、前へ前へと急ぐうちに、大切な何かを置き忘れてきたのかもしれません。

でも、それは、わざわざ探さなくてもいいのです。
あなたのすぐ隣にある、と私は思うのです。
ただ近すぎて、見失っているだけ。
それは、あなたの奥さまや旦那さまやパートナーであり親であり子供であり
家族であり、きょうも職場で触れあった、あの人この人。
そして、あなたを包む街や自然、四季の移ろい…。
あなたという「いのち」は、ひとりで在るのではなく、あなたを取りまく
「いのち」と共に在るのです。
様々な「いのち」に生かされて在るのです。
もし、心からそう思えたら、人はきっと前を向き顔を上げて、また毎日を
歩き始められることと思います。

そして何よりも。
まずは、自分自身をうんと愛してあげることから始めてください。
一日に何度でも心の中で自分に向かって「愛してる」と伝えましょう。
自分のために幸福を願いましょう。自分に幸福なものをたくさん贈るように、
あなたが幸福になることを願えば、新しい力があふれてきます。
誰もが愛される大切な存在です。
自分の身体を、心を、存在を慈しみましょう。感謝して大切に扱いましょう。
心のどんな小さな声も聞き、大切に大切にしましょう。
その優しさは必ず外に反映され、愛し愛されるあなたがそこにいるはずです。

それができたなら、次は、あなたの周りの人達にもちゃんと愛を、気持ちを、
心の声を伝えてみましょう。
確かに愛を伝えるなんて、難しい、照れくさい、面倒くさい、という方も
いらっしゃることでしょう。
私も昔はそうでした。なんだか照れくさかったんです。
私が学生の時のことなのですが、大好きでたまらなかったおじいちゃんが
亡くなりました。胃ガンでした。冷たくなっていくおじいちゃんを前にして私は、
おじいちゃんが生きている時に、どうしてもっとちゃんと
「おじいちゃん大好きだよ」「とっても尊敬してる」「すごく大切な人
なんだからもっと一緒にいてね」と思いの丈を伝えてあげなかったんだろうと
すごくすごく悔やみました。そしておじいちゃんと約束しました。これからは
自分の想いを人にちゃんと伝えよう、言葉にしよう、行動で示そう、と。
それは時には誤解されたり、反省につながったりということももたらすのですが
私の一言でもしも、励まされたり、希望が持てたり、肩を押されたり、
元気になってくださる方がいらっしゃるのならばこんなに幸せなことは
ありません。

さあ、明日はバレンタインデー。
どうぞあなたの大切な人達に愛をたくさん伝えてあげてくださいね。
そしてあなたが愛いっぱいに、いつもお幸せに満ち溢れておられますように。

【2009.2.13 末金典子】

お元気ですか?

寒さがひどくなったり、ゆるんだりしていますが、
体調を崩したり、カゼなどひいておられませんでしょうか。

さて、今日は立春の前日で、節分。
立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
この日に、いり豆をまいたり、年の数だけ食べたりする風習は室町時代に広まり
豆が「魔滅」に通じ、邪気を祓うからとか。
また、「まめに=健康に」とか、面白い説がいろいろあります。
折りにふれ、季節にふれて、健康を願う昔の人の豊かな心が感じられますね。

「鬼は外、福は内!」
子供の頃、そう言いながら、縁側から炒った豆をまいたことを
昨日のことのように思い出します。
「今日からは暦の上では春よ。」という母の言葉に、
なんでこんなに寒いのに春なの? と思いながらも、その言葉の柔らかさには、
妙に胸がわくわくしたものでした。今私に子供がいたら、母と同じ台詞を
投げかけるだろうと思います。
私、この「暦の上では」という言葉が好きなんです。
どんなに寒かろうが、そう声にするだけで、何だかあったかくなる美しい日本語
ですよね。

また、私はこの日がくるたびに、偉大な童話作家・濱田廣介の「泣いた赤鬼」
という名作を思い出し、いつも御紹介しているのですが、この話を知らない人が
意外に多いと聞いて吃驚するんです。是非とも読んでいただきたいので、改めて
御紹介してみます。

「鬼」と言えば人間を苦しめる「悪」の存在、のイメージですが、濱田廣介の
鬼はそうではありません。人間と仲良くしたくて仕方がないんです。
それで、「私はやさしい鬼ですからどうぞ皆さん遊びに来て下さい。
美味しいお茶を用意していますよ」という立て札を立てるんですが、
そうなると人間は疑り深く、却って誰も寄ってこないんです。
一旦嫌われると、人間社会というものはそんなふうに徹底して冷たいものですよね。
この悩みを親友の青鬼に相談すると、青鬼は赤鬼のために一役買おう、と
言いました。僕が人間を虐めるから、そこへ君が来て僕をやっつければ、人間は
君を信頼するだろう、と青鬼は言うのです。赤鬼のために自分が悪者になることを
提案する。赤鬼はそれでは君に申し訳ないと言うのですが、青鬼は、君がそれで
人間と仲良くなれたらそれは僕も嬉しいと言うんです。
それで言われた通りにすることにしました。青鬼が人間の村で暴れているところへ
赤鬼が駆けつけて、青鬼をやっつける。「痛くないように」殴ろうとすると、
青鬼は本気でやらなきゃ駄目だ、と諭す。赤鬼が「本気」でぽかぽか殴ると、
予定通り青鬼は逃げ出しました。
そしてこのことで赤鬼は人間と仲良くなることが出来ます。
ところが、人間と仲良くなって嬉しい日々が過ぎてゆくと、今度はふと、
自分のために犠牲になってくれた青鬼のことが気になりました。
そこで山を越えて青鬼に会いに行くと、青鬼の家は空き家になっていて、
立て札が立っていました。青鬼からの手紙でした。青鬼は赤鬼がきっと
自分のことを気にして訪ねてくるだろうと分かっていたのです。
でも、万が一、二人が仲良しでいるところを人間に見られると、
赤鬼はまた疑られる。だから僕はずっとずっと遠いところに行きます、と
書いてありました。
そして最後に「ドコマデモキミノトモダチ」と結んでありました。
それを見て赤鬼はおいおいと泣き出すのでした。

この話は何度読んでも感動します。私は同じ所で泣いてしまうんです。
その理由は「情」なのだと思います。なさけに溢れた話だからです。
「義」もあります。「自分が考える正しい行いをしよう」という誠意に
溢れているからです。
「感謝」もあります。赤鬼の涙は青鬼への感謝と、これほど自分を
思ってくれる友達を失ってしまった後悔の涙なのでしょう。

まず、青鬼は自分が赤鬼のために悪者になろうと決めたとき、既に赤鬼との
決別を決意した筈です。そして自分を犠牲にした後も、決して赤鬼に
「自分がしてやった」などという高慢な恩を着せることもなく、最後の最後まで
赤鬼の立場に立って物事を考えます。
相手のために本当に何かをする、ということはここまで考えて行動することでは
ないのでしょうか。
また、青鬼は赤鬼が自分の思いを必ず分かってくれる、と信じているから
自分を犠牲に出来るわけです。
相手がきっと自分の真意を分かってくれる、という信頼感は一朝一夕には
生まれません。長い時間をかけてお互いの人間関係の中で練り上げてゆくもの
です。自分の都合ばかりで人を恨んだり疎ましがったりするのはエゴでしか
ありませんよね。

実は今、日本に一番欠けているものは、こういった「情」なのだと思います。
暮らしの根幹が揺さぶられるような時代に、私達は生きています。
資本主義は疲弊し、アメリカの問題を日本が一番被り、10年以上も続くであろう
という不況の風が吹き荒れています。
それとともに、たくさんの人々が職を失い、異常な犯罪が増え続けている今の
世の中です。
私は「泣いた赤鬼」に出てくる「青鬼」の赤鬼への真の友情を思うたび、
泣けて泣けて仕方がありません。そして、鬼が悪だと誰が決めたの?と
思ってしまうのです。そうですよね。余程今時の人間の方が「鬼」より
悪いのではないでしょうか。
でも、そんな世にあっても、友情や善意は必ず存在するのです。
いえ、こんな時代だからこそ「情」や「義」や「愛」といった心を大切に
しなければならないのです。
奇しくも今年のNHK大河ドラマ「天地人・直江兼続」のテーマもまさに
それなのだそうです。人々の心が求めているのか、世相を表してのことなのかも
しれませんね。

さて、
ギリシャ神話によると、かつて、オリンポス山に住む神々が会議を開き、
幸せの秘訣をどこに隠せば、人間がそれを見つけたときに最も感謝するかを
話し合ったといいます。「高い山の上がいい」「地中深くに隠そう」
「深い海の底に隠すべきだ」など、さまざまな意見が出ました。そのあとで、
ある神が「人間の心の奥深くに隠すのが一番いい」と提案しました。

太古の昔から、人間は幸せな人生をおくる秘訣を探し求めてきました。
でも現在にいたるまで、多くの人は、幸せの秘訣が隠された場所を
見つけることができませんでした。それが自分の心の奥深くに隠されている
ことに気づかなかったからです。

幸せは、財布の中にお金がいっぱい入っているかどうかではなく、
心の中が豊かな気持ちでいっぱいになっているかどうかに左右されるのだと
思います。
今の時代こそ、真の幸せに気づく時が来ているのではないでしょうか。

私は青鬼ほどには「無私の心」で友人やお会いする方々と
向き合うことがまだまだ出来てはいないけれど、こんなふうにありたい、
と思うか思わないかでは、相当な違いがあると思っています。
私、今日はちゃんと周りの人に優しくしていたかなぁって、思う毎日です。

さあ、今日は節分。
大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・東北東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを心から願って。

【2009.2.3 末金典子】

お正月はいかがお過ごしでしたか?
私はごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇でいただき、初詣に行きお参りを
済ませ、カゼを克服した後、ランニングもしっかりこなし、ぐっすり眠って初夢も
見たお正月でした。ただ、年末より苦しんでいた腱鞘炎がもう痛いのなんのって!
あなたもどうぞお身体はくれぐれも御大切になさってくださいね。

さて、今日は七草。
歴史は平安時代にさかのぼります。朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを
打ち払おうとする習わしがありました。一方、海を隔てた中国でも、この日に
7種類の菜の煮物を食べれば、万病にかからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事です。お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
ぜひ召し上がってみてくださいね。

昨年もいろいろな出会いがありました。
その中のお一人で、K君という神戸出身の30代の男性。彼は韓国人で、神戸でも
東京でも活躍してきた人で、有名人など、とにかくお友達のたくさんいる、
バイタリティに溢れる、いつも楽しく元気いっぱいの人情熱き人なんです。
何度かお話を重ねるうち、そんな彼でも、お父さんを不慮の事故で亡くした
子供時代から、差別を受けたり、自分でもコンプレックスを持っていたりしていた
ということでした。でも今はもう彼はそれを撥ね返すかのごとく、
先にも書いたような明るい人生を送っておられます。

その出会いによって、私は一人の女の子を思い出しました。
私が生まれ育った大阪にも韓国の人達がたくさんいて、小学校のどのクラスの
中にも数人は混ざっていました。子供達同士の中にも差別というものは存在し、
彼らはよくいじめられたりしていました。私の末金という名字にも「金」という
漢字が入っているため、「おまえも朝鮮やろ!」などと言われ、
戸籍謄本を提出までさせられたり、高校生の時にはボーイフレンドの親に興信所で
調べられたりまでしたものです。

そんな小学校6年生の時のことです。
私のお誕生日会の日に、私の家に仲良しグループのお友達がたくさん集まって
くれました。そこに「金本さん」というお友達がプレゼントを持って
来てくれたんです。
「のりちゃん、金本さんも呼んでたん?」と、
みんなから問い詰められ、金本さんの手前、呼んでもいないのに来てくれたとも
なんだか言えずに答えに詰まっていると、
「うそ~っ、のりちゃんも朝鮮やったん?!」と。
私が「そうやないけど、金本さんもお友達やんか。なんで入ってもらったら
あかんのん?」と言うと、みんな白い目で私を見ながらぞろぞろ帰って
しまいました。
私は金本さんと二人きりで残され、正直言って
「金本さんが来たせいで、あんなに楽しみにしていたお誕生日会がメチャクチャに
なってしもた。」
と恨めしく思っていました。
その時、金本さんが私にこう言ったんです。
「のりちゃん、こんなことになってしもてごめんな。私はいつもやさしくしてくれる
のりちゃんのお誕生日やからプレゼントを渡したくて来ただけやねんけど…。
のりちゃん、怒ってるやろ? 韓国人やない私までなんで差別されなあかんの!
って、今、腹たってるやろ?」
私が黙っていると、金本さんは続けてこう言いました。
「のりちゃん、こう想像してみてくれへん? お願いやから試してみて!
いくで。
まず最初に、
自分の名前を消してみて。
自分の過去が全部なかったと思てみて。
住んでいる家もないと思てみて。
自分はこんな人間やと思てる感じも消してみて。
ほんで
そこに残って立ってんのは誰?」

私はその時、何か本当に大事なものを教えてもらったような気がして、それ以来
いつもこんなイメージを心に抱いているような気がします。

生きていく中で、付属的なものをいっぱい集め、ずっと足し算ばかり続けていれば、
わたしたちは自分が何者なのか、分らなくなってしまいかねません。
名前も過去もいったん切り離して、真剣に己を見つめ直せば、本質が見えてくる
のではないでしょうか。

昨年、暮れに「忘年会」をたくさん開いていただきましたが、
忘年会というのも、ある種の「過去を削る作業」を広く行うということでも
あるような気がして、一年の終わりにその年の自己を見つめ直すいい機会で
あるのかも知れませんね。飲めや騒げで終わってしまっては何にもならないので
しょうが…。

暦や四季を大切にして生きてきた日本人の生命は一年更新です。
どれ程辛い一年であっても、大晦日で区切るのです。綺麗さっぱり前の年のことは
清算して一眠りし、元旦には枕元にまっさらで綺麗な、新しい一年分の生命が
訪れます。

さあ、新しい年です!
新しい365日。
気持ちまでまっさらに引き締まって、いいものですね。
過去を削ったまだまっしろのこの白いキャンバスに、あなたはどんな絵を
描きますか?

今年のこの「季節の便り」も今までよりも、不必要な部分をそぎ落とし
「削る作業」をしてゆきたいと思っておりますので、どうぞまた今年も
おつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

残るのは誰か?

まず最初に
自分の名前を消し去る。
生きてきた年月も振り落とす。
住んでいる家を解体し更地にした上で
自分自身のイメージも引っこ抜く。
そうして
そこに残って立っているのは誰か?
そこからもう一度
自分の名前を書いて
生きてきた年月を拾い集め
家を建て直し自分の進む道を
ふたたび歩み出す。
いずれまた
白紙に戻すときがくる。
何度も
何度も繰り返す。

【2008.1.7 末金典子】