お元気ですか?
今日はクリスマスですね~!

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日とされていて、
由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた太陽神への
収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスになったと
言われています。冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを
感じる一方で、不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたためなのだそうです。

これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、友達同士でワイワイ騒いだり…が主流の
ジャパニーズクリスマス、あなたは今夜はどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。それとも既にこの連休でたっぷりと楽しまれたかも
しれませんね。

さて、こんなふうに今年も季節の暦の折々にお便りをお送りさせて頂いて
きましたが(文章が長過ぎる!とお叱りを受けながらもしつこく…)、
今年も最後のお便りとなってしまいました。毎回お読みいただき、また、
たくさんご返信もいただきありがとうございました。

私は季節の暦が本当に好きです。
そして季節感を持って暮らしていくことがとても大切だと思っておりますので、
便りも季節の暦の度にお送りさせていただいているのです。

元々中国の季節感だった「二十四節気」が輸入され、少しずつ日本に合わせて
変化をし、すっかりこの国のリズムとして定着したのは一体いつ頃のこと
だったのでしょう。
農業に欠かせない「暦」は国民にとって重要な参考書であったことでしょう。
何日頃に種を蒔こうか、とか、そろそろ服を冬用に替えないとね、という具合に。
江戸時代、「暦」は毎年その年の季節に合わせ、きちんと修正されて売り出され、
人々は必ずそれを買い求めてそれぞれの生活を作りました。当時の農民や漁民に
とって「季節」は「生活」の重要な目安だったわけです。
科学の進歩によって暖房機や冷房機が普及し、私たちの肌の感受性は
退化してきました。今や日本人の多くは「暦」とは月日を確認する為のものとなり、
時計のように時を計るためだけのものとなってきつつあるようです。
でも、「季節感」は揺らいでも、「季節」そのものは厳然とこの国の風土を
この国らしく彩り続けています。どれ程暑い夏も永遠に続くことはなく、
どれ程美しい秋も永遠に続くわけではありません。季節は時とともに巡り、
この国の風土に美しい四季をもたらし続けています。
そうして、どれ程寒い冬に苦しんでいようとも、もう少し頑張れば、次には必ず
春がやってくるのだ、という安心感が、日本で住み暮らす人々の心根の
「負けるものか」という辛抱強さ、或いは「諦めない」という粘り強さを育てて
来たのではないかしら、と私は思うのです。
冬が厳しければ厳しいほど、やがて巡ってくる春に悦びは満ちます。
こうして季節に託して心を切り替えながら自分を励ましてきたのでしょう。
だから、日本人の生命は一年更新です。どれ程辛い一年であっても、大晦日で
区切るのです。綺麗さっぱり前の年のことは清算して一眠りし、元旦には枕元に
まっさらで綺麗な、新しい一年分の生命が訪れます。
現代人一人一人のDNAに眠っているこういう「日本人の心根」をこそ、「暦」に
刻むことが最も重要なことなのかも知れませんね。

今年もたくさんの方々との出逢いがありました。
たくさんお話させていただきました。いろいろな文章を読みました。
そうして感じたことです。
おそらく多くの人が自分の人生への不安におののきながら、なかなか自信を
持てないで恐る恐る生きている、そんなふうに伝わってきたのです。
でも、どれ程ささやかな人生であろうとも、他人の人生を代わりに生きることなど
あり得ません。派手に生きているように見えようとも、慎ましすぎる生き方に
見えようとも、自分自身の人生なのです。大きな人生など無いのです。
人の評判や評価などとは無関係に、実は皆、小さな人生を精一杯に
生きているのだと思います。

この世は修行場のようなものですから、次々とつらいことが起きて、
生きていくのがイヤになることもあるかもしれません。
そんな時がもしもあるのなら、ぜひ鏡の前に立ってみてください。
そして、人生でつらかったことを思い出してください。
小さい時から、いじめにあったり、初恋が実らなかったり、友達に裏切られたり、
お金がなかったり、受験や就職で挫折したり、自信をなくしたり、
あなたにとっては血を吐くようなつらい思いをいろいろしてきたことでしょう。
でも今、あなたはそこにいる。生きています。あれだけのことがあったけれど、
生き抜いてきました。それはあなたに、それらのトラブルを乗り越える力が
あったからです。ちゃんと自分で戦い抜いて、打ち勝ってきたからこそ、
ここにこうしているのです。あなたは強いのです。生命の塊なのです。
鏡の中には、この宇宙にたったひとつしかない、尊い存在のあなた自身が、
いるはずです。何の心配もいりません。これからもちゃんと、生きていく力が
ある人なのです。どうぞ自信を持っていただきたいと思います。

自信という言葉は、“自分を信じる”と書きます。これはつまり、あなたを
認めるべき存在はあなた自身に他ならないということ。
もしも“私なんか…”と思っているのであれば、今すぐ、その考えを
おやめくださいね。
ネガティブ感情にとらわれやすい人は、とてもまじめな優等生タイプが
多いそうです。他人を慮るばかりに自分を引っ込めやすく、第三者の認知など、
何かしら“根拠”がないと、自分を素直に出せないのだそうです。
でも、他人の気持ちは、いくら悩んでみても、推し量ってみても、どうしようも
ありません。だったら、そんなことはきっぱり忘れて、どうせ考えるのであれば、
自分自身のいいところ探し、“私はいかに素晴らしいか”というところに思いを
馳せるほうが、よっぽど建設的だと思うのです。

また、あなたが自分自身を認められずにいるのは、自分がいかに幸福であるかを
実感しようとしていないからではありませんか?
例えば、昨日の出来事を振り返ってみてください。あなたにとってその日は、
どのような一日だったでしょうか?
もしも“いいこともなく、つまらなかった”と思うのであれば、
幸せの取りこぼしをしていませんか?
いいことや楽しいことは、一日のうちにたくさん存在します。
ご飯がおいしかったこと、残業なしで仕事を終えられたこと、時間通りに
待ち合わせ場所に到着できたこと…。些細なことかもしれないけれど、
これらだっていいことには違いありません。
それに、その日一日が無事に終わり、次の日へとバトンタッチできているんだもの、
これ以上の幸福ってないと思いませんか?
たとえ悪いことばかりが重なったとしても、どんなに小さくてもいいことに目を
向けていれば、マイナスに支配されたまま一日が終わることなんて
ほとんどないはずです。

さあ、もうすぐお正月休みが始まります。
一日でもいいから、何もしない日を作ってみてはいかがでしょうか。
私たちはとにかく忙しすぎます。だから小さな幸せを取りこぼしてしまうわけで、
たまには一人でボーッと、自分自身を見つめ直してみるのもいいのでは
ないでしょうか。せわしない日常から自分を切り離してぼんやりとしていると、
いろいろな人に手助けされたり、迷惑をかけながら、日々過ごしていたことを
知ることができ、私一人では何もできない、でも私はここにいられる…と、
自分がこの世に存在できているということを、単純に喜べるはずです。
あなたという存在は、世界にたった一人です。この世で唯一無二の存在。
あなたは他人に評価されたり、他人をうらやんだり…そんなことをする必要が
ないほど、スペシャルな人間。
あなたの人生の主人公なのです。
そのことを忘れていただきたくなくて今回は長々と書き綴ってしまいました。

今年も本当にありがとうございました。
あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように、
そして何より、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますよう、
心からお祈りいたします。

【2007.12.25 末金典子】

さすがの沖縄も随分ひんやりしてまいりました。
体調などお変わりございませんか?

私は20代の頃より毎日睡眠時間3・4時間という二足のわらじ生活を
送ってきたせいか、体調管理や、健康に関しては幾分か気を配ってきたつもりで
いるのですが、そうはいっても20・30代の時には、せいぜい、運動を
心がける、お休みの日にはしっかり眠る、保存料の入った食べ物は食べない、
栄養の偏りをサプリメントで補う、シャンプーや洗剤などは肌に優しい価格の
高いものを使うなどといった比較的安易なものでした。
長ずるにおよんで、そんなものではないなぁと思ってきました。
もっと体の中からしっかりと変えていかなければと思い始め、
食べるものはできる限りよい素材で手作りしたり
(例えば、おやつにホットケーキを焼く時だって、
市販のホットケーキミックスの中にはたくさんの添加物が入っていますので、
粉からふるうようにするなど)、入浴剤もキッチンで揃うような素材で
口に入れてもよいものを毎日調合したり…。
今、特に楽しいのは、毎日1時間のウォーキングから50分のランニングに
切り替えて走っていること。(自宅前のアラハビーチ近辺)
毎日走っていると、体重が減ったり筋肉がついたりと健康にいいのはもちろんの
ことですが、普段の車生活では気づかないことがたくさん見えてきて
とても新鮮なんです。

さて、その気づいたことの一つを記事にしてみました。(琉球新報さんと
沖縄タイムスさんには却下されましたが!)

************************************

今年、北谷町のアラハビーチに歩行者のための塩川橋が架かった。
毎日ウォーキングでこの橋を渡る度に哀しくなる。あまりにも思いやりの無い橋
だから。
アラハビーチは町中にあってもまだまだ美しい海が広がる。魚だってたくさん
泳いでいる。この塩川橋が架かるまではたくさんの人達が海を泳ぐ魚達を見て
歓声をあげものだ。
ところが、橋が架かったのはよしとしても、この塩川橋、大人の私でさえ
背伸びをして覗きこんでも下の海が見えない。分厚いコンクリートで味気なく
ガッチリ固められた壁のごとき美しくもない橋。柵のようであるなら海を
見ることもできるのに、コンクリートの壁のわずかな隙間からは到底見えない。
安全性というのなら、違う方法はいくらでもあったはず。
そればかりか、雨が降ると橋の両端に水が溜り水びたしに。まだ真新しい橋
なのに。
一体どんな人が設計したのだろう。海の美しさや魚になど興味も感じない人
なのかしら。仕事が取れればいいというお金が大切な人なのかしら。
それを許可したお役所の人はどんな人なのだろう。橋を渡る時に景色など
味わったことのない人なのかしら。全ては業者に委せておけばよいという
事なかれ主義の人なのかしら。
思いはそこに至ってしまう。どうぞそういう人達ではありませんように。
この橋に限ったことではない。どこの町にもそういう心ないものが溢れている。
みんなのお金は、みんなの気持ちを慮り、思いやって使ってほしい。みんなの
ために。
それが、仕事をする、働く、ということなのだと思うから。
「お前さんねえ、はたらくってのは傍が楽になるからハタラクってんだよ」
という落語の一説があるけれども、みんな働くのは自分のためだって思うから
辛くなる。欲得に走る。自分の身の回りの人を楽にさせるため、楽しませて
あげるために働くんだって考えたら、やる気も出るのではないだろうか。
つまり愛する人のために頑張るっていうのが人間一番元気が出るものだから。
人間は風や海や太陽や原子のエネルギーを使うことができるようになった。
でも、それと同じように、愛のエネルギーを使うことができるようになったら、
それは火の発見にも値し、素晴らしい世の中になるのではないだろうか。
このエネルギーは枯渇しないのだから。
私のモットーはいつも、「いま、愛なら何をするだろうか」。
先ほどの橋の話に当てはめてみるならば、橋の担当者の人達が「いま、愛なら
どんな橋を架けるのか」。その人は家族と一緒に美しい海を渡る時、
どんな橋を渡りたいのだろうか。思い浮かべてみてほしい。
そういう優しいものが町に溢れたなら、人の心も自然に優しくなり、歴史も
きっと変わる。

************************************

こんなふうに愛のエネルギーで働くことができれば、仕事に一種付き物の
「憂うつ感」はなくなるのではないでしょうか。

ただ、この仕事に立ち向う時の「憂うつ感」は、違う面では、今の教育にも
関係している気がするのです。

私もそうなのですが、仕事をしていると、トラブルが起こったり、人間関係が
いざこざしたり、体調がきつかったり、仕事が多く溜まってきたりと、本当に
辛い時があります。
でもその時こそ、社会で伸びていく人と、そうでない人の差がぐっと
出てくるように感じるのです。
それは多分、日本の教育に問題があると思うのですが、受験を筆頭にいい学校、
いい点数、いい成績をめざすために、今の人たちが何を教えられ、
何をやってきたかというと「効率のいい」勉強なんですね。
どういう意味かというと「限られた時間内に効率よく点を取る」ための勉強で、
「効率よく点を取る」ためには、わからないことは後に回して、わかるものから
優先的に点を取っていくんです。このやり方が身についてしまうと、
イヤなことはしない、面倒なことは後回し、楽なことから点数を稼ごうと
するようになる。しかも、興味のあることが「効率のよくない」ことなら
あきらめてしまったり、本当に好きなことを知る機会を持たないまま
大人になってしまうのです。
この考え方を社会に出ても続けようとする、つまり、自分が楽だと思うような
仕事から先にやって、面倒なことは後回しにしてしまうと、
それは正反対なんです。仕事というのは、イヤなことからこなしていかなければ
いけません。面倒なことから片づけていかないといけない。なぜなら、
楽なことは放っておいてもある程度まわるものだからです。
子供のころから勉強してきた処理判断と、社会に出てからしなくてはならない
処理の仕方では、まったく逆の思考をしなければなりません。
これが今の人たちはとても苦手なのだと私は思います。

また、これは仕事に関してだけではなく、
よく「なんとなくいつも憂うつなんです」とおっしゃる方が多いのですが、
それは、いつかはしなくてはならない事や、向き合わないといけないけれど
放ったままにしてある問題を、いつも心の片隅にしまっているからでは
ないでしょうか。いつも心のどこかに「憂うつ」を持っている。
そうではなくて、「憂うつ」っていうものは心の片隅からググッと眼の前に
引っ張り出してきて、真っ先に片づけちゃうべきなんです。やってみれば意外と
「あら、こんなに簡単だったの?」と思ったり、
「先にやっておいたら気が楽になった」ということになったりするもの
なのですから。

さて、今日はいよいよボジョレーヌーボーの解禁日!
ググッと憂うつに向き合った後で、いつもうんとがんばっているご自分への
御褒美に、ぜひやさしいひとときをプレゼントなさってあげてくださいね。

【2007.11.15 末金典子】

こんにちは。
お元気ですか?

今日はハロウィンですね~!
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことです。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには子供に帰って遊ぶという気持ちは大切なことかも
しれませんね。

そこで私もちょっと童心に帰って……思い出したことがあります。
子供の時から引っ掛かっていたことがこれなんです……。

女の子は小さな時、ままごとをしますよね。
私も毎日のようにままごとをして遊んだものです。私がお母さん役になり、
人形を赤ん坊にして、ハンカチのおしめをとり変えたり、抱っこしたり。
お父さん役にはやはり男の子が望ましいと、私はお父さんになる男の子を
探しました。そして一つ年下のやさしくて静かな健ちゃんをままごとに
引っぱり込むことに成功した時、私はうれしくて、でもなぜだか
うしろめたかったんです。男の子がままごとを喜んでやるとは思えなかったので、
だまくらかした感じがして、いつ「やーめた」といわれるかハラハラしたから
なんだと思います。戦争ごっこをしている外の男の子に見られたら健ちゃんは
恥ずかしがるだろうとなと思いもしたり…。
それでも健ちゃんは泥まんじゅうがのっかっている木の葉を恥ずかしそうに
持ち上げて「パクパク。ああ、おいしかった」といってくれて、
私は酔ったように甘ったるい気分になりました。
ごはんを食べ終わると健ちゃんは会社へと出かけていきます。ござのへりに
ぬいだ靴をはいて「行ってくるぞ」と言い、私はござのはじに両手をついて
「お早くお帰りになって」とおじぎをし、健ちゃんは、すぐそばの木を
一回りして「ただいま」と帰ってくるのです。
ただそれだけのことでした。それだけだからすぐあきもしました。
あきても私はままごとが好きであり、健ちゃんをお父さんにする
うしろめたさとうれしさを何度も味わったものでした。

そして私が大人になり、初めて男の人に結婚を申し込まれた時(!)私は
ままごとに健ちゃんを引っぱり込んだのと同じような気がしたのです。
男は本当は結婚なんか望んでいないんじゃないか、戦争ごっこを
泥まみれになってやっていたいんじゃないか、と。
友だちの結婚式に出席してお祝いしているさなかも、はっとわれにかえって、
結婚式が大げさなごっこであり、集まって来た男たちは、木の葉っぱの上の
泥まんじゅうを「パクパク」といって食べている仲間をひやかしに
来ているようなそんな気がしたりしました。
つまりは、男って本当は結婚などせずに、ずっと自由に子供のままで
生きていたいのではないのかしら、ということを感じ続けてきたわけなんです。

それどころか、男って実は一生“子供そのもの”のままなのかもしれません。
梅佳代さんの写真集に「男子」というのがありますが、これがすごくおもしろくて、
小学生に「今から写真撮るよ~」と声をかけると、女子は可愛くちゃんと
カメラにポーズをとるのに、男子はというと、好奇心いっぱいの動物のように
レンズににじりより、定番が白眼をむいてのポーズ。あとは鼻に手を突っ込む、
道路に寝っころがる、など、とにかくおバカなポーズばかりとるんです。
この写真集はこのおバカな(つまりは照れ屋な)男子ばかりを愛情込めて
撮り集めてあるものなんですが、つまりは、男は大人になったってこういう
習性はさして変わらず、あいも変わらず照れ屋で、子どもの頃プラモデルに
熱中していた時そのままに、「へ? いまだにそんなことを?」なんてことに
熱中していたり、夢見続けていたりするものではという気が、いろいろな男性と
お話していると感じています。

そしてまた男は子供なだけではなく、とても繊細で脆くて弱い生き物だなぁと。
失恋となると、女は、別れるまでは「捨てないでぇ~」などと泣いてわめいて
大騒ぎするくせに、いざ別れてしまうと半年もするとケロッとしているもの。
でも男はそうはいきません。結構いつまでも引きずっている人が多いようです。
もしかして「女々しい」とは「男々しい」と書くのではないだろうか、
と思うぐらいに。まあ、神代の昔から、「原始、太陽は女であった」と
言われているのだもの。逆に、男はロマンティストで、神経が繊細で、生理的にも
精神的にも弱いからこそ、神様は男に腕力を与えたもうたのではないでしょうか。

自分が歳を重ねるにしたがって、自分より年上だったり、尊敬できるなと
思う人でも、何かのときにどうしてこんな子供なんだろうって感じることが
よくあります。私はそういう意味では男の人には大人を求めようとすることを
しなくなりました。そうなると逆に子供の部分がすごく愛おしくなったり
するんです。これは決して男の人をバカにしている意味ではなくて、
違う意味での尊敬感なんです。つまりは、女が「男は強いもの!」と決めつけず、
変に男に頼らずに求めずに「男は繊細で子供のように純粋で脆いもの」と
愛おしく想い、包むように愛すことができたなら、世の男女の関係って、
もっとスムーズで、素適なものになるような気がするのです。

でも、信頼できる大人の強い男性に愛されて、心から落ち着き、
安らげる関係こそ“心に優しい恋愛”だと多くの女は思ってしまうわけです。
私も以前はそう思っていました。でも今は、相手から癒されるために恋愛を
するのだとは捉えられなくなりました。
そもそも恋愛ってそんなに癒されるものじゃありませんよね。もちろん幸せな
恋愛もあるけれど、そこまでにはつらさや切なさを乗り越えなければ
ならなかったり、手に入れた後でもまた行き違いが起きたり…。
癒される瞬間があるとしたら、それは人を心から好きになれる自分に気づいた時。
その気持ち全体が、心を癒してくれるのではないかと思うんです。
つまり、他人に寄りかからず、自分の気持ちを純粋に信じた時、
「相手の愛情に癒されるのではなく、人を好きになった自分自身に癒される。」
のだと今は思います。

さてさて、今日は、純粋で子供な男性と一緒に、女性も優しく包み込むような
気持ちで、ハロウィンをわいわい楽しみましょう!

私も魔女に変装し、八ロウィンの飾り付けやかぼちゃのパイやケーキとともに
あなたをお待ちしております!

「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

こんにちは。
連休前に台風が通り過ぎ、秋の気配が強まってきました。

昨日は敬老の日でしたね。おじいちゃん・おばあちゃんとお過ごしに
なられましたでしょうか。
この敬老の日、私の大好きな聖徳太子が悲伝院というお年寄りの救護施設を
設立したことにちなんで作られた国民の祝日です。
お年寄りへの感謝と尊敬を思い出させてくれる日でもあります。

先日意外な方からお電話をいただきました。
なんと!私の小学生の時の担任の先生から。
「末金さん、こんにちは。お元気になさっておられましたか?
覚えてくださっているかしら? わたくし、あなたが小学生当時に、
担任をさせていただいた植田でございます。」
もうビックリ!!! 大好きだった、憧れだった、お優しくて、お美しくて、
お上品で、とにかく素敵だった植田先生。当時は30歳ぐらいだったから、
今はもう、ええっと…65歳?! わぁ、想像できない、今の先生。
小学校教育一筋に、ずっと独身で…なんていうウワサを聞いたこともある。
でも、お声も、お話のなさり方も、今も変わらず、とてもお優しくて、
すごくお上品。
先生のおうちに何度かお招きいただいたこともある。
お友達数人とバスに揺られて、伺った先生のおうち。とてもきれいに
してらして、本を読んでくださったり、つくしを取って、それをたこ焼きに
入れて焼いてくださった。今でも忘れられないのが、帰る時には
「これバスの中でいただきなさいね。」とお土産に持たせてくださった
綺麗なレースのハンカチに包まれたキャンディ。
叱る時も厳しく叱るけれど、とにかくたくさん優しく褒めてくださる。
「とてもステキにご本が読めましたね。」「今のはとても立派な態度でしたね。」
と。もう男子などは、先生に褒められると、真っ赤になって、
木にもピョ~ンと登る勢いで喜び勇び、ついついいい子になっていたものだ。
その先生からのお電話、だ。
当時の私は今と違って(?!)、お転婆な女の子だったので、とてもよく覚えて
くださっていたのだろう。
生徒会副会長になって、実にたくさんの「みんなでやろう運動」を
立ち上げたっけ。
(例えば、学校近くの駅で“重い荷物を持ったお年寄りの方をおうちまで
送ってあげよう”“雨降りの時に傘を持っていない人がいたらおうちまで
送ってあげよう”なんて具合)なんだか今思うと気恥ずかしい。
先生は今回沖縄にいらっしゃることが決まると、私が沖縄にいるという
風のウワサを思い出され、レストランをしていた母に尋ねてくださり、
お電話をくださったというわけなのだ。

たくさんお話しすることができた。たくさん私の小学校時代が蘇ってきた。

私は子どもの頃から、百科事典まで愛読するほどの典型的な文系人間で、
今もって数学心のない人間。
私と同じような人の話をよく聞くけれど、私も最初から数学がまるでだめだった
わけではない。すくなくとも「さんすう」の段階までは、まだ何とか息があった。
テストでも単純な計算問題の部分はむしろ解くのが楽しかった。が、これが
設問形式となると、もういけなかった。たとえば
「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、
10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」
というような問題があったとすると、私はその“ある人”のことがひどく
気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。
家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7こしか買えないと
わかった時に“ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりで
あったろうか――。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまう
ことさえあり、(“ある人”ったら、うふふ……)などと想いを馳せて
いるうちに、「はい、鉛筆を置いて!」という先生の声が響きわたって
しまうのだった。

理科の時間には、みんなでお花を育てましょうということになり、私の班は、
ペチュニアにしようと決まった。しかしペチュニアには天敵がいた。
ナメクジだ。奴が夜のうちに花びらだけをきれいに齧りとってしまうのだ。
私の怒髪は天を衝いた。殺ナメクジ剤「ナメキール」を撒いてみたが効果は
なかった。私は同じ班のお友達と真夜中に学校に行き、懐中電灯を持って
花壇で『八つ墓村』のごとき憤怒の形で一匹ずつナメクジを割り箸で
つまんでは捨てた。「後にも先にも、ナメクジに対してあれほど強い殺意を
抱いたことはありません。」と今回その思い出話をしながら私が言うと、
先生は「おほほほ…」と笑いながら、「あなたは子供の時からおもしろい
お話のなさり方をしていたけれど、今もちっともお変わりありませんねぇ。」
と言われた。

もっとも、そういう私を育て導いてくださったのは、先生であり親なのだ。
先生も母も、偉大な国語学者であり教育家の大村はま先生の教えがいつも頭に
あったようだ。
「言葉が貧しいということは、心が貧しいこと。“読む”ことは
読むことによってしかのびないし、“話す”ことは話すことによってしか
“書く”ことは書くことによってしかのびない。」と。
それがどう私に活かされたかはわからないのだが……。

その先生も母も、もう「おばあちゃん」と呼ばれる年なんだなぁ。

おばあちゃんやおじいちゃんと接すると、彼らはいつの時も、鋭い洞察力で
時代を分析し、人生に対して優しくあたたかな眼差しを注いでいた。

彼らは、私たちの人生の大先輩。長年の経験をもとに紡がれるその言葉には、
人生を豊かで実りあるものにするためのステキなヒントが宿っている。
私がいただいた大きなヒントはこれ。
「幸せとは、生きることを楽しむこと。」
どんな時もゆとりを忘れず、喜びも悲しみも受け流す彼らはまさに、
人生の達人。

普段は忙しさにかまけて、あまり交流のないおじいちゃんやおばあちゃんの話に
耳を傾け、その思い出話やライフスタイルから、毎日を快適に過ごすための
知恵を学びとる日にしたいものだ。
そして、その深みのある人生に触れ、忘れてしまった大切なものを、
生きることの旨みを、教えていただきたいと思う。

【2007.9.18 末金典子】

お元気ですか?
沖縄は久しぶりに台風が直撃しましたが、あなたは大丈夫でしたでしょうか。
金曜日はさすがにバスも終日運休しましたので、仕事もお休みさせて
いただきました。
昨日は本土で大きな地震もあったりと、天災続きでたいへんな連休に
なってしまいました。お見舞い申し上げます。

さて、昨日は海の日でしたね。あいにくの雨で海水浴も叶わず、
お部屋の窓から雨模様の海を眺めてすごしました。

太陽系の惑星の中で、海があるのは地球だけです。生命が存在するのも…。
そして、青い惑星と呼ばれるように、私たちが住むこの地球の70%は海です。

地球ができたのは今から46億年前。ごく小さな惑星同士が衝突・合体を
繰り返して、しだいに大きな惑星ができあがったと考えられています。
衝突の熱のため、当時の地球は、1700℃くらいの高温。ドロドロに溶けた
マグマが地表をおおい、水蒸気や窒素、二酸化炭素などを含むガスが上空に
立ち込めていました。その後、地球の温度が急速に下がると、ガスの中の
水蒸気が冷え、雨となって地上に降り注ぎます。これが海の始まりでした。
今から43億年ほど前のことです。

この雨にはガス中の塩化水素が多く溶けていたため、最初の海水は
塩酸のようなもので、とても生命の住める環境ではありませんでした。
しかし海に接する岩石から、ナトリウムやカルシウム、カリウム、
マグネシウムなどさまざまな無機物がしだいに溶かし出され、
大規模な中和反応が起こります。その結果として、今のような、塩辛くて、
ほぼ中性の海ができあがったのです。

この海の中で、炭素化合物の一種であるアミノ酸が自然合成され、
そのアミノ酸が集まって作られたたんぱく質から、最初の生命体が生まれました。
アミノ酸の生成は化学反応の一種であり、水の分子のないところでは
むずかしかったと考えられます。またオゾン層の形成されていなかったこの時代、
強烈な紫外線が降り注ぐ地上に、生命体が住むことは不可能でした。やがて、
少しずつ進化した原始的な海中植物の中に、二酸化炭素を取り込んで酸素を出す
「光合成」を行うものが現れたことは画期的でした。この酸素を取り入れて
呼吸する「動物」が出現。その後長い進化の歴史を経て、私たち人間が
生まれたのです。

このように、海は、私たち人間が生まれるずっと前からこの地球に
存在しています。私たちが知りようもない遥か昔の記憶がそこには刻まれて
いるのです。
生命の誕生と死、地球上で繰り返される闘いと破壊、人間の豊かさと愚かさ、
海はすべてを見ています。
私たちは昔から、海に対してある種の浪漫を抱いてきました。
見ることのできない海の彼方に想いを馳せ、様々な夢や伝説を創り出して
きました。
私たちの想像力をかきたてる未知なる海は、たとえて言うなら、母なるガイア
(地球)の羊水。私たちの生命の源がそこにはあるのです。

不思議なことに、お母さんのお腹の中で赤ちゃんを育む羊水は、
ミネラルバランスなどの組成が、古代の海水と大変似ているそうです。
広い海を眺め、波の音に耳を傾けていると自然に心が癒されるのは、
海が私たちのふるさとだからなのかもしれません。

そんな海は、誰もが普段身につけている鎧を脱ぎ捨て、裸の自分に戻れる場所。
そこでは自分を偽ることができません。子供がどんなにウソをついたり
ごまかしたりしても、お母さんには全部ばれてしまうのです。
私たち子供は、母なる大自然には何ひとつ勝つことができません。
今回の台風や地震の爪痕ひとつとってもそうです。
どんなに虚勢を張ってみても、いえ、虚勢を張れば張るほど、ちっぽけな自分が
浮き上がってしまいます。
この夏、そんな自分の弱さを認めて、海に思いきり甘え、私たち生命の源に
帰って、その大いなるメッセージに耳を傾けてみませんか?
夏はエネルギーが解放される季節です。じっくり自分を見つめる時間を持ち、
あなたの内面に手をかけてあげてくださいね。

【2007.7.17 末金典子】

こんにちは。 お元気ですか?
じとじとじと~っの梅雨ですね。
梅雨で雨がたくさん降るのに、6月のもう1つの名前は「水無月(みなづき)」。
実は旧暦の6月は、新暦では真夏の日照りが始まる7月に当たり、暑さで水が
涸れそうな様子から「ミズナシ月」と呼ばれたのが、由来といわれています。

いつもはうっとうしく思うこの梅雨。毎年、よくまあ規則正しく
やって来るものだと、地球のリズムに感心するのは私ばかりでしょうか。
お部屋がじめじめしたり、お洗濯物が干せなかったり、鬱陶しさは
ぬぐえないけれど、農家にとっては恵みの雨。この雨が、さまざまな作物たちの
豊かな実りを助けているのです。

でもその作物にも限りがあります。それが自然です。だからこそ、今ある大地の
恵みに感謝したいものです。
最近は、サプリメントがもてはやされています。ゴクリと水で流し込むあれです。
安易にこれに頼るのはどうでしょう。これも食文化? 今の日本の教育は、
知育・徳育・体育の三本柱ですが、今こそ「食育」が必要なのかもしれません。
幼いころ、時間を忘れ夢中で遊んでいる時に、お母さんから「ご飯ですよ~」と
呼び掛けられ、家族がみんなで楽しく食卓を囲んだものです。
こういう団欒のひとときに、この食物はこんな味でこんな栄養があるなど、
食体験や料理を通して、子供達に「おいしい」や「楽しい」を伝えていくべき
なのではないでしょうか。
著名な料理家が、「スローフード」という食習慣を直訳すると、「団欒」が一番
ふさわしいとおっしゃっておられましたが、地場の伝統食を話題にしながら、
皆が楽しく食事をすることもとても大切なことなのだと思います。

以前にも書きましたが、やんばるのブドウ狩りで感じたことです。

お客さんの足で踏み固められた地面に、一生懸命根をのばすブドウの木。
見た目はよい漆黒の粒でも、農薬の霧がその美しさに陰をさしていました。
ブドウの木が苦しそう。
昔のもこんな味だったっけ?
種無しにするため成長調整剤を使い、人工的な処理をほどこしたブドウ。
種ありブドウの強烈な甘さを知る、私の口にはまずく感じました。
あらためて考えてみると、山も畑も、昔と変わらず、深い緑で覆われています。
でも、見かけは同じ緑色でも、本当に中身まで同じものなのでしょうか。

まっすぐなキュウリ。真夏の白菜。虫を殺すジャガイモ。漂白剤で洗った真っ白な大根。自然の中ではありえないものが、当然のように存在する時代。
腐らないおにぎり。栄養のない野菜。石油から作られた食品。
添加物だらけのハンバーガー。人口の甘味料や香料。保存料、着色料…。
食べ物は私たちの体の中に直接入ってくる大切なもの。なのにウソやごまかしだらけの食べ物が世の中に溢れているのです。
祖母と母が同じ台所に立ち、その日買ってきた食材を使って、代々の嫁が
教わってきた知恵と味を、また伝えていく。「そんな生活があたりまえだった時代はもう過去のこと」、そうしてしまっていいものなのでしょうか。

梅雨に、大地の恵みに感謝しつつ、地面に跳ねる雨の旋律に耳を傾けながら
そんな思いにひたっていました。

【2007.6.8 末金典子】

ゴールデンウィークはいかがお過ごでしたか~?
5日は子どもの日でしたので、お父さん方は海や公園など行楽地にお出かけ
なさったことでしょうね。
この、菖蒲の節句とも言う子どもの日、昔は、菖蒲など季節の薬草で
厄払いをする宮中の行事でした。その後、武士の間で菖蒲を尚武(武を尊ぶ)と
解したことから、男の子のお祝いとして定着。兜や鎧を飾り、子ども達が
たくましく育つようにと願いを込めたそうです。
今もって子供はいない私なのですが、素敵な子どもに出逢うことができた日と
なりました。

私は無類の猫好き。私の住む北谷の町には、いたる所にわんさかノラ猫が
いるんです。毎日、海沿いにウォーキングしていると、決まったエリアに
決まったノラ猫がいるので、いつの間にか顔馴染みになり、今では挨拶を
交わすほどの仲になりました。私の昔からの習慣で、どこへ出かける時にも
いつも小さなタッパーにキャットフードを入れて持ち歩いていて、
ウォーキングの途中で会った猫ちゃん達にももちろんご馳走することに
しています。たまに見過ごして通り過ぎると、
「フニャーッ!(今日はくれないの~!)」と追いかけてくるほどです。
以前、ある建築家の方から、「その猫を一生面倒みる覚悟もないくせに、
中途半端な親切なんかかけるな!」とお叱りを受け、随分考え込んで一時
やめたことがあるものの、お腹の大きな母猫や、子猫をたくさん抱えた母猫が
餓えておっぱいもろくに出ない様子に遭遇した時に、たとえ一時でも、と
再開してしまい、今では再びエサを持ち歩く毎日です。
その日、ウォーキングの帰り道に寄ったサンエーの駐車場でのこと。
私を待ち構えるようにして寄ってきた猫が4匹。いつものようにエサをあげて
なでなでしていると、7,8歳ぐらいの真っ黒に日焼けしたわんぱくそうな
男の子が、私に「こんにちは!」と大きな声で笑いかけてくれるでは
ありませんか。うれしくなって私も大きな声で「こんにちは!」
するとこう言ってくれたんです。
「おばさん、ありがとうね。僕ね、いつもお母さんとここに来る度に
ここの猫ちゃん達のために家のミーコのエサを持って来てあげるんだけどさ、
今日は忘れちゃって猫ちゃん達にごめんねって謝ってたんだ。それで
『神さま、どうか、誰か優しい人がここに来てくれて、僕の代わりに
猫ちゃん達にエサをあげてくれるようにしてください』って必死で
お願いしてたんだよ。そしたらさ、おばさんが向こうから歩いて来て、
座って猫ちゃん達にエサをあげてくれたんだ。すっごいびっくりしちゃった。
おばさんは神さまの声が聞けるんだね。本当にありがとうね。
神さまもありがとうね!」
って言うと車に走って行きました。
私こそびっくりしちゃいました。
そして、この子の後姿には羽が生えてるように感じました。
よく、「今の子ども達は…、」などと言われますが、なかなかどうして。
すくすく育っている素晴らしい子どももいるなぁって、
とっても嬉しくなっちゃいました。
そうですよね、生まれてくる時にはみんな真っ白で、純粋無垢。
そんな子ども達を犯罪や非行に駆り立てているのは、大人が創り出す環境や
教育から。
この子のように、命を大切に思う子にみんなが育ってほしいですね。

いかなる理由があっても人を傷つけてはならない、あやめてはならないと、
幼いころから聞かされてきました。それは家庭で、学校で、幾度となく
教えられる、あたりまえのこと。大切なこと。疑いようのないこと。

命は地球より重いのだから――。

米オハイオ州に住む77歳のトーマス・シーマーさんは、公共の展示物を
汚損したことで逮捕されました。広島に原爆を投下したB29爆撃機
「エノラ・ゲイ」が、被爆の惨状にまったくふれず、まるで英雄のように
展示されていることに抗議してのことでした。有罪判決が下り、シーマーさんは
涙を流していました。罪人となり、家族や友人に心配をかけたからでは
ありません。シーマーさんが人として心から恥じ、悔やんだのは、
シーマーさん自身が、1953年から1976年まで多国籍企業ロックウェル社の
従業員としてクラスター爆弾やミサイルの開発にかかわったこと。その罪を
償うためにも、残りの人生をすべて平和のために捧げたいのだそうです。
人の命も地球より重いのだから――と。

自ら手をくだしていなくても、兵器をつくるのは、人をあやめる凶器を世に
送り出すこと、それは罪です。
では、合成化学物質はどうでしょう。
発ガン性が報告されても化粧品に、食品に、日本中の企業が使いつづけています。
そこに、いかなる理由があるのでしょう。そこで働く大人達は「命は地球より重い」
ことを、正義の意味を、子ども達に、どう教えるのでしょうか。

子どもの日の出逢いから、そんなことを考えてしまいました。

さあ、今日からまたお仕事ですね。
自分の仕事が、している事が、話す事が、伝える事が、
小さくとも、誰かの、何かの、お役に立つといいですね。

【2007.5.7 末金典子】

いよいよゴールデンウィークですね~。

しっかし、時間の経つのは早いものです!
ついこの前お正月が終わったと思ったら、もう1年の3分の1が過ぎ、今や
ゴールデンウィークになっちゃいました。
20代も後半になると、そういうふうに1年の過ぎ行くスピードが
加速しているのを感じ、30を過ぎると、そのスピードに焦りを感じる。そして
40代からはそのスピードを虚しく感じ始めるといいます。
実際に、年をとるほどに“一年”を短く感じるようになるのは、生理的現象の
一種。子供の頃は、1日が短く、1年が異様に長かったのに、大人になるにつれ
逆になり、1日が長く、1年が短くなっていきます。ただ、充実した人生を
送っている大人はいくら年を重ねようとそうはならないそうです。
それはもちろん密度が濃いからで中学生並みの密度の日常を送っているなら、
1日も当然短くなるわけです。ただ大体は、1年が単調なほど、年をとるほど、
1日は長くなり、もの哀しさを免れなくなっていくそうです。
そんなことを考えていた時、昨年末にもらったまましまいこんでいた
カレンダーやスケジュール帳がひょっこり出てきました。なんで今頃と
思いつつも、これをいい機会と、1月から4月まで終わってしまった日々を、
振り返ってみることにしました。空白を埋めるべく、思い出せるだけの出来事を
書いてみる…。むしろ月日の長さに驚いてしまいました。
あれはたった3ヶ月前? あれからまだ1ヶ月しかたってないの? と
逆に今までの日々の密度の濃さにびっくりしたのです。
ニュースだってほんの1~2ヶ月前に世間を大騒ぎさせていた事件のことを、
もうすっかり忘れていたりするもの。他の新しい情報が次々入ってくるから、
記憶から早々に追い出されてしまうのです。自分たちの日常生活も同じ。
自分自身は大して動いていなくても、世の中の動きが実はものすごいスピードで
動いていて、それに完全にのみこまれているから、日々の記憶を長く保って
いられないのでしょう。
でも途中でふり返り、ていねいに思い出すと、そのみっちりした3ヶ月、
4ヶ月が甦ってきます。むしろ月日はとても長いことに気づくのです。
時の流れの早さに心が空しくなったら、今年の1月から、この日は何をした、
どこへ行ったとなぞってみてください。自分の変化や進化にも不意に
気づいたりして、必ず収穫があるはずです。

よくこの言葉を耳にします。
「毎日単調でダレちゃうよ。なにかいい事ないかなぁ」
そういう方の大方が、いつの間にか心の余裕も無くしていて、不平不満の毎日を
送っておられる御様子なのです。
そこでお奨めなのが、
『今日のいい事日記』。
1日の中で良かった事を一つ捜して書き続けてみるんです。1日1日の良い事が
集まって1ヶ月が過ぎ、あっという間に1年が経ちます。
私も10年続けています。「友達に“やせたね”と言われて嬉しい!」「お天気が
良くて、洗濯物がカラッと乾いていい匂い」「お客様に“がんばろうね”と
言っていただけた」など、些細な事が多いですが、それを幸せだと感じられる
喜びを知り、また心の持ち方ひとつで毎日が変わるんだとも思いました。
どんなにちっぽけなことでも、寝る前にひとついいことを見つけると、
あぁ今日もいい1日だったなと思うことが出来るのです。
そうすると、欠けていたのは感謝する気持ちだということに気が付くはずです。
幸せは自分の心の中にあります。幸せがやって来るのをじっと待つだけではなく
見つけ出すことの方が大切なのだと思います。

「日記なんてとても無理…」というあなたなら、20数年前のテレビの子供番組
「ポリアンナ物語」の「良かったさがし」をお奨めします。
この物語は、両親を亡くし一人ぽっちのポリアンナが、牧師さんから教わった、
どんな逆境にあっても喜びを見つけ出すゲーム「良かったさがし」を通して
周りの人々を明るく元気にしていく物語。ある女性が早速まねて4歳の
息子くんと「良かったさがし」をしたそうです。
保育園に迎えに行った時、良かったことを聞いて、毎日抱きしめるのが日課と
なったそうです。息子くんは、しょんぼりして元気がない時でもすぐ満面の
笑みに変化。良かったさがしを通して、隣人への感謝の気持ちがわき、
心の気分転換ができ、物の見方を変えることができたそうです。
すべての優先順位は、生きること。つらく苦しいとき、夫婦、家族、
恋人同士が、一緒に「良かったさがし」をして幸せを確認すれば、
社会全体にも幸せの輪が広がるのではないでしょうか。

このゴールデンウィーク、どこかにお出かけ、もステキですが、
のんびりゆったりと、あなただけの幸せの時を感じてみてくださいね。

私は「スローライフ」を推奨しています。
「スローライフ」の「スロー」とは、現代の「ファスト」な生活の中で、
通り過ぎているもの・ことを、立ち止まってじっくり丁寧に見つめなおし、
充実した時間を楽しもうという提案。そういったもの・ことを大切にすることを
通して、ファストな毎日で磨り減った感性を取り戻し豊かな生活を
送っていただきたいと思うのです。

【2007.4.27 末金典子】

陽射しがすこし柔らかくなったかな、と思ったら、また寒さがぶり返す。
いったん脱いだ衣服を、あわてて更に重ね着する…そんな季節柄から、旧暦の
二月は「衣更着(きさらぎ)」と呼ばれるようになったといいます。
でも今年の冬はとても暖かく、自然は、私たちの知らない所で着々と春の準備を
始めて、今や春になってしまったかのようです。
今日はバレンタインデー。気持ちも春色でお過ごしくださいね。

ずいぶん昔…、難病と闘うミコと、その恋人のマコの、激しくも悲しい恋愛を
綴った大島みち子さんの実話書簡集『愛と死を見つめて』が、ブームになり、
少し前に42年ぶりにテレビドラマとして蘇りました。
舞台となっている私の生まれた1960年代の日本は、普通の国の100年分くらいの
高度経済成長を遂げました。特殊な時代です。私の両親も、街や周囲がすごい
勢いで変化をしていく様に、当時すごく驚いた記憶があるようです。大人も
子どもも、輝かしい未来を信じて国民全員が全力疾走し生きている、そんな10年
だったそうです。ところがこの主人公の二人は、周囲の人々が先を夢見て生きる
中で、ミコの難病という現実を突きつけられ、掴めるはずだった明るい未来を
突然失ってしまいます。しかも、彼らの悲しみや悔しさを拾えるほど当時の
日本人に余裕はなかったので、周囲はどんどん先に走っていってしまう…。
ミコとマコは“置いていかれた側”です。でも、脇目もふらない速度で
走り続けた日本は、経済の成長と共に、何か大事なものをそこに置いてきて
しまったのではないのでしょうか。
愛し合う二人の愛は、純愛ですが、同時に“闘う愛”でもあると思うのです。
本気の恋愛とは、社会に対するレジスタンスと同義だと思います。
つまり、“愛よりも大切なものがある”という論理をかざしてくる
社会システムに、はっきりと“No”を言う。この二人の恋愛は、
1960年代という疾走するだけの時代に異論を突きつける行動だったのでは
ないか、と。二人は子どもだったけれど、その若さゆえのエモーショナルな
衝動には尊敬の念を私は抱きますし、これからの若い人たちにもそれを
感じてほしいし、あなたにもそんな本気の恋愛をしてほしいと思います。

「世の中、お金じゃない」
と言った時に、決まって返ってくるのが、
「じゃあ、お金なしで生きていけるの?」
という正論です。
でもじつは、「生きるのに必要なお金を稼ぐ」のと「お金儲けに走る」のとでは、
決定的な差があります。それは【コントロール欲求】に支配されているか
どうかということでもあります。この欲求が、多くの人を不幸にし、犠牲に
します。
たとえ金銭欲とは無縁の人々さえも、巻き込んでいくのです。
人も企業も、お金を儲けるために悪事を働くことがあります。人命を犠牲に
することさえあります。
本当は、企業が世の中の役に立つ活動をする資金を集める方法が株であり、
その活動を評価して買うのが株です。でも最近では、企業は実態なしにでも
株価を上げようとし、投資家は企業の活動内容と関係なく、利益の
得られそうな株を狙うマネーゲーム状態です。
すべてお金の魔力のせいです。年収が1500万円を超えると、かえって幸福感は
低下するという研究結果があるのに、なぜ人は必要以上にお金に
執着するのでしょうか?
そこにあるのがすなわち【コントロール欲求】のようなのです。
お金をパワーと感じ、お金があればすべてをコントロールできると
錯覚してしまうところから、際限なくお金を儲けようとするらしいのです。
人も自分も滅ぼすこともあります。決して健康な精神状態とは言えません。
企業も人間と同じように精神を病む場合があるのです。
現代はまさにそんな時代です。
それに立ち向えるのは、ミコとマコのような、また、自分より相手を大切に思う、
無償の愛情だけなのだと思います。

あなたの愛は生きていますか?
あなたの愛する人は誰ですか?
その人を本気で愛していますか?

誰もが愛し愛される大切な存在です。
あなたは愛し愛されるために生まれてきたのです。

今日は愛情あふれる一日をお過ごしくださいね。

【2007.2.14 末金典子】

昨日はありがとうございました。
またお目にかかることができてとてもうれしかったです!

以下は昨日皆さんにお送りさせていただいた「麗王便り」です。
日野さんのアドレスを登録し忘れておりまして1日遅れてしまいました。
読んでみてくださいね。

おめでとうございます!
新しい年が始まりましたね~。
1年のスタートの月を“睦月”といいます。
この1年も、家族みんなが幸せでいられますように、そんな願いが広がるから
でしょうか、1月の旧暦名は“互いに睦まじく”人と人がにぎわい、
顔を合わせあって睦み合うことから“睦月”というのだそうです。
古くから伝えられるお正月遊びの凧揚げも、そんな願いが天高く届くよう、
始められたのかもしれません。
“睦月”の意味あい通り、1月は日頃の感謝をあたためながら、いろんな人と
会い、楽しく過ごしたいものですね。
様々な人と和やかに睦み合い、いろんな会話を交わせば、
その中から今年の幸運が流れ込んでくるような気がします。

そして、今日は“鏡開き”の日です。
供えておいた鏡餅をおろして、食べる祝儀のことをいいます。
「切る」という言葉を忌み嫌い、刃物では切らずに、手や槌で割って「開く」と
めでたい言葉を使うのだそうです。
この言葉に対する細やかな感性は、まさに日本ならではのものですね。
今日食べると、その年は無病息災であるという、
生命力が宿るといわれるこの鏡餅。
麗王でも温かいおぜんざいに入れてご用意いたしておりますので、ぜひ
お召し上がりくださいね。

かつては国民的休日として、街が静まり返るほどに、誰もがそれぞれの家庭で
団らんを楽しんでいたお正月でしたが、現代では、普段と変わらずにお店が
営業するなど、あたかも旧年の延長。
でも、やはり1月は、街にお琴の音が流れていたり、しめ縄や門松が
飾られていたりと、「和」を「日本」を、感じさせてくれます。

その「日本」、ある意味では、外国の人の方が、より理解し、愛しているのでは、
と思うことさえあります。

四方を海にかこまれた、その小さな島国は、春夏秋冬の美しい風景に彩られて
ひとりのイタリア人青年をとりこにしました。
いまから半世紀以上も前の昭和30年代、フォスコ・マライーニ氏と日本との
出会いは、のちに一冊の写真集「海女の島・舳倉島」に姿を変え、世界中の
人々に愛されるベストセラーになりました。

マライーニ氏にとって日本は神秘の国でした。
日本の人々は、小川のせせらぎや森の大樹、ときには米びつや酒樽のなかにまで
神の姿を見いだし、手を合わせて祈る。
教会も、聖書も、ロザリオも見あたらないのに、そこらじゅうに神々の息吹を
感じる。
私の住む沖縄もまさしくそういうところです。

とりわけマライーニ氏を感心させたのは、
日本の人々の、ものの憐れを知る心――。
自然を最上のものとして敬い、畏れ、感謝し、
自然の木々や鉱物、土からつくった道具や「もの」のなかにまで命を見いだし、
慈しむ「心」。
役目を終えた「もの」をも憐れむ、針供養や人形供養などの美しい習慣はいまも
私たちの暮らしに確かに根づいています。

あの日、マライーニ氏の心を強くとらえた日本の姿はいまも、
そのままでしょうか。
ファシズムに抗議して投獄されたこともある高潔なマライーニ氏は、2004年6月
永眠されました。
晩年、イラク戦争やテロの惨状を目にしては、「こんな世界は見たくない」と
涙されていたといいます。

美しき日本の心を、大地や海を、守るために、
子どもたちの未来に「平和」をつむぐために、
いまこそ、愛と、勇気と、夢を――。
そして「あたりまえのこと」を。

今年はそんな気持ちで過ごしてゆこうと思っています。
あなたもたくさんの希望を夢を、胸に、スタートをきってくださいね。

今年はもっともっと、あなたとの大切な時間をやさしさで包めますように。