いよいよゴールデンウィークですね~。

しっかし、時間の経つのは早いものです!
ついこの前お正月が終わったと思ったら、もう1年の3分の1が過ぎ、今や
ゴールデンウィークになっちゃいました。
20代も後半になると、そういうふうに1年の過ぎ行くスピードが
加速しているのを感じ、30を過ぎると、そのスピードに焦りを感じる。そして
40代からはそのスピードを虚しく感じ始めるといいます。
実際に、年をとるほどに“一年”を短く感じるようになるのは、生理的現象の
一種。子供の頃は、1日が短く、1年が異様に長かったのに、大人になるにつれ
逆になり、1日が長く、1年が短くなっていきます。ただ、充実した人生を
送っている大人はいくら年を重ねようとそうはならないそうです。
それはもちろん密度が濃いからで中学生並みの密度の日常を送っているなら、
1日も当然短くなるわけです。ただ大体は、1年が単調なほど、年をとるほど、
1日は長くなり、もの哀しさを免れなくなっていくそうです。
そんなことを考えていた時、昨年末にもらったまましまいこんでいた
カレンダーやスケジュール帳がひょっこり出てきました。なんで今頃と
思いつつも、これをいい機会と、1月から4月まで終わってしまった日々を、
振り返ってみることにしました。空白を埋めるべく、思い出せるだけの出来事を
書いてみる…。むしろ月日の長さに驚いてしまいました。
あれはたった3ヶ月前? あれからまだ1ヶ月しかたってないの? と
逆に今までの日々の密度の濃さにびっくりしたのです。
ニュースだってほんの1~2ヶ月前に世間を大騒ぎさせていた事件のことを、
もうすっかり忘れていたりするもの。他の新しい情報が次々入ってくるから、
記憶から早々に追い出されてしまうのです。自分たちの日常生活も同じ。
自分自身は大して動いていなくても、世の中の動きが実はものすごいスピードで
動いていて、それに完全にのみこまれているから、日々の記憶を長く保って
いられないのでしょう。
でも途中でふり返り、ていねいに思い出すと、そのみっちりした3ヶ月、
4ヶ月が甦ってきます。むしろ月日はとても長いことに気づくのです。
時の流れの早さに心が空しくなったら、今年の1月から、この日は何をした、
どこへ行ったとなぞってみてください。自分の変化や進化にも不意に
気づいたりして、必ず収穫があるはずです。

よくこの言葉を耳にします。
「毎日単調でダレちゃうよ。なにかいい事ないかなぁ」
そういう方の大方が、いつの間にか心の余裕も無くしていて、不平不満の毎日を
送っておられる御様子なのです。
そこでお奨めなのが、
『今日のいい事日記』。
1日の中で良かった事を一つ捜して書き続けてみるんです。1日1日の良い事が
集まって1ヶ月が過ぎ、あっという間に1年が経ちます。
私も10年続けています。「友達に“やせたね”と言われて嬉しい!」「お天気が
良くて、洗濯物がカラッと乾いていい匂い」「お客様に“がんばろうね”と
言っていただけた」など、些細な事が多いですが、それを幸せだと感じられる
喜びを知り、また心の持ち方ひとつで毎日が変わるんだとも思いました。
どんなにちっぽけなことでも、寝る前にひとついいことを見つけると、
あぁ今日もいい1日だったなと思うことが出来るのです。
そうすると、欠けていたのは感謝する気持ちだということに気が付くはずです。
幸せは自分の心の中にあります。幸せがやって来るのをじっと待つだけではなく
見つけ出すことの方が大切なのだと思います。

「日記なんてとても無理…」というあなたなら、20数年前のテレビの子供番組
「ポリアンナ物語」の「良かったさがし」をお奨めします。
この物語は、両親を亡くし一人ぽっちのポリアンナが、牧師さんから教わった、
どんな逆境にあっても喜びを見つけ出すゲーム「良かったさがし」を通して
周りの人々を明るく元気にしていく物語。ある女性が早速まねて4歳の
息子くんと「良かったさがし」をしたそうです。
保育園に迎えに行った時、良かったことを聞いて、毎日抱きしめるのが日課と
なったそうです。息子くんは、しょんぼりして元気がない時でもすぐ満面の
笑みに変化。良かったさがしを通して、隣人への感謝の気持ちがわき、
心の気分転換ができ、物の見方を変えることができたそうです。
すべての優先順位は、生きること。つらく苦しいとき、夫婦、家族、
恋人同士が、一緒に「良かったさがし」をして幸せを確認すれば、
社会全体にも幸せの輪が広がるのではないでしょうか。

このゴールデンウィーク、どこかにお出かけ、もステキですが、
のんびりゆったりと、あなただけの幸せの時を感じてみてくださいね。

私は「スローライフ」を推奨しています。
「スローライフ」の「スロー」とは、現代の「ファスト」な生活の中で、
通り過ぎているもの・ことを、立ち止まってじっくり丁寧に見つめなおし、
充実した時間を楽しもうという提案。そういったもの・ことを大切にすることを
通して、ファストな毎日で磨り減った感性を取り戻し豊かな生活を
送っていただきたいと思うのです。

【2007.4.27 末金典子】

陽射しがすこし柔らかくなったかな、と思ったら、また寒さがぶり返す。
いったん脱いだ衣服を、あわてて更に重ね着する…そんな季節柄から、旧暦の
二月は「衣更着(きさらぎ)」と呼ばれるようになったといいます。
でも今年の冬はとても暖かく、自然は、私たちの知らない所で着々と春の準備を
始めて、今や春になってしまったかのようです。
今日はバレンタインデー。気持ちも春色でお過ごしくださいね。

ずいぶん昔…、難病と闘うミコと、その恋人のマコの、激しくも悲しい恋愛を
綴った大島みち子さんの実話書簡集『愛と死を見つめて』が、ブームになり、
少し前に42年ぶりにテレビドラマとして蘇りました。
舞台となっている私の生まれた1960年代の日本は、普通の国の100年分くらいの
高度経済成長を遂げました。特殊な時代です。私の両親も、街や周囲がすごい
勢いで変化をしていく様に、当時すごく驚いた記憶があるようです。大人も
子どもも、輝かしい未来を信じて国民全員が全力疾走し生きている、そんな10年
だったそうです。ところがこの主人公の二人は、周囲の人々が先を夢見て生きる
中で、ミコの難病という現実を突きつけられ、掴めるはずだった明るい未来を
突然失ってしまいます。しかも、彼らの悲しみや悔しさを拾えるほど当時の
日本人に余裕はなかったので、周囲はどんどん先に走っていってしまう…。
ミコとマコは“置いていかれた側”です。でも、脇目もふらない速度で
走り続けた日本は、経済の成長と共に、何か大事なものをそこに置いてきて
しまったのではないのでしょうか。
愛し合う二人の愛は、純愛ですが、同時に“闘う愛”でもあると思うのです。
本気の恋愛とは、社会に対するレジスタンスと同義だと思います。
つまり、“愛よりも大切なものがある”という論理をかざしてくる
社会システムに、はっきりと“No”を言う。この二人の恋愛は、
1960年代という疾走するだけの時代に異論を突きつける行動だったのでは
ないか、と。二人は子どもだったけれど、その若さゆえのエモーショナルな
衝動には尊敬の念を私は抱きますし、これからの若い人たちにもそれを
感じてほしいし、あなたにもそんな本気の恋愛をしてほしいと思います。

「世の中、お金じゃない」
と言った時に、決まって返ってくるのが、
「じゃあ、お金なしで生きていけるの?」
という正論です。
でもじつは、「生きるのに必要なお金を稼ぐ」のと「お金儲けに走る」のとでは、
決定的な差があります。それは【コントロール欲求】に支配されているか
どうかということでもあります。この欲求が、多くの人を不幸にし、犠牲に
します。
たとえ金銭欲とは無縁の人々さえも、巻き込んでいくのです。
人も企業も、お金を儲けるために悪事を働くことがあります。人命を犠牲に
することさえあります。
本当は、企業が世の中の役に立つ活動をする資金を集める方法が株であり、
その活動を評価して買うのが株です。でも最近では、企業は実態なしにでも
株価を上げようとし、投資家は企業の活動内容と関係なく、利益の
得られそうな株を狙うマネーゲーム状態です。
すべてお金の魔力のせいです。年収が1500万円を超えると、かえって幸福感は
低下するという研究結果があるのに、なぜ人は必要以上にお金に
執着するのでしょうか?
そこにあるのがすなわち【コントロール欲求】のようなのです。
お金をパワーと感じ、お金があればすべてをコントロールできると
錯覚してしまうところから、際限なくお金を儲けようとするらしいのです。
人も自分も滅ぼすこともあります。決して健康な精神状態とは言えません。
企業も人間と同じように精神を病む場合があるのです。
現代はまさにそんな時代です。
それに立ち向えるのは、ミコとマコのような、また、自分より相手を大切に思う、
無償の愛情だけなのだと思います。

あなたの愛は生きていますか?
あなたの愛する人は誰ですか?
その人を本気で愛していますか?

誰もが愛し愛される大切な存在です。
あなたは愛し愛されるために生まれてきたのです。

今日は愛情あふれる一日をお過ごしくださいね。

【2007.2.14 末金典子】

昨日はありがとうございました。
またお目にかかることができてとてもうれしかったです!

以下は昨日皆さんにお送りさせていただいた「麗王便り」です。
日野さんのアドレスを登録し忘れておりまして1日遅れてしまいました。
読んでみてくださいね。

おめでとうございます!
新しい年が始まりましたね~。
1年のスタートの月を“睦月”といいます。
この1年も、家族みんなが幸せでいられますように、そんな願いが広がるから
でしょうか、1月の旧暦名は“互いに睦まじく”人と人がにぎわい、
顔を合わせあって睦み合うことから“睦月”というのだそうです。
古くから伝えられるお正月遊びの凧揚げも、そんな願いが天高く届くよう、
始められたのかもしれません。
“睦月”の意味あい通り、1月は日頃の感謝をあたためながら、いろんな人と
会い、楽しく過ごしたいものですね。
様々な人と和やかに睦み合い、いろんな会話を交わせば、
その中から今年の幸運が流れ込んでくるような気がします。

そして、今日は“鏡開き”の日です。
供えておいた鏡餅をおろして、食べる祝儀のことをいいます。
「切る」という言葉を忌み嫌い、刃物では切らずに、手や槌で割って「開く」と
めでたい言葉を使うのだそうです。
この言葉に対する細やかな感性は、まさに日本ならではのものですね。
今日食べると、その年は無病息災であるという、
生命力が宿るといわれるこの鏡餅。
麗王でも温かいおぜんざいに入れてご用意いたしておりますので、ぜひ
お召し上がりくださいね。

かつては国民的休日として、街が静まり返るほどに、誰もがそれぞれの家庭で
団らんを楽しんでいたお正月でしたが、現代では、普段と変わらずにお店が
営業するなど、あたかも旧年の延長。
でも、やはり1月は、街にお琴の音が流れていたり、しめ縄や門松が
飾られていたりと、「和」を「日本」を、感じさせてくれます。

その「日本」、ある意味では、外国の人の方が、より理解し、愛しているのでは、
と思うことさえあります。

四方を海にかこまれた、その小さな島国は、春夏秋冬の美しい風景に彩られて
ひとりのイタリア人青年をとりこにしました。
いまから半世紀以上も前の昭和30年代、フォスコ・マライーニ氏と日本との
出会いは、のちに一冊の写真集「海女の島・舳倉島」に姿を変え、世界中の
人々に愛されるベストセラーになりました。

マライーニ氏にとって日本は神秘の国でした。
日本の人々は、小川のせせらぎや森の大樹、ときには米びつや酒樽のなかにまで
神の姿を見いだし、手を合わせて祈る。
教会も、聖書も、ロザリオも見あたらないのに、そこらじゅうに神々の息吹を
感じる。
私の住む沖縄もまさしくそういうところです。

とりわけマライーニ氏を感心させたのは、
日本の人々の、ものの憐れを知る心――。
自然を最上のものとして敬い、畏れ、感謝し、
自然の木々や鉱物、土からつくった道具や「もの」のなかにまで命を見いだし、
慈しむ「心」。
役目を終えた「もの」をも憐れむ、針供養や人形供養などの美しい習慣はいまも
私たちの暮らしに確かに根づいています。

あの日、マライーニ氏の心を強くとらえた日本の姿はいまも、
そのままでしょうか。
ファシズムに抗議して投獄されたこともある高潔なマライーニ氏は、2004年6月
永眠されました。
晩年、イラク戦争やテロの惨状を目にしては、「こんな世界は見たくない」と
涙されていたといいます。

美しき日本の心を、大地や海を、守るために、
子どもたちの未来に「平和」をつむぐために、
いまこそ、愛と、勇気と、夢を――。
そして「あたりまえのこと」を。

今年はそんな気持ちで過ごしてゆこうと思っています。
あなたもたくさんの希望を夢を、胸に、スタートをきってくださいね。

今年はもっともっと、あなたとの大切な時間をやさしさで包めますように。