お元気ですか?
沖縄は久しぶりに台風が直撃しましたが、あなたは大丈夫でしたでしょうか。
金曜日はさすがにバスも終日運休しましたので、仕事もお休みさせて
いただきました。
昨日は本土で大きな地震もあったりと、天災続きでたいへんな連休に
なってしまいました。お見舞い申し上げます。

さて、昨日は海の日でしたね。あいにくの雨で海水浴も叶わず、
お部屋の窓から雨模様の海を眺めてすごしました。

太陽系の惑星の中で、海があるのは地球だけです。生命が存在するのも…。
そして、青い惑星と呼ばれるように、私たちが住むこの地球の70%は海です。

地球ができたのは今から46億年前。ごく小さな惑星同士が衝突・合体を
繰り返して、しだいに大きな惑星ができあがったと考えられています。
衝突の熱のため、当時の地球は、1700℃くらいの高温。ドロドロに溶けた
マグマが地表をおおい、水蒸気や窒素、二酸化炭素などを含むガスが上空に
立ち込めていました。その後、地球の温度が急速に下がると、ガスの中の
水蒸気が冷え、雨となって地上に降り注ぎます。これが海の始まりでした。
今から43億年ほど前のことです。

この雨にはガス中の塩化水素が多く溶けていたため、最初の海水は
塩酸のようなもので、とても生命の住める環境ではありませんでした。
しかし海に接する岩石から、ナトリウムやカルシウム、カリウム、
マグネシウムなどさまざまな無機物がしだいに溶かし出され、
大規模な中和反応が起こります。その結果として、今のような、塩辛くて、
ほぼ中性の海ができあがったのです。

この海の中で、炭素化合物の一種であるアミノ酸が自然合成され、
そのアミノ酸が集まって作られたたんぱく質から、最初の生命体が生まれました。
アミノ酸の生成は化学反応の一種であり、水の分子のないところでは
むずかしかったと考えられます。またオゾン層の形成されていなかったこの時代、
強烈な紫外線が降り注ぐ地上に、生命体が住むことは不可能でした。やがて、
少しずつ進化した原始的な海中植物の中に、二酸化炭素を取り込んで酸素を出す
「光合成」を行うものが現れたことは画期的でした。この酸素を取り入れて
呼吸する「動物」が出現。その後長い進化の歴史を経て、私たち人間が
生まれたのです。

このように、海は、私たち人間が生まれるずっと前からこの地球に
存在しています。私たちが知りようもない遥か昔の記憶がそこには刻まれて
いるのです。
生命の誕生と死、地球上で繰り返される闘いと破壊、人間の豊かさと愚かさ、
海はすべてを見ています。
私たちは昔から、海に対してある種の浪漫を抱いてきました。
見ることのできない海の彼方に想いを馳せ、様々な夢や伝説を創り出して
きました。
私たちの想像力をかきたてる未知なる海は、たとえて言うなら、母なるガイア
(地球)の羊水。私たちの生命の源がそこにはあるのです。

不思議なことに、お母さんのお腹の中で赤ちゃんを育む羊水は、
ミネラルバランスなどの組成が、古代の海水と大変似ているそうです。
広い海を眺め、波の音に耳を傾けていると自然に心が癒されるのは、
海が私たちのふるさとだからなのかもしれません。

そんな海は、誰もが普段身につけている鎧を脱ぎ捨て、裸の自分に戻れる場所。
そこでは自分を偽ることができません。子供がどんなにウソをついたり
ごまかしたりしても、お母さんには全部ばれてしまうのです。
私たち子供は、母なる大自然には何ひとつ勝つことができません。
今回の台風や地震の爪痕ひとつとってもそうです。
どんなに虚勢を張ってみても、いえ、虚勢を張れば張るほど、ちっぽけな自分が
浮き上がってしまいます。
この夏、そんな自分の弱さを認めて、海に思いきり甘え、私たち生命の源に
帰って、その大いなるメッセージに耳を傾けてみませんか?
夏はエネルギーが解放される季節です。じっくり自分を見つめる時間を持ち、
あなたの内面に手をかけてあげてくださいね。

【2007.7.17 末金典子】

こんにちは。 お元気ですか?
じとじとじと~っの梅雨ですね。
梅雨で雨がたくさん降るのに、6月のもう1つの名前は「水無月(みなづき)」。
実は旧暦の6月は、新暦では真夏の日照りが始まる7月に当たり、暑さで水が
涸れそうな様子から「ミズナシ月」と呼ばれたのが、由来といわれています。

いつもはうっとうしく思うこの梅雨。毎年、よくまあ規則正しく
やって来るものだと、地球のリズムに感心するのは私ばかりでしょうか。
お部屋がじめじめしたり、お洗濯物が干せなかったり、鬱陶しさは
ぬぐえないけれど、農家にとっては恵みの雨。この雨が、さまざまな作物たちの
豊かな実りを助けているのです。

でもその作物にも限りがあります。それが自然です。だからこそ、今ある大地の
恵みに感謝したいものです。
最近は、サプリメントがもてはやされています。ゴクリと水で流し込むあれです。
安易にこれに頼るのはどうでしょう。これも食文化? 今の日本の教育は、
知育・徳育・体育の三本柱ですが、今こそ「食育」が必要なのかもしれません。
幼いころ、時間を忘れ夢中で遊んでいる時に、お母さんから「ご飯ですよ~」と
呼び掛けられ、家族がみんなで楽しく食卓を囲んだものです。
こういう団欒のひとときに、この食物はこんな味でこんな栄養があるなど、
食体験や料理を通して、子供達に「おいしい」や「楽しい」を伝えていくべき
なのではないでしょうか。
著名な料理家が、「スローフード」という食習慣を直訳すると、「団欒」が一番
ふさわしいとおっしゃっておられましたが、地場の伝統食を話題にしながら、
皆が楽しく食事をすることもとても大切なことなのだと思います。

以前にも書きましたが、やんばるのブドウ狩りで感じたことです。

お客さんの足で踏み固められた地面に、一生懸命根をのばすブドウの木。
見た目はよい漆黒の粒でも、農薬の霧がその美しさに陰をさしていました。
ブドウの木が苦しそう。
昔のもこんな味だったっけ?
種無しにするため成長調整剤を使い、人工的な処理をほどこしたブドウ。
種ありブドウの強烈な甘さを知る、私の口にはまずく感じました。
あらためて考えてみると、山も畑も、昔と変わらず、深い緑で覆われています。
でも、見かけは同じ緑色でも、本当に中身まで同じものなのでしょうか。

まっすぐなキュウリ。真夏の白菜。虫を殺すジャガイモ。漂白剤で洗った真っ白な大根。自然の中ではありえないものが、当然のように存在する時代。
腐らないおにぎり。栄養のない野菜。石油から作られた食品。
添加物だらけのハンバーガー。人口の甘味料や香料。保存料、着色料…。
食べ物は私たちの体の中に直接入ってくる大切なもの。なのにウソやごまかしだらけの食べ物が世の中に溢れているのです。
祖母と母が同じ台所に立ち、その日買ってきた食材を使って、代々の嫁が
教わってきた知恵と味を、また伝えていく。「そんな生活があたりまえだった時代はもう過去のこと」、そうしてしまっていいものなのでしょうか。

梅雨に、大地の恵みに感謝しつつ、地面に跳ねる雨の旋律に耳を傾けながら
そんな思いにひたっていました。

【2007.6.8 末金典子】

ゴールデンウィークはいかがお過ごでしたか~?
5日は子どもの日でしたので、お父さん方は海や公園など行楽地にお出かけ
なさったことでしょうね。
この、菖蒲の節句とも言う子どもの日、昔は、菖蒲など季節の薬草で
厄払いをする宮中の行事でした。その後、武士の間で菖蒲を尚武(武を尊ぶ)と
解したことから、男の子のお祝いとして定着。兜や鎧を飾り、子ども達が
たくましく育つようにと願いを込めたそうです。
今もって子供はいない私なのですが、素敵な子どもに出逢うことができた日と
なりました。

私は無類の猫好き。私の住む北谷の町には、いたる所にわんさかノラ猫が
いるんです。毎日、海沿いにウォーキングしていると、決まったエリアに
決まったノラ猫がいるので、いつの間にか顔馴染みになり、今では挨拶を
交わすほどの仲になりました。私の昔からの習慣で、どこへ出かける時にも
いつも小さなタッパーにキャットフードを入れて持ち歩いていて、
ウォーキングの途中で会った猫ちゃん達にももちろんご馳走することに
しています。たまに見過ごして通り過ぎると、
「フニャーッ!(今日はくれないの~!)」と追いかけてくるほどです。
以前、ある建築家の方から、「その猫を一生面倒みる覚悟もないくせに、
中途半端な親切なんかかけるな!」とお叱りを受け、随分考え込んで一時
やめたことがあるものの、お腹の大きな母猫や、子猫をたくさん抱えた母猫が
餓えておっぱいもろくに出ない様子に遭遇した時に、たとえ一時でも、と
再開してしまい、今では再びエサを持ち歩く毎日です。
その日、ウォーキングの帰り道に寄ったサンエーの駐車場でのこと。
私を待ち構えるようにして寄ってきた猫が4匹。いつものようにエサをあげて
なでなでしていると、7,8歳ぐらいの真っ黒に日焼けしたわんぱくそうな
男の子が、私に「こんにちは!」と大きな声で笑いかけてくれるでは
ありませんか。うれしくなって私も大きな声で「こんにちは!」
するとこう言ってくれたんです。
「おばさん、ありがとうね。僕ね、いつもお母さんとここに来る度に
ここの猫ちゃん達のために家のミーコのエサを持って来てあげるんだけどさ、
今日は忘れちゃって猫ちゃん達にごめんねって謝ってたんだ。それで
『神さま、どうか、誰か優しい人がここに来てくれて、僕の代わりに
猫ちゃん達にエサをあげてくれるようにしてください』って必死で
お願いしてたんだよ。そしたらさ、おばさんが向こうから歩いて来て、
座って猫ちゃん達にエサをあげてくれたんだ。すっごいびっくりしちゃった。
おばさんは神さまの声が聞けるんだね。本当にありがとうね。
神さまもありがとうね!」
って言うと車に走って行きました。
私こそびっくりしちゃいました。
そして、この子の後姿には羽が生えてるように感じました。
よく、「今の子ども達は…、」などと言われますが、なかなかどうして。
すくすく育っている素晴らしい子どももいるなぁって、
とっても嬉しくなっちゃいました。
そうですよね、生まれてくる時にはみんな真っ白で、純粋無垢。
そんな子ども達を犯罪や非行に駆り立てているのは、大人が創り出す環境や
教育から。
この子のように、命を大切に思う子にみんなが育ってほしいですね。

いかなる理由があっても人を傷つけてはならない、あやめてはならないと、
幼いころから聞かされてきました。それは家庭で、学校で、幾度となく
教えられる、あたりまえのこと。大切なこと。疑いようのないこと。

命は地球より重いのだから――。

米オハイオ州に住む77歳のトーマス・シーマーさんは、公共の展示物を
汚損したことで逮捕されました。広島に原爆を投下したB29爆撃機
「エノラ・ゲイ」が、被爆の惨状にまったくふれず、まるで英雄のように
展示されていることに抗議してのことでした。有罪判決が下り、シーマーさんは
涙を流していました。罪人となり、家族や友人に心配をかけたからでは
ありません。シーマーさんが人として心から恥じ、悔やんだのは、
シーマーさん自身が、1953年から1976年まで多国籍企業ロックウェル社の
従業員としてクラスター爆弾やミサイルの開発にかかわったこと。その罪を
償うためにも、残りの人生をすべて平和のために捧げたいのだそうです。
人の命も地球より重いのだから――と。

自ら手をくだしていなくても、兵器をつくるのは、人をあやめる凶器を世に
送り出すこと、それは罪です。
では、合成化学物質はどうでしょう。
発ガン性が報告されても化粧品に、食品に、日本中の企業が使いつづけています。
そこに、いかなる理由があるのでしょう。そこで働く大人達は「命は地球より重い」
ことを、正義の意味を、子ども達に、どう教えるのでしょうか。

子どもの日の出逢いから、そんなことを考えてしまいました。

さあ、今日からまたお仕事ですね。
自分の仕事が、している事が、話す事が、伝える事が、
小さくとも、誰かの、何かの、お役に立つといいですね。

【2007.5.7 末金典子】