さすがの沖縄も随分ひんやりしてまいりました。
体調などお変わりございませんか?

私は20代の頃より毎日睡眠時間3・4時間という二足のわらじ生活を
送ってきたせいか、体調管理や、健康に関しては幾分か気を配ってきたつもりで
いるのですが、そうはいっても20・30代の時には、せいぜい、運動を
心がける、お休みの日にはしっかり眠る、保存料の入った食べ物は食べない、
栄養の偏りをサプリメントで補う、シャンプーや洗剤などは肌に優しい価格の
高いものを使うなどといった比較的安易なものでした。
長ずるにおよんで、そんなものではないなぁと思ってきました。
もっと体の中からしっかりと変えていかなければと思い始め、
食べるものはできる限りよい素材で手作りしたり
(例えば、おやつにホットケーキを焼く時だって、
市販のホットケーキミックスの中にはたくさんの添加物が入っていますので、
粉からふるうようにするなど)、入浴剤もキッチンで揃うような素材で
口に入れてもよいものを毎日調合したり…。
今、特に楽しいのは、毎日1時間のウォーキングから50分のランニングに
切り替えて走っていること。(自宅前のアラハビーチ近辺)
毎日走っていると、体重が減ったり筋肉がついたりと健康にいいのはもちろんの
ことですが、普段の車生活では気づかないことがたくさん見えてきて
とても新鮮なんです。

さて、その気づいたことの一つを記事にしてみました。(琉球新報さんと
沖縄タイムスさんには却下されましたが!)

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今年、北谷町のアラハビーチに歩行者のための塩川橋が架かった。
毎日ウォーキングでこの橋を渡る度に哀しくなる。あまりにも思いやりの無い橋
だから。
アラハビーチは町中にあってもまだまだ美しい海が広がる。魚だってたくさん
泳いでいる。この塩川橋が架かるまではたくさんの人達が海を泳ぐ魚達を見て
歓声をあげものだ。
ところが、橋が架かったのはよしとしても、この塩川橋、大人の私でさえ
背伸びをして覗きこんでも下の海が見えない。分厚いコンクリートで味気なく
ガッチリ固められた壁のごとき美しくもない橋。柵のようであるなら海を
見ることもできるのに、コンクリートの壁のわずかな隙間からは到底見えない。
安全性というのなら、違う方法はいくらでもあったはず。
そればかりか、雨が降ると橋の両端に水が溜り水びたしに。まだ真新しい橋
なのに。
一体どんな人が設計したのだろう。海の美しさや魚になど興味も感じない人
なのかしら。仕事が取れればいいというお金が大切な人なのかしら。
それを許可したお役所の人はどんな人なのだろう。橋を渡る時に景色など
味わったことのない人なのかしら。全ては業者に委せておけばよいという
事なかれ主義の人なのかしら。
思いはそこに至ってしまう。どうぞそういう人達ではありませんように。
この橋に限ったことではない。どこの町にもそういう心ないものが溢れている。
みんなのお金は、みんなの気持ちを慮り、思いやって使ってほしい。みんなの
ために。
それが、仕事をする、働く、ということなのだと思うから。
「お前さんねえ、はたらくってのは傍が楽になるからハタラクってんだよ」
という落語の一説があるけれども、みんな働くのは自分のためだって思うから
辛くなる。欲得に走る。自分の身の回りの人を楽にさせるため、楽しませて
あげるために働くんだって考えたら、やる気も出るのではないだろうか。
つまり愛する人のために頑張るっていうのが人間一番元気が出るものだから。
人間は風や海や太陽や原子のエネルギーを使うことができるようになった。
でも、それと同じように、愛のエネルギーを使うことができるようになったら、
それは火の発見にも値し、素晴らしい世の中になるのではないだろうか。
このエネルギーは枯渇しないのだから。
私のモットーはいつも、「いま、愛なら何をするだろうか」。
先ほどの橋の話に当てはめてみるならば、橋の担当者の人達が「いま、愛なら
どんな橋を架けるのか」。その人は家族と一緒に美しい海を渡る時、
どんな橋を渡りたいのだろうか。思い浮かべてみてほしい。
そういう優しいものが町に溢れたなら、人の心も自然に優しくなり、歴史も
きっと変わる。

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こんなふうに愛のエネルギーで働くことができれば、仕事に一種付き物の
「憂うつ感」はなくなるのではないでしょうか。

ただ、この仕事に立ち向う時の「憂うつ感」は、違う面では、今の教育にも
関係している気がするのです。

私もそうなのですが、仕事をしていると、トラブルが起こったり、人間関係が
いざこざしたり、体調がきつかったり、仕事が多く溜まってきたりと、本当に
辛い時があります。
でもその時こそ、社会で伸びていく人と、そうでない人の差がぐっと
出てくるように感じるのです。
それは多分、日本の教育に問題があると思うのですが、受験を筆頭にいい学校、
いい点数、いい成績をめざすために、今の人たちが何を教えられ、
何をやってきたかというと「効率のいい」勉強なんですね。
どういう意味かというと「限られた時間内に効率よく点を取る」ための勉強で、
「効率よく点を取る」ためには、わからないことは後に回して、わかるものから
優先的に点を取っていくんです。このやり方が身についてしまうと、
イヤなことはしない、面倒なことは後回し、楽なことから点数を稼ごうと
するようになる。しかも、興味のあることが「効率のよくない」ことなら
あきらめてしまったり、本当に好きなことを知る機会を持たないまま
大人になってしまうのです。
この考え方を社会に出ても続けようとする、つまり、自分が楽だと思うような
仕事から先にやって、面倒なことは後回しにしてしまうと、
それは正反対なんです。仕事というのは、イヤなことからこなしていかなければ
いけません。面倒なことから片づけていかないといけない。なぜなら、
楽なことは放っておいてもある程度まわるものだからです。
子供のころから勉強してきた処理判断と、社会に出てからしなくてはならない
処理の仕方では、まったく逆の思考をしなければなりません。
これが今の人たちはとても苦手なのだと私は思います。

また、これは仕事に関してだけではなく、
よく「なんとなくいつも憂うつなんです」とおっしゃる方が多いのですが、
それは、いつかはしなくてはならない事や、向き合わないといけないけれど
放ったままにしてある問題を、いつも心の片隅にしまっているからでは
ないでしょうか。いつも心のどこかに「憂うつ」を持っている。
そうではなくて、「憂うつ」っていうものは心の片隅からググッと眼の前に
引っ張り出してきて、真っ先に片づけちゃうべきなんです。やってみれば意外と
「あら、こんなに簡単だったの?」と思ったり、
「先にやっておいたら気が楽になった」ということになったりするもの
なのですから。

さて、今日はいよいよボジョレーヌーボーの解禁日!
ググッと憂うつに向き合った後で、いつもうんとがんばっているご自分への
御褒美に、ぜひやさしいひとときをプレゼントなさってあげてくださいね。

【2007.11.15 末金典子】

こんにちは。
お元気ですか?

今日はハロウィンですね~!
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことです。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには子供に帰って遊ぶという気持ちは大切なことかも
しれませんね。

そこで私もちょっと童心に帰って……思い出したことがあります。
子供の時から引っ掛かっていたことがこれなんです……。

女の子は小さな時、ままごとをしますよね。
私も毎日のようにままごとをして遊んだものです。私がお母さん役になり、
人形を赤ん坊にして、ハンカチのおしめをとり変えたり、抱っこしたり。
お父さん役にはやはり男の子が望ましいと、私はお父さんになる男の子を
探しました。そして一つ年下のやさしくて静かな健ちゃんをままごとに
引っぱり込むことに成功した時、私はうれしくて、でもなぜだか
うしろめたかったんです。男の子がままごとを喜んでやるとは思えなかったので、
だまくらかした感じがして、いつ「やーめた」といわれるかハラハラしたから
なんだと思います。戦争ごっこをしている外の男の子に見られたら健ちゃんは
恥ずかしがるだろうとなと思いもしたり…。
それでも健ちゃんは泥まんじゅうがのっかっている木の葉を恥ずかしそうに
持ち上げて「パクパク。ああ、おいしかった」といってくれて、
私は酔ったように甘ったるい気分になりました。
ごはんを食べ終わると健ちゃんは会社へと出かけていきます。ござのへりに
ぬいだ靴をはいて「行ってくるぞ」と言い、私はござのはじに両手をついて
「お早くお帰りになって」とおじぎをし、健ちゃんは、すぐそばの木を
一回りして「ただいま」と帰ってくるのです。
ただそれだけのことでした。それだけだからすぐあきもしました。
あきても私はままごとが好きであり、健ちゃんをお父さんにする
うしろめたさとうれしさを何度も味わったものでした。

そして私が大人になり、初めて男の人に結婚を申し込まれた時(!)私は
ままごとに健ちゃんを引っぱり込んだのと同じような気がしたのです。
男は本当は結婚なんか望んでいないんじゃないか、戦争ごっこを
泥まみれになってやっていたいんじゃないか、と。
友だちの結婚式に出席してお祝いしているさなかも、はっとわれにかえって、
結婚式が大げさなごっこであり、集まって来た男たちは、木の葉っぱの上の
泥まんじゅうを「パクパク」といって食べている仲間をひやかしに
来ているようなそんな気がしたりしました。
つまりは、男って本当は結婚などせずに、ずっと自由に子供のままで
生きていたいのではないのかしら、ということを感じ続けてきたわけなんです。

それどころか、男って実は一生“子供そのもの”のままなのかもしれません。
梅佳代さんの写真集に「男子」というのがありますが、これがすごくおもしろくて、
小学生に「今から写真撮るよ~」と声をかけると、女子は可愛くちゃんと
カメラにポーズをとるのに、男子はというと、好奇心いっぱいの動物のように
レンズににじりより、定番が白眼をむいてのポーズ。あとは鼻に手を突っ込む、
道路に寝っころがる、など、とにかくおバカなポーズばかりとるんです。
この写真集はこのおバカな(つまりは照れ屋な)男子ばかりを愛情込めて
撮り集めてあるものなんですが、つまりは、男は大人になったってこういう
習性はさして変わらず、あいも変わらず照れ屋で、子どもの頃プラモデルに
熱中していた時そのままに、「へ? いまだにそんなことを?」なんてことに
熱中していたり、夢見続けていたりするものではという気が、いろいろな男性と
お話していると感じています。

そしてまた男は子供なだけではなく、とても繊細で脆くて弱い生き物だなぁと。
失恋となると、女は、別れるまでは「捨てないでぇ~」などと泣いてわめいて
大騒ぎするくせに、いざ別れてしまうと半年もするとケロッとしているもの。
でも男はそうはいきません。結構いつまでも引きずっている人が多いようです。
もしかして「女々しい」とは「男々しい」と書くのではないだろうか、
と思うぐらいに。まあ、神代の昔から、「原始、太陽は女であった」と
言われているのだもの。逆に、男はロマンティストで、神経が繊細で、生理的にも
精神的にも弱いからこそ、神様は男に腕力を与えたもうたのではないでしょうか。

自分が歳を重ねるにしたがって、自分より年上だったり、尊敬できるなと
思う人でも、何かのときにどうしてこんな子供なんだろうって感じることが
よくあります。私はそういう意味では男の人には大人を求めようとすることを
しなくなりました。そうなると逆に子供の部分がすごく愛おしくなったり
するんです。これは決して男の人をバカにしている意味ではなくて、
違う意味での尊敬感なんです。つまりは、女が「男は強いもの!」と決めつけず、
変に男に頼らずに求めずに「男は繊細で子供のように純粋で脆いもの」と
愛おしく想い、包むように愛すことができたなら、世の男女の関係って、
もっとスムーズで、素適なものになるような気がするのです。

でも、信頼できる大人の強い男性に愛されて、心から落ち着き、
安らげる関係こそ“心に優しい恋愛”だと多くの女は思ってしまうわけです。
私も以前はそう思っていました。でも今は、相手から癒されるために恋愛を
するのだとは捉えられなくなりました。
そもそも恋愛ってそんなに癒されるものじゃありませんよね。もちろん幸せな
恋愛もあるけれど、そこまでにはつらさや切なさを乗り越えなければ
ならなかったり、手に入れた後でもまた行き違いが起きたり…。
癒される瞬間があるとしたら、それは人を心から好きになれる自分に気づいた時。
その気持ち全体が、心を癒してくれるのではないかと思うんです。
つまり、他人に寄りかからず、自分の気持ちを純粋に信じた時、
「相手の愛情に癒されるのではなく、人を好きになった自分自身に癒される。」
のだと今は思います。

さてさて、今日は、純粋で子供な男性と一緒に、女性も優しく包み込むような
気持ちで、ハロウィンをわいわい楽しみましょう!

私も魔女に変装し、八ロウィンの飾り付けやかぼちゃのパイやケーキとともに
あなたをお待ちしております!

「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

こんにちは。
連休前に台風が通り過ぎ、秋の気配が強まってきました。

昨日は敬老の日でしたね。おじいちゃん・おばあちゃんとお過ごしに
なられましたでしょうか。
この敬老の日、私の大好きな聖徳太子が悲伝院というお年寄りの救護施設を
設立したことにちなんで作られた国民の祝日です。
お年寄りへの感謝と尊敬を思い出させてくれる日でもあります。

先日意外な方からお電話をいただきました。
なんと!私の小学生の時の担任の先生から。
「末金さん、こんにちは。お元気になさっておられましたか?
覚えてくださっているかしら? わたくし、あなたが小学生当時に、
担任をさせていただいた植田でございます。」
もうビックリ!!! 大好きだった、憧れだった、お優しくて、お美しくて、
お上品で、とにかく素敵だった植田先生。当時は30歳ぐらいだったから、
今はもう、ええっと…65歳?! わぁ、想像できない、今の先生。
小学校教育一筋に、ずっと独身で…なんていうウワサを聞いたこともある。
でも、お声も、お話のなさり方も、今も変わらず、とてもお優しくて、
すごくお上品。
先生のおうちに何度かお招きいただいたこともある。
お友達数人とバスに揺られて、伺った先生のおうち。とてもきれいに
してらして、本を読んでくださったり、つくしを取って、それをたこ焼きに
入れて焼いてくださった。今でも忘れられないのが、帰る時には
「これバスの中でいただきなさいね。」とお土産に持たせてくださった
綺麗なレースのハンカチに包まれたキャンディ。
叱る時も厳しく叱るけれど、とにかくたくさん優しく褒めてくださる。
「とてもステキにご本が読めましたね。」「今のはとても立派な態度でしたね。」
と。もう男子などは、先生に褒められると、真っ赤になって、
木にもピョ~ンと登る勢いで喜び勇び、ついついいい子になっていたものだ。
その先生からのお電話、だ。
当時の私は今と違って(?!)、お転婆な女の子だったので、とてもよく覚えて
くださっていたのだろう。
生徒会副会長になって、実にたくさんの「みんなでやろう運動」を
立ち上げたっけ。
(例えば、学校近くの駅で“重い荷物を持ったお年寄りの方をおうちまで
送ってあげよう”“雨降りの時に傘を持っていない人がいたらおうちまで
送ってあげよう”なんて具合)なんだか今思うと気恥ずかしい。
先生は今回沖縄にいらっしゃることが決まると、私が沖縄にいるという
風のウワサを思い出され、レストランをしていた母に尋ねてくださり、
お電話をくださったというわけなのだ。

たくさんお話しすることができた。たくさん私の小学校時代が蘇ってきた。

私は子どもの頃から、百科事典まで愛読するほどの典型的な文系人間で、
今もって数学心のない人間。
私と同じような人の話をよく聞くけれど、私も最初から数学がまるでだめだった
わけではない。すくなくとも「さんすう」の段階までは、まだ何とか息があった。
テストでも単純な計算問題の部分はむしろ解くのが楽しかった。が、これが
設問形式となると、もういけなかった。たとえば
「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、
10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」
というような問題があったとすると、私はその“ある人”のことがひどく
気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。
家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7こしか買えないと
わかった時に“ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりで
あったろうか――。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまう
ことさえあり、(“ある人”ったら、うふふ……)などと想いを馳せて
いるうちに、「はい、鉛筆を置いて!」という先生の声が響きわたって
しまうのだった。

理科の時間には、みんなでお花を育てましょうということになり、私の班は、
ペチュニアにしようと決まった。しかしペチュニアには天敵がいた。
ナメクジだ。奴が夜のうちに花びらだけをきれいに齧りとってしまうのだ。
私の怒髪は天を衝いた。殺ナメクジ剤「ナメキール」を撒いてみたが効果は
なかった。私は同じ班のお友達と真夜中に学校に行き、懐中電灯を持って
花壇で『八つ墓村』のごとき憤怒の形で一匹ずつナメクジを割り箸で
つまんでは捨てた。「後にも先にも、ナメクジに対してあれほど強い殺意を
抱いたことはありません。」と今回その思い出話をしながら私が言うと、
先生は「おほほほ…」と笑いながら、「あなたは子供の時からおもしろい
お話のなさり方をしていたけれど、今もちっともお変わりありませんねぇ。」
と言われた。

もっとも、そういう私を育て導いてくださったのは、先生であり親なのだ。
先生も母も、偉大な国語学者であり教育家の大村はま先生の教えがいつも頭に
あったようだ。
「言葉が貧しいということは、心が貧しいこと。“読む”ことは
読むことによってしかのびないし、“話す”ことは話すことによってしか
“書く”ことは書くことによってしかのびない。」と。
それがどう私に活かされたかはわからないのだが……。

その先生も母も、もう「おばあちゃん」と呼ばれる年なんだなぁ。

おばあちゃんやおじいちゃんと接すると、彼らはいつの時も、鋭い洞察力で
時代を分析し、人生に対して優しくあたたかな眼差しを注いでいた。

彼らは、私たちの人生の大先輩。長年の経験をもとに紡がれるその言葉には、
人生を豊かで実りあるものにするためのステキなヒントが宿っている。
私がいただいた大きなヒントはこれ。
「幸せとは、生きることを楽しむこと。」
どんな時もゆとりを忘れず、喜びも悲しみも受け流す彼らはまさに、
人生の達人。

普段は忙しさにかまけて、あまり交流のないおじいちゃんやおばあちゃんの話に
耳を傾け、その思い出話やライフスタイルから、毎日を快適に過ごすための
知恵を学びとる日にしたいものだ。
そして、その深みのある人生に触れ、忘れてしまった大切なものを、
生きることの旨みを、教えていただきたいと思う。

【2007.9.18 末金典子】